2024年01月

2024年01月31日

「羅生門」再見

 きょうは終日降ったりやんだりの悪天候で、晴れるか、せいぜい雨のない曇りだったら、買い物ついでに二人で市長選の事前投票に行こうか、などと話していたのですが、それも取りやめになりました。

 それで昼過ぎまでは、「ツンドク」で今回売り払おうと思っていた蓮實重彦と黒沢清の対談『現代アメリカ映画談義 東京から』というのを読んでいました。イーストウッド、スピルバーグ、タランティーノと監督としては私がちっとも面白いと思って見た事のない映画ばかり作っていた監督を話題に、批評だの客観的評価だのといったものではなく、映画に関しては博覧強記と言った感じで蓮實が披露する蘊蓄に従って、それぞれの好みを言いたい放題言い合うだけの対談で、対象になった三人にほとんど興味がないので、私自身はそう面白いとは思わなかったけれど、こういう三人に興味のある人には面白い対談だったでしょう。

 ひとつだけ蓮實の発言で同感だったのは、クリント・イーストウッドの使う女優の或る種の偏りに触れた部分。彼は曖昧な言い方しかしていないけれど、私はある程度彼の作品を見て来て、この人はホモセクシャルで、女性に対する嫌悪感があるんじゃないかな、と思っていた時期がありました。もちろん作品に登場する彼が選ぶ女優を見て直観的にそう感じただけで、それ以外に何の根拠も証拠も無いので、単なる憶測でしかなく、事実ではないでしょう。ただ、登場する女優さんがそれぞれの作品の中ではまったく女性としての魅力がない、というのは多くの人が感じていることではないでしょうか。

 いずれにせよ、私は彼が監督した作品よりも、どちらかといえば彼が主演したマカロニウェスタンなんかのほうがずっと好きです。二人が褒めたり、話題にしたりしている「グラン・トリノ」もちっともいいとは思わなかったし、「チェンジリング」なんかも気色悪い映画でした。「許されざる者」なら彼のよりも、オードリー・ヘップバーンやバート・ランカスターが主演したジョン・ヒューストンのやつのほうがはるかに好きで、同じ邦題をつけるなんて!と憤慨したものです。

 さてこの対談も読み終わってめでたく販売に回せることとなり、午后おそめには昔々テレビでやったのをDVDに移しておいた「羅生門」を再見しました。先日宮川一夫の回顧録を読んだせいです(笑)。

 「生きる」や「七人の侍」は何度も観ているのに、この「羅生門」はたしか映画館で一度、テレビでこの録画をしたときに一度見た切りで、それこそ半世紀以上見ていませんでしたが、ストーリーは芥川の「藪の中」(冒頭と最後だけは同「羅生門」)だから、もちろん分かっているし、忘れるわけもない・・・・と思っていました。ところがどっこい、ほとんど健忘症といっていい私は、今回再見して、多襄丸(三船敏郎)と女(京マチ子)と夫である武士(森雅之)の亡霊の語りのあとに、朽ちた雨の羅生門でこの事件を語っている男の一人(志村喬)による目撃者としての語りがあったことを、まったく失念していたのでした。

 原作と映画とで、こんな重大な違いがあることを、当時(まだ中学生か高校生の頃が最初だったと思いますが)分かっていたのか、わかっていてすっかり忘れてしまっていただけなのか、、当時から気付いていなかったのか、いまとなっては分かりませんが、いやぁ驚きました。
  
 原作ではだれがどう読もうと真相はそれこそ「藪の中」ですが、黒澤の映画だと、この爺さんが赤ん坊をひきとっていくような人柄であることや、女の持ち物を盗んだこと以外に人間的なプライドヤミエや自己正当化の必要性などの利害関係は、語る内容に関わりがないので、彼の証言が一番信用できる、と観客に思えて当然でしょうから、真相はちっとも「藪の中」ではなくて、単に人の心は分からない、傍から見れば「藪の中」にみえるというだけで、人間のエゴを描く意味では原作者の意図を踏まえてはいるかもしれないけれど、それは、原作にあった「藪の中」という不可解さを感覚的に際立たせる世界ではなくて、ちゃんと種も仕掛けもご説明します、という謎のない、いわば芸の無い凡庸な物語になってしまっているんじゃないか、という気がしました。志村喬の目撃談は蛇足で、原作に忠実な、もっとシャープな終わらせ方があったんじゃないか、なんて思いながら見終わりました。

きょうの夕餉

★シイタケのエスカルゴ風
 まずはシイタケのエスカルゴ風ガーリックバター焼き。先日上賀茂のなかむらでゲットしてきた徳島産の特大特厚椎茸で、美味しさを全部とじこめる調理法だったので、めっちゃ美味しかった。ほんとに焼いてるときエスカルゴの香りがした(笑)。食感と味は柔らかいアワビのようでした。

