2017年12月31日

牯嶺街少年殺人事件

 「牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件」、ようやくこれを開館したばかりの出町座で観ることができました。エドワード・ヤンの渾身の力作です。

 ほぼ4時間になろうという長尺をたった一度見ただけで何か言えるような作品ではないけれども、とにかくスクリーンを見ている間は4時間という時間を感じさせない濃密な時間でした。

 大陸から蒋介石の国民党とともに台湾へやってきた、いわゆる外省人一家の十数年後、十代半ばの中学生の少年を中心とする家族が遭遇する日々の出来事とその日々をときに激しく揺り動かし、家族を追い詰め、ついには予想もしない結末へと押し流していく、いわば家族の歴史を描いた作品です。

 8年も日本と戦ってこんな日本の家に住んでいる・・・と母親が嘆くように、家族が住んでいるのは古い日本家屋で、木造の柱や天井、障子や襖が、私などが幼いころの古き良き時代の日本の住まいの雰囲気を感じさせるせいか、画面がなんだかしっくりと落ち着いた、懐かしいような感触で迫ってきます。

 でも、そこで生きられる少年をはじめとする家族の日々の人生、そこで烈しく噴き出す事件は、決して平穏なものではない。そしてその背後には、台湾ならでは、おそらくは外省人の家族が突きあたらざるを得ない社会の閉塞感や目に見えない強い圧力のようなものが、鮮やかに描かれています。

 これは家族の物語でもあり、まっすぐな意思をもった少年の友情と初恋の物語でもあり、同時にそれらを侵し、吹き飛ばしてしまうような台湾社会固有の亀裂と強いプレッシャーが背後にはっきりと透視された作品です。

 ちょうど小津の「東京物語」が、第二次世界大戦の敗戦によってわたしたちが何を失ったのかを一つの家族を描くことによって淡々と、しかし鮮やかに描いてみせたように、この作品はエドワード・ヤンが大陸から台湾へ移り住んだ中国人の一家族が荒波に翻弄される小船のような姿を描く中で、外省人と言われる台湾の人たちが何を失ったのかを静かに描いて見せた。そしてまたこの作品は、エドワード・ヤンが、台湾社会の「戦後」をまるごと背負い、引き受けようという映像作家として覚悟を示した、渾身の作品です。

 内省的で純粋で生一本な初々しい主人公の少年「小四」を演じた張震(少年の本名でもある)、彼が好意をよせる(よせられる)少女「小明」を演じたリサ・ヤン、ともにぴったりのはまり役でした。リサ・ヤンの顔を見ていると、蒼井優と重なって仕方がなかった(笑)。リサ・ヤンは若くて素朴な印象があるけれど、ある種のしたたかさを備えた印象は似ていますね。

 知友のことでインテリジェンスの取り調べを受けて精神的に追い詰められる、きまじめな公務員の父親役も良かったし、「小四」の親友でチビの、めっちゃ歌の上手い少年を演じた子も素晴らしかった。

 すごく魅力的だったのは、ずっと噂で不良たちに怖れられる存在だった、少年たちの属した組織「小公園」のボスで小明の彼氏だったハニー。後半になって姿を現し、じきに画面から消えるのに、とても存在感がありました。

 「小四」の一途さ、父の世渡り下手な生真面目さ、そしてハニーの侠気(おとこぎ)、みなこの「戦後」台湾社会の中で敗北し、消えていくものなのです。
 たった一人で大勢に立ち向かうんだ、というハニーの思い浮かべる孤独なヒーローの姿は、音を立ててきしみ、家族や個人を圧殺しようとする台湾社会そのものとしか言いようのない大きな得体のしれない力の前で、蟷螂の斧のように無力なものに見えます。

 でもエドワード・ヤンは、そうして敗れて消えていく彼らの姿を、深い哀惜の情を込めて描いています。傷つき、消えていく彼等によって、私たちは台湾社会が失った大切なものに深く気づくのです。

 3時45分から、と言われた映画を見て外に出ると、もう真っ暗で、時計を見ると8時50分! 4時間もあったのか!と今更ながらその力技に驚かされましたが、圧倒されると言っても、決して怒涛のような作品ではなく、丹念に少年の心に寄り添いながら、悠然と歩んでいく器の大きい作品でした。

saysei at 15:17│Comments(0)

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