2024年08月
2024年08月31日
Power DVDとウイルスバスター
Windows11にはDVDやレーザーディスクドライブがなく、デコーダー&プレヤーもないので、別途導入しないとパソコン画面で見ることができません。私のパソコンはオールイン・ワンで余計なものは極力取り去っているので、CDドライブもDVDーレーザーディスクドライブもありません。だからこれらを見るときは、専用のプレヤーで、古いテレビにつないだり、昔長男にもらったプロジェクターにつないでスクリーンに投映して見たりしてきたのですが、やっぱりパソコンで見るのが手軽だし、ディスプレイが結構大きいからテレビの画面で見るのと変わりないのです。
それで何かDVDプレヤーの類を導入したいと前から検討していたのですが、この手のアプリで評判がよいPower DVDが、ちょうと9月1日までの日限で割引キャンペーンをやっていたので、とりあえず1年間のサブスクを申し込んで、早速ダウンロードし、インストールして、処分する前に観ようと思っていたDVDを二つ「セプテンバー11(11'09"01)」と「ユマニテ」というのを見ました。見心地は上々でした。
「セプテンバー11」は、NYの世界貿易センターのツインタワーに飛行機2機が突っ込んで南棟が完全崩壊したテロを契機に11人の著名な世界の映画監督が、11分9秒1というフレームで短編映画を撮ったものを集めたDVDで、こういうのにあまり良い作品はないのが通例だと思うので、買ったままずっと見ていなかったのですが、処分前に一度は見ておこうと思って見たら、さすがに著名な世界の監督の作品だけに結構見ごたえはありました。
しかし、私が作品としてまあみられる、と思ったのは、1番バッターのサミラ・マクバルマフ(イラン)、6番バッターのケン・ローチ(イギリス)、7番バッターのアレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトウ(メキシコ)、9番バッターのミラ・ナイール(インド)くらいで、日本から参加した今村昌平のはひどくて、日本人として恥ずかしかった。
マクバルマフの作品は、学校の女教師が小学低学年くらいの生徒を集めて、世界貿易センタービルの襲撃で亡くなった犠牲者を悼んで黙祷をさせようとして生徒に向かって話す、そのやりとり、とりわけ二人の幼い子供の言葉が抜群に面白い。男の子は「神様が壊した」と言い、女の子は「神嵯が壊すのは人間だけ」と言います。男の子はそれに対して「神様はこわして創りなおすのだから、こわすんだ」と主張します。女の子は「神様は飛行機を持たないから壊せない」と反論します。そのやり取りも表情も生き生きして自然で素晴らしい。教師は教場から見える煙をもくもくと吐いている高い煙突を貿易センタービルに例えて話した上で、児童たちをその煙突のところへ連れて行き、最後は一列になった児童たちが煙を吐く高い煙突を見上げているシーンで終わります。
ケン・ローチは、9.11のテロを、チリの民衆に正当に選ばれたアジェンデ政権をクーデターを画策して潰し、アジェンデ大統領を殺害した米国CIAの暴挙に置き換えて語ります。米国にとっての9..11は2年前の9.11かもしれないが、われわれ(亡命チリ人)にとっての9.11は1973年のチリのアジェンデ政権に対する米国の襲撃にほかならない、と。キッシンジャーはその陰謀の主役をつとめた人物のようです。
「ユマニテ」はカンヌの審査員特別賞や主演男優賞、主演女優賞をとった作品のようですが、一風かわった味わいの作品でした。幼い子供の強姦殺人事件をきっかけに、捜査員の一人で、2年前に(原因はわからないままだけれど)妻子を亡くして母親と二人で暮らしている茫洋とした、みるからに希望とか生きがいとかと無縁になってしまったかのような、元気のない、冴えない男を主人公とする淡々とした物語がはじまります。実にスローテンポで、風景や、人物の表情を長回しでえんえんと見せます。ふつうなら、かったるくて見ていられないところですが、不思議とこのよく分からない主人公にそれなりの存在感があって、刑事ものや犯罪ものの映画なんかとは違って、ほとんど何も起こらない淡々とした運びながら、必ずしも飽きさせないのです。
何か特別なことが起きるとすれば、隣に住む女性とその恋人であるジョゼフという男とが何回か、実にあけっぴろげで野獣的なセックスをする場面を見せられます。フランス映画だったと思うけれど、もちろん局部のヘアもあからさまです。なんでこんな場面を何度もみせなきゃならんのかな、と違和感があったのですが、一番最後になって、なるほど、あれも伏線だったんだな、と納得がいきました。
しかし、それにしてもこの不思議な主人公が、精神病院の係のおばさんに(男性―女性としての意味合いではなく)抱きつき、おばさんもうけとめて二人がしばらく抱き合ったり、最後に主人公が逮捕された少女強姦殺人の犯人を抱き、接吻するシーンなどは、ちょっとありきたりの想像力を超えてしまいます。DVDのケース裏のキャプションには、そういうのが「ユマニテ」(人間性)ってことだとでもいうような書き方がしてありましたが、そうそう納得できるものではないでしょう。
ただ、主人公自身が最初から(妻子を亡くすという不幸に打ちのめされた男で)深く傷ついて人生にほとんど何の希望も見いだせない状態にあることが、ひとつの前提として考慮されるべきではあるでしょう。しかしああいう主人公の唐突な行動は、捜査員のリアリズムとしてはあり得ないだろうし、また日本人的な感覚ではとても理解しがたいところがあります。ふだんから何でもなくてもべたべたと肌をふれあい、握手したりキスしたり触れたりしたがるフランス人、ヨーロッパ人固有の感覚かもしれませんね。
さて、サブスクを選んだのは、DVDもレーザーディスクも見られる機能があって、とりあえず支払う金額においては一番安かったからです。何年も使うなら、ほんとうは買ってしまうほうがもちろん安いのですが、わたしの場合は見られるのもせいぜいあと1年だろうと思ったからで、それならサブスクの自動更新を取り消せば一年分、一箇月あたり400円台で済むので、まあなんとかなるか、と。
ウイルスバスターのほうは、いま使っていてまだ年末までは使えるのですが、半年くらい前からしきりにあと何か月だが、いま更新すれば次は5カ月分有効期間が自動延長される特典があるよ、ともうそれはうるさいほどポップアップみたいなのが出てきていました。それが3年間の使用で、3台までインストール可、というやつですから、私の場合3年間はとても使えないよ、とも思うし、メインのデスクトップと予備の(いまはパートナー用にしている)Mac Bookの2台に使えれば十分で、スマホに入れたらかえって恒常的なメンテナンスや更新で流通情報量が増えて、スマホ自体の月々の使用情報量をかなり増やしてしまう上に、いろいろセキュリティ上の制限を勝手に加えるために、My Softbankにアクセスできなかったり、あれこれ余計な不具合を生じるので、ほかにソフトバンク自体と契約しているセキュリティパックもあることだし、そちらにはインストールしないほうがベターだということで、3台分3年間というのはわたしには割高で割損になる契約ではあるので、かなり迷いましたが、いまやっておけばもうこれについては何も考えなくて済むと思うと、ついエイやっと申し込んでしまいました(笑)
現金払いじゃないから、こういう無謀なことができてしまうので、あとが怖い(笑)。こういうところでつい衝動買いしてしまうところが、短気でアサハカなので、いつも余計な無駄遣いをしてしまうところなのでしょうが、もうやっちゃったから考えないことにします。
財源はいまのところ当てがないので、次のクレジットカードの請求日までに、手持ちでもう不要のDVDや古本をせいぜいマーケットプレイスで売って、この突然の支出分を補わなければ、パートナーが「また借金?いつ返してくれるの?この前の分もまだ返してもらってないけど・・・」と眉を顰めることになるでしょうから、頑張らないと ^^;)
考えてみればマーケットプレイスにせよメルカリにせよ、ビジネスでやっている人と違って、こちらは自分が身銭をはたいて購入して一応は消費して自分のものにしている品を、買ったよりもほぼ確実にうんと安い値段で売るのですから、これをビジネス的に仕入れから販売までセットで、取引として見れば90%以上は赤字の取引ということになります。ただそれはいわゆる「せどり」などして商売としてやっている人は別として、自分が購入して消費した商品としての自分の持ち物を処分するのだから、古物商などとは異なり、買った値段よりもうんと安い値段で売っても、それはそれで不要のものを処分できた、ということで売り手にとってもそれなりのメリットがあるわけです。また、たとえば新刊はこのごろ高いから、そういう新しくてやや高価な本などの場合、読んですぐにかりに半額で処分できたとしても、その商品を半額で買ったのと同じ効果がある、ということになります。もちろん買い手にとっても、半額で新刊同前の本が買えるのだからありがいでしょう。こういうフィフティ・フィフティの関係で取引できれば、マーケットプレイスのような場は、とてもいいと思います。
きょうの夕餉
トウガンのスープ。鶏のミンチと蟹入り。
カツオのタタキ。カルパッチョ風
レンコン、ニンジン、コンニャク、小松菜のキンピラ
モズクきゅうり酢
(以上でした)
わが家のテラス
昇降口の床だけ一枚板を張り付けてかろうじてこの上を踏んで降りたり上がったり。
半分は板が腐って落ちてしまっています。右側の枠組みの厚い板も両端が朽ちて落ちてしまいました。
突っ張り棒が足りなくて、朽ち落ちた板を支えに使って梁を支えています。
