2024年09月
2024年09月30日
庭土に肥料を埋め
先日は庭に出て手鍬を振るって頑張ったものの、ツルキキョウやジャーマンアイリス(正確な名は覚えていません、なんとなくそんな印象)のはびこっているのを、いくらか抜き去るのがやっとだったので、きょうはそのあとをもう少し掘って、そこへもう何年も軒下の朽ちた樽の中に積まれて残っていた有機肥料の類を取り出してきて、埋めてやりました。
いつも花壇も周辺もほったらかしで、肥料をやるべき時期にやらないのですが、なんとか咲く花は咲き、キンカンのように実をつけてくれるものもありで、ますますほったらかしのままでした。いくらなんでも肥料もビニール袋の口を開けたまま何年もほうっておけば、変質してしまったり、虫が湧いたりするんじゃないか(実際、古樽の中には何匹もゴキブリが・・・)、というわけで、残った肥料を一気に使い切ろうとした次第でした。これで植物たちがもう少し元気になってくれるかどうか。
北山端から北山方面をのぞむ。きょうはあまり動かなくても行けないと思って、雨も降らないようなので、電動アシスト自転車をゆっくり走らせて、上賀茂の野菜自動販売機をみてまわりました。でもほとんどなにも出ていませんでした。かろうじて100円均一おじさんのところで、真っ赤な唐辛子と緑色の唐辛子と、それぞれ一杯入った袋が出ていたので、それだけ買って帰りました。必需品の戸田さんとこのトマトは幸い生協の地元農産物のコーナーにまさに戸田農園のが出ていたそうで、パートナーが1日2日前にたくさん買ってきていたのでとくに注文はなかったのです。
いつも最後に覗いてみる販売所は、立派なトーガンとバターナッツかぼちゃが出ていましたが、これは両者ともまだ残っているので、いまはいらない、と言われていたので、買わずにおきました。トウガンはいかにも美味しそうで、ずっしり重そうなデッカイのだったので、よほど買おうとかと思いましたが、カボチャとちがって、長く転がしておくとやっぱり水分が多少は抜けて味が悪くなるかもしれないので、またなくなったら買いに来よう、と。
野菜の収穫がほとんどなかったので、思いついてサーカスコーヒーさんへ行って見たのですが、月曜日は定休日でした (> <)
庭の芙蓉はきょうも40輪ほど咲いていました。これは左下のほう。
これは右上のほう。やっぱり日当たりなんかのせいでしょうか、ある部分に固まって同時に咲くのですね、まだまだ蕾がたくさんついているので、当分は目を楽しませてくれそうです。
きょうの夕餉
紫蘇の穂、マイタケ、アスパラ、サツマイモの天ぷら、レバーのから揚げ
紫蘇の穂はきょう庭に出たときに積んできた自生えの紫蘇です。今年は紫蘇や大葉が花壇にものすごくはびこって茂り放題茂り、菊などほかのものを押しのけてしまうほどでした。異常な暑さと、せっせと花壇の土に埋めて来た紅茶カスのせいかもしれません。
キスの干物。シシャモかと思ったほどミニサイズでしたが、味はまさにキスの味で、はらわたなどほんとに美味しい魚でした。これで250円くらいだったらしいので、安い買い物だったようです。
戸田農園さんのトマトをすりおろしたソースかけの豆腐。ゴーヤのジェノベーゼのせ。
唐辛子の真っ赤なのと緑色のきれいなのを買ってきて、パートナーが試食したら、赤いのは案に相違してちっとも辛くなく、青い方は唇がしびれて、とても食べられないほど辛かったそうで、きょう食卓に出たのは、その前に買っていた、そんなに辛くない唐辛子ばかりでした。きっとああいうのは韓国料理とか、辛さ10倍のインドカレーとかに使うのでしょうね。
トウガン、シイタケなどのおつゆというのか煮物というのか・・・
きょうはお刺身のいいのが無かったので、長男用に用意したらしいミニステーキ
柿とカブラの胡麻酢和え とても美味しかった
五目豆
セロリのジャコキンピラ むしょうにセロリの葉が食べたくなって買ったとか。たしかに熱々ご飯にかけて食べるととても美味しい
(以上でした きょうの夕餉は長男も一緒でした)
いつも花壇も周辺もほったらかしで、肥料をやるべき時期にやらないのですが、なんとか咲く花は咲き、キンカンのように実をつけてくれるものもありで、ますますほったらかしのままでした。いくらなんでも肥料もビニール袋の口を開けたまま何年もほうっておけば、変質してしまったり、虫が湧いたりするんじゃないか(実際、古樽の中には何匹もゴキブリが・・・)、というわけで、残った肥料を一気に使い切ろうとした次第でした。これで植物たちがもう少し元気になってくれるかどうか。
