2010年01月19日
『ボーダー&レス』(藤代 泉)
この人の作品を読むのは初めてだったが、とても面白かった。
なにより会話が面白い。語り手は北海道から東京の大学へ進学して就職した新入社員の「僕」で、これが同期入社で友人になった「在日」の趙成佑(チョ・ソンウ)といまの若者言葉でやりとりする、その会話が傍で聞く読者にとって、ユーモラスで楽しめる。私はきょうの車中の往復で読んだのだけれど、電車の中で何度も噴出しそうになって困った。
二人の丁々発止の軽い言葉のキャッチボールを楽しんだり、傍から見ると滑稽な過剰だったり過少だったりするその振る舞いを見ているぶんには、明るい青春小説の趣だが、その軽みの向こうに、ソンウの「在日」が滓のように澱んでいて、これがラスト近くなると全面に浮かび上がってくる。
この作品のいいところは、在日の問題を、アプリオリな在日問題として「問題小説」を書くのではなく、どこにでもいそうな、それでいて結構鋭敏でしなやかな「僕」の目と心を通して、非常に微妙な形で描ききっているところだと思った。
もちろん、作者は解決など与えていないし、一篇の小説で解決の与えられるような「問題」として扱っていない。その困難さを困難さとして非常に繊細に、鮮やかに描き出している。
在日の問題が、はじめてまっとうに描かれるようになったんだな、と思ったのは李恢成という昔わりあいよく読んだ作家の作品に出会ったときで、在日に対して妙に気を遣って腰がひけてしまう日本人のおどおどした様子を、同じ団地に住む隣人である在日の視点からうまく描いているような作品を読んだ記憶がある。あれがあの頃の日本人と在日との出会いかた、触れ合いかたの水準だったんだろうな、と思う。
今回藤代の作品を読んで、この作品の中に、あれ以降の日本人と在日の関わりの水準、いま現在のかかわり方があるんだろうな、と思った。
傷口がむき出しになって、赤くただれて痛々しい、というようなのが、昔の「在日」小説。
若いころよく読んだ李恢成あたりの小説では、傷口に薄皮が張って、それに触ると痛いし、触れるのもこわごわ、という状態をうまく描いていた。
本当には直っていないから、膿を出そうとして消毒した針でつつくと、プチッと薄皮が破れて、中から膿が出てくる。
でも、藤代の作品では、ちゃんとした皮膚が張って、ほかと変わらない。ところがうんと底の方では変わらず膿んでいる。表面を針でつついても、痛いだけで何も出てこない。根っこが深いから針でつついても届かない。ただの膿の袋が、「癰(よう)」にまで進化(?)してしまっている。(余談ながら、私の父は抗生物質も無い戦争中、鼻の奥に癰ができて死にかけ、難しい手術で九死に一生を得たことがあります。)
たぶん、そういう比喩で言えるような状況というのが、「在日」をめぐるいまの私たちの社会心理学的な病像なのだろうし、そういう状態がこの作品にうまく描けている。
ただ、これは「在日問題群小説」などではなく、どんなレッテルも要らないまっとうな小説なので、若い人も楽しんで読めると思います。
なにより会話が面白い。語り手は北海道から東京の大学へ進学して就職した新入社員の「僕」で、これが同期入社で友人になった「在日」の趙成佑(チョ・ソンウ)といまの若者言葉でやりとりする、その会話が傍で聞く読者にとって、ユーモラスで楽しめる。私はきょうの車中の往復で読んだのだけれど、電車の中で何度も噴出しそうになって困った。
二人の丁々発止の軽い言葉のキャッチボールを楽しんだり、傍から見ると滑稽な過剰だったり過少だったりするその振る舞いを見ているぶんには、明るい青春小説の趣だが、その軽みの向こうに、ソンウの「在日」が滓のように澱んでいて、これがラスト近くなると全面に浮かび上がってくる。
この作品のいいところは、在日の問題を、アプリオリな在日問題として「問題小説」を書くのではなく、どこにでもいそうな、それでいて結構鋭敏でしなやかな「僕」の目と心を通して、非常に微妙な形で描ききっているところだと思った。
もちろん、作者は解決など与えていないし、一篇の小説で解決の与えられるような「問題」として扱っていない。その困難さを困難さとして非常に繊細に、鮮やかに描き出している。
在日の問題が、はじめてまっとうに描かれるようになったんだな、と思ったのは李恢成という昔わりあいよく読んだ作家の作品に出会ったときで、在日に対して妙に気を遣って腰がひけてしまう日本人のおどおどした様子を、同じ団地に住む隣人である在日の視点からうまく描いているような作品を読んだ記憶がある。あれがあの頃の日本人と在日との出会いかた、触れ合いかたの水準だったんだろうな、と思う。
今回藤代の作品を読んで、この作品の中に、あれ以降の日本人と在日の関わりの水準、いま現在のかかわり方があるんだろうな、と思った。
傷口がむき出しになって、赤くただれて痛々しい、というようなのが、昔の「在日」小説。
若いころよく読んだ李恢成あたりの小説では、傷口に薄皮が張って、それに触ると痛いし、触れるのもこわごわ、という状態をうまく描いていた。
本当には直っていないから、膿を出そうとして消毒した針でつつくと、プチッと薄皮が破れて、中から膿が出てくる。
でも、藤代の作品では、ちゃんとした皮膚が張って、ほかと変わらない。ところがうんと底の方では変わらず膿んでいる。表面を針でつついても、痛いだけで何も出てこない。根っこが深いから針でつついても届かない。ただの膿の袋が、「癰(よう)」にまで進化(?)してしまっている。(余談ながら、私の父は抗生物質も無い戦争中、鼻の奥に癰ができて死にかけ、難しい手術で九死に一生を得たことがあります。)
たぶん、そういう比喩で言えるような状況というのが、「在日」をめぐるいまの私たちの社会心理学的な病像なのだろうし、そういう状態がこの作品にうまく描けている。
ただ、これは「在日問題群小説」などではなく、どんなレッテルも要らないまっとうな小説なので、若い人も楽しんで読めると思います。
saysei at 00:15│Comments(0)│TrackBack(0)│