2023年07月

2023年07月30日

蔡国強の「昼花火」、ナラ枯れ・木炭電池

昼花火蔡国強「満点の桜が咲く日」

 昨夕シャワーを浴びてホッと一息ついたとき、テレビをつけたら、たまたま4ch.でニュースというのか、少し特定の話題を掘り下げたドキュメンタリー風の番組をやっていて、その内容がとても興味深かったので、見入ってしまいました。

 ひとつはアーティストの蔡国強が福島県いわき市の海岸で行った「昼花火」に関する報道。蔡国強と言えば火薬を使ったアートで、私の記憶が間違いでなければ、1980年代の初めには既に火薬を使ったアートパフォーマンスをやって知られるようになっていたんじゃなかったかと思います。
 まだそのころの「作品」を前衛的な美術展で見ても、古代中国が発明したと言われる火薬を使うというのは面白いとは思ったものの、結果としての作品ないしは芸術的行為というのは、「それがどうした」というような印象しか受けないもので、それほど注目したわけではなかったけれど、その後も時々彼の火薬アートが珍しいせいか、美術雑誌や一般の新聞、雑誌でも取り上げられるのを目にした記憶があります。

 いまウェブサイトで見ると、彼は1957年生まれというから、私よりまるまる一回り若い世代です。え?そんなに若い人だったのか!といまさら驚きました。たぶん美術学校を出てすぐ来日して活動を展開して火薬を用いる独創的なパフォーマンスで早くから注目されたのでしょうね。

 いまは押しも押されぬ世界的なアーチストという評価を確立しているようで、私は関心が無くて知らなかったけれど、北京オリンピックの開会式でもアーティスティックディレクターとして、彼が自身のスケールの大きい作品で演出したようで、世界中に知られる存在になっていたようで、いまは米国に大庭園つきの豪邸を構えているようですが、東北大震災以前の若いころから福島県のいわき市の地元の人たちと懇意にしていて、廃船を使ったアートの制作を地元住民が手助けしたりして、ずいぶん深い関係を築いてきたようです。

 それで、東北大震災と原発事故で福島が廃墟のようになったとき、蔡は世話になったいわき市を訪れて、地元の人の発案した、万本櫻植樹計画、要するに9万何千本からの桜を地域に植えて、人が集まるような場所にしたい、と言う復興計画に協力して、その地に自身の美術館を建てたり、海上に水平線ならぬ花火の巨大な境界線を現出するようなインスタレーションを行ない、また今年6月26日の昼には、いわき市の四倉海岸で「満天の桜が咲く日」という4万発もの花火を打ち上げて真昼の空に桜を咲かせる見事なパフォーマンスをやってのけて、地元の子供たちをはじめ住民を楽しませたようです。

 彼の国家など権力に関わる姿勢には毀誉褒貶もあるようですが、アーティストとしての圧倒的な独創性とスケールやいわき市の住民たちと関わる姿勢にみられるような人間性に関して、ほんもののアーティストとして信ずるに足る存在であることは疑うことができないでしょう。

 久しぶりに蔡国強のアートを垣間見ることができてラッキーでした。


なら枯れの山ナラ枯れの山
 もうひとつの報道は、アートとはまるで関係のない、楢という樹木が次々に枯れる被害とその対策に関する報道でした。これはならをはじめ広葉樹が次々に枯死してしまう現象で、1980年代ころから全国に広がっていて、林野庁や各都道府県が対策に苦慮している問題のようです。カシノナガキクイムシという衰弱した広径樹の幹にとりついてフェロモンで仲間を大勢呼び寄せ、樹木の内部に穿孔してもぐりこんで齧って木葛を排出するのですが、侵入に際して木を枯らす直接の下手人である病原菌を持ち込むらしいのです。つまりカシノナガキクイムシは木を食うけれど、それが原因で木が枯れるわけじゃなくて、この虫は媒介にすぎず、くっついてくる菌のほうが木を殺してしまうのですね。