台風10号は目の近くじゃない、うんと離れた静岡や東北で大雨を降らせたりしていましたが、瀬戸内海にはいってきたあたりで勢力自体はうんと弱くなって、熱帯性低気圧に変わってしまったようです。
テラスの木がひどく朽ち果てて落ちたり飛んだりしそうなので、強風を心配していましたが、風のほうはもう心配しなくてよさそうです。雨も京都は穏やかなもので、夜なかに多少降ってくれても、庭の植栽などには潤いの雨です。高野川の水もほとんど増水がみられないようだ、と買い物に行ったとき見てきたらしいパートナーガ言っていました。
きょうも庭の芙蓉が3輪ばかり咲いていました。
それで何かDVDプレヤーの類を導入したいと前から検討していたのですが、この手のアプリで評判がよいPower DVDが、ちょうと9月1日までの日限で割引キャンペーンをやっていたので、とりあえず1年間のサブスクを申し込んで、早速ダウンロードし、インストールして、処分する前に観ようと思っていたDVDを二つ「セプテンバー11(11'09"01)」と「ユマニテ」というのを見ました。見心地は上々でした。
「セプテンバー11」は、NYの世界貿易センターのツインタワーに飛行機2機が突っ込んで南棟が完全崩壊したテロを契機に11人の著名な世界の映画監督が、11分9秒1というフレームで短編映画を撮ったものを集めたDVDで、こういうのにあまり良い作品はないのが通例だと思うので、買ったままずっと見ていなかったのですが、処分前に一度は見ておこうと思って見たら、さすがに著名な世界の監督の作品だけに結構見ごたえはありました。
しかし、私が作品としてまあみられる、と思ったのは、1番バッターのサミラ・マクバルマフ(イラン)、6番バッターのケン・ローチ(イギリス)、7番バッターのアレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトウ(メキシコ)、9番バッターのミラ・ナイール(インド)くらいで、日本から参加した今村昌平のはひどくて、日本人として恥ずかしかった。
マクバルマフの作品は、学校の女教師が小学低学年くらいの生徒を集めて、世界貿易センタービルの襲撃で亡くなった犠牲者を悼んで黙祷をさせようとして生徒に向かって話す、そのやりとり、とりわけ二人の幼い子供の言葉が抜群に面白い。男の子は「神様が壊した」と言い、女の子は「神嵯が壊すのは人間だけ」と言います。男の子はそれに対して「神様はこわして創りなおすのだから、こわすんだ」と主張します。女の子は「神様は飛行機を持たないから壊せない」と反論します。そのやり取りも表情も生き生きして自然で素晴らしい。教師は教場から見える煙をもくもくと吐いている高い煙突を貿易センタービルに例えて話した上で、児童たちをその煙突のところへ連れて行き、最後は一列になった児童たちが煙を吐く高い煙突を見上げているシーンで終わります。
ケン・ローチは、9.11のテロを、チリの民衆に正当に選ばれたアジェンデ政権をクーデターを画策して潰し、アジェンデ大統領を殺害した米国CIAの暴挙に置き換えて語ります。米国にとっての9..11は2年前の9.11かもしれないが、われわれ(亡命チリ人)にとっての9.11は1973年のチリのアジェンデ政権に対する米国の襲撃にほかならない、と。キッシンジャーはその陰謀の主役をつとめた人物のようです。
「ユマニテ」はカンヌの審査員特別賞や主演男優賞、主演女優賞をとった作品のようですが、一風かわった味わいの作品でした。幼い子供の強姦殺人事件をきっかけに、捜査員の一人で、2年前に(原因はわからないままだけれど)妻子を亡くして母親と二人で暮らしている茫洋とした、みるからに希望とか生きがいとかと無縁になってしまったかのような、元気のない、冴えない男を主人公とする淡々とした物語がはじまります。実にスローテンポで、風景や、人物の表情を長回しでえんえんと見せます。ふつうなら、かったるくて見ていられないところですが、不思議とこのよく分からない主人公にそれなりの存在感があって、刑事ものや犯罪ものの映画なんかとは違って、ほとんど何も起こらない淡々とした運びながら、必ずしも飽きさせないのです。
何か特別なことが起きるとすれば、隣に住む女性とその恋人であるジョゼフという男とが何回か、実にあけっぴろげで野獣的なセックスをする場面を見せられます。フランス映画だったと思うけれど、もちろん局部のヘアもあからさまです。なんでこんな場面を何度もみせなきゃならんのかな、と違和感があったのですが、一番最後になって、なるほど、あれも伏線だったんだな、と納得がいきました。
しかし、それにしてもこの不思議な主人公が、精神病院の係のおばさんに(男性―女性としての意味合いではなく)抱きつき、おばさんもうけとめて二人がしばらく抱き合ったり、最後に主人公が逮捕された少女強姦殺人の犯人を抱き、接吻するシーンなどは、ちょっとありきたりの想像力を超えてしまいます。DVDのケース裏のキャプションには、そういうのが「ユマニテ」(人間性)ってことだとでもいうような書き方がしてありましたが、そうそう納得できるものではないでしょう。
ただ、主人公自身が最初から(妻子を亡くすという不幸に打ちのめされた男で)深く傷ついて人生にほとんど何の希望も見いだせない状態にあることが、ひとつの前提として考慮されるべきではあるでしょう。しかしああいう主人公の唐突な行動は、捜査員のリアリズムとしてはあり得ないだろうし、また日本人的な感覚ではとても理解しがたいところがあります。ふだんから何でもなくてもべたべたと肌をふれあい、握手したりキスしたり触れたりしたがるフランス人、ヨーロッパ人固有の感覚かもしれませんね。
さて、サブスクを選んだのは、DVDもレーザーディスクも見られる機能があって、とりあえず支払う金額においては一番安かったからです。何年も使うなら、ほんとうは買ってしまうほうがもちろん安いのですが、わたしの場合は見られるのもせいぜいあと1年だろうと思ったからで、それならサブスクの自動更新を取り消せば一年分、一箇月あたり400円台で済むので、まあなんとかなるか、と。
ウイルスバスターのほうは、いま使っていてまだ年末までは使えるのですが、半年くらい前からしきりにあと何か月だが、いま更新すれば次は5カ月分有効期間が自動延長される特典があるよ、ともうそれはうるさいほどポップアップみたいなのが出てきていました。それが3年間の使用で、3台までインストール可、というやつですから、私の場合3年間はとても使えないよ、とも思うし、メインのデスクトップと予備の(いまはパートナー用にしている)Mac Bookの2台に使えれば十分で、スマホに入れたらかえって恒常的なメンテナンスや更新で流通情報量が増えて、スマホ自体の月々の使用情報量をかなり増やしてしまう上に、いろいろセキュリティ上の制限を勝手に加えるために、My Softbankにアクセスできなかったり、あれこれ余計な不具合を生じるので、ほかにソフトバンク自体と契約しているセキュリティパックもあることだし、そちらにはインストールしないほうがベターだということで、3台分3年間というのはわたしには割高で割損になる契約ではあるので、かなり迷いましたが、いまやっておけばもうこれについては何も考えなくて済むと思うと、ついエイやっと申し込んでしまいました(笑)
現金払いじゃないから、こういう無謀なことができてしまうので、あとが怖い(笑)。こういうところでつい衝動買いしてしまうところが、短気でアサハカなので、いつも余計な無駄遣いをしてしまうところなのでしょうが、もうやっちゃったから考えないことにします。
財源はいまのところ当てがないので、次のクレジットカードの請求日までに、手持ちでもう不要のDVDや古本をせいぜいマーケットプレイスで売って、この突然の支出分を補わなければ、パートナーが「また借金?いつ返してくれるの?この前の分もまだ返してもらってないけど・・・」と眉を顰めることになるでしょうから、頑張らないと ^^;)
考えてみればマーケットプレイスにせよメルカリにせよ、ビジネスでやっている人と違って、こちらは自分が身銭をはたいて購入して一応は消費して自分のものにしている品を、買ったよりもほぼ確実にうんと安い値段で売るのですから、これをビジネス的に仕入れから販売までセットで、取引として見れば90%以上は赤字の取引ということになります。ただそれはいわゆる「せどり」などして商売としてやっている人は別として、自分が購入して消費した商品としての自分の持ち物を処分するのだから、古物商などとは異なり、買った値段よりもうんと安い値段で売っても、それはそれで不要のものを処分できた、ということで売り手にとってもそれなりのメリットがあるわけです。また、たとえば新刊はこのごろ高いから、そういう新しくてやや高価な本などの場合、読んですぐにかりに半額で処分できたとしても、その商品を半額で買ったのと同じ効果がある、ということになります。もちろん買い手にとっても、半額で新刊同前の本が買えるのだからありがいでしょう。こういうフィフティ・フィフティの関係で取引できれば、マーケットプレイスのような場は、とてもいいと思います。
きょうの夕餉
トウガンのスープ。鶏のミンチと蟹入り。
カツオのタタキ。カルパッチョ風
レンコン、ニンジン、コンニャク、小松菜のキンピラ
モズクきゅうり酢
(以上でした)
わが家のテラス
昇降口の床だけ一枚板を張り付けてかろうじてこの上を踏んで降りたり上がったり。
半分は板が腐って落ちてしまっています。右側の枠組みの厚い板も両端が朽ちて落ちてしまいました。
突っ張り棒が足りなくて、朽ち落ちた板を支えに使って梁を支えています。
台風10号は目の近くじゃない、うんと離れた静岡や東北で大雨を降らせたりしていましたが、瀬戸内海にはいってきたあたりで勢力自体はうんと弱くなって、熱帯性低気圧に変わってしまったようです。
