2024年05月
2024年05月31日
きょうの夕餉
豆鯵のから揚げにわが家の庭のプランター育ちのクレソン
豚肉の生姜焼き炒め、ルッコラ、キャベツ添え
ジャガイモ、おあげ、チクワ、スナップエンドウの煮物
ブロッコリ
もずくキュウリ、ミョウガの酢の物
グリーンサラダ
ちりめん山椒
もろQ
梅干し
お菓子と中国茶
中国茶の袋
(以上でした)
saysei at 20:41|Permalink│Comments(0)│
2024年05月30日
時間がかかる「完全消去」
これまで使っていたパソコンを遠からず処分するうえで、多少なりと個人情報にかかわるような情報を、できるだけ完全に消去するために、アンチウィルスソフトに備わっているそういう機能を使うようにしているのですが、なんでも消去した上に7回も上書きするそうなので、少し容量の大きいデータだとやたら時間がかかります。
せいぜい30G程度のデータでも、夕方から、夕食を食べ終わってデスクの前に戻ってもまだ50%少々の進行状況で、やはりどうでもいいような情報は普通の消去にして、人の表情が写っているようなのや、いわゆる個人情報の典型みたいな情報だけに絞ってこの方法を使うことにしないと、先が思いやられるなぁ、と。
一昔前にデスクトップを始末したときは、ねじ回しを駆使して、マシン本体のカバーを取り去って、いろいろくっついているものも根気よく取り外し、最後にディスク本体に到達して、これをやや大きいペンチでぎゅっとはさんでねじ切るように傷つけ、ひん曲げて、おまけに金槌でガンガン叩いて傷だらけにし、いくらCIAでもKGBでもこれは復元できまい(笑)と得心がいくまでぶっ壊してから、この種の廃棄物機器を無料で引き取る業者に出して処分しましたが、一括して情報を「完全消去」するには速くて、間違がないようですね。
まあ今回はアンチウィルスソフトの消去方法を試してみたということで、やっぱり処分するときは物理的にハードディスクを壊してからにしようと思います。別段国家機密はもちろん、家庭機密も個人機密もパソコンなどに入ってはいなかったし、もともとそういうものが我が家にあるかどうかも疑わしい(笑)ので、そう神経質になることはないのですが、たぶん少しこういうことに神経質というか慎重になったのは、女子大に勤めたせいかもしれません。学生さんの個人情報などが私の情報管理が杜撰なために漏れたりすると大変ですから、人並みには気を使っていたと思います。
しかし何かゼミなどで、いまはやりの地域とのコラボみたいなプロジェクトをやって、SNSなどで積極的にその経緯を発信したりするようになれば、学生さんたちの自主的で多様な活動をとてもコントロールできるものではなくて、かなりハラハラするようなことはあったように記憶しています。なんとかそういう点では大きな問題が起きることもなく、無事に10年近い勤めを終えられて幸いだったな、と思っています。
私が最初に大学に奉職したのはもう四半世紀別の民間会社で勤務したあとですから、結構歳をとってからですが、最初の新学期に配布された在学生名簿なるものには驚いた記憶があります。全学生さんの氏名と現住所(電話番号があったかどうかは記憶していませんが)、おまけに帰省先の住所まで印刷してある、いまならぜったい出せないような資料です。これが各教員の学内ボックスに配布されて、あとは教員次第で、開けっ放しの研究室の机の上にポンと放り出してあるようなのも見たことがあります。
さすがにその翌年だったか、この全在学生一覧の資料は出されなくなり、個人情報の扱いには格段の注意が払われるようになりましたが、全国でもトップクラスの(女子)学生数を誇る大学にしては、そういう面での配慮はそのころ遅れをとっていたのではないかと思います。
もっと昔のことを言えば、私は失業時代に、自分の出身校の開校以来の卒業者名簿を編纂する作業をアルバイトでやっていたことがあります。それこそ日本の代表的な国立大学のトップに近い位置にあるような大学でも、各学部が卒業者名簿をめいめい勝手に出していて、それは学内ではいつでも手に入りました。
われわれのつくる全学の名簿も、それらの学部名簿を基礎にしながら、編纂年にはまず卒業生が勤務していそうな全国の主な企業、団体等の人事に趣旨を伝えて記入用の用紙を送ります。
すると、総長名の入った依頼文書を受け取った人事課ではせっせとその事業所に勤務する卒業生をピックアップして、こちらの指示どおり卒業年度順に手書きでリストを作って返送してくれるのです。
今考えれば、よくまあ各企業の人事課がそんな協力をしてくれていたものだと思います。やはり編纂委員会の代表者か誰かが、庶務課かどこかを通じてでしょうが、総長のお墨付きをいただいていたのが効いたのでしょうか。
企業としては卒業生に来てもらいたい、というのがあるから、人事課としてむげな対応もとれないということなのかどうか。とにかく、そうやって貰った「もと原稿」にあたる各企業、団体等の人事課がつくってくれたその会社に在籍する卒業生に関する資料をもとに、今度はそれぞれの卒業生個人にはがきを送って確認をとる、というふうなことで、原稿を作成していたと思います。
はがきが届いた卒業生の幾人かからは、こんな個人情報を本人の許可もなく勤め先の人事課が勝手に書いて大学へ送るなんておかしい、と電話で異議を唱える人もありましたが、いまでこそ当たり前のそんな意見で抗議される方も当時はほとんどなく、プライバシーに関する社会一般の意識もまだその程度だったように思います。
もう半世紀ほど前のことですから、特定の大学だけが変だったわけでも何でもなくて、ようやくプライバシーの保護だとかいった考え方が広がろうとしていたころで、まだまだ実際の社会の様々な場ではそんな意識が希薄で、そんな膨大な個人情報の集積したようなものを出していても問題にされるようなこともなかったのだと思います。
