2016年08月20日
スナップショット⑨ 井村雅代さん
この文章での著名人の「スナップショット」は、私が過去にほんの一瞬出会っただけの著名人についての、相手は私の存在など記憶してもいないような一方的な関わりの中での、印象を素描してみるのも面白いかもしれないと始めたことで、これまでは故人ばかり取り上げてきました。現役の方はまぁ色々差し障りがないとも限らないから(笑)故人で思いつく人を優先してきたのですが、今回は初めて現役バリバリのかた。オリンピックへの露骨な便乗というわけです*^.^*)
井村さんにたった一度お目にかかったのは、確か2008年夏季オリンピックについて大阪誘致の話があったころで、それが北京に決まったのが2001年のことなので、それ以前のたぶん90年代の終わりだったのでしょう。
ウィキペディアで調べてみると、井村さんはシンクロナイズドスイミング日本代表コーチとしてすでに1988年ソウル、1992年バルセロナ、1996年アトランタと銅メダル獲得に貢献する実績を積んでいました。そして2000年にはシドニーで遂に奥野史子の銀メダル獲得となるわけですが、一般にはまだいまほど知られている方ではなかったかと思います。
私が井村さんにヒアリングをしたのは、大阪オリンピック誘致のために、オリンピックに伴う文化プログラムの検討を当時私が所属していたシンクタンクに委託され、当時大阪府の教育委員もしておられた関係もあってでしょう、彼女にも委員になっていただいていたので、その依頼とご説明も兼ねて大阪のなみはやスポーツセンターに井村さんをお訪ねしたのだったと思います。
うかがったとき、彼女はちょうど生徒さんたちの指導を終えてプールから引き上げてきたところらしく、何か用具とバスタウルのようなものを持って、プールのほうからロビーへ歩いてきて、ちょっと待って、すぐに行きます、ということで、休憩室だか談話室だかでお話しすることになりました。
いまではほとんど中身のほうは覚えていないけれど、井村さんの印象は今でも非常に鮮明です。まったく飾らない率直な人柄、こういってよければ非常に”男性的な”はっきりとした物言いで、話していてとても爽やかで、しかも芯のしっかりした力強い印象を受けました。
ぐずぐずした人だとビシッと叱られそうな厳しい、しかし器の大きい指導者ということが、誰にでもすぐ直観できるような人、と言えばいいでしょうか。
その率直な物言いは、大阪弁で丸みをおびてなければ、恐がる人もいたかもしれないけれど(笑)、その素敵な笑顔とともに、どこか大阪弁が人懐っこい印象を与えてもいるな、と感じました。
私は長年、シンクタンクで文化施設計画の初期調査や構想づくり、基本計画作りなどをしてきたので、このときも、肝心の文化プログラムの話よりも、スポーツ施設の話をたくさんしていただいたのを覚えています。
美術館・博物館やホール・劇場など狭い意味での文化施設はかなり手掛けてきましたが、私自身はスポーツ施設の調査や計画にかかわったことがなく、広い意味での文化施設の一環で、共通する点も多々あるスポーツ施設の在り方には大いに関心があったので、率直な質問をぶつけたのです。
それに対して、井村さんは非常に的確に現在のスポーツ施設の在り方への批判的な意見で応えてくれました。指摘は非常に具体的で、一流の選手を育てるためにプールにはこういう条件が必要なのに、ここのように最新の施設でも、こういう設備が欠けている、というふうに非常に具体的でした。
私には劇場や博物館づくりの中で直面している困難と共通する点があったので、非常に興味深く、私の関わっている文化施設での事例を挙げて、こういう問題がある、という話をすると、彼女は打てば響くように、スポーツ施設の場合も全く同じように作っていくプロセス自体にこういう問題がある、とまさにこちらが聴きたい話をしてくれました。
一つだけ覚えているのは、一流選手を育てるプールのようなトレーニング施設を作る際にも、なぜか自分のように現場でその欠点も経験上熟知している者に何の相談もなく、どこかで決まってしまう、という話をされたことです。
これは公共施設を作る場合に、いつも私たちが感じていることで、劇場を知らない建築家が、ろくに舞台に立つ側のユーザーの意見も聞かずに、とんでもなく使いにくい施設を作ってしまったり、国立の博物館をつくるのに専門家の委員会をいくつも立ち上げながら、監督官庁のお役人が実質的にその中身を決めてしまうような案を出し、そのどこでだれが決めたともしれないようなものが既定路線となって、凡庸な展示構想として最後まで幅をきかせたり、といった奇々怪々なことが始終発生することを身をもって経験していたので、そうした井村さんの話はわがことのように納得できるのでした。
1時間かそこらの短い間だったかと思いますが、井村さんと話していて、向こうは世界的な偉業を次々に成し遂げているような方、こちらは零細シンクタンクの無名の一研究員にすぎなかったけれど、彼女からは全く権威ぶったり相手を軽んじたり上から目線だったりという印象を受けることがなく、誰でもこちらさえ率直にふるまえば、ほんとうに率直に対等に意見交換ができる人だと思いました