テラスの木がひどく朽ち果てて落ちたり飛んだりしそうなので、強風を心配していましたが、風のほうはもう心配しなくてよさそうです。雨も京都は穏やかなもので、夜なかに多少降ってくれても、庭の植栽などには潤いの雨です。高野川の水もほとんど増水がみられないようだ、と買い物に行ったとき見てきたらしいパートナーガ言っていました。
きょうも庭の芙蓉が3輪ばかり咲いていました。
saysei at 22:22|Permalink│Comments(0)│
2024年08月30日
家の掃除、本の写真の整理、お買い物
午前中、パートナーガ町の眼科へ行っている間に、うちの中のお掃除。そろそろこの作業も体力的に限界ぎりぎりになっているような気がします。これができなくなれば、確実にもう一段階、症状が進んだ、ということの証拠かもしれません。だから、少々しんどくても、敢えてやりつづけてみようと思っています。もう障害物があるところは、どかさずに、避けて掃除機をかけたり(笑)・・・しゃがんで物を動かしたりすると、たちまち呼吸がしんどくなるので、なるべく立ったまま腕だけ動かして掃除機をかけるようにすると比較的楽です。それでもわが家は段差の多い構造なので、けっこう息が切れます。
拭き掃除も、まあ見えているところだけ(笑)。
二人とも目があまりちゃんと見えなくなってきているから、細かいゴミが見えないけれど、パートナーは野生児で、家の中ではつねに裸足で歩いているから、なにかゴミがあると足裏で敏感に感じるらしくて、そろそろ足の裏がざらざらするようになってる、というのが掃除のしどき、というわけです。以前は2日に1度か3日に1度ざっと掃除していたと思うけれど、いまはしんどいから、週に2度が限度でしょうか。パートナーと協力して二人でやるときと、彼女が整体や何かに行っている間に私だけでやるのとが、3対1くらいの割合かな。
やっぱりアーちゃんを自由に一室飛び回らせているので、羽毛や埃が出るだろうし、たぶんダニの類もいるかもしれないので、アーちゃんの部屋はきちんと掃除機をかけ、必要なところをアルコールティッシューで拭い、ケージの中は一日に何度も糞の始末をするなど、つねに清潔になるようにしています。ダニ対策はアーちゃんに害があるといけないので、部屋の中は何枚もマットを敷くのと、生体に害のない香り成分を出す植物性ダニ忌避剤を置いているだけですが、この部屋の開け閉めで私の作業場コーナーのほうへダニが移ってくることがないように、私のいるほうには、忌避剤だけでなく、直接ダニが退治できるスプレーを時々撒いています。
ほんとにダニが棲息しているかどうかは調べたことがないから分からないけれど、まあアーちゃんはお風呂に入るわけでもないし、水は与えていても、水浴びするのは見たことがないし、きっとダニくらいはわいているんじゃないでしょうか。そのアーちゃんが、私が部屋に入ると喜んでぐるぐる頭上を旋回して、これみよがしに頭髪をかすめて飛行したりするのですから、気分だけでも何だかムズムズ痒いような気になります。
だから、私は毎日必ずシャワーを浴びて石鹸で体中を洗い、必ず毎日頭髪もシャンプー&リンスで清潔にします。そうでないと、なんとなくアーちゃん部屋でダニを頭髪に振りまかれているんじゃないか、という妄想にとらわれて、気色わるいから(笑)
もう湯船につかる入浴は、例の低温やけどで半年以上入浴できなくなってシャワーに切り替えて以来、しなくなりました。この歳になるとかえって疲れてしまうので、それよりもシャワーの方が疲れず、短時間でさっぱりできます。
ときに石鹸をつけた手ぬぐいでごしごし体をこするのがしんどくて、手ぬぐいを持たずに入り、石鹸だけ体にこすりつけてシャワーをかけて出ていたりすると、あとで入るパートナーに気づかれ、叱られます。
ちょっとした傷でもステロイドや抗繊維化剤のせいでなおりにくく、化膿したりしやすいので、全身の皮膚はくまなくいつも清潔にしておく必要があるのと、そうでなくても高齢者には特有の老齢臭があるから、夜寝ている間にも自分では気づかなくても汗をかいていたりして体臭の原因になる。よって、毎日必ずきちんと石鹸をつけたタオルで皮膚をこすって、シャワーで綺麗に流してさっぱりする必要がある、と。おっしゃるとおりで、ときどきさぼって、首や脇の下、下半身などだけ石鹸をつけて、あとはサーッと流すだけで出てきてしまう私は濡れタオルを置いてくる知恵もないから証拠歴然で一言もありません。
でも、風呂にせよシャワーにせよ、気持ちがいいので、私は昔から好きです。学生時代の下宿では、風呂がないので、真冬の夜に外へ出て銭湯まで往復する必要があったので、このときはさすがに何日も入らないことがよくありました。大学以前に両親と暮らしていた時も、入浴は毎日が習慣だったし、結婚してからもそれが当たり前なので、それが崩れると気持ちがわるいものですが、下宿時代はそれはそれで慣れてしまっていたようで、今考えるとひどいときは1週間も風呂に入らなかったことがあったなぁ、よく平気でいられたなぁと思います。
松ヶ崎に下宿していたときは、銭湯が川向うだったので、歩いて片道15分くらいかけて行かなくてはならず、冬の寒い時はほんとにいやだったのですね。
下着だけは毎日替える習慣がついていたから、洗濯ものばかりやたら増えて、いまみたいに近いところにコインランドリーがあるなんてこともなかったので、夏、冬、春の長い休みには大きな「こおり」いっぱいに汚れた洗濯物を詰め込んで、チッキ(列車荷物として比較的安くで目的地まで送り、目的地で降りるとき受け取れる仕組み)で自宅へ送ったものでした。
今の学生さんに「こおり」なんて言ってもわからないんじゃないかな。本やらなにやら色々帰省に必要な物を詰め込むと20kgくらいにはなって、いつもそれをかついで松ヶ崎(京都バスの終点=始発点のひとつ)から京都バスに乗って終点の京都駅まで運び、急行「宮島」に乗って6時間、広島まで帰省していました。特急だと4,5時間で行けたと思うけど、特急券が必要で高くつくから、いつも急行でしたね。
きょうの夕餉
茄子の味噌田楽 パートナーの自家製味噌がおいしい
小松菜、シメジ、甘煮アゲの薄味煮
ゴーヤと麩のチャンプルー
五目黒豆納豆
いわしのみりん干し。これはわたし用
焼きサバ。これはパートナー用。私はサバのあのパサパサが少し苦手なのですが、何かと間違えてサバを買ってしまったとかで、私にはみりん干しにしてくれました。
(以上でした)
あとは昨日撮った遠からず売る本の写真の整理をし、アーちゃんの餌や、絵具や、ガーゼを買いにカナートへいって、しばらくうろうろ。アーちゃんの餌も最近はコブクロで色々面白いものがあります。きょう買ってきたのは、彼の好きなエゴマと、珍しい唐辛子。袋の表面にセキセイインコの絵が描いてあって「私も唐辛子、食べるんです」なんて書いてありました。ほんまかいな、と思って買ってきて早速やりましたが、少なくとも好んで食べている様子はありませんでした。ダイエットによいのだそうですが・・・・
拭き掃除も、まあ見えているところだけ(笑)。
二人とも目があまりちゃんと見えなくなってきているから、細かいゴミが見えないけれど、パートナーは野生児で、家の中ではつねに裸足で歩いているから、なにかゴミがあると足裏で敏感に感じるらしくて、そろそろ足の裏がざらざらするようになってる、というのが掃除のしどき、というわけです。以前は2日に1度か3日に1度ざっと掃除していたと思うけれど、いまはしんどいから、週に2度が限度でしょうか。パートナーと協力して二人でやるときと、彼女が整体や何かに行っている間に私だけでやるのとが、3対1くらいの割合かな。
やっぱりアーちゃんを自由に一室飛び回らせているので、羽毛や埃が出るだろうし、たぶんダニの類もいるかもしれないので、アーちゃんの部屋はきちんと掃除機をかけ、必要なところをアルコールティッシューで拭い、ケージの中は一日に何度も糞の始末をするなど、つねに清潔になるようにしています。ダニ対策はアーちゃんに害があるといけないので、部屋の中は何枚もマットを敷くのと、生体に害のない香り成分を出す植物性ダニ忌避剤を置いているだけですが、この部屋の開け閉めで私の作業場コーナーのほうへダニが移ってくることがないように、私のいるほうには、忌避剤だけでなく、直接ダニが退治できるスプレーを時々撒いています。
ほんとにダニが棲息しているかどうかは調べたことがないから分からないけれど、まあアーちゃんはお風呂に入るわけでもないし、水は与えていても、水浴びするのは見たことがないし、きっとダニくらいはわいているんじゃないでしょうか。そのアーちゃんが、私が部屋に入ると喜んでぐるぐる頭上を旋回して、これみよがしに頭髪をかすめて飛行したりするのですから、気分だけでも何だかムズムズ痒いような気になります。
だから、私は毎日必ずシャワーを浴びて石鹸で体中を洗い、必ず毎日頭髪もシャンプー&リンスで清潔にします。そうでないと、なんとなくアーちゃん部屋でダニを頭髪に振りまかれているんじゃないか、という妄想にとらわれて、気色わるいから(笑)
もう湯船につかる入浴は、例の低温やけどで半年以上入浴できなくなってシャワーに切り替えて以来、しなくなりました。この歳になるとかえって疲れてしまうので、それよりもシャワーの方が疲れず、短時間でさっぱりできます。
ときに石鹸をつけた手ぬぐいでごしごし体をこするのがしんどくて、手ぬぐいを持たずに入り、石鹸だけ体にこすりつけてシャワーをかけて出ていたりすると、あとで入るパートナーに気づかれ、叱られます。