北山端から北山方面をのぞむ。きょうはあまり動かなくても行けないと思って、雨も降らないようなので、電動アシスト自転車をゆっくり走らせて、上賀茂の野菜自動販売機をみてまわりました。でもほとんどなにも出ていませんでした。かろうじて100円均一おじさんのところで、真っ赤な唐辛子と緑色の唐辛子と、それぞれ一杯入った袋が出ていたので、それだけ買って帰りました。必需品の戸田さんとこのトマトは幸い生協の地元農産物のコーナーにまさに戸田農園のが出ていたそうで、パートナーが1日2日前にたくさん買ってきていたのでとくに注文はなかったのです。
いつも最後に覗いてみる販売所は、立派なトーガンとバターナッツかぼちゃが出ていましたが、これは両者ともまだ残っているので、いまはいらない、と言われていたので、買わずにおきました。トウガンはいかにも美味しそうで、ずっしり重そうなデッカイのだったので、よほど買おうとかと思いましたが、カボチャとちがって、長く転がしておくとやっぱり水分が多少は抜けて味が悪くなるかもしれないので、またなくなったら買いに来よう、と。
野菜の収穫がほとんどなかったので、思いついてサーカスコーヒーさんへ行って見たのですが、月曜日は定休日でした (> <)
庭の芙蓉はきょうも40輪ほど咲いていました。これは左下のほう。
これは右上のほう。やっぱり日当たりなんかのせいでしょうか、ある部分に固まって同時に咲くのですね、まだまだ蕾がたくさんついているので、当分は目を楽しませてくれそうです。
きょうの夕餉
紫蘇の穂、マイタケ、アスパラ、サツマイモの天ぷら、レバーのから揚げ
紫蘇の穂はきょう庭に出たときに積んできた自生えの紫蘇です。今年は紫蘇や大葉が花壇にものすごくはびこって茂り放題茂り、菊などほかのものを押しのけてしまうほどでした。異常な暑さと、せっせと花壇の土に埋めて来た紅茶カスのせいかもしれません。
キスの干物。シシャモかと思ったほどミニサイズでしたが、味はまさにキスの味で、はらわたなどほんとに美味しい魚でした。これで250円くらいだったらしいので、安い買い物だったようです。
戸田農園さんのトマトをすりおろしたソースかけの豆腐。ゴーヤのジェノベーゼのせ。
唐辛子の真っ赤なのと緑色のきれいなのを買ってきて、パートナーが試食したら、赤いのは案に相違してちっとも辛くなく、青い方は唇がしびれて、とても食べられないほど辛かったそうで、きょう食卓に出たのは、その前に買っていた、そんなに辛くない唐辛子ばかりでした。きっとああいうのは韓国料理とか、辛さ10倍のインドカレーとかに使うのでしょうね。
トウガン、シイタケなどのおつゆというのか煮物というのか・・・
きょうはお刺身のいいのが無かったので、長男用に用意したらしいミニステーキ
柿とカブラの胡麻酢和え とても美味しかった
五目豆
セロリのジャコキンピラ むしょうにセロリの葉が食べたくなって買ったとか。たしかに熱々ご飯にかけて食べるととても美味しい
(以上でした きょうの夕餉は長男も一緒でした)
saysei at 18:33|Permalink│Comments(0)│
侯孝賢監督「好男好女」をみる
例よって、処分前の一見、というやつで、台湾の侯孝賢(ホウ‣シャウシェン)監督の「好男好女」を見ました。1995年、台湾と日本の共同製作で、主演は「香港生まれ日本育ち」「18歳で歌手デビュー」して台湾でも日本でも成功したアイドル歌手らしい(というのは私は全然知らないので)伊能静という女優さんです。
私はタイトルをみて中身を軽率に推測判断してしまう傾向があって、大抵はうまくいくのですが(笑)、ときどき、タイトルで何となく見る気が失せて見損なった面白い映画とか、読みそこなった面白い本に、ずいぶんあとになって気づくことがあります。
それで、今回も監督は「悲情城市」で感銘を受けた侯監督なので、ひょっとしたら、タイトルのせいでまた食わず嫌いをやっちゃってたかな、と思って見たのですが、今回は私の軽率な判断のほうが正しかった(笑)
もちろんいい加減な作品ではなく、監督としてはむしろ非常に野心的な作品で、台湾の悲劇的な「白色テロ」と言われる蒋介石独裁下に起きた多数の台湾人住民の殺害事件と現代に生きる退廃的な女性の日常を重ね合わせて見る者に問いかける類の非情に生真面目な作品です。
