2024年08月
2024年08月26日
猛暑なれど平穏で幸せな一日

きょうも朝起きて居間のカーテンをあけると、目の前で芙蓉の花が咲いています。

きょうはこの2輪だけ

自転車の転倒で怪我をして、一番長引いたけれど、とっくにすっかり治ったはずの足首の傷跡がひどく黒ずんで、また表面の皮膚が剥げて押さえると痛かったりするので、念のために皮膚科で見てもらおうとおもって、念のためにクリニックのHPを見ると、きょうは臨時休診とのこと。
それでもあんまり動かないのも・・・と思って、朝のうちに上賀茂まで自動販売機の野菜を覗きに行ってきました。朝のうちとはいえ、既にカンカン照りの猛暑。首にいつもの細い帯では不足なので、薄めのタオルを水に浸してしぼったのを巻き、ヘルメットをかぶって電動自転車を走らせました。
高野川にも、さすがに今日は鹿さんたちの姿はひとつも見ることが出来ませんでした。きっと涼しいお山へ帰ったのでしょうね。

上賀茂の自動販売機では、茄子、オクラ、万願寺唐辛子、パプリカと、このデッカイ冬瓜をゲットしてきました。 300円。私の好物です。

鶏肉とのコンビでスープ煮にした味が大好きですが、この生のままの姿が可愛らしくて好きです。

帰りに友恵堂さんへ寄って、麩饅頭、水羊羹、それに先日も食べた“金魚”の和菓子をひとつずつ買ってきました。麩饅頭が200円、あとは180円。友恵堂さんのお菓子は、へんな混ぜ物のない純粋無垢な美味しさです。麩饅頭は菓子そのものも素敵で美味しいけれど、本物の笹の葉に包まれていて、口の中に菓子を入れると、ほどよい甘さ、ほどよい柔らかさ、そして同時に笹の葉の香りがたつのです。絶品ですね。

これは先日もご紹介した「金魚」(今日の写真ではわかりにくいけれど上の赤いところ)とスイレンのゆらぐ透明な金魚鉢の水をかたどったお菓子。上の二つはお昼に、夕食後にはこれを二人で分け合っていただきました。

これはお昼のいなりずし。わが家の自家製いなりの定番ですが、寿司アゲだけは本当は森嘉さんのを使いたいようですが、なかなか行く機会がないので、手近な店のを使っています。それでもすばらしく美味しい。息子たちも孫もパートナーのつくるいなりは大好きです。私は昔は稲荷寿司はそんなに好きじゃなくて食べなかったのですが、パートナー手作りの稲荷を食べるようになってからは大好きになりました。

お昼はおいなりのほか、残り物あれこれ盛り合わせと、いつもの自家製フルーツヨーグルト。「自家製」というより、生物としてのヨーグルト菌を木次の美味しい牛乳を餌に与えて、毎朝こまめにお世話しているので、「育てている」、という感じです。もう数十年になりますが、常温で毎日せっせと牛乳を素晴らしく美味しくて艶やかでプリンッと弾力性を感じさせるようなヨーグルトに変えてくれています。カスピ海ヨーグルトの菌は、ほんとうに強くて、容器を清潔にさえしておけば、ここ数十年、一度も雑菌にやられたことはなくて、一日も欠かさず確実に二人分のヨーグルトをたっぷり供給してくれています。

きょうの夕餉のメインディッシュは、骨付き仔羊のグリル。バルサミと赤ワインソース、付け合わせは温かいラタトゥイユです。

かぼちゃのスープ

スティック生野菜の自家製バーニャカウダソース添え

パンコントマテ
今日は長男が忙しいようでこれなかったので、予定していたもう一品、冷製トマトとバジルのカペッリー二はとりやめて、老人にはこれで十分という量に抑えた夕餉になりました。
処分を兼ねた娯楽で見ているビデオは、昨日は増村保蔵監督の「巨人と玩具」。野添ひとみと川口浩が主演で、私の好きだった伊藤雄之助なども出演しています。野添も川口も、それに川口の上司役の高松英郎も、とてもよかった。セリフや笑わせネタは時代もあって古くもダサくも感じるけれど、会話や展開のテンポが速くて小気味よかったし、時代の風俗をよくとらえていると思いました。原作は開高健です。
きょうは一転して、メル・ギブソンが力を込めて製作もし、主演をつとめた「パッション」という、イエス・キリストの受難を描いた作品をみました。これはちょっときつかった。キリストが十字架にかけられるにいたる12時間ほどを克明に、いわばクソリアリズムの観点で描いた代物で、十字架にかかる前に、ピラトが彼を助けようとして、鞭打ちの上釈放、という指示を出したために、サディスティックな懲罰人たちに、ただの鞭でさんざん打たれたあげくに、今度は幾本も束ねられた鎖の先に鋭くとがったミニ匕首みたいな凶器をぶらさげた鉄鎖の鞭で、力任せに打たれて、全身の肉をえぐられ、体中切り裂かれて血まみれで喘ぐイエスの姿を延々と撮るという悪趣味な作品。十字架にかけられるときも、ものすごく太い四角い釘というのか鋲というのか、斧を振る樵のように振りかぶった鉄槌を力任せに打ちおろさなければ打てないようなその釘を両方の掌に打ち込まれ、次に固定された両足の甲に同様にバカでかい釘というのか鋲というのかを打ち込まれて十字架に固定されるというシーンを、これまたご丁寧にクソリアリズムでこれでもか、とばかりに見せつけます。
それをパウロに伴われて刑場へやってくる母親のマリアや石打ちのリンチを受けているところをイエスに助けられたマグラダのマリアがずっとついて見守るのですね。あれはどんな気丈な、あるいはどんな厚い信仰に凝り固まった母親でも、我が子がああいう地獄の中をのたうち回るようなシーンをえんえんと見ることは不可能でしょう。いや、それ以前に、そういう拷問以上の責め苦を受け続けるイエスが少なくとも半分人間である限り、必ずや痛みと衝撃によるショック死をするか、とうに失血死せずにはいないでしょう。そこはリアルじゃないわけですが、そのリアルをはるかに超えてえんえんとやりつづけるから、クソリアリズムというのです。メル・ギブソンがこの映画をつくったから信仰篤き人だとは全然信じられません。むしろ根っこのところに、異常にサディスティックなものを潜めている人ではないか、という気がします。
イエスを演じた俳優は私の知らない人でしたが、痛めつけられるまでのシーンで登場する彼は、ちっともイエスらしくありませんでした。つまり、全然オーラもなければ、なにか深みなり純粋さなりをそこにいるだけで感じさせる、といったようなところは微塵もない、ありきたりの役者でした。ただ、サディストたちの拷問を受けはじめてからは、メイクがすごくて、それは役者の演技ではなくて、メイクさんの技術力が高いからクソリアリズムらしい迫力を生み出してはいました。この映画をつくるのになんと10年もかけたのだそうです!
きょう以前に注文していた、地震のときに箪笥が倒れるのを防ぐ「突っ張り棒」が4セット、無事届きました。これでDKの食器棚も含めて、倒れてきそうな重量級の箱もののすべてに、いちおうの転倒の歯止めがつくことになります。地震が来ないに越したことはないけれど・・・
夜、マーケットプレイスに出していたうちの一冊が売れたという知らせが入っていました。なかなか売れなかったけれど、待てばカイロの日和というわけで、こうしてポツリポツリとでもはけていくと嬉しい。そのつど引き出して、すぐ使ってしまうのが悪い癖で、ちっともたまらないけれど・・・
saysei at 22:44|Permalink│Comments(0)│
2024年08月25日
見えないところのお片付け
きょうは次男の部屋だったところに設けてある「屋根裏部屋」風の、昔は次男がそこで寝ていた空間にほうりなげていた私の本のケースを処分しようと、久しぶりにはしご段をつかまり棒にしがみついてよじのぼり、散らかり放題散らかった本のケース(本を手に入れたとき、まずケースをここへ放り投げて本棚にはケースを持ち込まずに裸の本だけを立てていたので)を整理整頓して、もう不要のケースを下へ下ろしてハサミで切って、単なる厚紙にして、古紙回収の時「雑紙」として出せるようにしました。
そのときにたまたま、大学勤めの折に、毎年、ゼミ生が卒業時に寄せ書きしてくれた色紙が十数枚束ねてあるのを見つけました。学生さん関連の文書類は、個人情報の遺漏・拡散のないよう、大学を完全撤退したあと、ほぼすべてシュレッダーにかけて処分したり、デジタルデータは完全消去したりしてきたのですが、この色紙だけは処分しがたくて、棺桶にでも入れてもらおうと思って、残していたのです。
しかしまあそんなことも勝手なこちらの思い入れにすぎず、自分が死んだあとどうなるかは分からないし責任も持てないのですから、処分しておかないといけないな、と思い直して、きょうは徹底的にそれらを跡形のないまでに寸断して処分してしまいました。つい学生さんたちが書いてくれた言葉を読んでしまったりすると、ホロっとさせられたりしながら(笑)・・・

