2024年11月

2024年11月30日

プルーン煮とシェパード・パイ

★鶏肉の白ワインプルーン煮
  わが家の定番になった、鶏肉の白ワインプルーン煮、リンゴとカブのソテー添え。八角とシナモンが隠し味として使われています。朝つくるフルーツカスピ海ヨーグルトに入れるリンゴは何の変哲もないリンゴですが、同じものがこうして使われるとすばらしく美味しい。プルーンにせよリンゴにせよ、洋食の中にアクセントのように入れられるこの種の果物の甘味は、料理全体を格段に美味しくしてくれるようです。
  そういえばロンドンで知り合った料理人のつくるカレーには干しブドウやパイナップルやリンゴのような果物類が色々入っていて、とても美味しかった。そういう甘味を加えるから、本来の辛いカレーの味に奥行きが生まれて一層美味しく感じられるのかもしれませんね。

★シェパードパイ
 最近見るものがなくなって、もっぱらプライムビデオだかネットフリックスだかで、イギリスの探偵ものみたいなシリーズもののドラマばかり見ているパートナー、ドラマに始終出てくるこのシェパード・バイが気に入って、このあいだから2度、3度つくっています。きょうは私が上賀茂の野菜自動販売機でゲットしてきたこの時期に珍しいディルを添えています。結構よく合いました。

★バターナッツかぼちゃのスープ、ディル入り
 バターナッツかぼちゃのスープ。これにもディルを浮かせています。ディルの強い香りや味、わが家ではたいへん好まれています。

パン
 レブレドォールの茸入り硬パン。これにブルーチーズの残りを載せていただきました。

きょうの比叡
 きょうの午後遅めの比叡(高野橋より)。

 私が上賀茂へ行っている間に先日Zoomで話した友人が、彼のうちで育てている二ホンミツバチの集めた蜂蜜を瓶に入れたのを持って来てくれていました。透明な黄金色に輝く実に綺麗な蜂蜜で、明日パンケーキにつけて食べるのを楽しみにしています。二ホンミツバチはいま群れの数が減少しているらしく、ハチミツも少ししかとれないそうで、貴重なもの。以前にオーストラリアの大橋巨泉がやっていたマヌカ蜂蜜というのを買っていたことがありましたが、ハチミツ自体の希少化と円安もあったのでしょうが急激に価格が高騰して、われわれにはとても定期的に買えるようなものではなくなって、購入をやめてしまいました。
 その後、スウェーデンで結婚してお子さんもできて幸せに暮らしている大学のゼミ生だったOGが一時帰国したときに、おみやげにいただいた中に、近所のお家でつくった蜂蜜だといってくださった蜂蜜を大切に使っていたのですが、これが素晴らしく美味しかった。やはり市販のものとは全然違うなぁとそのとき思ったものです。なぜだか、その理由は私にはわかりませんが・・・。

 ネットをちょっと見てみると、ミツバチの中でも二ホンミツバチは独特の習性をもっていて、クマバチが巣を偵察にくると、全員で激しく羽を振動させて巣の温度を上昇させ、その偵察バチをびっしり取り囲んで殺してしまうのだそうです。こんなことは二ホンミツバチだけにできる芸当らしく、外来種のミツバチはクマバチに襲われるとみんな殺されてしまうんだそうで、クマバチのほうもよく知っていて、二ホンミツバチと外来種のミツバチの巣が近くにあれば、外来種の方の巣を襲うのだそうです。また、二ホンミツバチは、外来種ミツバチが見向きもしない中国の蘭の一種に惹かれて集まる習性があるとか、同じミツバチと言っても、かなりそれぞれに特色があって習性が異なるようです。

 私などは蜂ときくと、子供の頃体中刺された悪夢のような体験や、高校生たちと杉の下生え刈に山へ入って長い柄の鎌で自分の丈ほども伸びた雑草を刈りながら、たくさんいるマムシにばかり気をとられていたら、ブーンと正面から羽音を立てて飛んできた蜂に首のあたりをチクリ、と刺された思い出とか、ろくな思い出がなくてちょっとぞっとしますが、ハチミツはこれに反して大好き(笑)。

