2017年10月28日

北斎~90歳のチャレンジ

 あべのハルカス美術館で開催中の「北斎ー富士を超えてー」を見てきました。先日テレビで見た「流水に鴨図」をナマで見たかったのが直接の誘因です。

流水に鴨図

 平日だというのに、会場前のロビーは人の波。チケットを買うのに40分、さらに入場するのに30分かかって、昼めし抜きでようやく午後1時に入場。もし作品をすぐそばで見る最前列について展示場をまわっていたら、2~3時間はかかったでしょうが、わたしはイラチなので、それほど関心を引かない作品についてはちょっと後ろから覗き込む程度にして、いちおう全展示品をチェックはしましたが、1時間半で見終わりました。

 それにしてもこれだけの北斎が一堂に会するのを見る機会は、少なくとも私が生きている間には二度とないだろうことは確実なので、気に入った作品は惜しみなく時間を費やしてじっくり眺めて目に焼き付けてきました。

 順路をたどって展示室を移って行く過程で、どこにもいいな、と思う昨品はありましたが、全体として言えば、最後の「第6章 神の領域」の部屋が圧倒的でした。一点だけでもここまで来てよかった、と思う作品が、私にとっては少なくとも3点ありました。
 それは、「流水に鴨図」「李白観瀑図」「雪中虎図」です。これらを北斎が描いた年齢は、「流水に鴨図」が88歳、あとの2点がいずれも90歳、嘉永2年(1849年)です。

 図録は買わないし解説も聞かなかったし、北斎について予備知識もごく乏しいので、これらの絵の成り立ちも、それまでの北斎の画狂人としての人生についてもほとんど何も知りません。でもこれらの作品はそれ自体で何も知らない人間を強く引き寄せる力を持っていました。

 どれも天井画のように特別な大作というわけではなく、ごく普通の軸におさまるサイズの絵ですが、まさに神技と言っていいような作品なんだろうと思います。しかし、この作品展で200余点の北斎を見た上では、神の業と言ってしまいたくない気持ちがあります。

 描いた年齢にかかわらず、私がいいな、と思った作品には、どれも北斎ならではの、おそらくは当時の画壇が生み出していたような絵の世界から言えば破格の、定石的な描き方を破壊して新しいものの見方、描き方を生み出そうとする強い意志が感じられました。

 北斎の場合、それは対象の選択にも、構図の取り方にも、筆遣いにも非常に鋭利に、鮮明に表現されているようです。対象の選択に関して面白いな、と思ったのは、「第4章 想像の世界」の部屋にまとめられた作品群のなかにあった「唐土名所之絵」でした。

唐土名所之絵

 これはいまの中国全土の俯瞰図なんですね。地図は入ってきていて、それを見て描いたのでしょうけれど、ちょうど飛行機で飛んで山や川など3次元の地形がわかるような立体地図のような絵で、各都市の都市名が記されています。こういうのを見ると、彼が世界を一気に鷲掴みにしてやろうという表現意志みたいなものを感じさせられます。どんな絵かきにも必須の対象選択の領域が、花鳥風月、美人画、役者絵なんてところにとらわれない自在さで無限に広いんだろうな、と思わせられます。

唐土名所之絵部分

 地図を描くように命ぜられた者でなければ、誰がこんな絵を描くだろう、と思うような、広大な大陸の諸都市を一望の内に捉えて、細密に、徹底的に描き込んだ偏執狂的な作品ですよね。赤壁の賦のあの赤壁もちゃんとここに(上の絵の左のほうの崖)描かれています。想像の世界と言っても、ちゃんと当時の地図をみて都市や自然の地形をふまえて描いているのでしょう。

 型破りな構図、そこに見られる大胆奇抜な視点、視角の取り方、というのは名高い富嶽三十六景の版画で周知のとおりです。あの手前に大きく大きく描かれた樽の輪っぱを通して見える富士を描く「尾州不二見原」や手前で大きくそそり立つ波の裏に富士を見る「神奈川沖浪裏」などに典型的ですが、「隠田の水車」なども大きな水車の前で小さく描かれた働く男女の近景のはるか向こうに富士を望む、西洋的遠近法とは違った対象の配置とサイズで誇張された遠近を強く印象づけるような作品がいくつもその特徴を見せてくれていました。

 「初夏の浜辺」でしたか、浜辺に置かれた大きな錨の上に思い思いの恰好で乗って海の方をみている子供たちを描いた絵。あれもすごい構図でした。どっちかというと秩序立った「モダン」というより、それを一足跳びに超えてポストモダンに行っちゃったような大胆な構図。

初夏の浜辺

 何でもない富士の絵のように見えても、ふもとに近いあたりの尾根の稜線か登山道かのように走る幾本かの線だけで印象が一変したような作品もありました。

 波をはじめ筆遣いの大胆さときめこまかさは、教科書にも登場する代表的な波の絵などでよく知られるところですが、キモノの柄のきめ細かさなど、細かいほうは殆ど偏執狂的に細部を追求しないとあぁはならんよな、と思わせるような繊細さです。

 色については私は対象の選択や構図やタッチほどに強い印象を持っていなかったのですが、先日のテレビ番組で、赤富士と言われている版画(今回の出品作「凱風快晴」)について北斎が本来描きたかったのはこういう色合いなんだ、という同じ版木のまだ新しいうちに刷られたプリントの複製が参考資料ということで今回の展覧会でも横に掲示されていて、それを見ると北斎が微細な光の変化の美しさをいかに描くかに腐心したことがよくわかり、あらためて私を引き寄せた「流水に鴨図」や「李白観瀑図」「雪中虎図」にもその光のそれこそ神技に属する表現がさりげなく発揮されていることに気づきます。

