2024年02月

2024年02月29日

「観経疏」と「選択本願念仏集」

 きょうは法然さんが専修念仏を唱道する上でもっぱら依拠した善導大師の「観経疏」を読みました。最初の玄義分の中で、観経の成り立ちが述べられています。
 釈迦が衆生を救済しようとしたが、衆生にとってはハードルが高くて悟りを求めても得られず、いろいろ修行のやり方はあっても、どれもまっとうできない。たまたま韋提希(いだいけ。ヴァイデーヒー。マガダ国王ビンビサーラの王妃)が、私も浄土に往生したいので、その方法を教えてほしいと請うたことから、釈迦は広く浄土の要門を開き、阿弥陀仏は弘願による往生への道を開かれた、と。
 要門とは「観経」(観無量寿経)にいう定善・散善の功徳を積むことで往生する道、弘願は「大経』(無量寿経)の説くとおり、阿弥陀仏の本願によってすべての凡夫が往生できる道。
 語彙の解説があって、「無量寿」は漢音で「南無阿弥陀仏」は西国(印度)の正音だと言い、意味するところは、「南」は「帰」、「無」は「命」、「阿」は「無」、「弥」は「量」、「陀」は「寿」、「仏」は「覚」であるので、南無阿弥陀仏で「帰命無量寿覚」の意で、「無量寿」は弥陀のさとった法、「覚」はさとった人を指し、人と法を並び表現するので阿弥陀仏と名づけるのだそうです。知らなかったぁ(笑)
 まっとうな解脱の方法である釈迦の示した要門というのは、具体的には「観想」にいたる「思惟」と、精神を集中させる「正受」(なんとか三昧という時の「三昧」)で、「観経」では十三の観想のやり方について釈迦が懇切丁寧に説明していきますが、あほらしいと思わずに読んでいくと、日想観からはじまって、水の観想へ、そして氷の観想、青玉の観想・・・と次々に詩的な観想の説明がなされていて美しい場面です。

 それはしかし、とても私のような凡夫では、いくらトレーニングしたって不可能なことに思える、非常に高度の精神の技術を要することのようにみえます。そこで阿弥陀仏の弘願の登場というわけです。そういう高度なことができるような人は品格ランキングで言うと「上品上生」、次のランクが「上品中生」、その次が「上品下生」、それから「中品上生」「中品中生」「中品下生」ときて、いよいよラストは「下品上生」「下品中生」「下品下生」ときて、最後の「下品下生」の者ともなれば、親を殺すようなの迄含む五逆罪と十種の悪行を犯すなど種々の悪行を重ねて地獄のあの世で繰り返し苦しむほかないような輩ですが、彼等は仏を念ずることもできない。けれどもその彼等でさえ無量寿仏よ、と称え、心から声を絶やさないようにして「南無阿弥陀仏」と仏の名を称え続けるうちに、八十億劫の間、生と死の輪廻に囚われて逃れられなかった罪を免れるのだ、といいます。

 こんな風にたどっているときりがありませんが、この「観経疏」にはオイディプス王のような父王殺しの王の有名な逸話も、白道の譬も出て来て、物語としても面白いところがあります。

 きょうこれを読んだあとで、もう一度法然さんの「選択本願念仏集」を読んでいたのですが、法然さんは理論的には専ら善導の思想を受け継いでいたんだな、というのがとてもよく分かりました。ただ、法然さんが専修念仏の所へ絞って行く論理は狭い(偏りをもつ)かもしれないけれど、非常に尖鋭的で  冴えた論理だなあと感心もしました。

きょうの夕餉

★子持ちカレイ
 子持ちカレイの煮つけ

★フロフキダイコン
 フロフキ田楽

★白菜のコールスロー
 白菜のコールスローサラダ

★豚汁
 豚汁

★ホウレンソウ
 ホウレンソウのお浸し

★もずく
 モズクきゅうり酢

(以上でした)











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2024年02月27日

映画「心中天網島」

 ずいぶん古い映画で1969年の封切だったようですが、いつかテレビで放映したのでしょう、ビデオテープに録画して本棚の隅に眠っていたのを、このところお経やら法然さん、親鸞さんと抹香臭いのばかり読んでいたので、何か気分転換にと思って、そういえばこれ、まだ見ていなかったなと思って見ることにしました。岩下志麻という女優さんが苦手というのか、女優として好きじゃなかったし評価もしていなかったのと、彼女の旦那でこの映画の監督である篠田正浩監督の作品で見た映画何本かのうち、いいと思ったのは「瀬戸内少年野球団」だけだったこともあって、録画はしておいたものの、半世紀近く手に取る気がしなかったというのが正直なところ。