ちょっとした傷でもステロイドや抗繊維化剤のせいでなおりにくく、化膿したりしやすいので、全身の皮膚はくまなくいつも清潔にしておく必要があるのと、そうでなくても高齢者には特有の老齢臭があるから、夜寝ている間にも自分では気づかなくても汗をかいていたりして体臭の原因になる。よって、毎日必ずきちんと石鹸をつけたタオルで皮膚をこすって、シャワーで綺麗に流してさっぱりする必要がある、と。おっしゃるとおりで、ときどきさぼって、首や脇の下、下半身などだけ石鹸をつけて、あとはサーッと流すだけで出てきてしまう私は濡れタオルを置いてくる知恵もないから証拠歴然で一言もありません。
でも、風呂にせよシャワーにせよ、気持ちがいいので、私は昔から好きです。学生時代の下宿では、風呂がないので、真冬の夜に外へ出て銭湯まで往復する必要があったので、このときはさすがに何日も入らないことがよくありました。大学以前に両親と暮らしていた時も、入浴は毎日が習慣だったし、結婚してからもそれが当たり前なので、それが崩れると気持ちがわるいものですが、下宿時代はそれはそれで慣れてしまっていたようで、今考えるとひどいときは1週間も風呂に入らなかったことがあったなぁ、よく平気でいられたなぁと思います。
松ヶ崎に下宿していたときは、銭湯が川向うだったので、歩いて片道15分くらいかけて行かなくてはならず、冬の寒い時はほんとにいやだったのですね。
下着だけは毎日替える習慣がついていたから、洗濯ものばかりやたら増えて、いまみたいに近いところにコインランドリーがあるなんてこともなかったので、夏、冬、春の長い休みには大きな「こおり」いっぱいに汚れた洗濯物を詰め込んで、チッキ(列車荷物として比較的安くで目的地まで送り、目的地で降りるとき受け取れる仕組み)で自宅へ送ったものでした。
今の学生さんに「こおり」なんて言ってもわからないんじゃないかな。本やらなにやら色々帰省に必要な物を詰め込むと20kgくらいにはなって、いつもそれをかついで松ヶ崎(京都バスの終点=始発点のひとつ)から京都バスに乗って終点の京都駅まで運び、急行「宮島」に乗って6時間、広島まで帰省していました。特急だと4,5時間で行けたと思うけど、特急券が必要で高くつくから、いつも急行でしたね。
きょうの夕餉
茄子の味噌田楽 パートナーの自家製味噌がおいしい
小松菜、シメジ、甘煮アゲの薄味煮
ゴーヤと麩のチャンプルー
五目黒豆納豆
いわしのみりん干し。これはわたし用
焼きサバ。これはパートナー用。私はサバのあのパサパサが少し苦手なのですが、何かと間違えてサバを買ってしまったとかで、私にはみりん干しにしてくれました。
(以上でした)
あとは昨日撮った遠からず売る本の写真の整理をし、アーちゃんの餌や、絵具や、ガーゼを買いにカナートへいって、しばらくうろうろ。アーちゃんの餌も最近はコブクロで色々面白いものがあります。きょう買ってきたのは、彼の好きなエゴマと、珍しい唐辛子。袋の表面にセキセイインコの絵が描いてあって「私も唐辛子、食べるんです」なんて書いてありました。ほんまかいな、と思って買ってきて早速やりましたが、少なくとも好んで食べている様子はありませんでした。ダイエットによいのだそうですが・・・・
saysei at 22:03|Permalink│Comments(0)│
2024年08月29日
遠からず処分する本の撮影
きょうはまだまだ本棚を占領する多くの本を眺めてため息をついたあげく、ふと思いついて、いまのうちにそれらを撮影しておいて、元気のある時、一挙にマーケットプレイスなりメルカリなりに出品して処分できるように準備だけしておこう、というわけで、白い紙を敷いて一冊ずつ本をのせ、表紙を撮ったり裏返したり、立てたりしてパチリパチリ。おう、これが全部売れたらン万円くらいにはなるかも、などとまったくの、とらぬ狸の皮算用などしておりました(笑)
いつも1年くらいはご無沙汰していて、ある日突然電話で久しぶり、なんてかかってくる古い女性の友人から電話があり、彼女は画家(絵と写真の組み合わせというのか・・・)なので、こんど京都市内で個展を開くから来ないか、と。もちろん残念ながらそんなところへ出かけることはリスクが高すぎてまったく不可能なのでご辞退させてもらいましたが、もう彼女も齢80かと…世界をまたに飛び回りながら(いまはスリランカにいるそうですが)よくまあこの歳まで絵を描きつづけていられるなぁ、と感心します。
話の最後に共通の友人の電話を訊かれたのですが、手元になくて2階へ行かないと分からないというと後でメールを送るから教えて、と言われてOKして電話を切ったのですが、その電話に出るのにパートナーに呼ばれて2階から急いで8段ほどの階段を下りてくるだけで呼吸困難を起こしそうになるほど息が切れて咳が連続して出て、はじめのうちは電話口で話すのもつらいほどで、とても友人の電話番号を調べにまた2階まであがる元気がなかったのです。
彼女は私のブログもたまに見てくれているようで、それを読んでいると自転車で走ったりしていて元気そうに思えるし、自転車で個展に来れないか、というのですね。私があまり暑くない日に電動自転車に乗ってヘルメットにマスクの勇ましい姿で出かけるので、近所の方たちも、あの人案外元気そうじゃない?なんて思っていてくださるのかもしれないのですが、まぁ実は棺桶に両脚突っ込んでいまして、なんて、そうそうひとさまに触れ回るような話題でもないし、元気と思われていて悪いことはなにもないし、とパスしているのですが、さすがにお前自転車にのれるんなら、私の個展に自転車でくればいいじゃん、と言われるとね(笑)・・・
もうひとつ彼女が言った言葉に、「うつる病気じゃないんでしょ?」というのがあって、これにはずっこけ、思わず笑ってしまいました。彼女らしいなぁ、と思ってね。ご心配なく、あなたにわたしからこの病気が「うつる」ことは金輪際ありませんから(笑)。でもあなたが私に(風邪やコロナやその他のあらゆる感染症を)うつす可能性はあるんですよ、と言ってもよかったけれど、まあやめておきました。
昔から彼女はそんなふうに相手の立場や事情を思いはかるようなタイプではなくて、自分がこう思ったらそう言えばいいじゃないの、そうすればいいじゃないの、というストレートな、実にはっきりした性格なので、それはどうこう言ったって「治る」ようなものではないので(笑)。そして、そういう無邪気な幼女のようなあっけらかんとした自己中心の自我の強い押し出しこそが彼女そのものだし、そこが彼女の強さで、アーチストとしての彼女を支えてきたものだと思うし、ある意味では彼女の魅力でもあるのですからね。ただ、こちらが少し弱っているときは、こたえることがなきにしもあらず、ではあるのですがね(笑)
そして電話を切ってから、友人の電話、電話、と思って探しながらふと思ったのは、そういえば私自身が彼に電話をかけたことなんて、少なくともこの5,6年、あるいはもっとずっと以前から、一度もないんじゃないか、ということでした。
そして、電話を教える、と思ったとき、ふっと心の中になにか抵抗を感じたのはなぜだろう、と考えてみました。そうすると、いまの若い人は、電話なんて(ごく親しい友人や家族以外には)かけないだろう、ということに思い当たります。
考えてみれば電話というのは、いつも相手の事情などおかまいなしで、突然相手を電話口へよびつける強制的なメディアです。最近は据え置き電話にかかってくるのは、なにかの勧誘でなければ、詐欺の電話くらいのもので、ほとんどが迷惑電話です。ひとにコミュニケーションを強制するような、こういうメディアを日本人は好きではなく、それに代わるメディアが登場してくると、どんどん離れていきました。技術的にもそういう日本人のこころに適合するように、固定電話が携帯に、スマホになり、電話よりもメール、ライン等々へと変化していきました。
その根底には、ひととひととの関係のありかたにおいて、できるかぎり相手に自分が影響を及ぼさないようにしよう、干渉したり、その人のリズムを乱したりしないようにしよう、という考え方、昔のような熱い、べたべたした人間関係を拒み、出来る限り淡い関係のありようを求めていく志向性が働いているように思います。
私のような世代の者でもその点では若い人と同じで、人との関係はごく一部の例外を除いて、そういう淡いものであるほうが過ごしやすいと思っています。それは相手に対しても同じことで、自分の存在で相手に影響を与えるようなことはしたくない、相手のいまのありように干渉する結果になるようなことはしたくない、自分の波紋を相手の領域にまで広げたくない、というところがあります。
だから、もともとそういう志向性にとって、旧式の電話というメディアは適合的ではないのですね。旧式のメディアをよく使うパートナーやその友達の奥さんたちも、電話をかけるときはかならず最初に「いま、いい?」と相手の都合を訊いてから用件をしゃべりはじめます。最初から「●●です!」などと名乗って相手の都合もかまわずいきなりしゃべり始めるような人は、ごくまれです。そういう人はだいたい想像力のない人、人の事情や立場を思いやることのできない人、として、あの人はああいう人だから、とちょっと特殊な目で見られているでしょう。
これまでの半世紀ほどのあいだ、日本人はそういう繊細で微妙な人間関係のありようを、いっそう繊細に磨き上げ、そのための技術をも磨き上げてきたのではないかと思います。だからその間、こういう日本の人間関係の場を離れて海外でたくましく生き抜いてきた人に、それを分かれ、という方が無理なのかもしれません。もっとも、生来のキャラがそうである可能性もあるので、どっちがどうだかは分からないのですが(笑)
まあそんなことを、きょうのちょっとした出来事から感じ、また考えさせられました。
もちろん彼女にはメールの返事で友人のメールアドレスを知らせました。強制的なメディアである電話を好む人もあるでしょうし、双方がそれを好むならそうすればいいので、あとは本人たち次第。それを決めるのは仲介する私ではないので、私は連絡のつくメルアドを知らせるだけにとどめる、というのが私なりの配慮というわけです。
