2024年09月
2024年09月24日
上賀茂野菜のめぐみ / ホウボウという魚

好物のトウガンが昨日でなくなったというので、きょう近くのHELPへ買い物に出たついでに、また上賀茂迄電動アシスト自転車の脚を伸ばして、上賀茂の野菜自動販売機めぐりをしてきました。いまは夏枯れでどこもほとんど野菜を出していないのですが、6つまわる無人販売所のうち一番上賀茂神社に近い、道路に面した家の駐車場の中にしつらえられた販売機に、たったひとつだけ、立派なトウガンが残っていました。300円。
あとは小カブ、パプリカ、茄子、辛味唐辛子くらいでしたが、パートナーは冷蔵庫に野菜が少なくなっていたので喜んでいます。

買い物は牛乳だったのですが、魚も覗いてみて、何か食べたいものがあったら買ってきて、と言われて、魚屋さんも覗いてみました。鰈、鯛、甘鯛、鰤、イサキ、鮭、カンパチ、鯖、秋刀魚等々とみなれた魚が並んでいましたが、ひとつだけ、食べたことがない(と思われる)魚がありました。
それがこの「ほうぼう」と書かれた、赤黒くヌメッとした表紙で、長い鋭いヒレに、胴体がスリムなわりに骨ばった大きめの頭にギョロ目、ガブリと食いつかれたら歯が痛そうな少し突き出た大きな口をした魚。880円と高かったけれど、こういう自分にとって珍しい魚を見ると、食べて見たくなるので、エイヤッと買って帰りました。
末広恭雄さんの『魚の博物事典』(講談社学術文庫)によれば、この魚はカサゴの仲間らしく、静かな内湾を好み、その沿岸に棲んで、浅い海の岩の上を這ったり、その付近を泳いだりして生活しているのだそうで、胸鰭の前のニ、三本が分離して、「歩脚」と呼ばれる蟹の脚のようなその鰭を交互に動かして岩の上を這い、岩や砂を押し分けて前進し、ときに砂の中の餌を探り出すのだそうで、この鰭には味見をする味蕾迄備わっているとか。
もうひとつほうぼうで面白いのは、音を出すという奇習があるということで、鰾(うきぶくろ)を収縮させて、ググー、ググーという、膨らませたゴム風船の表面を指でこすった時のような怪音を発するのだそうです。
冬はちり鍋、春から初夏にかけては三枚におろして酢の物として食べてもおいしいそうですが、味が淡白なので、煮つけ、椀だね、焼魚、蒲鉾としても美味だとのこと。わが家では焼き魚にしてもらうことになっていて、夕餉の食卓を楽しみにしています。

これはお昼のパスタ。昨日の残りのサラミ、生ハムに、昼前にパートナーが庭のバジルでつくっていたバジルソースのはいったカペッリー二冷製パスタ。左は昨夕の残りのサツマイモとクルミのサラダ。

バジルソース製作中

お昼のあとのデザートは昨夕にひきつづき、イチヂクのロールケーキとサーカスコーヒーの豆によるレイコ―。ウェブサイトに載っていたイチヂクのロールケーキは、皮も剥かないままのイチヂクを丸ごと巻き込んでいましたが、生クリームはごくごくわずかしか使っていませんでした。わが家のケーキは皮を剥いたイチゴをたっぷり美味しい生クリームで包み、純粋な材料、新鮮な卵を使ってそれ自体が美味しいスポンジケーキで巻いてあります。非常に味の相性のよい三者が一体になっておいしいケーキになっています。わが家のと同じくらいのサイズのパウンドケーキがwebサイトでみるお店では2500円とかで売られていたので、パートナーガ驚いていました。
わが家のロールケーキは、キャラウェイ・シード、ブランデー漬け干しブドウ、レモン、オレンジ、ブランデー漬け蒸し栗、キンカン、マンゴーと、そのときどきで入れる果物は違いますが、ベースになるパウンドケーキの原価は200円台だそうです。こんなおいしいケーキがわが家で安くいただけて幸せです。

