2023年06月
2023年06月25日
きょうはオトナ牝鹿3頭のみ

きょうは仔鹿はあらわれず、おとなの牝鹿3頭のみ、松ヶ崎橋のすぐしもてで草を食む姿がみられました。

2頭は東岸の草地、1頭は松ヶ崎橋のすぐ下手の中洲に。

この3頭が昨日からの泊まり込み組だとすれば、仔鹿もどこかそのへんの草蔭、木蔭に隠れて休んでいたのかもしれません。ちょうど午後から夕方にかけてのお昼寝時でしたから。

きょうの京都の気温は30℃を越したそうです。曇っていて、蒸し暑かった。
きょうの夕餉

イサキの塩焼き。メバルと並んで身の実においしい魚ですね。骨が固いのも同じです。

豆腐と焼きナス、大葉、しょうがのせダシカケ。焼きナスがとっても美味しかった。大葉はうちの狭い花壇に勝手生えして覆い尽くしてしまって、パートナーは食材に使えると喜んでいます。たしかに香りがよくてわが家の好み。

蒸し鶏のコチジャンミソ巻き。

モズクきゅうり酢。

きょう上賀茂で最初にまわる、おじさんが管理している野菜名も説明も書いてない、100円均一の野菜自動販売機に珍しく小さめの真っ赤なトマトが入っていたので、試しにかってきたもの。生で食べてみるとまさしくこれも戸田農園産のと同じ、上賀茂トマトならではの味で、とてもジューシーで美味しかった。3個100円でした。

