2024年09月
2024年09月26日
戸田農園さんのトマト

きょうは生協に珍しく戸田農園さんのトマトが出ていたので、これこれ、と早速パートナーガ買ってきました。真っ赤に熟したトマト、5個で300円だったそうです。美味しくて新鮮で安い、三拍子そろった戸田農園さんのトマト、大好きです。

これは阪急カナート地下のドンクのパン・ド・ママンだっけ、要は食パンの一種なんですが、わが家ではこの普通の食パンの半分の大きさの食パン一切れをさらに水平にナイフで切れ目を入れて、そこに沖縄のくんちゃまベーコン(いためて油を徹底的に落として)、トマト、スライスタマネギ、レタスまたはチシャを挟んだ自家製サンドイッチを毎朝食べているので、欠かせない一品です。そういう用途にこの食パンはサイズも味も向いていて、結構長くつづいています。
ところがこのパン、よく棚から消えてそのスペースだけぽっかり空いていることがよくあります。みんな美味しいことを知っていて、食パンでもほかにいくらもあるのに、これだけが早くなくなってしまいます。だから、確実に買いたければ昼前くらいの焼きたてのときにいくしかないのです。
さらに困った事には、このドンクという店はちょっとかわっていて、客に人気のパンを焼かなくなってしまうのです。以前にこの店で一番美味しくて、一番人気があって、すぐに売れてしまう、4種のナッツやら干し果物などが入ったパンがあったのですが、突然焼かなくなってしまいました。
想像するに、けっこう作るのが面倒なパンらしいのです。手間とコストがかかるわりには、利益率が低いのでしょう。だから、せっかく店一番の人気商品だったのに、すぐにやめてしまう。客の需要よりも作り手の手間ひまと利益率を重視するお店のようです。だからあまり好きな店ではないし、ほかのパンはレブレドォルなどに比べれば全然味が落ちるので決して買わないのですが、毎朝の習慣で、いまだにパン・ド・ママンだけは買いに行きます。3枚切りだと縁パンがついてないので、半分の値打ちしかないので、縁付きの6枚切りの方を買ってきます。なぜなら、この食パンで一番美味しい部分は、この縁の茶色い硬いところなのです。これを薄く切って、トースターでパリッと焼くと、それ自体が香ばしくて美味しいのですが、これをパンコントマテで、トマトの小さいサイコロ状のを載せて食べると、すばらしく美味しいのです。

これ、なんだかお分かりですか?(笑)きょうパートナーがたぶん生協でだと思いますがキウイのパックを買ったときに、おまけでついてきた、キウイを切るときに下に敷く、俎板というか、下敷きなんですね。なるほど!実は毎朝、おひるに食べるために、カスピ海ヨーグルトに4種のフルーツ片を入れる作業をしているのですが、その中にキウイもあって、小さいのは半分に切り、よほど大きいのは三分の一に切って、残りは冷蔵庫に入れて翌日にまわします。バナナ、林檎、パイナップルもそうやって果物ナイフで切るのですが、キッチンペーパーを下に敷いてテーブルクロスの上で切るので、クロスが切れちゃわないかな、と少し気にしながら切っています。キッチンペーパーも濡れてぐじゃぐじゃになるしね。それでこの俎板というか、下敷きがあれば、サイズも使い道もぴったりです。なるほどなぁ。日本人というのは、こういうのをちゃんと考えて作ってくれるんだなぁ、とあらためて感心しました。いつもは百均の店においてある素晴らしい小物に感心しているのですが・・

きょうの夕餉のメインディッシュは、上賀茂野菜のパプリカと万願寺唐辛子の肉詰め・赤ワイントマトソース煮 フリッジ(くるくる巻いたパスタ)のジェノヴェーゼ添え。パプリカはこういう肉詰め料理にぴったり。味も柔らかさも最高で、とても美味しく、食べやすかった。上賀茂で買ってきた万願寺唐辛子は驚くほど辛かったけれど、それがまた良いアクセントになって、総じて美味しいメインディッシュでした。