 子供の頃の体験は、私が母の療養生活で、田舎の祖父母のもとに2年ほど預けられていた4,5歳のころの話です。村の悪ガキたちにくっついて遊んでいた時、かくれんぼでもしていたのか、村のたったひとつのお寺の鐘楼の裏のところへみんなで隠れて入っていったら、先頭のやつが蜂の巣にあたったみたいで、一斉に逃げ出し、最年少だった私だけが取り残されて、怒り狂った蜂たちに思う存分刺されてて、泣きながら帰ったのです。

 伯父が驚いて私を縁側に寝そべらせ、顔から首や背中、腕や足まで、とにかく皮膚が出ていたところはすべて噛まれて腫れあがっていたので、そこへアンモニアを塗っていくのを、私を置いて逃げた村の悪ガキたちがみんな見に来て、縁側のところでニヤニヤしながら眺めている中で、臭いやら極まりが悪いやらでたまらなかったことだけ覚えています。




saysei at 21:48|PermalinkComments(0)

2024年11月29日

五羽のメジロ

 きょう庭を見ていると、右手庭隅のクヌギ、その左のキンカン、その下で花を咲かせているツワブキ、お隣のアジサイ、そして左手の花壇の外側で咲いているツワブキの花、そのあたりを私が数えられた限りでは全部で5羽の小さなメジロがぴょんぴょんスイスイ、せわしなく右へ左へ枝から枝へと飛び移って楽し気に遊んでいる光景にぶつかりました。

 以前からメジロはキンカンの実が熟れたころにやってきて、それを啄んでいるのをよく見かけて、このブログにも写真を載せたことがありますが、その後も共同庭を飛び回っているのをちょくちょくみかけました。でもきょうの午後のように5羽ものメジロが同時にやってきて、わが家の狭い専有庭で遊ぶのを見たのは初めてです。遊んでいたのか、なにか蕾だか花の蜜だかを吸っていたのか、私にはメジロが何をしていたのかは分かりませんが、まさに楽し気に飛び回って遊んでいる、という光景で、こちらも楽しくなりました。

 同じキンカンの実を食べにくる鳥でも、大きなヒヨドリだとちょっと憎らしくなって、音をたてて追い払ってしまいます。ちょっとつついていたな、と思うと、たくさんの実が半分齧られて果汁がしたたりおちていて、キンカンの被害も相当なものです。でもメジロだと小さくて被害も知れているので、いいよいいよ、好きなだけお食べ、と言ってやりたくなります。

 うちのセキセイインコのアーちゃんよりも、もう一回り小さく見えるメジロは、色が鮮やかな淡緑で、その名のとおり目を囲んでよく目立つ白い輪の紋様がついているので、私のようにあの鳥とこの鳥の区別が全然つかないような者にもすぐに、あっ、メジロだ!と分かります。

 ほんとに小さくてすばしっこく枝から枝へ飛び移り、なぜか低い位置に咲いているツワブキの花の間に飛びいると、花やまっすぐに伸びた茎が不規則に揺れるので、中にいるのはわかるけれど、小さいためにツワブキの花程度でも姿を見せずにいられるようで、外から見ているとうまくその姿がとらえられません。そのうちにパッと飛ぶので、あ、やっぱりここにもいた!と確認できます。そんなの少なくとも5羽も遊びに来ていたのです。

 実は昨日、アーちゃんに与えているいろいろな種類の餌を、ほとんど毎日替えているので、無駄になる部分がけっこう多くなります。で、ふと思いついて、それを植木鉢の底に敷く皿にでも入れて庭に出しておいたら、メジロが来て啄むんじゃないか、とやってみたのです。地面に置くと、ヒヨドリや烏みたいなデカい鳥が来て居座ると厭だな、と思ったので、エサを入れたプラスチック製の皿を生垣のプリペット枝葉の平らな所を選んで置き、あと小さな皿を二つ、これは先日枝を短く刈った芙蓉の枝の間に挟むようにしてのせておきました。

