2024年09月
2024年09月19日
明け方の猛暑感
明け方6時ころに目が覚めたら、猛烈に暑くて、寝床の脇に置いてある扇風機をかけずにはいられませんでした。寝室にはエアコンがないのですが、居間のエアコンが段差のある台所経由で寝室まで下りてくるので、それほど寝苦しい暑さを感じずに寝つけていて、扇風機はよほどでないと使わずに済んでいたのですが、今朝はその稀なケースでした。
寝つくころにまだ昼間の熱が大気にも植物にも地面にも残っていて暑くてたまらん、というのはわかるのですが、最近はそうではなくて、本来は一番涼しくなって、夏の終わり、秋の入り口ともなれば、少しうすら寒くて布団を引っ張り上げたりするのが例年のいまごろだと思うのですが、今年はその朝方の6時前後になぜか猛烈に暑いと感じ、体が熱をはらんで、このままなにも対処しないと熱中症になるんじゃないか、と危惧するほどです。
念のために、眠い目をこすりながら、トイレへいき、洗面所でうがいをし、体温計ではかってみると、体温は平常とかわらず36.4℃前後で、格別体温が高くなっているわけではないようです。でも体の芯に熱がこもっているような感じがあって、扇風機でもいいからとにかく体を冷やさないと、という気持ちになるほど暑く感じました。
へやの入り口に近い方に寝ているパートナーは、居間のエアコンから下りてくる冷気がたくさんはいってくるせいか、むしろ寝ていてうすら寒くなるようで、薄い夏物ではあるけれど長そでの肌着だかパジャマだかを着ているのだそうです。(いつもわたしの方がさっさと先に寝入ってしまうので、どんなものを着ているのか記憶にないのです。)
熱中症というのを調べてみると、フラフラするとか吐き気がするとか、もっとひどい症状があるみたいだから、まあ大丈夫だとは思うのですが、こちらはもう若いときみたいに代謝が盛んで調整のきく体じゃないので、暑さや高い湿度等々で簡単に生理的なバランスを崩して病的な状態に陥る可能性はいつもあるのだろうという気がします。こんどから今朝のようなことがあれば、涼しい今のほうへひっこして寝ようと思っています。
それにしてもやっと日が昇ったところ、といった時刻に猛烈に暑いと感じさせられるというのはどういうわけなのでしょう?身の回りの自然環境のほうがおかしくなってきているのか、私の身体・生理がもうまともではなくなってきているのか、いやどちらもあるのかもしれませんが(笑)

庭の芙蓉、ますます盛んで、今日は昨日をさらに上回る、ざっと35輪ほどの花が咲いていました。

上辺近くの花たち

下左の方の花たち

右端のほうの花たち

きょうの一輪

私が期待している貴船菊は、茎は立派だし、下の方に大きな力強い葉もついているのですが、数日前から一輪、二輪咲いた花はごくごく小さいというか、ほんとに貧相な花で、いやまだ秋が本番だからとは思っているのですが大丈夫かな、と心配しています。なにか栄養が偏っていたりすると、植物にはときどきこういうことがあるので、葉っぱばかり大きく茂って、花が咲かなかったり、貧相な花になってしまったり・・・そうじゃなければいいのですが。例年よく咲く年は、何本も並んで丈の高い茎の先に大きな花をつけ、それらがみな朝日の方向を見上げるように咲いて、朝日に照らされて花弁が白く透き通るように輝き、貴船菊の花がかたまって咲いているあたりは透過する陽光が干渉しあって白く靄のように烟る、すばらしい光景を現出してくれます。今年はよく茎が伸び育って、蕾もたくさんついているので、あの素敵な光景がまた毎朝見られると期待しているのですが・・・
きょうの夕餉

トウガンと手羽もとのスープ煮。猛暑だからといって、あまり何日間も体を動かさないと、筋肉が衰えるだけでなく、体の機能自体が衰えて、ますます調整機能が働かなくなりそうなので、まだしもマシな朝のうちに電動アシスト自転車で上賀茂の野菜自動販売機をいくつか覗いてきて、幸い好物のトウガンをみつけて買ってきました。大きな重いの、一個300円。二人分ならこうしてたっぷりつかっても、3回分はあるようです。