あとは一昨日の残った二種のチーズとバゲット。このチーズ、とくにブルーチーズのほうは、ほんとに美味しかった。これでまたチーズの味にめざめてしまったので、ぜひまたあの美味しいチーズ屋さんのいろんなチーズを食べたいと思いました。美味しいブルーチーズの味はほんと、クセになる味ですね。発酵食品の美味しいものって、なぜみんなこうなのでしょうか。スグキの古漬けにしろ、鮒ずしにしろ、きょうのお昼に、たまたま冷蔵庫に残っていたのを忘れていたとかで、おむすびに入れてもらったヘシコにしろ、めっちゃ美味しいというだけではなくて、舌がその味を決して忘れられなくて、またたまらなく食べたくなる味です。
プライムビデオで市川雷蔵主演の「斬る」(実は前にも見たことがあったことを、見ている最中に思い出しましたが)、お菊さんの番町皿屋敷のホラーになる前の前史みたいな話で最後はお菊を手討にして青山も腹を切って死んで永遠の愛をあの世で遂げるという「手討ち」なんてのを、暇にまかせて見ましたが、いずれも感心しませんでした。続いて大友柳太郎主演の「梟の城」はたしか司馬遼太郎の初期の小説が原作だったと思うし、映画は「十三人の刺客」の工藤栄一が監督だからと期待してみたけれど、やっぱり駄目でした。まだしも「忍びの者」シリーズの方が良かったなぁ、などと思いながら見ていました。
洗濯機の給水ホースのつなぎ、きょう届いたけれど、やっぱり合いませんでした。なぜ商品広告にサイズとかちゃんと書いてないのか、腹立たしい限り。パートナーが工夫して、なんとか洗濯はできているけれど、早く対応策をみつけないと。
きょうも古今集を少し。ついつい関連のことで寄り道が長くなるので、いっこうに進みませんが、それも楽しいので、まあいいか、ということで、ぼちぼち。
saysei at 22:07|Permalink│Comments(0)│
2024年09月25日
FBとXの登録削除、PCの回復ドライブ作成
きょうようやくパソコンの回復ドライブを作成して、いざというときの最小限の備えをしました。データは外付けHDに定期的にとっているので、PCに何かあっても(困るのは大変困るけれど)、データが全部消えてしまってどうにもならん、という事態は避けられると思うので、USBひとつで出荷時の状態に初期化した状態で起動できれば、厄災の実害を最小限に抑えられるでしょう。
それに、考えてみれば保存してあるデータだって、わたしの場合は、もう死活にかかわるようなデータとか、失われたら何のために生きて来たか分からないほどかけがえのないデータというのは、何一つないと思うし、どっちみちあの世へもっていけるわけでもない、この世に自分がいる間の楽しみのようなものにすぎないので、自分と一緒に全部消えて当然のもので、いま書いているブログもえんえんと何十年?か書いて来たけれど、そのときそのときに書くことが楽しみだっただけですから、急なことで自分で始末できなければ息子らにきれいさっぱり削除してもらえばよかろうと思っています。
そうすると、あまりデータ保存だのセキュリティだのといったことは意味をもたないのかも(笑)・・・しかしまあ、まだamazonその他で買い物をしたり、マーケットプレイスに不要になった自分の古本を出したりもしているので、それらにかかわる個人情報なんかを盗まれたりすると、規模はごく小さくても、結構厄介なことになるでしょうから、人並みのセキュリティ対策等々は施しておかないと、とは思っています。