★おでん
 きょうのメインはおでん。

★ロマネスコ
 ロマネスコ

★鴨葱と焼きアゲの酢味噌和え
 賀茂葱と焼きアゲの酢味噌和え。

★ホウレンソウのおひたし
 ホウレンソウのおひたし

★大根の醤油漬けとぬか漬け
 大根の醤油づけとぬか漬け。以上でした。





 

saysei at 22:06|PermalinkComments(0)

2024年01月30日

月の快挙

 JAXAの月面探査機SLIMが狙い通りのクレーター附近にピンポイントで着陸したニュースは久しぶりの明るいニュースでした。着陸寸前にエンジンの片方が機能せず、計画通りの姿勢で着地できなかったために太陽電池も壊れたか、計画とは異なる向きになって太陽光を受けられないかも、ということでしたが、昨日は太陽の角度が変わって、太陽電池が起動し、再び通信が確立されて、狙い通りの月面にある「トイプードル」と名付けた岩の映像を送って来たと報じられていました。これは世界に先駆けた快挙だそうで、先ごろの衛星打ち上げのためのロケットでたてつづけにミソをつけて、日本の宇宙への「出遅れ」が危惧されていましたが、月への挑戦のこうした領域での技術では先頭を走るだけの高度な技術力を誇ることを示したと言えるでしょう。

 私たちに馴染み深い月が、こんどは手が届くような対象として、再び脚光を浴びるようになってくるのでしょうね。京都の地下深く岩盤に囲われた琵琶湖ほどの水があるそうですが、同じように月にも実はまだ知られない地下深くに巨大な水槽が隠れているとすれば興味深いですね。私はどちらかというと兎がいたり、かぐや姫がいてくれるほうがいいけれど。

 同じ技術力の問題でも、残念なほうを挙げると、能登地震でその脆弱さを暴露した志賀原発ですね。いまだに変圧器の復旧成らず、この原発に責任を負うべき北陸電力自身が、復旧時期に見通しが立たないなどと言っているそうで、一説には半年はかかるだろうとのこと。この原発は地震が起きて変圧器から油が洩れたり、燃料プールに水漏れが起きたり、敷地で段差が生じたり、いざというときの住民避難の誘導にも重要な役割をはたすべきモニタリングポストが最大18カ所で稼働しなくなっていたり、と様々な点で脆弱さを暴露しただけでなく、何が起きているかについての、原発あるいは北陸電力の発表や政府の発表が様々な点で一転、二転あるいは訂正につぐ訂正というありさまで、住民に正確な情報を伝えるという危機管理上の重要な責務がまったく果たせなかったことが問題視されています。

 火災が起きたと大臣が発表したと思ったら電力会社が起きていないと言い、油漏れが3600リットルだと発表したかと思えばあとで5倍以上の油漏れであったことが分かったり、水位の上昇は観測されなかったと言ったと思えば実は水位が3メートルも上昇していたと訂正され、敷地内で相当な段差が生じたりしていたことも、かなりあとになって判明しています。モニタリングポストが最大18カ所も機能不全に陥ったことは、万一の場合の住民避難に大きな不安を残しました。住民避難に関してはさらに、避難路に想定されている道路が地震による崖の崩落、土砂崩れや津波の影響で通行不能になるなど、そもそもの原発周辺の道路の実情と避難計画とに整合性がなく、実際に原発に大きな事故が生じたときにはいまの避難計画は絵に描いた餅にすぎなくなってしまうのではないか、という危惧を県民に抱かせたに違いありません。わが国は一方では、月にピンポイント着陸するほどの高度な技術を生み出しながら、こと原発に関しては過去何十年も、政府と電力会社が結託して、原発村の学者を動員して安全神話をデッチあげ、札束で立地地域の住民の頬をひっぱたくかのような無理筋を押し通して稼働してきた経緯があるので、いざ現実に事故が起きたときの住民避難の計画などは、地域の道路事情や原発の脆弱性をまるで勘定に入れない、机上の空論の域を出ないようです。

 ニュースに触れていくと、月面着陸のような明るいニュースはほとんどなくて、「日本を代表する世界のトヨタ」が、なんと認証取得に関わる不正を十何年だか、長年にわたってやっていたというようなニュースがとびこんできます。なにかトヨタにとって不都合なことが明るみに出ても、ふだんから巨額の広告料をマスメディアに支払っているから、マスメディアも追及にはまったく及び腰で、せいぜいこんなことがありました、と淡々と報じるだけで、政治家を叩くようにはよう突っ込まないのが実際のところで、少々の不正があろうと、大量のリコールがあろうと、ごくごく小さく報じられて、明日からはまた「日本を代表する世界のトヨタ」が何事もなかったかのように大手を振って世の中をわたっていくのでしょう。