もっとも私は下っ端のアルバイトとして雇用されて作業をしていただけなので、大学の事務や編纂委員会のこういった仕事の位置づけや卒業生や企業との対応のありようなどはまるで視野の外で、ただ失業の身を養うためにわずかな報酬をあてにして、それなりに一所懸命作業をしていただけで、それはそれで結構楽しかったのですが・・。
パソコンの話にもどりますが、私には秘匿しなければならない情報などほとんど無いに等しいかもしれないのですが、それでもなにか自分が人に知られることを意図しない情報が、いつのまにか全く無関係な他人にのぞき見される、なんてことが万が一にも起きれば実害はなくても、なんだか怖いような、厭な気分でしょう。
ですから、なるべく徹底的に消去(or 破壊)しておくのがいいだろうと思いますが、みなさんはパソコンを処分するときどこまでやっているんでしょうね。
きょうは大学病院へ、特定難病指定にかかわる医療・薬剤費の補助に関する申請のための医師の診断書を出してもらうための申請手続きに行ってきました。帰りに出町柳の少し南の川端通りにある鉢植えやなんかも売っている店に寄って、カメムシよけ、あるいはカメムシ退治の薬剤やら、かんきつ類やバラのための肥料や、バラにつく虫を退治する薬やら、いろいろ買ってきました。こういう店に久しぶりに行くといろいろ目について、つい衝動買いというのか、ついで買いをしてしまって、すっかり散財してしまって、6月分のお小遣いも、まだ5月だというのに、もう半分なくなってしまいました。^^;
お金がなきゃ、買わなければいいのに、やっぱり貧乏人の箱入りというのか、金銭のことをなぜか極端に息子に知らせたり話したりするのを避けようとしてきた両親の配慮?は、いまとなっては間違いだったよなぁ、と思わずにはいられないところです。
わたしは昔からお金というより、だいたい数字に弱くて、私にお金を持たせるとじきに全部使ってしまって、何にそんなに使ったのかわからない、というふうなことで学生時代に仕送りとアルバイトで暮らすようになると、始終質屋通いをして、腕時計やタイプライターや、いろんなものを持って行っては仕送りまでの日数をもちこたえる、というようなことをしていた時期がありました。
流してしまった品もあります^^; 悪いとは思いながら、「学費が払えなくて・・・」ともうちょっと、もうちょっともらえないかな、と質屋のおやじさんに虚言を弄して、まあ学生さんのことだからいいでしょう、と思ったよりたくさん借りられたこともありました。もう亡くなっているおられるでしょうが、ごめんなさいね。
お金にはだらしなかったけれど、幸か不幸か、家も金持ちとは縁遠い中小企業の典型的なサラリーマン家庭だったし、持たせられる金銭も、二月も三月もだだらしなくしていられるほどの金額ではなかったので、まじめなサラリーマンだった父の顔に泥を塗るような大事にいたったことはないけれど、困った愚息であったには違いありません。
それを思えば、私のパートナーはむろんのこと、二人の息子たちもそのパートナーもつましいながら、それぞれ自分の力で生計を立てて、まっとうに暮らしているのは、息子や嫁さんのこととはいえ、えらいなぁ、と思わずにはいられません。やはり人が生きる上で、自分の身を養う生計をしっかり立てるということがイの一番に大切なことで、それなしには自立もなにもないでしょうね。(反省・・・)
さて、きょうの夕餉です。
トマトとバジルのパスタ。トマトは戸田農園さんの。バジルはわが庭の鉢で育っているバジル。
ロールキャベツ。キャベツは上賀茂の農家のキャベツ。炊くととろけるように柔らかくなるキャベツ。
グリーンサラダ。我が家の鉢のルッコラやクレソンも活躍。
(以上でした)
せいぜい30G程度のデータでも、夕方から、夕食を食べ終わってデスクの前に戻ってもまだ50%少々の進行状況で、やはりどうでもいいような情報は普通の消去にして、人の表情が写っているようなのや、いわゆる個人情報の典型みたいな情報だけに絞ってこの方法を使うことにしないと、先が思いやられるなぁ、と。
一昔前にデスクトップを始末したときは、ねじ回しを駆使して、マシン本体のカバーを取り去って、いろいろくっついているものも根気よく取り外し、最後にディスク本体に到達して、これをやや大きいペンチでぎゅっとはさんでねじ切るように傷つけ、ひん曲げて、おまけに金槌でガンガン叩いて傷だらけにし、いくらCIAでもKGBでもこれは復元できまい(笑)と得心がいくまでぶっ壊してから、この種の廃棄物機器を無料で引き取る業者に出して処分しましたが、一括して情報を「完全消去」するには速くて、間違がないようですね。
まあ今回はアンチウィルスソフトの消去方法を試してみたということで、やっぱり処分するときは物理的にハードディスクを壊してからにしようと思います。別段国家機密はもちろん、家庭機密も個人機密もパソコンなどに入ってはいなかったし、もともとそういうものが我が家にあるかどうかも疑わしい(笑)ので、そう神経質になることはないのですが、たぶん少しこういうことに神経質というか慎重になったのは、女子大に勤めたせいかもしれません。学生さんの個人情報などが私の情報管理が杜撰なために漏れたりすると大変ですから、人並みには気を使っていたと思います。
しかし何かゼミなどで、いまはやりの地域とのコラボみたいなプロジェクトをやって、SNSなどで積極的にその経緯を発信したりするようになれば、学生さんたちの自主的で多様な活動をとてもコントロールできるものではなくて、かなりハラハラするようなことはあったように記憶しています。なんとかそういう点では大きな問題が起きることもなく、無事に10年近い勤めを終えられて幸いだったな、と思っています。