残り時間がすくなくなればなるほど、人との関係も希薄に、少なくなっていくのも自然なことだし、もう以前からフェイスブックはまったく使っていないし、ツイッター(X)は最初から性に合わないので使わなかったけれど、両方ともいまだに登録だけは残していたのを、きょうは全部登録を削除しました。昔から、こういう消え方がいいなと思ってきたことがあって、少しはそれに近づいているような気がします。
いわゆる文化人、知識人の類の消え方というのは、私のイメージするものとは正反対ですね。観念の世界にはまり込むと、どこまでいっても際限がないから、100歳になっても頭さえボケていなければ、ずっと出ずっぱりで、中身はともかくとして(笑)、公的な場でいわゆる情報発信なるものをしつづけて、肉体的にはどこかで限界が来るので、観念のほうからいえば突然バタンキューとなるわけです(笑)。
たしかに本や学術書や映像媒体の形で彼らが考えたり語ったりしたことは、何十年かは残るのでしょうが、少しタイムスパンを長くとれば、そんなことはほんの一瞬のはかない夢にすぎません。それが人から人へ受け継がれていく、というのも甚だしい希望的観測というものでしょう。先日なんだったか少子化の話を読んでいた中に、このまま有効な対策がとれなければ、人類という種は100年ももたないのではないか、と言っている専門家(人口学か何かの専門家だったでしょうか)がいるという話があって、おや、そんなものなのかな、と人類全体の生き延びられる時間のあまりの短い予想に、ちょっと驚いたのですが、100年が300年、500年であっても、短いと言えば短い寿命ですね。
そういう余計な事を考えずに、昨日のように今日を生き、今日のように明日を生きて、日々の必要や家族や身の回りのこと万端にかかわる生活思想自体を深化していくことにしか関心をもたない「ただの人」の原型的な像を考えるなら、まったく反対に情報的な仮構を自分の時空の拡張のように錯覚することなどないでしょうし、老いればそれに見合って社会関係も貧しくなっていくことを自然なこととして受け入れるでしょう。
私の両親、とりわけ父は若いころから比較的活動的な人だったので、長年つとめあげて社長もつとめた企業を退職し、さらに自分がつくった零細企業の経営も後輩に譲ってすっかり実業界から身を引き、しばらくは若い頃からの夢だった日中関係の回復、深化のために役立ちたい、ということで日中友好協会の仕事を引き受け、自分の生きがいとして盛んに活動していました。
しかし、そのお役も返上して京都の私たちのそばへ引っ越してきてから亡くなるまでの3年間は、まさに関係性を最小限にとどめ、日々家族と、京都の自然と親しみ、そして時折り河原町へでかけては好きな囲碁を楽しむ、という自足した生活を送っていました。
亡くなるひと月ほど前まではどこといって体の不調を訴えることもなく元気に過ごしていましたが、引っ越しの時は半世紀毎日つけていた日記をはじめ、おおかたの過去の息のかかったものを処分し、もちろん情報発信なんてものとは関わりのない余生を過ごしました。その最後の三年間は父にとってもっとも幸せな、最良の時間だったのではないかと思います。
きょうの夕餉

