2023年12月

2023年12月31日

SwedenからのX’mas card

Stina1のX'mas Card 2023-12
  きょうスウェーデンから嬉しいクリスマス・カードが届きました。
  とびっきり可愛い幼い女の子だったスティーナちゃんが、すっかりお姉ちゃんになって(五つちがいだったかな)弟のエーリック君を橇にのせて遊んでやっている写真が印刷してあります。このエーリック君も真ん丸の顔に真ん丸の大きな目、とっても可愛い男の子です。

修正
 スティーナちゃんが描いてくれたハートマークとお星さまがいっぱいの絵、画像では目隠しさせてもらいましたが、上の白いところに私のフルネームを平かなで書いてくれています。嬉しいですね。

 年賀状が何枚か戻ってきた中に、ちょっと戻ってくるのが不思議に思えた人のをあらためて調べてみたら、去年の賀状で住所変更を知らせてもらっていたのに、住所録の方を訂正するのを失念し、おまけに転居で関西へ戻って来られたことも失念していて、思い浮かべる時はいつもまだ東京に住んでいる姿ばかり思い浮かべていたのです。われながらずいぶんボケたなぁと思わずにいられませんでした。こちらから賀状を出すのもかえって気を遣わせるかも、とOGについては思うこともある中で、ほかの人はともかくも、たぶん彼女は<当然>元旦に私の賀状が届くと思っているでしょうから(笑)、あわてて、あらためて書いて郵便局の中の賀状専用ポストに出しに行きましたが、もう真っ暗になってからだし、きっとずいぶん遅れてつくのでしょう。ごめん!

 きょうは朝の10時半から、そば鶴さんが例年年越しそばを売り出す当日売りの分を買いに、店から少し大原通を上がったところに設けられた販売所へ行きましたが、すでに「当日売りは完売しました。」の貼り紙。例年は昼前に行っても大丈夫だったのですが、こんなに早く完売とは、当日売りを少なくされたのかもしれませんね。次男によればいまやそば鶴さんの名は東京の人でも知っているそうで、自分の住んでいるところを言うと、そば鶴のあるあたりでしょ?とか言われるらしい。そんなに有名になってしまったら、そば鶴さんの年越しそばが私たちの口に入らないのも仕方がないかもしれません。

 私がこんな病にかかる前は、子どもたちから孫まで、そば鶴さんには本当によく行ったものです。そば鶴さんがあれば老舗の料亭かなにかで食べるのに勝るとも劣らず美味しいものが食べられるので、わざわざ街中へ出ていく必要を感じなかったものです。

 しかし、私がこの病にかかって多種類の薬剤を服用するようになり、やがてその副作用と思われるひどい味覚障害にかかり、それが治る前にコロナが流行しはじめて、肺疾患をかかえ、ステロイドの大量療法をつづける高齢者という、重症化3要件を全部そなえてしまっているために、確実に死に至る急性増悪の引き金になるリスクが大きいと言われた外食を一切断ち、人に会わず、人の集まるところへもいかず、公共交通機関も一切使わないひきこもり生活をするようになって、そば鶴さんにも行けなくなってしまって、ただ大晦日のこの日だけは昼前に行って次男一家のところとうちの年越しそばだけはいただくようにしていたのでした。

 今年は残念ながらそれもできなくなり、やむを得ず生協で海老と生そばを買って来て、パートナーが次男一家とわれわれのための年越しそば(わが家はそれが夕食)をつくってくれました。わが家のは海老天ではなくて鴨なんばんです。

そば
 年越しそば。私のコレステロールの心配で海老はなるべく食べないようにしているので、年越しそばも鴨なんばん。

海老頭カラアゲ
 でも、海老の頭のカラアゲだけはいただきました(笑)。私がぼりぼり食べてしまうのを見て、パートナーが、「ほんとは海老、好きやったん?」実はそのとおり。母が若い頃自分は「海老姫さま」と言われていた、などと変な自慢めいたことを言っていたように、めっちゃ海老の好きな人だった血をひいたのか、私もほんとは海老、大好き。でもコレステロールが一番高いとかで、真っ先にやり玉にあげられる食品なので、長い間手をつけてこなかったのです。パートナーはそう好きじゃないようで、ほうっておくと孫が来る時以外は海老が食卓に出ることはありません。だから私の海老好きはいままで知らなかったと言います。半世紀近く一緒にいても知らないことはいっぱいあるものですね。

