2016年11月18日

佐藤優『君たちが知っておくべきこと』

 サブタイトルが「未来のエリートとの対話」で灘高校の生徒が佐藤氏を訪ねて、問いかけに応じる形で佐藤氏が縦横に持論を語るという本。

 エリートの卵たちはさすがに準備万端、佐藤氏の著作もあらたかた読んで、疑問点をただして丁々発止といったところ。佐藤氏の著作だけでなく、普通は大学へ行ってから私たちの時代には教養部の2年間のあいだに触れるような人文系、社会科学系の、古典というのでなく少しインテリなら読んでいそうな本を、この高校生たちは高校までで読んでしまうんだな、という感じでした。

 以前から灘が自由な校風だというのは耳にしていましたが、この対話を読んでも、なんとなくそれが分かるような気がしました。 私は地方の進学校だったから、灘に見学に行って帰ってきた教員の一人が手に持った鉛筆を高く掲げて、「灘の生徒はのう、この鉛筆を一日一本使う、言うんじゃのう」と言うようなところがありました(笑)。もちろん生徒の方はそんなことを信じてハハァと感心していたわけではなくて、「灘の生徒はよっぽど削り方が下手なんじゃろう」、と笑って聴いてはいましたが、そういうところしか見てこない教師にがっかりしていたことは確かです。

 京都にも名の知れた進学校はあったけれど、大学へはいってから接した限りでは、地方の高校とちょぼちょぼやなぁ、という印象で、少しひねくれたのが多かった点だけ違っていたような(笑)。蜷川知事のときはすべての公立高校の格差を解消する方向で制度化された学区制だったのが、蜷川がいなくなってどんどん崩れる方向へきたけれども、結局少数のいわゆる進学高へエリートの卵みたいなのを集めるか、バラけさせるかという違いだけで、蜷川さんのときの高校でも各校に何人かはそんなのがいただろうし、いい先生も少数ながらいたでしょう。エリートの卵ばかり集めた「切磋琢磨」が本当に恵まれているかどうかは、今の受験体制の中での受験勉強に有利という範囲を超えれば疑問です。

 佐藤氏はエリートの卵たちに、きみらはエリートになるべく教育されている特別な人間なんだ、ということを刷り込むようにして、その切磋琢磨の環境がいかに恵まれているかを繰り返し強調しています。こういうところは私なら正反対の話をするだろうな、という気がしました。そういう「恵まれた」環境で、しかも自分が努力してエリートになったんだ、と思うような人間は本当に危ないんだよ、と。勉強することは佐藤氏と同じように強く勧めるけれど、そんなことは何てことはない。何か知っているとか、知的に上昇していくこと自体には別に何の価値があるわけでもないぜ、と。

 佐藤氏の話は彼が書いたほかの本と同じように面白い。歯に衣着せぬ官僚の実名での批判や政治家たちの裏話もゴシップ記事的に面白い。思想や歴史や政治の現実への判断も、その歯切れのいい即断の応答が快い。もちろん高校生ではない私たち一般の読者が読めば、そんなところほど、ほんまかいな、と眉に唾つけて読みたくなるところですから、エリートの卵たちは彼らが本当に優秀であるなら、この対話を終えて佐藤氏の話を疑うことから一歩を踏み出したことでしょう。

  

saysei at 23:04│Comments(0)TrackBack(0)

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