2016年08月24日

「ザ・ダーク・エンペラー NERO」

 先日から少しずつ古代ローマものを見ていて、きょうは標題の2003年のイタリア、スペイン、イギリス合作らしいポール・マーカス監督のネロを観ました。

 前にポーランド製のテレビ映画のクオヴァディスを見て、そのあとハリウッド製のロバート・テイラーとデボラ・カーの(そしてネロ役がピーター・ユスチノフ)クオヴァディスを見て、競技場でライオンにキリスト教徒を食わせるシーンが両方とも残酷で、あんまりあぁいうのは見たくないな、と思って、ネロの話だとあれが出てくるのかな、と思って見ましたが、幸いこの作品ではあの場面は登場しませんでした。

 暴虐の限りを尽くす冷酷な愚帝としてのネロではなくて、幼くして母と引き裂かれ、暗殺また暗殺の権力闘争の偶然の強運と母アグリッピーナの権力欲のもとで皇帝の座につくネロが、そのことで幼いころから起居を共にした純真無垢の女奴隷アクテとの恋を失い、血みどろの権力闘争の中で自らの手をに肉親の血で汚してサバイバルせざるを得ない、苦悩と悲劇の皇帝としての側面に圧倒的な力点を置いて描かれた映画なので、通説としてのネロの姿になじんだ多くの観客からは、こんなんじゃないやろ!とブーイングの出そうな(きっと出ていそうですが)映画です。

 たしかにちょっとネロに甘すぎ、一方的な側面を強調しすぎ、ラストの死に臨んでのアクテとのあまりにご都合主義的な再会 とか、それに至る急転直下の民衆にものをなげつけられてどう、というようなシーンとか、どうなってんの、と言いたくなるし、彼に苦悩と悲劇の皇帝としての側面があったとしても、それ自体の掘り下げ方も全く不十分に思えます。

 それでも思ったよりは、ちゃんとした映画なので、逆に驚いたのは事実です。私がタキトゥスの「年代記」を読んでおや、と思ったのところを、うんと甘く拡張すると、こういう映画作品になるのかも、と思わせるところがあったのです。ごく初期の短い期間ではあれ、ネロがまともな皇帝として、民衆のためになる政治をしようとした時期はたしかにあったように思えるし、セネカやペトロニウスのような知識人との交わりに、ただの冷酷無比の残虐な権力者という単色に塗りつぶしたのでは理解できない側面がこの人物にあったことは確かだと思えます。それはクオヴァディスのキリスト者の視点からは絶対に見えてこないものでしょうから。

 この映画でアクテを演じたリーケ・シュミットというドイツの女優さん、私はまったく知らない人でしたが、この映画の中では、衣装やメイクのせいでしょうが、ほんとうに昔のイタリア絵画に描かれている聖母マリアのように見える瞬間が何度かありました。適役だったと思います。ネロ役のハンス・マシソンもアグリッピーナ役のイタリア出身のラウラ・モランテも良かった。

 ハリウッド製のクオヴァディスでは、ロバート・テイラーがマーカス役というのはちょっとやっぱり、歳が行き過ぎているでしょう。デボラ・カーが一目ぼれするには(笑)・・・

 でも、ネロ役の名優ピーター・ユスチノフは光っていました。ネロの性格付けは定番どおりで、或る意味陳腐だったけれど、その陳腐な役回りを実に生き生きと豊かに演じていました。 だからネロに狂気じみた残虐な権力者にして常に不安のどん底、地獄を観ざるを得ないこの人物なりの血が通っていたと思います。そこまでの名優は今回のNEROには見当たりません。

saysei at 01:41│Comments(0)TrackBack(0)

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