高野橋から見たきょうの比叡と空。もう秋空のような雰囲気になってきていて、空気が澄んでいました。自転車で走っていてもそう暑くはなく、気持ちが良かった。

わが家の芙蓉はきょうも34輪だったか・・・たくさん咲きました。

上辺にかたまって咲いているのが綺麗です。昨日咲いたの花がまだ濃い赤みを残してとどまっています。だんだんその数も多くなってきました。

きょうの2輪

きょうの一輪
saysei at 15:20|Permalink│Comments(0)│
2024年09月22日
倫子はなぜプイと席を立ったのか
古今集を最初から一首ずつ読んで自分なりに理解したことをノートし、我流の現代語訳をつけてきたブログ「手ぶら読みの古今集」が、全面的に頼りにしてきた片桐洋一さんの「全評釈」、分厚い三冊の文庫本のうち上巻の最後に位置する冬歌までたどりついて、その前半10首をきょうアップロードしました。
→ 「手ぶら読みの古今集」第40回冬歌~その1(314~313)
だいぶさぼっていたので、間があいてしまいましたが、あと一息でようやく上巻を注釈迄含めて全部読み切ったことになります。まだ同じくらいの分量の中巻、下巻があるので先は長いけれど、途中までしか行けなくても、行ったところまででも、楽しい旅だったと思えそうです。
中学か高校でごくわずかな歌を習って、その後ときどきなにかのきっかけで検索しては拾い読みしてきたけれど、こうして最初から一首ずつ、わからないところがないように、専門家の評釈も全部読んで進めていくと、何の予備知識もなかった素人でも、古今集に集められた歌に共通する特徴のことや、この歌集がどういう歌集だったのか、といったことが、おのずから理解できるような気がしてきました。むろん素人レベルでの理解にすぎないけれど、歌を理解して楽しむ分には十分で、なんの支障もないし、これまでよりもずっと深く楽しめるのが何よりです。
きょうの大河ドラマ「光る君へ」では、敦成親王の誕生と、その「五十日(イカ)の祝い」の宴席が描かれていました。
その最後のシーンで、倫子がプイと不愉快な表情をして席を立ち去ってしまう場面があります。これは紫式部日記に描かれていることなのですが、このドラマでは、きょうの回で紫式部と道長の男女関係がほかの女御から疑われ、赤染衛門が直接式部に問い糺す場面があったこともあわせて、倫子が道長と式部の関係を疑って、道長と式部が歌を交わした親密な様子に嫉妬した、という描かれ方になっていたのではないかと思います。
もとより、確定的ではなくて、男女関係なく、式部の奥深い学識等々に人間的な嫉妬を感じていたとか、道長が寄せる式部への厚い信頼に嫉妬したとか、いろいろ解釈の余地はあるでしょう。
ただ、紫式部日記にみる彼女の観察によれば、道長は、彰子が幸せなのも父親の私にそれだけの良き父親としての資格があるからだとか、倫子にとっても自分はよき夫であり、彼女が幸せなのもこの私がよき夫であるからだ、というような、冗談めかした言葉ではあれ、酔いに任せてぬけぬけと自画自賛を皆の前で言ってのけ、本人たちにも周囲の女御たちにも、そうだろう?そうだよなぁ、と問いかけて受けを狙うようなパフォーマンスだったので、やりすぎですよ、という半ば呆れ、半ば舌打ちするような感じで、とてもしらふで聞いてられんわ、ということで席を立ったようにみえます。
その倫子を道長は慌てて追いかけながら、まだ座のものに、そうだよなぁ、というふうに同意を求めるようにふざけた言葉をかけながら、倫子のとりなしに行く感じで、ここでは倫子が圧倒的に強い立場です。もともと結婚したときは道長はまだ海のものとも山のものとも知れない若造で、歳のはなれた兄が二人もいて先が見えない状態だから倫子の父親は猛反対します。とりなしたのは倫子の母親だったらしいけれど、当時は圧倒的に倫子の実家のほうが強い立場だったようです。
倫子と結ばれることで道長が出世街道を突っ走る運にめぐまれたことは疑いもなく、結婚してからも、実家の膨大な財産を受け継いだ倫子は(当時は夫と妻はそれぞれの遺産を共有ではなくて、それぞれが所有権を持って管理していたらしいので)、四男坊かなにかで大した資産を持っていなかったらしい道長よりもはるかに多くの財産を持っていたようで、実際に道長を経済的にも助けてきたのでしょう。そうすると、どうしても強いですよね。
