2024年12月

2024年12月31日

鴨鍋

鴨鍋
  大晦日の夕餉は、長男も一緒に鴨鍋

鴨肉のかたまり
 鴨鍋に使った鴨肉の塊 きょうのはとても大きかった!

準備の出来た鴨肉
 準備のできた鴨肉

野菜とおろしとネギ
 野菜と辛味大根、ネギ みんな上賀茂の自動販売機でゲットした野菜で、ネギはすごく大きい良く成長したネギで、とても美味しかった。辛味大根はあとで鍋に入れて食べた蕎麦に、とてもよく合いました。

北海道しおか
 たらこと一緒に送ってくれた北海道直送の塩辛 ちょっと柚子を加えました

鶏のからあげ残り
 鶏のから揚げ(のこりもの)

お持ち帰り用重箱
 長男お持ち帰り用のおせちセットと稲荷寿司

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 いまパートナーが詰めているわが家用のおせちのための重箱。きょう夕方、年越しの蕎麦(次男宅は海老天)セットを持って行ったとき、孫とママがいて、元気そうな孫の顔を久しぶりに見ることができました。明日は朝少しゆっくり目に次男一家も来てお正月を祝い、夜は長男も加わって、ほんとうに久しぶりの一家そろっての会食ができそうです。

 コロナが流行り出してから、もう6年くらいたつでしょうか、その間一切の外食を控え、会食も基本的に控えてきましたが、こうして長男や次男一家がそばにいて会えることはほんとうに何より幸せなことです。多くの年老いた親御さんたちにとって、成人した子供たちや孫がいても、多くは遠く離れて暮らしていたりして、なかなか会えないのが実情だろうと思います。私たちは本当にラッキーでした。」   

 もちろんそれぞれ仕事もあり、本来は離れた土地をベースにしていたりするのですが、運よくこの京都ですぐ近くにいて、会おうと思えばいつでも会うことが許容されるような環境にあり、私の病のこともあって、実際に頻繁に顔を見せてくれるような気遣いもあって、パートナーも含めて心身の衰えを自ら実感せざるをえない昨今、安心でき、心強い限りで、ほんとうにありがたいと思っています。

 おかげで今年もなんとか無事に年が越せそうです。2回目の入院のときは、こんどは病院を出てこれるかな、と思い、一回目の入院のときのステロイド量を投与して効果がないとわかったときは、さすがにとうとうくるべきときが来たかな、と観念するところがありましたが、2倍の限界量まで増量投与して、なんとか急な炎症を抑えることができたときはホッとしました。あれからもう2年になるんですかね。もし来年夏までいきられたらわたしも八十歳になります。まさかそこまで生きられるとは、正直のところ自分でも思っていませんでした。

 たしかに咳の頻度が高くなり、良くない予兆を数えだせばきりがないほどだけれど、ともかくきょう一日無事にすごせたことを感謝し、明日もきょうのように無事でいられますように、と「もう一日」の幸せを祈って、それ以上なにも願うこともなく、これらの日々を心から楽しみ味わって暮らしています。

 わたしの日々行き当たりばったりのごった煮のようなブログを読んでくださる皆さま、どうかよいお年を!そして来る年がみなさまに幸せを運んできてくれますように!


















  

saysei at 21:44|PermalinkComments(0)

日本郵便の居直り、言いがかり

 最近は議会で不信任案を可決されたどこやらの知事たちに見られるように、パワハラをやろうと何をやろうと、居直れば勝ち、という風潮が、ポピュリズム派のSNSの煽りにコロッとイカレてしまう有権者たちのおかげで益々盛んになっているようですが、ヤマト運輸による日本郵便への小口荷物の配達委託契約の破棄についても、運送業者として致命的な配達の遅れを引き起こした責任に頬かむりして居直った日本郵便が、契約破棄はけしからん、などと居直って、告訴するとか、居丈高な態度に出ているようです。

 かねて通販のフリマなどで小口の荷物を送って来た経験からも、友人・知人宛ての郵便物送付の経験からも、ヤマトなどの以前からの運送業者と日本郵便とを比較すると、同等の荷物を送った場合、明らかに日本郵便は遅配といっていいほど届けるスピードが遅く、こちらが荷物を発注して受け取る側に立つ場合も、とうに発送して到着しているはず、と余裕をもっていつまでに届く、と指定された日に届かないほど配達がひどく遅い点で群を抜いていました。