伊能静演じる梁静(リャンジン)という若い女性はかつての恋人アウェイを3年前に殺され、退廃的な日常生活を過ごしています。その彼女のところに、以前盗まれた、割と赤裸々なことを書いた日記のページがFAXで繰り返し送られてきます。同時に無言電話も繰り返しかかってきます。誰がそんなことをしているのかはまったく分からないし、その意図も最後までわかりません。ただそういう日常を彼女が過ごしている、というだけです。
映像はごく自然に継ぎ目なく、まだアウェイが生きていたころに戻り、肩に入れ墨をした、恐れられた男だったらしい彼は、ほかの女も抱くので彼女はやけになり、彼に食って掛かるけれど、彼は彼女には優しく、彼女がクスリに溺れて退廃に陥ろうとするのを止めようとするシーンがあります。
彼女は以前、映画女優をしていて、その映画制作の場面と、そこからまた自然につながって、つくられていくその映画自体、つまり劇中劇みたいな映画の中の映画が、モノクロではなかったように思うけれど、セピア色でもない、やや褪せた青っぽい色調の美しい映像で、現在のことのように映されていきます。
その映画中の映画というのは、日中戦争のさなか、日本へ留学していた留学生鍾浩東(チェン・ハオトン)・蒋碧玉(ジャン・ピーユ)夫妻と友人3人の計5人の若者が、抗日戦に参加しようと決心して大陸に渡り、中華民国軍の前線支部へたどり着くのですが、そこで取り調べの上、足枷をかけられて拘束され、日本のスパイの容疑をかけられて銃殺ときまり、或る人物の口添えで辛うじて命だけは助かります。
しかし、台湾の良く知られた「白色テロ」の時代(台湾人に対する大陸から入って来たいわゆる外省人の差別的な統治に抗う住民の運動を蒋介石が大陸から軍を送って弾圧、銃撃して多数の住民を殺した事件をはじめ、長年にわたる戒厳令下で、共産主義者扱いされた村人が集団抹殺されるなどの事件を繰り返した)の中で、鍾浩東らも殺されていきます。
その鍾の妻、蒋碧玉を、リャンジンが演じていた、という設定になっていて、生身のリャンジンの現在・過去の生きざまと、彼女が演じる蒋碧玉の生きざまとが重ねて提示されるというわけです。
しかし、これは作品として、その中身がとてもわかりにくく、映画の中の女性と、それを演じる女優の生身の生きざまとをこのように重ねて見せる意味が、もうひとつ観客にうまく伝わってこないのです。
映画の中の映画に出てくる場面の中には、思わずハッとするほど美しい映像があっただけに、あの映画の中の映画をそれ自体で取り出して、正面から「白色テロ」の時代を生きる男女を描く映画を一本撮ってほしかったな、と思わずにはいられませんでした。
映画の終わりに、「1950年代の政治的受難者に」といった言葉が記されていました。
リャンジンの一人住まいの部屋の片隅にあるモノクロテレビが、小津安二郎の「晩春」の一場面を映しているのも、時代を感じ、親しみもおぼえました。それにしても台湾の映画では以前に日本統治に抗って反乱を起こし、殲滅された台湾人を描いた、やはり史実にもとづく映画を見たことがありますが「悲情城市」といいこの映画といい、ひとつの国家の中でかくも残酷な民衆の圧殺が繰り返される民族的な悲劇を経験し、台湾の民衆はその精神的な共同性の深部で、おそらくはいまも本当には癒えない深い傷を負っているのだろうな、と思わずにはいられません。作品の出来、不出来はともかく、この監督がその民族的なトラウマのような深手から目を逸らすことなく、難しい主題に真正面から取り組んでいる姿勢はやはり見事なものだと思います。
私はタイトルをみて中身を軽率に推測判断してしまう傾向があって、大抵はうまくいくのですが(笑)、ときどき、タイトルで何となく見る気が失せて見損なった面白い映画とか、読みそこなった面白い本に、ずいぶんあとになって気づくことがあります。
それで、今回も監督は「悲情城市」で感銘を受けた侯監督なので、ひょっとしたら、タイトルのせいでまた食わず嫌いをやっちゃってたかな、と思って見たのですが、今回は私の軽率な判断のほうが正しかった(笑)
もちろんいい加減な作品ではなく、監督としてはむしろ非常に野心的な作品で、台湾の悲劇的な「白色テロ」と言われる蒋介石独裁下に起きた多数の台湾人住民の殺害事件と現代に生きる退廃的な女性の日常を重ね合わせて見る者に問いかける類の非情に生真面目な作品です。