そんな背景もあって、彼女が道長よりも財産上も、気位も高い女性で、事実上道長をお尻に敷いていたとすれば、道長があんな自画自賛的な冗談を周囲に人がいるところで酔いにまかせてふざけて言いふらしたりするのを目の前で見聞きして、あまりいい気持ではなかったというのは十分ありえることのように思えます。あなたがそうやって出世できたのも、もとはといえば、最初からずっと私やうちの両親が支えてきたからじゃないの、ふん!ってなところかもしれません。
だから、道長の自画自賛が、自分がいい父親、いい夫であるがゆえにおまえたちも幸せなのだ、というような物言いが片腹痛いというか、ちょっとカチンときたんじゃないでしょうか。
紫式部が道長の妾だった、ということを記した文書があったり、そういう主張をして、この場面も道長と露骨に言えば性的交渉のあった紫式部の仲を不快に思っていた倫子が、その不快さを座を中座して立つことで示した、といった解釈もあるようですが、それはちょっと倫子を見くびった解釈のように思えます。同時代の道綱の母が「蜻蛉日記」に書いているように、当時の正妻の地位というのは妾とは比べ物にならないほど強いものだったと思うし、まして何人もの子をもうけた倫子が、道綱が幾人の妾をもっていようと気にもしなかったろうと思います。
そりゃ特定の妾の所に入り浸って本宅にちっとも帰ってこなかったりしたら不愉快ではあるでしょうが、そうででもなければ道長が妾を何人もって、帰ってこない夜がたびたびあったとしても、それで動じることはなかったでしょうし、まして個々の妾に対して対等な女性のように嫉妬してあてつけにみなのいる席を中座して立ち去る、なんて真似は決してしなかったでしょう。もともと道長には源高明の娘明子という妾もいたわけですしね。
明子の場合も明子は息子のこともあって倫子に対抗心を燃やしていたかもしれないけれど、倫子の方は明子を相手にはしていないでしょう。道綱の母の場合も彼女は本宅の北の方を強く意識していたけれど、本妻のほうは道綱の母があれこれ言ってくるから適当に相手をしているだけで、実際には気にも留める相手ではなかったでしょう。
ですから、倫子がなぜあの席を立って行ったかという話を別にして、紫式部がドラマの描くように本当に道長と性的交渉があるような関係であったかどうか、というと、それは分かりません。
もちろん式部が彰子の女御として入内して仕えていたことは事実だし、実資の日記「小右記」にもあるように、彼ら上級貴族と接点があったことは確かで、紫式部自身が日記で、もう少しあとのことだけれど、或る夜、酔っぱらった道長が式部のところの戸を叩いて入れろと呼ぶことがあって、式部が必死に戸を閉ざして、扉を開けたら後悔させられることになるにきまってますからね、と拒む趣旨の歌を詠んでやるエピソードを書いています。そうやって実際に迫られた体験を書くってことは、少なくともそれまではなにもなかったんじゃないでしょうか(笑)。実際に性的関係にあったとすれば、あんなことは書かないでしょう。
『紫式部』という分厚い研究書を書かれたかたで、いまの盧山寺が式部の邸跡だと明らかにされたらしい角田文衛さんという研究者が、たしかなにかの月報みたいなのに書かれた文章で、紫式部も道長の妾の一人だったが、道長は性的交渉を伴わない多くの妾をもっていて、いわば情報源として活用していた、という風な趣旨のことを述べておられたのをかすかに記憶しています。「妾」は正妻(第一夫人)ではない、というだけで、だけど地位のある男性が面倒を見る女性ということで、いま「妾」という文字をみてわれわれが早とちりしそうな関係とは限らなかったのでしょうね。
大河ドラマの考証を担当している、いつも私が「御堂関白記」「権記」「小右記」の現代語訳でお世話になっている倉本一宏さんという専門家も、これはウェブサイトで読んだのだったか、紫式部があれだけ大部な物語を書きおおせるには、道長のバックアップがなければ考えられない、と書いておられましたね。
というのは、今ドラマで式部が源氏物語の原稿を書いている紙、あのような上等の和紙はものすごく貴重なもので、たやすく手に入るものではなかったのだそうです。だからいま私がそばに置いている小学館の日本古典文学全集は一冊が500ページほどもあるような本ですが、これで6巻分もある源氏物語という大部な物語を、小さな活字ではなく、いま吉高さんが書いているように毛筆でさらさらと書こうと思えば(失敗して廃棄する分もふくめたら・・・笑)、とてつもない分量の紙が必要だったでしょう。そんなとてつもない量の紙を手に入れて無償で供することができるのは道長しかいない、ということでしょう。
それは道長と紫式部の深く親密な関係、あるいは少なくとも深い信頼関係の証となるような状況証拠みたいなものだと言っていいのではないでしょうか。
きょうの夕餉