きょうの夕餉
オクラ豆腐のだしかけ
トウガンと鶏団子のスープ煮
蒸し鶏と生野菜(タマネギ、スプラウト)
小鯵のから揚げ
茄子の糠漬け
(以上でした)
きょう大谷の始球式に登場したデコピンはすごい役割を見事に果たしたらしいですね。監督が大谷のホームランよりデコピンの始球式のボール運びのほうに感心していたそうです。(私はSNSを丹念にみないので、すべてパートナーからのマタギキですが・・・そのほうが想像力が働いて光景が目にうかぶようです)
いつも1年くらいはご無沙汰していて、ある日突然電話で久しぶり、なんてかかってくる古い女性の友人から電話があり、彼女は画家(絵と写真の組み合わせというのか・・・)なので、こんど京都市内で個展を開くから来ないか、と。もちろん残念ながらそんなところへ出かけることはリスクが高すぎてまったく不可能なのでご辞退させてもらいましたが、もう彼女も齢80かと…世界をまたに飛び回りながら(いまはスリランカにいるそうですが)よくまあこの歳まで絵を描きつづけていられるなぁ、と感心します。
話の最後に共通の友人の電話を訊かれたのですが、手元になくて2階へ行かないと分からないというと後でメールを送るから教えて、と言われてOKして電話を切ったのですが、その電話に出るのにパートナーに呼ばれて2階から急いで8段ほどの階段を下りてくるだけで呼吸困難を起こしそうになるほど息が切れて咳が連続して出て、はじめのうちは電話口で話すのもつらいほどで、とても友人の電話番号を調べにまた2階まであがる元気がなかったのです。
彼女は私のブログもたまに見てくれているようで、それを読んでいると自転車で走ったりしていて元気そうに思えるし、自転車で個展に来れないか、というのですね。私があまり暑くない日に電動自転車に乗ってヘルメットにマスクの勇ましい姿で出かけるので、近所の方たちも、あの人案外元気そうじゃない?なんて思っていてくださるのかもしれないのですが、まぁ実は棺桶に両脚突っ込んでいまして、なんて、そうそうひとさまに触れ回るような話題でもないし、元気と思われていて悪いことはなにもないし、とパスしているのですが、さすがにお前自転車にのれるんなら、私の個展に自転車でくればいいじゃん、と言われるとね(笑)・・・
もうひとつ彼女が言った言葉に、「うつる病気じゃないんでしょ?」というのがあって、これにはずっこけ、思わず笑ってしまいました。彼女らしいなぁ、と思ってね。ご心配なく、あなたにわたしからこの病気が「うつる」ことは金輪際ありませんから(笑)。でもあなたが私に(風邪やコロナやその他のあらゆる感染症を)うつす可能性はあるんですよ、と言ってもよかったけれど、まあやめておきました。
昔から彼女はそんなふうに相手の立場や事情を思いはかるようなタイプではなくて、自分がこう思ったらそう言えばいいじゃないの、そうすればいいじゃないの、というストレートな、実にはっきりした性格なので、それはどうこう言ったって「治る」ようなものではないので(笑)。そして、そういう無邪気な幼女のようなあっけらかんとした自己中心の自我の強い押し出しこそが彼女そのものだし、そこが彼女の強さで、アーチストとしての彼女を支えてきたものだと思うし、ある意味では彼女の魅力でもあるのですからね。ただ、こちらが少し弱っているときは、こたえることがなきにしもあらず、ではあるのですがね(笑)
そして電話を切ってから、友人の電話、電話、と思って探しながらふと思ったのは、そういえば私自身が彼に電話をかけたことなんて、少なくともこの5,6年、あるいはもっとずっと以前から、一度もないんじゃないか、ということでした。
そして、電話を教える、と思ったとき、ふっと心の中になにか抵抗を感じたのはなぜだろう、と考えてみました。そうすると、いまの若い人は、電話なんて(ごく親しい友人や家族以外には)かけないだろう、ということに思い当たります。
考えてみれば電話というのは、いつも相手の事情などおかまいなしで、突然相手を電話口へよびつける強制的なメディアです。最近は据え置き電話にかかってくるのは、なにかの勧誘でなければ、詐欺の電話くらいのもので、ほとんどが迷惑電話です。ひとにコミュニケーションを強制するような、こういうメディアを日本人は好きではなく、それに代わるメディアが登場してくると、どんどん離れていきました。技術的にもそういう日本人のこころに適合するように、固定電話が携帯に、スマホになり、電話よりもメール、ライン等々へと変化していきました。
その根底には、ひととひととの関係のありかたにおいて、できるかぎり相手に自分が影響を及ぼさないようにしよう、干渉したり、その人のリズムを乱したりしないようにしよう、という考え方、昔のような熱い、べたべたした人間関係を拒み、出来る限り淡い関係のありようを求めていく志向性が働いているように思います。
私のような世代の者でもその点では若い人と同じで、人との関係はごく一部の例外を除いて、そういう淡いものであるほうが過ごしやすいと思っています。それは相手に対しても同じことで、自分の存在で相手に影響を与えるようなことはしたくない、相手のいまのありように干渉する結果になるようなことはしたくない、自分の波紋を相手の領域にまで広げたくない、というところがあります。
だから、もともとそういう志向性にとって、旧式の電話というメディアは適合的ではないのですね。旧式のメディアをよく使うパートナーやその友達の奥さんたちも、電話をかけるときはかならず最初に「いま、いい?」と相手の都合を訊いてから用件をしゃべりはじめます。最初から「●●です!」などと名乗って相手の都合もかまわずいきなりしゃべり始めるような人は、ごくまれです。そういう人はだいたい想像力のない人、人の事情や立場を思いやることのできない人、として、あの人はああいう人だから、とちょっと特殊な目で見られているでしょう。
これまでの半世紀ほどのあいだ、日本人はそういう繊細で微妙な人間関係のありようを、いっそう繊細に磨き上げ、そのための技術をも磨き上げてきたのではないかと思います。だからその間、こういう日本の人間関係の場を離れて海外でたくましく生き抜いてきた人に、それを分かれ、という方が無理なのかもしれません。もっとも、生来のキャラがそうである可能性もあるので、どっちがどうだかは分からないのですが(笑)
まあそんなことを、きょうのちょっとした出来事から感じ、また考えさせられました。
もちろん彼女にはメールの返事で友人のメールアドレスを知らせました。強制的なメディアである電話を好む人もあるでしょうし、双方がそれを好むならそうすればいいので、あとは本人たち次第。それを決めるのは仲介する私ではないので、私は連絡のつくメルアドを知らせるだけにとどめる、というのが私なりの配慮というわけです。
きょうの夕餉
オクラ豆腐のだしかけ
トウガンと鶏団子のスープ煮
蒸し鶏と生野菜(タマネギ、スプラウト)
小鯵のから揚げ
茄子の糠漬け
(以上でした)
きょう大谷の始球式に登場したデコピンはすごい役割を見事に果たしたらしいですね。監督が大谷のホームランよりデコピンの始球式のボール運びのほうに感心していたそうです。(私はSNSを丹念にみないので、すべてパートナーからのマタギキですが・・・そのほうが想像力が働いて光景が目にうかぶようです)
saysei at 22:17|Permalink│Comments(0)│
2024年08月28日
ピカソの映像にだけ残る20点の作品
きょうは最後に残った二つ(本来はワンセット)の突っ張り棒を、ほとんど崩壊して落ちそうなテラスの梁2本の支えに立てました。高さが足りないので、庭の隅に打ち捨ててあった漬物石とお隣との境に並べた石に交じっていた少し大きめの石を土台に用いて立てたのですが、梁の一方の端が腐ってぐっと下がっていて、持ち上げようにもまだ腐りかけの長い横板の列が何枚も乗っかっているために、とても持ちあ上がらず、従ってかなりひどい傾斜がついているので、突っ張り棒の上の支え足で水平に押すことができず、半分浮いているようなありさま。
とりあえずセットはできたけれど、何かちょっと力が加わってズレたら、もう突っ張り棒としての役割をまったく果たせなくなるでしょう。これはもうどうしようもないので、今回はこれまで。早めに工務店のプロに工事を頼むほかはないでしょう。
突っ張り棒をとりつけるのにテラスの下にもぐって作業しないといけないので、その姿勢をとるだけで肺が圧迫されるせいか呼吸がひどく難しくなって、途中で気が遠くなるような感じがしたので、さすがに作業をやめて、しばらくは静かにして深い呼吸を繰り返して休憩し、なんとかぶっ倒れずに済みました。作業と言えるほどの作業でもないので、単にしゃがんでタオルを敷いたところへ片膝をついてセットするだけで、かくもしんどくなってしまうのか、といまさらながら現在の体力、余力の乏しさを思い知らされる始末。
汗まみれ、木くずまみれ(木がほとんど腐っているので、ボロボロと端から木くずが落ちかかる)になり、作業を終えるとすぐにシャワーを浴び、梅干しを入れた冷えたお茶をがぶがぶ飲んで一休みしてから昼食。
そんなわけで午後はうとうと。
たまたま先日処分しようと思って出していたDVD「天才の秘密 ミステリアス ピカソ」という、アンリ=ジョルジュ=クルーゾー監督のドキュメンタリーを見ました。ずっと以前にも見たことがあって、面白かったのを覚えていたからです。DVDケースに書かれたところでは、1956年度のカンヌ国際映画祭で審査員特別賞を受賞した作品のようです。「トリュフォー、プレヴェール、バザンが絶賛した幻の傑作」と謳っています。作中ピカソが描いた20点の絵は、もうこの映画の中にしか存在しないのだそうです。
