2025年02月

2025年02月24日

雪の日の別れ/ 花魁瀬川の仇討の話

雪の日2
  きょうは6時半起床。10時からの告別式に行くためです。万事にスローモーになっているので、昔なら8時に起きてもいいところでしたが、すべてマイペースでゆっくり、ゆとりをもって行けるように、いつもより早く寝て、いつもより早く起きたのです。

  どっちみち歩行困難なのでタクシーを予約しておいたのですが、ちょうど家を出るころに雪が激しく降り始めました。昨夜から降っていたら車が走れなかったかもしれないところで、雪の降り始めるのが予報よりやや遅れたのが幸いして、葬儀場まで無事行くことができました。

  雪の中を駆けつけた参列者はほとんど親戚関係の人たちだったようで、それでもこじんまりした会場の一室にしつらえられた椅子にはほぼ目立った空きもなく、いっぱいになりました。正面の壇上中央に掲げられた故人の写真は、たぶんもう退職して、ご夫婦で悠々自適の毎日を過ごしておられたころの写真でしょう。トックリのセーターのくつろいだカジュアルな服装で、温厚で知的な眼差しで正面を見ている叔父のなつかしい表情でした。

 焼香も終わり、献花のときに棺の蓋があけられて故人を最後に垣間見る機会がありましたが、写真とはちがって、そこには頬が削げるように痩せて白蝋のように白い死者が横たわっているだけで、私は正視することができず、足元に花束を置いただけでそばを離れて見守っていました。

 葬儀社の係が、遺族に遺体に触れてお別れをと言い、夫人が横たわる故人の額に触れられるのを見ていましたが、すでに体温の感じられない冷たい額に触れて、かえってつらいだろうな、と痛々しい気持ちになりました。自分が故人であるなら、もう献花もいいから、棺の蓋は閉じたまま早々に車に乗せてほしいと思いました。

 ほぼ親戚の親しい人だけが集まった、親密で小ぢんまりした、それでいて立派な祭壇が設けられ、親戚等からの花が周囲に並んだ、故人を送るにふさわしいちゃんとしたお葬式で、自分の場合もこういうお葬式がいいなぁ、と思いました。

 もう社会的な関係も賀状おさめと共にほぼなくなっているし、親戚も私のほうの両親の関係はいろいろな経緯で、もうどこともおつきあいがないので、あとはパートナーと息子たちや孫、義弟夫婦と、あとはパートナーといまも親しいお友達で私も親しくしてもらった方たちや、私の友人でいまもやりとりのあるせいぜい一人、二人が知らせて都合がつくなら来てくれるかもしれない、と思うけれど、全部あわせてもきょうの参列者の3分の1くらいでしょう。
 パートナーがそれで寂しいと思うなら少し広げれば人数は増えるけれど、もうこちらが隠棲して、事実上おつきあいしていなかったような方たちを、昔つきあっていた故人のために集まってもらう必要はない、と思っているので、できれば基本的には家族で送ることだけ考えて、テレビのコマーシャルで言っているような「小さなお葬式」をしてもらえるといいな、と思います。

 戦後すぐに自裁したわたしの父方の叔父は、葬式など不要、集まるなら酒魚ありの楽しい宴を、といった意味の遺書を残して亡くなりましたが、私はそこまでは思わず、世間一般のような小ぢんまりした葬式で送り出してもらえばいいと思います。叔父の場合は、戦後の世の中で生きることを拒否する意志が明確でしたから、そんな遺言を残したのでしょうが、古いしきたりを大切にする農村だったこともあって、彼の遺言とはまるで正反対の、因習的なスタイルの葬式がとり行なわれたようです。

 そうそう、きょうもうひとつ思ったのは、叔父のリラックスした表情の写真がいいなあ、と思い、自分にはああいう表情を撮った写真があったかなぁ、と(笑)…ちょっと気になりました。故人になってから見栄も何もあったもんじゃないけれど、やっぱりあんまり変な写真は使ってほしくないなぁ、と。