トウガンとワンタンのスープ

豚の味噌漬け

ポテトサラダ

冷奴 穂紫蘇のせダシかけ

カブラの茎の酢醤油漬け、カブラの酢あえ、枝豆

友恵堂さんの栗羊羹(一切れの半分)
(以上でした)
昨日から、洗濯機の給水ホースの水道蛇口付近からわずかな水漏れがあって、つなぎの給水ホースは通販で手に入れましたが、それを取り換えてもダメでした。どうも蛇口にとりつけるつなぎの部品の金属製のネジを巻いているプラスチックの輪の部分に罅が入っているのが原因ではないか、と思われました。それでその部品をあらたに購入するほかなさそうだ、ということになりました。値段は1000円未満ですが、サイズがどの商品広告を見てもはっきりしないので、実際に合うのかどうかはっきりしません。水道の蛇口なんて、だいたいは規格がきまっていて、一般的なものはたいがい合うようにできているから、サイズをそれぞれが書いたりはしていないのだろうとは思うのですが、確信はありません。ジョイント具にもいろんなタイプがあるようだし、それがわが家の水道に或いは洗濯機に合うのかどうかも定かではありません。そんなことで、半日ああだろうか、こうだろうか、と一緒につきあって悩みましたが、明日にはきょう発注した部品でいけるかどうかわかって、一応決着がつくでしょう。ダメならまた考えよう、と。
それに、考えてみれば保存してあるデータだって、わたしの場合は、もう死活にかかわるようなデータとか、失われたら何のために生きて来たか分からないほどかけがえのないデータというのは、何一つないと思うし、どっちみちあの世へもっていけるわけでもない、この世に自分がいる間の楽しみのようなものにすぎないので、自分と一緒に全部消えて当然のもので、いま書いているブログもえんえんと何十年?か書いて来たけれど、そのときそのときに書くことが楽しみだっただけですから、急なことで自分で始末できなければ息子らにきれいさっぱり削除してもらえばよかろうと思っています。
そうすると、あまりデータ保存だのセキュリティだのといったことは意味をもたないのかも(笑)・・・しかしまあ、まだamazonその他で買い物をしたり、マーケットプレイスに不要になった自分の古本を出したりもしているので、それらにかかわる個人情報なんかを盗まれたりすると、規模はごく小さくても、結構厄介なことになるでしょうから、人並みのセキュリティ対策等々は施しておかないと、とは思っています。
残り時間がすくなくなればなるほど、人との関係も希薄に、少なくなっていくのも自然なことだし、もう以前からフェイスブックはまったく使っていないし、ツイッター(X)は最初から性に合わないので使わなかったけれど、両方ともいまだに登録だけは残していたのを、きょうは全部登録を削除しました。昔から、こういう消え方がいいなと思ってきたことがあって、少しはそれに近づいているような気がします。
いわゆる文化人、知識人の類の消え方というのは、私のイメージするものとは正反対ですね。観念の世界にはまり込むと、どこまでいっても際限がないから、100歳になっても頭さえボケていなければ、ずっと出ずっぱりで、中身はともかくとして(笑)、公的な場でいわゆる情報発信なるものをしつづけて、肉体的にはどこかで限界が来るので、観念のほうからいえば突然バタンキューとなるわけです(笑)。
たしかに本や学術書や映像媒体の形で彼らが考えたり語ったりしたことは、何十年かは残るのでしょうが、少しタイムスパンを長くとれば、そんなことはほんの一瞬のはかない夢にすぎません。それが人から人へ受け継がれていく、というのも甚だしい希望的観測というものでしょう。先日なんだったか少子化の話を読んでいた中に、このまま有効な対策がとれなければ、人類という種は100年ももたないのではないか、と言っている専門家(人口学か何かの専門家だったでしょうか)がいるという話があって、おや、そんなものなのかな、と人類全体の生き延びられる時間のあまりの短い予想に、ちょっと驚いたのですが、100年が300年、500年であっても、短いと言えば短い寿命ですね。
そういう余計な事を考えずに、昨日のように今日を生き、今日のように明日を生きて、日々の必要や家族や身の回りのこと万端にかかわる生活思想自体を深化していくことにしか関心をもたない「ただの人」の原型的な像を考えるなら、まったく反対に情報的な仮構を自分の時空の拡張のように錯覚することなどないでしょうし、老いればそれに見合って社会関係も貧しくなっていくことを自然なこととして受け入れるでしょう。
私の両親、とりわけ父は若いころから比較的活動的な人だったので、長年つとめあげて社長もつとめた企業を退職し、さらに自分がつくった零細企業の経営も後輩に譲ってすっかり実業界から身を引き、しばらくは若い頃からの夢だった日中関係の回復、深化のために役立ちたい、ということで日中友好協会の仕事を引き受け、自分の生きがいとして盛んに活動していました。
しかし、そのお役も返上して京都の私たちのそばへ引っ越してきてから亡くなるまでの3年間は、まさに関係性を最小限にとどめ、日々家族と、京都の自然と親しみ、そして時折り河原町へでかけては好きな囲碁を楽しむ、という自足した生活を送っていました。
亡くなるひと月ほど前まではどこといって体の不調を訴えることもなく元気に過ごしていましたが、引っ越しの時は半世紀毎日つけていた日記をはじめ、おおかたの過去の息のかかったものを処分し、もちろん情報発信なんてものとは関わりのない余生を過ごしました。その最後の三年間は父にとってもっとも幸せな、最良の時間だったのではないかと思います。
きょうの夕餉