 孫がまた海老が大好き(笑)。遺伝と言うのも恐ろしいものです。その好みは確実に隔世遺伝しているし、どういうわけか叔父である私の長男と孫はそっくりの好みなのです。孫が夕食を共にするときは、パートナーはよくアマエビを出します。でもそういうときは私はコレステロール云々があるので、原則ぜんぶ孫にゆずってしまうので、一口も私の口にははいらないことが多い(笑)。まあこの齢になるとそれもどうってことはありません。若い時なら食い物の怨みは・・・なんて恨みがましく思えたかもしれないけれど。

いなり
 わが家の定番になっている稲荷ずしもきょうパートナーがつくって、孫の内にも届け、わが家でもいただきました。スシアゲはパートナーにこだわりがあって、もちろん森嘉さんのスシアゲです。

ほうれんそう
 あとはホウレンソウのおひたし。

(以上でした。)

玄関の花
 玄関の靴箱の上に飾った花。

鏡モチミニ
 ミニ鏡餅。上にはキンカンをのせたらちょうどよいと思っていたそうですが、夜なのでとりにいくのをさぼって、小さめの蜜柑をのせてあります。

龍(箸置き)
 これは実は知り合いの陶芸家のご主人が作って下さった箸置きなのですが、毎年干支にちなんだ箸置きや湯呑をいただいてきたので、年ごとにこうしてささやかな正月飾りに使わせていただいたり、その干支にあたる年に生まれた家族が専用の湯のみを使わせてもらったり、重宝しています。今年は龍の年なので、なにかないかな、と思っていたら、前にちゃんといただいていたようで、パートナーが取り出してきて玄関に置きました。これでわが家の正月飾りがすべて完了しました。

 ではみなさま、どうぞよいお年を!









saysei at 20:59|PermalinkComments(0)

2023年12月30日

フキノトウを見つける!

フキノトウ1
 きょうの昼間、庭に陽光が射してぽかぽか温かそうだったので出て見たら、庭の陽のよくあたるあたりに、なんともうフキノトウが頭を出しているのを見つけました。

フキノトウ2
 みつけたのはこの二つだけですが、それにしても早いなあ。こんなに寒いうちから出て来て大丈夫なのかな。フキノトウは苦い味も素敵な香りも大好きなので、今年もたくさん出て来てくれるといいなぁと期待しています。

万両
 いま万両がたくさん真赤な実をつけています。

千両
 その背後には黄色い千両もたくさん。パートナーが、それをちょっと切ってきて、と言うので、どうするのかな、と思っていたら玄関の花瓶に飾っていました。お正月の花ですね。きょうお正月用の仏さん(仏壇)に備える花を買いに行ったら、めっちゃ高かった、とぼやいていました。いわゆる仏花にした花束ではなくて、単なる飾り花が正月だというので特別高価な値をつけて売られているようです。残念ながらいまわが家の庭に咲いている花はないので、仏さん用は買って来たそうですが、玄関はわが家の千両・万両で間に合わせたようです。

キンカン
 キンカンも沢山実をつけて、網のおかげでヒヨドリに横取りされもせず、昨日パートナーは20個ほど熟したのをとって砂糖汁と一緒に煮込んでいました。表面に十字型の傷をつけて、そこから種を出すのだそうで、あとは煮詰めて、ちょうどキャラウェイシードケーキのシードやオレンジのようにケーキに入れたり、ジャムを作ったりするようです。