 公平のために記しておけば、同じ重量とサイズのフレームのしばしば送る小さな荷物では、郵便料金の改定以前で比べると、送料はわずかに日本郵便が安かったと思います。しかし、運送業者に対するわれわれユーザー・消費者側の評価にとって決定的な配送に要する時間において、そんなわずかな料金の差など問題にもならないほど日本郵便の配送状況は他の業者と比較して明らかに劣っていました。

 今回のヤマトの荷物の配送を受託した契約の件でも、配送がはっきりと遅れていることは日本郵便自身でさえも否定できないようで、ヤマトに対する「契約違反」の言いがかりは、もっぱら配達が遅れることも当初の契約の際にことわっていたはずだ、というようなことでしかありません。

 法律的な解釈は裁判所が判断するでしょうが、消費者から見れば、こういう日本郵便の言い草は、運送業者としてはまったくふざけきった、居直りであり、言いがかりでしかありません。日本郵便幹部らの視野には、利用者である消費者がまったく視野に入っていないようです。
 本来なら、自分たちの怠惰でいいかげんな仕事の仕方(少なくともそれまでのヤマト運輸の仕事の仕方と比較して)によって、委託された配達が遅れていることを、消費者の前で恥じて、謝罪し、契約における自社への利益配分比率を下げることを自主的に申し出るのが当然と言っていい状況でしょう。

 それを消費者ユーザー優先の姿勢から、遅配というサービス低下を問題にして契約破棄したヤマト運輸に対して、まったく逆切れして騒いでいる日本郵便など、さっさと市場から撤退させなくてはならないと思います。

 さきごろの郵便代いっせい値上げで、はがき一枚送るのに63円だったのが85円になり、84円だった定形封書が110円になったようです。これを機に、賀状じまいをした人が急増したことでしょう。
 もちろん自社の利益にだけは貪欲な日本郵便は、最初から手間ひまかかり、利益の薄い賀状業務をやめたいと考えて、抵抗を少なくするためでしょうか、むしろ賀状じまいを促すタイミングで大幅値上げの策を講じたのでしょうが、これも消費者のことなどこれっぽっちも念頭になく、消費者の意見を諮ることもなく、自社利益ファーストで決めたのでしょう。

 日本郵便の仕事ぶりは、以前から最悪の意味での「お役所仕事」の性格を色濃く引きずっていて、消費者よりも自社社員(郵便局員)優先、会社の都合優先で、営業時間が短く、休日は長く、多く、仕事は遅く、ヤマトなど他の配送業者では当然の再配達もせずに、事務所でふんぞりかえって、ほしけりゃ自分で取りに来い、という局員ファースト、局の利益ファーストという、消費者あとまわしの姿勢で一貫していました。

 それが近年露骨になってきていて、郵便物がとどくのが異常に遅いというのがフリマなどを利用している人たちの共通の認識だったようだし、私自身のささやかな経験でも間違いのないところです。出品(荷物を発送する)側としても、週末が近づいての注文があると、もう郵便局は3~4日間くらいは実質的に仕事をしないから、ヤマトなどの宅配業者を使うしかないな、と考えるのが当たり前になっていました。

 民間の業者では、納期に遅れる、ということは社の信用にかかわる大変なことで、通信販売の業者やフリマの出品者にとって、それは「いついつまでには商品がお手元に届きます」という通知に違反することに相当します。それを違えることは、いわば契約違反に該当します。
 もちろん現実には、天候や運送の込み具合、交通事情など予期せぬことがある程度の確率で起きることから、杓子定規な契約書を交わすわけではないし、一日、二日遅れても、ほとんどの商品については大きな問題は生じないことから、たんに販売業者の信用評価の五つ星「非常に良い」が三つ星の「普通」になる程度ではあるけれども、そういう遅配を頻繁に起こすような運送業者が次第に市場から排除されるのは当然のことでしょう。
 そもそも日本郵便にはそういう一般の企業のもつ、納期は遵守しなくてはならない、という観念自体がまったく欠如しているのではないかと思えるふしがあります。

