2024年02月
2024年02月29日
「観経疏」と「選択本願念仏集」
きょうは法然さんが専修念仏を唱道する上でもっぱら依拠した善導大師の「観経疏」を読みました。最初の玄義分の中で、観経の成り立ちが述べられています。
釈迦が衆生を救済しようとしたが、衆生にとってはハードルが高くて悟りを求めても得られず、いろいろ修行のやり方はあっても、どれもまっとうできない。たまたま韋提希(いだいけ。ヴァイデーヒー。マガダ国王ビンビサーラの王妃)が、私も浄土に往生したいので、その方法を教えてほしいと請うたことから、釈迦は広く浄土の要門を開き、阿弥陀仏は弘願による往生への道を開かれた、と。
要門とは「観経」(観無量寿経)にいう定善・散善の功徳を積むことで往生する道、弘願は「大経』(無量寿経)の説くとおり、阿弥陀仏の本願によってすべての凡夫が往生できる道。
語彙の解説があって、「無量寿」は漢音で「南無阿弥陀仏」は西国(印度)の正音だと言い、意味するところは、「南」は「帰」、「無」は「命」、「阿」は「無」、「弥」は「量」、「陀」は「寿」、「仏」は「覚」であるので、南無阿弥陀仏で「帰命無量寿覚」の意で、「無量寿」は弥陀のさとった法、「覚」はさとった人を指し、人と法を並び表現するので阿弥陀仏と名づけるのだそうです。知らなかったぁ(笑)
まっとうな解脱の方法である釈迦の示した要門というのは、具体的には「観想」にいたる「思惟」と、精神を集中させる「正受」(なんとか三昧という時の「三昧」)で、「観経」では十三の観想のやり方について釈迦が懇切丁寧に説明していきますが、あほらしいと思わずに読んでいくと、日想観からはじまって、水の観想へ、そして氷の観想、青玉の観想・・・と次々に詩的な観想の説明がなされていて美しい場面です。
それはしかし、とても私のような凡夫では、いくらトレーニングしたって不可能なことに思える、非常に高度の精神の技術を要することのようにみえます。そこで阿弥陀仏の弘願の登場というわけです。そういう高度なことができるような人は品格ランキングで言うと「上品上生」、次のランクが「上品中生」、その次が「上品下生」、それから「中品上生」「中品中生」「中品下生」ときて、いよいよラストは「下品上生」「下品中生」「下品下生」ときて、最後の「下品下生」の者ともなれば、親を殺すようなの迄含む五逆罪と十種の悪行を犯すなど種々の悪行を重ねて地獄のあの世で繰り返し苦しむほかないような輩ですが、彼等は仏を念ずることもできない。けれどもその彼等でさえ無量寿仏よ、と称え、心から声を絶やさないようにして「南無阿弥陀仏」と仏の名を称え続けるうちに、八十億劫の間、生と死の輪廻に囚われて逃れられなかった罪を免れるのだ、といいます。
こんな風にたどっているときりがありませんが、この「観経疏」にはオイディプス王のような父王殺しの王の有名な逸話も、白道の譬も出て来て、物語としても面白いところがあります。
きょうこれを読んだあとで、もう一度法然さんの「選択本願念仏集」を読んでいたのですが、法然さんは理論的には専ら善導の思想を受け継いでいたんだな、というのがとてもよく分かりました。ただ、法然さんが専修念仏の所へ絞って行く論理は狭い(偏りをもつ)かもしれないけれど、非常に尖鋭的で 冴えた論理だなあと感心もしました。
きょうの夕餉
子持ちカレイの煮つけ
フロフキ田楽
白菜のコールスローサラダ
豚汁
ホウレンソウのお浸し
モズクきゅうり酢
(以上でした)
釈迦が衆生を救済しようとしたが、衆生にとってはハードルが高くて悟りを求めても得られず、いろいろ修行のやり方はあっても、どれもまっとうできない。たまたま韋提希(いだいけ。ヴァイデーヒー。マガダ国王ビンビサーラの王妃)が、私も浄土に往生したいので、その方法を教えてほしいと請うたことから、釈迦は広く浄土の要門を開き、阿弥陀仏は弘願による往生への道を開かれた、と。