つくねと茄子焼き

さんまの塩焼 痩せているけれど、味は悪くなかった

かぼちゃとオクラの煮物

モロヘイヤのポン酢かけ

小松菜の煮物
(以上でした)
今日は前からもう一度見たと思っていたけれど、時間がかかるので、なかなか見始めるふんぎりがつかなかった、かつてテレビで放映した藤沢周平原作の時代劇「蝉しぐれ」を見ました。これを見るのはもう3回目くらいですが、みるたびにあちこちのシーンで涙が出てきます。ほんとに素晴らしいドラマです。内野聖陽の朴訥な印象、水野真紀の綺麗だけれどどこか田舎臭い(失礼!)ところのある、それゆえいっそう、そのいじらしさが胸を衝くぴったりで、こんなはまり役はないと思えるほどすばらしい。竹下景子、平幹二朗、宮藤官九郎、塚本晋也、利重剛、柄本明、鈴木杏樹など嬉しくなるような配役で、私が知らなかった石橋保などもとてもよかった。藤沢周平の原作がいいのだろうけれど、脚本も演出も満点でした。またあの主題歌には泣けてくる(笑)。小室等作曲、及川恒平作詞、歌っているのは普天間かおりという私の知らない女性歌手らしいけど、”もしもわたし生きているのが一年だけなら 春の息吹を受けたらすぐに / ・・/ もしもわたし 生きているのが一瞬だけなら 生まれたままの心と姿/ 花を抱きしめ 躍りだすのよ あなたと一緒に・・・"という歌詞が胸の底まで響いてきて、毎回つい涙をながしてしまいます(笑)。歳をとってよけいに涙もろくなったんでしょうね。
「光る君へ」もいいけど、あれは千年の時を隔ててはいても、息子らの世代の話だな、という感じで、やっぱり権力争いや不倫よりも、三百数十年前のがちがちの秩序で縛られた時代を背景に描かれた、いのちがけの一途な愛の物語のほうが、私の世代には体が震えるような感動をもたらしてくれるようです。
寝つくころにまだ昼間の熱が大気にも植物にも地面にも残っていて暑くてたまらん、というのはわかるのですが、最近はそうではなくて、本来は一番涼しくなって、夏の終わり、秋の入り口ともなれば、少しうすら寒くて布団を引っ張り上げたりするのが例年のいまごろだと思うのですが、今年はその朝方の6時前後になぜか猛烈に暑いと感じ、体が熱をはらんで、このままなにも対処しないと熱中症になるんじゃないか、と危惧するほどです。
念のために、眠い目をこすりながら、トイレへいき、洗面所でうがいをし、体温計ではかってみると、体温は平常とかわらず36.4℃前後で、格別体温が高くなっているわけではないようです。でも体の芯に熱がこもっているような感じがあって、扇風機でもいいからとにかく体を冷やさないと、という気持ちになるほど暑く感じました。
へやの入り口に近い方に寝ているパートナーは、居間のエアコンから下りてくる冷気がたくさんはいってくるせいか、むしろ寝ていてうすら寒くなるようで、薄い夏物ではあるけれど長そでの肌着だかパジャマだかを着ているのだそうです。(いつもわたしの方がさっさと先に寝入ってしまうので、どんなものを着ているのか記憶にないのです。)
熱中症というのを調べてみると、フラフラするとか吐き気がするとか、もっとひどい症状があるみたいだから、まあ大丈夫だとは思うのですが、こちらはもう若いときみたいに代謝が盛んで調整のきく体じゃないので、暑さや高い湿度等々で簡単に生理的なバランスを崩して病的な状態に陥る可能性はいつもあるのだろうという気がします。こんどから今朝のようなことがあれば、涼しい今のほうへひっこして寝ようと思っています。
それにしてもやっと日が昇ったところ、といった時刻に猛烈に暑いと感じさせられるというのはどういうわけなのでしょう?身の回りの自然環境のほうがおかしくなってきているのか、私の身体・生理がもうまともではなくなってきているのか、いやどちらもあるのかもしれませんが(笑)

庭の芙蓉、ますます盛んで、今日は昨日をさらに上回る、ざっと35輪ほどの花が咲いていました。

上辺近くの花たち

下左の方の花たち

右端のほうの花たち

きょうの一輪

私が期待している貴船菊は、茎は立派だし、下の方に大きな力強い葉もついているのですが、数日前から一輪、二輪咲いた花はごくごく小さいというか、ほんとに貧相な花で、いやまだ秋が本番だからとは思っているのですが大丈夫かな、と心配しています。なにか栄養が偏っていたりすると、植物にはときどきこういうことがあるので、葉っぱばかり大きく茂って、花が咲かなかったり、貧相な花になってしまったり・・・そうじゃなければいいのですが。例年よく咲く年は、何本も並んで丈の高い茎の先に大きな花をつけ、それらがみな朝日の方向を見上げるように咲いて、朝日に照らされて花弁が白く透き通るように輝き、貴船菊の花がかたまって咲いているあたりは透過する陽光が干渉しあって白く靄のように烟る、すばらしい光景を現出してくれます。今年はよく茎が伸び育って、蕾もたくさんついているので、あの素敵な光景がまた毎朝見られると期待しているのですが・・・
きょうの夕餉

トウガンと手羽もとのスープ煮。猛暑だからといって、あまり何日間も体を動かさないと、筋肉が衰えるだけでなく、体の機能自体が衰えて、ますます調整機能が働かなくなりそうなので、まだしもマシな朝のうちに電動アシスト自転車で上賀茂の野菜自動販売機をいくつか覗いてきて、幸い好物のトウガンをみつけて買ってきました。大きな重いの、一個300円。二人分ならこうしてたっぷりつかっても、3回分はあるようです。

つくねと茄子焼き

さんまの塩焼 痩せているけれど、味は悪くなかった

かぼちゃとオクラの煮物

モロヘイヤのポン酢かけ

小松菜の煮物
(以上でした)
今日は前からもう一度見たと思っていたけれど、時間がかかるので、なかなか見始めるふんぎりがつかなかった、かつてテレビで放映した藤沢周平原作の時代劇「蝉しぐれ」を見ました。これを見るのはもう3回目くらいですが、みるたびにあちこちのシーンで涙が出てきます。ほんとに素晴らしいドラマです。内野聖陽の朴訥な印象、水野真紀の綺麗だけれどどこか田舎臭い(失礼!)ところのある、それゆえいっそう、そのいじらしさが胸を衝くぴったりで、こんなはまり役はないと思えるほどすばらしい。竹下景子、平幹二朗、宮藤官九郎、塚本晋也、利重剛、柄本明、鈴木杏樹など嬉しくなるような配役で、私が知らなかった石橋保などもとてもよかった。藤沢周平の原作がいいのだろうけれど、脚本も演出も満点でした。またあの主題歌には泣けてくる(笑)。小室等作曲、及川恒平作詞、歌っているのは普天間かおりという私の知らない女性歌手らしいけど、”もしもわたし生きているのが一年だけなら 春の息吹を受けたらすぐに / ・・/ もしもわたし 生きているのが一瞬だけなら 生まれたままの心と姿/ 花を抱きしめ 躍りだすのよ あなたと一緒に・・・"という歌詞が胸の底まで響いてきて、毎回つい涙をながしてしまいます(笑)。歳をとってよけいに涙もろくなったんでしょうね。
「光る君へ」もいいけど、あれは千年の時を隔ててはいても、息子らの世代の話だな、という感じで、やっぱり権力争いや不倫よりも、三百数十年前のがちがちの秩序で縛られた時代を背景に描かれた、いのちがけの一途な愛の物語のほうが、私の世代には体が震えるような感動をもたらしてくれるようです。
saysei at 21:33|Permalink│Comments(0)│
2024年09月18日
「比叡三郎」か、積乱雲モクモク