 政治家の裏金事件は、このままだと首相も党も支持率低下に歯止めがかからないと不安になった岸田さんが盛んに先頭切って派閥解散だの政治家と会計責任者との「連座」制も「検討する」ようなことを口にしてみたり、大焦りのご様子。本来なら「連座」どころか、会計責任者は親分に指示されるか、暗黙の了解を得てやっているに決まっている(それが国民のほぼ100%が内心では分かっていることでしょう)ので、法的責任を問われるべき張本人は政治家の方であることは国民にとっては自明の理で、いまの安倍五人衆だか六人衆なんてのは、みな本来なら犯罪者としてお縄を頂戴しなくてはならない身のはずです。

 それが会計責任者だけ罪に問われて自分たちは立件を免れたからといって、さあこれで全部きれいさっぱり片がついた、とでも言いたげに五人衆だか六人衆だかの面々が揃って爽やかな笑顔で議場を汚しているのを見ても国民が何とも感じないほど鈍感だとたかをくくっているのかね、この連中は。          

 話は違いますが、さきほどネットを見ていたら、またフィリピンで特殊詐欺犯が8人ほど逮捕されたというニュースが出ていました。何度も繰り返している既視感のあるニュースですが、そろそろこういうのに対して警察も何かきっちり潰していけるような手を考えないと、警察はいったい何をやってるんだ、ということになりますよ。海外を拠点にされると色々難しい問題があって、なんていう言い訳はもう一つ、二つで十分。いつまであんな悪質な連中をほうっておくつもりでしょう?

 昨日驚かされたのは、ずっと交番やなんかに貼ってあった指名手配犯の中から消えなかった、東アジア反日武装戦線のメンバーだという桐島聡容疑者とみられる人物が、末期癌での死を前に、死ぬときは本名で、と周囲に名乗り、間もなく亡くなったというニュースでした。はじめは海外にいた、なんて報道も流れていたけれど、彼だと知らずにつきあってきた周囲の人の証言では、少なくともこれまでの25年間くらいは神奈川県藤沢市で別の名前で住み込みで働いて、なにげなく周囲の人ともつきあっておとなしく過ごしていたらしいとのこと。

 事件からは50年、半世紀の歳月が過ぎ去っています。彼等のしかけた爆弾テロで亡くなった人の家族にとっては無念きわまりないでしょうが、いまもまだ行方のまったくわからない犯人グループのメンバーもあるとか。しかし半世紀そうやって身を隠して別人として生きる人生というのは、あの爆弾テロをした当時のこの人物自身にも想像もつかないものだったのではないか。
 最後に名乗り出たのは、遂に警察には捕まることがなかった、という、そのことだけが身を隠して半世紀生き延びる心のよりどころ?になっていたからじゃないか、とふと思いました。しかし、きょうの報道では「後悔している」という言葉も見えていましたから、もうそんな気持ちもなくしていたのかもしれません。

 報道された中で、元捜査員の一人が、彼等のやったことはとうてい許されるものではないが、彼もまた時代に翻弄されて自分を見失った、ある意味では時代の犠牲だともいえるだろう、というふうなことを言っているのが印象に残りました。
 もちろんそんな言い方を曲解して受け取れば、あらゆる犯罪者の行為を時代のせいにしてしまうようなところに陥ってしまいかねないけれど、犯罪を憎み、犯罪者を抑止することを仕事にしていた元捜査員がそういうつぶやきを漏らすのも、半世紀の時間がそこに横たわっているからでしょう。

 私はもちろん幸いにも、テロにも犯罪にも関わるような人生を歩んでは来なかったけれど、小心者の平穏無事な人生であれ、ある意味で時代に翻弄されてきたといえば言えなくはないと感じることはあります。もちろん自分でそのつど選んで来た人生ではあるけれど、遠い過去になって振り返ってみれば、まさに時代とともにあったことはまぎれもない事実で、その受け止め方が人それぞれであったに過ぎないという気がします。
 もちろんそれは自身の生き方に関して責任を回避することでもなければ、後悔があるわけでもなく、客観的な事実としてみれば、多かれ少なかれ誰にとっても言える事ではないか、と思うだけです。


きょうの夕餉

★カボチャスープ
 カボチャのスープ

★チキンのガーリックパン粉焼き
 チキンのガーリックパン粉焼き。焼き野菜添え。マッシュルーム入りトマトソースかけ。

★生野菜各種
 生野菜。パクチーヨーグルトマヨネーズ添え。

★サラダ
 グリーンサラダ

 あとバタートースト(端パン)。以上でした。

わが家のキンカン
 昨日もいできたわが家のキンカンの実。割いて中のタネを取り出し、砂糖煮にします。

キンカンの砂糖煮2
 これができあがったキンカンの実の砂糖煮。ジャムや、キンカン入りのパウンドケーキに使われます。あれだけ(800g)あっても、小瓶三つにおさまってしまいました。

栗爪1
 これは何かお分かりになりますか?上端にギザギザ爪のような者が並んでいます。硬いプラスチック製できっと原価は1円くらいでできちゃうんじゃないか(笑)。でもなくてはならない、超便利な小道具です。さて、なにに使うでしょうか?