トウガンと鶏のミンチのそぼろ煮

揚げ手羽先、ワンタンのから揚げ、甘酢餡

小松菜、エノキ、シメジの和え物

シシャモ

モズクきゅうり酢

枝豆
(以上でした)
→ 「手ぶら読みの古今集」第40回冬歌~その1(314~313)
だいぶさぼっていたので、間があいてしまいましたが、あと一息でようやく上巻を注釈迄含めて全部読み切ったことになります。まだ同じくらいの分量の中巻、下巻があるので先は長いけれど、途中までしか行けなくても、行ったところまででも、楽しい旅だったと思えそうです。
中学か高校でごくわずかな歌を習って、その後ときどきなにかのきっかけで検索しては拾い読みしてきたけれど、こうして最初から一首ずつ、わからないところがないように、専門家の評釈も全部読んで進めていくと、何の予備知識もなかった素人でも、古今集に集められた歌に共通する特徴のことや、この歌集がどういう歌集だったのか、といったことが、おのずから理解できるような気がしてきました。むろん素人レベルでの理解にすぎないけれど、歌を理解して楽しむ分には十分で、なんの支障もないし、これまでよりもずっと深く楽しめるのが何よりです。
きょうの大河ドラマ「光る君へ」では、敦成親王の誕生と、その「五十日(イカ)の祝い」の宴席が描かれていました。
その最後のシーンで、倫子がプイと不愉快な表情をして席を立ち去ってしまう場面があります。これは紫式部日記に描かれていることなのですが、このドラマでは、きょうの回で紫式部と道長の男女関係がほかの女御から疑われ、赤染衛門が直接式部に問い糺す場面があったこともあわせて、倫子が道長と式部の関係を疑って、道長と式部が歌を交わした親密な様子に嫉妬した、という描かれ方になっていたのではないかと思います。
もとより、確定的ではなくて、男女関係なく、式部の奥深い学識等々に人間的な嫉妬を感じていたとか、道長が寄せる式部への厚い信頼に嫉妬したとか、いろいろ解釈の余地はあるでしょう。
ただ、紫式部日記にみる彼女の観察によれば、道長は、彰子が幸せなのも父親の私にそれだけの良き父親としての資格があるからだとか、倫子にとっても自分はよき夫であり、彼女が幸せなのもこの私がよき夫であるからだ、というような、冗談めかした言葉ではあれ、酔いに任せてぬけぬけと自画自賛を皆の前で言ってのけ、本人たちにも周囲の女御たちにも、そうだろう?そうだよなぁ、と問いかけて受けを狙うようなパフォーマンスだったので、やりすぎですよ、という半ば呆れ、半ば舌打ちするような感じで、とてもしらふで聞いてられんわ、ということで席を立ったようにみえます。
その倫子を道長は慌てて追いかけながら、まだ座のものに、そうだよなぁ、というふうに同意を求めるようにふざけた言葉をかけながら、倫子のとりなしに行く感じで、ここでは倫子が圧倒的に強い立場です。もともと結婚したときは道長はまだ海のものとも山のものとも知れない若造で、歳のはなれた兄が二人もいて先が見えない状態だから倫子の父親は猛反対します。とりなしたのは倫子の母親だったらしいけれど、当時は圧倒的に倫子の実家のほうが強い立場だったようです。
倫子と結ばれることで道長が出世街道を突っ走る運にめぐまれたことは疑いもなく、結婚してからも、実家の膨大な財産を受け継いだ倫子は(当時は夫と妻はそれぞれの遺産を共有ではなくて、それぞれが所有権を持って管理していたらしいので)、四男坊かなにかで大した資産を持っていなかったらしい道長よりもはるかに多くの財産を持っていたようで、実際に道長を経済的にも助けてきたのでしょう。そうすると、どうしても強いですよね。
そんな背景もあって、彼女が道長よりも財産上も、気位も高い女性で、事実上道長をお尻に敷いていたとすれば、道長があんな自画自賛的な冗談を周囲に人がいるところで酔いにまかせてふざけて言いふらしたりするのを目の前で見聞きして、あまりいい気持ではなかったというのは十分ありえることのように思えます。あなたがそうやって出世できたのも、もとはといえば、最初からずっと私やうちの両親が支えてきたからじゃないの、ふん!ってなところかもしれません。
だから、道長の自画自賛が、自分がいい父親、いい夫であるがゆえにおまえたちも幸せなのだ、というような物言いが片腹痛いというか、ちょっとカチンときたんじゃないでしょうか。
紫式部が道長の妾だった、ということを記した文書があったり、そういう主張をして、この場面も道長と露骨に言えば性的交渉のあった紫式部の仲を不快に思っていた倫子が、その不快さを座を中座して立つことで示した、といった解釈もあるようですが、それはちょっと倫子を見くびった解釈のように思えます。同時代の道綱の母が「蜻蛉日記」に書いているように、当時の正妻の地位というのは妾とは比べ物にならないほど強いものだったと思うし、まして何人もの子をもうけた倫子が、道綱が幾人の妾をもっていようと気にもしなかったろうと思います。
そりゃ特定の妾の所に入り浸って本宅にちっとも帰ってこなかったりしたら不愉快ではあるでしょうが、そうででもなければ道長が妾を何人もって、帰ってこない夜がたびたびあったとしても、それで動じることはなかったでしょうし、まして個々の妾に対して対等な女性のように嫉妬してあてつけにみなのいる席を中座して立ち去る、なんて真似は決してしなかったでしょう。もともと道長には源高明の娘明子という妾もいたわけですしね。
明子の場合も明子は息子のこともあって倫子に対抗心を燃やしていたかもしれないけれど、倫子の方は明子を相手にはしていないでしょう。道綱の母の場合も彼女は本宅の北の方を強く意識していたけれど、本妻のほうは道綱の母があれこれ言ってくるから適当に相手をしているだけで、実際には気にも留める相手ではなかったでしょう。
ですから、倫子がなぜあの席を立って行ったかという話を別にして、紫式部がドラマの描くように本当に道長と性的交渉があるような関係であったかどうか、というと、それは分かりません。
もちろん式部が彰子の女御として入内して仕えていたことは事実だし、実資の日記「小右記」にもあるように、彼ら上級貴族と接点があったことは確かで、紫式部自身が日記で、もう少しあとのことだけれど、或る夜、酔っぱらった道長が式部のところの戸を叩いて入れろと呼ぶことがあって、式部が必死に戸を閉ざして、扉を開けたら後悔させられることになるにきまってますからね、と拒む趣旨の歌を詠んでやるエピソードを書いています。そうやって実際に迫られた体験を書くってことは、少なくともそれまではなにもなかったんじゃないでしょうか(笑)。実際に性的関係にあったとすれば、あんなことは書かないでしょう。
『紫式部』という分厚い研究書を書かれたかたで、いまの盧山寺が式部の邸跡だと明らかにされたらしい角田文衛さんという研究者が、たしかなにかの月報みたいなのに書かれた文章で、紫式部も道長の妾の一人だったが、道長は性的交渉を伴わない多くの妾をもっていて、いわば情報源として活用していた、という風な趣旨のことを述べておられたのをかすかに記憶しています。「妾」は正妻(第一夫人)ではない、というだけで、だけど地位のある男性が面倒を見る女性ということで、いま「妾」という文字をみてわれわれが早とちりしそうな関係とは限らなかったのでしょうね。
大河ドラマの考証を担当している、いつも私が「御堂関白記」「権記」「小右記」の現代語訳でお世話になっている倉本一宏さんという専門家も、これはウェブサイトで読んだのだったか、紫式部があれだけ大部な物語を書きおおせるには、道長のバックアップがなければ考えられない、と書いておられましたね。
というのは、今ドラマで式部が源氏物語の原稿を書いている紙、あのような上等の和紙はものすごく貴重なもので、たやすく手に入るものではなかったのだそうです。だからいま私がそばに置いている小学館の日本古典文学全集は一冊が500ページほどもあるような本ですが、これで6巻分もある源氏物語という大部な物語を、小さな活字ではなく、いま吉高さんが書いているように毛筆でさらさらと書こうと思えば(失敗して廃棄する分もふくめたら・・・笑)、とてつもない分量の紙が必要だったでしょう。そんなとてつもない量の紙を手に入れて無償で供することができるのは道長しかいない、ということでしょう。
それは道長と紫式部の深く親密な関係、あるいは少なくとも深い信頼関係の証となるような状況証拠みたいなものだと言っていいのではないでしょうか。
きょうの夕餉

