2010年03月19日
『近頃の若者はなぜダメなのか』(原田曜平)
こういうタイトルの本を見ると、商売柄、つい買って読む。でもたいていはいい加減なもので、落胆する。
今回は落胆しなかった。面白い。それはひとえに、著者が教育者などではなく、大手広告代理店(の研究所)に勤務するサラリーマンで、若者研究の一環として、「延べ1000人以上、約7年をかけて、47都道府県すべてをまわり」、若者に直接インタビューをして集めた一次情報をベースにして書いているためだろう。
家族のことひとつ知らないのに親友、というのも、彼らがコミュニケーションで重視しているのはわれわれ世代が重視するそういった「基礎情報」ではなく、「相手がジャニーズの追っかけをしている『追っかけキャラ』であること」「相手が神経質で几帳面な『A型キャラ』であること」など、会話が盛り上がりやすい「キャラ情報」だからだ、というふうな指摘、「毎週、毎月会う友達ではなく、2、3ヶ月に1回会う友人がたくさんいる」という人間関係、いくつもの帰属集団をかけもちでまわる多忙な日常など、実際に若い人とつきあっていて日ごろ感じていることが、ここでは非常に的確にとらえられている。
われわれも教育の公的な場では、若い人にコミュニケーション力を養う、などと言っているけれど、本当はコミュニケーションが下手なのはこちらのほうで、かれら若い人たちは素のままでコミュニケーションの達人だということも、この本を読めば納得できる。同じ言葉で別のことを指しているとしても、だ。
その時、その場のTPOに応じて、自分のキャラを使い分けて、繊細高度なコミュニケーションのとれる若者たちの姿も実に的確に、具体的な体験的エピソードによって描き出されている。
だれかがそんなことを言っていたけれど、高齢者相手の介護の現場などで、昔なら真心をこめた誠心誠意の献身が美徳として求められたかもしれないけれど、むしろそのときその場で必要な限りにおいて自分を献身的な介護者キャラとして、嘘でも表面だけでもいい、あくまで優しくにこやかに振舞って、相手を心地よくさせるコミュニケーションがとれるような軽みこそ、現代の若者たちの強みなのかもしれない。
この一冊の中で、いちばん印象にのこる言葉は、著者がシンポジウムのパネリストとして協力を求めた女子高生のひとこと。
「相手からメールの返信がこないだけで、嫌われたんじゃないかとか。メアド変更の知らせがきたから、まだ友達と思われているんだとか。ケータイを持つことは、常時ポケットにむき出しの刃物を入れている気分です」
この箇所を読んだとき、「ケータイとは何か」という問いに対する答として、「それは常時ポケットにむき出しの刃物を入れていることなんだ」という言葉が、まさに腑に落ちる、という感じで自分の中にストンと落ちる気がした。
ケータイについては、色んな学者や文化人があれこれ詮索して、色んなことを言っているけれど、結局のところケータイって何?という問いに、こちらを納得させてくれるようなものにはいままで出会わなかった。
そこへこの女子高生のひとことが、前後の解釈的な文脈を抜きに、それ自体ひとり歩きして私の中へ落ちてきた。理屈ではない。まさに腑に落ちるとしか言いようのない形で。
そうか、彼女たちはいつもポケットにむき出しのナイフを入れているんだ・・・。
少なくとも私は今後、彼女たちがケータイを取り出すとき、この言葉を連想せずに見ることはできないだろうと思う。
今回は落胆しなかった。面白い。それはひとえに、著者が教育者などではなく、大手広告代理店(の研究所)に勤務するサラリーマンで、若者研究の一環として、「延べ1000人以上、約7年をかけて、47都道府県すべてをまわり」、若者に直接インタビューをして集めた一次情報をベースにして書いているためだろう。
家族のことひとつ知らないのに親友、というのも、彼らがコミュニケーションで重視しているのはわれわれ世代が重視するそういった「基礎情報」ではなく、「相手がジャニーズの追っかけをしている『追っかけキャラ』であること」「相手が神経質で几帳面な『A型キャラ』であること」など、会話が盛り上がりやすい「キャラ情報」だからだ、というふうな指摘、「毎週、毎月会う友達ではなく、2、3ヶ月に1回会う友人がたくさんいる」という人間関係、いくつもの帰属集団をかけもちでまわる多忙な日常など、実際に若い人とつきあっていて日ごろ感じていることが、ここでは非常に的確にとらえられている。
われわれも教育の公的な場では、若い人にコミュニケーション力を養う、などと言っているけれど、本当はコミュニケーションが下手なのはこちらのほうで、かれら若い人たちは素のままでコミュニケーションの達人だということも、この本を読めば納得できる。同じ言葉で別のことを指しているとしても、だ。
その時、その場のTPOに応じて、自分のキャラを使い分けて、繊細高度なコミュニケーションのとれる若者たちの姿も実に的確に、具体的な体験的エピソードによって描き出されている。
だれかがそんなことを言っていたけれど、高齢者相手の介護の現場などで、昔なら真心をこめた誠心誠意の献身が美徳として求められたかもしれないけれど、むしろそのときその場で必要な限りにおいて自分を献身的な介護者キャラとして、嘘でも表面だけでもいい、あくまで優しくにこやかに振舞って、相手を心地よくさせるコミュニケーションがとれるような軽みこそ、現代の若者たちの強みなのかもしれない。
この一冊の中で、いちばん印象にのこる言葉は、著者がシンポジウムのパネリストとして協力を求めた女子高生のひとこと。
「相手からメールの返信がこないだけで、嫌われたんじゃないかとか。メアド変更の知らせがきたから、まだ友達と思われているんだとか。ケータイを持つことは、常時ポケットにむき出しの刃物を入れている気分です」
この箇所を読んだとき、「ケータイとは何か」という問いに対する答として、「それは常時ポケットにむき出しの刃物を入れていることなんだ」という言葉が、まさに腑に落ちる、という感じで自分の中にストンと落ちる気がした。
ケータイについては、色んな学者や文化人があれこれ詮索して、色んなことを言っているけれど、結局のところケータイって何?という問いに、こちらを納得させてくれるようなものにはいままで出会わなかった。
そこへこの女子高生のひとことが、前後の解釈的な文脈を抜きに、それ自体ひとり歩きして私の中へ落ちてきた。理屈ではない。まさに腑に落ちるとしか言いようのない形で。
そうか、彼女たちはいつもポケットにむき出しのナイフを入れているんだ・・・。
少なくとも私は今後、彼女たちがケータイを取り出すとき、この言葉を連想せずに見ることはできないだろうと思う。
saysei at 01:57│Comments(0)│TrackBack(0)│