 でもこの作品で小春とおさんの二役をやった岩下志麻は悪くなかった。むしろ熱演だったと言ってもいいでしょう。とくにおさんが良かった。
 富岡多恵子に音楽を担当した武満徹までが脚色に加わり、粟津潔さんが美術を担当して、かなり実験的な試みをした作品だったんだな、と思います。画面にほとんど常時、文楽の「黒子」が何人も登場して、最後は治兵衛の首くくりを手伝ったり(笑)、大いに活躍していました。屋内だった舞台の書割の襖か何かが回転するか除去されるかすると、そこは吉原であったり、映画のカットでフィルムをつないでいくのではなくて、歌舞伎のように舞台の仕掛けで場面が変わったりするのは面白かったし、そういう舞台で粟津さんの美術も生きていました。
 大勢の生身の登場人物が一瞬動きをとめて動かぬ人形と化す中を、黒子に操られる人形のように、主人公たち主要人物だけが動いて物語を紡ぎ出していく、という趣向なのでしょう。
 演出の考え方としては理解できるし、面白い実験だとは思うけれど、結果的には必ずしもうまくいっていないようです。それはやはり生身の人間(俳優たち)を動かす文法と、人形を動かす文法が根本的に異なることがちゃんと計算に入っていないからだろうという気がします。

 話が飛ぶようですが、以前に国立民族学博物館の展示評価の仕事を請け負って、幾人かの専門家らとともに何度か民博の二つの展示場を様々な観点から徹底して見てまわったときに思ったのは、梅棹忠夫さんが当初、展示場の内部でスタティックな展示物と映像とを共存させない、という厳格なポリシーを貫いて展示設計していたのに、後にその原則を破って、展示場の中にいくつも映像装置を入れて動画を見せていたのが、ことごとく失敗して、展示そのものが劣化してしまっている、ということでした。

 これも実物と映像とでは来館者の受け止める文法が基本的に異なるので、それを無視して同居させても決してうまくいかないことを立証するものでした。同居させる場合には、よほど根底から両者のありようを考えてもう数段高い視点から二つの全く異なる文法をひとつに統合する方法を考えないと無理なのです。

 この映画でも、そこまでは考えられていないし、結局黒子はきれいさっぱりいない方がよかったと思います。
 近松のようなもともと人形浄瑠璃であった演目を映画化しようというときは、どうしてもこういう試みをしてみたくなるのでしょうが、たいていはあまりうまくいかないものです。むしろ「近松物語」(1954.溝口健二)のように完全に映画の文法に徹して撮るほうがいいのです。

   増村保造の「曽根崎心中」(1978)はまったく映画の文法で撮られているけれど、宇崎竜童や梶芽衣子のある意味で「人形的」な、意図的な様式化された演技と、物語の進行や人物の動作、カットやシーンの切り換えに内在化された独特のリズム感というのかテンポのありようが、浄瑠璃の起源から発するような趣があって、これは見事に成功していたと思います。

 さらに実際の人形と人形遣いによる文楽のセットを野外に組んで宮川一夫が撮った、栗崎碧監督の「曽根崎心中」(1981)は文楽の文法に徹しながら、舞台記録にとどまらない<劇>を映像に焼き付けることに成功していて、これは全く評価できないおバカな映画評論家もいたけれど、浄瑠璃と映画の組み合わせという面から見れば出色の出来だったと思います。

 篠田のこの作品も生身の俳優の演技を増村作品のように様式化するほうが、まだしも黒子を登場させた意図に添うことができたのではないかと思いますが、そちらのほうはもろに映画的なリアリズムで押してしまっているために、ラストの心中直前の男女の絡みなども何か薄汚いものに見えてしまい、近松がせっかく義理と人情の矛盾を極限まで追いつめた美学を台無しにしてしまいました。


きょうの夕餉

★豚のホルモン風鍋
 豚のホルモン風鍋

★エビフライ、トンカツ、マカロニサラダ
 エビフライ、トンカツ、マカロニサラダ(昨夕ののこり)

★菜の花の辛子酢味噌
 菜の花の辛子酢味噌和え

★手羽先鵜卵大豆の煮物
 手羽先、鶉卵、大豆の煮物(昨夕ののこり)

★小松菜とキノコのおひたし
 小松菜とキノコのおひたし(昨夕ののこり)

★アラメの五目煮
 アラメの五目煮

昼のビビンバ
 これはお昼に食べたビビンバ
(以上でした)

 きょうは先日ざっと斜め読みしていた法然さんの『選択本願念仏集』をもう一度最初からじっくり読んでいました。これもほとんどが先学たちからの引用で、それに私釈を添えたという感じの著作なので、読んでいると、もとの善導やら道綽やらが読みたくなってきます。真宗関係のウェブサイトにかなり漢字かな交じり文にしたのが出ているようなので、少し覗いてみようかと思っています。