きょうの昼頃だったか、居間から東山の方をみると、山の端からモクモクと積乱雲が沸き立ってくるのが見えました。これは一雨降るかな、と期待していましたが、全然雨は降りませんでした。

上の写真の少し左手(北)にも同様に積乱雲が沸き上がって来ています。まるで真夏のようですね。
丹波太郎、山城次郎につづくのが比叡三郎だそうで、その次は桃山四郎なんだそうで、京都市からみて東の比叡山麓から湧き上がるのが比叡三郎、その南、桃山の方面から湧き上がるのが桃山四郎というわけでしょう。
私のいるところは市内では北のほうですから、きっと比叡三郎なのかもしれません。

きょうは庭の芙蓉がざっと三十輪ほどの花を咲かせていました。これだけ一度に咲いたのは今年はじめてです。それにしても芙蓉というのはすごい精力で、いったいひとつの季節にどれだけ花を咲かせるのでしょうか。一日だけ咲いてしぼんでしまう花なのに、別の蕾が次々に開いて、毎日楽しませてくれます。朝起きたとき目の前にたくさんの芙蓉が咲いていると気分がぱっと明るくなるような気がします。ただし、これだけの猛暑だと、昼目にもうしぼみ始めます。色がずっと濃く紅色になっていって開いた花弁を閉じて丸い紅色の塊になって、あとは枯れて散って、種をつくって地面へ落として、次々にまた新しい芽をだします。

きょうの2輪

お昼前に整体さんから帰って来たパートナー、2時間足らずで、マンゴー・ロールケーキを焼きました。長男が手配して届けられ、一週間ほど寝かせて昨日(大きいほうのを)食べたマンゴーの残りを巻き込んだケーキで、とても美味しかった。

きょうのお昼のデザートにいただきました。
きょうの夕餉

もろQ 器は加藤静允先生のお手製焼き物です そういえば昨日は中秋の名月だったようですが、わがやからは雲が全天を蔽っていて、わずかな隙間からそういえば満月のようだな、と分かる程度でした。

茹で豚のからし醤油

小松菜と甘アゲ、チクワの煮びたし

小鯵のから揚げの南蛮づけ 秦家住宅のめぐみさんが書かれた料理本がこの南蛮漬けのお手本で、そのとおりのつくりかた、味付けでつくったそうです。京都風に少し甘味のつよい味でした。

万願寺唐辛子とパプリカのジャコ炒め

もずくきゅうり酢

なす、きゅうり、ミョウガのからし醤油あえ
あとは古漬けのスグキをシメに一切れいつものようにいただいて、ごちそうさま。
昨日長男がその前日だか前々日に食べに行った料理屋やレストランの話をしていたら、きょうラジオでこんどは嵐山のほうのどこやらの店のことをしゃべっていて、コース料理が25,000円だとか言っているのを聞いて、パートナーも驚くというより、呆れていました。
どんな食材を使おうと、原価が5000円以上なんてことは、ほとんどないはずなのに、インバウンドやらなにやらで便乗して、新しくつくる店は富裕層向けにめちゃくちゃ高い値段に設定しているみたいだね、と。
パートナーは大抵の料理ならうちで遜色なくつくれると思うけれど、ウナギ料理だけはつくれないから、廣川だけはまた行きたいね、と言っています。たしかにあのウナギはほかでは絶対に食べられませんから。それで、廣川もめっちゃ高くなってるんじゃないかしら、とスマホで調べていました。そしたら、義母が存命のころ、毎年正月の2日には必ず家族みんなを連れて行ってくれたとき、いつも注文したうな重定食の「上」が8000円だとかで、そんなに上がっていないということで、なんだかホッとしていました。これなら長男におねだりしなくても、わたしたちでも一度くらい行けそうだね、と。
そういえば、義母がなくなった年を最後に、私の病状が悪化して入院したり、新型コロナがはやったりで、すでに5年間ほどは行くことができずにいます。いまは完全予約制だそうで、観光地の立地でもあるので、常に予約満杯で、予約も難しいかもしれませんね。ミッシェランなんかでとりあげたものだから、一時は中国人が殺到して、雨がザザ降りのとき傘をさした中国人(ほぼ100%)が門から店の入り口まで並んで待っている(店の軒にも椅子があり、店内にも椅子が合って、ずっと待つ人がいる)というふうな状況だった時期も目撃しています。あのころは3時間待ちとか言っていました。
そういう事態を防ぐために、完全予約制にされたようです。賢明な判断だったと思います。あれではお得意さんはもう寄り付かなくなっていたでしょうから。義母や私たちはそうめったにはいかなかったけれど、お正月にきまって行かせてもらって十年、二十年になるので、店の方も覚えていてくださって、いつも注文していた白子を忘れていると、料理方さんから、いつも白子をご注文でしたが、きょうなよろしいのでしょうか、と席へ訊きに来てくださる、といった具合でした。もうそういう店の方と長い間親しんできた顧客とのコミュニケーションも難しい状況になっているかもしれません。
ところで、わが家の食事は、たとえば昨夕の長男も一緒に3人でいただいた夕餉が、原価いくらかというと、2000円台だそうです。もちろんパートナーのシャドウワークの人件費は含まれませんから(笑)レストランの商品価格とは比べられませんが、少なくとも私たちにとっては、長男が加わって、ふだんより少し張り切ってパートナーガ用意した、美味しくて十分満足できる量と質の夕食をいただいても、
原価はせいぜい3000円以内でおさまるわけで、いくら人件費や利潤や税金をプラスするにしても、2万5千円なんていう価格は法外な便乗値上げ以外のなにものでもない、という気がします。
インバウンドで京都のレストランなどにはあぶく銭が入ってくるようになって、高級めかして高い値段をつければつけるほど、無知で金だけはたらふく持っている外国人観光客の富裕層がわざわざそんな店をネットなどで見てやってくるようです。へんな世の中になったものです。
saysei at 22:31|Permalink│Comments(0)│
2024年09月17日
一日遅れの「敬老の日」
毎日が日曜日の身にとって、祝祭日も、もう何の日だったかほとんど忘れて、どうでもよくなってしまっています。二週つづきの連休だというのでカレンダーを見ると、昨日は「敬老の日」だったようです。これだけ老人が多くなれば、昔のように「敬老」されることも一般的に言って無くなっていくばかりでしょう。それはそれで仕方がないと思います。私も若いころにとりたてて「敬老」の礼を尽した覚えはないので、因果はめぐる、です(笑)。
きょうは長男が一緒の夕餉だったので、例によってパートナーは張り切ってメニューを考えていました。やはり張り合いがあって、いい刺激になるようです。ただ、きょうは昼間、膝の半月板損傷の件で定例の外科病院いきで、連休明けのせいでものすごい数の患者で、さんざん待たされ、薬局でもひどく待たされたとかで、ぐったり疲れて帰って来たので、私は大丈夫かなと心配していましたが、しばらく居間で休んでいるうちに回復して、いつもどおり手早く料理していました。
その成果が次のようなきょうの夕餉の食卓になりました。