要門とは「観経」(観無量寿経)にいう定善・散善の功徳を積むことで往生する道、弘願は「大経』(無量寿経)の説くとおり、阿弥陀仏の本願によってすべての凡夫が往生できる道。
語彙の解説があって、「無量寿」は漢音で「南無阿弥陀仏」は西国(印度)の正音だと言い、意味するところは、「南」は「帰」、「無」は「命」、「阿」は「無」、「弥」は「量」、「陀」は「寿」、「仏」は「覚」であるので、南無阿弥陀仏で「帰命無量寿覚」の意で、「無量寿」は弥陀のさとった法、「覚」はさとった人を指し、人と法を並び表現するので阿弥陀仏と名づけるのだそうです。知らなかったぁ(笑)
まっとうな解脱の方法である釈迦の示した要門というのは、具体的には「観想」にいたる「思惟」と、精神を集中させる「正受」(なんとか三昧という時の「三昧」)で、「観経」では十三の観想のやり方について釈迦が懇切丁寧に説明していきますが、あほらしいと思わずに読んでいくと、日想観からはじまって、水の観想へ、そして氷の観想、青玉の観想・・・と次々に詩的な観想の説明がなされていて美しい場面です。
それはしかし、とても私のような凡夫では、いくらトレーニングしたって不可能なことに思える、非常に高度の精神の技術を要することのようにみえます。そこで阿弥陀仏の弘願の登場というわけです。そういう高度なことができるような人は品格ランキングで言うと「上品上生」、次のランクが「上品中生」、その次が「上品下生」、それから「中品上生」「中品中生」「中品下生」ときて、いよいよラストは「下品上生」「下品中生」「下品下生」ときて、最後の「下品下生」の者ともなれば、親を殺すようなの迄含む五逆罪と十種の悪行を犯すなど種々の悪行を重ねて地獄のあの世で繰り返し苦しむほかないような輩ですが、彼等は仏を念ずることもできない。けれどもその彼等でさえ無量寿仏よ、と称え、心から声を絶やさないようにして「南無阿弥陀仏」と仏の名を称え続けるうちに、八十億劫の間、生と死の輪廻に囚われて逃れられなかった罪を免れるのだ、といいます。
こんな風にたどっているときりがありませんが、この「観経疏」にはオイディプス王のような父王殺しの王の有名な逸話も、白道の譬も出て来て、物語としても面白いところがあります。
きょうこれを読んだあとで、もう一度法然さんの「選択本願念仏集」を読んでいたのですが、法然さんは理論的には専ら善導の思想を受け継いでいたんだな、というのがとてもよく分かりました。ただ、法然さんが専修念仏の所へ絞って行く論理は狭い(偏りをもつ)かもしれないけれど、非常に尖鋭的で 冴えた論理だなあと感心もしました。
きょうの夕餉
子持ちカレイの煮つけ
フロフキ田楽
白菜のコールスローサラダ
豚汁
ホウレンソウのお浸し
モズクきゅうり酢
(以上でした)
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2024年02月28日
梅満開
孫の家の白梅がいよいよ満開で、とても綺麗。今年は見事な咲きっぷりです。
一時はカイガラムシが幹や枝にびっしりついて、もう枯れるかなと危惧していましたが、必死にカイガラムシを削り取った甲斐あってか、生き返ったようです。
小さな花だし、櫻のような華やかさはないけれど、品のいい咲きっぷりです。
古今集などでは、梅と言うともっぱら匂いが謳われていて、衣服につく残り香までが非常に濃厚であるかのように謳われているのですが、わたしの嗅覚が鈍いのか、梅からそんなに強い香りを感じたことはありません。種類が違うのかなぁ・・・
きょうは雨降りの中日というのか、珍しく良い天気でした。こんな日は白梅も青空に映えて綺麗。