モロッコインゲンのゴマ味噌和え。これも上賀茂でゲットしてきたおまめ。味噌はパートナーの独自の調合ミソで、とっても美味しかった。

グリーンサラダ

ショウガの炊き込みご飯。味がはっきりしていて味覚障害気味の私にはとても美味しかった。

写真がぼけてしまいましたが、ヘルプの枝豆。枝豆は私のような味覚障害者には非常にわかりにくい味になってしまうようで、先日の枝豆は全然味がわからなかったけれど、その前のときょうの枝豆はまだ辛うじて枝豆の味がわかりました。好物なので、それでも全部食べてしまいました。味だけではなく、食感が好きなのです。非常にいい硬さに茹でるコツがわかったパートナーの手で最適な硬さに茹でられた、手ごろな大きさの大粒の豆を、手指でプッと押し出して口にいれる、あの感じがとても好き。味がそれほど分からなくても良質のたんぱく源だしね。
(以上でした。)
きょうも眠くてぼんやりする時間が多かったけれど、隆明試論の「関係の絶対性」について少し書き始めました。
いまから「ラストマン」の最終回を見ますね。
saysei at 20:49|Permalink│Comments(0)│
「男女平等」への遠い道のり
きょうの日経新聞朝刊に、G7諸国の中で、日本の企業の取締役における女性比率が最低だというふうな記事が出ていました。フランスやイギリスは40%を超え、米国でも30%台後半だったかに対して、日本は13%だったかな、まだ1割台のようです。しかも、その取締役の大半は社外取締役だとかで、日常的な経営の実権を事実上握っている女性取締役の比率はもっと少ないのだとか。
また、6月22日の同紙の記事に、「男女平等 達成率 68%」という大見出しの脇に「世界の格差指数 日本、過去最低の125位」という見出しが添えられた記事が出ていたのを切り抜いていました。それは世界経済フォーラム(WEF)が21日に発表した2023年の男女平等の度合いを示すジェンダー・ギャップ指数だそうで、日本は146カ国中125位で過去最低だったというのです。
この調査は経済、教育、健康、政治の4分野に関する統計データから算出され、男女が平等な状態を100%とした場合、世界の達成率は68.4%で、WEFは現状では世界での男女平等実現は2154年になると指摘しているそうです。あと131年かかるというのですね。日本は最下位に近い位置にいるから、まず100年はかかりそうです(笑)。
分野別にみると、日本は教育(47位)、健康(59位)はまだいいほうで、経済分野でも賃金格差(75位)や労働参加率(81位)はまん中近い順位につけていますが、同じ経済分野でも管理職比率(133位)や所得(100位)だと下位に位置しているし、最悪なのは政治分野で、138位。議員の女性比率なんて変える気になれば、議員の男女構成は半々にしましょう、と法律で決めてしまえば、一番簡単に変えられると思うけど(笑)、これが一番変わらないんですね。政権党の男性議員たちが前近代的な男女観を持っていることは、いろんな「失言」事件でたびたびあらわに示されてきましたが、声を挙げるべき女性議員たち自身も、男性議員とかわらない前近代的な女性観を持っているから、変わりようがないのかもしれません。
もちろん、そんな議員たちを許容している国民の方に問題があるのですが、男女の関係は「対」を基礎とする家族関係の内に囲われていて、ただちに社会的な次元にあらわらにはなってこない問題なので、いくら社会的な建て前として男女平等が叫ばれても、国民の個々の家庭内では依然として前近代的な男女観やそれに基づく生活慣習、行動慣行が根強くはびこり残っているのでしょう。
かくいう私もあまり人さまのことは言えないと思うのは、端的にたとえば家事の分担とか、その他の様々な家庭内の役割分担において、結局はほとんどパートナーの負担割合がずっと大きい状態で生活を共にしてきたと思います。もちろん仕事についても、一時は就労していたけれど、二人で話し合って彼女は正規の職にはつかずに家事育児に専念することになったし、食事をつくることについては彼女が好きで得意でもあり、かつその創造的な意義を認めてやりがいを感じていたこともあって、私自身はやりたいわけでもなかった仕事に就いて働くことを役割分担として、なんとか家庭を維持してきたわけです。
子供のサッカーなどでおつきあいの深まった近隣のお父さん、お母さんたちからは、私が「男としては」家事によく協力して分担する夫とみなされて、ほかのお父さんたちからは「あんまりされると、わしらが困るから、ほどほどにしといておくれやすや」などと酒の席で冗談を言われたりしたものですが、それは私が食後の皿洗いを分担したり、ゴミ出しに行ったりする目につく行動だけ見ての話で、実際の家事・育児はやはりほとんどパートナーが全面的に引き受けていたのが実情だったと言っていいでしょう。
だからまあ大きなことは言えないけれど、それでも家庭をもってからほぼ半世紀近く、ご近所の家庭や短い期間でも子供の通う学校のPTA役員などやってそこでの父兄(事実上ほぼ母親だけ)を見て来て、そんな私でも驚くようなことがたびたびありました。
PTAなどというのがいまだにあるのですが、その役員会というのがいつも平日の昼間なので、私は当然その時間は仕事を休んで出席しなくてはならないわけです。そして、ふつうのサラリーマンならほとんどがそうでしょう。従って、二人の息子が通っていた高校のPTA役員会に出てくるのは、ほぼ無職(「主婦」)の母親である女性だけで、男性はいつも私一人か、たまにサラリーマンではないらしい別のもう一人だけで、もちろん昼間働いているキャリアウーマンなどというのは一人も参加できません。
だから、あるとき私は、せめて役員会の開催日と時間帯を、そういった平日の昼間働いている人たちが参加できる、土曜か日曜、あるいは平日でも夕方以降の夜の時間帯にしてもらえないか、毎回でなくても、そういう日を設けるようにしてもらえないか、と役員会で提案したのです。
ところが、次の会合のときもその次にも私の提案について議長をつとめる女性のPTA会長は一向に触れず、無視された格好だったので、再び役員会の席で、私は前にこういう提案をしたのだが、検討していただいたのだろうか。いまのままでは当然PTAの審議、決定事項に関わる権利をもつはずの大多数の生徒の父兄が、審議や決議に参加できず、権利を奪われた状態になってしまうのではありませんか、と言ったのです。