トウガンとワンタンのスープ

豚の味噌漬け

ポテトサラダ

冷奴 穂紫蘇のせダシかけ

カブラの茎の酢醤油漬け、カブラの酢あえ、枝豆

友恵堂さんの栗羊羹(一切れの半分)
(以上でした)
昨日から、洗濯機の給水ホースの水道蛇口付近からわずかな水漏れがあって、つなぎの給水ホースは通販で手に入れましたが、それを取り換えてもダメでした。どうも蛇口にとりつけるつなぎの部品の金属製のネジを巻いているプラスチックの輪の部分に罅が入っているのが原因ではないか、と思われました。それでその部品をあらたに購入するほかなさそうだ、ということになりました。値段は1000円未満ですが、サイズがどの商品広告を見てもはっきりしないので、実際に合うのかどうかはっきりしません。水道の蛇口なんて、だいたいは規格がきまっていて、一般的なものはたいがい合うようにできているから、サイズをそれぞれが書いたりはしていないのだろうとは思うのですが、確信はありません。ジョイント具にもいろんなタイプがあるようだし、それがわが家の水道に或いは洗濯機に合うのかどうかも定かではありません。そんなことで、半日ああだろうか、こうだろうか、と一緒につきあって悩みましたが、明日にはきょう発注した部品でいけるかどうかわかって、一応決着がつくでしょう。ダメならまた考えよう、と。
saysei at 19:00|Permalink│Comments(0)│
2024年09月24日
ホウボウは美味しかった!

焼きホウボウ、最初はレモンだけかけていただきましたが、とても淡白な味だったので、少しだけお醤油をつけて食べてみると、とっても美味しくいただけました。スリムな魚でそんなに身がたくさんあるわけじゃないけれど、骨に沿って剥がれてくる細長い身はどこも美味しくて、徹底的に隅々までほじくって食べました。食べれば食べるほど美味しいと感じられました。はじめて食べる魚でしたが、張り込んで買ってきてよかった!こんな齢になって美味しい初物に出遇えるのは幸せです。

ヒロウス、小松菜、マイタケの煮物。味付けがすごく美味しい、と言ったら、それぞれ別々に炊いたからね、とパートナー。やっぱり手間がかかっているんですね。ヒロウスは残念ながら森嘉さんの最高のヒロウスではないけれど、いちおうゆり根なんかも入っていて、そう悪くはありませんでした。