李白観瀑図 嘉永2年(1849) 北斎90歳

 「流水に鴨図」のあの水草や鴨の首の水に隠れて透けて見える、あのすばらしく繊細な表現。余計なものを一切描かず、左から右下へ斜めに画面をよぎる平行な線だけで流水を表現した象徴的手法や上部にたっぷりとった間の美学とともにこの作品を絶品というに相応しいものにしています。
 また「李白観瀑図」の構成もすばらしいけれど、あの幾重もの帯のように微妙に震える長い垂直線を引いて流れ落ちる滝の水のやわらかなグレー、青、白のグラデーション、その滝を見上げる李白の立つ白い地面にさす淡い影、「雪中虎図」の喜々と駆ける虎のしなやかな身体の色合い、背景の雪ふる林の薄闇の色合い・・・

雪中虎図

 今回初めて見て一番好きになったのは、この「雪中虎図」でした。近くで見るとこの虎の表情はほんとうに雪の林の中を駆けていくのが楽しくて嬉しくてたまらない、という表情です。そのしなやかな身体の動き、脚の動きも、子供が楽しいことがあって、はしゃいでスキップしていくような、喜びを体で表現する描写になっています。

 テレビでギメー美術館の龍(雲竜図)と同時にこれを見せていたので、私はほかのことをしながらろくに解説を聞かずに見ていたから、なにか竜虎が対峙する、一対の竜虎図か何かのように勘違いしていたので、まるで別の作品であることを展覧会場で知りました。そういえばギメーのほうの雲竜図は何度かコピーで見たこともあったし、ギメーも訪れたことがあるから、半世紀ほど前に現地で見ている可能性もあります。でも、ニューヨークの個人蔵だという雪中虎図のほうは、これが最初で最後の出会いになるでしょう。本当に素敵な絵です。

 北斎という人は、絵を描くときに、つねにこれまでのありきたりの描き方ではなくて、何か新しい工夫をしよう、面白いことをしようじゃないか、というチャレンジの気持ちを持ち続けた人だということがこの展覧会で200点余の作品を通して見てあらためて感じました。

 すさまじいのは、90歳という高齢になっても、というのではなく、高齢になっていくほどに益々凄みを増して大胆なチャレンジをしていて、80代の終わりから90歳になってからが一番すごい作品を生み出している、という点です。その上彼は、天があと5年生きさせてくれたら、本当に完璧な画工になっているんだがなぁ、なんていう言葉を残しているそうです。

    この展覧会はそういう意味で、北斎について何の予備知識がなくても、ただ200点余の絵を見ていくだけで、彼が歳を重ねるごとに、まだまだ、まだまだ、とチャレンジ精神を益々募らせて、あの雪中虎図の虎のように喜々として未知の世界へ跳びこんでいく姿を目の当たりにして、80歳であれ90歳の老人であれ、誰もが元気をもらうことができると思います。

 今回の企画展の広報媒体などにも使われている、小布施の祭屋台の天井画として描かれた4枚の濤図については、その縁絵の中に、キューピッドらしい姿が描かれているのを見つけて面白いな、と思いました。

 濤図縁絵の一隅のキューピッド
 ちょっと俯いていて表情がよくわからないけれど、裸の男の子で、明らかに背中に翼をつけています。西洋の宗教画ではこんなキューピッド、いくらでも登場しますが、出島から入ってくるものの中にそんな絵があって見ているのかな・・・なんて想像をたくましくしました。

 「驟雨」の樹木の葉の描き方などを見ても、なんとなくイギリスの古典的な風景画を連想するようなところがあって、不思議だな、なんて思って見ていました。

 今回は来週あるらしい展示替えの前の展示で、残念ながら北斎の娘応為の「吉原格子先之図」が見られませんでしたが、絵ハガキで見ても、江戸のレンブラント、と言われるのが分かるような、光と影のコントラストを最大限に強調した素晴らしい絵ですね。レンブラントも工房で集団製作してたくさんのレンブラントスクールの絵を生み出しているし、その後もあの真似しやすい手法は俗化されて広く使われたようですから、その種のコピーが出島から入ってきて、北斎や応為の目に触れるところまで来てなかったとは言えないんじゃないかな・・・

葛飾応為 吉原格子先之図

 応為ことお栄さんもまた素晴らしい絵かきさんだったんですね。「第5章 北斎の周辺」の部屋に集められた今回見ることのできた作品の中では、三国志の関羽が、平然と碁を打ちながら毒矢の刺さった臂を割いて手当させる場面を描いた「関羽割臂図」という大作が強い印象を与えています。どくどくと流れ出る血をうけて真赤に染まった皿など、血の生々しい赤が画面を支配するような絵ですが、碁をうつ相手の穏やかな背や細かに描かれた碁盤・碁石、出欠も痛みもものともせずに碁をうつ逞しく華麗な豪傑の姿をみせる正面の関羽とバランスのとれた力強い作品になっています。

 あと私は「月下砧打ち美人図」も好きでした。

葛飾応為 月下砧打ち美人図

 展示替えがあれば、お栄さんの「吉原格子先之図」だけでも見に行きたい気もするけれど、また1時間以上並ばなくてはならないかと思うとちょっとめげてしまいます。天王寺まで家から往復3時間、向こうで並んで1時間ちょい、見て回って1時間半、なんやかんやで丸一日仕事になりました。肺活量がすでに80代なみになっているので、さすがに多少の階段でも息切れがして、疲れました。でもこの世の名残りに(笑)いい絵を見せてもらいました。
 
 

saysei at 00:04│Comments(0)

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