それに対するPTA会長の返答は驚くべきものでした。
「ご意見はうかがっていましたが、土曜や日曜、あるいは夜に役員会を開くというようなことはとてもできないのです。あのご提案をいただいたあとでみなさんが私のところへいらっしゃって、ご主人が家にいらっしゃる休みの日や夜分に出てくるなんて、とても無理だとおっしゃっていました。」
呆れてものが言えないとはこのことでした。私は役員会を中座したわけではなく、最後まで参加しているので、役員会の議論の中で私の提案について反対したり、なにか意見らしきものを述べた人は一人もいなかったことは確かです。肝腎の議論の場では何もいわずにだんまりでひとの意見を無視してやりすごしておいて、「あとで」会長のところへ行って、あんな意見を聞いちゃだめよ!とでも言ったのでしょうか。
自分たちに不都合な意見に対しては、反論するのではなく、ただだんまりで無視しとおし、個人的な近しさを武器にして自分たちの考えややり方を押し通そうとする、実に陰険姑息なやり方で、PTAというのは大変なところだなと痛感しました。
しかし、おそらく日本の多くの家庭というのは、個々の家庭事情に分け入って見れば、いまだにそんな前近代的な男女関係に縛られて、女性は夫が仕事から帰って自宅でくつろいでいるときは、かならずそばにいて仕えなくてはならない、ひとりで外出して PTA の役員会に行くなんて許されない!ということなのかもしれません。
また、我が団地では、合わせれば結構広い面積を占める共同庭をはじめとする共有地があり、それを毎月はじめの日曜日の朝、全員でそれぞれのブロックごとに清掃したり、草抜きをしたりするという約束事があります。大抵の家庭は日曜の朝など夫婦ともに在宅しているのですから、どちらが出て来てもよさそうに思いますが、これがとくに当初のころはほとんど女性ばかりで、わが家はそれは私の分担と決めていたので私が出ていましたが、実質的な掃除と同時に同じ団地の住民としての「親睦」が目的のこの行事に融け込んで参加する上で、社交的な人間ではない私は、男一人でどうにも居心地の悪い思いをしてきました。
のちに何人か男性で常連さんが増えては来ましたが、それでも、団地ができてから半世紀近くたついまも、やはり女性のほうがずっと多いのです。
さらに、この団地では家庭ゴミを団地の東北の端に設けてあるゴミ集積場のコンテナまで、市の清掃局のゴミ回収車が来る日の朝、それぞれの家庭から運んで朝8時までに出しておかなくてはならないきまりです。ご存じのように、ゴミもときには結構重くて、だんだん齢をとってくると男性でも運ぶのは結構大変で、わが家でもパートナーは膝の故障で歩いて少し重い荷物を運ぶのはもう無理だし、私も持病のせいで歩いて運ぶのは困難ですから、どちらが運ぶにしても自転車で運ばなくてはなりません。だから雨の時は難しく、翌朝雨になりそうなときは、悪いけれど前夜のうちに自転車で運ばざるを得ず、両方とも雨の場合はもうずぶぬれになっても仕方がないという状況です。
どちらがしんどいか考えた時、パートナーの膝の方が今は深刻なので、私が自転車の籠に入れてゴミを運んでいます。
ところが、これも我が団地の他の家庭を見ていると、意外に女性が担当していることが多いのです。たしかに男性がやっている例も3分の1くらいはありますが、やはり女性の方が多い。軽くて小さいときはどちらが運んでもいいでしょうが、やはり30リットルとか場合によっては40リットルものゴミ袋にいっぱい詰め込んだときは、野菜ゴミなど水分を含んだ相当な重さのゴミになって、女性が一人で重そうに運んでいるのに出遭うと、なんでダンナが運ばないんだろう、とつい余計なことを思ったりします。
でも、これがまだまだ日本の一般的な家庭の現実なのでしょう。こういうところから変わって行かないと、「男女平等」なんて100年以上前から掛け声だけはあっても、実質そうなるには、WEFが予想するように、まだまだ優に100年も150年もかかるのかもしれません。
また、6月22日の同紙の記事に、「男女平等 達成率 68%」という大見出しの脇に「世界の格差指数 日本、過去最低の125位」という見出しが添えられた記事が出ていたのを切り抜いていました。それは世界経済フォーラム(WEF)が21日に発表した2023年の男女平等の度合いを示すジェンダー・ギャップ指数だそうで、日本は146カ国中125位で過去最低だったというのです。
この調査は経済、教育、健康、政治の4分野に関する統計データから算出され、男女が平等な状態を100%とした場合、世界の達成率は68.4%で、WEFは現状では世界での男女平等実現は2154年になると指摘しているそうです。あと131年かかるというのですね。日本は最下位に近い位置にいるから、まず100年はかかりそうです(笑)。
分野別にみると、日本は教育(47位)、健康(59位)はまだいいほうで、経済分野でも賃金格差(75位)や労働参加率(81位)はまん中近い順位につけていますが、同じ経済分野でも管理職比率(133位)や所得(100位)だと下位に位置しているし、最悪なのは政治分野で、138位。議員の女性比率なんて変える気になれば、議員の男女構成は半々にしましょう、と法律で決めてしまえば、一番簡単に変えられると思うけど(笑)、これが一番変わらないんですね。政権党の男性議員たちが前近代的な男女観を持っていることは、いろんな「失言」事件でたびたびあらわに示されてきましたが、声を挙げるべき女性議員たち自身も、男性議員とかわらない前近代的な女性観を持っているから、変わりようがないのかもしれません。
もちろん、そんな議員たちを許容している国民の方に問題があるのですが、男女の関係は「対」を基礎とする家族関係の内に囲われていて、ただちに社会的な次元にあらわらにはなってこない問題なので、いくら社会的な建て前として男女平等が叫ばれても、国民の個々の家庭内では依然として前近代的な男女観やそれに基づく生活慣習、行動慣行が根強くはびこり残っているのでしょう。
かくいう私もあまり人さまのことは言えないと思うのは、端的にたとえば家事の分担とか、その他の様々な家庭内の役割分担において、結局はほとんどパートナーの負担割合がずっと大きい状態で生活を共にしてきたと思います。もちろん仕事についても、一時は就労していたけれど、二人で話し合って彼女は正規の職にはつかずに家事育児に専念することになったし、食事をつくることについては彼女が好きで得意でもあり、かつその創造的な意義を認めてやりがいを感じていたこともあって、私自身はやりたいわけでもなかった仕事に就いて働くことを役割分担として、なんとか家庭を維持してきたわけです。