なら枯れの病原菌ナラ枯れの元凶菌
 
 どうもこの虫は衰弱した大径木を好んで襲うらしくて、じゃなぜその大径木が衰弱しているのかというと、一つには炭焼きで山に入るようなことも無くなって、山林が適正に管理されずに放置され、大径木がそのまま森林に残されてきたこと。それと(京都府農林水産技術センターの
小林正秀氏らの研究によれば)地球温暖化の影響で、ほんらいこれらの広葉樹に適した気温よりも4度くらいも気温が上がって来て、こうした大径木が衰弱する条件に会ったことが分かってきたらしい。なぜ大径木が狙われるかというと、衰弱していても、内部にまだ水分が残啼る度合いが高いから、侵入するカシノナガキクイムシにとって生きるに都合がいいらしいのです。

musi
カシノナガキクイムシ

 とにかくそんなわけで次々にナラの木が枯死して、強風などで不意に倒れたりして、道路をふさぎ、ときに道路を走る車の上に倒木が倒れ掛かるような事故まで起きているらしいのです。

 当初は原因や枯死にいたる過程がよく分かっていなかったために、殺菌剤を注入するなど、色々対策をしてみたけれど効果がなく、ようやく最近それが分かってきて、カシノナガキクイムシが樹木にとりついて穿孔侵入できないように樹木の下部をすっかり覆ってしまうようなシートを巻いたり、ペットボトルでカシノナガキクイムシを捕獲する器具を樹木にとりつけたりする対策をとっているところのようです。
 
トラップ全景
カシノナガキクイムシ捕獲器(小林正秀氏「カシナガトラップの紹介」YouTubeより)

ボトルトラップ
  トラップの一番下にエタノールを入れた捕獲器がとりつけてあって、そこへ足を滑らせたムシが次々に落下してくるという仕掛け。

 これは紹介している小林さんという研究者が考えられたのでしょうか、ほんとによくできた捕獲器ですね。廃物利用で安上がりだし、手間はかかるでしょうが、誰でも作れそうです。実際、YouTubeには作り方の動画までアップロードされていました。この捕獲器を1本の樹に3本ずつセットしているようです。

 こういう害虫や菌との闘いぶりも興味深かったのですが、さらにこの番組で興味深かったのは、虫にやられて倒れた大径木の材木をどうするのか、という廃仏利用に関して、たとえばこんな利用を、と紹介されていた「木炭蓄電池」です。聞いたことはありますが、戦争中にガソリン車のかわりにこれでバスを走らせていたんじゃなかったかな?

 いま話題の木炭電池を開発したのは、
松江工業高等専門学校教授の福間真澄さんという方らしいですが、殆どが木炭でできていて低コストで、リチウムイオン電池で問題になっているような出火事故のような危険性もまったくなく、電解液に水溶液を使っていて安くもあり、安全で、水漏れしても安全、海水に使っても大丈夫、マイナス30℃でも作動し、劣化が起こりにくく、半永久的に使える、といいことだらけ。唯一の欠点はカサが大きくなること。

 「リチウムイオン電池の50分の1の密度。つまり単純にリチウムイオン電池の電気容量を持たせるとなると容積が50倍必要」(BigLife21 https://www.biglife21.com/society/12616/ )だそうですが、現在生産している蓄電池単体は12㎏で、25Whを充電することができると言います。これでも用途、使う場所によっては、ほかの電池に花長所が発揮されるでしょう。

 たとえば広がりのある屋外の駐車場だとか、運動場だとか、キャンプ場だとか、自然遊歩道だとかの灯りなど、たいして電力を消費し内容とならもってこいでしょう。普通の住宅でも家の周りの防犯灯だとか、庭の照明だとか、わが家の近くで言えば川端の遊歩道など、暗い所に点々と街灯をとりつけ、あるいは桜の季節にはライトアップしたり、一度ソーラーパネルか何か自然エネルギーに寄る発電装置と組み合わせてセットしてしまえば、ほとんど人の手で管理しなくても半永久的に使えそうです。

 ほんとうにこういう発明というのは、先端技術ではないけれども、日常生活レベルでの利用を考えれば、この上ない広範な利用価値をもった素晴らしい発明だと思います。一日も早い普及と、それによる機器生産と設置の簡便化、低廉化を願いたいものです。

 すでに
シンプルキャパという名で商標登録もされているそうですから、いずれ私たちの身近にも普及してくることでしょう。
 
denchi
木炭蓄電池を導入したという古民家ゲストハウス「汐見の家」のウエブサイトより。
http://shiomihouse.com/2425/





saysei at 12:57|PermalinkComments(0)