栗爪2
 プラスチックで、下のベロ状のものは少しくぼんでいます。裏返せばそこはふっくら盛り上がっています。ごくわずかですが。

 答は「栗爪」というのだそうです。いわゆる天津甘栗みたいな焼き栗の殻にこの爪を立てて、ぶつぶつ穴の列をつくっておいて、その列の両側を指ではさんでぎゅっと力をいれると、殻がパカッと割れるわけです。これを自分の爪でやろうとすると、なかなかうまくいかないことも多いけど、この小道具を使うと、ふっくらふくらんだ栗ならたやすくパカッと割れて、中の身が綺麗に取り出せます。栗爪をおしあてるとき、上手く力が入るように、親指があてやすい窪みがつくってあるわけです。

 先日また長男のふるさと納税の返礼品で、甘栗が届いたので、きょうパートナーが焼いて、これでパカッ、パカッと割っているので、面白いな、と思って(笑)。日本人はこういう小道具を考えつくのが実にたくみですね。百均などへいくと、そういうのが一杯あって楽しい。

栗の渋皮煮入りパウンドケーキ
 このケーキの下のほうの黒いのは、栗の渋皮煮という、二日がかりでないとできないらしい栗の菓子で、そいつを作って冷凍しておいて、ケーキに入れる時に取り出して使っています。今回はこの渋皮煮の栗を入れたケーキを焼いていました。長男も私もすきです。このブログで以前に、つい「蒸し栗」なんて書いたのですが、間違い。私は食のことに疎くて、知識を与えられても右の耳から左の耳へ抜けて、おぼえられないので、いつも間違えて頓珍漢なことを書いていますので、あまり信用なさらないように(笑)。










saysei at 22:32|PermalinkComments(0)

2024年01月29日

キンカンの収穫

キンカン
 きょうは庭のキンカンの2度目の収穫日。相当たくさんとってきました。軍手をはめたのですが、やっぱりとげにやられて、気づいたら右手の甲と手首の辺りの二カ所から血が出ていました。
 キンカンの実は全部で800gほどあったそうです。まだ青みの強い実が残っているので、もう少しお日さまをあびて黄色くなったら3回目の収穫とする予定です。きょうとったキンカンの実は、ジャムにしたり、それをまたパウンドケーキに入れてもらいます。私はキャラウェイシードのケーキが飽きず、好きですが、その間にときどき、昨日焼いた、栗のケーキや、キンカンのケーキが入ると変化があって楽しいし、どれも美味しい。

★今日の夕暮れの比叡
 きょうは朝のうちはどんより曇っていましたが、夕方になると空が綺麗に青空になっていました。それで、少し遅掛けながら、4時ころから久しぶりに電動アシスト自転車で上賀茂の野菜自動販売機めぐりをしてみました。ゆっくり、やすみやすみ行ったので、息は上がっても、それほど「しんどい」ということはなく、無事に帰って来られました。この写真は帰りに、例によって高野橋の上から撮ったもので、もう夕暮れで山肌が茜色に染まっていました。

上賀茂野菜
 きょうは戸田農園さんのボックスに珍しくロマネスコが入っていました。まだ小さいのが二つ、三つ。300円でした。この野菜はコリコリと歯ごたえがよく、味や食感はカリフラワーに似ていると思いますが、カリフラワーよりも典型的な3Dフラクタル図形の形態をしていて面白いので、前に出ていたときはよく食べていました。

 あとはネギ(200円)、小松菜(100円)、ホウレンソウ(100円)にメカブです。メカブは小さめの可愛らしいのが沢山はいった袋ひとつ100円。生シイタケは上賀茂の「なかむら」に出ていた徳島産の巨大な椎茸で、この店ではときどきこれが出ていて、みつけると私は買って来るようにしています。大きさも特大で肉厚だけど、肝心の味が他の産地のと食べ比べると問題にならないくらい美味しくて、そのまま焼いて醤油をちょっとつけて食べたり、ビフテキみたいなシイタケのテキにして食べると最高です。実は毎朝少しだけヨーグルトに入れているチリ産の大きな袋にいっぱい入った安い干し葡萄を買いに「なかむら」へ寄ったのですが、この椎茸は拾いものでした。