トウガンと鶏のミンチのそぼろ煮

揚げ手羽先、ワンタンのから揚げ、甘酢餡

小松菜、エノキ、シメジの和え物

シシャモ

モズクきゅうり酢

枝豆
(以上でした)
saysei at 21:43|Permalink│Comments(0)│
芙蓉41輪 / アーちゃんの異変

きょうも芙蓉がたくさん咲いています。とくに最上辺のあたりに密集しています。

2階からみるとこんな具合。41輪まで数えられたので、今年、いままででは最多の開花です。

花が密集しているところは、どの部分を拡大しても、とても綺麗

スケッチしてみたいとは思うのですが、芙蓉はとても難しい

こうしてほぉっと眺めているのがいいかもしれません
昨夜は午後10時になったので、いつものように、部屋に解き放っているインコのアーちゃんにケージへ戻ってもらって寝かせようとしたのですが、どう説得の言葉をかけてもダメで、しまいにはらちがあかないので追い立てても、頑としてケージに入ろうとしません。
いつもは、その時刻には自分で眠たくなるのか、先にケージの中に入って止まり木にとまって、すでに寝る態勢をとっているか、まだケージの天井のところにいて、ケージと壁の間に立ててある大きな姿見に映る自分の姿を相手にキスしているのか、それとも給餌しようとしているのか、せっせと自分の唾液と口の中でぐじゃけた餌の混じったのを鏡になすりつけていたりして、私が「もうお休み、また明日」と何度か声をかけると、素直に降りて来てケージへみずから入っていくことがほとんどです。
たまに鏡の前を動かず、私の言うことは分かっているようですが、そのままケージに入ろうとしないで頑張ることがあるので、あまり長くかかるようだと、私が立ち上がって、ケージの向こう側から両手で少し追い立てるようなしぐさを見せると、バタバタして、仕方なしにケージの扉のところに降り立って、ケージの中へ入っていくので、すかさず私が扉を閉じ、おやすみ、と言ってへやをでて電気のスイッチをオフにして真っ暗にするのが毎日の習慣でした。
ところが、昨日はどうしたことか、こちらがじれて、追い立てるところまでやっても、彼は絶対にケージの水平に開いた扉の上には降りずに、部屋の中のほかのところへ逃げまわります。
ふだんせいぜい部屋の中でちょっと飛ぶくらいで、そんなに長く飛んでいることもないし、降り立ったときに心臓がバクバクしているようなありさまで、高齢でいらっしゃるので、飛んでもすぐにバタッと下へ落ちるように降りたり、それも足の指が高齢化でひん曲がっているので、いつもの止まり木ならちゃんととまっていられるようですが、床などに飛び降りてもまともに着地できずにずっこけたり、ひどいときはころがって裏返しになったり、なにか怪我をした小鳥が地面に落下するみたいにバサッと落ちる感じで降りるので、こちらが心配になるようなありさまです。
それでもケージに戻ろうとはしないので、あまり追い立てていると心臓麻痺でも起こさないかと危惧し、いったん室外に出てそのままで消灯してどうするか様子をみようと思って階下へ降りました。
しばらくはそのままにしていましたが、パートナーが話を聞いてとても心配して、大丈夫やろか、と自分でこっそり見に行き、部屋の明かりをつけてどこにいるかと探しましたが、ようみつけず、おらへん!というので、私もあがっていって部屋を見ると、一見どこにもいないようなので、かつて息子が寝ていたロッジの屋根裏部屋風の、はしごで上がっていく上のところにいるのかいな、と思いましたが、念のため部屋の隅々まで探すと、まだ未処分の本を三つの段ボールに詰めたのを重ねて積み、壁との間の隙間には大きめの脚立を立てかけてある、窓際の部屋の一番隅っこの暗がりにじっと潜んでいるアーちゃんをみつけました。真っ暗になって不安だから、そういう隅っこに隠れていたのでしょう。
そのあとパートナーがいろいろ説得しながら手をさしのべたものの、アーちゃんは結局ケージの天板の所に戻ってあいかわらず姿見に向き合うだけで、決してケージにもどろうとはせず、仕方がないので電気をつけたまま、そのままでパートナーは降りてきました。
12時近くなって、こちらも寝なくてはいけない時刻になったので、決着をつけないと、と思って私が上がっていき、いつものように呼び掛けて、ケージに入るように説得したところ、今度はいつものように、すこし考えるふうをみせたものの、やがてすっとケージの水平に開いた扉の上に飛び降りて、そのままケージの中へ歩み入ったので、私はすかさず扉を閉めて、おやすみ、と言って部屋を出て消灯しました。とくにそれで騒ぎ立てるようなこともなく、あれはなんだったんだ、という感じで一件落着となりました。
それにしても、いつも例外なく最後にはケージに入っていたのに、昨夜に限って、なぜ突然あんなにも頑なに入ろうとせずに逃げ回り、徹底抗戦したのか、私たちにとっても大きな謎になって残りました。ケージの中になにか異常なことがあったというのでもないし、原因らしきものが見当たらないのです。
今朝はどうということもなく、いつものように餌と水を替え、彼もいつものようにケージを出ていこうとする仕草をみせましたが、きょうはおしおき(笑)。ちょっと様子をみることにして、いまのところ扉は閉じたままですが、それについてはとくに騒ぎ立てもせず、きょうは出してもらえないのか、とすぐにあきらめておとなしくしているようです。小さな頭脳、小さなハートのアーちゃんですが、なかなか複雑な頭と心のはたらきをみせて、こちらも駆け引きが必要なのですが、ときたまこんなふうに、まったくこちらの理解を絶するようなことがあって戸惑います。
まあそれでも、彼が元気でいてくれることはわれわれの安心の種です。アーちゃんの存在がわたしたち老夫婦の変化に乏しい日常に、罪も害もないささやかな小さな波風を立てて刺激をもたらし、ある種の張り合いをもたらし、疑似的なコミュニケーションの機会を与えてくれていて、それはそれで私たちの日常生活の貴重な要素のひとつとして埋め込まれているので、それが突然亡くなったりすると、こちらにとってもダメッジが大きそうな気がします。
実際、私は頑固に逃げ回ってケージに入ろうとしない彼に腹を立てて、消灯して階下へ降りてきてしまったのですが、話を聞いたパートナーは、大丈夫やろか?どうしたんやろ?とアーちゃんのことが気がかりでならない様子でそわそわして、ついに今度は自分が行って見るわ、と上がっていったのですが、そこで電気をつけて部屋をあけたとき彼の姿がなかったので、ちょっとパニックを起こして私に、いない、いない、と叫んで呼ぶのでした。消えるわきゃないんですが(笑)・・・
まぁ私も、逃げて飛び立っては、銃で撃たれたみたいにバサッと落ちてくるかのように床のカーペットの上に落下して、ちょうど私が階段をあがったり、着替えをしたりした直後に呼吸が苦しくて動けずにハァハァ荒い呼吸を繰り返しながらじっとしているときのように、心臓のあたりをバクバクと激しくふくらませたりしぼませたりして、まさに高齢者が無理に運動したあとのような恰好でうずくまっているのを見ると、こんなことをしていたらポックリいっちゃうんじゃないか、と心配になったので、もう追い立ててケージに戻すのをあきらめて部屋を出たのでした。
ああして頑張って飛びまわっているときは、小さくても、それなりに自我をもって欲望をあらわにし、それなりにこうしたい、という主張をして、非常に大きな存在感のある生き物ですが、死んでしまうときは、きっとあっけないのでしょう。
小学生のころには何羽ものジュウシマツを飼っていたことがありましたが、それが死んでしまうときは、ほんとうに昨日まで元気で掌に乗っかったりして慣れていた個体が、なんとあっけなくコロっとケージの床に転がって硬直した死体になってしまうことか、衝撃と大きな喪失感を伴って経験したことが幾度かあります。
ああいう思いは今もしたくないなぁ、と思いますが、いずれは(私とどちらが早いかは分かりませんが・・・笑)そういう思いをしなければならない日がくるのかもしれません。私よりさらに情緒的で、感情的な思い入れの深いパートナーのほうが心配ではありますが・・・
saysei at 11:40|Permalink│Comments(0)│
2024年09月21日
河川敷にも芙蓉咲く