2023年07月28日

40年前の、日本「最古の」原発再稼働

 関西電力の高浜原発、日本最古の原発が、十数年を経て、きょう再稼働したようです。地元住民の避難訓練の際のアンケートで40%が、事故が起きた時にどう避難すればよいのか分からない、と答えていたそうで、問題だ、というようなことをニュースで言っていましたが、「分からない」のが当たり前でしょう(笑)。福島やスマイリー島やチェルノブイリの規模の原発事故が起きたら、どこへどう「避難」しようと拡散される濃厚な放射性物質から逃れる術があるはずもない。風向きによっては、私の住む京都だって北の方はもちろん、南部にだって被害は確実に及ぶでしょう。

 福島以前はこういう避難訓練のことを口にすることさえ電力会社は嫌っていました。事故など絶対に起きない、という建前だったから、避難訓練など必要ない、という態度だったのです。それが福島以後さすがに言えなくなって、形だけはやっているわけです。しかしそんなのはほとんど茶番でしかないでしょう。

 この原発、法の例外的な電力会社寄りの改悪のために、本来は40年できっちり廃炉作業にかかるべきところを、60年を過ぎてなお稼働させようという、とんでもないことになってしまっています。私はもうそんなときまで生きていないことが確実だから、はっきり予言してもいいけれど、必ずこの原発は事故を起こすだろうと思います。どんな分厚いコンクリートであれ鉄壁であれ、物質は半世紀も経てばどうなるか、机上の御用学者のお見立てなど見事に裏切って、「想定外」の棄損が起きることはこれまでのあらゆる人類の経験が示してきたはずです。原発を構成する物質だけが例外であるはずがない。

 私は関西電力の幹部たちとその家族は、高浜原発の街へ移り住むべきだと思います。彼等もまさか自分の家族を犠牲にしたいとは思っていないでしょう。だから本当に絶対に安全だと思うなら、自分が住めばいいし、家族を住まわせればいい。よその土地に原発を作って、多くの他人を犠牲にするリスクをおかすべきではない。

 原発を建設する電力会社の幹部とその家族は、原発立地地区に居住しなくてはならない、という法律でもできないものか。責任をとる、ということはそういうことでは?

 関電はこれまで、住民を危険にさらす原発立地のために地元のボス的人物とつるんで幹部が収賄だか贈賄だか住民を裏切るようなことを長年つづけてきたり、自分たちの経営を脅かしかねない新たな電力会社の顧客名簿か何かを違法に閲覧したり、違法なカルテルを主導したり(そのくせ、バレそうになると、ほかの電力会社には莫大な罰金を支払わせながら、主犯のくせに自社だけは告げ口を代償に罰金逃れをして遁走するという離れ業をやってのけたけれど)、本当に企業としてのコンプライアンスなどそっちのけの悪行を重ねて来た企業です。

 原発に関してだけ信用できるなどということは金輪際ありえない悪徳企業なのですが、政府の肝いりで地元では金をばらまいているから、貧困化する地域にとっては目先の利益と将来的な不安との間で難しい選択を迫られ、地域の中でしばしば対立を引き起こされるなど、ろくなことはないのですが、いままでのところ、札束で頬をひっぱたかれるような形で、いいようにされているのは本当に残念なことです。

 こうしたことの結果は、いずれ私たちの上に降りかかってくるでしょう。

saysei at 21:48|PermalinkComments(0)

大谷の完投・完封、二本塁打!

 大谷がダブルヘッダーの第一試合で初の完投・完封勝利を飾り、しかもそのすぐあとの第二試合では2本の本塁打をかっ飛ばしたというニュースが今朝とびこんできて、暑さも一気に吹っ飛ぶような爽快感をおぼえました。まさにスーパーマン的活躍ぶり。言うこと無し。我々国民みんなの元気のもと。首がちょんぎられたり、電車の中でなにもしない乗客が突然切りつけられたり、もう世の中聞きたくもないいやなニュースばかりの中で、大谷の活躍だけは私たちに爽やかな清涼剤のように聞こえてきます。みんなの精神衛生上、もはやなくてはならない存在ですね。

saysei at 21:21|PermalinkComments(0)