 最近は自分の写真なんて撮ったこともないので、明日からちょっと古い写真を探してみて、10年、20年のサバを読むくらいは構やしないから(笑)、少しはましな写真を探して、A4サイズくらいの紙に印刷しておこうかな、と思っています。そういう具体的な「終活」のほうが、みょうに精神的な終活なんかより家族にとってはすぐ役立ってありがたいんじゃないかな(笑)。どうせ自分のけじめをつけるような「終活」なんて独りよがりな自己満足にすぎないので、いなくなればそんな自己満足も消えてしまうわけですから、あとに残る者にすぐ役立つ「終活」のほうがずっといいでしょう。ほかにそういうことはないでしょうかね・・

 ああ、そう言えば、前からパートナーは、自分たちが物を持たず、残さないことが、息子たちに迷惑をかけずに済むから、できるだけそういうものを減らすことだ、と言っていました。これは私はダメですね。一番ダメなのは本でしょうね。いくら「終活」と称して処分してきても、一冊一冊マーケットプレイスなんかで販売しているようでは追っつかない。どうせいなくなれば古書店を読んで一挙にタダ同然の値で持って行かせることになってしまうのでしょうが、自分が生きている間は、どうしても私の場合は本だけは執着が断ち切れないのですね。それを一冊一冊断ち切るのにかなりエネルギーを費やすので、とてもじゃないけれど、若い時のように、何百冊も一挙にエイヤッと処分してしまうということができないのですね。まあこれだけは私のわがままとして勘弁してもらうしかないでしょう。そのかわりいなくなったら、一挙に処分しようがどうしようが、もちろん構わない。稀覯本があるわけじゃないし(笑)。あとは私の持っているものなんて、ほとんど無いに等しいから問題にもならないでしょう。

 でも、こうして考えてみると、ひとひとり死ぬということは、なかなか大変なことですね。自然にさりげなくスッと消えて、誰も気づかないほどでした、というような理想的な死に方というのは、現代ではむしろ非常に難しくなっているんだな、と思います。

 葬儀の会場を出たときも雪が激しく降っていて、スマホのアプリでタクシーを呼んだけれど、なかなか来なくて少し寒い思いをしましたが、まあ無事に帰りつくことができました。いろいろ自分に引き寄せて考えさせられるところの多かったお葬式でした。

雪の日


きょうの夕餉

★おでん
 おでん きょうは買い物にも行けないし、残り物がたくさんあるので、のこりもので、ということですね。お昼はお餅でした。帰りのタクシーを降りるとなんだか車酔いしたようで、気分が悪くてしばらく休んでいました。昼食を食べて2階へ行って、例のように二つの椅子の間で寝そべった姿勢をとるうちに寝入ってしまいました。なれない形での外出で疲れたか、車の振動で疲れたか、少し頭痛もして、体調がよろしくないようです。パートナーも耳鳴りがするので、気圧の変化のせいかもしれないとのこと。
★キスの丸干し
 キスの丸干し

★手羽先のから揚げ甘辛ソース
 手羽先のから揚げの甘辛ソース

★小松菜のおひたし
 小松菜のおひたし

★大根場、わさび菜の葉のジャコキンピラ
 大根葉、わさび菜の葉のジャコキンピラ

★すぐき
 すぐき

(以上です)

「契情買虎の巻」

 NHK大河ドラマで準主役級に躍り出てきた五代目瀬川が鳥山検校に1500両だっけ、何でも今の1億5千万円(1両=10万として)くらいで身請けされたとかって話を聞いて、少し興味が出て来て、その瀬川のことを洒落本に書いた田螺金魚(たにしきんぎょ)の『契情買虎之巻』(けいせい かいとら の まき)ってのを読んでみたいと思ったのですが、京都大学の貴重資料デジタルアーカイブで公開はされていたけれど、これは流麗な崩したつづけ字で書かれた原本の写真版で、無教養な私にはとうてい判読不能。でもどうやら洒落本を集めた全集の一巻に収録されていたようで、古書に安価なのが見つかったので発注したところです。これは活字本のはずだから何とか読めるでしょう。