子供のサッカーなどでおつきあいの深まった近隣のお父さん、お母さんたちからは、私が「男としては」家事によく協力して分担する夫とみなされて、ほかのお父さんたちからは「あんまりされると、わしらが困るから、ほどほどにしといておくれやすや」などと酒の席で冗談を言われたりしたものですが、それは私が食後の皿洗いを分担したり、ゴミ出しに行ったりする目につく行動だけ見ての話で、実際の家事・育児はやはりほとんどパートナーが全面的に引き受けていたのが実情だったと言っていいでしょう。
だからまあ大きなことは言えないけれど、それでも家庭をもってからほぼ半世紀近く、ご近所の家庭や短い期間でも子供の通う学校のPTA役員などやってそこでの父兄(事実上ほぼ母親だけ)を見て来て、そんな私でも驚くようなことがたびたびありました。
PTAなどというのがいまだにあるのですが、その役員会というのがいつも平日の昼間なので、私は当然その時間は仕事を休んで出席しなくてはならないわけです。そして、ふつうのサラリーマンならほとんどがそうでしょう。従って、二人の息子が通っていた高校のPTA役員会に出てくるのは、ほぼ無職(「主婦」)の母親である女性だけで、男性はいつも私一人か、たまにサラリーマンではないらしい別のもう一人だけで、もちろん昼間働いているキャリアウーマンなどというのは一人も参加できません。
だから、あるとき私は、せめて役員会の開催日と時間帯を、そういった平日の昼間働いている人たちが参加できる、土曜か日曜、あるいは平日でも夕方以降の夜の時間帯にしてもらえないか、毎回でなくても、そういう日を設けるようにしてもらえないか、と役員会で提案したのです。
ところが、次の会合のときもその次にも私の提案について議長をつとめる女性のPTA会長は一向に触れず、無視された格好だったので、再び役員会の席で、私は前にこういう提案をしたのだが、検討していただいたのだろうか。いまのままでは当然PTAの審議、決定事項に関わる権利をもつはずの大多数の生徒の父兄が、審議や決議に参加できず、権利を奪われた状態になってしまうのではありませんか、と言ったのです。
それに対するPTA会長の返答は驚くべきものでした。
「ご意見はうかがっていましたが、土曜や日曜、あるいは夜に役員会を開くというようなことはとてもできないのです。あのご提案をいただいたあとでみなさんが私のところへいらっしゃって、ご主人が家にいらっしゃる休みの日や夜分に出てくるなんて、とても無理だとおっしゃっていました。」
呆れてものが言えないとはこのことでした。私は役員会を中座したわけではなく、最後まで参加しているので、役員会の議論の中で私の提案について反対したり、なにか意見らしきものを述べた人は一人もいなかったことは確かです。肝腎の議論の場では何もいわずにだんまりでひとの意見を無視してやりすごしておいて、「あとで」会長のところへ行って、あんな意見を聞いちゃだめよ!とでも言ったのでしょうか。
自分たちに不都合な意見に対しては、反論するのではなく、ただだんまりで無視しとおし、個人的な近しさを武器にして自分たちの考えややり方を押し通そうとする、実に陰険姑息なやり方で、PTAというのは大変なところだなと痛感しました。
しかし、おそらく日本の多くの家庭というのは、個々の家庭事情に分け入って見れば、いまだにそんな前近代的な男女関係に縛られて、女性は夫が仕事から帰って自宅でくつろいでいるときは、かならずそばにいて仕えなくてはならない、ひとりで外出して PTA の役員会に行くなんて許されない!ということなのかもしれません。
また、我が団地では、合わせれば結構広い面積を占める共同庭をはじめとする共有地があり、それを毎月はじめの日曜日の朝、全員でそれぞれのブロックごとに清掃したり、草抜きをしたりするという約束事があります。大抵の家庭は日曜の朝など夫婦ともに在宅しているのですから、どちらが出て来てもよさそうに思いますが、これがとくに当初のころはほとんど女性ばかりで、わが家はそれは私の分担と決めていたので私が出ていましたが、実質的な掃除と同時に同じ団地の住民としての「親睦」が目的のこの行事に融け込んで参加する上で、社交的な人間ではない私は、男一人でどうにも居心地の悪い思いをしてきました。
のちに何人か男性で常連さんが増えては来ましたが、それでも、団地ができてから半世紀近くたついまも、やはり女性のほうがずっと多いのです。
さらに、この団地では家庭ゴミを団地の東北の端に設けてあるゴミ集積場のコンテナまで、市の清掃局のゴミ回収車が来る日の朝、それぞれの家庭から運んで朝8時までに出しておかなくてはならないきまりです。ご存じのように、ゴミもときには結構重くて、だんだん齢をとってくると男性でも運ぶのは結構大変で、わが家でもパートナーは膝の故障で歩いて少し重い荷物を運ぶのはもう無理だし、私も持病のせいで歩いて運ぶのは困難ですから、どちらが運ぶにしても自転車で運ばなくてはなりません。だから雨の時は難しく、翌朝雨になりそうなときは、悪いけれど前夜のうちに自転車で運ばざるを得ず、両方とも雨の場合はもうずぶぬれになっても仕方がないという状況です。
どちらがしんどいか考えた時、パートナーの膝の方が今は深刻なので、私が自転車の籠に入れてゴミを運んでいます。
ところが、これも我が団地の他の家庭を見ていると、意外に女性が担当していることが多いのです。たしかに男性がやっている例も3分の1くらいはありますが、やはり女性の方が多い。軽くて小さいときはどちらが運んでもいいでしょうが、やはり30リットルとか場合によっては40リットルものゴミ袋にいっぱい詰め込んだときは、野菜ゴミなど水分を含んだ相当な重さのゴミになって、女性が一人で重そうに運んでいるのに出遭うと、なんでダンナが運ばないんだろう、とつい余計なことを思ったりします。
でも、これがまだまだ日本の一般的な家庭の現実なのでしょう。こういうところから変わって行かないと、「男女平等」なんて100年以上前から掛け声だけはあっても、実質そうなるには、WEFが予想するように、まだまだ優に100年も150年もかかるのかもしれません。
saysei at 12:18|Permalink│Comments(2)│
2023年06月24日
4頭の仔鹿

