2017年10月19日

パゾリーニ「カンタベリー物語」

 パゾリーニご本人が物語の著者チョーサー役でご登場する、ふざけのめした、粒ぞろいの映像の艶笑譚。監督さん兼語り部だけでなく、登場する人間的な、あまりに人間的な人物たちを演じるのはローレンス・オリヴィエの舞台にも出演した老練な役者さんやら、チャップリンの娘さんやら、「デカメロン」でも「アラビアンナイト」でも最も魅力的なダメ男(かつ色男)を演じた、パゾリーニ3部作の常連ニネット・ダヴォリさんに、悪魔役がよほど似合うのかこの作品でも悪魔役の渋いイケメン、フランコ・チッティと、豪華キャスト。
 
 「デカメロン」や「アラビアンナイト」のことを書いたとき書き忘れましたが、音楽のエンニオ・モリコーネに触れないのはどうかしていました。私は55年くらい前に(笑)西部劇ファンだったので、ずっと、彼は西部劇の音楽を作る人だと思っていました。

 この作品でもダヴォリさんが素敵で、根っからの女たらしの盗人を演じているけれど、女性と見れば声をかけて誘わないと失礼だくらいに思っている現代にも通じるイタリア人男性気質の典型みたいな男で、どんなにひどい目にあっても決して懲りず、変わらず、'笑って過ごせば天国だ'(小学生のころ学校で見せてくれた映画で古川ロッパが歌っていた歌でいまだに歌詞が思い浮かぶ・・・)を地で行くような憎めない男。最後は笑いながら死刑になるけど(笑)。やっぱりこのエピソードが一番良かった。ダヴォリさんが登場して、あのだらしなぁ~い助兵衛な大きな顔をデレ~ッと見せてくれるだけで、なんだかとっても楽しい艶笑譚が見聞きできそうで嬉しくなってしまいます。
 
 数ある挿話の中では、二人の学生としたたかな粉ひき小屋の亭主とのかけひきのエピソードが、典型的な艶笑譚で、うまくまとまっていて面白かった。

 でもこの映画の映像としての見どころは何と言っても、中世イタリアの都市庶民の生活の細部がポリフォニックに描かれているところでしょう。とりわけ、市場の賑わいや祭の光景を描くパゾリーニの動画絵筆は実に豊かで、見る物を飽きさせることがありません。売る者、買う者、荷を運ぶ者、走り回る子供たち、大声で叫ぶおかみさん、女を追いかけまわす男たち、盗人、たかり、乞食、春をひさぐ女、宗教者に兵士、学生、豚やら鵞鳥やらまで走り回り、・・・ありとあらゆる種類の人間たちが、それぞれに勝手な動き方をして、明るく派手で、しかもおそろしく汚い都市の雑踏で蠢いて関わり合っています。

 ブリューゲルの描く庶民群像がどんなに庶民の暮らしの細部をリアルに描いて、もし動画にでもすれば同じように一人一人が自由な姿態で生き生きと動き出し、その放埓で猥雑な世界を出現するだろうと思えはしても、その絵柄は全体として、どこか宗教的に昇華されていく世界を感じさせるのに対して、パゾリーニの描く世界は真逆のベクトルを持って背徳的に色欲、食欲、物欲とありとあらゆる欲望を解き放ち、飽くことなく快楽を求める徹底的に現世的な極彩色の、そういって良ければ実にエネルギッシュで豊かな世界です。

 もっとも、その「豊かさ」の中には、食べる事そのものが実に醜い営みであることを思い知らせてくれるような、人々が動物の肉をむさぼる貪食の姿も、隙あらば親や聖職者や夫や妻の眼を盗んで励む性の営みが背徳的というよりはむしろ滑稽な姿にみえる反復される映像も、ふんだんに登場する放尿・放屁・脱糞や火あぶりで黒焦げ等のリアルな、あまりにリアルで反吐が出そうな映像も、すべて含まれているので、女子大に勤めているときはこういう作品を賞揚することはためらわれた(笑)・・・かもしれません。

 それにしても、眼をそむけたくなるようなおぞましい地獄の世界(ただしそれは同時に極めて滑稽でもあるのですが)を見せられたすぐあとにカンタベリーの(あるいはカンタベリーに擬された)町並みを映すハッとするような美しい映像があったりして、見終わったときは、実に豊かな映像体験をしたような気になります。作品としては、生の三部作ではやはり「デカメロン」から「カンタベリー物語」へ、さらに「アラビアンナイト」へと、より洗練され、より豊かになっていくような気がしますが、この作品でパゾリーニの世界の豊かさは十分堪能できると思います。

 いま大阪でやっている北斎展でも、きっと北斎の豊かさの或る部分は、まったく隠蔽されているのではないかと想像しています。もちろん先日のNHKテレビの紹介では、口頭の解説でも、その種の作品に触れられることは一切ありませんでした。いまでも性はそういう意味でタブーなのでしょう。
 
 しかし浮世絵と言えば、その種の作品抜きで語れないところがあるはずで、いつどんな形でこんなタブーから私たちが解き放たれていくのかについては、すこし関心を持っています。昔、スイスの画家バルテュスの作品が或る程度まとまって日本に来たときも、いわゆる「あぶない」絵は辛うじて1点くらいではなかったでしょうかね。お上品な美術愛好家たちの倫理コードにひっかかりそうな作品は、まともに展示もされなければ解説もされない(笑)

 別にそういう傾向のものについて愛好家でも何でもないので(笑)、個人的にはかまやしませんけれど、芸術は清く正しく美しくというものではないだろうと思っているので、そういう「偏向」や「隠蔽」がいつまで続くんだろう、と首をかしげる機会は少なくありません。だからときには古めかしいけれども、そういう意味ではちっとも古めかしくはないパゾリーニのような作品を見ると、或る種の解放感を覚えると同時に、本来あるべき映像作品の豊かさを思い出させてくれるように感じます。

saysei at 23:20│Comments(0)

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