 浄土三部経の一つで、法然や親鸞が拠り所とする経典のひとつ『観無量寿経』は、基本的には観想(仏の姿をクリアに想い浮かべる)の手引きで、実際にこのとおりやれるかというと、少なくとも普通の人には無理だろうと思われるようなことが事細かに書いてあります。そのあげくに、浄土へ行きたい者の内、一番行けそうもない悪行を犯し、不善を行なってきたような「下品下生(げぼんげしょう)の者」でも浄土へ行ける可能性があると言って、とても仏を念ずる(思いうかべ、観想する)ことはできそうもないから、それなら「無量寿仏よ、と称えなさい」と、そうすれば罪から逃れられるのだという言い方がされています。やはりもともとは、阿弥陀の名を称える称名念仏は、浄土へ行くためのひとつの方便だったのだろうと思います。本来は観想すべきなのに、それもできない者のための方便。法然や親鸞はそれを絶対化したのでしょうかね。

 「汝よ、もし(仏を)念ずるあたわざれば、まさに無量寿仏(の名)を称うべし」と。かくのごとく、至心に、声をして絶えざらしめ、十念を具足して、<南無阿弥陀仏>を劫称えしむ。仏の名を称うるがゆえに、念々の中において、八十億劫の生死の罪を除き、命終る時、金蓮華の、なお日輪のごとくにして、その人の前に住するを見ん。一念の頃(あいだ)のごとくに、すなわち極楽世界に往生することをえ、蓮華の中において、十二大劫を満ちて、蓮華まさに開く。・・・
  (お前がもし仏を念ずることができないのなら、無量寿仏よ、と称えなさい。」と。このようにしてこの者は心から声を絶やさぬようにし、十念を具えて、南無阿弥陀仏と称える。仏の名を称えるのであるから、一念一念と称える中に、八十億劫の間かれを生と死に結びつける罪から免れるのだ。命の終るとき、日輪に似た黄金の蓮華がかれの目の前にあらわれ、一瞬のうちに<幸あるところ>という世界に生れる。蓮花の中にあること十二大劫を過ぎて蓮花は花開く。)[中村元、早島鏡正、紀野一義訳注、岩波文庫『浄土三部経(下)』より]



saysei at 22:10|PermalinkComments(0)

2024年02月26日

ホタルイカ

★ホタルイカの酢味噌和え
  昨日の夕餉の食卓に出されたホタルイカ、わが家の今年の初物でした。まだ小粒で味ももう一つでしたが、これが出てくると、いよいよ春近し、という感じです。例年はどうだったか、このブログの過去記事をホタルイカで検索してみたら、ほとんどみな3月に入ってからでしたから、今年は少し早いようです。例年も同じ頃出ていても値段がまだ高くて買えなかったのかもしれませんが、でもやはり今年は温かいようですから、例年より早いのだろうという気がしています。
  これとあとカマスゴが食卓に上ると、春本番です。

★シイタケ
 これは上賀茂のナカムラで私が先日買って来た徳島産のデッカイしいたけ。ガーリックバター焼きにすると、エスカルゴみたいな味がします。シイタケだけが苦手の孫にも勧めてみましたが、やっぱりまだ椎茸だけは食べられないようです。こんなに美味しいものはめったにないのに。食感はシイタケというよりアワビのような大きな貝の身を食べているようです。

★アンコウの水炊き
 孫も一緒の夕食だったので、パートナーはHELPで魚好きの孫のためにアンコウを仕入れてきました。アンコウの水炊き。

★あんきも
 すばらしい肝もついていました。残念ながら私はコレステロールの関係でこの肝は禁食。あんこうから肝をとってしもたら、何を食べるねん?!と言いたいところですが、こういうものを食べるとテキメン、コレステロール値が跳ねあがったりしかねないから泣く泣くご辞退。

★鍋の具
 鍋はおいしい出汁で野菜が豊富に食べられるのは健康にもよいところ。

★ローストビーフ
 若い人向きのローストビーフ、これは私も少々いただきました。

★大根と人参のナマス
 大根と人参のなます。上賀茂産です。

★モズクきゅうり酢
 モズクきゅうり酢。

★五目納豆
 五目黒豆納豆。
(以上でした)

 孫の家の白梅は満開です。

 一昨日(24日)は、今年一番地球から遠い満月で、スノームーンと言われていたようです。24日の夜に見たときは全天曇っていて月も星も見えませんでした。でも昨夜思い出してガラス戸越しに夜空を見上げると、たしかに小さいけれど素晴らしく綺麗な「ほぼ満月」が見えました。

 なんだかんだケチをつけながらも、結局大河ドラマを毎回欠かさず見ていますが、何の変哲もない貴族たちの日常を描くのでは面白くないから、散楽≒義賊を主人公たちの身近に登場させて関わらせたり、早くに母親を亡くした紫式部の史実に、道長の兄道兼に目の前で殺されたことにしたり、脚本家もドラマ(「劇」)が成り立つように色々苦心しておられるようです。パートナーによれば、近頃のテレビドラマで高い視聴率を稼いだドラマはみなその人が書いた脚本らしい、という女性脚本家の手になるもののようです。