私が最初に大学に奉職したのはもう四半世紀別の民間会社で勤務したあとですから、結構歳をとってからですが、最初の新学期に配布された在学生名簿なるものには驚いた記憶があります。全学生さんの氏名と現住所(電話番号があったかどうかは記憶していませんが)、おまけに帰省先の住所まで印刷してある、いまならぜったい出せないような資料です。これが各教員の学内ボックスに配布されて、あとは教員次第で、開けっ放しの研究室の机の上にポンと放り出してあるようなのも見たことがあります。
さすがにその翌年だったか、この全在学生一覧の資料は出されなくなり、個人情報の扱いには格段の注意が払われるようになりましたが、全国でもトップクラスの(女子)学生数を誇る大学にしては、そういう面での配慮はそのころ遅れをとっていたのではないかと思います。
もっと昔のことを言えば、私は失業時代に、自分の出身校の開校以来の卒業者名簿を編纂する作業をアルバイトでやっていたことがあります。それこそ日本の代表的な国立大学のトップに近い位置にあるような大学でも、各学部が卒業者名簿をめいめい勝手に出していて、それは学内ではいつでも手に入りました。
われわれのつくる全学の名簿も、それらの学部名簿を基礎にしながら、編纂年にはまず卒業生が勤務していそうな全国の主な企業、団体等の人事に趣旨を伝えて記入用の用紙を送ります。
すると、総長名の入った依頼文書を受け取った人事課ではせっせとその事業所に勤務する卒業生をピックアップして、こちらの指示どおり卒業年度順に手書きでリストを作って返送してくれるのです。
今考えれば、よくまあ各企業の人事課がそんな協力をしてくれていたものだと思います。やはり編纂委員会の代表者か誰かが、庶務課かどこかを通じてでしょうが、総長のお墨付きをいただいていたのが効いたのでしょうか。
企業としては卒業生に来てもらいたい、というのがあるから、人事課としてむげな対応もとれないということなのかどうか。とにかく、そうやって貰った「もと原稿」にあたる各企業、団体等の人事課がつくってくれたその会社に在籍する卒業生に関する資料をもとに、今度はそれぞれの卒業生個人にはがきを送って確認をとる、というふうなことで、原稿を作成していたと思います。
はがきが届いた卒業生の幾人かからは、こんな個人情報を本人の許可もなく勤め先の人事課が勝手に書いて大学へ送るなんておかしい、と電話で異議を唱える人もありましたが、いまでこそ当たり前のそんな意見で抗議される方も当時はほとんどなく、プライバシーに関する社会一般の意識もまだその程度だったように思います。
もう半世紀ほど前のことですから、特定の大学だけが変だったわけでも何でもなくて、ようやくプライバシーの保護だとかいった考え方が広がろうとしていたころで、まだまだ実際の社会の様々な場ではそんな意識が希薄で、そんな膨大な個人情報の集積したようなものを出していても問題にされるようなこともなかったのだと思います。
もっとも私は下っ端のアルバイトとして雇用されて作業をしていただけなので、大学の事務や編纂委員会のこういった仕事の位置づけや卒業生や企業との対応のありようなどはまるで視野の外で、ただ失業の身を養うためにわずかな報酬をあてにして、それなりに一所懸命作業をしていただけで、それはそれで結構楽しかったのですが・・。
パソコンの話にもどりますが、私には秘匿しなければならない情報などほとんど無いに等しいかもしれないのですが、それでもなにか自分が人に知られることを意図しない情報が、いつのまにか全く無関係な他人にのぞき見される、なんてことが万が一にも起きれば実害はなくても、なんだか怖いような、厭な気分でしょう。
ですから、なるべく徹底的に消去(or 破壊)しておくのがいいだろうと思いますが、みなさんはパソコンを処分するときどこまでやっているんでしょうね。
きょうは大学病院へ、特定難病指定にかかわる医療・薬剤費の補助に関する申請のための医師の診断書を出してもらうための申請手続きに行ってきました。帰りに出町柳の少し南の川端通りにある鉢植えやなんかも売っている店に寄って、カメムシよけ、あるいはカメムシ退治の薬剤やら、かんきつ類やバラのための肥料や、バラにつく虫を退治する薬やら、いろいろ買ってきました。こういう店に久しぶりに行くといろいろ目について、つい衝動買いというのか、ついで買いをしてしまって、すっかり散財してしまって、6月分のお小遣いも、まだ5月だというのに、もう半分なくなってしまいました。^^;
お金がなきゃ、買わなければいいのに、やっぱり貧乏人の箱入りというのか、金銭のことをなぜか極端に息子に知らせたり話したりするのを避けようとしてきた両親の配慮?は、いまとなっては間違いだったよなぁ、と思わずにはいられないところです。
わたしは昔からお金というより、だいたい数字に弱くて、私にお金を持たせるとじきに全部使ってしまって、何にそんなに使ったのかわからない、というふうなことで学生時代に仕送りとアルバイトで暮らすようになると、始終質屋通いをして、腕時計やタイプライターや、いろんなものを持って行っては仕送りまでの日数をもちこたえる、というようなことをしていた時期がありました。
流してしまった品もあります^^; 悪いとは思いながら、「学費が払えなくて・・・」ともうちょっと、もうちょっともらえないかな、と質屋のおやじさんに虚言を弄して、まあ学生さんのことだからいいでしょう、と思ったよりたくさん借りられたこともありました。もう亡くなっているおられるでしょうが、ごめんなさいね。
お金にはだらしなかったけれど、幸か不幸か、家も金持ちとは縁遠い中小企業の典型的なサラリーマン家庭だったし、持たせられる金銭も、二月も三月もだだらしなくしていられるほどの金額ではなかったので、まじめなサラリーマンだった父の顔に泥を塗るような大事にいたったことはないけれど、困った愚息であったには違いありません。