これは二つの学年のゼミの寄せ書き色紙の真ん中に、学生さんが描いた私をかたどったイラストです。恥ずかしいから小さめで・・・(笑)
右は私の若いときの写真をいつか見たのでしょうね。表情や髪形に覚えがあります。20前後の時の写真を見て描いたスケッチだろうと思います。左はちょっと優しい表情にしてくれすぎです(笑)、まあ丸顔に眼鏡で基本的な形は合っています。でもネクタイに背広という姿はほとんどなかったのではないかな(笑)
デジタルカメラやスマホで撮った写真や動画は、以前にほとんど処分したつもりでしたが、先日もDVDケースの中にまだそれらしいのがあるのを見つけたり、きょうも、DVDよりも古い8mmビデオが大量に出てきたので、明日からはこれもデータが残らないように完全に処分してしまわなくては、と思っているところです。最初に担当したゼミ生の中によく自分たちの写真をぱちぱちとる学生さんがいて、私も同じように撮っていたけれど、そのころは一定の信頼関係があれば、誰も写真やビデオを撮られることに抵抗がなかったのか、今考えれば驚くほど大量の写真やビデオを撮影していました。
十年余り大学にかかわる間に、学生さんと私の基本的なかかわり方はまったく変わりがなかったのに、写真やビデオの撮影についてのそうした事情はずいぶんと変わってきたような気がします。後半になると撮影そのものに抵抗を覚えるらしい学生さんが増えてきた印象があります。
たぶんその間には、ネットに写真をアップロードして様々なトラブルを生じたり、写真を悪用されるような事件が世間を騒がせたり、また同時に肖像権などの問題にもみんなが敏感になって、意識してポーズをとり、はいどうぞ、という撮影でないかぎりすべて「盗撮」とみなすような感覚をもつひとが増えてきた、といった事情があったからだろうか、と思います。
ともあれ、意識せずにパチパチやって、学生さんにフィードバックしたりして楽しんでいるうちに、膨大な写真やビデオがたまっていたわけで、もちろん単に箪笥の奥に死蔵していただけですが、一度大量に処分した折にもまだ残っていたのがあったことには気が付きませんでした。これも明日からの宿題です。
実は学生さんの写真とは別に、私は中田英寿が活躍したころのペルージャの試合はほとんど全部(wowowで中継した限り)録画していた時期があって、膨大なビデオカセットが半地下に置いた大きな物入にとっておいたのですが、もちろんそんなものをあとで見返すなんていうほど暇人ではなかったので、録画はしたものの、一度も再生してみたことがないまま、3倍速で録画した大量のデータがどこかにあるはずなのです。
ところが、自分でも、すでにあれは処分してしまったのかどうかが、わからなくなっています。前に半地下の本を(もうこの老身では地下から上へ持ち上げて出すことが不可能になるというので)全部出して整理したことがあって、そのときに探したのですが、みつからなかったので、そのまえのどこかの時点で処分したかも、と(記憶は失われているけれど)思ったりしているのですが・・・
まあこれは使い古したビデオカセットに試合を録画しただけですから、万一まだどこかに眠っていたとしても、私がいなくなって出てきたときに、家族の誰かが単に捨ててくれれば何も問題はないのですが・・・。学生さんの映っているのはそういうわけにはいかないので、完全消去処分というのが結構大変です。もっとも、前に一度ほぼ捨てているので、もうごくわずかしか残ってはいないはずですが。
クラスやゼミのファイル類ももちろん以前に全部廃棄したし、住所録やメールアドレスの類も全部消去しているので、申し訳ないけれど、もうよほど近年何度も連絡をとりあってきた卒業生でない限り、私からは連絡のしようもないし、もともと記憶力がひどく悪いほうなので、これもほんとに申し訳ないけれど、名も顔も日々忘却の彼方ということになってしまいます。
こちらが思い入れをもっていたほどには、ひとりひとりの学生さんのほうには、そんなものはないだろうことは、自分も若いころには学生だったから、よくわかるし、それでいいのだと思います。寧ろ卒業してからも長い間いろいろ便りをくれたり、つきあってくれた学生さんたちは例外的な人たちで、これまでのそうした気持ちにこころから感謝しています。でももうそろそろこちらからご辞退しなくてはいけない頃ですよね。遅すぎたかも(笑)
先日スマホの機種を変えたのを機会に、いろいろ問題の多いLINEも削除して、使わなくなりました。
FBはまだ完全削除(退会)はしていないけれど、もう何年も顔を出していません。単にFB的なひととのやりとりが億劫になってしまったというだけのことですが、FBにも情報漏洩など、いろいろ運営に問題がありましたね。SNSがあまり信頼のおけない個人メディアだということは、いつも頭の隅に置いておく必要があります。
私にはツイッターはできないので、かろうじてブログやHPなら何とか一方通行だけれど相性がいいようなので続けています。ですから、ごくごく限られた少数の方にでも読んでやろうと思っていただければそれで充分だと思っています。
賀状も今年、「卒業」させていただくご案内を、これまで賀状交換してきた方たちにさしあげようかと考えています。こちらが賀状を出すことが、かえって受け取るかたに億劫な思いをさせているのではないか、ともうずいぶん前から危惧するようになっていました。
とりわけOGのように、こちらが教員だったから、こちらから出せばあまり賀状など出さないOGが億劫でも返事をせざるを得ないようなことになっていやしないかな、と考えることがあったので、数え歳ですが80の大台に乗る前に、勝手ながら賀状交換にも区切りをつけさせてもらおうか、と。
なんというお坊さんでしたか、大原の古知谷というところにある山上のお寺に祭られているお坊さんでしたが、自分で地下の穴倉みたいなところに閉じこもって絶食し、毎日松の実だけお弟子さんに差し入れてもらって食べ、そのまま十日だか二十日だけ生きながらえて飢え、衰弱して死んでいく、という凄絶な死に方をしたひとがありました。
私にはとてもそういう恐ろしい逝き方はできないけれど、身の回りの物や事とのかかわりや、人とのかかわりなど、さまざまな「関係」を少しずつ断って、いわば「関係」の貧しさを求めるようにして痩せ細って、そのあげくに成仏する、というのは、わりと自然な、良い逝き方なのではないか、と思っています。
なかなか根性が捨てきれなくて、いまだにブログを書いたりHPを整理したり、いまごろあわてて本を読んだり(笑)しているのですが、さてこういうすべてのいきがかりや未練から、どこかでいいかげん手を引くことができれば、私も無事成仏できるような気がするのですが。
きょうの夕餉