文春砲

 今週の文春は面白かった(笑)。いや面白かった、というのは無責任な週刊誌読者としての感想としても不謹慎かもしれませんが・・・

 ずいぶん昔の話のようだけれど(2006年)、雑誌モデルをしていた女性が同じ雑誌モデルで人気だった男性と結婚して子供も産んだが、別の男性Yと懇意になり、逃げたり連れ戻されたりといったことがあって、その夫がYのもとから妻Xと子供を取り戻してきた直後に、ナイフで刺されて殺されたという事件。当時の所轄、大塚署は殺された夫が覚せい剤をやっていたことから、自殺とみて事件として捜査しなかったらしいのです。まずそのこと自体が驚くような初動捜査のミスであったことは明らかです。
 
 ところが、それから12年もたってから、当時の捜査資料を見た警視庁大塚署の女性刑事が、12年前の事件の捜査資料を見て、現場に残されたナイフの血の付き方が不自然で、刃のほうに少しだけついていて、柄の方はまったく血がついておらず、証拠隠滅と考えられる状況だったことを掘り起こし、再捜査が始まったのだそうです。

 そうしたら、文春の取材では、再捜査の段階では(別件でだったと思うけれど)服役中だったYが、Xから援けを求められて現場に行ったのだけれど、彼女が夫に殺すように言われて渡されたナイフで夫を刺してしまった、と言っていた、と供述していたそうです。

 ところがこの女性Xは、再捜査段階の時点では、すっかり以前の職場や生活と縁を切って、いま政権の中枢で首相の片腕ともいわれるような権力の要の地位にいる人物(当時銀座で働いていた女性と出会ったときは、まだ衆議院議員に初当選したてのころで、再捜査開始の時点では、外務副大臣を経験し、自民党の政調副会長兼事務局長という要職に就いていた)と結婚して子供も産んでいたらしいのです。

 とたんに捜査のハードルがあがり、女性への事情聴取にも抵抗があり、ポリグラフやDNA鑑定も拒否され、背後にXを守ろうとするその権力者の影がちらつくようになったらしいのです。
 
 そして、大々的な捜査陣を敷いて再捜査をはじめた警察でしたが、ベテランの殺人課の捜査員が徹底的に調べて、事件が決して自殺などではなく、事件性があったことを確かな証拠を集めていって、さあこれから本格的に、というときに突然上司から、捜査終了宣告が下されて、それ以上の捜査が組織的に潰されてしまったらしいのです。

 今週の文春の記事は、いまは警察を退職した、その殺人課の担当者だった捜査員が、そのときの捜査員たちの悔しさを代表してぶちまけるかのように、職務上知り得たことを漏らしてはいけないという公務員法か何かの規定を踏み越える形で、失うものはない、と腹をくくって事実を語った記事、ということになっています。

 もっとも、そんなことでこの元捜査員を告発するなら、裁判所が徹底的にどちらの証拠も出させて、どちらが嘘をついているかはっきりさせればいいと思いますが、この捜査員を告訴などすれば、かえって彼が事実を語っていたことが証拠だてられてしまうから、権力者の側では、きっと無視したいのではないでしょうか。彼が今回告発したのも、そのへんは読んだ上でやっていると思いますがどうでしょうか。


 もちろんいま女性を守ろうとしているらしい大物政治家本人がこの事件で犯罪を犯したわけではないし、女性X自身もYの証言にもかかわらず、自分が手を下したのではなさそうな印象で、この告発をしている元捜査員は全く別の第三者、もとボクサーだというZなる人物に目星をつけていたようなことを語っているようです。
 
 しかし、この記事に関する限り、そのZは文春の取材に暴力で応じそうな脅しをかけるような人物としてのみ言及されていて、彼がなぜ真犯人として疑われるのか、読者には一向にわからないままです。 

 記事を読む限り、Xか、彼女を手伝って後始末したらしいYか、現場に居たのは二人だけのような印象だったので、いずれかが直接の下手人ではないかと思わせるようなストーリーなのに、突然登場するZなる第三の人物が犯人であるかのようなほのめかしというのは、読んでいて納得ができない感じです。

 そこはまだ次週以降にもこの事件の記事が続いて追及されるのであれば別ですが、このままでは眉唾と思われても仕方がないでしょう。

 しかし、この事件自体はずいぶん以前のことだし、私たちに何の関係もないことで、私もこれで3度目になるこの事件に関する「文春砲」も、それこそ週刊誌的な興味本位の事件記事としてしか読んでいなかったわけですが、問題は再捜査が始まってから、この女性Xを守ろうとしているらしい大物政治家が、警察に圧力をかけて突然捜査中止にいたらしめたのではないか、という疑惑が生じている点は、個別の事件がどうのこうのと言う問題を超えてしまっています。