今日は何と4頭の仔鹿が現われました。松ヶ崎橋と馬橋の間の川床両岸の草薙です。最初は松垣橋に近いほうに一頭、草の間で寝そべって休んでいました。

少し下流方向へ行って、大城田町のバス停の向かいの辺りへくると、仔鹿と母親らしいおとなの牝鹿
が草の間から次々に姿をあらわし、仔鹿だけで同時に3頭を確認しました。先の、やや上流の離れた場所で寝そべっていた仔鹿とあわせると4頭の仔鹿になります。

それぞれ母親らしきおとなの牝鹿が近くにいましたが、それが母鹿だとは必ずしも確定できないのはいままでの経験でわかります。1年か2年前に生まれたお姉さんだとか、母鹿の姉妹、つまり仔鹿の伯母さん、叔母さんかもしれません。ついて歩いているからてっきり母鹿だとおもっていたら、しばらくすると別の牝鹿が来て、こんどはそっちのあとをついて行って、おっぱいを呑む、なんて光景にしばしばお目にかかりました。

この2動の仔鹿は姉妹なのかな?あるいは従姉妹どうしだとか?
気のせいか、よく似ていますよね。

なかよく並んで彼岸から此岸へ川を駆けて渡ってきました。

皮の中でおっぱいを呑む仔鹿。その後ろの仔はさっきの並んで走ってきた2頭のうちの1頭で、この牝鹿のあとを追うようにしていたので、その子供だと思っていたら、別の仔が下流方向から近づいたと思うと牝鹿の身体の下にもぐりこんでおっぱいを吸い始めたので、こっちがこの牝鹿の子供のようです。動画はインスタグラムのほうにアップロードしておきました。

撮影していたら、人懐っこいセグロセキレイがすぐ近くに来ました。木の枝にとまったと思うと虫か何か咥えてまた下りてきました。いいところを見せたかったのかもしれません。

きょうのお天気はくもり、といったところでしょうか。

お昼は昨日の焼きサバをほぐして入れた長浜名物「焼きサバそうめん」でした。結構美味しかった。

庭のディルはこんな立派な花を咲かせています。

今年はブドウが沢山実をつけていますが、はてちゃんと成熟してくれるかどうか。

オレンジレモンも珍しく10個近くも枝の先にこんな小さな実をつけていますが、はて無事に大きく育ってくれるかどうか。

一番たよりになりそうなのは、ブラックベリです。
きょうの夕餉

カボチャスープ

ハンバーグ。左の黄色いのはコリンキーです。

パンコントマテですが、トマトのディップのほうかに、茄子にディル入りのディップも作ってくれました。どちらもすばらしく美味しかった。よくばって両方のせても美味しかった。