その後の井村さんの活躍をメディアで見るたびに、あの時の印象がよみがえり、一井村ファンとしてひそかに声援を送ってきました。
今度、ウィキペディアの註に挙がっていた過去のメディアの文章を見ていたら、こんな記事が目にとまりました。
“かつてシンクロは日本のお家芸とも言われたように、オリンピックや世界選手権で常にメダルを獲得してきた。2004年のアテネ五輪ではデュエット、チームともに銀メダルで、世界の頂点まで後一歩のところに迫った。
だがその後、日本の地位は徐々に低落している。2008年の北京五輪ではデュエットこそ3位でメダルを死守したものの、チームでは5位でメダルを逃した。その後もかつての栄光を取り戻せず、2012年のロンドン五輪ではデュエット、チームともに5位。オリンピックで初めてメダルなしに終わった。
アテネまでの成功と、それ以降の退潮傾向の原因ははっきりしている。井村雅代氏が、アテネ五輪をもってヘッドコーチを退任したことにある。井村氏本人の望んだことではなかったが、指導者の世代交代などが理由だった。
しかし、それは成功しなかった。井村氏の退任後、ヘッドコーチはしばしば変更となり、強化体制を整えることが難しい状況が続き、日本は地位を失っていった。”
(出典:Number Web 2015年7月12日) http://number.bunshun.jp/articles/-/823713
日本の水泳連盟の方針と井村さんの間に齟齬があったことは、当時も何かで読んだことがあり、なぜ日本のスポーツ団体ってのはこう頭が固いのだろう、と残念に思った記憶があります。同時に、あの井村さんの自分の信念への揺らぎのない姿勢、間違ったことは相手がだれであれ、遠慮なくズバズバ指摘して発言されるであろう率直さを思えば、能力のある女性を煙たがり、反発して、権力ずくで抑えにかかる日本の古い体質の組織にありがちなことなのだろう、と思いもしたのです。
私の勝手な邪推でなければ幸いですが、井村さんはこういうグチャグチャしたことをメディアで喋り散らす人ではないので、真相は知りません。
アテネ五輪のあと日本代表ヘッドコーチを退任して、中国の要請に応えて北京五輪をめざす選手たちを一流チームに鍛えたことも、その志を高く評価する人もいれば、奇妙なことに批判する人もあったようです。上に引用したのと同じ記事で次のようにそのことに触れられていました。
“他国での指導ということで、当時は国内からの反発も強かった。「考えられないことです」、「時期と相手があるでしょう」と語る日本水泳連盟幹部もいたし、中国でのコーチ就任を批判的に捉えていた関係者たちがいた。北京五輪後に井村氏に日本のオファーがなかったのは、そうした感情による部分もなかったとは言えない。”(出典:同前)
「敵」のために働いたのがけしからん、ということのようです。なんて器の小さい、貧しい考え方なのでしょう。こういう連中が全国組織の幹部を牛耳っているから、まともな人材が去り、せっかく才能のある選手たちが開花を妨げられていたのでしょう。
“そもそも井村氏が中国へと渡った背景には、日本のシンクロナイズドスイミングの演技を世界の主流にしたいという思いがあった。「最強国ロシアの演技がスタンダードとされ、ロシア流でなければ点数が出にくい流れを変えたい」と中国で指導にあたっている頃、語っていた。”(出典:同前)
この井村さんの遠い先を見る眼、国境を超えた世界にひろがる視野と比べて、当時の水泳連盟幹部たちと彼女との、人間としての器の違いを感じるのは私だけではないでしょう。
そんな仕打ちを受けながらも、井村さんには日本への強い想いがあったようです。
“井村氏は、実は北京五輪のあと一度中国のヘッドコーチを退任している。その後、ロンドン五輪へ向けて中国で再登板となったが、そこには、北京五輪での日本の演技を見て、「もう一度日本を立て直す手伝いをしたい」という思いがあったからだ。実際、公にその意志を示していたが、日本から依頼がなかったため、中国へ戻った経緯がある。”(出典:同前)
そうだったのか、とこのことは今回初めて古い記事を見て知りました。ほんとうにこんな苦労にもめげず、腐らず、潔く、お目にかかった時の爽やかな印象そのままに、かつてのいきさつもさっぱり水に流して日本代表のヘッドコーチに復帰して、着々と期待どおりの成果をあげてこられた井村さんには本当に頭が下がり、日本人の一人として、ファンとして、心から感謝の気持ちでいっぱいです。
井村さんが指導していた2004年のアテネ五輪では銀メダルを獲得して、首位のロシアにあと一歩に迫るところまで来ていた日本のシンクロナイズドスイミングは、井村さんを排除することでメダルから見放され、失墜してしまった。そして井村さんの復帰とともに再び着実に這い上がり、今回の銅メダル。その間の指導者としての井村さんや選手の血のにじむ苦労は想像を絶するほどだったでしょうが、これほど誰の目にも明々白々な結果で原因が示されることも珍しいのではないでしょうか。
今回の快挙を歓び祝うと同時に、東京五輪に向けてぜひ井村さんに指導をつづけてほしい。井村さんに乾杯!