伊能静演じる梁静(リャンジン)という若い女性はかつての恋人アウェイを3年前に殺され、退廃的な日常生活を過ごしています。その彼女のところに、以前盗まれた、割と赤裸々なことを書いた日記のページがFAXで繰り返し送られてきます。同時に無言電話も繰り返しかかってきます。誰がそんなことをしているのかはまったく分からないし、その意図も最後までわかりません。ただそういう日常を彼女が過ごしている、というだけです。
映像はごく自然に継ぎ目なく、まだアウェイが生きていたころに戻り、肩に入れ墨をした、恐れられた男だったらしい彼は、ほかの女も抱くので彼女はやけになり、彼に食って掛かるけれど、彼は彼女には優しく、彼女がクスリに溺れて退廃に陥ろうとするのを止めようとするシーンがあります。
彼女は以前、映画女優をしていて、その映画制作の場面と、そこからまた自然につながって、つくられていくその映画自体、つまり劇中劇みたいな映画の中の映画が、モノクロではなかったように思うけれど、セピア色でもない、やや褪せた青っぽい色調の美しい映像で、現在のことのように映されていきます。
その映画中の映画というのは、日中戦争のさなか、日本へ留学していた留学生鍾浩東(チェン・ハオトン)・蒋碧玉(ジャン・ピーユ)夫妻と友人3人の計5人の若者が、抗日戦に参加しようと決心して大陸に渡り、中華民国軍の前線支部へたどり着くのですが、そこで取り調べの上、足枷をかけられて拘束され、日本のスパイの容疑をかけられて銃殺ときまり、或る人物の口添えで辛うじて命だけは助かります。
しかし、台湾の良く知られた「白色テロ」の時代(台湾人に対する大陸から入って来たいわゆる外省人の差別的な統治に抗う住民の運動を蒋介石が大陸から軍を送って弾圧、銃撃して多数の住民を殺した事件をはじめ、長年にわたる戒厳令下で、共産主義者扱いされた村人が集団抹殺されるなどの事件を繰り返した)の中で、鍾浩東らも殺されていきます。
その鍾の妻、蒋碧玉を、リャンジンが演じていた、という設定になっていて、生身のリャンジンの現在・過去の生きざまと、彼女が演じる蒋碧玉の生きざまとが重ねて提示されるというわけです。
しかし、これは作品として、その中身がとてもわかりにくく、映画の中の女性と、それを演じる女優の生身の生きざまとをこのように重ねて見せる意味が、もうひとつ観客にうまく伝わってこないのです。
映画の中の映画に出てくる場面の中には、思わずハッとするほど美しい映像があっただけに、あの映画の中の映画をそれ自体で取り出して、正面から「白色テロ」の時代を生きる男女を描く映画を一本撮ってほしかったな、と思わずにはいられませんでした。
映画の終わりに、「1950年代の政治的受難者に」といった言葉が記されていました。
リャンジンの一人住まいの部屋の片隅にあるモノクロテレビが、小津安二郎の「晩春」の一場面を映しているのも、時代を感じ、親しみもおぼえました。それにしても台湾の映画では以前に日本統治に抗って反乱を起こし、殲滅された台湾人を描いた、やはり史実にもとづく映画を見たことがありますが「悲情城市」といいこの映画といい、ひとつの国家の中でかくも残酷な民衆の圧殺が繰り返される民族的な悲劇を経験し、台湾の民衆はその精神的な共同性の深部で、おそらくはいまも本当には癒えない深い傷を負っているのだろうな、と思わずにはいられません。作品の出来、不出来はともかく、この監督がその民族的なトラウマのような深手から目を逸らすことなく、難しい主題に真正面から取り組んでいる姿勢はやはり見事なものだと思います。
saysei at 18:08|Permalink│Comments(0)│
2024年09月29日
中宮彰子、敦成親王、道長呪詛事件の顛末
きょうはこの何週間か、間歇的に原文のコピーを取り出しては「睨んで」いた、『政事要略』第七十巻の寛弘六年二月に発覚した、中関白家の伊周の叔母らが首謀した、中宮彰子、敦成親王、左大臣道長に対する呪詛事件の顛末を書いた報告記事を、わからないところはごまかして(笑)、一気に書き下ろした現代語訳(らしきもの)を、別のぶろぐ「気の向くままに」にアップロードしました。結構時間がかったけれど、苦労してああでもないこうでもない、と素人ながら首をひねって考えたり、あれこれ手近な材料で調べられるだけ調べて見たりして、けっこう楽しい時間が過ごせました。古代の律令の刑法が少しは学べて、またその時代が少しだけ近くなった感じがしました。