きょう自転車を走らせないと、明日からはまた天気があやしいようなので、アスゲンを買いに叡電前まで行ってカナートで食パンなど買って戻り、すぐにまた北へ走って府立大図書館で本を返してあらたに借り、そのまま上賀茂の野菜自動販売機を覗きに行って帰ってきました。高野橋までもどって撮ったきょうの比叡、青空を背景にくっきりした輪郭を見せていました。
だいぶ髪の毛がのびていたので、午後はいつものように電気バリカンでパートナーに散髪してもらってすっきり。パートナーも美容院へ行かなくなって久しく、二人で優に1万円は節約していることになるので、値段があがりっぱなしの紅茶代に化けています。ウィッタードのEnglish Breakfast も一段と高級なcovent gardenも高くなってしまったけれど、これだけはやっぱり飲みたいよね、ということで、ささやかな贅沢をしています。長男もほかのフレイバーティーは飲まないけれど、covent gardenだけは美味しいから飲んでいるらしい。わが家も同じです。
このまえ溝口健二の「近松物語」にちらっと触れたこともあって、以前にも読んではいたけれど、すっかり細部は忘れているので、近松の「大経師昔暦」(原作)を読みました。下女のお玉にちょっかいを出す旦那を懲らしめるために奥さんのおさんがお玉の寝床に臥していて、昼間、主人の印判を無断で使って追及されていた所をお玉に助けられた茂兵衛がお玉の片想いに報いようと忍んで来て、相手を間違えて情を結んでしまうという、間違いから起きるドラマの仕掛けは流石だと思いましたし、お金がらみの関係もきっちり描かれていますが、彼の得意な心中もののように純化された矛盾を追い詰めて、登場人物を一気に追い込んでいくあの緊張感は、やや乏しいように思えて、これは近松の作品の中では、それほどいい出来栄えではないんじゃないかと思いますがどうでしょうか。
しかし、溝口健二の「近松物語」ではそれを心中ものに仕立てて、あの有名な琵琶湖に浮かべた小舟の中での二人の会話、茂兵衛が最後に長年おさんを思い続けてきたことを打ち明けると、おさんが「それを聴いたら死にとうのうなった」と二人で生きようと決意する名場面を創り出していて、この作品は映画として名作になりましたね。香川京子もこの作品が一番良かったのではないでしょうか。
あとはひきつづき法然の『選択本願念仏集』を読み、そこでしばしば引用される善導の「往生礼讃偈」、「観経疏」「観念法門」「般舟讃」あるいは天親の「浄土論」や道綽の「安楽宗」が真宗関係のウェブサイトに出ていたので、それを拾い読みしていました。日本の仏教史でみれば旧仏教からの断絶と飛躍にみえる法然や親鸞の考えかたも、これらの先学の仏教思想のうちにすでに胎生しているように思えるのは、先に法然や親鸞を読んでからそれらを読むせいでしょうか。独創的な思想を創り出したというよりも、先学の思想の或る面を過度に強調して、枝葉であったものを太い幹として据えて新たな樹を育てたといった感じがします。
きょうの夕餉
小松菜とルタバガ(スェーデンカブ)のスープ。長男のくれたハンドブレンダー(Cuisinart)ひとつあればどんなものでもスープになって終うようです。最初は青臭く苦みがあって、罰ゲームで飲まされる青汁みたいだった、とパートナーが言っていましたが、牛乳を加え、もうひとつ彼女の秘密の調味料をひとつまみ入れることで、すっかり味も感触も変わったそうで、食卓に出て来たときは、すばらしく美味しいスープになっていました。小松菜を大量に消費したそうですが、小松菜でこんなに美味しいスープが作れるなんて想像もできませんでした。
鶏肉とキノコ、スナップエンドウのレモンクリームパスタ。
鱈のグリルに野菜のドレッシング