マンゴーの生ハム巻き。先日、長男が手配していたのが届いた緑色のままで熟するマンゴー、きょうはじめて残った大きい方を切ったら、ちょうど良いころ合いだったとのことで、生ハムで巻いて前菜になりました。奥が生ハム、手前は燻製ハム。これは生ハムのほうが合ったように感じましたが、いずれも美味しかった。
お皿は先日加藤静允先生が送ってくださったお手製品の焼き物で、こういうお皿に盛るだけでも美味しそうに見えます。

バーニャカウダとジェノヴェーゼの冷製クリームレモンパスタ。バーニャカウダはパートナーがイタリアンレストランの味を再現しようと様々に工夫して発見した独特の製法でおみごと再現した自家製で、何時でも食べられるように冷凍してあります。
ジェノヴェーゼはわが家で育ったたくさんのバジルでつくったもの。パスタは先日は私が間違えて太さ3mmのを買ってきてしまったけれど、食感も味も全然違う太さ2mmの2分でゆで上がるカペッリー二。食べてみるとその差は歴然で、やっぱりこれでないとダメなんだな、と納得。とても美味しかった。

羊のロースト 赤ワインバルサミコソース。羊は私の好物なので、カナートでいつも置いていてくれるのは大変ありがたい。ちょっとした特別の日にはよく羊を使った料理をしてくれます。もっとも年々歯が弱って、よほど柔らかい肉でないと食べづらくなってきてしまいました。でも食べるなら骨付き肉が野性味あって、美味しい。

本来は羊肉を入れたシェパッズパイ(羊飼いのパイ)ということだったのですが、きょうはメインが羊なので、マッシュトポテトとミートソースのグラタン。

パンコントマテ
(以上でした)
二人で後片付けをしながら、パートナーいわく「誰も祝ってくれへんから、自分で一日遅れの敬老の日のお祝いをしたワ」。家族のメンバーはたくさんいても、いつも料理を供するのはパートナーだけですから、自分自身が祝ってもらうべきときでも、私や息子たちから孫にいたるまで、家族に美味しい料理を提供してきたのは彼女一人。あとはみんな「お客さん」なので、気の毒ではあります。
でもきょうは長男からパートナーの好きな高級チョコをもらって、とても嬉しそうでした。
わたし?わたしはどちらも美味しくいただくだけ(笑)
きょうは午後、パートナーが外科へ行く前に生協へ寄って買い物をするというので、一緒に行って、重い荷物を先に電動アシスト自転車にのせ帰り、そのあと芙蓉のスケッチをしてみました。鉛筆で線画を書いているときはうまくいっているように思っても、色を塗ると全部台無しにしてしまって後悔します。けれど、色を塗ってもうまくいくときはとてもうれしいので、つい色塗りしてしまいます。
今回は失敗。全然思うような絵になりませんでした。考えてみると最初から(線画のときから)花びらがほんものよりもちぢこまっていて、見えるとおりに十分に花弁が美しく広がっている様子を写し取り損ねていたことがわかります。
しかし芙蓉はこれまで何度か挑戦したけれど、結構難しいようです。あの柔らかで、光を通して美しく輝くかと思えば影にはいればはいったで花弁にはいっている筋が微妙で、下手に色をつけると肝心の花弁の色が濁ってしまうし、べたっとピンク色に塗りつぶせが単調でつまらない花になってしまい、簡単そうに見えてけっこう難しい。
やはり私のようなド素人には、カボチャとか大根とか、固くまとまった静物でまず練習するのがいいようですね。
失敗は失敗で隠してもしょうがないので、失敗記念ということで・・・

きょうは長男が一緒の夕餉だったので、例によってパートナーは張り切ってメニューを考えていました。やはり張り合いがあって、いい刺激になるようです。ただ、きょうは昼間、膝の半月板損傷の件で定例の外科病院いきで、連休明けのせいでものすごい数の患者で、さんざん待たされ、薬局でもひどく待たされたとかで、ぐったり疲れて帰って来たので、私は大丈夫かなと心配していましたが、しばらく居間で休んでいるうちに回復して、いつもどおり手早く料理していました。
その成果が次のようなきょうの夕餉の食卓になりました。