 私は登場する俳優さんたちがなかなかいいなぁ、と思って、それに惹かれて見ているところがあります。道長役の柄本佑(私の世代の言い方だと「柄本(明)の息子」ということになりますが・・笑)がとてもいいですね。まず風貌がぴったりハマっている感じがするし、演技も上々。きっとこのドラマでの彼はすごく人気が出ていると思いますが、これからもこのドラマを引っ張っていきそうです。これはキャスティングの手柄ですね。

 紫式部、父の藤原為時、悪役の権力者(道長の父)藤原兼家、もっと悪役のその次男道兼、源雅信、架空の人物直秀、それに女性陣で雅信の娘で後に道長の配偶者となる源倫子、道長の姉詮子、倫子の母穆子等々、それぞれ役柄の特徴をよく出していて感心します。これだけ複雑な人間関係の絡み合う多数の人物が登場する劇ですから、それぞれの個性が自然な形で際立たないと、見ているほうでは訳が分からなくなりますが、それが今のところは役者さんたちの演技でうまく行っているように思います。

 道兼なども若いときは主人公の母親を刺殺したように自制が効かず、すぐ暴発して権力を背景に人を殺傷することを何とも思わない殺人鬼か何かの様に振る舞っていたけれど、昨日の為時への告白や為時の家を訪ねたときのやり取りなど、素晴らしかった。
 ああいう暴発を自制できずに目下のものに暴力を振るう人間が実は自身、父親に愛されず、激しい暴力を受けていた淋しい人間であったというのは、いかにも現代風の解釈でのパターン化された人間造型ではありますが、それを演じる俳優さんはその脚本の嘘くささを補ってあまりある立派な演技を見せてくれていました。







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『摧邪輪』と『興福寺奏状』

 昨日は高弁(明恵上人)の『摧邪輪』(巻上)[1212]『興福寺奏状』[1205]を読んでいました。両方とも、法然さんのひたすら仏の御名を称えることに専念すれば浄土へ行けるという専修念仏の思想に対する旧仏教側からの攻撃で、直接には『選択本願念仏集』に対する論難です。興福寺衆徒らの訴えがもとで、法然(源空)や親鸞ほかの門徒は流刑などに追いやられます。

 まず後者『興福寺奏状』は法相宗の僧で、藤原南家の藤原通憲(信西)を祖父とする貞慶が、興福寺の衆徒らによる専修念仏の禁止の訴えを代表して起草したもので、冒頭で「殊に天裁を蒙り、永く沙門源空勧むるところの専修念仏の宗義を糺改せられんことを請ふの状」とあり、つづけて専修念仏の「過(とが)」として九箇条を列挙し、それぞれ詳しく説いています。九箇条とは次のとおりです。

 1.新宗を立つる失。
 2.新像を図する失。
 3.釈尊を軽んずる失。
 4.万善を妨ぐる失。
 5.霊神に背く失。
 6.浄土に暗き失。
 7.念仏を誤る失。
 8.釈衆を損ずる失。
 9.国土を乱る失。
  
 既存の八宗に新たに勝手に新しい宗派を立てようなどとけしからんとか、「摂取不捨の曼陀羅」なるものを弄んでいるというのは分かりやすい非難ですが、なぜ法然が「釈尊を軽んず」ということになるのか。それは専修念仏が弥陀の名号のみを称えるべしと教え、「身に余仏を礼せず、口に余号を称せず」とするが、その「余仏余号」とは釈迦等の諸仏を指している、とみて非難しているわけです。

 「万善を妨ぐる」というのは、法然が念仏以外の、従来は功徳を積む行為とされてきたさまざまなこと、「華厳・般若の帰依」「真言・止観の結縁」などをうち棄て、「堂塔の建立」や「尊像の造図」を軽んじるなどの所業を指しています。
 
 次の「霊神に背く」というのはなかなか面白いところですが、旧仏教側のこうした非難の前提になっているのは、垂迹説、つまり仏や菩薩が衆生を済度するために、仮に人間や神の姿になって現われるという考え方に立っているからで、「もし神明を恃めば、必ず魔界に堕つ」という法然の考え方は、そうした仏が姿を変えて現われている霊神に背くものだという非難です。

 第六項の「浄土に暗き失」は、このタイトルからは分かりにくいけれど、浄土というのは様々な苦行を経て功徳を積まなければ行けないものではなく、ただ専修念仏によってのみ誰でもが行けるのだという法然さんの考え方に対して、様々な戒律を守り、修行を積むことが必要だということを、拠り所とする経の文言を挙げて説いています。