NHK大河ドラマ「光る君へ」のきょうの回に、この呪詛事件の予兆らしきものが描かれていましたが、来週かその次くらいには正面から描かれるでしょうから、興味のあるかたは覗いてみてください。
→ 中宮彰子、敦成親王、道長呪詛事件の顛末
きょうの夕餉
今日の夕食はいたってシンプル。ビーフカレーでした。久しぶりのカレーで、美味しかった。カレーは作るのが簡単だと言われているけど、わが家のカレーはすっごく手間がかかる、とパートナー。最初の最初から、タマネギをみじん切りしていためて・・・というルーづくりのもとから作るのですから、そりゃそうでしょう。でも手間のかかっている分美味しくて、これもわが家の定番の味になりました。
グリーンさらだ
キュウリにカツオブシ
以上でした
今日も芙蓉は36輪くらい確認しました。でもずいぶん涼しくなって、2階の冷房は要らないくらいでした。夕方部屋に入ると、アーちゃんがなんだかさむざむした格好でケージの止まり木にとまっているので、27℃くらいはあったけれど、一応エアコンを温度が上がり過ぎないように27℃の冷房にしていたのを、27℃の暖房に切り替えてやったら、あとでいくと温かくなって、元気を取り戻していました。
パートナーがみせてくれたSNSに出ていた、幼いセキセイインコが、一回教えたただけで、ハーッピはーっぴはっぴハッピー♪っていう歌をすぐ覚えて歌うのにショックをうけて(笑)、早速アーちゃんに繰り返し歌って見せましたが、やっぱり駄目でした。もうお歳だからね。やっぱり幼いころにやってあげないと、いまさらそんな芸当できないでしょうね。私だって、いまごろ漢文ならって読めるようになれ、って言われても無理だもん(笑)
NHK大河ドラマ「光る君へ」のきょうの回に、この呪詛事件の予兆らしきものが描かれていましたが、来週かその次くらいには正面から描かれるでしょうから、興味のあるかたは覗いてみてください。
→ 中宮彰子、敦成親王、道長呪詛事件の顛末
きょうの夕餉
今日の夕食はいたってシンプル。ビーフカレーでした。久しぶりのカレーで、美味しかった。カレーは作るのが簡単だと言われているけど、わが家のカレーはすっごく手間がかかる、とパートナー。最初の最初から、タマネギをみじん切りしていためて・・・というルーづくりのもとから作るのですから、そりゃそうでしょう。でも手間のかかっている分美味しくて、これもわが家の定番の味になりました。
グリーンさらだ
キュウリにカツオブシ
以上でした
今日も芙蓉は36輪くらい確認しました。でもずいぶん涼しくなって、2階の冷房は要らないくらいでした。夕方部屋に入ると、アーちゃんがなんだかさむざむした格好でケージの止まり木にとまっているので、27℃くらいはあったけれど、一応エアコンを温度が上がり過ぎないように27℃の冷房にしていたのを、27℃の暖房に切り替えてやったら、あとでいくと温かくなって、元気を取り戻していました。
パートナーがみせてくれたSNSに出ていた、幼いセキセイインコが、一回教えたただけで、ハーッピはーっぴはっぴハッピー♪っていう歌をすぐ覚えて歌うのにショックをうけて(笑)、早速アーちゃんに繰り返し歌って見せましたが、やっぱり駄目でした。もうお歳だからね。やっぱり幼いころにやってあげないと、いまさらそんな芸当できないでしょうね。私だって、いまごろ漢文ならって読めるようになれ、って言われても無理だもん(笑)
saysei at 22:05|Permalink│Comments(0)│
2024年09月28日
「ハタ」のお刺身
きょうも牛乳を買いにHELPへ行くとき、なにか食べたいような魚があったら見て来て、と言われたので魚屋の店頭を見ると、ちょっと珍しい「はた」という魚が産地直送さしみ用と銘打って500円で売られていたので、意識して食べたことのない魚だったので早速買ってきました。はらわたなんかは調理済みでしたが、お刺身用に調理してくれたのはもちろんパートナーで、とても美味しいおさしみが、わが家の大葉を刻んだのと一緒に、夕餉の食卓に出ました。
魚のサイズは小さかったけれど、このお刺身を切り取った残りのアラで赤だしをつくってくれたのが、これまたとても美味しかった
魚はなんといってもアラが一番美味しいので、そのダシが十分に出た赤だしは、ほんとに美味しくいただきました。これでこの「ハタ」という魚は100%無駄なくいただけました。二人で500円だから安くつきました。
つくねと茄子の照り焼き。上賀茂の茄子が甘くとろけるようで、美味しかった。