マンゴーの生ハム巻き。先日、長男が手配していたのが届いた緑色のままで熟するマンゴー、きょうはじめて残った大きい方を切ったら、ちょうど良いころ合いだったとのことで、生ハムで巻いて前菜になりました。奥が生ハム、手前は燻製ハム。これは生ハムのほうが合ったように感じましたが、いずれも美味しかった。
お皿は先日加藤静允先生が送ってくださったお手製品の焼き物で、こういうお皿に盛るだけでも美味しそうに見えます。

バーニャカウダとジェノヴェーゼの冷製クリームレモンパスタ。バーニャカウダはパートナーがイタリアンレストランの味を再現しようと様々に工夫して発見した独特の製法でおみごと再現した自家製で、何時でも食べられるように冷凍してあります。
ジェノヴェーゼはわが家で育ったたくさんのバジルでつくったもの。パスタは先日は私が間違えて太さ3mmのを買ってきてしまったけれど、食感も味も全然違う太さ2mmの2分でゆで上がるカペッリー二。食べてみるとその差は歴然で、やっぱりこれでないとダメなんだな、と納得。とても美味しかった。

羊のロースト 赤ワインバルサミコソース。羊は私の好物なので、カナートでいつも置いていてくれるのは大変ありがたい。ちょっとした特別の日にはよく羊を使った料理をしてくれます。もっとも年々歯が弱って、よほど柔らかい肉でないと食べづらくなってきてしまいました。でも食べるなら骨付き肉が野性味あって、美味しい。

本来は羊肉を入れたシェパッズパイ(羊飼いのパイ)ということだったのですが、きょうはメインが羊なので、マッシュトポテトとミートソースのグラタン。

パンコントマテ
(以上でした)
二人で後片付けをしながら、パートナーいわく「誰も祝ってくれへんから、自分で一日遅れの敬老の日のお祝いをしたワ」。家族のメンバーはたくさんいても、いつも料理を供するのはパートナーだけですから、自分自身が祝ってもらうべきときでも、私や息子たちから孫にいたるまで、家族に美味しい料理を提供してきたのは彼女一人。あとはみんな「お客さん」なので、気の毒ではあります。
でもきょうは長男からパートナーの好きな高級チョコをもらって、とても嬉しそうでした。
わたし?わたしはどちらも美味しくいただくだけ(笑)
きょうは午後、パートナーが外科へ行く前に生協へ寄って買い物をするというので、一緒に行って、重い荷物を先に電動アシスト自転車にのせ帰り、そのあと芙蓉のスケッチをしてみました。鉛筆で線画を書いているときはうまくいっているように思っても、色を塗ると全部台無しにしてしまって後悔します。けれど、色を塗ってもうまくいくときはとてもうれしいので、つい色塗りしてしまいます。
今回は失敗。全然思うような絵になりませんでした。考えてみると最初から(線画のときから)花びらがほんものよりもちぢこまっていて、見えるとおりに十分に花弁が美しく広がっている様子を写し取り損ねていたことがわかります。
しかし芙蓉はこれまで何度か挑戦したけれど、結構難しいようです。あの柔らかで、光を通して美しく輝くかと思えば影にはいればはいったで花弁にはいっている筋が微妙で、下手に色をつけると肝心の花弁の色が濁ってしまうし、べたっとピンク色に塗りつぶせが単調でつまらない花になってしまい、簡単そうに見えてけっこう難しい。
やはり私のようなド素人には、カボチャとか大根とか、固くまとまった静物でまず練習するのがいいようですね。
失敗は失敗で隠してもしょうがないので、失敗記念ということで・・・

saysei at 21:30|Permalink│Comments(0)│
地蔵盆 古本市の売り上げ
団地の自治会ニュース(第6号)に、先の地蔵盆の収支が報告され、あわせて当日併催された住民が不要な本を持ち寄っての古本市の売上報告が書かれています。
それによれば、古本当日売上が11,500円。当日は地蔵盆の会場である団地の集会所横の空間に本を並べ、一冊100円均一で売っていたので、115冊が売れたわけです。団地は120戸ほどですから、ほぼ一戸あたり1冊買った勘定になります。団地の地蔵盆の併催イベントとしては大成功の盛況だったようです。住民から提供された不要本の冊数は、報告はされていないけれど、売れ残って古書店にひきとってもらった分も含めると、もっとかなり多かったかもしれません。
買われなかった古本は、この一乗寺界隈のお洒落な古書店「マヤルカ古書店」さんが、以前からずっと協力してくれていて、すべて引き取ってくださったようです。その分の売り上げが16,000円だったと記されています。近年、一般の古書店では、大量の本を処分しようとしても、これは要りません、とすげなく引き取り自体を拒否して、ただでも持って行ってくれない店が結構多いのです。でもこの団地の古書市に出た本は、残ったら売れなさそうな本も含めて、全部マヤルカ古書店さんが引き取ってくれます。最初にこれをやったときにたまたま自治会長をしていた私が、そんなふうにマヤルカさんにお願いしたのを、ずっと守ってくださっているようです。そして、マヤルカさんはいつも良心的な値段で引き取ってくれます。
こうして古本市で合わせて27,500円の売り上げがあり、これはすべて団地の神輿購入資金積み立てとして自治会会計に繰り入れられることになっています。私が以前に自治会の役をしていたころ、すでにわが団地の神輿はボロボロでしたが、結構購入するとなると小さいものでも高価で、すぐにはとても購入できなかったので、紙の飾りをくっつけて何とか恰好をつけた覚えがあります。こうして年々少しずつでも積み立てられた資金で、そこそこ立派な神輿が購入できれば大変結構なことです。やはり同じ神社に集まってくるほかの町の多くの神輿に比べて明らかに見劣りがするようだと、なんだか神様に申し訳ないじゃありませんか(笑)
私は前からこの古本市の開催を待望していて、処分する本を半年以上前から用意してアーちゃん(せきせいいんこ)の部屋に積み上げてきましたが、今回処分できてホッとしています。昨年までは、新型コロナの感染が広がっていた影響で、自治会が古本市の開催に慎重だったのだと思います。数年待って、待望の再開が果たされて嬉しい。団地の住民で本の好きな人には100円という安価で読んでみようかという本がみつかるかもしれないし、提供する側は不要な本を処分してもらえる良い機会だし、自治会に少しずつでも神輿購入資金が積み立てられていくのも団地にとって良いことだし、一石三鳥のイベントで、ぜひ来年をつづけてほしいと思います。来年もし私がいなくなっていたら、けっこういい値段がつけられる大量の本が出るかもしれません(笑)。