それを思えば、私のパートナーはむろんのこと、二人の息子たちもそのパートナーもつましいながら、それぞれ自分の力で生計を立てて、まっとうに暮らしているのは、息子や嫁さんのこととはいえ、えらいなぁ、と思わずにはいられません。やはり人が生きる上で、自分の身を養う生計をしっかり立てるということがイの一番に大切なことで、それなしには自立もなにもないでしょうね。(反省・・・)
さて、きょうの夕餉です。
トマトとバジルのパスタ。トマトは戸田農園さんの。バジルはわが庭の鉢で育っているバジル。
ロールキャベツ。キャベツは上賀茂の農家のキャベツ。炊くととろけるように柔らかくなるキャベツ。
グリーンサラダ。我が家の鉢のルッコラやクレソンも活躍。
(以上でした)
saysei at 22:24|Permalink│Comments(0)│
2024年05月29日
きょうの高野川
今日は昨日から一転、快晴の京都ですが、高野川はかなり増水していました。
いつも鹿たちが草を食んだり寝そべったりしているバス停大城田町付近の向いの西岸草地はいつもの三分の一くらいの幅になって、その縁のほうは水面には出ているけれど、水に侵されていました。一度刈られて、また豊かになっていた草が、藻の海のように水面下に緑色にみえています。
きょうの段差の滝はかなり幅広く白い泡ができる激流のようになっていて、これを上流のほうへ跳躍して上がってお山へ帰るのはオトナの鹿でも困難でしょう。少し水深があり、流れが速いと、鹿の脚では立っていられず、流されてしまうでしょう。
いままでの経験では、昨日のような雨が降ることを鹿の群れはなぜか正確に予想できるらしくて、ちゃんと事前にお山に帰っていきます。だからオトナの鹿は問題ないのですが、私が見た赤ちゃん鹿はとても比叡山や北山で生まれて、この川へ降りてきたとはとても思えないほど幼く、体もしゃんとしていなかったので、きっとこの高野川の河川敷で生まれたのだろうと推測しています。
そうするとあんなに幼いからだで、天気の良い日であっても、段差の滝を逆に上流へ跳びこえてクリアし、山へ帰るなんて芸当がきるのだろうか、とかなり心配になります。先日ここにいた8,9頭のおとな牝鹿たちはみな山へ帰ったでしょうから、もしその中にあの仔鹿のママがいたら、ほうっていくことはないでしょうから、きっと何らかの避難の回路を見出しているのでしょう。そういうちょっとした自然の秘密は、かえってわれわれ人間にはわかりにくいですね。どこかに段差の滝をいかなくてもよい経路があるのかもしれません。
これは松ヶ崎橋からその南側のすぐ近くを撮ったものです。この右側の水が草のあいだにはいりこんでいるあたりも、いつもなら豊かな草地です。一日降っただけでこうですから、続けて2日も3日も降ったら草地はみな隠れてしまいます。
きょう上賀茂の戸田農園さんの自動販売機でゲットしてきた3個300円のトマト。まっかっかで、ほんとにおいしそうでしょ?実際、甘くジューシーでとてもおいしいです。
これはいつも野菜の出し方(自動販売機のボックスへの入れ方)がいい加減というのか、細かいことを気にせずに一律100円で、野菜名も書かずほうりこんでいる、われわれが「ずぼらおじさん」と呼んでいるおじさんの販売機に入っていた3本のキュウリのうちの1本。あとの2本はまっとうなキュウリでした、念のため。これは面白がって私が買ってきたのです。「6」の字きゅうり。もろきゅうとして味噌をつけていただきます。
今日の夕餉のメインは酢豚。大西さんの豚肉はとてもおいしい。
タンパク質が酢豚だけでは不足するから、と2品目。鶏の胸肉の酒蒸し。それを我が家のプランターや鉢でいま盛んに成長している、ルッコラ、クレソン、パクチー、それに玉ねぎの束と一緒に、からし醤油をちょっとつけていただきます。ハーブの好きな私たちにはこたえられない美味さ。
きゅうり、たまねぎ、セロリ、かにかまぼこのサラダ。
レタス入りの水餃子(スープ)
糠漬けとキムチ
(以上でした)
saysei at 22:36|Permalink│Comments(0)│
2024年05月28日
またひとつ新たなブログをはじめました(笑)
いままでこのlivedoor Blogのシステムを借りて6つの異なるブログ(すべてHPに集約していますが)を並行して(ときに長くご無沙汰しつつ)書いてきましたが、きょうまた新たに一つ、「気の向くままに」というブログをはじめました(笑)
いつもブログ日記を書いて、自分が管理している6つのブログについては書いても書かなくても毎日意識してはいたのですが、そのマイページの一番下のところに、「新たなブログをつくる」というボタンがあって、いつも、これって、いくつまで無料で増やしていけるんだろう?と気になっていたのです。分類できるジャンルが多ければ、自分が思い付きを出鱈目に書いても、別々のブログに振り分けて目次を別途作ってHPで一括管理すれば、自分の過去に書いたものを参照するうえで、はなはだ便利です。
私は自分の書くものでも、全然おぼえていなかったりするので、かすかに残った手掛かりをもとに、そういえば前に何かこれについて書いたことがあったなぁ、なんてことで参照することはすこぶる多いので、そういうたくさんの種類のブログを無料でアップしておけるのは本当に便利です。
今回はエッセイなので「気が向くままに」というタイトルにしましたが、歴史(テレビの大河ドラマなんかも含めて)や文学にかかわりのあることで、なにかちょっと調べて書いたりしたものを整理しておくと少しあとで参照するにも便利だな、というので始めました。みんなこの基本の日記に書いたものを単に同じジャンルにくくってあらためてアップロードしただけですが、それはそれで自分にとっては意味があるわけです。もちろん読者は自分以外にはほとんどいないとは思いますが(笑)、それでも自分にとってこんなことを考えたり読んだり見たりして書いてみることが何より好きなので、それなりにとても役に立っているというわけです。