 それで、昨日の夕方も今朝も、きょうの夕方も、それらの皿に小鳥が来ていないかな、とそれとなく見るようにしていたのです。共同庭にはヒヨドリも来ていたし、メジロだったかもしれない小鳥も飛び回っていましたが、わたしが置いた皿の餌にはどの鳥も関心を示さなかったようでした。

 午後おそめにみつけた5羽のメジロたちも、わたしが置いた餌を目当てに来たわけではなかったようで、そこへはまったく近寄ろうともせず、飛びまわっていてもいつも素通りでした。どうも彼らの食べ物とアーちゃんの食べ物とは違うのかもしれません。

 メジロがわが庭に来たのはキンカンを食べに来たときでしたから、ひょっとしたら小さめの柑橘類の実でも置いたほうが来てくれるのかもしれません。それにしても、庭の地面をなにか啄みながら歩いていた雀なども、わたしの餌には関心を示さなかったか、気づかなかったようで、まったくわたしの与えた餌は手つかずのままでした。

 ところでアーちゃんはきょう初めて私の前腕部に乗りました。これまでは、いくら乗ってごらん、と掌や腕を差し出しても乗ろうとはせず、すごく迷っているようなしぐさをして、結局は乗らずにおわっていたのですが、いつものようにアーちゃんが食べた殻つきのエン麦の殻が餌の上に重なって摘まれているのを、スプーンで除けてやろうとすると、それまでケージの上で鏡と遊んでいたアーちゃんが、これもいつもどおり降りて来て、なにやら気に食わないという表情をみせるので、これは殻ばっかりやろ、キレイキレイしてあげてるだけやで、などと言いながら続けていると、その私の腕にぴょんと乗って、私の来ていたカーディガンの記事を嘴でつついて、ひっぱるのです。

 昨日も、ケージの蓋に乗ったままで私のカーディガンをつついて、それをするな、と止めるように嘴に挟んで引っ張ったのですが、きょうはそれでは止めよらん、と思ったのか、前腕部に乗っかって、上も見上げずにひたすら下を向いてカーディガンの生地を嘴であちこちつついていました。

 木綿の生地らしいから、嘴でつついて、つつき心地が悪くなかったのかもしれませんが、そこまでしつこくつついて抗議するのは初めてのことでした。自己主張の非常にはっきりしたアーちゃんです。

 こちらも手をつつかれると痛いので、掌には薄手の軍手をはめて、袖口もカーディガンの袖で隠して膚が露出しないようにしていたから、アーちゃんもほんとは、この手が悪いのか!と以前やったことがあるように、私の手首を噛みにきたかったのかもしれず、一度は手首のほうへ来たのですが、腕同様に覆われていたのであきらめて、前腕部のカーディガンの袖をしきりにつついて攻撃していました。

 しかし、私がスプーンで殻を除去する作業をやめると、つつくのをやめて、もとのところへ飛んで帰ろうとしたのですが、カーディガンの柔らかい生地に彼の変形した脚の先がひっかかったらしくて、ちょっとバタバタしていました。だからもう乗らないかもしれませんが、若し引き続ききょうのようなことが續くとすれば、ひょっとしたら慣れてくれば手乗りのトレーニングができるかもしれません。高齢になってから飼い始めたし、何の芸も仕込まれてはいなかったので、ダメだろうと諦めていたのですが、彼の学習能力は私たちの予想以上だったし、日々なにか新しいことをやってみせてくれるようなところがあるので、まだまだわかりません。こんな小さな生き物でも、生き物というのはほんとうに大したものだな、とつくづく思います。


きょうの夕餉

★鯵のフライ、胡麻マヨ
 鯵のフライ。自家製胡麻マヨネーズ添え。きょうもちょっと荷物を送る用で宅配サービスの営業所へ行くとき、帰りにHELPでなにか魚をみつくろってきて、と言われて、魚屋さんの店頭を覗いて、一番新鮮そうで、美味しそうだったのが、「産地直送、特選」とキャッチコピーをつけた、この小さな鯵でした。もう一つの候補は、キンキという赤っぽい白身のスリムな魚で、そちらのほうが珍しいというか、少なくともありきたりではないので、食べて見たくもあって少し迷ったのですが、一尾が700円以上して、しかも二人で一尾だとちょっと小さすぎるかな、と思えたので鯵を選びました。

 なによりも見た目、ほんとうに輝くほど新鮮であることがすぐに見て取れたし、すっごく美味しそうだったのです。しかも、このフライにして皿にのせてあるのは、半分でしかなくて、あとの半分は後日南蛮漬けにでもするわ、といって冷蔵庫(冷凍庫?)にとってあるので、この倍の数があるわけですが、それで全部で230円でした。つまりきょうのおかずになった鯵のフライは、二人分で115円!