トウガンと手羽元のスープ煮

豚肉の味噌漬け照り焼き

茄子、クーシンサイ、キムチ、アミエビ、ベーコンのちぢみ

ニシン茄子

モロヘイヤのポン酢かけ

モズクきゅうり酢

きょうの芙蓉 少しずつ増えてきました まだ上の方に固まっていますが・・・
そのときにたまたま、大学勤めの折に、毎年、ゼミ生が卒業時に寄せ書きしてくれた色紙が十数枚束ねてあるのを見つけました。学生さん関連の文書類は、個人情報の遺漏・拡散のないよう、大学を完全撤退したあと、ほぼすべてシュレッダーにかけて処分したり、デジタルデータは完全消去したりしてきたのですが、この色紙だけは処分しがたくて、棺桶にでも入れてもらおうと思って、残していたのです。
しかしまあそんなことも勝手なこちらの思い入れにすぎず、自分が死んだあとどうなるかは分からないし責任も持てないのですから、処分しておかないといけないな、と思い直して、きょうは徹底的にそれらを跡形のないまでに寸断して処分してしまいました。つい学生さんたちが書いてくれた言葉を読んでしまったりすると、ホロっとさせられたりしながら(笑)・・・

これは二つの学年のゼミの寄せ書き色紙の真ん中に、学生さんが描いた私をかたどったイラストです。恥ずかしいから小さめで・・・(笑)
右は私の若いときの写真をいつか見たのでしょうね。表情や髪形に覚えがあります。20前後の時の写真を見て描いたスケッチだろうと思います。左はちょっと優しい表情にしてくれすぎです(笑)、まあ丸顔に眼鏡で基本的な形は合っています。でもネクタイに背広という姿はほとんどなかったのではないかな(笑)
デジタルカメラやスマホで撮った写真や動画は、以前にほとんど処分したつもりでしたが、先日もDVDケースの中にまだそれらしいのがあるのを見つけたり、きょうも、DVDよりも古い8mmビデオが大量に出てきたので、明日からはこれもデータが残らないように完全に処分してしまわなくては、と思っているところです。最初に担当したゼミ生の中によく自分たちの写真をぱちぱちとる学生さんがいて、私も同じように撮っていたけれど、そのころは一定の信頼関係があれば、誰も写真やビデオを撮られることに抵抗がなかったのか、今考えれば驚くほど大量の写真やビデオを撮影していました。
十年余り大学にかかわる間に、学生さんと私の基本的なかかわり方はまったく変わりがなかったのに、写真やビデオの撮影についてのそうした事情はずいぶんと変わってきたような気がします。後半になると撮影そのものに抵抗を覚えるらしい学生さんが増えてきた印象があります。
たぶんその間には、ネットに写真をアップロードして様々なトラブルを生じたり、写真を悪用されるような事件が世間を騒がせたり、また同時に肖像権などの問題にもみんなが敏感になって、意識してポーズをとり、はいどうぞ、という撮影でないかぎりすべて「盗撮」とみなすような感覚をもつひとが増えてきた、といった事情があったからだろうか、と思います。
ともあれ、意識せずにパチパチやって、学生さんにフィードバックしたりして楽しんでいるうちに、膨大な写真やビデオがたまっていたわけで、もちろん単に箪笥の奥に死蔵していただけですが、一度大量に処分した折にもまだ残っていたのがあったことには気が付きませんでした。これも明日からの宿題です。
実は学生さんの写真とは別に、私は中田英寿が活躍したころのペルージャの試合はほとんど全部(wowowで中継した限り)録画していた時期があって、膨大なビデオカセットが半地下に置いた大きな物入にとっておいたのですが、もちろんそんなものをあとで見返すなんていうほど暇人ではなかったので、録画はしたものの、一度も再生してみたことがないまま、3倍速で録画した大量のデータがどこかにあるはずなのです。
ところが、自分でも、すでにあれは処分してしまったのかどうかが、わからなくなっています。前に半地下の本を(もうこの老身では地下から上へ持ち上げて出すことが不可能になるというので)全部出して整理したことがあって、そのときに探したのですが、みつからなかったので、そのまえのどこかの時点で処分したかも、と(記憶は失われているけれど)思ったりしているのですが・・・
まあこれは使い古したビデオカセットに試合を録画しただけですから、万一まだどこかに眠っていたとしても、私がいなくなって出てきたときに、家族の誰かが単に捨ててくれれば何も問題はないのですが・・・。学生さんの映っているのはそういうわけにはいかないので、完全消去処分というのが結構大変です。もっとも、前に一度ほぼ捨てているので、もうごくわずかしか残ってはいないはずですが。