 もちろん文春が示唆していることが事実であるとしても、そういうことが行われたという「証拠」をつかんで権力者を追い詰めることは誰にとっても至難でしょう。
 しかし、現場で必死に捜査している捜査員が唖然とし、ぜったいに納得せず、憤慨するような、突然の上司からの捜査終了宣言が何を意味するのか、警察の上下関係に守られた組織では上司のいうことはたとえ理不尽でも絶対かもしれないけれども、警察という組織としては、長官の「事件性はなかった」発言のように臭いものに蓋をしてしまうのではなく、国民に対して丁寧な説明の必要があるでしょう。

 この告発者である捜査員が、なぜこういう一身をかけた告発を決意したかといえば、警察庁の露木長官が記者会見で、この事件に関して「事件性はなかった」と語ったことがきっかけだったそうです。
 まさに殺人事件以外のなにものでもなく、「事件性」そのものであったこの事件を、必死で再捜査してきた捜査員たちの気持ちも知らないで、権力者に阿って捜査をやめさせながら、しゃあしゃあとよくもそんなことが言えるな、という怒りがこの告発に踏み切らせたのでしょう。

 私のような週刊誌の無責任な一読者にとっては、なにが真実かはつねに闇の中です。一方的に週刊誌の記事を信じるようなことはありません。しかし、もしもこの文春の記事、告発した元捜査員の語ったことの多くが真実であると仮定するなら、その政治家は道を誤ったな、と思わざるを得ません。彼はその女性Xがそういう過去を持つ女性であることを知らずに結婚したらしいから、文春のストーリーがそのとおりだとしても、この事件そのものに関して彼には何の罪もありません。

 しかし、問題はそのあとです。
 自分の伴侶が再捜査の時点で、そういう関わりをもっていたと知ったときに、彼がとるべき態度は、女性Xに対して、もしも何らかの関わりがあるなら、捜査には全面的に協力して、率直に全てを明らかにしなさい、とアドバイスすべきだろうし、最悪の場合、彼女が犯罪に手を染めていたとしたら、犯した罪は法に従って償う以外にない、とその勇気をもつように励まし、もし彼が男気を示すなら、犯罪者を警察から隠し、捜査を妨害するのではなくて、彼女が罪を償ったあとは自分がどこまでも面倒を見る、と約束して彼女を送り出す、というのがあるべき姿だったでしょう。
 もしそうではなく、警察に対して権力を使って操作を中止させるように働きかけたり、陰に陽に捜査を妨害してXを守ろうとしたとすれば、それは道義的に許されないだけでなく、場合によっては或る種の犯罪を犯したことにもなってしまうでしょう。もちろん文春の推理とほのめかしがすべて正しいとした場合の話ですが。

 政治家の二階がこの政治家に、再捜査がはじまってX周辺にも捜査の手がのびたころ、さっさと別れた方がいいという「助言」をしたというようなことも書かれていました。政治家の考えそうなことですが、助言するなら、「捜査に協力するように言ってやれ。万一犯罪に手をそめていたら、罪を償う勇気が持てるように励ましてやれ。そして償いを終えて戻ってきたら、とことん面倒をみてやるがいい」とでも言ってやるべきでしたね。事実だとすれば、二階も男を下げるような「助言」をしたものです。

 それにしても不可解な事件で、事件そのものとしてはZという第三の人物がどう関わっているのは、具体的なことが何もわからないので、本当のことは何も分かりません。文春もZに関しては情報も証拠も持っていないのかもしれません。だとすればこの記事も中途半端な尻切れトンボで終わってしまうかもしれません。十年か二十年後に松本清張の令和版みたいな作家がいれば、書いてくれるかもしれませんが(笑)。

 

   

saysei at 19:39|PermalinkComments(0)

艶情一首

嵯峨天皇の漢詩「春閨の怨」に和して詠まれ、「艶情」のカテゴリーに収められた詩。

(残念ながら嵯峨天皇の「春閨の怨」は現存していないようで、読むことができません。)