明日は雨だというので、きょうは朝のうちにリハビリ自転車で上賀茂へ。でも野菜はまったく出ていなくて、収穫はゼロでした。帰りに松ヶ崎橋から下がっていったら、河川敷にわが家同様、ピンク色の芙蓉の花がたくさん咲いているのが目につきました。

向こう岸(西岸)にもあります。栄養が乏しいせいか花はわが家のものより小さいけれど、たくさん咲いているとそれなりに綺麗です。

ちょうど河川敷の草刈りが行われていて、何人かの作業員が長い柄の電動草刈り機で、伸びた雑草を刈っていました。わが家の庭も次男宅の庭も草ぼうぼうなので、あの強力な草刈り機で、ついでにガーッとやってもらえると助かるのですが(笑)、そうもいかないから、自分たちでそのうちやるしかありません。庭に散水するのはいいけれど、花壇のオレンジレモンやバラ、あるいは鉢のハーブ類が元気になるよりも、雑草が倍くらい元気になるようです。

鹿さんたちがよく寝そべったり、隠れたり、遊んだりしていた一番大きな洲のあたりも、いまはひっそり。伸び放題伸びていまは枯れかかっている雑草に覆われています。ここも綺麗に五分刈りにされるでしょう。鹿さんたちはとっくにお山へ帰って行ったにちがいありません。

あとにいるのは鴨たちと

シラサギ、アオサギといったところでしょうか。たまにカワウをみかけますが。

わが家の芙蓉、きょうは27輪を数えました

2階から全体をみるとこんな感じ

きょうの一輪①

きょうの一輪②

きょうの一輪③
きょうの夕餉

トウガンと鶏団子のスープ

ハマチの薄造り

豆腐のオクラ、エノキのせ

加茂茄子の味噌田楽

モズクきゅうり酢

のこりもの
(以上でした)
今日も少しだけ古今集を読み進みました。
平かなのお習字の稽古をしました。前にやっていたときより、ずっと下手くそになっていることがよく分かりました。すっかりコツを忘れてしまっています。手を机につけずに筆をもつ手をまひろさんみたいに宙に浮かして書くのがひどく難しく感じられます。まともな線が書けません。一字一字の仮名もまともに書けないのですから、つづけ字なんてはるか先のことになりそうです。明日は天気が悪いようなので、家でおとなしくしています。
最近創作的な文章を書くことも考えることも、ものすごく気が重くて、ひどく重い腰をヨイショッと自分で掛け声でもかけて、どこかにつかまりながらでなければ立ち上がって歩きだせないようです。それだけ気力がひどく衰えているのでしょう。なにかわずかでもオリジナルな自分の言葉を紡ぎ出そうとすれば、かなりエネルギーが必要らしくて、気力も体力も時間も揃わないと、とても難しいという実感があります。
古今集のノートのように、支えになる柱だか手すりだかがしっかりしてて、ただそれにつかまってちょっと一歩二歩歩くような作業は、まだしもそれほど気が重くないようですが、それでもずっとさぼっていて、前に進める気分になかなかなれませんでした。読んだり書いたりしているときは、それなりにとても楽しくて、別段苦しい作業ではないのですが、その世界へ入っていくのが、以前には考えられなかったほど億劫になってしまっているようです。
自分でも時間がたって振り返ってみて、そうなってしまっているな、と気づくようなことなのですが、あんまり好ましい変化ではありません。そうかといって自らお尻をひっぱたいてまでやらなければならないようなことでもないので、読みたいとか、書きたいという気持ちを億劫さが上回ってしまえばそれまでです。古今集にしてもこれまで読んできた上巻と同じくらいの分厚さの中巻、下巻が先にひかえていると思うと、こりゃこのペースではとても生きているうちには読み切れないな、と思います。
前に入院していたとき先まで読んでしまったように、ただ読んで、評釈も含めて一読して、ああそうか、そういう歌か、と理解出来たら先へいく、というだけなら、もうとっくに三巻とも読み終えていたでしょうけれど、退院してから、やっぱりまたもとに戻って、じっくりと一首ずつ舐めるように読んで、理解したところを自分なりの現代語訳にしてみて、はじめて一首読んだという実感がわくので、やっぱりそういうやり方でいこうと思いました。これでは八代集に目を通すどころか、古今集も終わりまでいかずに沈没するのは確実ですが、はて困った・・・
saysei at 12:51|Permalink│Comments(0)│
2024年09月20日
大谷51-51、わが家の芙蓉40輪超え