 きょうも確定申告の医療費控除の証拠の領収書の仕分けと金額の計算、それから控除額を導き出す計算等々をし、最終的な納税額をはじきだす作業をしていました。頭も手もとろくなっているせいか、もともと経済の数字に極端に弱いせいか、やたら時間がかかり、やたら間違い、やたら何度もやり直して、結局半日くらいかかってしまいました。納税額から直接控除額をさっぴいてもらえるなら、それなりの眼に見えた減税効果があるけれど、課税所得から控除するだけだから、該当ランクに指示されている比率を課税所得に掛けて導かれる税額はそれほど大きく変わってきません。医療費控除がゼロの場合と比較して5000円ほど節約できたでしょうか。半日タダ働きをしたので、そのシャドウワークの想定人件費を勘定に入れると、必ずしも得をしたとは言えそうにもありません。

 簡単に申告したければ e-tax で、というのが税務署の言い分らしく、そっちへ導こう導こうとする姿勢がありありですが、私にはあのウェブサイト上のフォーマットで次々に項目を埋めていけるというのがとても信じられません。いちいちその項目の説明をポップアップを表示して読まないと分からないし、別のところにある自分の該当するところを見つけ、計算で数値を導くための各種の「表」も参照して計算してこないと、一つの項目が記入できないのですから、そうした裏作業の結果はじめて記入できる各項目の最終の数字だけ書くように空欄をつくったウェブサイトの申告書など、スラスラ記入していけるはずがないと思うのですが、やっている人はどうやっているのでしょうね?きっと私などには想像もつかない要領があるのでしょう。

    これが何十万も何百万も納税しなきゃならないほど高収入の人なら仕方がないと思うけれど、口にするのも恥ずかしいほど(世間の現役の人たちからみれば)ほんの僅かな(と思えるだろう)納税額を導き出すために2日がかりで取り組まねばならない、というのがどうにも理不尽に思えて仕方がありません。自分が宙で打てるような情報だけ打てば、あとはシステムのほうで自動的に控除も精確に計算して正しい納税額を導き出してくれる、というようなことにならないのかしら。
   マイナンバーと医療費なんかを紐づけたりしているのだし、どうせ個人情報を集約するというなら、そういうメリットがなければ個人情報漏れのリスクだけが大きくなって、国民にとって何の益にもならないでしょうに。

 もっと言えば、そもそも老後の年金収入というのは、現役時代に働いた原資で創り出されるべきもので、老後はそれをただそれで命ながらえ、最小限の暮らしを成り立たせるためのもので、いったんは国庫(厚生労働省)や共済組合で預かったお金をいわば返却するといった趣旨のものじゃないかな。そこからまた税金をむしりとる、というのはどういうわけなのか、どうにも合点がいきません。
 もともとの原資が不足してんだよ、というなら、現実的には仕方がないけれども、それなら高齢者にわずらわしい手間をかけさせずに、一旦国庫なり共済組合で預かった金なのだから、そこから一定割合さっぴいて、あとは年金として渡すだけにすれば、個々の高齢者が大変な労力を払って確定申告などしなくて済むじゃないか、と思います。返却配布しておいて、さらにそこから本人に手間暇かけて申告させてむしり取る、というのはどうにも理不尽じゃないか、と考えますがいかが。

 まあ政治家のようにひとの金をパーティーなんかで集めて(笑)のうのうとしている連中は、こんなちまちましたお金のやりとりなんて、まったく視野の外だろうから、われわれ一般庶民は理不尽な仕組みや政治家のつくった理不尽な法に従って我慢しているより仕方がないのでしょう。

 そういえば来週かな?京都市長選挙で、もう不在者投票は始まっているそうです。パートナーなどはこれまで「オール与党」(ただし共産党を除く・・・笑)で慣れ合って、ろくなことをせずに禄を食んで市民を馬鹿にしてきた政治家たちに一泡ふかしてやらなければ、というので、昔ながらの党の体質も思想もこれまでまったく支持してこなかったK党に一票を投じよう、と過激な(笑)ことをのたまわっております。

 かくいう私も意中の人などいないので、今回は「オール与党」という何十年もの間市民を小馬鹿にしてなれ合ってきた連中の誰にも投票したくないという動機付けしかないし、たとえ蟷螂の斧というのでしょうか、微力な一票にすぎなくても、チリも積もれば山となり、ひょっとして山を動かす奇跡が起きるかも知れないじゃないか、とかすかな期待をもってパートナーの投票行動に倣おうと思っています。

 K党の推薦する候補者が京都の市長になったりしたら、そりゃ京都だけじゃなく、全国的に相当なインパクトがありそうじゃないですか。それだけでもやってみる価値はありそうですからね(笑)