ピカソがほとんど即興で描いていく線画が形成されていく現場がリアルタイムで撮られていて、とても面白い。はじめ筆を走らせ始めたときは、何を描きたいのかさっぱり分からないけれど、大胆な線がいつの間にか形をなしていき、さすがだねえ、と感心していると、ほぼこれで結構いいじゃないの、と思う頃に、ほとんどそれを潰してしまうような黒のべた塗りや、太い線が縦横に走って、おいおい、と驚かされます。
私も何の絵心も描く方法についての心得もないど素人ながら、ときどきスケッチして色塗りなどするので、せっかくわりといいな、と自分で思った線画に色を付ける段階でぶち壊してしまうことが多いので、心配になるのですが、さすがにピカソはたいていはうまく処理していきます。けれど、私がみて、どうみてもこれはせっかくの線画を潰してしまったな、と思えるものもありました。天才と雖も、いつも100%成功するとは限らないようだし、はじめから出来上がりをイメージしてそこへ向けて描いていくわけではない、ということが彼の描き方をみているとよく分かります。創作の秘密、というやつが、これほど手に取るように素人にも分かる映像というのは、そうそうあるものじゃないでしょう。
見終わると、ちょっと手放すのが惜しくなりました(笑)
きょうの芙蓉
全部で3輪だったと思います。あいかわらず樹冠のあたりでだけ咲いています。
きょうの夕餉
冷奴のクルミ味噌のせ
野菜の天ぷら。
茄子、レンコン、シイタケ、万願寺唐辛子、ニンジンとタマネギのかき揚げ、カボチャ、鶏の胸肉の梅大葉巻き。
鯛のアラ炊き
(以上でした)
いま九州南部にいる台風10号ですか、ほんとにへんな台風ですね。太平洋から北上して上陸はしても東日本で、そのまま東へ抜けていくのかと思っていたら、わざわざ西へ曲がって九州南端に上陸してそのまま九州を縦断北上、かと思えば東へ急角度で曲がって本州に向かい、そのまま中国・四国から近畿・東海・関東へと東漸し、今度はまたそこから突如向きを変えて北関東から東北、北海道へとひたすら北上するというふうに、日本全土をくまなく襲うという稀な台風です。なんだかトマホークみたいな正確に誘導されて狙った日本の国土をくまなく爆撃して回るみたいなやつですね。
こういうの、何とかならないものなんでしょうか。台風なんて大昔から襲来しているのだし、南の海で発生した時点で台風の眼をなんとかしてしまって、潰してしまう、ということができないんですかね。教養部時代の友人に地球物理学へ行った秀才がいて、彼は海洋物理みたいな方へ行ったようですが、いまだに流体力学というのはいろいろ謎が多いみたいで、突然船が真っ二つになったりするような事故についても、もちろん波の力によるものであることは確かなのだけれど、その力の働き方を解析するのは至難の業らしい、なんて噂を聞いたことがあります。
太平洋にあるうちに台風の眼に爆弾でもぶち込んだら吹っ飛ぶとか(笑)、多少乱暴でもいいから、なにか手がないんでしょうかね。毎年日本をはじめ極東アジアに何百億円相当の被害を及ぼしているはずですから、いいかげん有効な対策が研究開発されてもいい頃ではないか、と思うけれど、やっぱりこの種の規模の大きい自然現象をコントロールすることはまだ人間には無理なようですね。台風にせよ地震にせよ火山噴火にせよ・・・
とりあえずセットはできたけれど、何かちょっと力が加わってズレたら、もう突っ張り棒としての役割をまったく果たせなくなるでしょう。これはもうどうしようもないので、今回はこれまで。早めに工務店のプロに工事を頼むほかはないでしょう。
突っ張り棒をとりつけるのにテラスの下にもぐって作業しないといけないので、その姿勢をとるだけで肺が圧迫されるせいか呼吸がひどく難しくなって、途中で気が遠くなるような感じがしたので、さすがに作業をやめて、しばらくは静かにして深い呼吸を繰り返して休憩し、なんとかぶっ倒れずに済みました。作業と言えるほどの作業でもないので、単にしゃがんでタオルを敷いたところへ片膝をついてセットするだけで、かくもしんどくなってしまうのか、といまさらながら現在の体力、余力の乏しさを思い知らされる始末。
汗まみれ、木くずまみれ(木がほとんど腐っているので、ボロボロと端から木くずが落ちかかる)になり、作業を終えるとすぐにシャワーを浴び、梅干しを入れた冷えたお茶をがぶがぶ飲んで一休みしてから昼食。
そんなわけで午後はうとうと。
たまたま先日処分しようと思って出していたDVD「天才の秘密 ミステリアス ピカソ」という、アンリ=ジョルジュ=クルーゾー監督のドキュメンタリーを見ました。ずっと以前にも見たことがあって、面白かったのを覚えていたからです。DVDケースに書かれたところでは、1956年度のカンヌ国際映画祭で審査員特別賞を受賞した作品のようです。「トリュフォー、プレヴェール、バザンが絶賛した幻の傑作」と謳っています。作中ピカソが描いた20点の絵は、もうこの映画の中にしか存在しないのだそうです。
ピカソがほとんど即興で描いていく線画が形成されていく現場がリアルタイムで撮られていて、とても面白い。はじめ筆を走らせ始めたときは、何を描きたいのかさっぱり分からないけれど、大胆な線がいつの間にか形をなしていき、さすがだねえ、と感心していると、ほぼこれで結構いいじゃないの、と思う頃に、ほとんどそれを潰してしまうような黒のべた塗りや、太い線が縦横に走って、おいおい、と驚かされます。
私も何の絵心も描く方法についての心得もないど素人ながら、ときどきスケッチして色塗りなどするので、せっかくわりといいな、と自分で思った線画に色を付ける段階でぶち壊してしまうことが多いので、心配になるのですが、さすがにピカソはたいていはうまく処理していきます。けれど、私がみて、どうみてもこれはせっかくの線画を潰してしまったな、と思えるものもありました。天才と雖も、いつも100%成功するとは限らないようだし、はじめから出来上がりをイメージしてそこへ向けて描いていくわけではない、ということが彼の描き方をみているとよく分かります。創作の秘密、というやつが、これほど手に取るように素人にも分かる映像というのは、そうそうあるものじゃないでしょう。
見終わると、ちょっと手放すのが惜しくなりました(笑)
きょうの芙蓉
全部で3輪だったと思います。あいかわらず樹冠のあたりでだけ咲いています。
きょうの夕餉
冷奴のクルミ味噌のせ
野菜の天ぷら。
茄子、レンコン、シイタケ、万願寺唐辛子、ニンジンとタマネギのかき揚げ、カボチャ、鶏の胸肉の梅大葉巻き。
鯛のアラ炊き
(以上でした)
いま九州南部にいる台風10号ですか、ほんとにへんな台風ですね。太平洋から北上して上陸はしても東日本で、そのまま東へ抜けていくのかと思っていたら、わざわざ西へ曲がって九州南端に上陸してそのまま九州を縦断北上、かと思えば東へ急角度で曲がって本州に向かい、そのまま中国・四国から近畿・東海・関東へと東漸し、今度はまたそこから突如向きを変えて北関東から東北、北海道へとひたすら北上するというふうに、日本全土をくまなく襲うという稀な台風です。なんだかトマホークみたいな正確に誘導されて狙った日本の国土をくまなく爆撃して回るみたいなやつですね。
こういうの、何とかならないものなんでしょうか。台風なんて大昔から襲来しているのだし、南の海で発生した時点で台風の眼をなんとかしてしまって、潰してしまう、ということができないんですかね。教養部時代の友人に地球物理学へ行った秀才がいて、彼は海洋物理みたいな方へ行ったようですが、いまだに流体力学というのはいろいろ謎が多いみたいで、突然船が真っ二つになったりするような事故についても、もちろん波の力によるものであることは確かなのだけれど、その力の働き方を解析するのは至難の業らしい、なんて噂を聞いたことがあります。
太平洋にあるうちに台風の眼に爆弾でもぶち込んだら吹っ飛ぶとか(笑)、多少乱暴でもいいから、なにか手がないんでしょうかね。毎年日本をはじめ極東アジアに何百億円相当の被害を及ぼしているはずですから、いいかげん有効な対策が研究開発されてもいい頃ではないか、と思うけれど、やっぱりこの種の規模の大きい自然現象をコントロールすることはまだ人間には無理なようですね。台風にせよ地震にせよ火山噴火にせよ・・・
saysei at 22:27|Permalink│Comments(0)│
2024年08月27日
家の中のお仕事いろいろ
きょうはもと次男の部屋の「屋根裏部屋」(はしごで登るロッジ風のベッドスペース)に抛り上げていた各種の本のケース類で、先日整理したとき、まだ残っているのを積み上げて置いたのがあったので、これを下ろして、もとどおり本に服を着せてやりました。遠からず市場に出てひとさまの手に渡ることを想定して、バツイチながらせめて衣装なりと元通りにして、というわけです。
漱石全集、親鸞全集、フローベール全集、近松全集、それにかったるいから全部ケースを外していた大量の日本古典文学全集等々。ケースをつけておくと、さっと本棚から取り出してすぐ読もうというときにかったるいのがいやなのですね。それに、本棚に立ててもケースがあると嵩張ります。
でもケースには良いところもあって、背文字が明瞭なので本棚にあっても何の本かすぐにわかること、中にはケースの表紙に目次みたいに主だったコンテンツが印刷してあるものもあるので、中を見なくても何が収録されているかがすぐにわかること、それにもちろん本が傷まないことなどです。みんな嫁入り先が決まるまでケースを身につけて大人しく本棚で待っていてもらうことにしましょう。
二つ目の仕事は、昨日届いた「突っ張り棒」を寝室の二つのタンスにセットすること。前にやっていたので、今回は要領がわかっていて、簡単でした。部品状態のときは、なんだか頼りなさそうな道具にみえているのですが、正しくセットして最後にギュッと下部のパーツを回転させて締め付けると、みごとに堅固そうな突っ張り棒に変身するので、感心させられます。実際の大型地震でどれだけ役に立つかはもちろん未知数ですが、少なくとも、とりあえず最小限の手当はしたぞ、という精神的安堵感をもたらす程度の効用はありました!(笑)