今朝スマホを注視していたパートナーが、大谷翔平選手の1試合3ホームランで、一挙に50本塁打を超えて51まで行き、これで盗塁成功とのセットは51-51になったと教えてくれました。きょうの試合では6打数6安打、10打点だそうです。
50-50は時間の問題にしても、きょうかな、明日かな、とみんながその到達日、到達試合がいつだろうと固唾を呑んで見守っていたら、本人は軽々と達成して、おうついにやったか、と思っていたら、あれよあれよという間にそれを超えて同じ試合で3本も打って51-51になってしまいましたね。3本目は3ラン、そしてこの試合で地区優勝でしたか、決定したとか。マンガの想像力もはるかに超える生身の大谷選手です。
そういえば昨日の試合で彼がヒットにもホームランにもならなかったけれど、長打を2本飛ばしているバッティングを見て、パートナーは、彼は明日必ずホームランを打つよ、と断言していましたが、そのとおりになりました。
実はこういうことはつい最近も2度ほどあって、私は半信半疑で聞いていたのですが、翌日にほんとに大谷がホームランを打つので、なんでわかるの?と訊くと、前日にフェンスぎりぎりの長打を打って捕球されたようなときは、大谷のバッティングは好調で、振りが非常に力強いから、翌日僅かに調整することによって、こんどは確実にホームランにしているんだ、とのこと。
もうこの半年くらいは毎日のように大谷のバッティングを映像で確かめてきたパートナーの観察眼は野球評論家並みになっているようです(笑)
栗山監督は事前に、3本打つんじゃないの?と言っていたそうです。さすがですね。生身の大谷選手の動きなど見ていると、栗山さんくらいになると、すぐにいまの調子がどの程度かわかるんでしょうね。ちょうど競馬の常連客が走り出す前の馬の様子を見ていて、レースの順位をほぼ予想できるらしのと同じかも。あ、馬にたとえちゃ失礼かもしれないですけど・・・
ちなみに51本塁打というのはドジャースでも初だそうで、51-51というのは、日本の 某球団のチーム全体の合計ホームラン数ー盗塁数なのだ主張するSNS記事もあったそうです。あったそうだ、というのはパートナーが昼頃そう言っていたのですが、夜になったらその記事は削除されたのか、なくなっていたそうなので、もともと野球に無関心だった私には、真偽のほどは分かりませんが。ほんとだとすれば、笑ってしまいますね。一人で野球チーム全体分のホームランを打って走って、文字通り「ひとりで野球をしている」かのようです。
身長192cmですか、もともと日本人離れした体格で、運動神経も抜群で、資質に恵まれていたとはいえ、つねに自らの頭で考え、反省し、修正し、トレーニングを日々欠かさない、しかもそれはストイックなアスリートの姿に見えるし、事実そういう面はあるけれども、それよりも大谷選手のすごさは、それを苦行のように苦しみながら耐えてやっている、というのではなくて、野球が好きで好きでたまらない野球少年そのままに、楽しんでいる(すくなくともそう見える)というところだと思います。
今期の盗塁51という成功回数も、九十何%という成功率も、確かに彼の脚の速さや勘の良さが土台にあることは事実でしょうが、相手チームの投手の癖や技術を詳細に研究して頭に入れているらしいです。また、盗塁はリードして立っている状態からいきなりダッシュして全速力で走ることが必要ですが、そのためにはスタートが非常に重要だし、体のバネが必要ですが、そのために意識してそういう筋肉を鍛え、繰り返しスタートダッシュのトレーニングをしてきたのだそうです。
自分ではどんなに大変なトレーニングをしているか、ほとんど語らないし、苦行型の求道者タイプのアスリートというイメージはなく、野球大好き少年がそのまま大きくなって、野球のできることが嬉しくてしょうがないみたいに、いつもにこにこ楽しんでやっているイメージしかないけれど、奇跡のような結果の背後にはどんな選手よりも厳しい独自の考え抜かれたトレーニングの持続があることは疑いないでしょう。
いまは投げる球や飛んでいく飛球のスピードや回転数、その軌跡なども精密な計器で瞬時にわかるようですが、普通の選手は、いちおう結果の示されるディスプレイを覗きはするけれど、あぁそうだったか、ふーん、という程度(笑)。でも大谷選手やダルビッシュ選手は、そのデータのひとつひとつを入念にチェックし、疑問があれば糺し、自分の腕があるいは指が、どうであったから、この結果がこのように出たので、もしこれが少し違えば、結果はこうなるだろう、といったことが納得できるまでデータを自分の頭で消化し、解析して血肉化してしまう、というふうなことを、ベンチで実際にそれを見ている監督や関係者が証言しているようです。そういう裏付けがあってこその結果なのでしょうが、それにしてもすごい。
で、わが家の芙蓉ですが(笑)、毎日咲く花の数の記録を更新しています。きょうはざっと40輪ほど。居間から見える反対側の枝で咲いている花の中には見落としているのがあるかもしれませんので、「ざっと」というわけですが、40まではほぼ確実に勘定できました。

これだけ咲くとこちらを向いてパッと開いた花も多くて、朝カーテンを開けると目の前にこういう明るい色の花がたくさん咲いていると、なんだか嬉しくなります。

最初のころは上のほうばかり咲いていましたが、いまは上から下まで咲いています。

そのうちの3輪

上辺で朝日を透過する花弁

きょうの2輪

きょうの1輪
きょうも「蝉しぐれ」のVHSの最終巻の付録映像など未練がましく見ていました。何度見ても泣ける場面では泣けてしまいます。その集大成が最後の、福が牧文四郎を呼んで切ない想いを打ち明け、文四郎からもその想いを明かされて、もうこれでこの世に思い残すことは無い、と文四郎に身を寄せていく場面で、あのときの水野真紀の表情はほんとに見ている者も切なさ、愛おしさにキュンとなる最高の演技でした。
第三巻の付録になっているそれぞれはごく短いドラマの中にあるはずの映像のうち、いくつかは、実際にはこの三巻もののVHSを通して見ても、その中に含まれていないものがあったように思います。たとえば里村左内が企んで文四郎を呼び出し、お福の子を預かって連れ出すよう命じたあと、橋を渡って歩いていく文四郎を二人の武士があとをつけ、文四郎の姿を見失ったとき彼が現われて、ご家老に命じられたことは間違いなくやるから、あとをつけるような真似をさせぬよう、ご家老に伝えよ、と挑みかかる二人を軽く懲らして帰す場面が付録動画にはあるのですが、本番の3巻にはそういう場面はなかったと思います。ほかにもひとつふたつ、そういう場面がありました。
これらは本番放映の中では物語からカットされた部分なのか、あるいはVHSに収録するときにカットされたのか私には分かりませんが、できることなら、いったんは物語の一環をなす部分としてはまっていた細部であるなら、それらをすべて復原した「完全版」を再現して、VHSでもDVDでもいいから見せてほしいものだと思います。
さすがのNHKでも、もうこれだけの錚々たるキャスト(たぶんスタッフも)を揃え、これだけの素晴らしい原作・脚本をもとにしたドラマをつくることは二度とできないでしょうから、残されたビデオだけが繰り返し何世代もの観客の心を動かし続けることになりますが、どうもこのビデオもいまはまっとうな値段では出回っていないようで、若い人には見る機会も奪われているのではないかと思います。もったいないことです。
きょうの夕餉

