2011年04月04日
ムラーリ・K・タルリ 「明日、君がいない」
監督が19歳という若さで、カンヌ映画祭で、DVDに収録された特典ビデオに見るように上映直後に長時間のstanding ovationを受けた作品。
ずいぶん以前に新聞の映画評で見ていたのに長いあいだ見る機会がなかったのを今回DVDで見ることができた。
アメリカの高校で起きた乱射事件をクールに描いたガス・ヴァン・サント監督の「エレファント」のタッチに似た作品だと思った。監督のインタビューで、ガス・ヴァン・サントが絶賛の電話をかけてきた、というようなことを言っていたが、共鳴するところがあるのだろう。
「エレファント」と違って、ここでは銃の乱射も「if」のような反乱も起きないけれど、そういった爆発が起こるまでに蓄積され極度に内圧の高い状況が淡々と描かれている。
オーストラリアのハイスクールが舞台で、登場するのは性にあけっぴろげないかにも欧米風の若者たちで、一昔、二昔前なら、学園物のラブロマンスでも描けそうな舞台装置なのだけれど、この作品では登場人物の誰一人とっても薄い皮膜ひとつめくれば、血が噴出さない者はいないほど、重荷を背負い、深く傷つき、また傷つけあい、孤独で、追い詰められている。
そこにはもう「if」のような連帯して「反乱」にいたるような共同性はどこにも見当たらないし、「エレファント」のように外向きに噴出するほどのエネルギーも欠けていて、それでも若さゆえに辛うじて残っている一人一人のエネルギーは、ひたすら自傷的に、自分の崩壊へと内向きに作用するほかないようだ。
一日の時間の描き方、カラーで展開されるメインストーリーにさしはさまれるモノクロのインタビューに答えるスタイルでの登場人物たちの独白から成る構成がとても効果的だし、映像は美しい。アップを多用した表情の演技も、追い詰められていく若者たちの内的な風景をよく映し出している。
ポール・ニザンの「ぼくは二十歳だった、それが人生で一番美しい年齢などとは誰にも言わせない。」という言葉を思い出す。かつてはその言葉を逆説的に矛盾に満ちた青春を表現するかのように受け止めたこともあったけれど、この作品に描かれるような「青春」をもつこの時代は、もう誰もそんな誤読さえする余地がなくなってしまった。