いつもの、私の「恩人」であるかぼちゃさん。相変わらず美味しい。

茄子、ミョウガ、大葉の辛子醤油和え。大葉のかおりと味、辛子がよくきいていて、美味しかった。

レバーのうま煮。今日は味付けがすごくうまくいったそうで、ほんとに美味しかった。

たらこニンジン。長男のお弁当のおかず用ののこり。

もずくキュウリ酢

枝豆 昨日のがちょっと硬かったので、少し茹で足したそうで、丁度いい硬さになりました。
(以上でした)
きょうも古今集を少し。あと、Prime Videoで昨日登録した東映オーダーで、TV版の「影の軍団」最初のひとつふたつを見ました。主演が千葉真一だったので少し期待していたのですが、やっぱり期待外れでした。脚本や演出、脇役陣の演技がやはりTVドラマはTVドラマの水準でしかない。チャンバラはしても、緊迫感が全然なくて刀を振り回しているだけという印象はどうしようもありませんでした。もうこのシリーズを見るのはやめて、同じチャンバラを見るなら、ほかの作品を映画で見ようかと思います。市川雷蔵の主演作がまだプライムビデオの中にあったと思います。
古今集の壬生忠岑の「みよし野の山の白雪踏み分けて入りにし人のおとづれもせぬ」という歌の中の言葉が、「吾妻鑑」や「義経記」に描かれる、静御前が鶴岡八幡宮で、頼朝の前で歌い、舞うエピソードに登場するので、これら二つの出典のその個所の前後を読んでいたら、とくに「義経記」は物語としてとても面白くて、ついしばらくさかのぼって読んでしまいました。「平家物語」などと比べて、文学的には数段劣るとみなされているだろう「義経記」ですが、ちょうど芥川賞小説と直木賞小説の違いみたいなもので、エンターテインメントとしての面白さからいえば直木賞小説のほうが圧倒的に面白いのと同様、「義経記」も読者サービス満点の語り口で、非常に面白いとあらためて思いました。
お習字のほうはいっこうにまともな字が書けるようになりませんが、きょうでやめたら文字通りの三日坊主になるので、できればニ、三カ月は毎日少しずつでも続けてみたいと思います。紫式部の吉高さんも相当気を入れて練習をつづけてきたようで、いまでも筆をもって書くシーンを撮られるのはいやなようですが、それでもみごとに上達したようで、撮影の初期のころの自分の書いた字がひどいものに見える、というようなことを昨日の特別番組で彰子役の若い女優さん(見上愛さん)やディレクター、プロデューサーと滋賀県のどこやらの市民会館の壇上に上がってインタビューを受ける形で喋っていました。見上さんによれば、吉高さんは撮影の待ち時間にもひたすら筆づかいを練習していたそうです。
それでも忙しい中で、せいぜい数か月の練習であそこまで書けるようになったのはすごいと思います。幼いころから何十年も日常的にやってきたわけじゃないですからね。
きょうもそんなことばかりしているうちに一日が暮れました。幸せなことです。南無阿弥陀仏!
(以上でした)
saysei at 21:13|Permalink│Comments(0)│
上賀茂野菜のめぐみ / ホウボウという魚

好物のトウガンが昨日でなくなったというので、きょう近くのHELPへ買い物に出たついでに、また上賀茂迄電動アシスト自転車の脚を伸ばして、上賀茂の野菜自動販売機めぐりをしてきました。いまは夏枯れでどこもほとんど野菜を出していないのですが、6つまわる無人販売所のうち一番上賀茂神社に近い、道路に面した家の駐車場の中にしつらえられた販売機に、たったひとつだけ、立派なトウガンが残っていました。300円。
あとは小カブ、パプリカ、茄子、辛味唐辛子くらいでしたが、パートナーは冷蔵庫に野菜が少なくなっていたので喜んでいます。

買い物は牛乳だったのですが、魚も覗いてみて、何か食べたいものがあったら買ってきて、と言われて、魚屋さんも覗いてみました。鰈、鯛、甘鯛、鰤、イサキ、鮭、カンパチ、鯖、秋刀魚等々とみなれた魚が並んでいましたが、ひとつだけ、食べたことがない(と思われる)魚がありました。
それがこの「ほうぼう」と書かれた、赤黒くヌメッとした表紙で、長い鋭いヒレに、胴体がスリムなわりに骨ばった大きめの頭にギョロ目、ガブリと食いつかれたら歯が痛そうな少し突き出た大きな口をした魚。880円と高かったけれど、こういう自分にとって珍しい魚を見ると、食べて見たくなるので、エイヤッと買って帰りました。
末広恭雄さんの『魚の博物事典』(講談社学術文庫)によれば、この魚はカサゴの仲間らしく、静かな内湾を好み、その沿岸に棲んで、浅い海の岩の上を這ったり、その付近を泳いだりして生活しているのだそうで、胸鰭の前のニ、三本が分離して、「歩脚」と呼ばれる蟹の脚のようなその鰭を交互に動かして岩の上を這い、岩や砂を押し分けて前進し、ときに砂の中の餌を探り出すのだそうで、この鰭には味見をする味蕾迄備わっているとか。
もうひとつほうぼうで面白いのは、音を出すという奇習があるということで、鰾(うきぶくろ)を収縮させて、ググー、ググーという、膨らませたゴム風船の表面を指でこすった時のような怪音を発するのだそうです。
冬はちり鍋、春から初夏にかけては三枚におろして酢の物として食べてもおいしいそうですが、味が淡白なので、煮つけ、椀だね、焼魚、蒲鉾としても美味だとのこと。わが家では焼き魚にしてもらうことになっていて、夕餉の食卓を楽しみにしています。