 そのかわりにと言っても全然内容は違うのですが、瀬川の仇討という、まあ瀬川が有名になってから創作されたフィクションなのでしょうが、お話があって、それを直木三十五が「傾城買虎之巻」という作品に仕立てたのが、「青空文庫」に公開されていたので、そちらを読みました。
   それによると、瀬川は、もと大森右膳というなら出身の、京都で富小路家に侍奉公していて女中と不義密通をして邸を追い出され、やむなく故郷奈良へ帰って、大森通仙と名乗る怪しげな医師になっていたそうですが、その時生まれた子がのちの瀬川である「たか」。母親に似ていい女だったたかが成長すると男たちの目を惹き、奈良町奉行の与力玉井某の若党源八というのがつきまとうのを、通仙が厳しく拒絶したのを逆恨みして、夜中に神鹿の死骸を通仙の門口へ置きます。当時、奈良のことゆえ神鹿を殺せば人殺しより重い罪になったとかで、下手人の分からないまま、死骸が門口にあったというので通仙は処払いになり、京都、さらに大阪へ行きますが、そこで奈良ほど商売もうまくいかなかった。
 しかし、通仙の知り合いの中に世間にも知られた貞柳がいて、彼が大阪上代内藤豊前守の家中で百五十石勘定方の小野田久之進にたかを薦めて嫁がせます。主君内藤がお役御免になって領地越後へ帰ることになり、久之進も同行することになったのですが、後片付けもあって一旦深川の上屋敷に戻り、藩金150両を携えて、一人で大阪へ上ります。東海道で盗賊が出ると言われた薩陀峠(さつたとうげ)を彼は不覚にも一人で深夜に通ることとなり、案の定盗賊に襲われて切り殺され、藩金も大小の差し料も印判もすべて奪われてしまいます。久之進の急死でたか母子は逐われ、出入りの商人若松屋金七が引き取りますが、たかの金になりそうな美貌を見て、金七の弟で義太夫語りが、吉原一、二の大店松葉屋を世話すると言って、結局たかは松葉屋の遊女になります。男の集まる場所だから、いつか夫の敵に出遭えるかも、と考えて、箪笥に匕首を忍ばせて客の相手をするようになるのです。
 そしてある日、松葉屋へ、なじみ客で、四五日逗留するという客が三人やってきます。そこで押された割符をみて、それが夫の印形だとたかにはすぐに分かりました。また、大小を預かると、それはまさしく細部まで、毎日それを手渡して送り出した夫の差し料だということも判明し、その男が夫の仇だとわかり、隠していた匕首でたかは男を刺します。その男はまた、父親の家の門口に神鹿の死体を置いた源八だったことも明らかになり、彼女は親の仇も討ったことになりました。源八は奉行所にとっても年来の大科人(おおとがにん)だったため、瀬川の行為はむしろ褒められ、源八が持っていた金子も奉行所が召し上げた上、彼女につかわされます。瀬川はその金で母を養うことを金七に頼み、幡随院(ばんずいいん)の弟子となって名を自貞(じてい)と改め、再法庵に住んだそうです。そこで彼女が庵の壁に書き残した歌に;

   池水に夜な夜な映る月影の 水は濁れど影の汚れぬ

 瀬川がこの歌を詠んだという話は、よくできた話ですね(笑)。ここには検校の身請けの話は出てきませんが・・・まあ超有名な花魁になって、いろんな話が作られたようですから、そのひとつなのでしょう。直木三十五がもとにしたのは、「翁草」の通信文だそうです。









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2025年02月23日

おでん

★おでん
  きょうも京都市の気温はスマホのお天気によれば,マイナス1℃~6℃で、夕食後の現在(8時半)は1℃だそうです。で、きょうの夕餉はおでん。寒い時はやっぱり温まってありがたい。

