2011年03月08日
東野圭吾『麒麟の翼』
東野圭吾の最新作にして「最高傑作」という帯を見ると、値段にちょっと眉をひそめながらも、最近は単行本もほとんどこれくらいの値段はするからなぁ・・とため息をつきながら、買わずにはいられず、買って読み始めると一気に読んでしまわずにいられないのが東野圭吾。
というわけで、佐藤泰志の『海炭市叙景』のほうは1週間くらいかけて、一話ずつ舌なめずりするように味わいながら読んだけれど、東野圭吾の『麒麟の翼』のほうは一気に読んでしまった。あぁ勿体無い・・・
それに、麒麟のほうは推理小説だから、ここで最新刊のネタばらしをするわけにもいきません。
「最高傑作」だったかって?う~ん、それは何とも・・・。好みから言えば私は作品としての出来がどうこうというのを脇へおいといても、『白夜行』のように作者が熱くなって書いてるのが分かるようなのが好きなので(友人からは、若くて美しい悪魔のような女性が登場するのがいいんだろう?と半畳を入れられそうだけど)、推理小説としてはずっと上出来なのだろう『容疑者Xの献身』のようなのよりもそっちを上にしてしまうので、まったくアンフェアな読者であります。
今回の場合もストーリーの展開の仕方は非常にスムーズで、どこにも種も仕掛けもないかのようにみえて、見事に思っても見ない方向に導かれる意外性やそれを語る語り口の見事さというのは、いつもの東野圭吾さんらしい腕の冴えだし、そうした作品群の中でも、力んだところのない、非常に完成度の高い作品と言えば言えるのかもしれません。
推理仕掛けがどうのこうのといよりも、加賀恭一郎はじめ、登場人物の人間性をしっかり描いて、それぞれの振る舞いかた、言葉にも、それぞれの人物の思いがあり、さらに背後にはその人物の背負う状況がある、というのが的確に、納得できるように描いているのは、いつもの東野圭吾作品とかわらずに優れた特質です。その作者のまなざしが温かいことにも好感が持てます。これがあるから、ほかに推理小説を読まない私も彼の作品は新刊が出るとつい買ってしまうのですが。
ただ、推理小説としての展開が、たとえば『容疑者Xの献身』のように、読者にとっての(あるいはそれを推理するヒーローにとっての)意外性が、その作品の一つのメインフレームのうちに収まっていれば、とてもおさまりがよくて、しっくりと納得できるのですが、さてそのフレームが二つあって、こっちと思っていたらあっちだった、という構成になると、さてどうでしょうか。
私の感じ方は、肩透かし、というのに幾分近いです。ある犯罪について犯人を追って色々情報が小出しにされて推理していく、事件の全貌が徐々に明らかにされ、あやしい人物が複数出てくる。最初は情報が乏しかったり、間違った情報で誤った推理をしたりして、次々に犯人とおぼしき人を挙げては、その推理が破綻していく。そして最後に意外な真犯人にたどり着く。(これが私のいう「おさまりのいい」フレーム一つのオーソドックスな推理小説デス)
或いはそういうパターンを破ったんだよ、という事なのかもしれません。推理小説を原則読まない私にはそのへんのことはよくわからないので、ほんとうに作者にしてやられたなぁ、という意外性よりも、少し肩透かしをくったように感じたのは、私の感じかたのほうに無いものねだりがあるのかもしれませんが・・・。
でも魅力的なタイトルですね。読んでみればなんでもないけれど、本屋で手にとったのは、素敵なタイトルに惹かれたというところもありました。
というわけで、佐藤泰志の『海炭市叙景』のほうは1週間くらいかけて、一話ずつ舌なめずりするように味わいながら読んだけれど、東野圭吾の『麒麟の翼』のほうは一気に読んでしまった。あぁ勿体無い・・・
それに、麒麟のほうは推理小説だから、ここで最新刊のネタばらしをするわけにもいきません。
「最高傑作」だったかって?う~ん、それは何とも・・・。好みから言えば私は作品としての出来がどうこうというのを脇へおいといても、『白夜行』のように作者が熱くなって書いてるのが分かるようなのが好きなので(友人からは、若くて美しい悪魔のような女性が登場するのがいいんだろう?と半畳を入れられそうだけど)、推理小説としてはずっと上出来なのだろう『容疑者Xの献身』のようなのよりもそっちを上にしてしまうので、まったくアンフェアな読者であります。
今回の場合もストーリーの展開の仕方は非常にスムーズで、どこにも種も仕掛けもないかのようにみえて、見事に思っても見ない方向に導かれる意外性やそれを語る語り口の見事さというのは、いつもの東野圭吾さんらしい腕の冴えだし、そうした作品群の中でも、力んだところのない、非常に完成度の高い作品と言えば言えるのかもしれません。
推理仕掛けがどうのこうのといよりも、加賀恭一郎はじめ、登場人物の人間性をしっかり描いて、それぞれの振る舞いかた、言葉にも、それぞれの人物の思いがあり、さらに背後にはその人物の背負う状況がある、というのが的確に、納得できるように描いているのは、いつもの東野圭吾作品とかわらずに優れた特質です。その作者のまなざしが温かいことにも好感が持てます。これがあるから、ほかに推理小説を読まない私も彼の作品は新刊が出るとつい買ってしまうのですが。
ただ、推理小説としての展開が、たとえば『容疑者Xの献身』のように、読者にとっての(あるいはそれを推理するヒーローにとっての)意外性が、その作品の一つのメインフレームのうちに収まっていれば、とてもおさまりがよくて、しっくりと納得できるのですが、さてそのフレームが二つあって、こっちと思っていたらあっちだった、という構成になると、さてどうでしょうか。
私の感じ方は、肩透かし、というのに幾分近いです。ある犯罪について犯人を追って色々情報が小出しにされて推理していく、事件の全貌が徐々に明らかにされ、あやしい人物が複数出てくる。最初は情報が乏しかったり、間違った情報で誤った推理をしたりして、次々に犯人とおぼしき人を挙げては、その推理が破綻していく。そして最後に意外な真犯人にたどり着く。(これが私のいう「おさまりのいい」フレーム一つのオーソドックスな推理小説デス)
或いはそういうパターンを破ったんだよ、という事なのかもしれません。推理小説を原則読まない私にはそのへんのことはよくわからないので、ほんとうに作者にしてやられたなぁ、という意外性よりも、少し肩透かしをくったように感じたのは、私の感じかたのほうに無いものねだりがあるのかもしれませんが・・・。
でも魅力的なタイトルですね。読んでみればなんでもないけれど、本屋で手にとったのは、素敵なタイトルに惹かれたというところもありました。
saysei at 00:47│Comments(0)│TrackBack(0)│