きょうは朝から猛暑。ちょっと紅茶カスを庭の花壇に埋めに行っただけで、頭から首の後ろがカッと熱くなるほどのカンカン照りです。芙蓉はきょうも10輪ほど咲いています。

きょうの一輪
今朝はアーちゃんの餌を替えていて、スプーンで餌を入れていると、焦ったアーちゃんがいきなり右前腕へ飛び降りて、内側の皮膚をがブリッ!アーちゃんのはあの大きく硬い嘴でギュッと噛むと、一瞬捻るようにして逃げ去るので、あとの皮膚が内出血して赤黒い比較的大きな斑紋ができます。自分でも悪いことをしている意識はあるのか、すぐ逃げて知らん顔しているのですが、どうもスプーンで餌箱をいじると、エサをとられたり減らされたりするとでも思っているらしくて、いつもそういうことをします。
こちらも防御のために、ケガをしたときにガーゼと絆創膏を這った上からかぶせて前腕を保護するネットのような筒形のカバーをたいていは着けて作業するのですが、きょうはうっかり古傷のある左前腕にだけそれをつけて、右は無防備でした。そこをガブッとやられました。あれ、けっこう痛いのです。まあ傷口までは開かなかったけれど、噛まれたところは当分赤黒いあざみたいなのが残りそうです。
アーちゃんは暇さえあればケージの端に乗って、至近距離の壁に立てかけてある大きな姿見に映る自分に餌を与えるかのように、口の中の唾液と食べ物の残りかすのようなものをベロで擦り付けて、鏡に白い綿雲のような跡を幅広い帯状につけていきます。あれをほうっておくと、すぐに硬くなって、カルシウムを含んでいるせいか、拭おうとしても非常に硬く付着して取りにくくなってしまうので、私が入室するたびにチェックして、そろそろ拭いておかないと硬くなりそうだなと思うと、こまめにアルコールティッシュで拭き取るようにしています。
しかし、どうもアーちゃんはそれが気に入らないようで、外に出ているときは、私を牽制するように頭上を旋回してこれみよがしに私の頭髪に脚が触れるような低空飛行でかすめていきます。また、ケージの中にいるときも、抗議するように変な声で吠えるかのように、いつもとは違う啼き声をたてています。せっかく自分がつけた跡を消されるのが気に食わないのかもしれません。だけどほっとくと固まるんだよね、キレイキレイしないと・・・などと説得しながら拭いとるのですが、作業中に外に出ているときはやたら頭上を旋回して脅しをかけてくる感じなので、最近はケージにはいっているときを狙って、ケージの扉をしめてから作業にかかります。
こんなふうにあの小さな生き物との間にも、いろいろ心理的な駆け引きが生じます。あの小さな頭脳でよくまあわれわれ人間の頭脳と渡り合うもんだなぁ、と感心します。
話はコロっと変わりますが、真田広之が米国で、主演だけでなく制作に参画したらしいドラマ「将軍」が、エミー賞の作品賞、主演男優賞、主演女優賞はじめ十八の部門で受賞したというニュースがありました。米国でつくられる日本の時代劇みたいなドラマは、ほとんど例外なく米国人の抱くお粗末なサムライ像をなぞった、歴史的な武士などの実像とは程遠い滑稽きわまりない作品で、しばしば日本でもあまりひどい、と話題になったことがありました。
米国製のサムライ映画にも出演してきた真田も、そういう鬱憤をかねてかかえていたようで、自分が東映を中心に引き継いできた知識と技術、技能のすべてを注ぎ込む決意で臨んだのが、今回の作品だったらしく、米国の製作会社による米国資金による製作だったせいか、日本ではあまり詳しく報じられることがなかったので、ほとんど何も知らないままですが、エミー賞十八冠などというのは、米国人でもこれまでありえなかった快挙だそうで、まことにめでたいことだと思います。
日本のプロフェッショナル・スタッフも大勢参加したようで、今回は細部までへんなところのない(少なくとも「少ない」)本格的な時代劇が見られるのではないかと思います。物語自体は米国人作家(シナリオライター?)のものらしいので、大丈夫かいな、というところはありますが、史実をなぞる作品ではなく、いちおう関ヶ原前夜の徳川家康をイメージはしているけれど、ドラマ自体はフィクションで、自由に想像力をはばたかせて書かれたもののようです。
日本ではどこで最初に見られるのか知りませんが、できれば多少高めの有料なのは仕方ないと思いますが、契約中のNetflixとかamazon primeとかでやってくれるといいな、と思います。
真田広之の出演映画は考えてみればほとんど見ていなくて(ずっと日本映画を見なくなっていたせいもあるでしょうが)、一番印象に残っているのはまだ若いころの「里見八犬伝」です。これは映画としても面白かったし、真田も千葉真一も薬師丸ひろ子もすごくよかった。あとは比較的あたらしい「たそがれ清兵衛」でしょうか。これは敵役のほうの田中泯の凄みのほうが印象に残っていますが・・・
それによれば、古本当日売上が11,500円。当日は地蔵盆の会場である団地の集会所横の空間に本を並べ、一冊100円均一で売っていたので、115冊が売れたわけです。団地は120戸ほどですから、ほぼ一戸あたり1冊買った勘定になります。団地の地蔵盆の併催イベントとしては大成功の盛況だったようです。住民から提供された不要本の冊数は、報告はされていないけれど、売れ残って古書店にひきとってもらった分も含めると、もっとかなり多かったかもしれません。
買われなかった古本は、この一乗寺界隈のお洒落な古書店「マヤルカ古書店」さんが、以前からずっと協力してくれていて、すべて引き取ってくださったようです。その分の売り上げが16,000円だったと記されています。近年、一般の古書店では、大量の本を処分しようとしても、これは要りません、とすげなく引き取り自体を拒否して、ただでも持って行ってくれない店が結構多いのです。でもこの団地の古書市に出た本は、残ったら売れなさそうな本も含めて、全部マヤルカ古書店さんが引き取ってくれます。最初にこれをやったときにたまたま自治会長をしていた私が、そんなふうにマヤルカさんにお願いしたのを、ずっと守ってくださっているようです。そして、マヤルカさんはいつも良心的な値段で引き取ってくれます。
こうして古本市で合わせて27,500円の売り上げがあり、これはすべて団地の神輿購入資金積み立てとして自治会会計に繰り入れられることになっています。私が以前に自治会の役をしていたころ、すでにわが団地の神輿はボロボロでしたが、結構購入するとなると小さいものでも高価で、すぐにはとても購入できなかったので、紙の飾りをくっつけて何とか恰好をつけた覚えがあります。こうして年々少しずつでも積み立てられた資金で、そこそこ立派な神輿が購入できれば大変結構なことです。やはり同じ神社に集まってくるほかの町の多くの神輿に比べて明らかに見劣りがするようだと、なんだか神様に申し訳ないじゃありませんか(笑)
私は前からこの古本市の開催を待望していて、処分する本を半年以上前から用意してアーちゃん(せきせいいんこ)の部屋に積み上げてきましたが、今回処分できてホッとしています。昨年までは、新型コロナの感染が広がっていた影響で、自治会が古本市の開催に慎重だったのだと思います。数年待って、待望の再開が果たされて嬉しい。団地の住民で本の好きな人には100円という安価で読んでみようかという本がみつかるかもしれないし、提供する側は不要な本を処分してもらえる良い機会だし、自治会に少しずつでも神輿購入資金が積み立てられていくのも団地にとって良いことだし、一石三鳥のイベントで、ぜひ来年をつづけてほしいと思います。来年もし私がいなくなっていたら、けっこういい値段がつけられる大量の本が出るかもしれません(笑)。

