2016年11月19日
半木神社

なからぎ神社と訓むんですね。植物園の紅葉をみて徘徊していたら、園内の紅葉の池のすぐ近くに鳥居があって、上賀茂神社の末社だというこの半木神社がありました。古い小さなお社でした。
古びた板の解説文は雨風でかすれて読みづらくなっています。試みに復元してみましょう。一字、二字、文字の判読しにくいところは間違っているかもしれません。「注視」の「注」、最後の「三十日」はほとんど読み取れませんでした。
御祭神 天太玉命(あまのふとだまのみこと) 一柱一座
御事歴 当神社の御鎮座地を中心とするこの地方は、往古賀茂族が開墾した土地であるが、奈良時代頃から錦部の里と呼んでゐた。これ等の地方が錦部の里と称したのは、古くこの地に於いて、養蚕製品の業が営まれ絹織物の生産が盛んであった為めである。降って平安時代に入って、後一条天皇の御代に至り、寛仁二年(西暦1018年)十一月二十五日朝廷より正式に、賀茂別雷神社の社領地として、錦部郷の名を以って寄進せられた。然るに、これ等の産業に携はってゐた賀茂族と秦族との人人がその職業の守護神として四国の阿波国から、天太玉命を勧請鎮祭した。それが現在の半木神社である。
世変り時移って、今は旧態を存しないが、現在の植物園がこの地に営まれたことは、誠に奇しき因縁といふべきで、現在にあっては、京都絹織物業発祥の地として、更には農事林業等を総括する植物園の所有地として、注視せらるべき土地である。さればこの地に鎮座せらるる半木神社は京都織物業界並びに植物園の守護神として、且つ鎮守の神として、崇められるべきである。
例祭日 四月・十一月三十日
もう一枚、白い用紙?に書かれた新しい解説板は、はっきり読めます。
流木神社(ながれきじんじゃ)とも云い、この周辺は京都絹織物発祥の地といわれ、織物業の守護神・府立植物園開園後は植物園の守り神として崇敬され、毎年四・十一月に行われる春秋の祭典には多数の関係者が訪れます。
多くの木や花が実を結ぶ処に因み、試験の合格や恋愛成就の願いが叶うとの信仰が厚く、その努力が実を結ぶ御守『実守(みのりまもり)』を上賀茂神社で授与致しております。
以上。ここが錦部の里と呼ばれ、養蚕、絹織物の生産が盛んであったことで、京都の絹織物発祥の地とされている、というのは長く京都に住みながら知らずにいて、新鮮でした。何度も植物園は来て、この神社の前も通っているはずなのに、文字通り素通りしていたのですね。
saysei at 22:59│Comments(0)│TrackBack(0)│