きょうの夕餉

★ボルシチ
 ボルシチ

★フグの卵巣の糠漬けスパゲティ
 フグの卵巣の糠漬けのレモンクリームパスタ

★スティック生野菜とヨーグルトソース
 糸島野菜と上賀茂野菜の混合、マヨクリームソース

★パンコントマテ
 パンコントマテ

(以上でした。)





saysei at 18:27|PermalinkComments(0)

2024年01月28日

確定申告

 また確定申告の嫌な季節が巡ってきました。昨日、国税庁から案内というのか催促というのか、そろそろ確定申告しろよ、という書類が来ました。昔は申請書類や説明書も全部入っていたけど、いまはネット経由で申告することを推奨しているらしく、申請書類を手書きする人は自分で国税庁のウェブサイトから取り出さなくてはなりません。ディスプレイでこんな細かな説明書など読んでいられないので、全部プリントアウト。説明だけで一冊の分厚い本ができるほどです。

 私は数字、とりわけ経済に関わる数字というのが苦手と言うより、大嫌いなので、もともと確定申告のような作業は最も不得意とするところですが、さらにこれをディスプレイ上で記入していくなんていうアクロバティックな真似はとてもできません。

 ずいぶん以前に、ネットで申告するとたしか5千円くらい税金をまけてくれるボーナスがあったと思いますが、そのころは欲につられて、ネットでe-taxやってみよう、などと無謀なことを考えたことが一度だけありました。
 項目ごとにいちいち証拠書類をそろえて計算したり、別のページを見て計算してからでないと一つの項目を記入することさえできず、各項目の説明も印刷物と違って一覧性がないから、いちいちクリックしてポップアップの解説を表示して、読んで理解した上でまた元の項目に戻る、というふうな非常に複雑で手間のかかる作業になることが分かって、すぐに断念したおぼえがあります。

 おまけにそのころは、なにか有料の小道具を買わないとe-taxが出来なかったと思います。いまはそんな小道具は必要なくなったようですから、少しは改善されているのでしょうが、それでも書類でさえ、正しい数値を記入していこうとすれば、非常にややこしくて、あっちこっち確認したり、証拠書類を見たり、別のページにある表をみて自分のに該当する所を見つけ出して計算したり、といったややこしい作業を経なければ記入していけないので、これをパソコンや、ましてスマホで短時間にやってしまえる人など、私には特殊な才能を持った人だとしか思えません(笑)。

 と言っても、私の所得は厳密に年金だけなので、現役で多方面から収入のあるような人からみれば、最も単純な所得形態ですから、本来ならもっともっと申告書づくりの作業は単純・容易でなければならないはずです。
 それでも例えば、しょっぱなから、収入=所得ではないし、源泉徴収票の「収入」をそのまま書いたのではだめで、説明書にある表で自分の該当するところを(たいていは最低ランクのところを見て)みつけ、必要な計算をして、自分の所得がいくらということになるのかをはじきださなくてはなりません。
 社会保険や生命保険や地震保険といった様々な控除についても、証拠書類にあるそのままの金額を書けばいいのだったら簡単なのに、解説に記された多様なケースのどれに自分が該当するかを確認の上で、あみだくじを下へ辿っていくみたいに、正しい控除額にたどりつかなくてはなりません。

 そして、最後に膨大な領収書をかかえた医療費控除の金額をはじきだす作業が残っていますが、もう半日うんざりしながら作業してきたので、疲れ果ててしまったので、明日にまわすことにしました。
 この医療費なども、保険やら指定難病に対する高額医療費の補助などで補填される分は差し引いて正味自分が支払った金額を導き出さなくてはならないので、いくら領収書の枚数が多くても、作業し終えて計算してみたら、お金が返って来る下限である10万円を越えないこともままあります。
 そういうときはそれまで膨大な作業をしてきたあげくだから、その虚しさに、ガックリきます。去年がそうでした。
 今回は高額医療費の補助をもらって、月1万円が支払い限度になっているけれど、その1万円を毎月払えば年間では12万円になるから、医療費控除は受けられるのではないかと思っていますが、月1万円までいかなかった月もありそうだから、微妙なところでしょうか。

 こんな年金暮らしのくたばりかけの高齢者からも、けっこうな税金をむしりとっていくいまの税制には、とても理不尽なものを感じます。現役時代にもう十分ご奉公してきたじゃないの、と言いたいところです。このうえ、防衛費を増やすから増税する、なんていう政治家にわざわいあれ!