 ところが勝って帰った直後は、これ、パートナーには不評でした。なぜかというと「この小さいのを三枚におろすのが結構面倒なのよ」と。人によっては、そういう処理ができない人もあるのだそうで、それを魚屋にやってもらったら、もっと値段が高くなるところ、漁港から送られてきたのをそのまま店に並べているから安いのだそうです。「そんなん、買う前に言ってくれないとわからないよ」と反論すると、「だって店にきょう何が出ているか分からないもん、そんなの分からないじゃない」と。

 たしかにそれもそうです。「あなたは自分が料理しないから分からないけどさぁ」と言われるとこちらは弱い(笑)

 まあ買って帰ったときは、あまり御機嫌がよろしくなかったパートナーでしたが、フライにして自分が食べてみたら、この上なく美味しかったので、やっぱり魚のチョイスはあなたに任せたほうがいいね、どんどん目利きになってるわよ、と妙におだてたりして(笑)、すっかり御機嫌は治りました。三枚におろしているときから、まったく臭みがなかったから、どんなに新鮮かがすぐわかったそうで、食べてみるとほんとうに美味しかった。やっぱり魚は新鮮さが第一なのかもしれません。こんな一口で食べられるような小さな魚をいちいち三枚におろすのは、たしかになかなか面倒な作業なのでしょうが、それだけの価値のある商品でした。食べてほんとうに美味しいかどうかは、値段には実はかかわりがないのでしょうね。

★大根葉ほしえびキムチベーコン入り大根餅風ちぢみ
 大根葉、干しエビ、キムチ、ベーコン入りの大根餅風ちぢみ。たぶんこんな材料をほうりこむのはパートナーのオリジナルでしょう。上賀茂の大根やカブは、わが家では商品についてくるでっかい葉の束も隅々まで活用して、ジャコキンピラにしてご飯に掛けたり、きょうのように辛子和えにして食べたり、またこのチヂミのようなものに入れて、実にシャキシャキした歯ごたえで、ふつうのチヂミとはちょっと違った食感が得られるようなことを試してみる、ということがよくあります。大根やカブの葉を捨ててしまうのはもったいないことで、きっと栄養価も高いと思うし、実際調理の仕方次第で、おいしいもう一品、あるいはご飯の友になるようです。葉を切って本体と別に保管したり処理したりするのは本体がいたむのを遅らせるためだそうで、どちらも捨てるわけではないようです。

★カブの葉の辛し和え
 これがカブの葉の辛し和え。すごく美味しくて、あつあつご飯にかけて最後にかきこみました。

★キュウリ、チキンの辛子マヨドレ和え生トマトソース
 キュウリとチキンの辛子マヨネーズドレッシング和えに生トマトソース

★かぼちゃの煮もの
 かぼちゃの煮もの

★豆腐の味噌汁
 豆腐とお揚げ、ネギの味噌汁

★すぐき
 このところ戸田農園さんで美味しそうなスグキの古漬けがたくさん出ていたので、かなり幾つも確保して冷蔵庫にストックがあるので、安心して毎日少しずついただいています。最後のシメにこれを一切れ食べるだけで、この古漬けの醗酵食品特有の味と香りがじわっと口の中に広がって最高のシメになります。

(以上でした)