クラスやゼミのファイル類ももちろん以前に全部廃棄したし、住所録やメールアドレスの類も全部消去しているので、申し訳ないけれど、もうよほど近年何度も連絡をとりあってきた卒業生でない限り、私からは連絡のしようもないし、もともと記憶力がひどく悪いほうなので、これもほんとに申し訳ないけれど、名も顔も日々忘却の彼方ということになってしまいます。
こちらが思い入れをもっていたほどには、ひとりひとりの学生さんのほうには、そんなものはないだろうことは、自分も若いころには学生だったから、よくわかるし、それでいいのだと思います。寧ろ卒業してからも長い間いろいろ便りをくれたり、つきあってくれた学生さんたちは例外的な人たちで、これまでのそうした気持ちにこころから感謝しています。でももうそろそろこちらからご辞退しなくてはいけない頃ですよね。遅すぎたかも(笑)
先日スマホの機種を変えたのを機会に、いろいろ問題の多いLINEも削除して、使わなくなりました。
FBはまだ完全削除(退会)はしていないけれど、もう何年も顔を出していません。単にFB的なひととのやりとりが億劫になってしまったというだけのことですが、FBにも情報漏洩など、いろいろ運営に問題がありましたね。SNSがあまり信頼のおけない個人メディアだということは、いつも頭の隅に置いておく必要があります。
私にはツイッターはできないので、かろうじてブログやHPなら何とか一方通行だけれど相性がいいようなので続けています。ですから、ごくごく限られた少数の方にでも読んでやろうと思っていただければそれで充分だと思っています。
賀状も今年、「卒業」させていただくご案内を、これまで賀状交換してきた方たちにさしあげようかと考えています。こちらが賀状を出すことが、かえって受け取るかたに億劫な思いをさせているのではないか、ともうずいぶん前から危惧するようになっていました。
とりわけOGのように、こちらが教員だったから、こちらから出せばあまり賀状など出さないOGが億劫でも返事をせざるを得ないようなことになっていやしないかな、と考えることがあったので、数え歳ですが80の大台に乗る前に、勝手ながら賀状交換にも区切りをつけさせてもらおうか、と。
なんというお坊さんでしたか、大原の古知谷というところにある山上のお寺に祭られているお坊さんでしたが、自分で地下の穴倉みたいなところに閉じこもって絶食し、毎日松の実だけお弟子さんに差し入れてもらって食べ、そのまま十日だか二十日だけ生きながらえて飢え、衰弱して死んでいく、という凄絶な死に方をしたひとがありました。
私にはとてもそういう恐ろしい逝き方はできないけれど、身の回りの物や事とのかかわりや、人とのかかわりなど、さまざまな「関係」を少しずつ断って、いわば「関係」の貧しさを求めるようにして痩せ細って、そのあげくに成仏する、というのは、わりと自然な、良い逝き方なのではないか、と思っています。
なかなか根性が捨てきれなくて、いまだにブログを書いたりHPを整理したり、いまごろあわてて本を読んだり(笑)しているのですが、さてこういうすべてのいきがかりや未練から、どこかでいいかげん手を引くことができれば、私も無事成仏できるような気がするのですが。
きょうの夕餉

トウガンと手羽元のスープ煮

豚肉の味噌漬け照り焼き

茄子、クーシンサイ、キムチ、アミエビ、ベーコンのちぢみ

ニシン茄子

モロヘイヤのポン酢かけ

モズクきゅうり酢

きょうの芙蓉 少しずつ増えてきました まだ上の方に固まっていますが・・・
saysei at 22:25|Permalink│Comments(0)│
2024年08月24日
地蔵盆の日

団地の集会所に提灯が下がり、きょうは地蔵盆の日。

いつも理事会や自治会が開かれる集会所の室内壁際にはお地蔵様が祭られていました。

今年のお地蔵さまはこういうお顔
コロナで数年間中止されていた古本市も併催され、それを待っていたわたしは昨日、自治会役員の肩の手をわずらわせて、玄関まで下ろした手提げ袋入りの20-30個ばかりの古本の塊を車に積み込んでもらい、集会所の前で下ろしてもらう作業を全部やってもらって、無事大量の不要本を処分できました。きょう役員さんにうかがったところでは、そこそこ捌けたようです。
すべて一冊100円で販売され、地蔵盆が終わって売れ残った本はいつもお世話になっていたマヨルカ古書店さんに引き取っていただくことになっているようです。ほかの古書店は、あれは要らない、これも要らない、と安い本や引き取ってくれないことが多いので、全部引き受けてくださるマヤルカさんにはいつも感謝です。
きょうの夕食

オクラ豆腐ダシ醤油かけ

塩鮭

ニシン茄子

クーシンサイのカツオポン酢かけ

ゴーヤ、ニンジン、たまご麩のチャンプルー

春雨チャンプルー(のこりもの)