 きょうはおかげで何もできませんでした。


きょうの夕餉

★鱈の唐揚げ中華ドレッシングかけ
 鱈の唐揚げの、生野菜載せ、中華ドレッシングかけ。生野菜は、パクチー、ネギ、ショウガ、セロリ、スプラウトで、とても美味しかった。

★ぎょうざ
 餃子。これにもパクチーはじめ、いろんな野菜がはいっているそうです。

★麻婆豆腐
 麻婆豆腐。

★ホウレンソウしいたけ卵のスープ
 ホウレンソウ、シイタケ、卵のスープ。味の濃いおかずが多かったので、このスープが美味しかった。

(以上でした。)

マロンパウンドケーキ
 これはきょうパートナーが焼いた、栗の渋皮煮の入ったパウンドケーキ。市販のと違って、材料は卵や牛乳、生クリーム、わが家で二日がかりで処理した栗など、みな純粋なものばかりで、みょうなものが入っていないので、卵の味がして美味しい。

 

saysei at 20:44|PermalinkComments(0)

2024年01月27日

宮川一夫『キャメラマン一代』を読む

 きょうは処分しようと思っていた本の中で、まだ読んでなかった本を一冊、映画のキャメラマンとして42人の監督の女房役として132本の作品を撮ったという宮川一夫さんの『キャメラマン一代~私の映画人生60年』(PHP研究所 1985刊)を読みました。これがとっても面白かった。

 なにしろ長い撮影期間の間ずっと監督の最も重要な相棒として、そのすぐ近くで監督のふるまいを目撃し、その言葉を直接耳にし、議論しあって、ときに激しくぶつかりさえするような関係を取り結ぶこと42人、132本というのですから、自分がかかわったどの監督、どの作品についても、たとえちょっとしたエピソードにしても、実に生々しい、この人でなければ語れないことがあって、その監督、その作品に心を動かされたことのある人なら誰しも興味津々で読まずにはいられないことがいっぱい。

  中でも、「宮本武蔵」の稲垣浩、「羅生門」の黒澤明、「浮草」の小津安二郎、「瀬戸内少年野球団」の篠田正弘、「お遊さま」、「雨月物語」、「近松物語」の溝口健二についての回顧はとても興味深かった。
 「羅生門」では登場人物の背後に太陽が大きく輝いていなくてはならないという技術的に無茶な要求にたいして、森の木々の枝の間から射す木漏れ陽を使って見事に監督の要請に応えたエピソード、「浮草」では小津のローアングルをめぐるやりとり、「雨月物語」では溝口の言う、「映画ってのはね、絵巻物なんだよ」という言葉、あるいは「近松物語」では「惚れちゃ困る」(主演の長谷川一夫が美男過ぎて、最初からおさんが彼に惚れていたら全然話が違ってきてしまう。心中しようと舟に乗ってから茂兵衛の告白を受けて初めて、おさんが、「それを聴いて死にとうのうなった」というのでなければならない)という溝口のつぶやき・・・それぞれに興味深い回顧でした。

 もう一つ、私が知らなかった映像で宮川さんが撮ったことを初めて知ったのは、サントリーの1981年のテレビコマーシャル「雨と子犬」です。これはカンヌ国際映画祭のCM部門で金賞をとったそうですが、YouTubeで動画が公開されていたので、早速見ることができました。保健所で屠殺処分されるのを待つばかりだった雑種犬をひきとって、その子犬が雨の京都の街を、自転車にぶつかりそうになったり、頼りなげに歩きまわる姿を子犬と同じ低いカメラ位置で撮って、最後に「いろんな命が生きているんだなぁ。・・・元気で、とりあえず元気で。・・・みんな元気で」というナレーションで終わる60秒のCMです。
 子犬は「トリス」と呼ばれ、CM撮影が終わってから、或る飼い主に引き取られ、幸せに暮らしていることもYouTubeのほかの情報で分かっています。このCMを宮川さんが撮ったのだそうで、企画・コピーはコピーライターとして著名な仲畑貴志だそうですから、一流のスタッフの才能を結集して制作された映像だったのでしょう。いまみても、とてもいいです。

 宮川さんは本書の中で、こんな言葉を残しています。

 「私にいわせれば、シナリオを脚本家にまかせたままにせず、監督も一緒に練るべきだし、監督が脚本を書けるというくらいじゃないと駄目です。・・・ 昔の監督で現在も立派な仕事をしているのは、全部自分で脚本を書いた人です。脚本を書けなかった監督は皆崩れてしまったり、消えてしまいました。」(p205)
  
 売れっ子映画監督が、ヒット狙いでベストセラーマンガなどを原作として採用し、脚本はもちろん脚本家任せ、といったことがありふれたことになってしまった今、志のある映画監督は宮川さんのこうした言葉を胸に刻んで初心にかえってほしいな、と思いますね。濱口竜介さんなどは、その点では志のある信頼できる映画監督だなぁ、とあらためて思います。

