2016年08月28日
サードプレイス
すこし以前に、或る友人の紹介で企業の広報誌に、カフェについて書いたことがありました。
それより30年くらい前にシンクタンクの研究員として文化施設の構想、計画にいくつか噛んで、国内外の文化施設を訪れては少し広く商業施設や広場など様々な都市空間について考えていたころ、カフェに類するようなセミプライベート、セミパブリックな性格をもつ空間が面白いな、と思って、「小さなパブリック」というような言い方をして、自分なりに色んな都市空間をそういう目で眺めていたことがありました。
そんな関心はずっと持って居たので、カフェについても書けそうな気がしたのですが、20-30年前のように新しい素材を自分で豊富に持って居る状態ではなかったので、ゼミのOGたちが神戸のカフェを取材してつくった最初のゼミ冊子の小見出しをネタに、こういう空間の性質について、言葉の分析からちょっと触れる程度に終わりました。
そのときに少し触れたのは、ルイ・オルデンバーグの『サードプレイス』 で、忠平美幸さんの翻訳でこの本を読んだときは、あぁ、自分が考えたようなことは殆どここに書いてあるな、と思いました。もともとアカデミックにこういうことを深く究めてみたい、というふうな志向がない人間なので、まっとうな研究者なら先を越された、やられた、と思うのでしょうが、こういうテーマをこんなふうにしつこく(笑)追究する根気も粘り強さも学究心も俺にはないなぁ、と感心しながら読みました。そういうのに出会うと、あぁ、もう俺が自分でやる必要もないな、と途端に興味を失うところはあるのですが・・・。
でも、彼のイメージする「サードプレイス」は居住地に近い、という条件で、コミュニティと深い関連があるように書かれていて、そこは女子大生らのカフェには全くあてはまらないな、と思って、拙文にはそのことをチラッと書いておきました。ただ、そんな小さな条件の一つや二つ、はいろうとはいるまいとどうでもいいことだと思います。
ただ、それより少しは大事なことがあるような気はしていました。
たぶんこの種の場所は、私が当初考えていたのような「小さなパブリック 」の意味合いも失ってはいないけれど、同時に実体としての「場所」としての意味は希薄化して、情報的な意味合いを強めているんだと思います。
居心地のよいオシャレで魅力的な場所で、クローズドで親密な人間関係の受け皿に適合する場所ではあるけれど、同時にそれはこんなオシャレで魅力のある場所だよ、とその場にいない友人たちや、場合によっては不特定多数のSNSの読み手に伝える情報としての場所でもあって、ケーキ屋さんのカタログに載ったケーキのように、カフェもコレクションされ、展示される情報価値としての「場所」だということが明確にとらえられないと、「サードプレイス」という実体的なトポス論では手に余るのではないか、というところです。
こういうカフェも含めて「小さなパブリック」であれ「サードプレイス」であれ、異質なものを横断的に水平に切り取って立論する方法は、私のようにいわば趣味的に面白いよね、とおしゃべりのネタにでもするにはそう罪はないと思うけれど、これが真理だよ、と言われると、危ないね、と思わざるをえないところがあります。
私も以前に、「集客力」というキーワードで、まったく異質なもの、商業空間の集客、文化施設の集客、イベントの集客、はては宗教的な集客まで、横断的に切り取って考えるようなことをやってみたことがあります。実際に様々な資料から、何に何万人集まった、というようなデータを集めてみたこともあります。
そして、これはあまり公にはなっていませんが、或る大手の(というのは変かもしれないけど)宗教団体からの委託で、その宗教団体のいわば活性化を図るためのプロジェクトを、信仰者ではない私たちの「外部の眼」で考えて提案してみてくれ、という発注を受けて、その担当をしたこともありました。
そのときに面白がって「集客力」という切り口で、いろんな事例を集めて、集客の要因を分析し、そこから宗教団体のイベント等にも応用できそうな要素がないか、というので、あれこれ考えて提案した覚えがあります。提案を受けたほうも、宗教の本質などまるで頓着しない私(たち)が好きなように羽を広げてみせた報告書だったから、扱いに困ったのではないかと思いますが(笑)。
たしかに商業ベースや文化的なイベントや施設運営を「集客力」 という一つの切り口で横断的に切ることで、いろいろユニークなアイディアを取り出すことはそう難しくはなく、ちょっと目新しいこと、面白い提案をすることもできます。ただ、それは連想と飛躍の「喩」の世界であって、論理の世界ではないから、アカデミックな検証に耐えるものではないでしょう。たとえ、無数の集客事例を集めても、一つ一つの集客イベントの集客力を規定する要素は集客数という定量的な要素だけを平面的に見てとらえられるものではなくて、構造的なものですから、ひとつの宇宙方程式を示せば、あとは初期条件を与えれば全部解けます、というようなわけにはいきません。
それは電子の回転も私たちの世界の砲丸投げの砲丸の回転も銀河系の星々の回転もみな同じ「回転」という言葉で切って取ることと変わりないでしょう。 ケプラーやガリレオの頭にも20世紀初頭の理論物理学者たちの頭にも、砲丸投げの球の運動はひょっとしたら去来したかもしれないけれど(笑)、それが天文學を拓いたり素粒子論を拓いたりしたというわけにはいかないでしょう。
「サードプレイス」というとらえ方にも、ハッする発見の面白さと同時に、そんな危うさがあるような気がします。
