2016年06月24日

ポール・スミス~雑貨的デザイナー

PS近代美術館


 京都国立近代美術館でポール・スミス展を覗いてきました。

 パートナーによれば、二人の息子たちが高校生か大学生になってからか、スーツもなければ革靴もなく、卒業式だったか葬式だったか忘れたけれど、スニーカーで、というわけにもいかないから、黒靴を買っておいで、と言ったら、別々に行ったのに、そろいもそろって、二人ともポール・スミスの同じ靴を買ってきたのだそうです。若者の間で流行っていたんでしょうかね。

 30代になっていまでも、まだふたりとも黒靴はその一足しか持ってないんじゃないか(笑)
    次男などは卒業式も結婚式も葬式も黒のスーツは同じのを着ていたようだし、娘のピアノの発表会にも葬式のとき着ていった黒スーツで来たので、さすがにパートナーが見かねて、スーツもう一着買っときなさいとなにがしか渡したらしいけど、たぶん映画に消えたか楽器に消えたか飲み代に消えたか(笑)、フォーマルな服装にはまるで関心がなく、そういうことにはまるで頓着しないし、高校生くらいから結構オシャレな店に出入りしていたけれど、私服の高校だったので、スーツなんてのはまず着ることがないせいでしょう。

PSアトリエ


 ところで、そのポール・スミス、世界各国の店の写真があってその違いが面白かったし、デザイン工房が再現してあったりして、そういうのは面白かったけれど、一つ一つ見ると、どれも一種の既視感があって、どっかで見たなぁ、という感じです。

 アリがゾロゾロ列をなしているやつなんか、もっとシャープな形でほとんど同じようなアーチストの作品を見た記憶があったし、カラフルな自動車が部屋の真ん中にデンと鎮座ましましていたけれど、あれなんか、ロンドンのテームズ川のほとりにあったときのサチギャラリーの入り口をはいった階段に落ちそうな危うい感じで置いてあったダミアン・ハーストの水玉模様の車を彷彿とさせながら、ダミアン・ハーストの作品の強烈なインパクトに比べるとどうにも陳腐な、すでに市中を走っている変わり者の若者が色を塗りたくっただけの車のように見えてくるのでした。

 でもそれだけどれもこれも、私達の凡庸さに見合って親しげな顔つきをした色形であって、抵抗感はどこにもありません。とんがったところもどこにもないけれど。

 彼の店にいくと、例えば服飾店であっても、そこにいろんな異なる種類の商品があって、「いつも発見がある」というのが今でも変わりません、というようなことが書いてあって、なるほどな、はじめたころはそういうのが珍しかったのかもしれないな、と思いました。

 たとえば、うちの近所に「けいぶん社」という左京区で有名になった書店があるのですが、そこは本や雑誌だけでなく、CDもあるし、両側に隣接してつながっている売り場は雑貨を売っています。小さな地域の書店でしたが、若い女性店員に仕入れや棚のしつらえを任せ、雑貨を置くようになって、どんどん人気が出て、いまでは遠くからわざわざ電車に乗って、おしゃれな格好をした若者がこの書店を訪れ、前で写真をとったりしています。

 あれはまさにポール・スミス的なショップづくりですね(笑)。いまはあぁいうのがどこも流行っています。書店にカフェがあり、雑貨を売っている。逆にカフェに本を置き、アンティーク雑貨の小物を置いて売っていたりする。女子大生に駅の改修で新しい空間をつくるとすれば、どんな機能がほしいかと尋ねれば、まずカフェ、書店、雑貨の店、できればそれが全部融合したようなの、というふうな解答がトップを占めます。これも「ポール・スミス的」現象ですね(笑)

 私はデザインにもポール・スミスにも全然くわしくないので、もともとこういう流行の口火を切ったのが彼なのか、もっと広範な時代的な趨勢の中で起きてきた現象を単に彼が彼流のやりかたでなぞっているのかは知りません。

 でも結果的に、こういう美術展としてながめさせてもらって、今の時点で切ってみれば、このデザイナーは雑貨的というのが何か一番ぴったりくるような人だな、という印象でした。親しみやすいし、実際親しみやすそうなおじさんでしたし(笑)。

PSアトリエ2



  

saysei at 00:20│Comments(0)TrackBack(0)

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