2010年09月30日
伊坂 幸太郎 『マリアビートル』
いつものことだけれど、伊坂幸太郎の作品は、読み始めは何が起こるか全然みえない上、一見読者がすんなり入っていけるような書き出しではないので、しばらくは、しちめんどくさい印象をぬぐえない。
ところがこの稀代の巧みな語り手は、たちまち細部の面白さにつられて私たち読者を作品世界の中へ連れ込んでしまう。いたるところに散りばめられたユーモアが洒脱で同時代的で、ちょっぴり知的だったり、またその知的さやほんのちょっとの硬直も笑い飛ばす笑いが、へんに底意のあるように重かったり、がさつだったりせずに、軽妙で、いまふうのエンターテインメントとしてよくできていて、感心させられる。
それでいて、いまの世相の中でおよそ問題視されているようなことは、なんでも貪欲に作品の中に繰り込んで自家薬籠中のものにしてしまう手腕も大したものだ。ここに登場する中学生「王子」などは、ほんとうに背筋を凍らせるような存在だけれども、誇張されてはいても、これは確実にこういうやつはいまの世の中にいるよな、と思わせる現実感をもっているし、全体として滑稽小説的な性格をもっているこの作品の中で、少しも浮いてしまうことなく、重石のような存在感を最初から最後まで維持し続ける。
なにせ登場する主役たちのキャラが抜群に面白い。一番好きなのはドジで不運の女神に魅入られている七尾だけれど、蜜柑と檸檬も素敵だ。トーマスの引用がものすごくいい効果をあげているし、ヴァージニア・ウルフやドストエフスキーの引用なんかがまた本当に嬉しくなるほどの楽しさだ。
他方で、一種の推理小説・サスペンス小説としての結構や細部のつくりには周到で、新幹線の仕組みを熟知して主人公たちの舞台として、時間のファクターまで含めて隅々まで使いこなし、狭い新幹線の中でよくまぁこれだけ長丁場のドラマをこれだけ多種多様な大勢の登場人物を右往左往させて成立させえたものだと妙なことに感心させられる。
エンターテインメントとして本当に面白いからおすすめ。
けれども、と私のような古典的な読者は、ちょっと物足りなさも感じる。伊坂幸太郎は最初からこういう作家だったっけ。オーデュボンやアヒルと鴨や、重力ピエロのあたりまでは、私のような古くさい読み方をする読者にも、作品の向こうに、ただすばらしく面白い物語を多様なテクニックを自在に駆使して魔法のように紡ぎだしてみせる抜群のエンターテインメントの才能を見ていただけだったかどうか。
いま作品のむこうに、あのころの伊坂幸太郎という生身の身体や感覚、感情をもった作家が見えるのかどうか。彼は作品の登場人物とともに痛み、傷つき、泣いているのかどうか。
私の最高の伊坂作品は、依然としてアヒルであり、オーデュボンであり、ピエロにとどまっている。きっといまの路線で彼が益々うまくなり、ますます人気作家として名声を博するほどに。
ところがこの稀代の巧みな語り手は、たちまち細部の面白さにつられて私たち読者を作品世界の中へ連れ込んでしまう。いたるところに散りばめられたユーモアが洒脱で同時代的で、ちょっぴり知的だったり、またその知的さやほんのちょっとの硬直も笑い飛ばす笑いが、へんに底意のあるように重かったり、がさつだったりせずに、軽妙で、いまふうのエンターテインメントとしてよくできていて、感心させられる。
それでいて、いまの世相の中でおよそ問題視されているようなことは、なんでも貪欲に作品の中に繰り込んで自家薬籠中のものにしてしまう手腕も大したものだ。ここに登場する中学生「王子」などは、ほんとうに背筋を凍らせるような存在だけれども、誇張されてはいても、これは確実にこういうやつはいまの世の中にいるよな、と思わせる現実感をもっているし、全体として滑稽小説的な性格をもっているこの作品の中で、少しも浮いてしまうことなく、重石のような存在感を最初から最後まで維持し続ける。
なにせ登場する主役たちのキャラが抜群に面白い。一番好きなのはドジで不運の女神に魅入られている七尾だけれど、蜜柑と檸檬も素敵だ。トーマスの引用がものすごくいい効果をあげているし、ヴァージニア・ウルフやドストエフスキーの引用なんかがまた本当に嬉しくなるほどの楽しさだ。
他方で、一種の推理小説・サスペンス小説としての結構や細部のつくりには周到で、新幹線の仕組みを熟知して主人公たちの舞台として、時間のファクターまで含めて隅々まで使いこなし、狭い新幹線の中でよくまぁこれだけ長丁場のドラマをこれだけ多種多様な大勢の登場人物を右往左往させて成立させえたものだと妙なことに感心させられる。
エンターテインメントとして本当に面白いからおすすめ。
けれども、と私のような古典的な読者は、ちょっと物足りなさも感じる。伊坂幸太郎は最初からこういう作家だったっけ。オーデュボンやアヒルと鴨や、重力ピエロのあたりまでは、私のような古くさい読み方をする読者にも、作品の向こうに、ただすばらしく面白い物語を多様なテクニックを自在に駆使して魔法のように紡ぎだしてみせる抜群のエンターテインメントの才能を見ていただけだったかどうか。
いま作品のむこうに、あのころの伊坂幸太郎という生身の身体や感覚、感情をもった作家が見えるのかどうか。彼は作品の登場人物とともに痛み、傷つき、泣いているのかどうか。
私の最高の伊坂作品は、依然としてアヒルであり、オーデュボンであり、ピエロにとどまっている。きっといまの路線で彼が益々うまくなり、ますます人気作家として名声を博するほどに。
saysei at 14:16│Comments(0)│TrackBack(0)│