グリーンサラダ
(以上でした。)
きょう「帰郷」第13章をアップしました。これで一段落。ここからが難路です。
saysei at 20:58|Permalink│Comments(0)│
2023年06月23日
仔鹿のマジック

きょうは松ヶ崎橋の下を上流側へくぐっていく鹿の姿を見たので、橋の北側舗道へ渡ってみると、西岸に続く広い中洲に、この鹿と一頭の仔鹿がいて、仔鹿だけが川の中を走って東岸の草むらへ入って行ったようでした。

ところがその仔鹿の姿がふっと見えなくなり、残された母親かと思われた牝鹿は中洲の方へ出て来て、仔鹿を探すかのように首を伸ばして西岸や下流方向を見ていました。私も仔鹿の姿が消えてしまったので、何処へいったのかと探していました。

すると少しして、対岸(西岸)の端の通り道のようになっているところに、別の2頭があらわれました。

そして、驚いたことに、そのうちの一頭について、仔鹿がもう一頭(と私は思いました)現われたのです。
じゃおとな牝鹿が3頭と仔鹿が2頭いるんだな、と思ってさっきの東岸へまっすぐに走って行った仔鹿はなかなか出てこないなぁと思って待っていましたが、いっこうに現れません。
え?それじゃこの西岸にあらわれた仔鹿がさっきの仔鹿?でもさっきの逆に、川を渡って東岸から西岸へ戻ったなら、橋の上から見逃すはずがありません。じゃもし同じ仔鹿だとすればどこからどう西岸へまわりこむことができたのでしょう?
それからしばらく彼等がまた橋を下流方向にくぐって、一頭は中洲で草を食み、仔鹿を含む3頭は東岸添いにさらに少し下流方向の草地の方へ行くのを見届けたのですが、その間、最初に見た仔鹿は(目の前の仔鹿でないとすれば)ついに現れませんでした。ということは、やはり目の前で2頭の鹿のあとをついていく仔鹿がさっきの仔鹿だったのではないかと思います。なんだか魔法にかけられたみたいでした。

こうして仔鹿がすぐ後ろをついて歩く牝鹿が母親なのでしょう。そうすると最初一緒にいた牝鹿は母鹿ではなくて、叔母さんかだれか?(笑)

こうして3頭なかよく列をつくって西岸添いに下流方向へ。

そのうち先頭の鹿が川にはいって東岸の草地へ。それを追うように母鹿も、つづいて仔鹿も川に入って東岸の草地へ渡ってきました。

ちょっとおっかなびっくりの様子で川へ入った仔鹿

お母さんと川の中。

草地へ来ると、親たちはみな草を食むのに夢中でしたが、仔鹿はじきに飽きてひとりで草地を端っこまで思いっきり走って行ったりして、遊んでいました。仔鹿ならではの姿で、こういう自然な姿が見られることは本当に幸せです。

白いお尻をぴょんぴょんさせながら草地の端まで駆け抜けていく仔鹿。

上賀茂の帰りにも寄ってみたら、少しだけ下流沿いの草地で、1頭だけが草を食み、仔鹿は草の中で伏せて休んでおり、あとの2頭は木の陰で休んでいました。休憩タイムだったのでしょう。

木陰で眠る牝鹿

そのすぐそばで休むもう一頭の牝鹿(だと思う)

彼女は最初に仔鹿と一緒にいたから私が母鹿だと思った牝鹿。とても美しい、若々しい牝鹿でした。

彼女が川を渡っているときにカメラを構えた私の方を見た一瞬。ほれぼれするほど美しい顔立ちをしています。

きょうゲットしてきた上賀茂野菜。タマネギ(200円)。トマト(300円)。モロッコインゲン(100円…だったと思うけど忘れた)。万願寺唐辛子(同前)。トマトはここのでなきゃ、という戸田農園さんの完熟トマト。傷アリ(実は傷というより、完熟ではち切れた裂け目がちょっとだけあるということ)でお徳用の品でした。わが家はこういう「傷もの」大歓迎で、見たら買ってきます。安い上二、そのほうが美味しいのですから。