★ぶりカマの塩焼き
   もう一品はブリカマの塩焼き。あぶらがのっていて、とても美味しかった。いま全然とれなくなった魚も多い中、鰤は逆によく獲れているそうですね。どちらかというと好きな魚なのでありがたい。でも全体に魚屋さんの店頭に並ぶ魚の種類が少なくなって、いつ行っても同じにみえてしまうのは寂しい。これも地球温暖化の作用なのでしょうね。

おろしとネギ
 ネギはおでん用、おろしはブリカマ用

ほうれん草のおひたし
 ほうれん草のおひたし

(以上です)

  きょうはヒポクラテスを少しまた読み進んだあと、うちに長くほうってあったDVDで「麦の穂をゆらす麦」という、ケン・ローチ監督の映画を見ました。2006年、カンヌ映画祭のパルムドール受賞作品です。
  1920年のアイルランド。イギリス軍に占領支配され、強圧的な統治の中で、不服錠を貫く若者たちが次々にちょっとしたことで殺されるような状況の中、兄や友人たちにとどまるよう要請されるのを振り切って、医師になるためにロンドンへ行こうとして駅まで来て、いままさに列車に乗ろうとしていたデミアン(キリアン・マーフィー)は、プラットホームで駅員、乗務員たちが、兵士や武器を乗せない規則だ、と抵抗して激しい暴力を受けるところに遭遇し、列車に乗ることができずに引き換えします。

 そこから、彼は共和国軍に入って、仲間たちと共にイギリス軍の圧政に抵抗するゲリラ活動に参加します。一度は仲間らと山中の野営地に寝ているところを襲われてつかまり、翌日は処刑という危機に陥るけれど、イギリス兵の中に同胞だと言って逃がしてくれる者がいて脱出し、抵抗運動を続けます。

 ところが共和国軍の指導部(シン・フェイン党)は英国政府と妥協的な条約を結び、共和国軍兵士たちに戦闘の中止を指示します。その条約たるや、アイルランドからの英国軍の撤退と引き換えに、アイルランドをイギリス国王に忠誠を誓う大英帝国の一部とするものでした。

 そこで共和国軍は、この条約を、戦争の終焉と、これ以上の死者の増加を阻止できるものとして支持する者たちと、イギリス支配からの完全な独立、自由を求める者たちとに内部分裂することになります。デミアンは後者、兄のテディは前者でした。映画では悲劇的要素を強調するためか、兄弟それぞれの視点に立って、両方にそれぞれ選択の根拠があり、思いがあるように「公平な」扱いで描かれていますが、普通に考えればそんな条約は支配する側のたぶらかしで、たんにあからさまな武力による流血の支配から、いくらかソフトな支配へ切り替えただけで、むしろそのことによって共和国軍の内部分裂を誘ってアイルランド人の結束、抵抗を弱体化させる意図は明らかですね。私もアイルランド人の立ち場から、兄は残念ながら敵の分裂工作の罠に落ちた裏切り者、抵抗を続ける弟のほうがまっとうなアイルランドの抵抗者だと思いますが、映画は兄弟の悲劇に焦点をあてているので、そうは描いていません。

 デミアンらが英国軍に通じるスパイとして捕らえたのは、彼が幼いころから知る、まだ少年のような兵士でしたが、デミアンは苦しみながら彼を射殺・処刑します。そして今度は彼自身が兄たちの条約支持派の共和国軍に捕縛されることになります。兄テディは、デミアンに隠匿した武器のありかを告白して、自分たちと共に戦えと説得しますが、デミアンは応じることなく、翌朝銃殺されます。

 大英帝国の強大な軍事的支配下でのアイルランドの悲劇を、兄弟に象徴される幼いころからの家族・友人・知人らと引き裂かれる人々の苦悩と闘争の姿を通して描く力作です。

 こうした作品ですから、全体にカラっと明るい調子のない、暗い映画で、そのとどめが、最後に主人公が兄ら、もとの同胞の手で殺されるラストシーンということになるでしょう。実在の人物を描いたわけではないけれど、ほぼこのようなことが実際にあったと考えてよいシチュエーションを描いているので、そうなるのはやむを得ないところがありますが、やっぱり見終わって、なんとも気の晴れない、重苦しい気分のままといった「余韻」ただよう作品です。