 たとえば観無量寿経には「一切の凡夫かの国に生ぜんと欲(おも)はんものは、まさに三業を修すべし。一には父母に孝養し、師長に奉事し、慈心にして殺さず、十善業を修す。二には三帰を受持し、衆戒を具足して、威儀を犯さず。三には菩提心を発(おこ)して、深く因果を信じ、大乗を読誦すべし」とあります。また念仏の大祖曇鸞法師は往生の上輩において五種の縁を挙げたその四に「修諸功徳」と言い、中輩の七縁の中に「起塔寺、飯食沙門」と記しています。
 また道綽禅師は「念仏三昧を行ふこと多きがゆゑに常習といふ。まつたくに余の三昧を行ぜずといふにあらざるなり」と釘をさしているし、善導和尚は「見るところの塔寺、修葺せずといふことなし」と言っていますよ、と。つまり念仏一筋で余行に関われば浄土へ行けないのじゃなくて、親孝行したり、師に尽したり、寺院の塔を建てたりといった様々な功徳を積むことが浄土への道なんですよ。法然は浄土というものが分かっていないじゃないですか、と。

 第七項の「念仏を誤る失」は、法然にとっては肝心のところですね。批判の眼目は、法然が「是れ弥陀の本願に四十八あり、念仏往生は第十八の願なり」と無量寿経のいわゆる弥陀の四十八願に依拠しているわけですが、それなら「何ぞ爾許(そこばく)の大願を隠して、ただ一種を以て本願と号せんや」という点にあります。これは私がいま読んでもとてもまっとうな批判だと思います。

 「かの一願に付きて、『乃至十念』とは、その最下を挙ぐるなり。観念を以て本として、下口称に及び、多念を以て先として、十念を捨てず。是れ大悲の至って深く、仏力の尤も大なるなり。その導き易く生じ易きは、観念なり、多念なり。・・・既に称名の外に念仏の言あり、知りぬ、その念仏は、是れ心念なり、観念なり。かの勝劣両種の中に、如来の本願、寧ぞ勝を置きて劣を取らんや。」

 法然に大きな影響を与えた善導もその発心の初めは、浄土の図を見て「ただこの観門、定めて生死を超えん」と覚ってこの道に入り、三昧を発得されたのでした。観無量寿経にいう十六想観(阿弥陀仏とその浄土を観ずる法)ですね。「念仏の名、観と口とを兼ぬ」と、『興福寺奏状』は書いています。善導は専修念仏を唱えた先達として知られていますが、貞慶は「善導一期の行、ただ仏名に在らば、下機を誘(こしら)ふるの方便なり」とみなしています。

 第八項の「釈衆を損ずる失」では、専修念仏ではこんなことを言っている、と非難しています。「囲棊(いき)双六は専修に乖(そむ)かず、女犯肉食は往生を妨げず、末世の持戒は市中の虎なり、恐るべし、悪むべし。もし人、罪を怖れ、悪を憚らば、是れ仏を憑まざるの人なり」と。こんな「麁言(そごん)」つまり乱暴なことを国中に流布して衆生の心を惑わし、損ねている、と。

 第九項の「国土を乱る失」は、これまで述べて来たような過失によって、専修念仏が既存の仏教である八宗を滅ぼそうとする勢いである。仏法と王道とは永く手を携えてこそ国土安泰で、諸宗はみな念仏を信じて異心がないが、専修念仏だけは諸宗を嫌い、同席もしない。こうした専修念仏の仏事、法事は早く停止せらるべきであり、源空の専修念仏の宗義を糺改せられんことを請うものである、と。


 自分の見た夢を記録したことで名高い明恵上人(高弁)の『摧邪論』は、「一向専修宗選択集の中において邪を摧(くだ)く輪(りん)というタイトルの文で、格調高く、隙のない論理で武装した堂々たる専修念仏批判で、問答体で問題点をクリアにして批判していきます。

 直接には選択本願念仏集を「経論に迷惑して、諸人を欺誑(ぎきょう)せり。往生の行を以て宗とすと雖も、反って往生の行を妨礙(ぼうげ)せり」として、その名を聞いた最初のころは法然の妙釈を拝聴することを喜んでいたが、選択本願念仏集を読んだ今は、これが念仏の真の宗旨を黷(けが)したと考えている。
 「今、詳かに知りぬ、在家出家千万の門流、起すところの種々の邪見は、皆この書より起れりといふことを。上人入滅の頃(このごろ)に至って、興行倍(ますます)盛んなり。」と、たしか法然さんが亡くなった直後くらいに書かれた文章だと思いますが、このころすでに法然さんの専修念仏が燎原の火のごとく民衆の間に伝わり、仏教徒の間にもこれに影響されて旧仏教の内部からも異論を唱える者が続出して、旧仏教八宗が脅かされるような状況だったことが窺えます。

 高弁は専修念仏に対して二点の疑義を提示してその誤りを指摘し、論破しようとします。その第一は「菩提心を撥去(はっきょ)する過失」、第二は「聖道門を以て群賊に譬ふる過失」で、私がとにもかくにも一読したのは巻上の前者だけで、巻下で展開される後者については未読です。