オレンジレモン
 オレンジレモンもすっかり熟して黄色く色づいています。冷蔵庫に入らないし、しばらくこのままにしておくんだそうですが、いずれもいで使うそうです。

kumo
 きょうはとてもよく晴れて気持ちの良い日でした。空を見上げると、秋の雲みたいに青空に高く、美しい雲が文様を描いていました。

★クリームシチュウ
 きょうはお昼にたっぷりと韓国風キムパや昨日のおでんの残りなど、おなかにもちのよい食事をしたので、夕餉はシンプルにということで、メインはこのクリームシチューのみ。鶏の肉団子と鱈、白菜、キノコのポルチーニ・クリームシチューです。

★パンコントマテ
 パンコントマテとオイル漬けチーズ。

★サラダ
 グリーンサラダ。これにも、上のトマトとオイル漬けチーズの残りをつけて食べたら、とてもおいしかった。

 きょうは「帰郷」を書き継ぐために昭和20年代初頭の資料に没頭して、その時代の空気に浸って過ごしました。しばらくはこれをやらないと、前の所まで書いていた感覚に戻れない気がして、実際に目にする情報が役立つかどうかなんてせこいことは考えずに、とりあえず浸りきるだけ。母が当時切れ切れに書いていた、インクの字がもう薄れて見えなくなりそうな日記など読んでいると、自然に自分がまだ生まれて1歳、2歳のころの三重県の片田舎の農家である祖父母の家の、そのころの空気が少しずつ感じられるような気がしてきます。

 もう一つ、同じくらい時間をかけてなお分からなかったのが、叔父の遺書の中のたった一字の漢字。前後関係からは、おそらく済州島の「済」のはずなのですが、「西」、「襾」、あるいは「雨」のかんむりの下に、続け字なのでどうしても読めないのですが、「月」あるいは「句」と形が近く思える字が来ている、読めない文字があって、これをあれこれ調べても分からない。下の字が「齊」なら、「霽」で「セイ」とか「サイ」と訓む字があって、「済」の音を同音だからというので「霽」を充てたと考えられなくもないと思ったのですが、どうみても下の字が「齊」とは見えないのです。

 それでも、可能性のある字を片っ端から探してみましたが、見つけることができなかったので、音が同じだから、この字の可能性がまだしも高いかも、と思っています。指示される対象としては、下関空襲に来る米軍機の径路にある南朝鮮の島、という前後関係でうかがわれるその島を地図で探しても地名で探しても、やっぱり済州島しか見当たらないのです。当時「済州島」を「
霽洲島」と書くような習慣があったんだろうか、或いは古くはこの島の名がそう書かれていたのだろうか、とも思って調べてみましたが、そんな事実はなさそうです。

 とすると、この島の名をそんな風に書いた文献がどこかにあったのを見て、少々気取ってこの難しい字を使って見たかったのかもしれません。同音なのと、「
霽」が「晴れる」というふうな意味らしいから、縁起のよい文字だから、そんな置き換えをするようなある種の文字文化というか流行があったとか・・・妄想かもしれませんが。



saysei at 22:29|PermalinkComments(0)

2023年12月29日

日本侠客伝~関東篇をみる

 きょうは身体を温め、頭のてっぺんから足の先まできれいにして、さっぱりしたいと思って、昼間のまだしも温かい時間帯にゆっくり時間をかけて入浴。
 出てからは湯冷めしないよう温かくして、少し疲れたので何もしないで、録画しておいた日本侠客伝の関東篇というのを見ました。やくざ映画と戦争映画が嫌いなパートナーは、前をうろうろしながら、まだこういうのを卒業できないのね、などと当てつけの言葉を放ちます。いつもプライムビデオもネットフリックスも彼女が完全独占して、四六時中韓流ドラマや華流ドラマばかり見ているんですがねぇ(笑)

 パートナーと私のまったく趣味・嗜好の合わないところは、このヤクザ映画と戦争映画なんですね。これだけはどうしても生理的にダメなようです。私も実際のヤクザや戦争は嫌いですが、やくざ映画や戦争映画は好きと言うほどではないけれど、やや疲れて精神的に退行しているような状態のときに見るには適しているようで、ときどき見ます。菅原文太の「仁義なき戦い」シリーズ、高倉健の「昭和残侠伝」シリーズ、藤純子の「緋牡丹博徒」シリーズの中の(といってもそんなに全部見ているわけじゃないけれど)それぞれ一つ、二つはとてもよかったな、と記憶に残っています。こういうのは単純に好き嫌いだから、合わないのは仕方がないですね。だいたいは私が遠慮して居間のテレビではみないでパソコンのディスプレイでこっそり(笑)見ていますが、きょうのは先日たまたま見つけて放映しているのを居間のテレビにつながっているHDに録画したものですから、それを見ていたので、彼女はいつもの自分の定席を取られたと思ったのかもしれません(笑)。