かぼちゃのスープ

茄子と夏野菜のミートソースパスタ

生ハムとチーズのサラダ

パン
(以上でした)
きょうは久しぶりに古今集をほんの少し読み進めたので、夕食時の話題は私が関心を持っている惟喬親王と業平の話になりました。パートナーは業平の事績が残るお寺に行ったことがあるそうで、そこではもっぱら色好みとされてきた業平が実は一人の女性を生涯想いつづけた、昨日の「蝉しぐれ」の文四郎みたいな男だったと書いてあったそうです。その女性というのは、むろん彼が若い頃恋慕して、親兄弟と一緒に住む邸からかっさらって、駆け落ちを企んで失敗し、兄弟に連れ戻されてしまう藤原高子のことでしょう。のちの二条后ですね。
その業平と惟喬親王は業平のほうが年長だけれど、互いの心の奥深くまでわかりあえるような、特別な主従関係であったように思います。その一端は古今集のいくつかの歌とその詞書に伺えますが、もちろん伊勢物語にも出てきます。そのラストシーンは、深い雪に閉ざされた小野の里に隠棲した惟喬親王を業平が訪ねて行き、その境遇を目の当たりにして涙を流す場面でしょう。
惟喬親王は、本来ならば文徳天皇の第一皇子で、極めて優秀でもあったから天皇自身があとを継がせたかったのですが、母親が紀氏の出で、後ろ盾が弱く、時の権力者藤原良房の娘明子腹の第四皇子を世継ぎとせざるをえなかった。そして惟喬親王はたしか29歳の若さで病を理由に朝廷から退き、比叡山麓の郊外・小野の郷に隠棲して生涯を終えることになります。この小野が大原だとも近江だとも言われていて、近江の方では彼が木工技術を住民に教えたのが木地師の起こりだという伝説があって、全国の木地師が自分たちの源だという話が流布されてきたそうです。
まだ、京都では雲ケ畑の、いまの志明院に隠棲したという言い伝えもあり、雲ケ畑には惟喬神社とか、いろいろ彼にまつわる事績が残されているようです。いまはシャクナゲの寺としても知られていますが、もともとあのあたりにシャクナゲがたくさん集まって咲いていたようで、そこへ開祖空海が寺(金剛峯寺)を建てたことになっているようです。
私は北区がPR用に北区に素材を得た短編小説を募集したときに、いまは亡き妻と訪れたことのある、そのシャクナゲの咲く志明院を人で再訪した老人が夢うつつに惟喬親王に出逢う話を書いたことがあります。
いつかもう少し本格的に惟喬親王のことは調べて、書いてみたいなと思っているのですが、業平や奏上遍昭との交流がとても面白いと思って、そういう記事にゆきあたるたびにチェックはしているのですが、いま書いているものさえいったいいつになれば出来上がるのか見当もつかないありさまですから、夢のまた夢かもしれません。
きょう読んだ古今集の歌に、小倉百人一首でもよく知られた源宗干朝臣の「山里は冬ぞさびしさまさりける人目も草もかれぬと思へば」という歌で、「かれぬ」が「離(か)れぬ」と「枯れぬ」の掛詞になっていることさえ注意すれば、だれにでもスッと理解できる素直な歌なのですが、私もそうやって素直にいまふうに読んで、来る人も途絶え、草も枯れ、と理解してきたのですが、何時も頼りにしてきた片桐洋一さんの全注釈の解説によれば、万葉集以来、「離る」というのは、ほぼ全部の用例が、男女の別れを指すのだそうで、この歌も山里で、訪れのない男を待つ、寂しい女性の立場に仮託して、その気持ちを読んだものと解釈すべきだ、ということでした。それを読んで改めてこの歌を読めば、なるほどそのように思えてきます。
万葉のように自分の心情を直接吐露する表現ではなく、いったん或る仮構線を設けて、その仮構線の上で動く人物や展開されることを通じて作者が心情を伝えるというのが古今集の特色だと、このかんずっと古今集ばかり読んできて学んだことですから、そういわれてみれば深く納得できるところがあります。やはりこういうことは多くの用例をつぶさに研究してきた専門家でなければなかなか気づかないですね。ひとつの歌だけ読んでいま流に理解しようとしても、とんでもない間違いをおかしてしまいます。
エミー賞18冠の「将軍」も話題になりました。アマゾンのDVDですでに12,000円ちょっとで売られていました。でもいつかそう遠からずネットでもう少し安く配信されるよ、とパートナー。それまで待ちましょうか。
そこからパートナー持論の、あれは東映であらゆる技芸、知識を吸収して育てられた真田、千葉真一のアクション塾で身体芸を叩き込まれた真田が、そのすべてを注ぎ込んだからできたに違いない、いわば東映の伝統的な文化、技術を総ざらいして集約したものなんでしょう、という話をもう一度聞きました。
東映全盛時代にそのチャンバラを見て育ったパートナーは、同時に嵯峨に住んでいたから、数えきれないほど太秦に結集するスタッフや俳優たちの姿を見て来て、義母とともに、よく誰それのこんなことをしているのを見たとか、こんなうわさがあったとか言っていたものです。
どこやら楽屋に出入りしていた食事屋のおっちゃんが、或る時、「こんど東映にめっちゃ可愛い娘がはいりよったんや。そらほんまにとびぬけてべっぴんさんなんやけど、これがめっちゃヤンチャな娘でなぁ。窓から出入りしよんねん。」と言ってたことがあったそうです。それが東映にはいったばかりの大原麗子。こういう話は他愛ないけれど、実際にそばで見聞きした職人さんや飲食店のおっちゃんたちがもたらす噂なので、とても面白かったようです。
saysei at 13:28|Permalink│Comments(0)│