モズクきゅうり酢
今日は私の胃の調子が昨夜からまたあまりよくなかったので、それ向きの食事にしてもらいました。オフェブを飲みだすとやっぱり副作用が少々きついようです。
きょうは大谷翔平選手のとびきりのニュースが入ってきましたね。40本塁打40盗塁という歴代6人目の快挙達成の上、そのホームランは9回同点満塁でさよならホームラン!この人は本当にヒーローになるべくして生まれてきたような人ですね。WBCの最後のシーンも忘れられませんが、今回もこれ以上ないという、現実とも思われないような、そういってよければマンガ(劇画)でしかありえないようなまさにヒーロー登場!という場面で登場して、ほんとうにその場にふさわしいヒーローとしての役割を見事に演じて見せるのだから驚きます。
まだまだこういう奇跡のような場面を見せてくれそうだから、野球に興味はなくても大谷選手からは目が離せません。
saysei at 22:17|Permalink│Comments(2)│
2024年08月23日
夏の甲子園、京都国際高校の優勝
夏の甲子園、京都国際高校が優勝したそうです。おめでとう!
ネットでは校歌が韓国語で歌われたというので、あれこれ書かれているそうですが、もともと在日韓国人の子弟が通う民族学校といった性格の学校だったからでしょうし、ほとんどの在学生が日本人になっているらしい現在、韓国語の校歌というのは「国際」の名にふさわしいともいえるでしょう。2番は英語、3番は中国語、4番はヒンズー語・・・etc.の歌詞だったりしたら、もっとよかったかも。
世の中にはいろいろと差別意識や偏見、誤った思い込みや先入観にとらわれる人も未だに少なくはないし、とりわけ韓国・朝鮮、中国が関わる話では、そういうのが多いようです。
ちょうどその裏返しのように、朝鮮半島や中国の人たちにもまた反日感情を抱いている人が少なからずいることはよく報じられるし、政府もまたそうした国民の反日感情を政治的に利用し、あるいは中国などは江沢民以来、激しい反日教育を進めてきた経緯もあって、個々の国民どうしの関係にはいくらでもそんなのに右往左往しない人たちは少なくないし、双方の現代文化(韓流ドラマや世界的な歌手グループ、日本のアニメなど)を通じた若い世代で高まるこだわりのない親近感もいたるところでみられますが、一部にはなおむこうでは反日、こちらでは反韓・反中的な感情にとらわれた心の狭い人たちが根強く残っていることも事実のようです。
京都国際高校が日本と韓国の両国から正規の学校として認められ、朝鮮語教育が行われているように、仮にたとえば韓国に在韓日本人学校(というのがあるかどうかも知らないけれど)というのがあって、両国政府から正規の学校として認められ、韓国の国内スポーツ大会に韓国の高校と対等な立場で参加することが認められているとして、その学校が何か得意なスポーツ種目で優勝して、日本語の校歌がうたわれたとしたら、はたして韓国民はどんな感情を抱くか、と考えれば、さまざまな国際的なスポーツ大会における日韓戦で見せる韓国チームの、いささか感情的な高ぶりを連想すると、あまり歓迎はされないだろうな、と予想せざるを得ないところがあります。
だからこそ、私は今回、京都国際高校が優勝して、韓国語の校歌がうたわれる光景を、おそらくは韓国民の少なからぬ人たちも見ると思われるので、それは日本の真の「国際化」へ向かう姿を示す上で、また反日感情を持つ国民があろうと、日本がそうした一部の風潮に対しても「寛容」である姿を示す上でも、好ましい結果だった、と思います。
大谷翔平選手個人への関心を除けば、ふだん野球に何の関心もない私ですが、小学校の4年から6年生の卒業まで、甲子園球場のすぐ脇の、今津網引町2番地、というところ(父の勤務先の社宅があって、大阪堂島の出張所へ転勤した父に伴って、一家三人、その一軒家の社宅に住んでいた)に住んでいました。
夏休みに家の2階にいると、球場からワァーッ!という歓声や、ドンドンドドン!という太鼓の音が繰り返し寄せる波のように聞こえてくるので、単に勉強に飽きてのことではあったけれど、無料の外野席へ入って、自分と何らかの縁のある高校、広島とか三岐(三重と岐阜)代表とかのチームを応援したりしていました。
いまでも一番よく覚えているのは、三重県の進学校でもあったはずの四日市高校が初出場で優勝したときのことで、両親が三重県の出身で、四日市はちょっとした買回り品(お肉とか)を買いに出る都市としてなじみでもあったので(叔母は四日市の女学校出身だった)、応援にも熱が入り、高橋投手の一球一球を祈るようにして見ていたものでした。
その後高橋は巨人に入りましたが、活躍はできませんでしたね。一人で投げぬいたから無理もないのですが、投げてベンチへ戻ると酸素吸入していた、なんて当時の新聞に出ていたのを覚えていますから、あまり体格的というか体力的というかも恵まれた体ではなかったのかもしれません。