これはお昼のパスタ。昨日の残りのサラミ、生ハムに、昼前にパートナーが庭のバジルでつくっていたバジルソースのはいったカペッリー二冷製パスタ。左は昨夕の残りのサツマイモとクルミのサラダ。

バジルソース製作中

お昼のあとのデザートは昨夕にひきつづき、イチヂクのロールケーキとサーカスコーヒーの豆によるレイコ―。ウェブサイトに載っていたイチヂクのロールケーキは、皮も剥かないままのイチヂクを丸ごと巻き込んでいましたが、生クリームはごくごくわずかしか使っていませんでした。わが家のケーキは皮を剥いたイチゴをたっぷり美味しい生クリームで包み、純粋な材料、新鮮な卵を使ってそれ自体が美味しいスポンジケーキで巻いてあります。非常に味の相性のよい三者が一体になっておいしいケーキになっています。わが家のと同じくらいのサイズのパウンドケーキがwebサイトでみるお店では2500円とかで売られていたので、パートナーガ驚いていました。
わが家のロールケーキは、キャラウェイ・シード、ブランデー漬け干しブドウ、レモン、オレンジ、ブランデー漬け蒸し栗、キンカン、マンゴーと、そのときどきで入れる果物は違いますが、ベースになるパウンドケーキの原価は200円台だそうです。こんなおいしいケーキがわが家で安くいただけて幸せです。

高野橋から見たきょうの比叡と空。もう秋空のような雰囲気になってきていて、空気が澄んでいました。自転車で走っていてもそう暑くはなく、気持ちが良かった。

わが家の芙蓉はきょうも34輪だったか・・・たくさん咲きました。

上辺にかたまって咲いているのが綺麗です。昨日咲いたの花がまだ濃い赤みを残してとどまっています。だんだんその数も多くなってきました。

きょうの2輪

きょうの一輪
saysei at 15:20|Permalink│Comments(0)│
2024年09月23日
イチヂクのロールケーキ

きょうはデザートから(笑)パートナーお手製のケーキ。すっごく美味しかったのです。イチヂクのロールケーキ。
生協の新鮮な卵を2個つかうらしい(小麦粉はごく少量とのこと)包むパウンドケーキ自体が、卵の味がして美味しい。生クリームはいつも「大山」(ダイセンでしょうね)の純粋の生乳だけでつくられた生クリーム。
それがきょう、生協になかったものだから、買い物を頼まれた私が気をきかせたつもりで、わざわざイズミヤまで行って、やっぱり無いから、北海道産の別の生クリームを、濃さが3点台じゃなくて、いつもの生クリームと同じ4点台だったから、これでよかろうと買ってきたら、これは同じ4の数字をうたっていても、実は混ぜ物があって、純粋の生乳だけでつくられたものじゃないから、味がずっと劣るのよ、と叱られました。
たしかに成分をみると、生乳ほか、なんて書いてあります。防腐剤なんか入っているのでしょうか、日持ちはこちらのほうがいいようだけれど、肝心の味がまずくてはどうしようもありません。料理にもケーキにも使えないそうで、コーヒーにでも入れて、まずいのを我慢して飲むしかなさそうです。

このケーキに使われた生クリームは、残っていたいつもの「大山」という文字のはいった、ほんとうに美味しい生クリーム。イチヂクも新鮮で、よく生クリームにも合い、ほんとに美味しかった。きょう夕食をともにした長男もおいしかったので明朝用にひときれもって帰りました。