 昨日、いつもの週刊誌2誌を買いに書店へいったとき、これまで買ったことも読んだことも一度もない保守系の雑誌「WiLL」の1月号を買ったのですが、きょうはじめてそのいくつかの記事を読みました。ひとつには、石破政権がとても長命だとは思えないし、たぶん次は小泉でなけりゃ高市政権ということになるんだろうし、首相にならなくてもこの高市という人はそれなりに自分の保守的な信条を曲げずに貫いているところがあって、他の政治家のように権力の匂いに惹かれて右往左往というのではないところがあるし、もともと自民党の綱領にそのまま従っていけば高市の主張のようなことになるので、さきの総選挙のリバウンドで自民党が次に大勝するときには、リベラルなほうへいくのではなくて、一挙に高市のような保守反動まで回帰していくんじゃないか、というあまりよくない予感がするので、まあたまには彼女やそのシンパに類する連中が何を言っているのか聞いておいても悪くはないだろう、と思ったのです。

 私などが若いころは、戦後民主主義を謳歌するような雰囲気が色濃く、また共産主義への幻想が覚めない時代だったから、そもそも保守的な論客なんてものは朝焼けの空に消えて無くなった星みたいなもので、ほとんど存在すらできなかったし、猪木正道だの高坂正堯だのといった程度でもゴリゴリの保守反動反共勢力の親玉みたいな扱いをされて、論壇では異端でしかなかったような印象があります。しかしいまやこういう保守反動(笑)の雑誌が堂々と売られ、それなりの発行部数を売り切って、けっこう若い層の支持を受けているようです。

 もちろんそれには、それまで内情が知られなかったソ連や中国などいわゆる社会主義圏の国々の実情が世界に知られるようにもなり、それらの国々の内部で自壊自滅が連鎖的に起ったというような世界的な外在的事情もあれば、国内もまたそれに対応するようにして、左翼が自壊自滅していくようなことしかやってこなかったり、戦後のいわゆる革新勢力を支えた労働組合がたぶんあらゆる組織という組織の中で、最も進歩することのない時代に遅れたどうしようもない組織に成り下がっていったこととか、いわゆる革新系だのリベラル派だのといった連中の自壊自滅によって、今日のような状況が導かれてきたわけで、韓国の慰安婦問題での朝日新聞のオオミステイクなどはそれを象徴するようなできごとだったのでしょう。いまや民主主義の世界的なホープだった米国で民主主義なんて壊しちゃえばいいと半数以上の国民が考えるようになってきたようですから、そこにどんな希望もないのです。

 現在が第二次大戦前の状況によく似ているとか、ナチスの政権奪取前のドイツの状況に似ているとか、いろいろなところで言われ始めているけれど、それはよほど鈍感な人でないかぎり、実感的にも薄気味の悪さとして多くの人に感じられていることではないかと思います。




 











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2024年11月26日

躺平~寝っ転がっていようぜ!

兔ありて爰々(えんえん)たり                   兔はとびとび
(きじ) (あみ)
(かか)                        雉が(あみ)にかかった

我が生の(はじめ)のとき                幼いときには

(こと)の無きを(ねが)ひしに              何ごともないようにとねがったが

我が生の(のち)にして               大きくなって

この百罹(ひゃくり)に逢へり                       いやなことばかり

(ねがは)くは()ねて(うご)くことなからむ               もう寐たまま動くまい

 

兔ありて爰々たり                     兔はとびとび

雉 (あみ)(かか)                        雉が(あみ)かかった

我が生の(はじめ)のとき                     幼いときには

(こと)の無きを(ねが)ひしに                    何ごともないようにとねがったが

我が生の(のち)にして                     大きくなって

この百憂(ひゃくゆう)に逢へり                     心配事ばかり

(ねがは)くは()ねて()むることなからむ           もう寐たままでめざめまい

 

兔ありて爰々たり                 兔はとびとび

雉 罿(あみ)(かか)                       雉が罿(あみ)にかかった

我が生の(はじめ)のとき                     幼いときには

(こと)の無きを(ねが)ひしに                  何ごともないようにとねがったが

我が生の(のち)にして                     大きくなって

この百凶に逢へり                    凶事(まがごと)ばかり

(ねがは)くは()ねて聴くことなからむ              もう寐たままで聞くまい

  