 たしかに民営化以前の郵便事業は文字通りお役所仕事だから、少々遅れようが仕事が片付かなかろうが、一日の「営業時刻」が過ぎれば何のためらいもなく窓口を閉ざし、客を締め出し、シャッターを下ろし、たまった郵便物はほうっておいて、翌日回しあるいは休日明けまわし、ということで、だれからも咎められることもなく、シャアシャアとしていられたわけです。いまの日本郵便はその郵便局の「自分たちファースト」の姿勢を正統に受け継いでいるようで、最悪の意味での「お役所仕事」の性格はそのままひきずってきたようです。

 こういう日本郵便を市場から追い払うためには、わたしたち消費者が日ごろ感じていることをもう少し明確に表現し、もう少し行動にあらわしていく必要があるように思います。「居直れば勝ち」の風潮には少しでも抗っていかないと、日常的な生活のあちこちで不具合が多発し、ふつうの市民にとってどんどん不便で不愉快な環境になっていくような気がします。

saysei at 16:53|PermalinkComments(0)

2024年12月30日

おせち料理スタート

 きょうから二日間は、パートナー大忙し。いよいよおせち料理のスタートです。あまり早く作っても冷蔵庫がいっぱいになるだけで、ひもちももたないし、ときっかり2日前から始めるのだそうです。ただし一日中炊いていなくてはならないらしい黒豆だけは昨日炊いていました。とてもふくよかでつるんとして艶やかな黒豆ができていました。まあ私にとっては料理は魔法のようなものですから、出来上がりを見てアッと驚いて、ありがたくいただくだけですが・・・

 なにもしないのも何だと思って、なにかすることない?と訊くと、とくにない、というので、こういうときは私は全然役に立たないようです。二、三日掃除をしてなかったので、午前中に家の中の掃除をしました。いつもは雑巾がけは無理のないように、パートナーがやってくれるか、私がやるならつづけてやらずに翌日にまわすのですが、きょうはパートナーが忙しいのと、ちょうど買い物に行っている間だったので、とくに拭き掃除というほどの要もない2階以外は、私が掃除機をかけたのに続いてやってしまいました。

 ところがやっぱり最近そこまでやってなかったせいか、ひどく疲れてしまって、ソファで休んでいると胃が膨満して、非常に気分が悪くなって、そのうち吐き気がして洗面所へ駈け込んで嘔吐しました。悪いものを食べたわけでもないし、ほとんど吐くものはなかったのですが、全身の力が抜けてしまったみたいにフラフラで起きていられず、居間のホットカーペットに小一時間ほど寝転がって休みました。

 胃が悪いのは明らかに今服用している十種類ばかりの薬剤の副作用で、主としてオフェブ(抗繊維化剤)や抗菌剤あるいはステロイドのようなきつい薬剤のせいであることは、それらをちょっと中断(ステロイドだけは中断できないのですが)しさえすれば治ってしまうし、こういうことは決して起きないので証明されているのですが、飲まないわけにもいかないので、ぎりぎりまで服用して、あまり副作用の影響がきついようなら、ステロイド以外は独断で中断して、また直れば服用する、といったことの繰り返しです。きょうのように嘔吐するところまでいくのは珍しいけれど、少し疲れていたせいもあるのでしょう。

 しばらく横になっているうちに回復したので、お昼はお餅にしてもらって、おろし大根に醤油をつけたのと、砂糖醤油の甘い海苔巻きの餅とを食べ、あとはカスピ海ヨーグルトだけでお昼をすませました。

 午後は体調はどうということもありませんでしたが、念のため、外出はしないで、例によってプライムビデオで「チャングムの誓い」の続きの回をいくつか見ていました。

 庭のプリペットと芙蓉の上においた、アーちゃんの餌の残りは近所の雀たちに好評で、きょうも20羽くらいの雀たちが降りて来て、姦しく餌場の足場取りでもめておりました。残念ながらきょうはメジロの姿はみかけませんでした。しかしあんまり雀や鳩(追っ払ったのですが、きょうも2羽来て、地面に落ちている餌を啄んでいました)が寄り付くようになると、ご近所から、鳩の糞がそこら中にまき散らされるとか、朝からうるさいとか、文句が出る恐れがあるので(そういうことにうるさい御仁もいらっしゃるようですから)きょうは一切餌を置きませんでした。

 そうでなくても、居間のガラス戸のところに立つ私の姿を見て逃げるのではなく、逆に高い枝に鈴なりにとまっていた雀たちが徐々に下の枝へ降りてきて、私がエサを入れたらすぐにでもそこへ舞い降りる態勢をとっているらしいことに気づいたので、こりゃやばい、と思いました。