 「菩提心を撥去する過失」をさらに五つに分けて様々な観点から批判していますが、その最初が「菩提心を以て往生極楽の行とせざる過(あやまち)だとして、選択本願念仏集の次の一節を「過」の「証拠」として挙げています。

 「弥陀如来、余行を以て往生の本願とせずして、ただ念仏を以て往生の本願とするの文」

 細かいことは省きますが、要は法然さんの専修念仏は、弥陀の名号を称えさえすれば浄土へ行ける、ということで、それを称える人の心についてあれこれ問うてはいません。ありていにいえば、心の中で何を思っていようが、何も思っていなかろうが、とにかく弥陀の名を称えさえすればよい。

 たしかに文字も読めず、難しい理屈など皆目分からない民衆にとって、法然さんの考えは受け入れさえすれば実行が容易で、誰もが自分でも浄土へ行けるという希望の持てるものだったでしょう。
 しかし少しインテリというのか、ものを考え、疑う人であれば、なぜ弥陀の名を称えるだけで浄土へ行けるのだ?という疑問は当然起きたでしょう。
 しかもほかの修行だの功徳を積むだのと言ったことは一切必要ない、いやむしろ往生の邪魔になるんだ、というのですから、この世でなにか善行を積むことが浄土へ行く条件だという「常識」に反し、これを覆すものであったことは確かで、他のあらゆる宗派からその根拠を問われたこともまた必然的なことでした。

 ふつうにいま考えても、念仏を唱えてもそこに心が伴っていなければ、その言葉は言葉だけのうすっぺらいものでしかない、と考えるのが一般的でしょう。高弁のような仏教者にとっては、それは「菩提心」に相当するものだったようです。

 「菩提心」については、「菩提と言ふは、即ち是れ仏果の一切智智、心と言ふは、この一切智智において希求(けぐ)の心を起す。これを指して菩提心と云ふ。」と高弁は述べていますが、かえって分かりにくいですね。
 ごく一般的に、悟りを求める心のことだ、くらいでパスしておくことにしましょう。一切智というのは、「すべてを知り尽くす智」だそうで、とくに仏の一切智を声聞、縁覚の一切智と区別していうとき「一切智智」というのだそうです。さとりというのは、そういう一切智智を獲得した状態ということなのでしょう。

 高弁の批判は「諸仏の浄土の中において、菩提心を以て正因とせざ仏土は、何の土なりとかせんや」ということに尽きるようです。「明らかに知りぬ。浄土は因果皆菩提心を体とすといふことを。もししからずは、浄土、成立すべからず。」

 菩提心を発(おこ)すことなく念仏して直ちに浄土へ行くことを望むのは浅はかな考えだということを、善導と同時代の浄土教の僧迦才を引いて述べているところもあります。
 「迦才の浄土論に、弥勒所問経所説の十念の中の『非凡夫念、不雑結使念』の文を解して云く、『凡夫念とは、もし、菩提心を発(おこ)して三界を出でて仏に作(な)らんことを求めずして、しかも直爾(ただち)にただ念仏して生ずることを求むるは、是れ凡夫念なり、生ずることを得ざるなり。故に皆すべからく菩提心を発(おこ)すべきなり。不雑結使念とは、ただすべからく一心に相続して仏の相好を観ずべし。しかるに、もし口に念仏すとも心に五欲を縁ぜば、是れ結使(煩悩の異名)を雑する念なり。仏は是れ淳浄の心、結使と相違するなり」

 また善導和尚は、観経の疏に正・雑の二行を立てたうちの正行において、称名を正業とし、余の礼拝等の善を助業とし、一心専念弥陀仏名のほかに全く正業はない、としているのだから、法然の専修念仏を非難するにはあたらないのではないか、とする「問い」に対してはこう答えています。
 「善導、正助二業を作ることは、能起の菩提心を以ては、置いてこれを論ぜず、所起の諸行についてこれを分別するなり。かの截打の声を聞いては、功を刀杖に関(あず)くるがごとし。仏法の諸行は、皆まさに功を菩提心に譲るべし。菩提心は是れ体、称名等は是れ業なるを以ての故に。この故に、もし菩提心と称名との二行について、これを論ぜん時は、菩提心を以て正業とせんこと、理在絶言(当然の道理で言うまでもない)なるべし。」

 称名か菩提心か、という問いに対して、あくまでも菩提心が「体」であり、称名等は「業」であるから、二つを並べて論じるなら、菩提心のほうを「正業」とすることは申すまでもない、という答え方をしています。

 これにつづいて、善導の称名と元暁の憶念とが違ってみえるけれども実は違いはないのだ、と述べて、「何とならば、およそ念と言ふは、明記不忘の称、即ち心に在るなり。この故に念仏と言ふは、正しくは心念を指すの言(ことば)なり。この故に観経に、九品往生皆観と名づく。称名もまた心念を兼ぬるが故なり。」と念仏は言葉(口称)であると同時に心(心念)だという一元的な理解を与え、「善導の意、称名の下に必ず心念を兼ぬるなり」と述べています。