 まだはじめのほうの場面で、突然イギリス兵士たちが銃をもってやってきて、そこにいた若者たちやその家族らに、とにかく集まること自体が禁止だということで、壁の前に立たせ、武器を隠していないかを点検するためではあるでしょうが、上着だけでなくズボンも脱げ、と強制的に脱がせるシーンがあります。そこでまだ十代の若者の一人が、頑としてズボンを脱ごうとしないと、命令していた軍曹かなにかイギリス軍兵士が彼を殴るので、若者が殴り返します。すると周囲にいた数人の兵士たちが若者を家の中へ無理やり連れ込んでいき、しばらくすると出て来て「終わりました」と報告して、兵士たちは帰っていきます。

 若者の姉や友人たちが部屋の中へ飛び込んでいくと、若者は椅子に太い縄で縛りつけられ、おそらくは銃把で激しく殴打されて血まみれの頭をうなだれたまま死んでいます。たったそれだけのささやかな不服従でも簡単に殺してしまうことが日常化しているイギリス軍の振る舞いを象徴するようなできごとでした。

 軍事的支配というのは、いつもこういうものなのでしょう。身近な家族や友人をこうして目の前で虐殺されるのを、銃口の前でなすすべもなく見せつけられる若者たちが、抵抗のための銃を手にしないとすれば、そのほうが不思議でしょう。

 しかし、そうやって立ち上がって、めでたく鬼畜のようなイギリス軍兵士たちを撤退に追い込めればいいのですが、大英帝国の軍隊は圧倒的な兵力を擁して、アイルランド共和国軍のかれらがもつたかだか3000丁の銃(しかないと彼らが映画の中で言う)で太刀打ちできるわけもありません。共和国軍といっても、ほとんど軍事訓練さえ受けたことがなく、戦闘場面でみずからの身を隠す術さえ知らない若者たちがほとんどなのです。見ていてはがゆいったらありません(笑)

 まあ米軍と戦った日本軍だって、このアイルランド共和国軍とたいして変わりはなかったでしょう。

 日本の軍国主義がアジア諸国でやってきたとされる蛮行を知らないわけではないし、それが無かったとか実際にはそれによるアジア民衆の死傷者がそれほど多くなかったなんて言うつもりはまったくないけれど、戦争となればその種のとても人間のすることとは思えない蛮行を行なってきたのは旧日本軍に限らず、この映画で描かれた、アイルランド人に対するイギリス軍も、アルジェリア人に対するフランス軍も、日常生活を送る庶民をまるごと原爆で焼き殺した米軍も、例外ではありません。イデオロギーが正しかったとか不正義だったなんてことは、戦争指導者たちをはじめとする一部の頭でっかちな連中のたわごとにすぎす、圧倒的多数の庶民にとっては、人の死、殺人という事実の前では何の意味も持たないでしょう。戦争それ自体が悪だと人々が考えるようにならない限り、「正義」の名のもとに戦争がなくなることはないでしょう。もちろんデミアンが選ばざるを得ない、自衛と抵抗のための闘いを否定するわけではなく、黙って殺されているわけにはいかないでしょうが、紛争解決の手段としての国家による戦争は日本国憲法が禁じていることだけはお忘れなく(笑)  

 この映画を見ると、だけど、正直のところ、イギリスがほとほと嫌いになりますね(笑)。アングロサクソン嫌いになりそうです。ゴルゴ13がイギリス情報部の拷問を受けるときだったか、サディストの血が流れているおまえたちらしいやり方だな、と余裕で評する場面があったのを思い出してしまいます。
 あるいはもう少し上等な例を出すと(笑)会田雄次の『アーロン収容所』を読んだときのことを。あのイギリス軍の収容所で働かされる日本人捕虜たち(会田もその一人だった)は、イギリス女性がはいっているかもしれないトイレのドアをノックしちゃいけないのですね。ノックするのは人間だけだから、彼らにとって「人間以下」である日本人がそんなことしちゃいけないのです。そんなことしたら、日本人がまるで人間みたいになってしまって、トイレで用を足している自分たちの姿がその目に入ったりしたら羞恥心で死ななくてはならなくなるでしょう。でも「人間以下」である日本人なら、たとえ自分たちが用を足しているときにドアをあけられても、牛や豚に見られたと同じで、彼女らは平気なんですね。あれを読んだときはショックでしたね(笑)いや、なみの拷問される話などより、ずっとショックでした。支配―被支配の関係というのは、そういう究極の差別というのか、人間を完全に単なる物体にしてしまうんだな、ということでしょうかね。