ゴーヤチャンプルー。
冷奴
小鯵の南蛮づけの残り
キムチ、ジャコ山椒、へしこ。最後にあつあつご飯にジャコをかけ、へしこを一切れいただくと、へしこの味と香りが口いっぱい広がって、満足して食事が終えられます。
明日の「光る君へ」で登場するだろう中宮・敦成親王・道長呪詛事件の顛末を記した『政事要略』のわずか3ページ足らずの漢文がなかなか読めずに、ずいぶん前から「睨んで」いたのですが、ようやくそのかいあって、だいたいの中身がわかりましたので、明日の「光る君へ」を楽しみにしています。ついでに律令の刑法(盗賊律)も少し学ぶことができて、なかなか面白い経験でした。
国文学をやって中古の古文書で漢文を読みなれている人なら、何でもなく読めるのでしょうが、なにせ漢文は中学の終わりから高校にかけて週一度、古典のほんの数行の抜粋からなるテキストを習っただけで、それ以上自分で読もうとしてこなかったので、平安の文人らと違って、まったく漢文が読めないのは残念。今思えば日本人が伝統的に備えていた教養の半分くらいを最初からあきらめてきたようなもので、考えてみればもったいない話ですね。明治のちょっとした知識人ならまだ漢文がちゃんと読めて自分で漢詩も書けたでしょう。文化の根の深さが違うという感じです。
そういえば加藤静允先生にいただいた画集には、絵の傍らにご自作の漢詩も記されていました。
庭の芙蓉はきょうも40輪近く咲いていました。花が大きくて立派です。
saysei at 22:11|Permalink│Comments(0)│
2024年09月27日
きょうあった「良いこと」三つ
きょうは「とても良いこと」が二つ、「まあまあ良いこと」が一つありました。
「良いこと」のうち一つは、数日前からわたしたちを悩ませていた洗濯機の給水ホースの蛇口との損傷した接続器具と同じものがどこにもなく、アマゾンで購入してもうまく合わずに困っていたのですが、きょうパートナーがイズミヤの4階、5階のコウナンへ出かけて、彼女のもちまえの良い勘を働かせて選んで買ってきたら、ぴったりこんこん合いました!これで洗濯機も心配なし。
もう一つの「良いこと」(良いニュース)は、大谷翔平選手の属するドジャースが大谷選手のかねて強く望んでいた地区優勝を決めたこと。テレビで見ていたら、そのあと球場へ奥さんとデコピンも来て、三人で並んで写真をとったりして、ほんとに楽しそうでした。つぎつぎに自分で道を切り開いて夢を実現していく人ですね。すばらしい。
そして「まずまずよかったこと(ニュース」というのは、自民党総裁に石破さんが選ばれた、ということです。別に彼が特別好きなわけでも何でもないけれど、少なくとも小泉さんや高市さんでなくて良かった。
小泉さんは最初、国民の多くに人気があるから、自民党の若手議員たちは、自分たちが落選しないために、選挙の顔として彼を選ぶんじゃないか、と私は危惧していましたが、さすがに自民党議員もそこまでボケではなかったようです。記者会見や討論会等々をいくらかでも見れば、小泉二世がいかにポンコツで、まともに人と論じ合ったり、質問に的確に答えたりする能力がないか、ということが、実に残酷なほどあからさまに分かります。
単に若いから経験不足だといったレベルではなくて、質問に対する答えにならないことを喋るだけ。ずるがしこいがゆえに故意にはぐらかして答えているのではなく、単に質問が理解できないらしいのです。
基本的に政治家としての資質が乏しい。見かけの良さを生かして、兄貴と同じ道へ進んだ方がよかったですね。親父の高い人気のおかげで若いころから中身なしでも期待だけは大きく、その端正な容貌容姿で、ミーハー的な人気を得たものの、たった二週間かそこらの選挙戦を展開しただけで、化けの皮がはがれてしまいました。
私だって政治家の若返りは切望しているので、府市会議員くらいなら、ただ若いというだけ、ただ女性だというだけで、中身を問わずに一票を投じたっていい、とまで思っているほどですが、いくら何でも、一国の命運を左右する首相はダメです。
いくらポピュリズムが現実的な力をもつ世の中になったとはいえ、彼のような人物が一国の指導者になったら、わたしたちの子供や孫の世代にとっては、まさに悲劇です。これから急速に変化していく世界の危機的な状況に、彼のような人物が対処できるはずもないことは、よほど迂闊な人でなければわかることでしょう。彼を選ばなかっただけでも、自民党はまだしばらくは死なずにすむだろう、と思いました。