パンコントマテ
八朔、菊菜入りグリーンサラダ
(以上でした)
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2024年02月27日
映画「心中天網島」
ずいぶん古い映画で1969年の封切だったようですが、いつかテレビで放映したのでしょう、ビデオテープに録画して本棚の隅に眠っていたのを、このところお経やら法然さん、親鸞さんと抹香臭いのばかり読んでいたので、何か気分転換にと思って、そういえばこれ、まだ見ていなかったなと思って見ることにしました。岩下志麻という女優さんが苦手というのか、女優として好きじゃなかったし評価もしていなかったのと、彼女の旦那でこの映画の監督である篠田正浩監督の作品で見た映画何本かのうち、いいと思ったのは「瀬戸内少年野球団」だけだったこともあって、録画はしておいたものの、半世紀近く手に取る気がしなかったというのが正直なところ。
でもこの作品で小春とおさんの二役をやった岩下志麻は悪くなかった。むしろ熱演だったと言ってもいいでしょう。とくにおさんが良かった。
富岡多恵子に音楽を担当した武満徹までが脚色に加わり、粟津潔さんが美術を担当して、かなり実験的な試みをした作品だったんだな、と思います。画面にほとんど常時、文楽の「黒子」が何人も登場して、最後は治兵衛の首くくりを手伝ったり(笑)、大いに活躍していました。屋内だった舞台の書割の襖か何かが回転するか除去されるかすると、そこは吉原であったり、映画のカットでフィルムをつないでいくのではなくて、歌舞伎のように舞台の仕掛けで場面が変わったりするのは面白かったし、そういう舞台で粟津さんの美術も生きていました。
大勢の生身の登場人物が一瞬動きをとめて動かぬ人形と化す中を、黒子に操られる人形のように、主人公たち主要人物だけが動いて物語を紡ぎ出していく、という趣向なのでしょう。
演出の考え方としては理解できるし、面白い実験だとは思うけれど、結果的には必ずしもうまくいっていないようです。それはやはり生身の人間(俳優たち)を動かす文法と、人形を動かす文法が根本的に異なることがちゃんと計算に入っていないからだろうという気がします。
話が飛ぶようですが、以前に国立民族学博物館の展示評価の仕事を請け負って、幾人かの専門家らとともに何度か民博の二つの展示場を様々な観点から徹底して見てまわったときに思ったのは、梅棹忠夫さんが当初、展示場の内部でスタティックな展示物と映像とを共存させない、という厳格なポリシーを貫いて展示設計していたのに、後にその原則を破って、展示場の中にいくつも映像装置を入れて動画を見せていたのが、ことごとく失敗して、展示そのものが劣化してしまっている、ということでした。
これも実物と映像とでは来館者の受け止める文法が基本的に異なるので、それを無視して同居させても決してうまくいかないことを立証するものでした。同居させる場合には、よほど根底から両者のありようを考えてもう数段高い視点から二つの全く異なる文法をひとつに統合する方法を考えないと無理なのです。
この映画でも、そこまでは考えられていないし、結局黒子はきれいさっぱりいない方がよかったと思います。
近松のようなもともと人形浄瑠璃であった演目を映画化しようというときは、どうしてもこういう試みをしてみたくなるのでしょうが、たいていはあまりうまくいかないものです。むしろ「近松物語」(1954.溝口健二)のように完全に映画の文法に徹して撮るほうがいいのです。
増村保造の「曽根崎心中」(1978)はまったく映画の文法で撮られているけれど、宇崎竜童や梶芽衣子のある意味で「人形的」な、意図的な様式化された演技と、物語の進行や人物の動作、カットやシーンの切り換えに内在化された独特のリズム感というのかテンポのありようが、浄瑠璃の起源から発するような趣があって、これは見事に成功していたと思います。