きょうの芙蓉。きょうは三輪の花が咲いていました。そのうちの一輪です。綺麗ですね。
今日も午前中は、明日の地蔵盆併設古本市の為に処分する直前の未読本の斜め読みとDVD映画の「とばし見」に大忙し(笑)。
昨日は井上靖「孔子」でしたが、きょうは高橋源一郎の『今夜やひとりぼっちかい?~日本文学盛衰史 戦後文学篇』。365ぺージと分厚かったけれど~高橋源一郎はこれを1日1ページ分だけ書いて1年間かけて書いたのかな、とふと思いましたが(笑)~本文に何度も登場する石坂洋次郎なみに易しい文体だったので楽に読み切りました。感想なし。
DVDは鈴木清順の「殺しの烙印」と、井筒和平の「ガキ帝国」、いまみると両方とも(相互には何の関係もないけれど)とても古臭く感じられます。そこがいわゆる古典との違いなのでしょう。今こういうのが出てきたら、なんじゃ、これ?とみんな思うでしょう。出てきた当初はたぶんあれこれ話題になった作品なのでしょうが。こうやって半世紀本棚の奥に積まれて埃まみれになったあげく引っ張り出されてあれこれ言われるのは頑張ってつくった作り手にとっても心外でしょう。でも単なる消費者としての享受者の立場からは、時のフィルターをかけて作品の本当の価値が自然にあわらになった状態で見ることができて、非常に明快な良し悪しの判断が下せる、好都合な見方なのかもしれません。
ネットでは校歌が韓国語で歌われたというので、あれこれ書かれているそうですが、もともと在日韓国人の子弟が通う民族学校といった性格の学校だったからでしょうし、ほとんどの在学生が日本人になっているらしい現在、韓国語の校歌というのは「国際」の名にふさわしいともいえるでしょう。2番は英語、3番は中国語、4番はヒンズー語・・・etc.の歌詞だったりしたら、もっとよかったかも。
世の中にはいろいろと差別意識や偏見、誤った思い込みや先入観にとらわれる人も未だに少なくはないし、とりわけ韓国・朝鮮、中国が関わる話では、そういうのが多いようです。
ちょうどその裏返しのように、朝鮮半島や中国の人たちにもまた反日感情を抱いている人が少なからずいることはよく報じられるし、政府もまたそうした国民の反日感情を政治的に利用し、あるいは中国などは江沢民以来、激しい反日教育を進めてきた経緯もあって、個々の国民どうしの関係にはいくらでもそんなのに右往左往しない人たちは少なくないし、双方の現代文化(韓流ドラマや世界的な歌手グループ、日本のアニメなど)を通じた若い世代で高まるこだわりのない親近感もいたるところでみられますが、一部にはなおむこうでは反日、こちらでは反韓・反中的な感情にとらわれた心の狭い人たちが根強く残っていることも事実のようです。
京都国際高校が日本と韓国の両国から正規の学校として認められ、朝鮮語教育が行われているように、仮にたとえば韓国に在韓日本人学校(というのがあるかどうかも知らないけれど)というのがあって、両国政府から正規の学校として認められ、韓国の国内スポーツ大会に韓国の高校と対等な立場で参加することが認められているとして、その学校が何か得意なスポーツ種目で優勝して、日本語の校歌がうたわれたとしたら、はたして韓国民はどんな感情を抱くか、と考えれば、さまざまな国際的なスポーツ大会における日韓戦で見せる韓国チームの、いささか感情的な高ぶりを連想すると、あまり歓迎はされないだろうな、と予想せざるを得ないところがあります。
だからこそ、私は今回、京都国際高校が優勝して、韓国語の校歌がうたわれる光景を、おそらくは韓国民の少なからぬ人たちも見ると思われるので、それは日本の真の「国際化」へ向かう姿を示す上で、また反日感情を持つ国民があろうと、日本がそうした一部の風潮に対しても「寛容」である姿を示す上でも、好ましい結果だった、と思います。
大谷翔平選手個人への関心を除けば、ふだん野球に何の関心もない私ですが、小学校の4年から6年生の卒業まで、甲子園球場のすぐ脇の、今津網引町2番地、というところ(父の勤務先の社宅があって、大阪堂島の出張所へ転勤した父に伴って、一家三人、その一軒家の社宅に住んでいた)に住んでいました。
夏休みに家の2階にいると、球場からワァーッ!という歓声や、ドンドンドドン!という太鼓の音が繰り返し寄せる波のように聞こえてくるので、単に勉強に飽きてのことではあったけれど、無料の外野席へ入って、自分と何らかの縁のある高校、広島とか三岐(三重と岐阜)代表とかのチームを応援したりしていました。
いまでも一番よく覚えているのは、三重県の進学校でもあったはずの四日市高校が初出場で優勝したときのことで、両親が三重県の出身で、四日市はちょっとした買回り品(お肉とか)を買いに出る都市としてなじみでもあったので(叔母は四日市の女学校出身だった)、応援にも熱が入り、高橋投手の一球一球を祈るようにして見ていたものでした。
その後高橋は巨人に入りましたが、活躍はできませんでしたね。一人で投げぬいたから無理もないのですが、投げてベンチへ戻ると酸素吸入していた、なんて当時の新聞に出ていたのを覚えていますから、あまり体格的というか体力的というかも恵まれた体ではなかったのかもしれません。

きょうの芙蓉。きょうは三輪の花が咲いていました。そのうちの一輪です。綺麗ですね。
今日も午前中は、明日の地蔵盆併設古本市の為に処分する直前の未読本の斜め読みとDVD映画の「とばし見」に大忙し(笑)。
昨日は井上靖「孔子」でしたが、きょうは高橋源一郎の『今夜やひとりぼっちかい?~日本文学盛衰史 戦後文学篇』。365ぺージと分厚かったけれど~高橋源一郎はこれを1日1ページ分だけ書いて1年間かけて書いたのかな、とふと思いましたが(笑)~本文に何度も登場する石坂洋次郎なみに易しい文体だったので楽に読み切りました。感想なし。
DVDは鈴木清順の「殺しの烙印」と、井筒和平の「ガキ帝国」、いまみると両方とも(相互には何の関係もないけれど)とても古臭く感じられます。そこがいわゆる古典との違いなのでしょう。今こういうのが出てきたら、なんじゃ、これ?とみんな思うでしょう。出てきた当初はたぶんあれこれ話題になった作品なのでしょうが。こうやって半世紀本棚の奥に積まれて埃まみれになったあげく引っ張り出されてあれこれ言われるのは頑張ってつくった作り手にとっても心外でしょう。でも単なる消費者としての享受者の立場からは、時のフィルターをかけて作品の本当の価値が自然にあわらになった状態で見ることができて、非常に明快な良し悪しの判断が下せる、好都合な見方なのかもしれません。
夕方までに紙の手提げ袋20-30ほどに詰めた本を階下へひとつずつ、無理をしないように気をつけながら下ろし、十分に休息してからそれらを玄関周辺に集めておき、夕方自治会の受付が始まるころに次男宅の車を借りて自宅前につけ、自治会の役員さんに告げ、本を車に積み込む作業は私や膝を痛めているパートナーにはできないので、3人ほど来てくれた役員さんにお願いしました。運転もだいぶ心もとなくなっていたけれど、団地内を集会所のところまでいくくらいは何とかできるので、無事集会所の前にバックでつけて、また役員さんに本を下ろしてもらいました。
これできょうの作業は完了。一区切りついてほっとしました。あとはマンガで四十数巻だったかそろっている三国志や18巻揃いの御用牙、小林秀雄や三好達治など面白いメンバーが訳したジイド全集を自治会への寄付とは別にマヤルカ書房さんにたのんで引き取ってもらえたら、だいぶスッキリするはずです。
その後、マーケットプレイスでも1000円以上と多少の値はつきそうな本を30-40冊積み上げてあるので、これを最低価格以下で出品して順次捌ければ、書棚にも少しゆとりができそうです。あとはもし来年の今頃迄生きていられたら、もう漱石全集もフローベールもチエホフもドストエフスキーもカフカも吉本さんも柄谷もいいのではないか(笑)。
それらを全部処分したら本当にスッキリしてきっといい気分でしょう。そういうときは精神的にも吹っ切れたものがあるわけで、物理的にも精神的にもスッキリするはず。あとはもう思想だの哲学だのといったものにわずらわされることなく、八代集や六国史を楽しみながら読む日々としたいものです。
きょうの夕餉