しかし、いずれにせよ当分は国難の時代がつづくんだろうなと思います。そんな日本を背負って堂々と世界に伍していけるようなリーダーは残念ながら皆無です。せめて致命的なミスを犯すようなことをして国民の生命を危機に陥れるようなまねだけはしないでほしい。高市さんは小泉さんとは別の意味で、それをやりそうだしね(笑)。
石橋さんは見かけは「軍事オタク」みたいに見えるけど、意外に穏当な普通の感覚をもった政治家でしょう。ただ、彼は西郷さんみたいなドメスティックな政治家としてはそこそこやれるかもしれないけれど、いまの世界で然るべき存在感のある政治家として振る舞うことができるかといえば、まったく未知数だし、実際、無理でしょう。これにはよほどの参謀がついて弱点をカバーしないと大変困ったことになりそうですね。
以上、すべてわたしの熊さん、八ッつぁん的トコヤ政談でありますが。
さて、「手ぶら読みの古今集」と題したブログに連載してきた、古今集の全注釈書を頼りに、一首ずつ最初からとにかく全部読んでいこう、と始めた試み、さぼりさぼりで、やっと上巻の最後までたどりつきました。これで春夏秋冬四季の巻が終わって、ようやく中巻の、少し毛色の異なる歌へ入れそうです。
上巻の最後に読んだ「冬歌」のページをリンケージをつけて挙げておきますので、興味のあるかたはお気軽に覗いてみてください。
私のコメントは素人のたわごとにすぎないかもしれませんが、つぶさに参照した片桐洋一さんの解釈には納得のいくところが多くて、大いに学ばせてもらいましたし、時折、契沖、眞淵、宣長といった大先達も紐解いてみたり、作者についてちょっと寄り道がしたくなって別の書き物を読んでみたり、楽しみながらの旅ですので、そんな旅におつきあいいただける方はどうぞ。
手ぶら読みの古今集 第40回 冬歌~その1(314~323)
手ぶら読みの古今集 第41回 冬歌~その2( (324~330)
手ぶら読みの古今集 第42回 冬歌~その3( (331~335)
手ぶら読みの古今集 第43回 冬歌~その4 (336~342)
今日の午後はちょっと庭に出て、花壇や周辺にはびこったツルキキョウやジャーマンアイリスでしたか、やたら勢力を周囲に広げてほかの植物の生育を妨げる輩を、手鍬で掘り起こしたりぶった斬ったりして、後日肥料を入れて養生できるように、少し作業しておきました。雑草は昨日パートナーが手元で使える小さな自動草刈り機でがんばってかなり刈っていたので、芝生の空間は割とキレイでした。でも疲れました(> <)
きょうの夕餉
トウガンのクリーム煮
小鯵の南蛮づけ
ぎょうざ(中には野菜がいっぱい)
叩きキュウリとスプラウトの中華サラダ
キムチ、イワシのヘシコ、チリメン山椒。ヘシコはほんの一切れ口に入れるだけで、忘れられないインパクトのある味わいが口の中に広がり、なるほどこれさえあれば他に何もなくてもご飯が食べられるなぁ、と思うほど魅力的。ヘシコ、鮒ずし、ブルーチーズ、みんな大好き。
(以上でした)
「良いこと」のうち一つは、数日前からわたしたちを悩ませていた洗濯機の給水ホースの蛇口との損傷した接続器具と同じものがどこにもなく、アマゾンで購入してもうまく合わずに困っていたのですが、きょうパートナーがイズミヤの4階、5階のコウナンへ出かけて、彼女のもちまえの良い勘を働かせて選んで買ってきたら、ぴったりこんこん合いました!これで洗濯機も心配なし。
もう一つの「良いこと」(良いニュース)は、大谷翔平選手の属するドジャースが大谷選手のかねて強く望んでいた地区優勝を決めたこと。テレビで見ていたら、そのあと球場へ奥さんとデコピンも来て、三人で並んで写真をとったりして、ほんとに楽しそうでした。つぎつぎに自分で道を切り開いて夢を実現していく人ですね。すばらしい。
そして「まずまずよかったこと(ニュース」というのは、自民党総裁に石破さんが選ばれた、ということです。別に彼が特別好きなわけでも何でもないけれど、少なくとも小泉さんや高市さんでなくて良かった。
小泉さんは最初、国民の多くに人気があるから、自民党の若手議員たちは、自分たちが落選しないために、選挙の顔として彼を選ぶんじゃないか、と私は危惧していましたが、さすがに自民党議員もそこまでボケではなかったようです。記者会見や討論会等々をいくらかでも見れば、小泉二世がいかにポンコツで、まともに人と論じ合ったり、質問に的確に答えたりする能力がないか、ということが、実に残酷なほどあからさまに分かります。