これは一昨日買ってきた戸田農園さんの賀茂茄子。ものすごくデカイ賀茂茄子でしたが、形が真ん丸ではなくて、ハート形だったので、たぶん市販に出せない奇形的な商品ということで、なんと200円でした。パートナーと半分っこしたのですが、もうこれだけでおかずは十分というくらいたっぷり分量があって、とろけるような美味しさでした。おまけに次のメニュー(炒め煮)にも使ったらしい。

茄子と万願寺、おじゃこ、おあげの炒め煮。

小浜の焼きサバ。先日高島屋へ行ったとき買ってきたそうです。昔から鯖街道と言われる若狭に通じる道を経て運ばれたサバ。長浜ではそうめんにのっけて、焼きサバソーメンというのがハレの日に来客をもてなす一品だそうです。京都でも、焼きサバの身をそぼろにしてふりかけ風に使ったりしていたようです。たしかに美味しかったけれど、デッカイ賀茂茄子田楽のおかげでおなかがふくれ、ちょっとつついただけで残したので、また別の料理で活用してくれるそうです。

五目納豆

モズクきゅうり酢

キュウリとアゲの酢味噌和え

グリーンサラダ
(以上でした。)
きょうは昨日につづいて「半知の医」(21)で、前にも取り上げたテーマですが、味覚障害のことを取りあげ、その原因「犯人」さがしをしてみました。
saysei at 21:39|Permalink│Comments(0)│
2023年06月22日
配電盤のつけかえ

わが家の全ての電気の総元締めは、外から線を引き込んだ玄関のこの配電盤でした。たぶん20-30年ほど前に風呂場か洗面所の水漏れか何かで工事を余儀なくされた折りか、あるいはエアコンを取り付ける際に必要になったからか、おそらく親しい友人の紹介で来た工務店の人が、この左側の4つほどの配電盤を増設してくれたのですね。
それが違法だとか危険だとかの認識もなく過ごしてきたわけですが、先日京都府だったかの(たぶん外郭団体なのでしょうか)この種の電気に関する保安センターだか保安協会だかというところの人が点検に来て、これは違法だから変えてもらわないと、と言われ、業者に連絡をして、電話させるから、といって帰られました。
その業者の工務店だか電気工事の会社から電話がかかって、1時間ほどして直接来られ、これは違法だし、火事になるおそれがあるから変えないと、と言われて、急遽工事をすることになり、昨日、部品が届いたから明日工事に入ってもよいか、というのでOKしたら、今朝さっそく2人で来られ、3時間近くかかって新しい配電盤につけかえてくれました。5万円ほどかかるらしいけれど(イタタ・・・)違法で危険ともなれば致し方がないでしょう。
点検には毎年来られていたようで、私はいつも不在で知らなかったのですが、パートナーはこれは変えないと、と言われていたようですが、どうすればいいんですか?と言うと、たいてい、それはお宅で考えてください(あるいはお宅のほうで対処してもらわないと)というふうな言い方をされて、直ぐにどこへ言っていけばいいかもわからないし、また知り合いの工務店の人にでもほかのことを頼むときにでも相談しよう、などとのんびり構えていたようです。ところが今年回って来られた点検の人が、わりと厳しい調子で、違法だからすぐ変えてもらわないと、という云い方をして、業者にもその人から連絡しておくと言われたので、ある意味でとんとん拍子(っていうのかな?こういう場合も・・・)にことが運んで、あっという間に終わりました。
工事に来てくれた業者さんによれば、どうやらこの集合住宅を設計した旧公団が時代の先を見る眼がなくて、こんなに電気を多く使うようになるとは考えずに、各家庭への引き込み線からの配線に使われた送電線も驚くほど細いもので、わずか4アンペアまでしか使えないので、それを越えそうになるとブレーカーが落ちるんだそうで、生活の実情に合っていないことは確かなようですが、使える電氣量を増やそうと思えば天井をはがしての大工事になるそうで、とてもこんなことでは済まないのだそうです。
今回は安全性を確保するために、増設した4つの分岐線も含めて、すべてを大きなブレーカーが自動的に働いて過電流を未然に防止して切れるような安全装置のついた配電盤に変えた、というだけで、いっときに使用できる電力はこれまでと変わらないので、電気ポットと冬に板の間のDKの足元に置く温熱板とトースターを三つ一度に使うと、もうブレーカーが落ちてしまうという点は従来どおり。まあ気をつけてひとつ、ふたつずつしか電気機器を使わなければやっていけなくはないのですが、とくに冬場は時々不便を感じることがあります。
わが家のように何かの機会に配線を勝手に増やす小工事をして配電盤を増設したりしている家庭が同じ団地に幾つかあるらしくて、工事の業者さんは、前もあそこでやったし、先日もご近所にやらんとあかんとこがあって、言うたところだ、とのことでした。みんな家庭電器の仕組みのことなどよく分からないから、エアコンを導入するような機会になにか配線が足りないとかで、たいてい知り合いの工務店とかに何かのついでに、何も知らないまま、ちょっとやってもらう、なんてことで、同じような配電盤の増設をやっているようで、そのときの工務店の人などがいいかげんだと、ほんまは違法なんやけど、と知りながら、まあ大丈夫やろ、みたいな感覚で安易な工事をやってしまって、そのまま何十年、ということになっているケースが少なくないのではないでしょうか。
念のために孫のうちを覗いたときに玄関の配電盤をみたら、もともとの公団がつけたやつではなくて、大きい新しいのがつくってありました。次男たちがここへ入ってからは工事などしていないので、前の持ち主が工事をしてとりかえたようで、そのときはちゃんと遵法の安全な配電盤をとりつけたようで一安心でした。