三つ目の仕事は、今から庭へ降りるところにある木のテラスが雨風と強い日差しのおかげで朽ち果てて、縦に走る4本の梁のうち3本までは一方の端が腐って落ちてしまい、交差する板と接合されているために朽ちて落ちた片方を宙に浮かせたまま、かろうじて半分は居間側にくっついている状態なのですが、横に走る長い幾本もの板もほとんど朽ちて3分の1は落ち、残る板もボロボロというありさまで、いま足を踏み入れることができるのは居間側の、庭へ降りる階段に通じる片隅のごく狭い範囲。それも私が階段の降り口に丈夫な板を一枚釘打ちして渡したので、そこへ足を置くことで、かろうじて階段を下りることができる、というありさまです。
それで、昨日届いた「突っ張り棒」のうちの1セット2本を、縦に走る4本の梁のうち、階段の昇降口に一番近い梁の下にセットして、補強してやるという作業でした。購入した「突っ張り棒」は、50~70cmサイズで、このテラスの梁と下のコンクリートの地との間は75cm~80cm(前の方は朽ち落ちて、それに伴い、梁も傾いているので、高さは5cm以上の落差がある)なので、突っ張り棒だけでは高さが不足しています。それでこれまでクワやスコップや竹ぼうきの類を抛り込んであった木の桶のようなもの(これも腐って半ば底抜けらしい)が置いてあったコンクリートブロックが2個あったのを幸い、それらをテラスの下のコンクリート床に置き、そのブロックとテラスの梁との間に突っ張り棒をセットしました。
コンクリート床に片膝をつき、不自然な姿勢での作業は、いまの私の肺の劣悪な酸素交換機能では、かなりしんどかったけれど、なんとか前後に2本セットできました。これで、居間を出てテラスの庭への昇降階段の降り口までの数歩を、なんとか足が腐った床板を踏み外して落ちることなく、しっかり突っ張り棒で支えられた梁に置かれた板を踏んで歩むことができるかと思います。徐々に腐朽がひどくなって、いつ足が腐った板を踏み抜いて全部崩壊し、下のコンクリート床にたたきつけられることになるのやら、と危惧していたのですが、これでなんとか数週間くらいならしのげるかと思います。
このテラスの修理(というより、全部壊して撤去し、あらたによりシンプルな同様のテラスを構築してもらう工事)を次男が連れてきた友人の一人らしい工務店を営む若い人に、ちょうど1年前の5月だったかに依頼して、(テラスは私物ではなくて共有物なので、工事の計画は団地の理事会に届けて承認を得なくてはならないこともあって)工事の設計図を示してもらうことになっていたのですが、待てど暮らせどいっこうに音沙汰なく、もう1年をとっくに超えてうんともすんとも言ってこないし、次男もたまに顔を見せてもそのことには何も触れないのでした。
まあ次男のことだから、自分に関心のないことはすっかり忘れてしまうようなキャラだし、彼自身のところのテラスもその友人に作り直してもらったから、わが家もやってもらってくれ、ということにしたのでしたが、彼の家のテラスも、発注して随分長く着手しなかったようでした。それでも工事をはじめてからはとても早かったので、われわれも期待していたわけです。今工務店の類は引く手あまたで、身入りの良い仕事でなければひどく待たされるらしい、というのは聞いていたけれど、さすがに1年ともうじき半年ともなると、そのころはまだ手前半分くらいは足を踏み入れても危険はなかろうと思える状態だったのが、もはや足を踏み入れてよい場所がみつけられないほど朽ち果ててしまって、きつい台風でもくれば、全部一晩で崩壊してしまうやもしれない状態なので、これはいかん、ということになって、さすがに寛容なパートナーもしびれを切らして、少し涼しくなったら次男に話をして、やる気があるかどうか友人にきいてもらい、早々に着手できないのなら、はっきり辞退してもらって、別の工務店に発注することにしました。前に別のことでやってもらっていた工務店もあるし、依頼先がないことはないので、ことは身の安全にもかかわることだから、急いで処理したほうがよいと考えているところです。
きょうの4つ目の仕事は、自分の机の引き出しの修理です。もうずいぶん以前から、机代わりの一枚板の下におさまるようになっている、コロつきの3段の引き出し収納スペースの1番上の引き出しを支えているとっかかりが壊れたか外れたかすり切れたか、とにかく引き出しがガタンと2段目のほうへ落ちてしまって、うまく手で持ち上げながら、かなりの力でひっぱらないと開けられない状態になり、またそぉっとセットすると、うまく正常な位置にひっかかってくれて、ふつうに引きだすことができることもある、という微妙な状態を繰り返してきたのでした。けっこうどの引き出しも中身をいっぱい詰め込んでいるし、一番上の引き出しはとくによく使う日用道具類がいれてあるので、いつでも快適に引き出せることが重要なのに、よくこの段が傾いて下に落ちていて、引きだすのに苦労していたのです。
きょうたまたま別の物を買いに100円ショップへ行ったときに、ちょうど引き出しの奥行にうまくおさまる長さの、割り箸を太くしたような頑丈そうな木の棒をみつけたのでそいつを2本買ってきました。木の棒に長ぼそい磁石を埋め込んであって、なにか特殊な用途に使う棒のようでしたが、こちらは磁石など必要とはしないけれど、その四角い丈夫そうな木の棒が手ごろだったのです。
帰って、これを引きだしの左右のすぐ下のところに木工ボンドで貼り付けてやると、うまく張り付いて、とりあえずはテープで仮止めして、試しに引き出しを入れて出して、と動かしてみると、ちゃんと引き出しが安定して同じ位置で移動してくれて、スムーズに出し入れできました。それで、いまは木工ボンドをきちんとつけて貼り、その棒で重い引き出しを支えるようにして、一晩ボンドを完全にかわかすようにとりだしてあります。パートナーはこういう日曜大工的な作業が得意でもあり、大好きでもありますが、私はもともと不器用でこういう作業は苦手なうえ、やっても下手くそだし、嫌いでもあってほとんどやったことはないのですが、今回は簡単でもあったので、うまくいったので気をよくしてパートナーに夕食のときおしゃべりしたら驚いていました。
初めてステロイドの大量療法を受けたとき、ほとんどシャブ(麻薬のコカインか何か)を打ったみたいな興奮状態で、夜はごく短時間しか眠れず、朝4時、5時の早朝にパッと目がさえて起床。なにかせずにはおれない気分で、家じゅうの、玄関や戸や窓や敷居の不具合や故障の個所を全部直して回ったり、当時義母がなくなってその家の整理に行って、庭の 50本以上のうっそうと茂る2~3メートルの高さにまでなった太い樹木を全部人の眼の高さにまで電動鋸を振るって切り、枝を払って庭に大きな山を築いたうえ、丈夫な頭陀袋を買ってきて、それに細かく切った枝を詰めて200袋以上のゴミを作りだして、ゴミ回収に出すのでは間に合わないので、2トントラックを借りて、それとライトバンの両方に積んで次男に手伝ってもらって、北山の市のごみ処理場迄運んで廃棄するところまでやったことがあります。あの夏はまったく異常な心身の状態で、肺の病を抱えながら、生涯でそれまでやったこともなかったような過酷な肉体労働を朝から夕方日が落ちるまで、毎日嵯峨まで車で二人で通ってやり通したのでした。その間、庭仕事だけではなく、家の中のいたるところに防犯ベルをとりつけ、家周りにいくつものライト(動くものがあると明かりがつく仕組み)をセットし、何十年も壊れてならなかった電蓄を修理してとにもかくにもレコードを鳴らすまでなおし、筑後何十年もたってガタピシ歪んで鍵穴の合わない窓の鍵穴を開けなおして新たなカギをセットし、何十年も洗ったことなどない玄関わきの部屋の二重窓を全部外して徹底的に洗浄し・・・と、とにかくやれそうなことを全部やってのけました。もう2度とあんなことはできないでしょうが、あのときは薬のせいで異様な興奮状態だったからできたのでした。もちろん麻薬などではなくて、大学病院で処方された大量のステロイド以外に原因は考えられません。それが私のステロイド処女体験でした。
きょうのような手仕事的作業を頑張ってやったのは、あのとき以来でした。もちろんその労働の量と質はあの時とは比べ物にならないほど微々たるものでしたが・・・
・・・というわけで、きょうは4つも「仕事」をしました。歳をとってからは、一日に「仕事」は一つだけ、無理をしないこと、というのを肝に銘じていたのですが、きょうは例外的に4つもやってしまいました。明日ぶっ倒れなければいいのですが(笑)
きょうの夕餉
いなりずし
かぼちゃとアスパラの煮物
鯛のアラの赤だし
レンコンのはさみ揚げと豚の味噌漬け
ラタトゥイユ
鶏肉とタマネギ、キュウリ、セロリに中華和え
オクラにポン酢
(以上でした。昨日、長男が来る予定でパートナーが張り切って色々つくっていたので、きょうは大体昨日ののこりもので済んだそうです。)
きょうの芙蓉。まだてっぺん近くにしか咲いてくれません。
アブがよく潜り込んでいます。
横顔も綺麗な花です。
漱石全集、親鸞全集、フローベール全集、近松全集、それにかったるいから全部ケースを外していた大量の日本古典文学全集等々。ケースをつけておくと、さっと本棚から取り出してすぐ読もうというときにかったるいのがいやなのですね。それに、本棚に立ててもケースがあると嵩張ります。
でもケースには良いところもあって、背文字が明瞭なので本棚にあっても何の本かすぐにわかること、中にはケースの表紙に目次みたいに主だったコンテンツが印刷してあるものもあるので、中を見なくても何が収録されているかがすぐにわかること、それにもちろん本が傷まないことなどです。みんな嫁入り先が決まるまでケースを身につけて大人しく本棚で待っていてもらうことにしましょう。