 いや楽しんで見るべき映画の話がとんでもないところへ行ってしまいました。わたしはだんだん外国人嫌いになってきているかもしれませんね(笑)。毎日のようにテレビで、トランプの顔とか見ていると、自然そうなってしまいます。支援がほしけりゃ、埋まっている鉱物資源をみなよこせ?さもないとイーロン・マスクのスターリンクが使えなくしてやるぞ?3年前に「無用の」戦争をはじめたのはゼレンスキーのウクライナで、それで米国を巻き込んで3500億ドルの金を使わせた?ゼレンスキーの国民支持率は4%だ?・・・これは普通に聴けば完全に強度の認知症の症状としか思えませんよね。アメリカ国民はこんなのを聞いて平然と野球など見てOtani さん!なんて言ってるのかね(笑)トランプだけじゃなくてアメリカ人全体が信じがたい痴呆状態に陥っているとしか思えないのだけれど、わたしの方が老人ボケなのかな?(笑)

saysei at 21:55|PermalinkComments(0)

2025年02月22日

鯖の味噌煮

★サバの味噌煮
 きょうのメインはサバの味噌煮。学生時代に通った定食屋の定番メニューで、いやというほど食べたから、その後あまり食べたいと思ったことはなかったけれど、パートナーはサバが意外と好きなようです。私があまり好まないことを知っていて、魚をメインにするときも、彼女はサバの塩焼きなのに、私は鮭とかほかの魚だったりします。でもきょうはイキのいいサバで脂がのって美味しいよ、ということで、私もパサパサの塩焼きのサバよりはサバ味噌ならば、というわけで、このメニューになりました。なるほど脂がよくのっていて、端のほうの柔らかい部分などは実に美味しかった。でもまあ、たまに、でいいです(笑)

★カブラ蒸し崩れ
 これは「カブラ蒸し崩れ」(笑)  カブラ蒸しをつくろうとしたらしいのですが、肝心のカブラが少ししか残っていなかったので、こういうものになった由。先日上賀茂で小カブラが出ていたのですが、一度両替した百円玉もなくなってしまったので買い損ねたのです。わが家はカブラの消費量が多い。

★白菜と豚肉の中華風炒め
 白菜と豚肉の中華風炒め  白菜がなかなか美味しくて、スープなどは全然使っていないというのに、いい味がでていました

★わさび菜のわさび和え
 わさび菜のわさび和え このわさび菜はちょっと茹で加減が難しかったとみえて固かった でも海苔を添えたのは美味しかった

★もずく
 モズクきゅうり酢

その他
 その他、スグキ、キムチ、煮豆など

(以上です)

 野鳥に鳥インフルエンザ保菌の脅威ありということで、アーちゃんの餌を置くのをやめて、わが家の狭い庭にウグイスやメジロやジョウビダキなどが舞い降りてくる気配はすっかり失せてしまいました。もう雀さんたちも集まってはきません。そうなると寂しいものです(笑) 以前のブログを見ていて、名前のわからない小鳥の写真が有ったので、調べてみたら、もずでした。昔の人なら見ただけですぐわかったでしょうが、私などはほとんど全くと言っていいほど、ありふれた野鳥の名も知りません。やっとメジロ、ウグイス、ジョウビタキ♂♀、シジュウガラくらいが分かるようになったばかりでしたが、もうそんなにめったには来ない野鳥の小鳥を見つけたり、その名を覚えたりする機会もなさそうで、残念です。共同庭の枝々の間をさっと飛び渡ってじきいなくなるような小鳥は、とてもじゃないけれど私には識別できそうもありません。