 先日書いたように、「文華秀麗集」に収められた漢詩の中で、私には一番魅力的なものでした。詩人たちが孤閨を守る女性の立場になって詠んだもので、まあゲームには違いないのですが、修飾句などもほとんど定型的な決まり文句を連ねたような景物やどこそこへ行ったというようなほかの詩に比べて、このカテゴリーに収められた嵯峨天皇の詩に和した臣下の漢詩はなかなか生々しくて迫力があります。
 きっと嵯峨天皇の「春閨の怨」がこうした臣下の詩を誘い出すだけの、よりインパクトのある感情のこもった詩で有ったに違いないと思います。

 

艶情

「春閨の怨」に和し奉る。一首。  菅原清公

 

怨婦情を含みて寐ること能はず、早朝幌を褰げて欄楯に出づ。自ら言ふ楚國名倡の族、家は是れ宮東宋玉が隣。獨り耶嬢の偏に愛重ぶことを頼み、何ぞ圖らむ見る者の神しと以爲ふことを。庭前舞を見れば鸞は常に顧み、樓上簫を吹けど鳳は未だ臻らず。四五の芳期當に禮に順ふべく、出でては君子に從ひ正に嬪と爲る。男兒事を好みて方に□に有り、□□從□□□年。蕩子別來歳月多し、那ぞ堪へむや夜々空扉を掩さむに。要身屡驗するに眞に痩せたることを知り、眼瞼常に啼たれ謾に肥えたるに似たり。合歓の寂院寧ぞ忿を蠲かむや、萱草の閑堂も反りて悲を召く。妬きかな桃の花徒らに靨に映ゆること、生憎し柳の葉尚し眉を舒ぶること。心は煎らるるが如く、眼は眠られず。良人意はず想歸引、賤妾常に吟ふ薄命篇。胸上の積愁應に百に滿つべく、眼中の行涙且に千に成らむとす。君見ずや閨□怨□□顔華、直に君が塞路の遐けきを思ふが爲なり。奈何にせむ征人大く意無く、一別十年音信けきは。桑下金を受けむも君豈に咎めむや、機中錦を織らむも詎ぞ能く嘉みせむ。羅帳空しく、角枕凍る。角枕羅帳恨窮まること無し。春苑に華を看ては長安に泣き、宵閨に線を理めては桑乾を憶ふ。頽思聽くに嬾し門前の鵲、衰面當るに慙づ鏡裡の鸞。願はくは君學ぶこと莫れ班定遠、慊々にして徒らに老ゆ白雲の端。

 

ゑんぷおもひをふくみてぬることあたはず、さうてうとばりをかかげてらんじゅんにいづ。みづからいふそこくめいしやうのやから、いへはこれきゆうとうそうぎょくがとなり。ひとりちちははのひとへにあはれぶことをたのみ、なんぞはからむみるひとのあやしとおもふことを。ていぜんまいをみればらんはつねにかへりみ、ろうじゃうせうをふけどほうはいまだいたらず。はたちのはうきまさにれいにしたがふべく、いでてはくんしにしたがひまさにひんとなる。だんじことをこのみてまさに□にあり。□□從□□□ねん、たうしわかれてよりさいげつおほし。なにぞたへむやよひよひくうひをささむに。えうしんしばしばけみするにまことにやせたることをしり、がんけんつねにしほたれすずろにこえたるににたり。がふくわんのせきゐんなにぞいかりをのぞかむや、けんさうのかんだうもかへりてかなしびをまねく。ねたきかなもものはないたづらにゑくぼにはゆること、あなにくしやなぎのはなほしまゆをのぶること。むねはいらるるがごとく、まなこはねぶられず、りやうじんおもはずしきのいん、せんせふつねにうたふはくめいのへん。きようじやうのせきしう正に百二三つべく、がんちゆうのかうるゐまさにちにならむとす。きみみずや閨□怨□□顔華、ただにきみがさいろのはるけきをおもふがため3なり。いかにせむせいじんいたくこころなく、いちべつじうねんいんしんはるけきは、そうかこがねをうけむもきみあにとがめむや、きちゆうにしきをおらうもなにぞよくよみせむ。らちやうむなしく、かくちんこほる。かくちんらちやううらみきはまることなし。しゅんゑんにはなをみてはちゃうあんになき、せうけいにいとすぢををさめてはさうかんをおもふ。たいしきくにものうしもんぜんのかささぎ、すゐめんあたるにはづきゃうりのらん、ねがはくばきみまなぶことなかれはんていゑん、けんけんにしていたづらにおゆはくうんのはし。