 この少し後のところで、もう一度善導の考え方に対する理解についての問答がありますが、ここは法然さんの考えを理解する上でもかなり重要な一節だという気がします。

 問ふ。善導の意は、ただ称名を以て念仏とす。この故に、往生礼讃に云く、「また文殊般若に云ふがごとし。「一行三昧を明かさば、ただ勧む、独り空閑に処して、諸の乱意を捨てて、心を一仏に係けて、相貌を観ぜずして、専ら名字を称せよ。即ち念の中において、かの阿弥陀仏および一切の仏等を見ることを得ん。」問ひて曰く、何が故ぞ、観を作(な)さしめずして、直に専ら名字を称せしむるは、何の意かあるや。答へて曰く、乃ち衆生障り重くして、境は細に心は麤(そ:粗い)にして、識颺(あが)り神飛んで、観成就し難きによってなり。是を以て、大聖悲憐して、直に専ら名字を称することを勧む。正しく称名の易きによるが故に、相続して即ち生ず。」
 答ふ。既に「識颺
(あが)り神飛んで、観成就し難ければ、名字を専称せしむ」と言ふ。これは念心を成就せしめんがためなり。引くところの文殊般若の文に云く、「即ち念の中において、かの阿弥陀仏および一切の仏等を見ることを得」とは、称名によって必ず念心成就す。この念の中において、仏を見ることを得るなり。

 ここで「観を作さしめずして、直に専ら名字を称せしむるは、何の意かあるや」と問われて、善導が「衆生障り重くして、境は細に心は麤にして識颺り神飛んで観成就し難きによってなり」と答えたのだすれば、観ずる対象である仏の色身相好は微妙深細だが感ずる凡夫の心は粗雑なものだし、凡夫の心は羽毛のように歩く舞い上がり散乱してしまうような心許ないもので、民衆にとっては荷が重く、弥陀の相好を観取することができないから、弥陀が憐れんで専ら名字を称することを勧めた、それは称名なら民衆がやりやすいからだ、という便宜主義的なものだということになります。

 法然さんも実は問答体の中で、同様の問い、つまり、なぜ名号を称えるだけで成仏できるのか、という疑問に対して、同様の答え方をしています。これは私などにはやっぱり、すぐには納得できない答え方です。なぜなら、それは仏教思想の内在的な本質なりメカニズムにのっとった答え方ではなくて、本当は称名よりも心の念、つまり菩提心のほうが重要なのだが、分かりにくいだろうから、称名だけでいいんだ、と便宜主義で言っているだけで、仏教思想にとっては偶然的な外在的な理由づけに過ぎないからです。

 そこのところは、親鸞を読んでも法然を読んでも、いまのところは私にとっては納得しがたいところで、良慶や高弁の批判のほうがまっとうだろうという気がします。

 しかし、ここにその「外在的な理由」こそが重要であり、これを思想のうちに内在化することこそが、時代に対峙しうる思想の条件なのだ、という考え方を持ち込むとすれば、従来の仏教思想の内在性から言えば矛盾や破綻があったとしても、無理やりにでもその外在的条件を思想の核心に導入せざるを得なかった法然や親鸞の浄土思想に時代をつらぬく力があったのだということにもなるでしょう。

 実際、八宗の旧仏教は貴族や武士、旧来の支配層、知識階級には受け入れられても、広範な民衆に受け入れられる条件を欠いていたし、逆にそれらの旧仏教は広範な民衆の像を自らの思想のうちに組み込むことができなかったわけです。

 しかし、地震に旱魃、飢饉、疫病、大火等々、当時しばしば民衆の生活を脅かし、その命を容赦なく奪った厄災の前でなすすべもなく死んでいく民衆を僧たちは目の当たりにしていたはずで、それら生き地獄の中をのたうちまわる民衆をいかに救抜しうるのか、ということは、いやしくも仏道を志した彼等にとって、喫緊の宗教的=現実的課題として常に心のうちにあったはずです。

 仏教内部の思想的な壁を突き破って現実の民衆に向き合うことは、法然や親鸞が「菩提心」さえもいわば捨て、仏教思想の内在性を捨てて、ただ称名念仏のみを選ぶことで、はじめて可能になったと言えるでしょう。

(『興福寺奏状』『摧邪輪』の引用は岩波書店の日本思想大系『鎌倉舊佛教』田中久夫校注によります)

saysei at 13:14|PermalinkComments(0)

2024年02月24日

晴れた日に

きょうの比叡

 昨日まで雨が降ったり、降りそうな日がつづき、また明日から雨が降るというので、きょうは間の貴重な晴れの日。きょう行っておかないと、と昼前にいつものように電動アシスト自転車を走らせて、府立大学の図書館へ借りた本を返し、あらたに『小右記』現代語訳の3~5巻を借り、そのまま上賀茂の野菜自動販売機めぐり。