さらに実際の人形と人形遣いによる文楽のセットを野外に組んで宮川一夫が撮った、栗崎碧監督の「曽根崎心中」(1981)は文楽の文法に徹しながら、舞台記録にとどまらない<劇>を映像に焼き付けることに成功していて、これは全く評価できないおバカな映画評論家もいたけれど、浄瑠璃と映画の組み合わせという面から見れば出色の出来だったと思います。
篠田のこの作品も生身の俳優の演技を増村作品のように様式化するほうが、まだしも黒子を登場させた意図に添うことができたのではないかと思いますが、そちらのほうはもろに映画的なリアリズムで押してしまっているために、ラストの心中直前の男女の絡みなども何か薄汚いものに見えてしまい、近松がせっかく義理と人情の矛盾を極限まで追いつめた美学を台無しにしてしまいました。
きょうの夕餉
豚のホルモン風鍋
エビフライ、トンカツ、マカロニサラダ(昨夕ののこり)
菜の花の辛子酢味噌和え
手羽先、鶉卵、大豆の煮物(昨夕ののこり)
小松菜とキノコのおひたし(昨夕ののこり)
アラメの五目煮
これはお昼に食べたビビンバ
(以上でした)
きょうは先日ざっと斜め読みしていた法然さんの『選択本願念仏集』をもう一度最初からじっくり読んでいました。これもほとんどが先学たちからの引用で、それに私釈を添えたという感じの著作なので、読んでいると、もとの善導やら道綽やらが読みたくなってきます。真宗関係のウェブサイトにかなり漢字かな交じり文にしたのが出ているようなので、少し覗いてみようかと思っています。
浄土三部経の一つで、法然や親鸞が拠り所とする経典のひとつ『観無量寿経』は、基本的には観想(仏の姿をクリアに想い浮かべる)の手引きで、実際にこのとおりやれるかというと、少なくとも普通の人には無理だろうと思われるようなことが事細かに書いてあります。そのあげくに、浄土へ行きたい者の内、一番行けそうもない悪行を犯し、不善を行なってきたような「下品下生(げぼんげしょう)の者」でも浄土へ行ける可能性があると言って、とても仏を念ずる(思いうかべ、観想する)ことはできそうもないから、それなら「無量寿仏よ、と称えなさい」と、そうすれば罪から逃れられるのだという言い方がされています。やはりもともとは、阿弥陀の名を称える称名念仏は、浄土へ行くためのひとつの方便だったのだろうと思います。本来は観想すべきなのに、それもできない者のための方便。法然や親鸞はそれを絶対化したのでしょうかね。
「汝よ、もし(仏を)念ずるあたわざれば、まさに無量寿仏(の名)を称うべし」と。かくのごとく、至心に、声をして絶えざらしめ、十念を具足して、<南無阿弥陀仏>を劫称えしむ。仏の名を称うるがゆえに、念々の中において、八十億劫の生死の罪を除き、命終る時、金蓮華の、なお日輪のごとくにして、その人の前に住するを見ん。一念の頃(あいだ)のごとくに、すなわち極楽世界に往生することをえ、蓮華の中において、十二大劫を満ちて、蓮華まさに開く。・・・
(お前がもし仏を念ずることができないのなら、無量寿仏よ、と称えなさい。」と。このようにしてこの者は心から声を絶やさぬようにし、十念を具えて、南無阿弥陀仏と称える。仏の名を称えるのであるから、一念一念と称える中に、八十億劫の間かれを生と死に結びつける罪から免れるのだ。命の終るとき、日輪に似た黄金の蓮華がかれの目の前にあらわれ、一瞬のうちに<幸あるところ>という世界に生れる。蓮花の中にあること十二大劫を過ぎて蓮花は花開く。)[中村元、早島鏡正、紀野一義訳注、岩波文庫『浄土三部経(下)』より]