それより30年くらい前にシンクタンクの研究員として文化施設の構想、計画にいくつか噛んで、国内外の文化施設を訪れては少し広く商業施設や広場など様々な都市空間について考えていたころ、カフェに類するようなセミプライベート、セミパブリックな性格をもつ空間が面白いな、と思って、「小さなパブリック」というような言い方をして、自分なりに色んな都市空間をそういう目で眺めていたことがありました。
そんな関心はずっと持って居たので、カフェについても書けそうな気がしたのですが、20-30年前のように新しい素材を自分で豊富に持って居る状態ではなかったので、ゼミのOGたちが神戸のカフェを取材してつくった最初のゼミ冊子の小見出しをネタに、こういう空間の性質について、言葉の分析からちょっと触れる程度に終わりました。
そのときに少し触れたのは、ルイ・オルデンバーグの『サードプレイス』 で、忠平美幸さんの翻訳でこの本を読んだときは、あぁ、自分が考えたようなことは殆どここに書いてあるな、と思いました。もともとアカデミックにこういうことを深く究めてみたい、というふうな志向がない人間なので、まっとうな研究者なら先を越された、やられた、と思うのでしょうが、こういうテーマをこんなふうにしつこく(笑)追究する根気も粘り強さも学究心も俺にはないなぁ、と感心しながら読みました。そういうのに出会うと、あぁ、もう俺が自分でやる必要もないな、と途端に興味を失うところはあるのですが・・・。
でも、彼のイメージする「サードプレイス」は居住地に近い、という条件で、コミュニティと深い関連があるように書かれていて、そこは女子大生らのカフェには全くあてはまらないな、と思って、拙文にはそのことをチラッと書いておきました。ただ、そんな小さな条件の一つや二つ、はいろうとはいるまいとどうでもいいことだと思います。
ただ、それより少しは大事なことがあるような気はしていました。
たぶんこの種の場所は、私が当初考えていたのような「小さなパブリック 」の意味合いも失ってはいないけれど、同時に実体としての「場所」としての意味は希薄化して、情報的な意味合いを強めているんだと思います。
居心地のよいオシャレで魅力的な場所で、クローズドで親密な人間関係の受け皿に適合する場所ではあるけれど、同時にそれはこんなオシャレで魅力のある場所だよ、とその場にいない友人たちや、場合によっては不特定多数のSNSの読み手に伝える情報としての場所でもあって、ケーキ屋さんのカタログに載ったケーキのように、カフェもコレクションされ、展示される情報価値としての「場所」だということが明確にとらえられないと、「サードプレイス」という実体的なトポス論では手に余るのではないか、というところです。
こういうカフェも含めて「小さなパブリック」であれ「サードプレイス」であれ、異質なものを横断的に水平に切り取って立論する方法は、私のようにいわば趣味的に面白いよね、とおしゃべりのネタにでもするにはそう罪はないと思うけれど、これが真理だよ、と言われると、危ないね、と思わざるをえないところがあります。
私も以前に、「集客力」というキーワードで、まったく異質なもの、商業空間の集客、文化施設の集客、イベントの集客、はては宗教的な集客まで、横断的に切り取って考えるようなことをやってみたことがあります。実際に様々な資料から、何に何万人集まった、というようなデータを集めてみたこともあります。
そして、これはあまり公にはなっていませんが、或る大手の(というのは変かもしれないけど)宗教団体からの委託で、その宗教団体のいわば活性化を図るためのプロジェクトを、信仰者ではない私たちの「外部の眼」で考えて提案してみてくれ、という発注を受けて、その担当をしたこともありました。
そのときに面白がって「集客力」という切り口で、いろんな事例を集めて、集客の要因を分析し、そこから宗教団体のイベント等にも応用できそうな要素がないか、というので、あれこれ考えて提案した覚えがあります。提案を受けたほうも、宗教の本質などまるで頓着しない私(たち)が好きなように羽を広げてみせた報告書だったから、扱いに困ったのではないかと思いますが(笑)。
たしかに商業ベースや文化的なイベントや施設運営を「集客力」 という一つの切り口で横断的に切ることで、いろいろユニークなアイディアを取り出すことはそう難しくはなく、ちょっと目新しいこと、面白い提案をすることもできます。ただ、それは連想と飛躍の「喩」の世界であって、論理の世界ではないから、アカデミックな検証に耐えるものではないでしょう。たとえ、無数の集客事例を集めても、一つ一つの集客イベントの集客力を規定する要素は集客数という定量的な要素だけを平面的に見てとらえられるものではなくて、構造的なものですから、ひとつの宇宙方程式を示せば、あとは初期条件を与えれば全部解けます、というようなわけにはいきません。
それは電子の回転も私たちの世界の砲丸投げの砲丸の回転も銀河系の星々の回転もみな同じ「回転」という言葉で切って取ることと変わりないでしょう。 ケプラーやガリレオの頭にも20世紀初頭の理論物理学者たちの頭にも、砲丸投げの球の運動はひょっとしたら去来したかもしれないけれど(笑)、それが天文學を拓いたり素粒子論を拓いたりしたというわけにはいかないでしょう。
「サードプレイス」というとらえ方にも、ハッする発見の面白さと同時に、そんな危うさがあるような気がします。
saysei at 20:55│Comments(0)│TrackBack(0)│