 きょうの京都の気温は2℃~10℃だったそうですが、自転車に乗って走っていてもそう寒いとは感じずにすみました。野菜の自動販売機はそう広くない範囲に散在していて、一筆書きのように次々に寄っていけるので、全部で6カ所をめぐり、それぞれのところで異なる野菜が出ていたので、パートナーの注文メモをみながら、ほとんど揃えることができました。

上賀茂野菜2
 大根、ホウレンソウ、小松菜、スナップエンドウ、菜の花、菊菜、キャベツ、ネギ、金時ニンジン。太い大根は戸田農園さんのです。この大根も春菊もサラダとして生で食べても、ちっとも辛くなくて、むしろ甘くて美味しい。シイタケだけは上賀茂のナカムラで買った徳島産です。


きょうの夕餉

★鶏肉の赤ワイントマト煮
 鶏肉の赤ワイントマト煮、ニョッキ添え

★大根、春菊、リンゴ、クルミのサラダ
 今日買って来た大根、春菊にリンゴ、クルミをあわせたサラダ。自家製ドレッシングをかけて、このまま食べてとても美味しかった。

★ガーリックトースト
 ガーリックトースト。メインディッシュがトマト煮なのできょうはパンコントマテにあらず

★カボチャスープ
 カボチャスープ

 源信さんの『往生要集』を読み終えて、きょうは法然さんの『一百四十五箇条問答』(ちくま学芸文庫)というのを読んでいました。法然さんは他宗派に対してそれほど戦闘的な姿勢の人ではなかったはずですが、やはり日本仏教史で画期をなす宗教思想を編み出した人ですから、自分の先輩筋の旧仏教に対する批判と断絶の意識は非常に確固とした強いものがあるようです。

 彼は18歳のとき、叡空の弟子になったのだそうですが、その後余行を捨てて念仏だけを選び取り、叡空に対しても「往生するためには、ただ念仏する以外にない」と断言します。叡空が「観仏する(仏を観想する)ことが勝れており、ただ念仏するのは劣っている」と言うのに対して、彼は「いや本願の行であるから、念仏こそ勝る」と言い切ります。

 叡空がさらに「先師良忍上人も、観仏勝れたりとこそ仰せられしか」と言うと、法然は「良忍上人も先にこそ生まれ給いたれ」と言ったそうです。良忍上人も単に先にお生まれになったというだけのことでしょ、と(笑)。自分の師をも、そのまた師をも、言うことが間違っていると思えば、師も先にお生まれになったというだけのことでしょ、と切り捨てる度胸は当時の仏教界の秩序からすれば大変なものだったでしょう。

 この問答は仏教に救いを求める庶民が日常生活の中で感じる迷い、不安、疑問に優しく答えようとするものらしく、念仏は何回称えなきゃならないのか、とか、道長も臨終の際に握りしめていただろう阿弥陀如来につながる五色の糸はどっちの手でどのように引っ張るべきかとか、歌を詠んだり酒を飲んだりするのは罪なのかとか、月の憚りのとき経を読んでいいのかとか、数珠には桜・栗を忌むというがどうか、とか、極めて身近なことについて具体的な回答を与えていて面白く読めるし、法然さんが語りかけているのが貴族や武士ではなく庶民であることがよく分かります。

 指示は具体的でことこまかですが、以前に道元の正法眼蔵を拾い読んだときに目にしたような、トイレへ入ったときのお尻の拭き方まで指示するような、すべてを律してしまおうという姿勢はありません。一番重視しているはずの念仏の回数なども「念仏をば日所作にいくらばかり宛ててか申し候べき」との問いに対して「答う、念仏の数は一万遍を始めにて、二万三万五万六万、乃至十万まで申し候なり。この中に御心に任せて思召し候わん程を申させおわしますべし。」とかなり融通がききます。

 私は無宗教ですが父の実家は浄土真宗の高田派だったようです。家庭で行う仏事などで、こうしなければならん、ああしなければならん、といううるさいことは何もなかったように思います。義母のところは日蓮宗だったので、仏壇への飾り物なども含めて厳格な決まりがあって、そのとおりしないと坊さんからなんだかんだ言われていたようです。それだけ浄土教の系統は、そうした戒律的なものに関しては自由というか、いいかげんというか(笑)、そんなことにはこだわらない考え方だったのでしょう。

 『一百四十五箇条問答』の中でも、したがって、核心をなすのは、次のような一節でしょう。

 一つ、心を一つにして心よく直り候わずとも、何事を行い候わずとも、念仏ばかりにて浄土へは参り候べきか。
 答う、心の乱るるはこれ凡夫の習にて力及ばぬ事にて候。ただ心を一つにしてよく御念仏をせさせたまい候わば、その罪を滅して往生せさせたまうべきなり。その妄念よりも重き罪も念仏だにし候えば失せ候なり。

きょうの比叡



saysei at 21:11|PermalinkComments(0)
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