 

嵯峨天皇の)「春閨の怨み(はるのねやのうらみ)」唱和し奉る。菅原清公。

 夫が帰らないのを恨めしく思っている女は、その思いで胸がいっぱいで眠ることができず、朝早く帳を上げて欄干に出る。そしてみずから語り出す。私は楚のよく名を知られた妓女の一族で、家は宮廷の東、宋玉(好色賦で名高い楚人)の家の隣にある。父母がひとえに可愛がることをのみ頼りにして、私を見る者が妖しい美しさだと思うなどとは思ってもみなかった。庭前で彼女の舞を見るといつも霊鳥鸞はそれを振り返って眺めるが、樓上で簫を吹く鳳(雄の瑞鳥、男性の喩)はまだやってこなかった。二十歳の香ぐわしい年ごろには当然礼に従い嫁ぐべき時となり、家を出てある男に従って丁度その妻となった。しかし男は事を好み、(□□年に出征、)どこをほっつき歩いているかも分からない男と別れてからの年月も久しくなった。私は夜ごとひとり寝の空しい扉を閉じることにどうして耐えようか。腰の周りを調べてみると本当に痩せていることを知り、瞼からは絶えず涙が流れて腫れてしまっている。怒りを除くというひっそりとした庭の合歓(ねむ)の木も、どうして私の怒りを除くことができようか。憂いを忘れさせるという閑静な座敷のもとに植えたわすれな草もかえって悲しみをまねくばかりだ。桃の花がえくぼに映えるごとく可愛く美しいのも、悲しみに沈む我が身にとっては妬ましいばかりだ。又柳の葉が萌え出でてその眉を伸ばしているのも愁眉をひそめる私には実に憎いことだ。胸の内は煎られるように煮えくり返り、眼をつむっても眠ることができない。夫は帰ってこようとは思わず、私はいつも薄命の歌を吟じている。胸に積もる愁いはまさに百にもなるほど満ち満ちて、眼の中に流れ伝わる涙は千すじにもなって溢れようとしている。御覧なさいな、(この孤閨の怨みで私の美しい顔色が衰えるのを。)これもあなたが行った砦への道が遙かであることを一途に思うためだ。何としようか、従軍した夫は少しも心にかけてくれず、別れてすでに十年音信もない。(桑の木の下で千金を受け取るのを拒んで身を投げた潔婦である魯の国の秋胡の妻の逸話とは違って)桑の木の下で他人から黄金を受けようとも、私の夫は私を咎めることができようか。また(六朝のころ、秦州の地方官だった夫竇滔~トウトウ~が流沙に左遷された折、夫の元に、その妻蘇恵[字は若亂]が、錦に織り込んだ840字から成る廻文=回転して読んでも文意を成す詩=の悲しみを詠んだ二百余首の詩を送り、その心情に打たれた夫が妻を任地に呼び寄せたという晉書列女伝の故事にいう)竇滔の妻のように)機(はた)の前で錦字(廻文の詩)を織って夫の元に贈っても、どうして夫はそれをよくほめてくれようか。薄ものの帳(とばり)は虚しく、角(つの)で飾った立派な枕も凍る。角枕や羅帳の中にあって夫に対する春閨の怨みは果てしがない。春の園に花を眺めてこの長安の都で泣き、夕べの閨(ねや)に針糸をおさめ、夫のいる北方の桑乾(山西省山中から東に流れる河、その流域である、玄宗のころ突厥との戦場となった北方の地)の地を思う。頽れるような思いをしている私には、良い便りを齎すという門前のかささぎの声を聴くのもものうい。衰えた顔は鏡の中の(彫り物の)鸞に対しても恥ずかしい。どうか夫よ、(長らく西域に在留した)班超のまねをして、心にあきたらずいたずらに白雲の果てに老いるようなことのないように。

 

岩波書店 日本古典文学大系60 1964)所収の「文華秀麗集」による。

(小島憲之氏の書き下し文と、校注に拠って訳文にしてみましたが、若干我流で変えたところがあり、間違っているかもしれません。)





saysei at 17:23|PermalinkComments(0)
記事検索
月別アーカイブ