きょうの夕餉のメインディッシュは、スペアリブとマッシュルムの赤ワイントマト煮。スペアリブの肉がとっても柔らかで、軟骨も含めて美味しくいただけました。

きのこと乾燥ポルチーニのリゾット。ポルチーニがはいると、なぜこんなに美味しくなるのだろう、と思うほど美味しい。

さつまいも、くるみ、ピクルスのサラダ。なんとなく秋らしいでしょ、とパートナー。わが家の定番のひとつになったサラダです。

サラミ

チーズ。マンチェゴとスティルトン(左)。英国のブルーチーズ・スティルトンは少し塩からかったけれど、味自体はとっても美味しかった。
パンを撮り忘れましたが、レ・ブレドォルのバゲットでした。
今日は古今集を少しまた読み進めて、Prime Videoの東映オーダーというのでしょうか、東映製作のTVドラマや映画を月490円で見せる(最初の14日間のお試し期間は無料)サブスクのチャンネルに登録して、最初に「影の軍団 服部半蔵」ってのを見ました(笑)。
ところがこれが、だいぶ前に見たことのあったつまらない忍者ものでした。敵役の緒形拳は少し迫力があったけれど、なにせ主役の二人いる服部半蔵を演じた渡瀬恒彦と西郷輝彦が軽すぎてどうにもならない。「十三人の刺客」の工藤栄一監督だからもう少し何とかできるだろうに、と残念でなりません。少し見どころがあったのは、最後の決戦で城の櫓に解体の仕掛けをほどこしておいて、いよいよとなって解体するという、その仕掛けを外していくシーン。
そういえばこの映画、私が高校生のころ?だったか、新聞か雑誌で、忍者がまるでアメリカンフットボールの選手たちのように肉体と肉体をガツンと音立ててぶつけ合う集団戦の場面が珍しくて話題にしていたのを覚えています。でもいまみると迫力があるというより、あまりにアメラグ的で、笑ってしまいます。なんかアメラグのルールに従って攻めたり止まったりしているみたい。アメラグをヒントにするのはいいけど、こりゃやりすぎでしょう(笑)
主人公をわざと重々しさのない、自由人のような服部半蔵にしたかったのは分かるけれど、特定の組織に属さないという意味では自由人的であっても、通常の組織よりも何倍も厳しい忍者組織の秩序にがんじがらめになりながらつねに生死の境をさまよっている忍者があれでは、とてもやっていけないでしょう。なにか基本的に忍者のとらえ方自体がなってないので、なんだか組織から脱サラした自称自由人がうまくいかなくて、コソ泥なんかしながら拗ねた生き方をしているようにみえて、いっこうに伊賀忍者の統領なんて器には見えませんでした。
実は私が見たかったのは、千葉真一のTVのほうの「影の軍団」らしくて、そっちはたぶん見たことがないので、彼や門下生のトレーニングを重ねたアクションなどが見たかったのです。もちろんそんなことを急に思い立ったのは、エミー賞十八冠を獲得した「将軍」のニュースを見て、真田広之と千葉真一がたしか共演していた「里見八犬伝」はよかったなあ、と思い出し、そういえば真田もアクションは千葉門下でのトレーニングで身に着けた技なんだろうと思って、そこからの連想で、TVシリーズとして好評だったらしい「影の軍団」を一度見て見たいと思った次第。明日からの楽しみにとっておきます。
アーちゃんは午前中はケージの戸を開けたままにして、自由に部屋の中をとびまわらせていますが、午後はスキを見て(彼がケージの中で休憩している時を見計らって)とびらを蓋して出られないようにし、そのまま夜まであけません。先日の、ケージに入ることを拒んだ徹底抗戦に懲りたので、夜になってケージに入れるのはやめたのです。それで、やっぱり彼は怒っています(笑)。なぜ出さないんだ!というようにケージにへばりついて、抗議するような声で啼いたり嘴でケージをつづき、たたいていたりしますが、まあほっておけばあきらめて大人しくなります。しばらくは平穏を保つために、これでいこうと思います。ずっと閉じ込めておくのは気の毒だから、午前中にせいいっぱい飛び回って遊んでもらえばよかろうと。
彼にも、なぜそうされるのか原因と結果の観念が理解できたり、自らの行為を反省したりすることができればいいのですが、さすがにそれは無理でしょうから、いままで一日中出してくれてたのに、なんで午後は出してくれないんだ!と思っているかもしれません。少なくともしばらく様子をみることにしましょう。

きょうの芙蓉はざっと37輪咲いているのを確認しました。最近は毎朝目を楽しませてくれます。

かたまって咲いているあたりは綺麗

きょうの一輪

おまけの一輪
saysei at 21:51|Permalink│Comments(0)│