先日来ここに載せて、結果的には日の異なるところにバラバラにアップしてそれかぎり忘れられていく記事の中に、例えばNHKの「光る君へ」に関連して道長や伊周や道綱の母について書いたものがあるので、それをこういうエッセイのブログにまとめていますので、もしもそんな記事に興味を持ってくださるような方があれば、多少は便利にお楽しみいただけるのではないかと思います。
きょうの夕餉
からし豆腐
天ぷら(ソラマメ、シイタケ、アスパラ、鶏胸肉の梅紫蘇巻き)
鮭カマの塩焼き
賀茂茄子のから揚げの味噌かけ
モズクきゅうり酢
きゅうりとコールラビの糠漬け
ロメインレタス、コールラビ、おあげの味噌汁
(以上でした)
今日は一日中、本格的な雨で、早朝にゴミ出しに団地のごみ集積場まで往復した以外は一歩も外には出ませんでした。ドラマ「光る君へ」に触発されて道長や伊周、道綱の母などについて書いたブログの文を集めてあらたな歴史・文学関連のエッセイ・ブログ「気の向くままに」を立ち上げ、目次やHPの修正をしたり、古いパソコンの中の情報をほぼ外付けHDやごく一部は新しいパソコンに移転できたようなので、古いパソコンに残っているファイルを全部消滅させようと、とりかかっているところです。アンチウィルスソフトの完全消去アプリが使えるのですが、消したうえ7度も上書きするというので、やたらと時間がかかるようです。ほんとうはそこまでして完全消去しなくてはいけない「機密情報」などもともと持ち合わせていないのですが、なんでもない記事でも、万が一偶然にもまったくの他人さんの目に触れることがあるとすれば、あまり気持ちの良いものではないので、消せるものなら復元できないもっとも高度な消去方法で消すのがよかろうかと始めたのですが、今諸居中の「すべての画像」は5万点前後もあったので、ズーッとやっていても、まだ6%とか表示されていて、一晩以上はかかりそうです。これで一つのフォルダーにはいっているだけの情報ですから、そのあとのことまで考えると、このパソコンが完全に動かなくなるのと、消せるのとどっちが速いか、という感じですね。
先日自転車で転倒して5~6か所、擦り傷を負ったところは、1か所を除いて、ほぼほぼなおったようです。ただ右足首の脛側の傷は少々深かったとみえて、一昨日までシャワーをあびたあとでガーゼを替えようとすると、白い膿状の汁が固まったようなのが結構たくさん出ていて、周囲も赤く腫れていたので、大丈夫かなぁと危惧していましたが、毎日シャワーで流水をかけてその膿を取り除き、処方の薬を塗って手当してきたかいあって、昨日、きょうと、少しずつ膿らしきものの出る量が少なくなっているようでホッとしています。皮膚科の先生も慎重で、私がたくさん薬剤を飲んでいるので、抗生物質を出そうとはされないので、ひたすら水で洗って、菌の感染だけ防ぐクリームを塗って、あとは自然治癒力に任せているだけですが、案外それは正解なのかもしれません。
ステロイドも抗繊維化薬も傷がなおりにくい原因なのですが、ステロイドをやめるわけにいかないし、前回の低温やけどの折の主治医の措置に倣って、抗繊維化薬だけちょっとの間服用をひかえていたのですが、昨夜からはまた服用を再開しました。傷がどんどんひどくなる状態だと別ですが、治る兆候が見えれば、命にかかわるメインの治療は胸のほうなので、こちらは治るわけじゃないけれど、新たな炎症の発生や繊維化の進行を抑え、なんとか現状維持するために、そのための薬剤はできるだけ服用しないと、そちらのほうで致命的なことが突然起きるリスクがあるので、早々に再開が必要だと考えた次第です。基本的には主治医の指示で動いているのですが、定期検査や診察のあいだにいろいろなことが起きると、総合的に自分で状況と自分の身体状況を判断して自主的に判断するしかないことも少なくありません。こういうときは自分の責任において、「半知の医」でできるかぎりやってみるほかはありません。
昨日は少し微熱(36°9’)があって、おや?足の腫れや炎症のせいかな、とも思ったのですが、きょうはいつもの36°3~4'に戻っていました。咳がこのところ、やや変質しているのと、頻繁に咳くと胸が物理的に痛くなってしまうようなので、やむを得ずコデインリン酸塩散を飲むようにしています。これはよくきく強い咳止めですが、飲めば一服で見事にお通じがとまってしまいます。それを再開させるためにまた緩下剤のマグミット(腸の水分を増やして出やすくするだけのやわい薬ですが)を多めに飲むほかはなくなります。あちらを立てればこちらが立たず、また薬剤が増えて、難儀が増えて・・・という悪循環ですが、自転車での転倒は自業自得ですから仕方がありません。
今日は高野川の水も増えているでしょう。2,3日つづくと草原が水につかってしまうかもしれないので、もし赤ちゃん鹿が泊まり込んでいるとすればピンチです。雨は明日は上がるようだから、大丈夫だとは思いますが、このごろ雨の降り方も異常ですから心配です。前に一度、豪雨で水かさが増えて母親と離れ離れになり、孤立した仔鹿(今回の赤ちゃんよりだいぶ大きくなっていた仔鹿でしたが)が私たちの見守る目の前の崖のところで蹲ったまま死んでいったのを見ているので、二度とああいう目にあう仔鹿がいてほしくないのですが・・・
いつもブログ日記を書いて、自分が管理している6つのブログについては書いても書かなくても毎日意識してはいたのですが、そのマイページの一番下のところに、「新たなブログをつくる」というボタンがあって、いつも、これって、いくつまで無料で増やしていけるんだろう?と気になっていたのです。分類できるジャンルが多ければ、自分が思い付きを出鱈目に書いても、別々のブログに振り分けて目次を別途作ってHPで一括管理すれば、自分の過去に書いたものを参照するうえで、はなはだ便利です。