 あとはフロイト先生の『ヒステリー研究』の一人目の症例を読みました。なかなか面白い。
 そしてきょうはこのところずっと書きあぐねている「帰郷」のこれまでのところをもう一度読み返しました。体調もほぼもとに戻ったようだし、気力も少しは上向いてきているので、ぼちぼち<気>を蓄えて書き継がないと、ほんとにエンジンが止まってしまって、再起動がますます難しくなりそうですから、年末からまた書き継いでいこうと考えています。

きょうの夕餉

★おでん
 きょうはおでんでした。

★シシャモと鱈
 あとはシシャモと鱈ののこり。

★ブロッコリ
 ブロッコリ

★砂肝、スプラウト
 砂肝の残り

★ぬか漬け
 ぬか漬け

以上でした。

 




★シシャモと鱈





saysei at 22:34|PermalinkComments(0)

2023年12月28日

公立小中学校の76%は生成AIを活用せず ~きょうの新聞から❺

 全国の約2万6千の公立小中学校に対する、この9月から11月にかけての調査によれば、その76%が校務に生成AIを活用していない、という結果が出た、と報道されていました。学校の教員の校務多忙が問題視されてきましたが、生成AIの活用に着手する時間もないということでしょうか。

 中学校の教員が1週間に事務作業にあてる時間は5.6時間で、これはOECDの18年調査によれば48カ国中最長で、平均である2.7時間の2倍に近いのだそうです。

 その長時間労働を少しでも短くする有力な手段のひとつが生成AIのはずですが、現状は上記のとおり。
 国際化の掛け声で新しい会話中心の英語教育の充実強化が謳われて、いろいろと付け焼刃的な対応策がとられたときも、私は小中学生よりも、まず教員をしっかり教育すべきじゃないか、と思っていましたが、今回もまさにそれで、まず教員が自らの担っている校務を生成AIの援けを借りて軽減することで、自らを長時間の拘束から解放すると同時に、生徒たちのディジタル能力を高めるために、そこで実践的に学んで来たスキルを役立てる、というのが、あるべきまっとうな道筋ではないかと思います。

 一般労働者のリスキリングも無論良いことだけれど、将来を考えるなら、児童生徒のディジタル能力を飛躍的に高めていくことが不可欠だし、そのためにはまず全国の教員のディジタル教育を徹底して行う必要があるのではないでしょうか。

  あとのニュースは項目だけですが・・・
・安倍派の池田佳隆衆院議員に、政治資金規正法違反事件で、初の強制捜査が入ったという報道。いよいよ議員にも直接捜査の手が及んだということで、「先生」がたも戦々恐々としておられることでしょう。なお、この池田という人は萩生田光一元政調会長の子飼いの議員だそうで、日本青年会議所会頭のときに人脈≒金脈を築いたから、私たちが名前を知らない割りに沢山の金をキックバックできるほど稼ぎがよかったために、まずもってやり玉に上がったんだとか。

・沖縄の辺野古で国の代執行始まる。多数の県民の意向を無視して国が強引に工事を始めるようです。こうしたことはいずれ大きなしっぺ返しを受けることになるでしょう。

・河野洋平は、小選挙区比例並立は「失敗」だったと語っていた。当時、野党の自民党総裁として政治改革に参画した河野の口述記録が公開されたとかで、それによれば1994年の細川政権で政治改革が目指され、小選挙区制の導入にまでいたるわけですが、河野は、小選挙区制は金がかからないと言われていたけれども根拠がない、と語り、また二大勢力の構図にしたって、両者が重大な問題でまるでかけ離れた主張をしていたのでは国民は現実的に選択のしようがなく、少数意見を反映することもできない、と言い、自分は本心では定数3の100選挙区がいいと考えていたと述べ、宮沢内閣は腐敗防止法を作ろうとしていたが、いつの間にかそれが選挙制度の議論にすりかわってしまった、と言っていたそうです。そして企業献金は廃止すべきだ、と明言していたらしいです。なら、そうせんかい!