 時代考証についても宮川さんは当然ながらいまの映画やテレビの時代劇のいいかげんさを厳しく批判しています。みなさんも、こういう目でNHKの大河ドラマを御覧になってはいかがでしょう?(笑)
   
  「私は、その時代よりも新しいものを出しては絶対だめだと思います。それより古い分にはいくら古くてもかまわない。…価値があるかどうかということではなく、さかのぼって古い物は、画面にあってもいいが、その映画より新しい物はだめだということです。これはあり得ないことだからです。
 それが、全部混同してしまった時代劇もよく見受けます。テレビを見ていてもヒヤッとすることが、たびたびあるのです。・・・
 ・・・お姫様画立ったまま襖を開けたりする。御殿ではそんなことはあり得ません。どんなに慌てていても、奥女中が必ず襖のところにいますから、自分の手を使って開けることはありません。お姫様や殿さまが自分で襖を開けて出て来る―そんな馬鹿なことはありません。」(p193-194)

     宮川さんはここでは襖の開け閉めや、茶碗などの小道具を例に挙げて語っていますが、登場人物の使う言葉についても同じことが言えるでしょう。さすがにそこまでひどいことはしないだろう、と思って言葉を俎上にはあげなかったのかもしれませんが、平安時代の人間のはずがいまのジャリタレのお喋りのような「現代語」を平気で喋りまくる「時代劇」を宮川さんが御覧になったら、さぞびっくり仰天されたことでしょう。

 キャメラマンや映画監督の年齢についても、体験的に結構厳しい見方をしておられたようです。

  「『僕、はっきりいうよ。映画のキャメラマンでも、定年は五十五歳だと思う。~ん、その僕が今でもやってるのはおかしいか』といって笑ってしまいました。
   私は、正直いって、ニュースキャメラマンは四十歳までだと思っています。若い時からニュースをやってきた人で、すぐれたカンと経験をもってしても、その限界は四十四、五歳です。   
 ・・・ 監督も気持よく、自分の思う通りの映画を撮っていたのは、やはり二十七、八歳です。昔は、若かったものです。今では、大学を卒業後、十年近く助監督をして、メガホンを握るのは三十四、五歳になってしまいます。するとやはり、映画にぶつかっていく勢いが違ってきます。(p114-115)

  まぁ今はみんな昔に比べると年齢のわりに若返っているから、今なら四十四、五まではいけるのかな?(笑)。


きょうの夕餉

★すき焼き風煮物
 すき焼き風煮物

★かぶらむし
 カブラ蒸し

★塩鮭
 塩鮭

★もずくキュウリ酢
 モズクきゅうり酢

★スウェーデンの葉の胡麻和え
 スウェーデンカブラの葉の胡麻和え(昨日の残り)

★手羽先と大根の煮物
 手羽先と大根の煮つけ(昨日の残り)
(以上でした。)

 きょうは「帰郷」を少し書き進め、午后は宮川さんの『キャメラマン一代』を読んでいました。

 インコのアーちゃんが餌を替える時、ケージの大きく手前へ開くことのできる正面について、なんだか出たそうにするので、そのまま手前にケージの全面を開いてやると、戸惑った様子でしたが、おいで、と手を出すと、前の方へおずおずと近づいて、いかにも私の手か膝の上に飛んできそうな気配でしたが、飛んだ、と思ったらケージの横面にとまって、すぐにまたみずからケージの中へ戻ってしまいました。ずっとケージの中で暮らしているので、外の世界へ出ることに臆病になっていて、以前にも出してやったことがあって、部屋の中を自由に飛び回るかな、と思ったのですが、焦ってケージにとりついて、一刻も早くケージの中へ戻りたい、といった様子でした。

 しかし今日は、もう一度同じようにケージの全面を開いてやると、その上に乗っておずおずとこちらへ近づき、ついに私の手の上に飛んできました。ところが彼の脚は高齢のせいか曲がっていて、ケージの中の細い止まり木にはつかまれるのですが、私の手の上ではうまく安定してとまることができず、下を向いて、翼をやや広げて、とまどうようでした。それでじきにまたケージの中へ戻っていってしまいましたが、数年間預かっていて、こんなふうに私の手の上に飛んできてとまる、なんてことは初めてのことでした。やはり毎日餌を与えたり、くちばしや爪をなでて愛情を示しているので、アーちゃんのほうもそれに応えるような感情が芽生えているようです。それにしても随分高齢になってからブランコに(おやすみという消灯の直前だけ)乗ってみせたり、こうして手の上に飛んできたりと、あたらしいことに挑戦するのは大したものだと感心しているところです。






saysei at 21:36|PermalinkComments(0)
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