私は自分の書くものでも、全然おぼえていなかったりするので、かすかに残った手掛かりをもとに、そういえば前に何かこれについて書いたことがあったなぁ、なんてことで参照することはすこぶる多いので、そういうたくさんの種類のブログを無料でアップしておけるのは本当に便利です。
今回はエッセイなので「気が向くままに」というタイトルにしましたが、歴史(テレビの大河ドラマなんかも含めて)や文学にかかわりのあることで、なにかちょっと調べて書いたりしたものを整理しておくと少しあとで参照するにも便利だな、というので始めました。みんなこの基本の日記に書いたものを単に同じジャンルにくくってあらためてアップロードしただけですが、それはそれで自分にとっては意味があるわけです。もちろん読者は自分以外にはほとんどいないとは思いますが(笑)、それでも自分にとってこんなことを考えたり読んだり見たりして書いてみることが何より好きなので、それなりにとても役に立っているというわけです。
先日来ここに載せて、結果的には日の異なるところにバラバラにアップしてそれかぎり忘れられていく記事の中に、例えばNHKの「光る君へ」に関連して道長や伊周や道綱の母について書いたものがあるので、それをこういうエッセイのブログにまとめていますので、もしもそんな記事に興味を持ってくださるような方があれば、多少は便利にお楽しみいただけるのではないかと思います。
きょうの夕餉
からし豆腐
天ぷら(ソラマメ、シイタケ、アスパラ、鶏胸肉の梅紫蘇巻き)
鮭カマの塩焼き
賀茂茄子のから揚げの味噌かけ
モズクきゅうり酢
きゅうりとコールラビの糠漬け
ロメインレタス、コールラビ、おあげの味噌汁
(以上でした)
今日は一日中、本格的な雨で、早朝にゴミ出しに団地のごみ集積場まで往復した以外は一歩も外には出ませんでした。ドラマ「光る君へ」に触発されて道長や伊周、道綱の母などについて書いたブログの文を集めてあらたな歴史・文学関連のエッセイ・ブログ「気の向くままに」を立ち上げ、目次やHPの修正をしたり、古いパソコンの中の情報をほぼ外付けHDやごく一部は新しいパソコンに移転できたようなので、古いパソコンに残っているファイルを全部消滅させようと、とりかかっているところです。アンチウィルスソフトの完全消去アプリが使えるのですが、消したうえ7度も上書きするというので、やたらと時間がかかるようです。ほんとうはそこまでして完全消去しなくてはいけない「機密情報」などもともと持ち合わせていないのですが、なんでもない記事でも、万が一偶然にもまったくの他人さんの目に触れることがあるとすれば、あまり気持ちの良いものではないので、消せるものなら復元できないもっとも高度な消去方法で消すのがよかろうかと始めたのですが、今諸居中の「すべての画像」は5万点前後もあったので、ズーッとやっていても、まだ6%とか表示されていて、一晩以上はかかりそうです。これで一つのフォルダーにはいっているだけの情報ですから、そのあとのことまで考えると、このパソコンが完全に動かなくなるのと、消せるのとどっちが速いか、という感じですね。
先日自転車で転倒して5~6か所、擦り傷を負ったところは、1か所を除いて、ほぼほぼなおったようです。ただ右足首の脛側の傷は少々深かったとみえて、一昨日までシャワーをあびたあとでガーゼを替えようとすると、白い膿状の汁が固まったようなのが結構たくさん出ていて、周囲も赤く腫れていたので、大丈夫かなぁと危惧していましたが、毎日シャワーで流水をかけてその膿を取り除き、処方の薬を塗って手当してきたかいあって、昨日、きょうと、少しずつ膿らしきものの出る量が少なくなっているようでホッとしています。皮膚科の先生も慎重で、私がたくさん薬剤を飲んでいるので、抗生物質を出そうとはされないので、ひたすら水で洗って、菌の感染だけ防ぐクリームを塗って、あとは自然治癒力に任せているだけですが、案外それは正解なのかもしれません。
ステロイドも抗繊維化薬も傷がなおりにくい原因なのですが、ステロイドをやめるわけにいかないし、前回の低温やけどの折の主治医の措置に倣って、抗繊維化薬だけちょっとの間服用をひかえていたのですが、昨夜からはまた服用を再開しました。傷がどんどんひどくなる状態だと別ですが、治る兆候が見えれば、命にかかわるメインの治療は胸のほうなので、こちらは治るわけじゃないけれど、新たな炎症の発生や繊維化の進行を抑え、なんとか現状維持するために、そのための薬剤はできるだけ服用しないと、そちらのほうで致命的なことが突然起きるリスクがあるので、早々に再開が必要だと考えた次第です。基本的には主治医の指示で動いているのですが、定期検査や診察のあいだにいろいろなことが起きると、総合的に自分で状況と自分の身体状況を判断して自主的に判断するしかないことも少なくありません。こういうときは自分の責任において、「半知の医」でできるかぎりやってみるほかはありません。
昨日は少し微熱(36°9’)があって、おや?足の腫れや炎症のせいかな、とも思ったのですが、きょうはいつもの36°3~4'に戻っていました。咳がこのところ、やや変質しているのと、頻繁に咳くと胸が物理的に痛くなってしまうようなので、やむを得ずコデインリン酸塩散を飲むようにしています。これはよくきく強い咳止めですが、飲めば一服で見事にお通じがとまってしまいます。それを再開させるためにまた緩下剤のマグミット(腸の水分を増やして出やすくするだけのやわい薬ですが)を多めに飲むほかはなくなります。あちらを立てればこちらが立たず、また薬剤が増えて、難儀が増えて・・・という悪循環ですが、自転車での転倒は自業自得ですから仕方がありません。