きょうは朝から猛暑。ちょっと紅茶カスを庭の花壇に埋めに行っただけで、頭から首の後ろがカッと熱くなるほどのカンカン照りです。芙蓉はきょうも10輪ほど咲いています。

きょうの一輪
今朝はアーちゃんの餌を替えていて、スプーンで餌を入れていると、焦ったアーちゃんがいきなり右前腕へ飛び降りて、内側の皮膚をがブリッ!アーちゃんのはあの大きく硬い嘴でギュッと噛むと、一瞬捻るようにして逃げ去るので、あとの皮膚が内出血して赤黒い比較的大きな斑紋ができます。自分でも悪いことをしている意識はあるのか、すぐ逃げて知らん顔しているのですが、どうもスプーンで餌箱をいじると、エサをとられたり減らされたりするとでも思っているらしくて、いつもそういうことをします。
こちらも防御のために、ケガをしたときにガーゼと絆創膏を這った上からかぶせて前腕を保護するネットのような筒形のカバーをたいていは着けて作業するのですが、きょうはうっかり古傷のある左前腕にだけそれをつけて、右は無防備でした。そこをガブッとやられました。あれ、けっこう痛いのです。まあ傷口までは開かなかったけれど、噛まれたところは当分赤黒いあざみたいなのが残りそうです。
アーちゃんは暇さえあればケージの端に乗って、至近距離の壁に立てかけてある大きな姿見に映る自分に餌を与えるかのように、口の中の唾液と食べ物の残りかすのようなものをベロで擦り付けて、鏡に白い綿雲のような跡を幅広い帯状につけていきます。あれをほうっておくと、すぐに硬くなって、カルシウムを含んでいるせいか、拭おうとしても非常に硬く付着して取りにくくなってしまうので、私が入室するたびにチェックして、そろそろ拭いておかないと硬くなりそうだなと思うと、こまめにアルコールティッシュで拭き取るようにしています。
しかし、どうもアーちゃんはそれが気に入らないようで、外に出ているときは、私を牽制するように頭上を旋回してこれみよがしに私の頭髪に脚が触れるような低空飛行でかすめていきます。また、ケージの中にいるときも、抗議するように変な声で吠えるかのように、いつもとは違う啼き声をたてています。せっかく自分がつけた跡を消されるのが気に食わないのかもしれません。だけどほっとくと固まるんだよね、キレイキレイしないと・・・などと説得しながら拭いとるのですが、作業中に外に出ているときはやたら頭上を旋回して脅しをかけてくる感じなので、最近はケージにはいっているときを狙って、ケージの扉をしめてから作業にかかります。
こんなふうにあの小さな生き物との間にも、いろいろ心理的な駆け引きが生じます。あの小さな頭脳でよくまあわれわれ人間の頭脳と渡り合うもんだなぁ、と感心します。
話はコロっと変わりますが、真田広之が米国で、主演だけでなく制作に参画したらしいドラマ「将軍」が、エミー賞の作品賞、主演男優賞、主演女優賞はじめ十八の部門で受賞したというニュースがありました。米国でつくられる日本の時代劇みたいなドラマは、ほとんど例外なく米国人の抱くお粗末なサムライ像をなぞった、歴史的な武士などの実像とは程遠い滑稽きわまりない作品で、しばしば日本でもあまりひどい、と話題になったことがありました。
米国製のサムライ映画にも出演してきた真田も、そういう鬱憤をかねてかかえていたようで、自分が東映を中心に引き継いできた知識と技術、技能のすべてを注ぎ込む決意で臨んだのが、今回の作品だったらしく、米国の製作会社による米国資金による製作だったせいか、日本ではあまり詳しく報じられることがなかったので、ほとんど何も知らないままですが、エミー賞十八冠などというのは、米国人でもこれまでありえなかった快挙だそうで、まことにめでたいことだと思います。
日本のプロフェッショナル・スタッフも大勢参加したようで、今回は細部までへんなところのない(少なくとも「少ない」)本格的な時代劇が見られるのではないかと思います。物語自体は米国人作家(シナリオライター?)のものらしいので、大丈夫かいな、というところはありますが、史実をなぞる作品ではなく、いちおう関ヶ原前夜の徳川家康をイメージはしているけれど、ドラマ自体はフィクションで、自由に想像力をはばたかせて書かれたもののようです。
日本ではどこで最初に見られるのか知りませんが、できれば多少高めの有料なのは仕方ないと思いますが、契約中のNetflixとかamazon primeとかでやってくれるといいな、と思います。
真田広之の出演映画は考えてみればほとんど見ていなくて(ずっと日本映画を見なくなっていたせいもあるでしょうが)、一番印象に残っているのはまだ若いころの「里見八犬伝」です。これは映画としても面白かったし、真田も千葉真一も薬師丸ひろ子もすごくよかった。あとは比較的あたらしい「たそがれ清兵衛」でしょうか。これは敵役のほうの田中泯の凄みのほうが印象に残っていますが・・・
saysei at 11:00|Permalink│Comments(0)│
2024年09月16日
きょうの芙蓉は10輪ほど