 そういえば昨日でしたか、朝のうちに、ウグイスが鳴いていたよ、とパートナー。まだ鳴き方がすごく下手で、全然ホーホケキョになってなかった、とのこと。たしかに鳴き始めのころはウグイスもあまり声がよくないし、歌も下手ですね。でもウグイスが鳴くようになれば、じきに梅の花も咲くでしょう。今週は北極の分離した寒気の源である「極渦」の一つが下がってきていて、まだ寒い日が続くようですが・・・

 

















saysei at 20:46|PermalinkComments(0)

2025年02月21日

"瑯琊榜"佳境に入る

 今日も寒かったので一日おこもりして、ひとつふたつまたマーケットプレイスに出品したり、先日亡くなった野中郁次郎さんらの『失敗の本質』を読んだり、気ままにしていました。

 夕方からは例によって早めに風呂に入り、あったかくしてソファでスタンバイ。BS11で平日放映している華流ドラマ”瑯琊榜”の、昨日と今日の二回分を堪能しました。
 昨日分は、このままでは失地挽回は無理と悟った誉王が縣鏡司夏江の入れ智慧で謀叛を起こし、王が靖王らを伴って狩猟を催したところを5万の兵で襲いかかります。靖王が近くの城へ援軍を求めに脱出するかたわら、援軍到着までの3日間、3000の兵士で5万の敵と戦って砦を死守しなければならない、という死闘の場面で、さすが中国のドラマづくりはこういう戦闘シーンには途方もない経費をかけているようで、様々な武器なども重量感のあるホンモノかと思うようなものを使って、すさまじい戦闘シーンが繰り広げられました。日本のドラマはいまや薄っぺらいCG映像を使うばかりで、こういう迫力は望んでもぜったいに見ることができません。

 きょうの分には、奇怪な「獣」とみなされてきたものが捕らえられ、それが実は毛むくじゃらの人間だったというので、興味をもった梅長蘇が行ってみると旧知の人物で、これを助けて風呂に入らせ、薬剤を与えて寝台に寝かせて語り掛けると、彼が死んだとされてきた赤焔軍の将軍の一人で、懸鏡司の夏冬の夫だった聶鋒であることが判明。腕には赤焔軍の将軍である印の腕輪がはまっています。

 きょうのサブタイトルが「再会」だったので、蘇哲(梅長蘇)が実は林殊であることを靖王に明かすことで、旧友再会、という意味かと思っていたら、もうひとつ新たなエピソードを絡ませたのですね。これが赤焔軍にも夏冬にもつながり、おそらくは生き証人としてのちの赤焔軍の名誉回復にも通じるエピソードでしょうから、獣として追っかけまわしていたのが実は人だったなんて話も、そんなぁ、とバカバカしくは感じさせないところがいまの華流ドラマのすごさですね。

 二回分つづけてみると、ほんとうに濃厚な抜群に面白い映画を一本みたような充実感があって、ほんに楽しめました。展開がものすごくスピーディーで飽きさせることがなく、それでいて飛流が自分の苦手な医師を呼ぶ伝書を届けさせたくないために鳩を捕まえて食おうとする(?笑)のを梅長蘇のボディガードにとめられるシーンのように笑えて、ちょっと緩い休憩時間みたいなところも巧みに設けてあって、緩急自在、非常にそのへんが巧みな脚本、演出になっていて感心させられます。

 あとたぶん数回かと思いますが、ほんとに楽しみです。

今日の夕餉

★鶏肉の香草パン粉焼き
 鶏肉の香草パン粉焼き、 キノコとほうれん草のクリームパスタ

★カボチャスープ
 かぼちゃのスープ

★ボイルド野菜
 ボイルド野菜

★サラダ
 サラダ
(以上です)

saysei at 22:07|PermalinkComments(0)