でもこの作品で小春とおさんの二役をやった岩下志麻は悪くなかった。むしろ熱演だったと言ってもいいでしょう。とくにおさんが良かった。
富岡多恵子に音楽を担当した武満徹までが脚色に加わり、粟津潔さんが美術を担当して、かなり実験的な試みをした作品だったんだな、と思います。画面にほとんど常時、文楽の「黒子」が何人も登場して、最後は治兵衛の首くくりを手伝ったり(笑)、大いに活躍していました。屋内だった舞台の書割の襖か何かが回転するか除去されるかすると、そこは吉原であったり、映画のカットでフィルムをつないでいくのではなくて、歌舞伎のように舞台の仕掛けで場面が変わったりするのは面白かったし、そういう舞台で粟津さんの美術も生きていました。
大勢の生身の登場人物が一瞬動きをとめて動かぬ人形と化す中を、黒子に操られる人形のように、主人公たち主要人物だけが動いて物語を紡ぎ出していく、という趣向なのでしょう。
演出の考え方としては理解できるし、面白い実験だとは思うけれど、結果的には必ずしもうまくいっていないようです。それはやはり生身の人間(俳優たち)を動かす文法と、人形を動かす文法が根本的に異なることがちゃんと計算に入っていないからだろうという気がします。
話が飛ぶようですが、以前に国立民族学博物館の展示評価の仕事を請け負って、幾人かの専門家らとともに何度か民博の二つの展示場を様々な観点から徹底して見てまわったときに思ったのは、梅棹忠夫さんが当初、展示場の内部でスタティックな展示物と映像とを共存させない、という厳格なポリシーを貫いて展示設計していたのに、後にその原則を破って、展示場の中にいくつも映像装置を入れて動画を見せていたのが、ことごとく失敗して、展示そのものが劣化してしまっている、ということでした。
これも実物と映像とでは来館者の受け止める文法が基本的に異なるので、それを無視して同居させても決してうまくいかないことを立証するものでした。同居させる場合には、よほど根底から両者のありようを考えてもう数段高い視点から二つの全く異なる文法をひとつに統合する方法を考えないと無理なのです。
この映画でも、そこまでは考えられていないし、結局黒子はきれいさっぱりいない方がよかったと思います。
近松のようなもともと人形浄瑠璃であった演目を映画化しようというときは、どうしてもこういう試みをしてみたくなるのでしょうが、たいていはあまりうまくいかないものです。むしろ「近松物語」(1954.溝口健二)のように完全に映画の文法に徹して撮るほうがいいのです。
増村保造の「曽根崎心中」(1978)はまったく映画の文法で撮られているけれど、宇崎竜童や梶芽衣子のある意味で「人形的」な、意図的な様式化された演技と、物語の進行や人物の動作、カットやシーンの切り換えに内在化された独特のリズム感というのかテンポのありようが、浄瑠璃の起源から発するような趣があって、これは見事に成功していたと思います。
さらに実際の人形と人形遣いによる文楽のセットを野外に組んで宮川一夫が撮った、栗崎碧監督の「曽根崎心中」(1981)は文楽の文法に徹しながら、舞台記録にとどまらない<劇>を映像に焼き付けることに成功していて、これは全く評価できないおバカな映画評論家もいたけれど、浄瑠璃と映画の組み合わせという面から見れば出色の出来だったと思います。
篠田のこの作品も生身の俳優の演技を増村作品のように様式化するほうが、まだしも黒子を登場させた意図に添うことができたのではないかと思いますが、そちらのほうはもろに映画的なリアリズムで押してしまっているために、ラストの心中直前の男女の絡みなども何か薄汚いものに見えてしまい、近松がせっかく義理と人情の矛盾を極限まで追いつめた美学を台無しにしてしまいました。
きょうの夕餉
豚のホルモン風鍋