今日は高野川の水も増えているでしょう。2,3日つづくと草原が水につかってしまうかもしれないので、もし赤ちゃん鹿が泊まり込んでいるとすればピンチです。雨は明日は上がるようだから、大丈夫だとは思いますが、このごろ雨の降り方も異常ですから心配です。前に一度、豪雨で水かさが増えて母親と離れ離れになり、孤立した仔鹿(今回の赤ちゃんよりだいぶ大きくなっていた仔鹿でしたが)が私たちの見守る目の前の崖のところで蹲ったまま死んでいったのを見ているので、二度とああいう目にあう仔鹿がいてほしくないのですが・・・
saysei at 19:10|Permalink│Comments(0)│
新しいパソコンさくさく
右が何度も電源をOn-Offしているうちに、まだかろうじて起動できる故障パソコン、左が今回長男にもらった新しいパソコンで、自動的に旧パソコンのアプリ等を全部吸い上げて、すぐ使えるようになりました。プロバイダーとの接続もまったく新たに何もしなくても、メールにもウェブサイトにもこれまでと全く同じにアクセスでき、当然常用の閲覧先もそのまま取り込まれているので、新たに何も手順をふまなくても利用できました。今はそれが当たり前なのかもしれませんが、もうパソコンを変えるなんて5,6年以上も前のことなので、その間のこの種の技術的な進化をまったく知らなかったので、驚いています。以前は更新しようと思えば、けっこうな手間も時間もかかっていました。
昨日苦労したのはサブスク契約しているアンチウイルスソフトの導入(3台目に新パソコンを加えて保護させる手続き)で、ログインしたり、ソフトをダウンロードしたり、それを解凍したりするたびにシリアル番号やらパスワードやらが必要なのですが、それがたまにうまくいくときもあれば、何度やってもうまくいかないことがあって、時間がかかり、とうとうそのソフトを管理する会社のチャットヘルプを使ったのですが、シリアル番号を入力すると、そういう番号はありません、再度ご確認ください、という指示で、こちらはもう何度確認したかわからん、などとぼやきながら、じゃその番号をここへ書くからね、とチャットで知らせると、やはり、その番号は存在しません・・・!そんなあほなことないやろ、と思って、今度は自分がずっと以前にシリアル番号を確認したときにコピーしてファイルで残していたのをコピペして送ったら、その番号ならございます・・・!2文字目が違っていたようです、との返事。えっ?と思ってよくよく確認すると、PPで始まる番号を、手書きで記録していたほうは、PRと誤って記述していたのでした ^^; しかもノートの別のページには正しくPPと記録した箇所もあって、自分で正しいのと間違ったのと2通りの記録を残していて、今回は間違ったほうを見ながら入力して、ずっとこれでやってきたんだから!と思い込んで、そんなはずないだろ、と繰り返しやってダメなのでほとほと頭に血がのぼっていたというわけでした。
PPの次の文字との間の隙間がほとんどないので、この2文字目をRに見まちがえる可能性は確かに高いのですが、それはこちらの目が悪いのと、思い込みが激しいせいで、もちろん誰も責められないことだから自業自得。こういうことが確かに格段に増えましたね。パートナーは、それは歳のせいではなくて、あなたは若いころからそうですよ、というのですが、やっぱり加齢に従って明らかに増えてはいると思います。まあ、手間がかかったのは、自動的には新しいPCに吸い上げられていなかったアンチウイルスソフトの導入の際の、自分の思い込みの誤りによるこのケースだけで、あとは何の苦もなく従来のアプリが自動的に新しいPCにインストールされた状態になってくれたので、まったくなにも手間をかけずにすぐ使うことができました。
自分が撮った写真や作成した文書のファイルなども、クラウドのほうへ記憶させておいたら、自動的に新しいPCに吸い上げてくれていたようですが、私はPCのドキュメント領域にファイルとして保存していたので、これは自動的には吸い上げてくれていなかったので、外付けハードディスクの安いのを買って、昨日ほとんど全部コピーしました。その多くは、新たなPCに保存する必要はないので、そのまま外付けHDに保存しておけばよいわけです。そのときに前のパソコンのスタートから「フォト」というのを選んで、「すべての画像」をクリックすると、これまで取ってPCに保存していた様々なフォルダの中に含まれる画像が、画像自体としてバラバラにされて、そこに時間順に全部一覧されるので驚きました。全部の画像が表示されると、ほとんど5万枚近い写真があったようです。しかしデジタルデータの容量としてはたいしたことはなくて、多少時間はかかりましたが、昨日、無事にすべて外付けHDに収まりました。
こんな写真、とっておかなくてもいいようなものがほとんどだし、もう使う機会も(自分の残りの生きる時間を考えれば)ないとは思うのですが、たまたまそうして全部ざぁーっと眺めていくと、もう忘れていた過去のあるシーンや人物や、あるいは文化施設の内容などが出てきて、それはそれですべて自分が撮影したものですが、それなりに思い出すこともあって、あらためて新鮮に感じられたところもあったので、ごくたまにざーっとこうして眺めてみるのもいいな、と思って、とっておこうと思いました。
昨日の夕餉
昨日は「きょうの夕餉」もアップせずに寝てしまいましたが、昨日の夕餉のメインディッシュは、このミラノ風カツのディルのせ。ディル、ルッコラ、クレソンは庭のプランターや鉢でいままさに絶好長で育っているハーブです。ジャガイモとロメインレタスは上賀茂の野菜自動販売機でゲットしてきた野菜。ロメインレタスは生野菜のサラダとして毎日のようにいただいていますが、こんな使い方をしてもおいしいですね。