訃報

 今朝、長らく会っていなかった叔母から電話があり、叔父がなくなった、と知らせてもらいました。正確に言えばパートナーの叔父で、義母の兄弟の中では一番若く、パートナーが中学か高校のころのことでしょうが、彼は京都の大学生で、家庭教師をしてもらったこともあると言っていました。

 卒業して文科省に入り、文化庁からパリに派遣されていた時期もあり、ちょうどそのころ結婚した私たちが訪ねて行ってパリの「豚の足」というレストランでご馳走になったことも懐かしい思い出です。パートナーを可愛がってくれていたこともあり、私が彼と同じ大学を出ていたり、接点はなかったけれど私が文化庁から委託された仕事をしたりしていたこともあってか、なんとなく親近感を覚えていてくれたような気がします。
 もちろん私も義母の兄弟の中では一番歳も近く(叔母はたしか私と同じ年齢だったし)、若し近くいればいっぱい語り合えるようなことがあったはずの、頼りになる叔父として親近感を覚えていました。

 若い頃からとても温厚な人柄で、私が毛嫌いするような霞が関のお役人風の上昇志向などまったく感じさせない謙虚な人柄でした。役所を辞めてからは地方の大学に勤務していたと思いますが、お子さんがなかったので、仲の良いご夫婦として穏やかな日々を過ごしておられたことと思います。

 近所に住んでいる家族は例外として、親戚といってもほとんど会う機会も稀だったので、叔父とも、数年前に義母の葬式の日に会ったのが最後になりました。

 あの時は、私は間質性肺炎の悪化で最初の入院をしている最中で、幸いステロイドの大量療法で、胸一面の白いもやもやの影が消えて、もうそろそろ退院かと思えるころだったので、義母急死の報に接して、一日だけ外出許可をもらい、なんとか葬儀場にタクシーでかけつけたのでした。

 そこに長く会っていなかった義母の親戚がたくさん集まっていて、葬儀のあとの足洗いというのでしょうか、会食をし、私は少し早めに失礼して門限のある病院へ戻ったのですが、別れ際に彼がテーブルの向こうからさっと手を伸ばして、私に握手を求めてくれて、お互いに何も言わずに硬く握手を交わして別れたのです。

 あの時点ですでに彼はきょうの死につながる病の種を宿していて、そのことを自覚していたようで、パートナーには会話の中で、ぼくもちょっと病を抱えていて、というようなことを話していたそうです。握手をしながら、私は私で、自分の余命がそう長くないと思っていたので、これが最後になるだろうな、と思っていたのですが、彼の方も実はそう思っていたのでしょう。
 パートナーもそのときのことをよく覚えていて、二人の気持ちも良く分かっていたようです。

 わたしの方は、もう絶対的に私のほうが先に逝くはずのものと思っていたので、まさか私が生きていて彼の訃報に接するなんて思いもしませんでした。
 だから叔母の電話を受けてもすぐにピンとこなかったのですが、パートナーのほうは叔母からの電話と聴いた瞬間にいやな予感がした、と言っていました。たしかにいまや親戚のだれそれから突然電話がかかるとなれば、あまりいい話ではないかもしれません。彼女の予感はあたってしまったようです。

 私の友人が、ここ二、三年周囲で親しかった友人、知人がバタバタと亡くなっていく、と嘆いていたことがあります。このまま会わないでいると、いつか身の回りを見渡せば、誰もいなくなっていた、なんてことになるんじゃないか、と。
 少し長生きすると、こんなふうに思わぬ人の死に何度か直面することになります。いずれ遠からず自分も逝くことは確実なのだけれど、まだ自分が生きていて、自分のほうが先に逝くに違いないと思っていたような人が先に逝ってしまう報に接すると、なにか神様がわざとこちらの思い決めをはぐらかして、悪い悪戯をしているかのようで、ほんとうに人の生死だけは分からないものだとつくづく思い知らされます。

 叔父のご冥福を祈りたいと思います。



saysei at 20:59|PermalinkComments(0)
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