庭の芙蓉、このところ毎日10輪以上咲いています。きょうはちゃんと正面向いてひらいたのがほとんどなくて、少ないようにみえましたが、それでもよくみると10輪までは数えられました。

まだしも綺麗な貌を見せてくれた「きょうの一輪」はこれでした。
きょうの夕餉

レンコン入りのつくね

きゅうりのもろみ味噌、いわゆるモロQですね。戸田農園さんで昨日ゲットしたきゅうり。

イワシのミリン干し

ごぼうのサラダ

茄子の揚げ出し 戸田農園さんで昨日ゲットした茄子 茄子自体がとても甘い

小松菜のおひたし

ニラたまのおつゆ

シメにいつも一切れいただく、戸田農園さんの古漬けスグキ。昨日運よくまたひとつだけ出ていたので、他の人に先を越されないように、大急ぎで100円玉を3つ入れてゲットしてきました。専門店や百貨店で買ったら、いま1000円近くしているんじゃないでしょうか。代々の醗酵菌が宿っているに違いない樽の中で十分な時間をかけて漬けられ、一年間置かれた古漬けのスグキの味は格別で、バーなんかでおつまみに出したら酒飲みが喜びそうな珍味。ひときれ数百円とられるかもしれませんが(笑)
きょうは午前中ちょいと家の中の掃除をし、午後は紫式部日記の彰子安産祈願・物の怪払いの読経が続くあたりから敦成が難産ながら無事に誕生するシーン、さらに生誕五十日(イカ)の祝いの宴席での公卿たちの酩酊醜態ぶりを描いたあたりを読んでいました。紫式部の結構辛辣な眼差しが冴えていて面白い読みものになっています。
百日(ももか)の祝いの宴席では、公卿たちの詠む歌の「序」を書くことになっていた行成から筆と紙を奪い取った伊周が、いまでは道長にとって用なしになった定子の遺児敦康親王への思い入れたっぷりの漢詩を書いて一座の顰蹙を買うという話が『小右記』に詳しく記されています。これについては、別のブログで伊周の作品を取り上げたときに書きました。
あと、ひらかなのくずし字・つづけ字のお手本をウェブサイトで探していて、国文学資料館の提供している古典の写本の写真のページに行き当たりました。紫式部の源氏物語も、清少納言の枕草子も、伊勢物語も蜻蛉日記も、古今集も新古今集も、惜しげもなく出ています。それはほとんどみな、ひらかなのくずし字・つづけ字のお手本みたいな書き物ばかりです。ディスプレイ上で拡大もできるので、字と字のあいだのつなぎ具合も、じっくり確かめることができます。
こんな素晴らしいお手本がふんだんに無料提供されているなんて!と喜び、あとは練習するだけです(笑)。練習のほうは一筋縄ではいかないから、あきっぽい私はそのうちすぐ挫折するでしょうが、気持ちがのっている間はほんのわずかな期間でも、これまで親しんできた古今集を今度は小筆に墨をつけて書写するなどして、かなのくずし・つづけ字を楽しく学んでみたいと思っています。
源氏物語を読むのも、これまでは通し読みは与謝野源氏で済ませて、原文のほうはまあ必要なところや興味のあった部分とその前後を拾い読みする程度だったけれど、同じ読むならこういう仮名のくずし・つづけ字で書かれたほんものの写本でスラスラ読めたらどんなに中身によくマッチして実感がわいてくるだろうか、と思います。いまはあらかじめ中身を知っているところは何とか文章を追えるとしても、そうでないところはほとんど読めません。あんな写本がすらすら読めたらカッコいいな!(笑)
saysei at 21:07|Permalink│Comments(0)│