二つ目の仕事は、昨日届いた「突っ張り棒」を寝室の二つのタンスにセットすること。前にやっていたので、今回は要領がわかっていて、簡単でした。部品状態のときは、なんだか頼りなさそうな道具にみえているのですが、正しくセットして最後にギュッと下部のパーツを回転させて締め付けると、みごとに堅固そうな突っ張り棒に変身するので、感心させられます。実際の大型地震でどれだけ役に立つかはもちろん未知数ですが、少なくとも、とりあえず最小限の手当はしたぞ、という精神的安堵感をもたらす程度の効用はありました!(笑)
三つ目の仕事は、今から庭へ降りるところにある木のテラスが雨風と強い日差しのおかげで朽ち果てて、縦に走る4本の梁のうち3本までは一方の端が腐って落ちてしまい、交差する板と接合されているために朽ちて落ちた片方を宙に浮かせたまま、かろうじて半分は居間側にくっついている状態なのですが、横に走る長い幾本もの板もほとんど朽ちて3分の1は落ち、残る板もボロボロというありさまで、いま足を踏み入れることができるのは居間側の、庭へ降りる階段に通じる片隅のごく狭い範囲。それも私が階段の降り口に丈夫な板を一枚釘打ちして渡したので、そこへ足を置くことで、かろうじて階段を下りることができる、というありさまです。
それで、昨日届いた「突っ張り棒」のうちの1セット2本を、縦に走る4本の梁のうち、階段の昇降口に一番近い梁の下にセットして、補強してやるという作業でした。購入した「突っ張り棒」は、50~70cmサイズで、このテラスの梁と下のコンクリートの地との間は75cm~80cm(前の方は朽ち落ちて、それに伴い、梁も傾いているので、高さは5cm以上の落差がある)なので、突っ張り棒だけでは高さが不足しています。それでこれまでクワやスコップや竹ぼうきの類を抛り込んであった木の桶のようなもの(これも腐って半ば底抜けらしい)が置いてあったコンクリートブロックが2個あったのを幸い、それらをテラスの下のコンクリート床に置き、そのブロックとテラスの梁との間に突っ張り棒をセットしました。
コンクリート床に片膝をつき、不自然な姿勢での作業は、いまの私の肺の劣悪な酸素交換機能では、かなりしんどかったけれど、なんとか前後に2本セットできました。これで、居間を出てテラスの庭への昇降階段の降り口までの数歩を、なんとか足が腐った床板を踏み外して落ちることなく、しっかり突っ張り棒で支えられた梁に置かれた板を踏んで歩むことができるかと思います。徐々に腐朽がひどくなって、いつ足が腐った板を踏み抜いて全部崩壊し、下のコンクリート床にたたきつけられることになるのやら、と危惧していたのですが、これでなんとか数週間くらいならしのげるかと思います。
このテラスの修理(というより、全部壊して撤去し、あらたによりシンプルな同様のテラスを構築してもらう工事)を次男が連れてきた友人の一人らしい工務店を営む若い人に、ちょうど1年前の5月だったかに依頼して、(テラスは私物ではなくて共有物なので、工事の計画は団地の理事会に届けて承認を得なくてはならないこともあって)工事の設計図を示してもらうことになっていたのですが、待てど暮らせどいっこうに音沙汰なく、もう1年をとっくに超えてうんともすんとも言ってこないし、次男もたまに顔を見せてもそのことには何も触れないのでした。
まあ次男のことだから、自分に関心のないことはすっかり忘れてしまうようなキャラだし、彼自身のところのテラスもその友人に作り直してもらったから、わが家もやってもらってくれ、ということにしたのでしたが、彼の家のテラスも、発注して随分長く着手しなかったようでした。それでも工事をはじめてからはとても早かったので、われわれも期待していたわけです。今工務店の類は引く手あまたで、身入りの良い仕事でなければひどく待たされるらしい、というのは聞いていたけれど、さすがに1年ともうじき半年ともなると、そのころはまだ手前半分くらいは足を踏み入れても危険はなかろうと思える状態だったのが、もはや足を踏み入れてよい場所がみつけられないほど朽ち果ててしまって、きつい台風でもくれば、全部一晩で崩壊してしまうやもしれない状態なので、これはいかん、ということになって、さすがに寛容なパートナーもしびれを切らして、少し涼しくなったら次男に話をして、やる気があるかどうか友人にきいてもらい、早々に着手できないのなら、はっきり辞退してもらって、別の工務店に発注することにしました。前に別のことでやってもらっていた工務店もあるし、依頼先がないことはないので、ことは身の安全にもかかわることだから、急いで処理したほうがよいと考えているところです。
きょうの4つ目の仕事は、自分の机の引き出しの修理です。もうずいぶん以前から、机代わりの一枚板の下におさまるようになっている、コロつきの3段の引き出し収納スペースの1番上の引き出しを支えているとっかかりが壊れたか外れたかすり切れたか、とにかく引き出しがガタンと2段目のほうへ落ちてしまって、うまく手で持ち上げながら、かなりの力でひっぱらないと開けられない状態になり、またそぉっとセットすると、うまく正常な位置にひっかかってくれて、ふつうに引きだすことができることもある、という微妙な状態を繰り返してきたのでした。けっこうどの引き出しも中身をいっぱい詰め込んでいるし、一番上の引き出しはとくによく使う日用道具類がいれてあるので、いつでも快適に引き出せることが重要なのに、よくこの段が傾いて下に落ちていて、引きだすのに苦労していたのです。
きょうたまたま別の物を買いに100円ショップへ行ったときに、ちょうど引き出しの奥行にうまくおさまる長さの、割り箸を太くしたような頑丈そうな木の棒をみつけたのでそいつを2本買ってきました。木の棒に長ぼそい磁石を埋め込んであって、なにか特殊な用途に使う棒のようでしたが、こちらは磁石など必要とはしないけれど、その四角い丈夫そうな木の棒が手ごろだったのです。
帰って、これを引きだしの左右のすぐ下のところに木工ボンドで貼り付けてやると、うまく張り付いて、とりあえずはテープで仮止めして、試しに引き出しを入れて出して、と動かしてみると、ちゃんと引き出しが安定して同じ位置で移動してくれて、スムーズに出し入れできました。それで、いまは木工ボンドをきちんとつけて貼り、その棒で重い引き出しを支えるようにして、一晩ボンドを完全にかわかすようにとりだしてあります。パートナーはこういう日曜大工的な作業が得意でもあり、大好きでもありますが、私はもともと不器用でこういう作業は苦手なうえ、やっても下手くそだし、嫌いでもあってほとんどやったことはないのですが、今回は簡単でもあったので、うまくいったので気をよくしてパートナーに夕食のときおしゃべりしたら驚いていました。
初めてステロイドの大量療法を受けたとき、ほとんどシャブ(麻薬のコカインか何か)を打ったみたいな興奮状態で、夜はごく短時間しか眠れず、朝4時、5時の早朝にパッと目がさえて起床。なにかせずにはおれない気分で、家じゅうの、玄関や戸や窓や敷居の不具合や故障の個所を全部直して回ったり、当時義母がなくなってその家の整理に行って、庭の 50本以上のうっそうと茂る2~3メートルの高さにまでなった太い樹木を全部人の眼の高さにまで電動鋸を振るって切り、枝を払って庭に大きな山を築いたうえ、丈夫な頭陀袋を買ってきて、それに細かく切った枝を詰めて200袋以上のゴミを作りだして、ゴミ回収に出すのでは間に合わないので、2トントラックを借りて、それとライトバンの両方に積んで次男に手伝ってもらって、北山の市のごみ処理場迄運んで廃棄するところまでやったことがあります。あの夏はまったく異常な心身の状態で、肺の病を抱えながら、生涯でそれまでやったこともなかったような過酷な肉体労働を朝から夕方日が落ちるまで、毎日嵯峨まで車で二人で通ってやり通したのでした。その間、庭仕事だけではなく、家の中のいたるところに防犯ベルをとりつけ、家周りにいくつものライト(動くものがあると明かりがつく仕組み)をセットし、何十年も壊れてならなかった電蓄を修理してとにもかくにもレコードを鳴らすまでなおし、筑後何十年もたってガタピシ歪んで鍵穴の合わない窓の鍵穴を開けなおして新たなカギをセットし、何十年も洗ったことなどない玄関わきの部屋の二重窓を全部外して徹底的に洗浄し・・・と、とにかくやれそうなことを全部やってのけました。もう2度とあんなことはできないでしょうが、あのときは薬のせいで異様な興奮状態だったからできたのでした。もちろん麻薬などではなくて、大学病院で処方された大量のステロイド以外に原因は考えられません。それが私のステロイド処女体験でした。
きょうのような手仕事的作業を頑張ってやったのは、あのとき以来でした。もちろんその労働の量と質はあの時とは比べ物にならないほど微々たるものでしたが・・・
・・・というわけで、きょうは4つも「仕事」をしました。歳をとってからは、一日に「仕事」は一つだけ、無理をしないこと、というのを肝に銘じていたのですが、きょうは例外的に4つもやってしまいました。明日ぶっ倒れなければいいのですが(笑)
きょうの夕餉
いなりずし
かぼちゃとアスパラの煮物
鯛のアラの赤だし
レンコンのはさみ揚げと豚の味噌漬け
ラタトゥイユ
鶏肉とタマネギ、キュウリ、セロリに中華和え
オクラにポン酢
(以上でした。昨日、長男が来る予定でパートナーが張り切って色々つくっていたので、きょうは大体昨日ののこりもので済んだそうです。)
きょうの芙蓉。まだてっぺん近くにしか咲いてくれません。
アブがよく潜り込んでいます。
横顔も綺麗な花です。
saysei at 19:08|Permalink│Comments(0)│