 これは『詩経国風』の王風(東周の洛陽とその畿内の歌謡)にある「兔爰」(兔はとびとび)という詩です。出典は東洋文庫の『詩経国風』、白川静さんの書き下し文・現代語訳です。

 白川静さんの解説によれば、「その地は周の建国のとき、殷の頑民を移して経営した成周の地で、ここに殷の八師をおき、東方経営の拠点とした。西周の末、犬戎が侵寇して周の鎬京を陥れ、幽王を戲に殺し、申に遁れていた太子宣咎が迎えられて成周に即位し、それよりのちを春秋時代という。周は一応天下の宗主国としての王権を保ったが、世は五覇の時代となり、その名を存するにとどまり、国は貧しく、上下親しまず、のちには内乱なども思って、国力は他の列国にも及ばぬ状態であった。その詩は十篇、[黍離] [君子于役] [兔爰]などに、その国情をみることができる」(『詩經国風』東洋文庫。「王風」の解説より)

 

 春秋時代のはじまりとか東周というと、紀元前8世紀あたり、いまから2700-2800年くらい前という気の遠くなるような昔のことですが、こういう詩を見ると、なんと現代日本のわたしたちの感覚に近いことか()

 

 先日、日経新聞を見ていたら、今連載が始まった「転機の中国 14億人の素顔」というシリーズの前触れのような記事で、「バズワードで見る中国」というなかなか面白い記事があり、そのなかに「躺平」という言葉がありました。

 

 「躺」はトウで寝転がる、という意味のようです。「将来不安寝てスルー」とサブタイトルのつけられた記事は以下のように書かれています。

 

  直訳は「寝そべり」。企業や大学の成果至上主義に嫌気が差し、殻にこもる草食系の生活スタイルを指す。就職難や住宅価格の高騰で不安をかき立てられ、将来を高望みしない。こうした人を「咸魚」と呼ぶことがある。中国南部の広東省や香港の伝統食材である塩漬けにした魚が元の意味だが、転じてぐったり動かずにやる気を失った人を指す。躺平が流行した2021年春に共産党組織の機関紙は「快適な環境に隠れていて成功は決して天から降ってこない」との論文を掲載し危機感を示した。(日経新聞)

 

  昨日テレビを見ていたら、ひとり息子の高校受験のために日本へ家族三人でやってきた中国人家族のルポをやっていました。中国では高校を出ても大学を受験できるのは半数で、実際の進学率は3割だとかで、あとは技術関係の学校とかに行くほかはなく、また全体の半数は労働者になっていくしかない。おそらく政府が労働者を数多く生み出すためにそういう規制をかけているようだ、というようなことを言っていました。

  こうした大学受験の激烈な競争率が高校、中学、さらにその下の教育にも影響を及ぼして、この家族のように小学生でも朝6時半から3つの科目をこなしてから登校する、というようなことになっているですが、それは日本だからまだきわめて緩やかなのだそうで、中国本土ではもっとはるかにキビシイのだそうで、寮生活を送る生徒たちは、昼食時間であれ体操の時間であれ、全員が教科のテキストを掲げて暗唱しているような光景が紹介されていました。

 

  まあ科挙の國ですから()やるとなると徹底的にやるのでしょうし、なにせ人口が半端じゃないから、上級学校へ行こうと思えばそれこそ死に物狂いの競争になるのでしょう。中国にいてその過当競争についていけないとなると、日本に家族ぐるみ「留学」して、あらたな道を切り開かなければならない、と考える人も出てくるのでしょう。それも本当はアメリカかヨーロッパかシンガポールのエリート校にでも行きたかったけれど、それも難しい場合にやむなく日本が選ばれているのが昨今の中国人の日本留学事情なのかもしれません。

 

  それでいて、大学を出たからといって順風満帆の人生が待っているかと言えば、若者の失業率はたしか15%近い高率だったんじゃないでしょうか。* しかもどうせ共産党幹部の子弟に対する差別的優遇があるに違いないし、思春期も青春もかなぐり捨てて受験勉強一筋に我慢に我慢をかさね、心身の限界までやってきて、待っている人生がどういうものかに気づけば、あほらしくてもう何も見たくない、何も聞きたくない、ただただ何もせずに「寝っ転がっていよう」という気分になるのも無理はないでしょう。