 アーちゃんで日々経験していますが、雀ほどの小鳥でも、けっこう頭が良くて、いろんなことがちゃんとわかるのですね。こいつは俺たちに危害を加える人間じゃなくて、逆に餌をくれる人間だぞ、というのを観察してちゃんと数回で学習してしまって、以前なら私が専有庭へ降りるだけで近くの共同庭の木の枝にとまっていたりした雀など一斉に飛び立って逃げたものですが、いまはエサがもらえると期待して、逆に下の枝へ降りて近寄ってくるのです。これには少々驚かされました。

 ところでそのアーちゃんですが、非常に慎重ではありますが、きょうは私の膝の上に飛び乘りました。そのあとどうしていいか分からずに戸惑って、さわろうとすると逃げましたが、徐々に接触の方向へ近づいてはきているようです。手袋をはめた掌にも一度乗りましたが、嘴で手袋をかなりきつくつつき、噛んで、手袋の上からでも少々痛いほどでした。あれで嘴でつつかなきゃ、裸の掌で受け止めてやるのですが、いまのようすだと、この前のようにひどく噛まれそうで、こちらがこわくてできません。


きょうの夕餉

★バターナッツカボチャのスープ
 バターナッツかぼちゃのスープ

★鶏肉の白ワインプルーン煮
 鶏肉の白ワインプルーン煮。いつもながら美味しい。鶏肉とプルーンってこんなにもよく合うのですね。味もプルーンの酸味のせいか、しつこさが消え、あっさり爽やかな感じになります。

チーズ
 残っていた近所の店で買ったチーズを食べたうえで、長男が注文してくれた横浜のチーズ専門店のチーズをはじめて開いて、その中からきょうは二つ味見させてもらいました。写真のはたしか羊のチーズだったと思います。まだもっとトロッとなるまで熟成させるほうが美味しいでしょうが、独特のうまみ(と同時に臭み)のあるチーズでした。

 JCBの今月の請求書がきましたが、やっぱりアーちゃんの餌の一度に7000円使ったカナートのペットショップでの支払いが大きくて、さりげなくパートナーに渡すのに内心ひやひや(笑)。本代も最近は3冊ほどの文庫本と週刊誌2冊を一緒に買っただけで4500円とか5000円近い価格で、これではほんとに毎月文庫本3冊買ったらもう何も買えなくなってしまうな、と思って少々情けない。まあもう何冊も読む時間はのこされていないんだから、と頭では考えてみても、新しい本の顔を見ると抑えがたい衝動があって、つい買ってしまいます。財布にお札が入っていないことが多いので(笑)、ついカードで買うと、こうして請求日に、ああまた今月もやっちゃったなぁ、と身分不相応な消費を悔やむことに。最近はマーケットプレイスに出品している本もとんと売れなくなって、1000円とか、安い本がたまに出ていくだけですから、あちらのお小遣いも全然あてになりません。もうすこしハードな本を手放さないとお小遣いにもならない状況です。年明けにはエイヤッと安売りでも何でも、在庫の回転率を上げ、思い切って出品する本の数を増やしましょうか・・・




saysei at 21:10|PermalinkComments(0)

2024年12月29日

『ヘーゲル(再)入門』を読む

 昨日ときょう、たまたま手にとった川瀬和也という人の『ヘーゲル(再)入門』という集英社新書の本を読んでいて、夕方、ひととおり読み終えました。つい最近(12月22日付け)発行されたようで、新聞に広告が出ていたので、読んでみたいな、と思って、書店に行ったときに買っておいたのです。

 『精神現象学』を大体半分くらいでしょうか、やっと「精神」の初めの方まで読んで中断していたので、はやく戻りたいと思いながら、しばらく間があくと再開するのにちょっと気合が入らないといけない本なので(笑)、なかなかとりかかれずにいたので、「再入門」というから、ある程度はヘーゲルを読んだことがあって、こうだろうと見当がつく程度のことは知っていて、そういう常識的な見方をたぶんひっくり返そうという意図をもった本なんだろうな、と思って手にとったのですが、やはり幾分そういう意図をもって書かれた本のようです。