今年初物のとうもろこし、あとは上賀茂野菜のソラマメ、キュウリ、ブロッコリ、エンドウ豆、コールラビ(キャベツとカブの掛け合わせでできた野菜らしいです)など。ディップの下のはハーブを入れたいつものヨーグルト・マヨネーズソースですが、その上のは、パートナーが初めて試みたナスのディップで、これがとてもおいしかった。賀茂茄子をなんでもかんでも砕いてしまえる昔のミキサーの小型簡易版みたいな小道具(名前が出てこない)ですり下ろして、あれこれ微量の要素を加えて素敵なディップにしたみたいですが、私には結果しかわからない(笑)
あとは前菜に戸田さんちのトマトのこういうの(これも名前知らず、聞き忘れましたが・・)。
昨夕は長男も一緒の夕食でした。先日彼にプレゼントしてもらったパソコンは私の希望で一体型なのですが、いまは一体型はなにもかも狭いスペースに詰め込んでいるから故障が多いと考えられて、あまり評判がよくなくて、ネットで販売している種類もごく少なくて、10万円以下の手ごろな価格のはほとんどこれしかなかったようです。私は中古品のごく安いのしか見ていなかったので、そんな高いのを申し訳ないなと思いましたが、使い心地は上々で、よほど不運でなければ、これが私の使い収めのパソコンになるでしょうから、愛用させてもらおうと思っています。今の私の作業台が、やや厚い一枚板の、幅の狭い長めのを、長い辺の一方を壁に固定して机代わりにしたものなので、穴も開いていないから本体を下において短い線でディスプレイその他と配線することもできないし、置くスペースも狭いので、ディスプレイを置くと、もう別途本体を置くことはちょっと難しい。それでいま故障したパソコンもネットで見て中古の一体型をたしか3万円くらいで購入したのだったと思います。もう5,6年以上使っていると思うから、中古品にしては致命的な故障もなく(もうUS」もアップせずに寝てしまいましたが、昨日の夕餉のメインディッシュは、このミラノ風カツのディルのせ。ディル、ルッコラ、クレソンは庭のプランターや鉢でいままさに絶好長で育っているハーブです。ジャガイモとロメインレタスは上賀茂の野菜自動販売機でゲットしてきた野菜。ロメインレタスは生野菜のサラダとして毎日のようにいただいていますが、こんな使い方をしてもおいしいですね。

今年初物のとうもろこし、あとは上賀茂野菜のソラマメ、キュウリ、ブロッコリ、エンドウ豆、コールラビ(キャベツとカブの掛け合わせでできた野菜らしいです)など。ディップの下のはハーブを入れたいつものヨーグルト・マヨネーズソースですが、その上のは、パートナーが初めて試みたナスのディップで、これがとてもおいしかった。賀茂茄子をなんでもかんでも砕いてしまえる昔のミキサーの小型簡易版みたいな小道具(名前が出てこない)ですり下ろして、あれこれ微量の要素を加えて素敵なディップにしたみたいですが、私には結果しかわからない(笑)

あとは前菜に戸田さんちのトマトのこういうの(これも名前知らず、聞き忘れましたが・・)。
昨夕は長男も一緒の夕食でした。
先日彼にプレゼントしてもらったパソコンは私の希望で一体型なのですが、いまは一体型はなにもかも狭いスペースに詰め込んでいるから故障が多いと考えられて、あまり評判がよくなくて、ネットで販売している種類もごく少なくて、10万円以下の手ごろな価格のはほとんどこれしかなかったようです。私は中古品のごく安いのしか見ていなかったので、そんな高いのを申し訳ないなと思いましたが、使い心地は上々で、よほど不運でなければ、これが私の使い収めのパソコンになるでしょうから、愛用させてもらおうと思っています。
今の私の作業台が、やや厚い一枚板の、幅の狭い長めのを、長い辺の一方を壁に固定して机代わりにしたものなので、穴も開いていないから本体を下において短い線でディスプレイその他と配線することもできないし、置くスペースも狭いので、ディスプレイを置くと、もう別途本体を置くことはちょっと難しい。それでいま故障したパソコンもネットで見て中古の一体型をたしか3万円くらいで購入したのだったと思います。もう5,6年以上使っていると思うから、中古品にしては致命的な故障もなく(もうUSBソケットやDVDドライブが機能しないとか部分的にはいろいろ故障したままでしたが)よくまあここまでもったなぁ、とありがたく思っています。
先日彼にプレゼントしてもらったパソコンは私の希望で一体型なのですが、いまは一体型はなにもかも狭いスペースに詰め込んでいるから故障が多いと考えられて、あまり評判がよくなくて、ネットで販売している種類もごく少なくて、10万円以下の手ごろな価格のはほとんどこれしかなかったようです。私は中古品のごく安いのしか見ていなかったので、そんな高いのを申し訳ないなと思いましたが、使い心地は上々で、よほど不運でなければ、これが私の使い収めのパソコンになるでしょうから、愛用させてもらおうと思っています。
今の私の作業台が、やや厚い一枚板の、幅の狭い長めのを、長い辺の一方を壁に固定して机代わりにしたものなので、穴も開いていないから本体を下において短い線でディスプレイその他と配線することもできないし、置くスペースも狭いので、ディスプレイを置くと、もう別途本体を置くことはちょっと難しい。それでいま故障したパソコンもネットで見て中古の一体型をたしか3万円くらいで購入したのだったと思います。もう5,6年以上使っていると思うから、中古品にしては致命的な故障もなく(もうUSBソケットやDVDドライブが機能しないとか部分的にはいろいろ故障したままでしたが)よくまあここまでもったなぁ、とありがたく思っています。
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