 

 しかし寝っ転がっているだけで気が晴れるならまだいいけれど、最近の中国各地で起きている刃物での殺傷事件や暴走車による大勢の市民の殺傷事件等々は、政権は動機などを伏せてひたすら偶発的な事件として何でもないようにふるまおうとしているけれど、誰がみても特定の恨みつらみや金目当ての犯行ではなく、不特定多数をとにかく殺傷したいという、意味不明の衝動に突き動かされてコントロールがきかなくなって爆発した事件ばかり。要は日常的な社会に対する、というより上に書いたような自分自身の日常に対する、言いようのない不満、鬱憤、屈折が或る時自分でも押さえられない突発的な激しい怒りとして噴き出したものに相違ないでしょう。

 

 こういう個々人の内奥にあるものをもはやいかなる抑制もきかず、噴出させる力は、社会のありようそのものからきているので、いくら政権が抑圧しようとしても、ますます噴出する力を高め、あちらでもこちらでも歯止めのきかない形で噴出してくるに違いないので、今後の中国社会の一番大きな問題となっていくことは間違いないのではないでしょうか。


[追記注]
    2024年1月17日に発表された年間失業率で16-24歳の若年層は14.9%(25-29歳:6.1%、30-59歳:3.9%)だそうです。(Yahoo!ニュース 3/2 遠藤誉氏による)

  


saysei at 13:59|PermalinkComments(0)

2024年11月24日

カブラ蒸し

★カブラ蒸し
  寒い日にはぴったりの、アツアツで消化によい自家製カブラ蒸し。そば鶴さんのような一流料亭にひけをとらないカブラ蒸しとはいかないので、わが家のは野菜だけのカブラ蒸しで、きょうのは椎茸、ゆり根が入ったカブラ蒸しです。それでも結構おいしい。なにより体が温まってありがたいし、スープ同様にすっと体に入っていく食べやすいメニューです。

★ぶりの照り焼き
 ぶりの照り焼き

★切り干し大根とアツアゲ、ジャガイモの煮物
 切り干し大根、厚揚げ、ジャガイモのの煮物

★ほうれん草、シラスの大根おろしポン酢かけ
 ほうれん草とシラスの大根おろしポン酢かけ。上賀茂のほうれん草がとても新鮮でシャキシャキしているのに柔らかく、まさにほうれん草の味がちゃんとしていて、とても美味しい。

★カブの茎のジャコキンピラ
 カブの茎のジャコキンピラ。

★すぐき
 スグキの古漬けにキムチ。

(以上でした)

 きょうも「詩経 雅頌2」のノートづくりと、昨日アマゾンで買ったA4横ファイルで、さまざまな文献のコピーをクリップで閉じて積んだのがだいぶたまっていたので、それをファイリングして、手に取りやすく、読みやすいように整理していたら日が暮れてしまいました。こちらがトロくなっているからでしょうが、時間のたつのが早くて驚くことがしばしば。まあ冬になって日が短くなったことも、よけいにそういう印象を与えるのでしょうけれど。

 賀状を”卒業”させてもらうというハガキを170枚送って、一方的な内容なので無理もないのですが、数日間全然だれからも反応がなかったので、ゴムバンドで束ねて局へもっていったりしたから、ひょっとして局の人が賀状と間違えて局の隅っこにでも放りっぱなしにされているんじゃないか?と、内心ほんのちょっと心配していたのですが、幸い昨日、ここ半世紀近く、ほぼ賀状だけでおつきあいしてもらってきた懐かしい女性から電話をもらって少し長いおしゃべりができて楽しかったのですが、たしかにハガキが届いたことも確認できてよかった(笑)。