・・・とまあ、きょうの朝刊だけで、けっこうひっかかった記事は少なくなかったですね。

きょうの夕餉

★豚汁
 豚汁

★鱈の甘酢あえ
 鱈の甘酢和え

★砂肝とセロリキュウリ中華風サラダ
 砂肝とセロリ、キュウリ、タマネギの中華風サラダ

★カブラキャベツスナップの柚子ほひたし
 カブラ、キャベツ、スナップエンドウの柚子おひたし

★ぬか漬け
 ぬか漬け
(以上でした。)

  きょうは引き続きフロイト先生の『ヒステリー研究』を読みにかかりました。

saysei at 22:17|PermalinkComments(0)

軍隊であってもセクハラは犯罪 ~ きょうの新聞から❹

 きょうの日経朝刊に、陸上自衛隊郡山駐屯地(福島県)に所属していた五ノ井里奈さんに対する強制わいせつ罪に問われていた元上司の自衛官3人の有罪が確定した、という短い記事が出ていました。原告側、被告側がともに控訴しなかったことから、先般出された判決どおり有罪が確定したということで、これで五ノ井さんの戦いもようやく一段落したと言っていいかもしれません。それは、おそらくいまもひそかに続けられていたり、一時は鳴りを潜めていても、これまで常習的に行われ、おそらくまたほとぼりがさめれば復活しかねない、同種のハラスメントに対する警告になるでしょう。

 「上官の命令は絶対」だったらしい旧日本軍の話じゃあるまいし、自衛隊という事実上の軍隊内のことであっても、セクハラは犯罪だ、ということを公的にはっきり宣言したわけですから、少しは歯止めになるかもしれないし、いま(まで)自衛隊のような、そういうことが見過ごされ、隠蔽されやすい組織でハラスメントを受けて苦しんで来た人たちにとって、わずかでも光明が射したと言えるかもしれません。五ノ井さんの「勝利」はそういう人たちすべての勝利でもあります。

  しかし、その「勝利」を手放しでは喜べないのは、五ノ井さんが告発して以降に限ってさえも、ここにいたるまでに、どれほど辛い、苦しい思いをしてきたかについて、少しでも想像すればわかるからです。きっとこのネット社会の中で、支援の声だけではなく、心無い無数の中傷者たちの誹謗・中傷に傷つけられてきたに違いないし、いったんは謝罪した被告らが、裁判になったとたんに、あれは上司から指示されたから従っただけで、自分たちは無罪だ、などと証言を翻したりした経緯にも、五ノ井さんはどんなに裏切られた思いで傷ついたか想像に難くありません。

 もともと彼女は福島で、東北大震災の時の人命救助や復興に携わる自衛隊員たちの活躍を目の当たりにして感動し、自衛隊員にあこがれて、みずからもそのような人間になりたい、と夢見て自衛隊を志願し、入隊を果たした、夢と希望にあふれた隊員だったのです。それが、彼女の見て来たあこがれの隊員の姿とはまったくかけ離れた、日常的なセクハラやパワハラ、それを訴えても無視し、ごまかし、隠蔽する上司たち、といった現実に繰り返し直面する中で、彼女の夢は無惨に壊されていったのです。それを思うと、「勝訴」だからといって手放しで喜べるはずがありません。本当に苦い苦い勝利で有ったろうと思います。それでもこれが彼女だけではなく、今まで苦しんできた、また今も苦しんでいる彼女と同様の目にあっている人たちにとって、あらたな希望のある一歩を踏み出すきっかけになるなら、彼女の苦しい戦いにも大きな意味があったというべきでしょう。

saysei at 21:41|PermalinkComments(0)
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