その後、マーケットプレイスでも1000円以上と多少の値はつきそうな本を30-40冊積み上げてあるので、これを最低価格以下で出品して順次捌ければ、書棚にも少しゆとりができそうです。あとはもし来年の今頃迄生きていられたら、もう漱石全集もフローベールもチエホフもドストエフスキーもカフカも吉本さんも柄谷もいいのではないか(笑)。
それらを全部処分したら本当にスッキリしてきっといい気分でしょう。そういうときは精神的にも吹っ切れたものがあるわけで、物理的にも精神的にもスッキリするはず。あとはもう思想だの哲学だのといったものにわずらわされることなく、八代集や六国史を楽しみながら読む日々としたいものです。
きょうの夕餉

とうがんと手羽元のスープ煮


きょうのメインは好物のひとつ、酢豚。パイナップルが入っていて、とても美味しかった。

モロヘイヤのポン酢かけ

蒸し豚と春雨と野菜(スプラウト、タマネギ)の中華風和えもの

ゴーヤとナマブシのマヨネーズ和え

キムチ
(以上でした)

モロヘイヤのポン酢かけ

蒸し豚と春雨と野菜(スプラウト、タマネギ)の中華風和えもの

ゴーヤとナマブシのマヨネーズ和え

キムチ
(以上でした)
saysei at 21:21|Permalink│Comments(0)│
2024年08月22日
鮎のグリル
HELPのお魚の種類が非常に乏しくなって、鮭はやせ細っていて、しかも高いそうで、むしろ鮎が一番安いくらいだ、とパートナーが歎いていますが、ともかくその鮎を買ってきました。もう焼いたのは2度食べたので、どうしよう、というので、きょうは洋食にするわ、ということで鮎のグリルがメインになりました。焼き鮎には蓼酢を添えますが、わが家の庭にはまだバジルが豊かに葉を残しているので、これを使おう、と。

鮎のグリル。ジェノベーゼソース(バジル、ニンニク、クルミ)
鮎のはらわたの苦みと、このソースがよくマッチして、なかなか美味しかった。

茄子とマッシュルム入りのミートソースパスタ

ラタトゥイユ

かぼちゃのスープ

パン
(以上でした)
きょうも地蔵盆の古本市に提供する雑本で、長年ツンドクしていて未読だった井上靖の『孔子』を読みました。論語は好きでよく読んでいたので、この本もそのうち読もうと何度か書棚の前列に置きなおしたりしていたのですが、私は井上靖という作家の作品はどれも例外なく最初の方で放り出して最後まで読めたためしがなかったので、なんとなく億劫で敬遠していたのでした。
今回は明日処分してしまうことが確定しているので、少し無理して最後まで読んでしまいましたが、やっぱり孔子なり彼のお弟子さん集団なり彼の思想なりを素材にして描く小説として私が期待するような作品ではありませんでした。
ただ、これまで井上靖に関心をもったことが一度だけあって、それは彼がどこかで講演したものを薄っぺらい冊子みたいなものにしたのを、たまたま短いものだったのでその場で走り読みしたら、内容が面白かったので印象に残ったのです。それは、今考えれば春秋戦国時代に中原の黄河流域で覇権を争っていた魯、鄭、衛、斉、宋の五か国が、斉の桓公を中心として盟約を交わした「葵丘(ききゅう)会議」のことを述べたものでした。
黄河の水を兵器として使用しないこと、つまり田畑を破壊し、民衆を死に追いやるような、黄河の流れを曲げるようなことをしない、黄河の堤を切らないことを約束したのだそうで、この盟約はなんとあの乱世に200年間守られたということでした。
のちにその井上靖の講演記録だけはどこかでまた読みたいと思って探したのですが、みつけることができずにいました。
きょう『孔子』を読んでみると、その中の2か所で、孔子の一行と行動を共にしていたということになっているこの物語の語り部が、その「葵丘会議」に言及しています。井上靖も史実としての「葵丘会議」の盟約にはいたく感動していたのだろうと思います
今回私の注意を引いたのはその部分だけでした。

きょう咲いた芙蓉

もう一輪・・・と思って撮ったのですが、その向こうにピントの合っていないもう一輪が葉の影に見えていますね。4輪咲いていたのかな?
きょうは京都の最高気温が38℃だったそうです。たしかにめっぽう暑かった。水まきしたとき以外はずっとエアコンの効いた家の中で本を読んでいました。明日手提げ紙袋に20~30ほど用意した雑本を自治会に届けて処分したら、少なくとも本箱からはみ出て部屋の隅に積んでいた本が幾分減ります。いや、それですっきりする、と期待していたのですが、いくらそうやって処分する本を取り分けてみても、本棚や部屋の隅に積み上げた本がちっともスッキリしたという感じがありません。
もともとあまり読まなくなった本を本棚の後列に押しやったりしていたから、後ろに隠れていた本を引っ張り出して処分するだけで、前からみた本棚の全容はちっとも変わり映えしないのですね。もうそろそろ時間切れだから、どこかでエイヤッとほとんどの本を処分する時が必要なんだということは分かっているのですが、なかなかその踏ん切りがつかず、今回も期待していた地蔵盆の古本市も中途半端な雑本の処分に終わりそうです。
近松、漱石、太宰、フローベール、スタンダール、チエホフ、ジイドといった全集ものを一挙に処分すれば、だいぶスッキリするがなぁ・・・と思っていますが、なかなかタイミングが難しい。ときどき手にとると急に読み返したくなることもあるので、そのとき手元にないといやだなぁ、と。
とはいえ、すでに全集も、全巻たまたまそろっているのはフローベールだけで、あとは何冊かずつ手放しています。全集もので死ぬまで手放す気がないかも、というのは、バルザックと吉本さんくらいでしょう。
折口信夫は文庫本で嵩張らないし、全集といっても主題に応じて参照する感じの読み方がほとんどなので、あえて処分しようと考えずに済む類です。ただ、全集のノート篇はかさばるので(笑)今回手放すことにしました。大体本編の方で間に合うので、ノート篇はこれまでもちょいちょい古今集とかで参照してきたけれど、そう面白くはありませんでした。連俳論だけは私自身が苦手な主題なので、残しておきます。
村上春樹とか中上健次とか、けっこうこまめにフォローしてきた日本の現代作家で単行本で買っていたような人の作品は、読めばほぼそのつど処分してしまって、残っていません。けれど中上は短編を全部集めた短編だけの全集が出たのでそれをもっているから、いつでも短編は読めるし、長編はまあ「枯れ木灘」が一冊あればいい、と。三島由紀夫は戯曲全集があればほかは要らないし、村上春樹は「ねじまき鳥クロニクル」とあと短編のアンソロジーが2冊あれば十分、高橋源一郎は「さようならギャングたち」一冊でOK。あとは町田康の「告白」と、幾人かの女流名手:山田詠美「風味絶佳」、井上荒野「切羽へ」、川上未映子「黄色い家」等々が手元にあれば、何度読んでも面白いこと請け合いだから退屈しなくて済みます。
近年必要あってカントやアリストテレスやアウグスチヌスの古い全集本の一部が徐々に増えていましたが、こういう硬い本は読めばすぐ赤線を引く癖が出てしまうし、旧い本で、古本市場でもごく安いので、処分といっても将来はゾッキ本扱いに等しく、チリ紙交換に出すほかは無くなるかもしれません。カント先生やアリストテレスやアウグスチヌスを新聞紙同様にチリ紙交換に出すのはどうも申し訳ないような気がしますが・・・

