2010年03月19日

「時をかける少女」(谷口正晃監督)

 大林宣彦監督のすべての作品と同様に、「時をかける少女」も好きなので、けっこう評判がいいと聞いていても、自分が観れば多かれ少なかれ失望するだろうと思っていたが、予想に反して落胆せずに観ることができた。

 若い人が好演。とくにヒロイン芳山あかり役の仲里依紗(なか りいさ)は出色で、大林の和子役だった原田知世の古典的な少女像とは全く異質ないま現在そのへんにいそうな女の子キャラを実に鮮やかに演じている。

 シンプルでロマンチックな大林の作品はいまでも好きだけれど、母娘の時間軸を入れて現代の物語に置き換えたとき必要になったシナリオの工夫も、よくできていると思う。

 私たちの世代にとっては、70年代の雰囲気が懐かしい。もう40年近く経ってしまって、映画を作るにも若いスタッフには時代物を撮るのと変わらない「時代考証」が必要だったろうと思うと可笑しくもあり、不思議な感じもする。

 中尾明慶が演じた溝呂木涼太、青木崇高が演じたゴテツ(長谷川政道)、柄本時生が演じた本宮悟などを見ていると、そうそう、あのころは若い男がほんとにダサくて汚かったよなぁ、と笑えてくる。

 冬は一週間に一度しか銭湯に行かない、なんていうのもアタリマエだった(いまは毎日入っていますが・・・笑)。

 そういうのを競い合う風があって、だれかが2週間風呂へ行かなかった話をしたとき、某私大の女子寮にいた可愛いらしい女子学生から「わたしの友達なんか下着をウラオモテひっくりかえすだけで1ヵ月はいてたんですよ!」と聞いたときは、さすがに閉口して、聞きたくなかった!と思ったけれど、男女を問わずそんな猛者はいくらもいた。

 あかりが転がり込む涼太の4畳半の光景が妙に懐かしかった。

 極端に古典的なキャラに仕立てているけれど、石橋杏奈演じる若い日の芳山和子なども存在感があって良かったし、好きなゴテツが機材屋へいくのに、嬉しそうな笑顔でついていく姿が瞼に残る。

 吾朗が語っていた事故の話が、再度決定的な場面であかりの脳裡に甦ってくるとき、観ているこちらの脳も完全に同調していて、吾朗の言葉が脳裡に鮮やかに甦ってきて衝撃を受ける。シナリオがうまくてこの辺は劇的なハイライト。

 ところどころ不自然な演出や大仰な演技に違和感をおぼえるところがなくはない。どこでもいいけれど、たとえば父親が倒れてショックを受け、あかりのいる自分の部屋へ帰ってくる涼太の重々しい表情やふるまい。本当に深い衝撃にうちのめされた人間は決してこういうとき、こんなふうには振舞うまい。

 むしろここは、あかりにも気づかれないほど淡々とした表情ではいってきて、なんでもないようにあかりに応対しながら、頭の中が全部父親のことで占領されているために、実は上の空で応対していることが、あかりとのちょっとしたやり取りのズレで見る者に分かるというような演技なり演出なりのほうがずっと自然だろう。頭で考えた「らしさ」はちっともリアルでない。

 でもまぁ、全体としてはよくできた「現代版・時をかける少女」だった。

 


saysei at 00:59│Comments(0)TrackBack(0)

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