これが新しくとりつけた配電盤。左に残っているのは旧配電盤に増設されていた4本分の線をつないであった分岐盤ですが、これを取り外すと穴が開いた壁が露出するので、とりあえずそのまま残してあるだけで、線はつながっていません。新しいのはずいぶんデカいものになりました。蓋つきで、下のくぼみを押すと上にはねる形で開くようになっています。思わぬ出費でイタタタ・・・だけど、とにもかくにも一つ課題がクリアされて一安心。何が起こるか分からないですね。
工事に来た人は二人ともかなり高齢で、まじめな方たちだったけれど、仕事はごくスローペースで、2時間ほど停電と言ってらしたけれど、実際には3時間近くかかりました。きっとこういう工事ができる人というのも少なくなって、若い人が業界に来なくなっているんだろうな、と思います。昔はこういうのやるのは若い人たちで、多分今日のような工事だと1時間もあればさっさとやって帰ったでしょうね。うちは別にスローペースでかまわないから支障はないのだけれど、やってもらうほうも、やるほうも高齢化して、このままでどうなっていくのかなぁ、などと要らぬ心配をしたのでした。

きょうは工事の後半くらいからパートナーがスコーンづくりの用意をしはじめ、工事が終わって電気がつくと、さっそくオーヴンで焼いて、いつものように美味しいスコーンができました。

それで今日のお昼はスコーンと昨日の昼の残りのクロワッサン。昨日街中の眼科へ行ったパートナーが久しぶりに高島屋のフォーションで買ってきた美味しいクロワッサン。

コーヒーは昨日私がウィークエンダーズで買ってきたコロンビア産のゲイシャ種の豆をひいたものを淹れ、濃いめの美味しい大山のクリームを入れていただきました。やっぱりとても美味しいコーヒーでした。

ラズベリー、アンズ、ママレード、グレープと各種ジャム類とホイップトクリームをたっぷりのせていただきましたが、やはりスコーンにはラズベリージャムが一番合うようです。
きょうの夕餉

鯛のアラと淡竹(はちく)、パクチー入りエスニックスープ。

鯛の頭のガーリック塩焼き。

ナシゴレン風エスニック焼き飯。野菜も調味料もハーブもありとあらゆるものが入っているらしい(笑)。

枝豆

グリーンサラダ

ぬか漬け、サラダ、ピクルス、キムチ
(以上でした)。
今日は久しぶりに「半知の医」(第20回)を書きました。ステロイドとその他の副作用について(笑)。いままた二度目の味覚障害に見舞われつつある(前よりはマシで、料理の味は大体わかるからいいようなものの)ので、その犯人をつきとめようとする一環として・・・
それと「帰郷」の第12回を投稿。あと、吉本隆明試論の「関係の絶対性」のために、色々文献を漁り、多少は書くべき内容の輪郭が見えてきました。まあ殆どその場の思い付きでどんどん書いていくのですが、いちおう資料の確認はちゃんとやるようにしています。それと図書館で借りて来た彌永昌吉さんの「応用数学のための代数学」をコピーしました(笑)。そんなものがおまえに読めるのか?と言われそうですが、「応用数学のための」というのは内容とはちょっとずれがあって、高等数学にしては、行列とはなにか、群とは何か、というところからちゃんと説き起こしてくれて、後半は群の表現論を詳細に展開しているので、『言語にとって美とはなにか』が数学の表現論のどんなことに示唆されたところがあるのか、最小限それだけを知りたい、という要請にとっては、わりと適した参考書なんじゃないかと見当をつけて借りてきました。またじっくり読ませてもらおうと思っています。数学のテキストだって読書百遍意自ずから通ず、ということはあるんじゃないか(笑)
saysei at 21:45|Permalink│Comments(0)│