 そしたら今日も大学時代の友人からメールが入っているようなので、いまからお返事書きます。

 明日からは少しまた「古今集」をこれまでのやり方とは違う読み方で、やや急ぎ足で読んでいこうと思っています。自分の体調を見ながら、もうちょっと急がないと八代集どころか「古今集」さえ読み終わらないかも、と思ったら、いくら途中になったって別にかまやしないとはいうものの、やっぱりせっかくとにかく全部読んでやろうと思って読みかけた本だから、せめてこれくらいは最後までなんとかたどり着きたいと思っています。今までの調子で休み休みだと、分厚いあと2冊の文庫を読むには数年かかってしまいそうですから、せめて来年の前半くらいには全部読めるようにしたいと思っています。読むこと自体は簡単なので、一首ずつ解説も全部読んで背景やら技法やらも全部知ったうえで、一首を味わって読む、という読み方の基本は崩したくないので、さあうまくいくかどうか・・・




















saysei at 21:59|PermalinkComments(0)

2024年11月23日

湯豆腐

★湯豆腐
  きょうの夕餉は湯豆腐。体が温まって消化が良くて栄養もある、この寒さには最適の食事でした。

★ひらまさ
 きょうも、何か適当にみつくろって魚を買って来て、と言われて私が選んできたのがこの「ひらまさ」という魚。ぶりの仲間らしいのですが、けっこう大きな切り身が二つで500円台だったのし、「特選」として前に出してあったので、ほかに珍しい魚もなかったし、これは以前にお刺身を食べたことはありましたが、焼いたのはたぶん初めてだったので迷わず買いました。きょうもグッドチョイスだったとお褒めの言葉をいただきました。実際、食べて美味しかったし、良かった。

いろいろ
 その他いろいろ。

 湯豆腐の終わりに、お餅を入れて、雑炊のかわりに、お餅を雑炊風にしてもらって、食べました。

 きょうは少し近くの買い物に電動アシスト自転車で行って、アーちゃんの餌など買ってきましたが、上賀茂へ行こうと橋まで行ったけど、寒かったのと、西の空が真っ黒だったので、やめとこ、と引き換えしました。そしたら半時間もしないうちに雨が降り出したので、ああいかなくてよかった、と思いました。

 あとはずっと「詩経雅頌2」を読んで読み終わり、チェックした詩をコピーしてノートに切り貼りしていました。これで「詩経」は卒業(笑)。迫力のある政治詩を読みながら、そういえば日本にはこういう詩は生まれなかったのだなぁ、とあらためて思いました。かろうじて思い浮かぶのは北村透谷くらいです。万葉集にもそれに類した詩(歌)は無かったのではないでしょうか。ましてやそれ以降の歌などにはないでしょう。

 だから兵庫県知事選のようなことになるのかな(笑)
 トランプ現象が世界に蔓延しているようです。
 SNSのデマ、フェイクニュース、等々に騙されて、陰謀論だのなんだのというのにワァ―ッと盛り上がって投票しちゃう人というのは、はたからみているとおかしいほど明らかな詐欺にひっかかってお金をみずから詐欺師に送金してしまったり、きくはずもない「健康食品」なんてものを買い込んだりする人と重なっているのでしょうかね。そういう社会学的な調査をやってみると面白い結果がでるかもしれません。
 知事から金をもらってSNSで煽動役を担当した組織があったらしくて、みずからその貢献度の高さをアピールしたがっていたらしいのですが、さる弁護士によれば選挙違反(買収)に相当する犯罪だそうです(笑)。
 大統領でも知事でもどんな犯罪またはそれに近いことをやらかしていても、頑として認めさえしなければ通っちゃうんだ、という、いやな前例を残しましたね、こんどの知事選は。頑なに勝手な主張を押し通せば、そのうちに世の中の正しさとか良識とかに飽き飽きしていて、そういうものを潰したくて仕方がない連中が寄ってたかって陰謀論なんかでっち上げて、犯罪者もどきの人物を悲劇のヒーローにしてくれるのだから世話はありません。

 そして、いったん権力を握りさえすれば、吉村大阪府知事のようにすぐさまベターっと寄り添ってくるようなやつがたくさん出てくる(笑)。万博があるから仕方がないと思っているのかもしれないけれど、もはやコロナのときのあの勇姿はどこへやら、もう吉村もこれで政治家としては終わりでしょう。


 

saysei at 22:30|PermalinkComments(0)
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