2018年02月27日

陳凱歌監督「空海ーKU-KAI-美しき王妃の謎」を観る

 映画を見る前も見始めてからも、悪い予感はありました。不幸にもそれらの幾つかの予感は全部当たってしまいました。この映画、全然予備知識なく、たまたま今日は気休めに映画でも見にいこうかな、と思って出町座のスケジュールを見たら、いい時間のが少し暗そうな映画だったので、気休めに見るのにいくらいい映画でも暗いのはよそう、というので、エンタメ系がよかろう、と思って目いっぱいエンタメ系でありそうな大々的広告を打っていたこの映画にしたのですね。MOVIX京都まで行ったのですが、やっぱりあらかじめちゃんと調べて行くべきでした。

 まず少し前にテレビの世界ふしぎ発見!にゲストで染谷将太が出ていて、私はこの俳優さんは顔は見たことがありましたが、全然知らなかったので、へぇ、この人が空海をやるのか。うんと若いときの空海だとしても、私の描いていた逞しく貪欲な自信過剰なくらいふてぶてしく、目力のすごい(はずの)空海とはずいぶんかけ離れた、ひどく柔和な弱そうな現代青年風の空海さんだなぁ、と思っていたのですが、プロの俳優さんだから、役になればがらっと雰囲気を変えて来るのかな、という期待もありました。でも期待ではなくて、予感のほうが当たりました。

 次に、映画がはじまると、製作が角川だ、というのが最初にわかって、あ、これは例のブロックバスター方式とかって、いろんなメディアを総合的に使って宣伝費に法外な金を費やしてメジャーな全国の映画館に大量動員をかけて採算をとる、米国式経営の持ち駒の一つとしての映画であって、作品としての質とかは問わないタイプの映画製作なんじゃ・・・まさかしてないやろな、と悪い予感がしました。これも大当たり。

 それから監督の陳凱歌については、中国のことに関心をもっていたころ、「さらば、わが愛/覇王別記姫」を見て、その時の印象はそう悪くは無かったと記憶していたのですが、この監督ではほかに何だったかつまらない作品も2本くらい見たことがあって、これはまぁリスクがフィフティ・フィフティと思っていました。

 でも原作が夢枕獏だと知って、あ、これは伝奇映画か・・・とまたあまり嬉しくない予感。これも当たりました。

 伝奇小説、伝奇映画、伝奇的なものが嫌いというわけではありません。「西遊記」なんか大好きだし、なにしろラジオの新諸国物語で「笛吹童子」とか「紅孔雀」を毎夕夢中になって聞いて育ってきた世代ですし、児雷也とオロチマルとなめくじ姫の三すくみの戦いの絵入り活劇を少年雑誌で読んだり、その主人公が描かれたパッチン(めんこ)で遊んだ記憶もある、忍術より幻術が好きだった世代なので、そういうものにワクワクする感覚は備わっているのです。

 それに同じ伝奇的な物語を描いた映画作品でも、古くは真田広之をはじめ若い爽やかな俳優陣が演じた深作欣二の「里見八犬伝」のような素晴らしい伝奇エンターテインメントもあって、高く評価していたし、今回の空間と同じ夢枕獏の原作でも、滝田洋二郎の「陰陽師」のように、わりと面白く見せてくれる作品もあったのですから、中国元で1.3億(日本円なら22億円ですか)もかけて、あれだけ大層なCGやら仕掛けをつくるなら、もうちったぁマシな作品ができようはずじゃねぇのか、と思いました。

 伝奇的なものは何でもありだから、下手をすると本当にもうどうしようもないものになってしまう。そして、この映画はまさにそういうものになってしまいました。

 最初のクレジットのところに戻ると、もうひとつ。中国人の役者名のあとに、高橋一生をはじめ、なんだか人気の日本人俳優の名前が、どうやら「声」として掲げてある!え?まさかしてこれ、吹き替え?!まさにそうでした。化け猫の吹き替えは許せるけど(仕方ないもんね)、なんで玄宗や楊貴妃や白楽天が日本語で喋らなくちゃいけないんだ?!

 そういえば大学で講義のときちょっと洋画を見せたりすると、驚いたことに授業ごとに毎回やっていたアンケートで、「吹き替え版で見せてください!」という要望がものすごく多かったのを思い出しました。教室ではほんとうの暗闇が作れないので、画面の文字が見にくいからだろうな、とはじめのうちは思って同情していましたが、長年やっているうちに、どうやらそうではないらしいことに気づくようになりました。
 彼女たちは字幕を、それが出て消えるまでの間に読めないのです!字幕は、幾人かしかいないプロの字幕専門の翻訳家がその経験と大変な語学力と日本語能力を最大限発揮して、たったあれだけの限られた字数に原語の内容を適切に一発でわかる日本語に集約する至難の技だと思いますが、その凝縮され、けっこう漢字も多いあの日本語をぱっとひと目みて読み取る力が、もういまの若い日本人の多くには備わっていないのだ、という衝撃的な事実に気付いたのです。

 だからいまやテレビはもちろん、ミニシアターコンプレックスなんかへ行っても、最初から吹き替え版をスクリーンでやっていて、若い人はむしろそっちを選んで観ていたりします。私などはそんなもの見ても、本物の映画を見たような気がしませんが・・・だって主役の声も語りも全然違うんだもん・・いまはそういう時代になってしまったのでしょう。

 これはひょっとして・・・と最悪の予感がしましたが、案の定、中国詩人・白楽天はたしか高橋一生でしたっけ、達者な日本語でしゃべっておりました!それで例えば、声が高橋一生ダワ!キャァーッ!って若い女性ファンは大喜びするんでしょうかね。

 ・・・・原作は知らないけれど、脚本が悪い。テンポもかったるくて演出がひどくて、役者の演技もかみ合わず、空海とか楊貴妃とか白楽天とか阿倍仲麻呂とかの名は単なる記号であって、歴史的なその名の実体とは関わりがなく、名はまったく体を表わさず、絶世の美女楊貴妃は美しからず、玄宗皇帝は皇帝らしからず、空海は空海らしからず、音楽もひどく、どこに希望を求めればよいのか観客としてはシニア1100円の価値をどこに見出せばよいのか、ついに不明のまま映画館を呆然として出てきました。

 ポトラッチではないけれど、特撮のセットやらCGやら大々的宣伝に膨大な投資をしてお金をどぶへ捨てたことが世の為人の為ということであるのか・・・う~ん、強いてひとつだけ、まだよい所があったな、と思えた例外は演じ手のなかにありました。

 もちろんこの作品の物語の中での主人公と言っていい、あの黒猫ちゃんですね。あの子が妖しい眼をしてカーッと怒りを爆発させるシーンなんかは迫力がありました。もともとこの映画の中国名原題は「妖猫伝」ですから、主役は空海でも白楽天でも楊貴妃でもない。一匹の化け猫なんですね。当然邦題も「妖猫伝」あるいは「化け猫伝」とすべきでした。そして、ちゃんとわれわれ観客を化かしてほしかった。

saysei at 23:02│Comments(0)

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