 私などの知らない英米系のヘーゲル研究者の近年の成果を踏まえて、著者なりのヘーゲル観として、ヘーゲルが通俗的な「正・反・合」の<弁証法>で対立物の矛盾を止揚するという例のいささか硬直した思考方法に則った哲学者なのではなくて、固定した思考の枠組みを常に徹底して流動化する動的な思考を貫いた哲学者だということを、ヘーゲルが生前に主著として公刊したただ二つの著書『精神現象学』といわゆる『大論理学』のいくつかのそれがはっきりとわかるようは記述を例にとりながら主張しています。

 実はその中のいくらかの説明は私にはうまく納得できず、首をかしげざるを得ないところもありましたが、おおむね言わんとするところは理解でき、またその主張にもおおむね同意というか、あらためて言われればなるほど、と納得できる点が多かったのですが、逆に言えば、こちらもヘーゲルは動的な思考の主だと感じていて、決して川瀬さんが言うような通俗的な硬い、固定的な思考の主だなんて思っていなかったので、そりゃそうだろう、当然じゃないか、と思うところも少なくなかったのは事実です。

 しかし、翻訳で読むせいかどうかはわかりませんが、ヘーゲルにも哲学者としての悪いところがうんとたくさんあって、あたりまえのことを難しい言葉でこねくりまわして、わざわざ難しい表現をするところがいたるところにあるし、ちょうどエンゲルスがヘーゲルから学んだ<弁証法>だと称して、自然の弁証法なるものを発明して、なんでもない力学的現象や生命現象や化学変化などを、いちいち「否定の否定」だの「対立物の統一」だの、「矛盾の止揚」だのといった言葉で「解釈」してみせた悪評高い『自然弁証法』がその見本みたいなものですが、なんでもない自然現象を、わざわざそういう「弁証法用語」で抽象的に、つまり曖昧に、難解にして語って見せるようなことの本家本元はまさしくヘーゲルなので、この本で川瀬さんが引用して、しきりに親切に解釈してみせてくれているような箇所にも、思わずそのもったいぶった言葉のこじつけぶりに笑ってしまうようなところがあります。

 そういう語法でいくと、「ある」は「ない」の対立物にみえて、実は同じものであり、「ある」はまた「ない」でもある、という禅問答のようなことになります。ヘーゲルが死んでからもうどのくらい歳月がたつのか正確には知らないけれど、もういいかげんそういう呪縛からは完全に解放されてもいいのではないでしょうか。いやいや、そういう呪縛のおかげで研究者として飯が食える(笑)という功徳はあるのかもしれないのですが・・・・

 けれども哲学のド素人としては、この川瀬さんの本からいろいろ教えられるところもたくさんありました。
 「主人と奴隷」の逆説、主人と奴隷のいずれが自律的で本質的な意識かといえば、奴隷を支配し言いなりにできる主人ではなく、その主人をおそれ、死をおそれる奴隷のほうだ、なぜなら奴隷にとってのその死の恐怖こそが彼を自律性へと反転させるからだ、という、その個所は読んだはずだけれど、すっかり忘れていたので、思い出して、しかもこの解説では必ずしもうまく納得できないので、また近々ヘーゲルの言葉自体を読んでみないと、と思ったのです。

 『精神現象学』のいままで読んだところまでは、いわば「意識」を主人公とするビルドゥングス・ロマンを読むような感じで読んできたので、いわば「物語」の筋、メインストリームだけを読んできたような感じで、その過程で語られている個々のエピソードや喩についてあまり深く考えて読み解くようなことはしてこなかったので、すっとばしてきたんだと思います。

 カントをはじめ、多くの思想家にとっては、感性によって得られる直接的な情報が認識の基礎で、すべてのはじまりを為す最も重要な契機ですが、ヘーゲルにおいては、その直接性と対立させられる媒介性こそが重要であって、いわば世界への通路は媒介性だということになるのかもしれません。
 そのあたりも、ああこれはもう少し丁寧に読んで考えて見ないとだめだな、と思わされました。具体的には、直観と概念のところですね。
 カントを読んだときに、感性と悟性をつなぐものは何か、カントはそこに「想像力」を想定するのだろうと思いますが、そこはカント思想のアポリアだな、と何となく直観的に感じたものでしたが、ヘーゲルがそれをカントのように直接的な感性こそが認識の唯一の最初の契機で客観性を保証するものだとは考えずに、それは最初から概念と一体(同一)のものだと考えた、というのは、私はそういう風に明確にヘーゲルのカント批判を理解していませんでした。これも読み直しが必要だな、と思った箇所でした。