エビフライ、トンカツ、マカロニサラダ(昨夕ののこり)
菜の花の辛子酢味噌和え
手羽先、鶉卵、大豆の煮物(昨夕ののこり)
小松菜とキノコのおひたし(昨夕ののこり)
アラメの五目煮
これはお昼に食べたビビンバ
(以上でした)
きょうは先日ざっと斜め読みしていた法然さんの『選択本願念仏集』をもう一度最初からじっくり読んでいました。これもほとんどが先学たちからの引用で、それに私釈を添えたという感じの著作なので、読んでいると、もとの善導やら道綽やらが読みたくなってきます。真宗関係のウェブサイトにかなり漢字かな交じり文にしたのが出ているようなので、少し覗いてみようかと思っています。
浄土三部経の一つで、法然や親鸞が拠り所とする経典のひとつ『観無量寿経』は、基本的には観想(仏の姿をクリアに想い浮かべる)の手引きで、実際にこのとおりやれるかというと、少なくとも普通の人には無理だろうと思われるようなことが事細かに書いてあります。そのあげくに、浄土へ行きたい者の内、一番行けそうもない悪行を犯し、不善を行なってきたような「下品下生(げぼんげしょう)の者」でも浄土へ行ける可能性があると言って、とても仏を念ずる(思いうかべ、観想する)ことはできそうもないから、それなら「無量寿仏よ、と称えなさい」と、そうすれば罪から逃れられるのだという言い方がされています。やはりもともとは、阿弥陀の名を称える称名念仏は、浄土へ行くためのひとつの方便だったのだろうと思います。本来は観想すべきなのに、それもできない者のための方便。法然や親鸞はそれを絶対化したのでしょうかね。
「汝よ、もし(仏を)念ずるあたわざれば、まさに無量寿仏(の名)を称うべし」と。かくのごとく、至心に、声をして絶えざらしめ、十念を具足して、<南無阿弥陀仏>を劫称えしむ。仏の名を称うるがゆえに、念々の中において、八十億劫の生死の罪を除き、命終る時、金蓮華の、なお日輪のごとくにして、その人の前に住するを見ん。一念の頃(あいだ)のごとくに、すなわち極楽世界に往生することをえ、蓮華の中において、十二大劫を満ちて、蓮華まさに開く。・・・
(お前がもし仏を念ずることができないのなら、無量寿仏よ、と称えなさい。」と。このようにしてこの者は心から声を絶やさぬようにし、十念を具えて、南無阿弥陀仏と称える。仏の名を称えるのであるから、一念一念と称える中に、八十億劫の間かれを生と死に結びつける罪から免れるのだ。命の終るとき、日輪に似た黄金の蓮華がかれの目の前にあらわれ、一瞬のうちに<幸あるところ>という世界に生れる。蓮花の中にあること十二大劫を過ぎて蓮花は花開く。)[中村元、早島鏡正、紀野一義訳注、岩波文庫『浄土三部経(下)』より]
saysei at 22:10|Permalink│Comments(0)│
2024年02月26日
きょうの夕餉
鱈の白子、キュウリ、ワカメのポン酢かけ
トンカツ、カキフライ、エビフライ
カマボコ、スナップエンドウ、ローストビーフ、カイワレ
マカロニサラダ
菜の花の辛子酢味噌あえ
手羽先と鶉卵、シイタケ、大豆の煮物
小松菜、甘アゲ、キノコの煮物
大根と人参のナマス
ぬか漬け
きょうは長男も一緒の夕餉でした。
saysei at 20:48|Permalink│Comments(0)│
ホタルイカ
昨日の夕餉の食卓に出されたホタルイカ、わが家の今年の初物でした。まだ小粒で味ももう一つでしたが、これが出てくると、いよいよ春近し、という感じです。例年はどうだったか、このブログの過去記事をホタルイカで検索してみたら、ほとんどみな3月に入ってからでしたから、今年は少し早いようです。例年も同じ頃出ていても値段がまだ高くて買えなかったのかもしれませんが、でもやはり今年は温かいようですから、例年より早いのだろうという気がしています。