単に若いから経験不足だといったレベルではなくて、質問に対する答えにならないことを喋るだけ。ずるがしこいがゆえに故意にはぐらかして答えているのではなく、単に質問が理解できないらしいのです。
基本的に政治家としての資質が乏しい。見かけの良さを生かして、兄貴と同じ道へ進んだ方がよかったですね。親父の高い人気のおかげで若いころから中身なしでも期待だけは大きく、その端正な容貌容姿で、ミーハー的な人気を得たものの、たった二週間かそこらの選挙戦を展開しただけで、化けの皮がはがれてしまいました。
私だって政治家の若返りは切望しているので、府市会議員くらいなら、ただ若いというだけ、ただ女性だというだけで、中身を問わずに一票を投じたっていい、とまで思っているほどですが、いくら何でも、一国の命運を左右する首相はダメです。
いくらポピュリズムが現実的な力をもつ世の中になったとはいえ、彼のような人物が一国の指導者になったら、わたしたちの子供や孫の世代にとっては、まさに悲劇です。これから急速に変化していく世界の危機的な状況に、彼のような人物が対処できるはずもないことは、よほど迂闊な人でなければわかることでしょう。彼を選ばなかっただけでも、自民党はまだしばらくは死なずにすむだろう、と思いました。
しかし、いずれにせよ当分は国難の時代がつづくんだろうなと思います。そんな日本を背負って堂々と世界に伍していけるようなリーダーは残念ながら皆無です。せめて致命的なミスを犯すようなことをして国民の生命を危機に陥れるようなまねだけはしないでほしい。高市さんは小泉さんとは別の意味で、それをやりそうだしね(笑)。
石橋さんは見かけは「軍事オタク」みたいに見えるけど、意外に穏当な普通の感覚をもった政治家でしょう。ただ、彼は西郷さんみたいなドメスティックな政治家としてはそこそこやれるかもしれないけれど、いまの世界で然るべき存在感のある政治家として振る舞うことができるかといえば、まったく未知数だし、実際、無理でしょう。これにはよほどの参謀がついて弱点をカバーしないと大変困ったことになりそうですね。
以上、すべてわたしの熊さん、八ッつぁん的トコヤ政談でありますが。
さて、「手ぶら読みの古今集」と題したブログに連載してきた、古今集の全注釈書を頼りに、一首ずつ最初からとにかく全部読んでいこう、と始めた試み、さぼりさぼりで、やっと上巻の最後までたどりつきました。これで春夏秋冬四季の巻が終わって、ようやく中巻の、少し毛色の異なる歌へ入れそうです。
上巻の最後に読んだ「冬歌」のページをリンケージをつけて挙げておきますので、興味のあるかたはお気軽に覗いてみてください。
私のコメントは素人のたわごとにすぎないかもしれませんが、つぶさに参照した片桐洋一さんの解釈には納得のいくところが多くて、大いに学ばせてもらいましたし、時折、契沖、眞淵、宣長といった大先達も紐解いてみたり、作者についてちょっと寄り道がしたくなって別の書き物を読んでみたり、楽しみながらの旅ですので、そんな旅におつきあいいただける方はどうぞ。
手ぶら読みの古今集 第40回 冬歌~その1(314~323)
手ぶら読みの古今集 第41回 冬歌~その2( (324~330)
手ぶら読みの古今集 第42回 冬歌~その3( (331~335)
手ぶら読みの古今集 第43回 冬歌~その4 (336~342)
今日の午後はちょっと庭に出て、花壇や周辺にはびこったツルキキョウやジャーマンアイリスでしたか、やたら勢力を周囲に広げてほかの植物の生育を妨げる輩を、手鍬で掘り起こしたりぶった斬ったりして、後日肥料を入れて養生できるように、少し作業しておきました。雑草は昨日パートナーが手元で使える小さな自動草刈り機でがんばってかなり刈っていたので、芝生の空間は割とキレイでした。でも疲れました(> <)
きょうの夕餉
トウガンのクリーム煮
小鯵の南蛮づけ
ぎょうざ(中には野菜がいっぱい)
叩きキュウリとスプラウトの中華サラダ
キムチ、イワシのヘシコ、チリメン山椒。ヘシコはほんの一切れ口に入れるだけで、忘れられないインパクトのある味わいが口の中に広がり、なるほどこれさえあれば他に何もなくてもご飯が食べられるなぁ、と思うほど魅力的。ヘシコ、鮒ずし、ブルーチーズ、みんな大好き。
(以上でした)
saysei at 19:18|Permalink│Comments(0)│