2011年03月04日

石井裕也監督「川の底からこんにちは」

 「川の底からこんにちは」の石井監督は、いま活躍している日本の若手映画監督の中でも一番若い世代で、マスメディアで一番よく取り上げられているようなので、DVDが出たのを機会に初めてその作品に接した。

 これが始めての商業映画らしいが、キャストもそれにふさわしく主演はこれも若手女優で一番元気がよさそうな満島ひかり、それを芸達者な脇役が固めていて、堂々たるものだ。なにより満島ひかりが体当たりの演技でぶつかっていて、これにモーレツなおばさんたちのパワーがプラスされて、ストーリーの核心が開き直りときているから、怖いものなしだ。(笑)

 女性はみんな「女狐」(作品中のセリフ)で毒をたっぷり持っているけれど、男はみんなヤサオトコだけれどどこか木枯紋次郎みたいに枯れている。まぁいまの時代の気分をコミカルにシニカルに映し出しているということだろう。

 途中、少々だれるところはあるし、勝手に面白がっているところはあるけれども、監督の才能は明らかだろう。

 この映画を見ながら、これまでいくつかの各種の映画フェスティバルなどの新人賞の類をとったような映画を見たことを思い返し、それにしても、若い映画監督が世に出るためには、ある種の戦略が必要なのだろうかな、とふと思った。

 この監督にもそれはある。コミカルな視点というのは、それだけでひとつ身をずらして構える戦略的な姿勢だろう。

 そうではなく、ごくオーソドックスな映画を撮って、それがまっすぐに評価されて大きくなっていく、ということは難しいことなのかな、と思う。そういう作り手がじっくりと自分の作品を育てて出てくるといいな。早撃ちマックのように矢継ぎ早に作らなくていいから(笑)

 小説では世界的に著名な作家になってしまったから、いまとなっては言うのも気恥ずかしいが、村上春樹がいい作家だな、と思ってきたのは、作品が大きくなっていく長い歳月の歩みに、そんな正当性(へんな言い方かもしれないが)を感じていたからという気がする。

 自分の力量に応じたスケールを守りながら、奇をてらわず、斜に構えず、いつも正面から、でもユーモア(コミカルではなくて)を、つまり優しさを失わないで、向き合うべきものに向き合ってきた。

 そういえば、村上春樹はなぜ芥川賞が与えられなかったか、というような本が出ていた(笑)。彼にはそういう意味の戦略はなかった。一人の作家として進化していくための彼自身の戦略はあったかもしれないけれど。

 小説の世界でも映画の世界でも、いまでは、新しい才能をいち早く見出し、消費しようとする仕掛けがいたるところにある。それが小さな芽を大きく育て、早期栽培のように早々と豊かな実をつけるのを援けることも、「経済原則」が成り立つ程度には事実なのだろう。

 特典映像で、俳優たちが「監督の性格が悪い」と(愛情をこめて)言うのが印象的だった。満島ひかりはその監督と結婚する(した?)そうだ。彼女はこの作品の中ではまさに髪振り乱して役の人物になりきっているけれど、特典映像でインタビューに答える彼女は、本当に女優というのは綺麗なんだな、と感心させられるほど綺麗で魅力的だ。

 

saysei at 02:10│Comments(0)TrackBack(0)

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