これとあとカマスゴが食卓に上ると、春本番です。
これは上賀茂のナカムラで私が先日買って来た徳島産のデッカイしいたけ。ガーリックバター焼きにすると、エスカルゴみたいな味がします。シイタケだけが苦手の孫にも勧めてみましたが、やっぱりまだ椎茸だけは食べられないようです。こんなに美味しいものはめったにないのに。食感はシイタケというよりアワビのような大きな貝の身を食べているようです。
孫も一緒の夕食だったので、パートナーはHELPで魚好きの孫のためにアンコウを仕入れてきました。アンコウの水炊き。
すばらしい肝もついていました。残念ながら私はコレステロールの関係でこの肝は禁食。あんこうから肝をとってしもたら、何を食べるねん?!と言いたいところですが、こういうものを食べるとテキメン、コレステロール値が跳ねあがったりしかねないから泣く泣くご辞退。
鍋はおいしい出汁で野菜が豊富に食べられるのは健康にもよいところ。
若い人向きのローストビーフ、これは私も少々いただきました。
大根と人参のなます。上賀茂産です。
モズクきゅうり酢。
五目黒豆納豆。
(以上でした)
孫の家の白梅は満開です。
一昨日(24日)は、今年一番地球から遠い満月で、スノームーンと言われていたようです。24日の夜に見たときは全天曇っていて月も星も見えませんでした。でも昨夜思い出してガラス戸越しに夜空を見上げると、たしかに小さいけれど素晴らしく綺麗な「ほぼ満月」が見えました。
なんだかんだケチをつけながらも、結局大河ドラマを毎回欠かさず見ていますが、何の変哲もない貴族たちの日常を描くのでは面白くないから、散楽≒義賊を主人公たちの身近に登場させて関わらせたり、早くに母親を亡くした紫式部の史実に、道長の兄道兼に目の前で殺されたことにしたり、脚本家もドラマ(「劇」)が成り立つように色々苦心しておられるようです。パートナーによれば、近頃のテレビドラマで高い視聴率を稼いだドラマはみなその人が書いた脚本らしい、という女性脚本家の手になるもののようです。
私は登場する俳優さんたちがなかなかいいなぁ、と思って、それに惹かれて見ているところがあります。道長役の柄本佑(私の世代の言い方だと「柄本(明)の息子」ということになりますが・・笑)がとてもいいですね。まず風貌がぴったりハマっている感じがするし、演技も上々。きっとこのドラマでの彼はすごく人気が出ていると思いますが、これからもこのドラマを引っ張っていきそうです。これはキャスティングの手柄ですね。
紫式部、父の藤原為時、悪役の権力者(道長の父)藤原兼家、もっと悪役のその次男道兼、源雅信、架空の人物直秀、それに女性陣で雅信の娘で後に道長の配偶者となる源倫子、道長の姉詮子、倫子の母穆子等々、それぞれ役柄の特徴をよく出していて感心します。これだけ複雑な人間関係の絡み合う多数の人物が登場する劇ですから、それぞれの個性が自然な形で際立たないと、見ているほうでは訳が分からなくなりますが、それが今のところは役者さんたちの演技でうまく行っているように思います。
道兼なども若いときは主人公の母親を刺殺したように自制が効かず、すぐ暴発して権力を背景に人を殺傷することを何とも思わない殺人鬼か何かの様に振る舞っていたけれど、昨日の為時への告白や為時の家を訪ねたときのやり取りなど、素晴らしかった。
ああいう暴発を自制できずに目下のものに暴力を振るう人間が実は自身、父親に愛されず、激しい暴力を受けていた淋しい人間であったというのは、いかにも現代風の解釈でのパターン化された人間造型ではありますが、それを演じる俳優さんはその脚本の嘘くささを補ってあまりある立派な演技を見せてくれていました。
saysei at 17:55|Permalink│Comments(0)│