 私にとってあらためて面白いな、鮮やかなもんだな、と思われたのは、無限をめぐるヘーゲルの考え方(に対する川瀬さんの解説)でした。無限なものと有限なものを対立させて考えると、無限であるはずのものが有限ではないものとして限界をもつために、有限なものとなってしまう(このレトリック自体がわかりにくいけれど)。これは悪無限であり、実は有限なものにほかならない。そうではなく真の無限は有限性の内にあって、自身を超えていくところにある、という、この考え方にはハッとさせられ、非常に魅力的ですね。ヘーゲルの思考の鮮やかさが如何なく発揮されるのはこういうところだな、と感じさせられます。

 まあすべては関連しあっているので、けっきょく全部読みなおさないといけなくなるのは目に見えていますが、「大論理学」の方は、前に少し拾い読みしただけで、まだ手をつけてないので、近いうちにちゃんと読んでみたいと思います。
 いわゆる「小論理学」のほうは以前に通して文庫本で読んだことがあって、こちらはそんなに難解だとは思わずに読んだ記憶があるのですが、まあ言葉づらだけの斜め読みだったのでしょう。ヘーゲルが一筋縄でいくとは思っていないので、とりかかるのにもちょっと気合が要るので(笑)、少々時間がかかりそうですが。それでも「代理人」と語らっていても仕方がないので、ヘーゲルならヘーゲルさんご本人に会いに行かなくては話になりませんから、まぁこちらのいのちがそこまでもてば、頑張ってみたいと思います。



saysei at 22:02|PermalinkComments(0)

メジロがきょうはつがいで

メジロ2羽アップ
  今朝、空っぽになっていた植木鉢の下に敷く皿の鳥餌(アーちゃんの食べ残し)を入れておいたら、十羽も二十羽も集まって来た雀たちが非常に用心深く周囲の木の枝にとまって様子を見たうえで次々に舞い降りてきて、ほとんど食べてしまいました。餌がよほどおいしいとみえて、ものすごい食欲です。

  午後のある時刻に覗いてみると、なんと芙蓉の切り株の間にはさんだ皿のほうに、庭のメジロが来て、エサを啄んでいました。すぐに飛び去って、また雀たちの群れに占領されてしまいましたが、メジロたちもここに餌があることを学習してくれたようです。

メジロ2羽2

  雀たちでも、そのおっかなびっくりの様子を見ているだけで飽きませんが、やっぱりめったには専有庭まで下りて来ないメジロの訪れはなんだかとても嬉しい。そのうちに胸の毛色が鮮やかな朱色のジョウビタキなんか来てくれないかな、などと期待しているのですが・・・


きょうの夕餉

★水炊き
 きょうの夕餉は水炊きです。鶏のつくね、豚のスライス。

★鍋の追加の具
 野菜の具

ねぎとおろし
 おろしとネギもたっぷり

★おじや
 鍋のあとは残りを使って卵を入れて雑炊に。葱とおろしも残り全部入れて

★シイタケのガーリックバター焼き
 シイタケのガーリックバター焼き

★煮物の残り
 大根とおあげの煮物(のこり)

★すぐき
 すぐき古漬け

なべ
 (以上でした)

 きょうは午後10時からNHKで大谷特集があるようですね。それに合わせて発表したのでしょうか、いいタイミングで赤ちゃんができるらしいというニュースが飛び込んできました。発表の仕方はいつも大谷選手は言葉が上手だな、と思いますが、今回もお洒落な発表の仕方だったようです。

 発表のとき添えられた写真の、ピンク色の産着を見て、女の子ってわかったのかな、なんて言っていて、よく見ると靴だったか履物はブルーで男の子用だとか(笑) SNSでは、きっとデコピンが嫉妬するだろうなぁ、と心配する人がいたり、久しぶりの明るい話題に沸き立っているそうです。これほど日本中、いや少なくとも野球が盛んな国はたぶん例外なく国中から祝福されるようなお子さん誕生というのも例がないかもしれませんね。

 きっと大谷選手は来季、ますます活躍することでしょう。彼が高校時代かなにかにつくった人生の計画表の項目で達成していないのは、ヤング賞くらいじゃないんでしょうか。それもたぶん時間の問題でしょう。彼のような選手が同時代に活躍するのを刻々知ったり見たりできるわたしたちも本当にラッキーですね。












saysei at 19:10|PermalinkComments(0)
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