鮎のグリル。ジェノベーゼソース(バジル、ニンニク、クルミ)
鮎のはらわたの苦みと、このソースがよくマッチして、なかなか美味しかった。

茄子とマッシュルム入りのミートソースパスタ

ラタトゥイユ

かぼちゃのスープ

パン
(以上でした)
きょうも地蔵盆の古本市に提供する雑本で、長年ツンドクしていて未読だった井上靖の『孔子』を読みました。論語は好きでよく読んでいたので、この本もそのうち読もうと何度か書棚の前列に置きなおしたりしていたのですが、私は井上靖という作家の作品はどれも例外なく最初の方で放り出して最後まで読めたためしがなかったので、なんとなく億劫で敬遠していたのでした。
今回は明日処分してしまうことが確定しているので、少し無理して最後まで読んでしまいましたが、やっぱり孔子なり彼のお弟子さん集団なり彼の思想なりを素材にして描く小説として私が期待するような作品ではありませんでした。
ただ、これまで井上靖に関心をもったことが一度だけあって、それは彼がどこかで講演したものを薄っぺらい冊子みたいなものにしたのを、たまたま短いものだったのでその場で走り読みしたら、内容が面白かったので印象に残ったのです。それは、今考えれば春秋戦国時代に中原の黄河流域で覇権を争っていた魯、鄭、衛、斉、宋の五か国が、斉の桓公を中心として盟約を交わした「葵丘(ききゅう)会議」のことを述べたものでした。
黄河の水を兵器として使用しないこと、つまり田畑を破壊し、民衆を死に追いやるような、黄河の流れを曲げるようなことをしない、黄河の堤を切らないことを約束したのだそうで、この盟約はなんとあの乱世に200年間守られたということでした。
のちにその井上靖の講演記録だけはどこかでまた読みたいと思って探したのですが、みつけることができずにいました。
きょう『孔子』を読んでみると、その中の2か所で、孔子の一行と行動を共にしていたということになっているこの物語の語り部が、その「葵丘会議」に言及しています。井上靖も史実としての「葵丘会議」の盟約にはいたく感動していたのだろうと思います
今回私の注意を引いたのはその部分だけでした。

きょう咲いた芙蓉

もう一輪・・・と思って撮ったのですが、その向こうにピントの合っていないもう一輪が葉の影に見えていますね。4輪咲いていたのかな?
きょうは京都の最高気温が38℃だったそうです。たしかにめっぽう暑かった。水まきしたとき以外はずっとエアコンの効いた家の中で本を読んでいました。明日手提げ紙袋に20~30ほど用意した雑本を自治会に届けて処分したら、少なくとも本箱からはみ出て部屋の隅に積んでいた本が幾分減ります。いや、それですっきりする、と期待していたのですが、いくらそうやって処分する本を取り分けてみても、本棚や部屋の隅に積み上げた本がちっともスッキリしたという感じがありません。
もともとあまり読まなくなった本を本棚の後列に押しやったりしていたから、後ろに隠れていた本を引っ張り出して処分するだけで、前からみた本棚の全容はちっとも変わり映えしないのですね。もうそろそろ時間切れだから、どこかでエイヤッとほとんどの本を処分する時が必要なんだということは分かっているのですが、なかなかその踏ん切りがつかず、今回も期待していた地蔵盆の古本市も中途半端な雑本の処分に終わりそうです。
近松、漱石、太宰、フローベール、スタンダール、チエホフ、ジイドといった全集ものを一挙に処分すれば、だいぶスッキリするがなぁ・・・と思っていますが、なかなかタイミングが難しい。ときどき手にとると急に読み返したくなることもあるので、そのとき手元にないといやだなぁ、と。
とはいえ、すでに全集も、全巻たまたまそろっているのはフローベールだけで、あとは何冊かずつ手放しています。全集もので死ぬまで手放す気がないかも、というのは、バルザックと吉本さんくらいでしょう。
折口信夫は文庫本で嵩張らないし、全集といっても主題に応じて参照する感じの読み方がほとんどなので、あえて処分しようと考えずに済む類です。ただ、全集のノート篇はかさばるので(笑)今回手放すことにしました。大体本編の方で間に合うので、ノート篇はこれまでもちょいちょい古今集とかで参照してきたけれど、そう面白くはありませんでした。連俳論だけは私自身が苦手な主題なので、残しておきます。
村上春樹とか中上健次とか、けっこうこまめにフォローしてきた日本の現代作家で単行本で買っていたような人の作品は、読めばほぼそのつど処分してしまって、残っていません。けれど中上は短編を全部集めた短編だけの全集が出たのでそれをもっているから、いつでも短編は読めるし、長編はまあ「枯れ木灘」が一冊あればいい、と。三島由紀夫は戯曲全集があればほかは要らないし、村上春樹は「ねじまき鳥クロニクル」とあと短編のアンソロジーが2冊あれば十分、高橋源一郎は「さようならギャングたち」一冊でOK。あとは町田康の「告白」と、幾人かの女流名手:山田詠美「風味絶佳」、井上荒野「切羽へ」、川上未映子「黄色い家」等々が手元にあれば、何度読んでも面白いこと請け合いだから退屈しなくて済みます。
近年必要あってカントやアリストテレスやアウグスチヌスの古い全集本の一部が徐々に増えていましたが、こういう硬い本は読めばすぐ赤線を引く癖が出てしまうし、旧い本で、古本市場でもごく安いので、処分といっても将来はゾッキ本扱いに等しく、チリ紙交換に出すほかは無くなるかもしれません。カント先生やアリストテレスやアウグスチヌスを新聞紙同様にチリ紙交換に出すのはどうも申し訳ないような気がしますが・・・
saysei at 21:43|Permalink│Comments(0)│