2023年06月
2023年06月30日
「水無月」を食べる日
前後しますが、きょうは夕食後に、和菓子の水無月を食べました。ほかの土地にこういう風習があるのかどうか知りませんが、京都では6月30日、ちょうど1年の折り返しの日に、このお菓子を食べて厄払いをするようで、わが家も毎年この日には水無月をいただきます。
名前は特別なものですが、要は外郎(ういろう)の地に小豆餡をのっけて、三角に切っただけのもので、ほかの和菓子のほうが美味しいけど(笑)、まあこれは「夏越(なごし)の祓」という神事に因んだものですから、伝統に従ってこの日にはこれをいただきます。少しはバラエティがあるのか、きょういただいたのは黑糖味で、わりと美味しかった。
京都では、この日にはこれを食べる、という決まりごとがとても多いようです。今日の水無月もその典型的なものでしょうが、ほかにもその種の菓子類等々がいっぱいあって、おそらく商家ではご近所の決まった菓子屋へ小僧さんが走って、その日には店の方もちゃんと決まった伝統菓子を用意していて、それを家族でいただいたのでしょうね。小僧さんたちにまでそれがまわったかどうかは知りませんが(笑)。
なんせ噂によれば京都の商家の主はめちゃめちゃケチで、おまけに下の者にはめっちゃ厳しい個人商店のワンマン主人ですから、下働きの従業員には、おからと何とかだけしか与えなかったとか。
十分な食事を与えられないために、小僧さんたちは仕方なく自分で近所のパン屋さんでパンを買ってきて食べるのが習慣だったので、京都は日本一パンの消費量が大きいのだとか、嘘か真実か私は自分で確かめたことはありませんが、そんな噂が定着するほどケチというか、つましい生活スタイルを固く守っていたのでしょう。
それはともかく、この日は決まってみながこれを買いに行って食べる、という文化が、京都の街々にいまも残る、すばらしく美味しい手作りのお菓子を安くで売ってくれる、地域の古い小さな和菓子屋さんを今に至るまで生き延びさせてくれたのだろうと思います。
うちの近くの大原通を少し上へあがったところにある友恵堂さんという和菓子屋さんもそういうお店でしょう。百貨店なんかで売っているようなブランドものの和菓子にも決してひけをとらない美味しさと、梅や桜を象り、鶯色の柔らかな餅、柏餅の季節には忘れず柏餅を出すというふうに季節ごとにさりげない工夫のある菓子意匠にいつも感心し、同時に百貨店の半値くらいの安価な値段に申し訳ないような気持ちで感謝しながら買ってきています。
きょうの夕餉
シイタケのクリームスープ。これも長男がプレゼントしてくれた、マルチハンドブレンダーという簡単に使えて簡単に洗える万能調理器具であっという間に作れるンそうです。パートナーはこのところこの器具で何でもすりつぶして、いろんなものを混ぜたオリジナルなスープ類などを作っています。シイタケ嫌いの孫が一緒だった3日間のあとはシイタケ三昧で(笑)、きょうもシイタケのオンパレード。このスープもシイタケの味と香りが立っていて、とっても美味しかった。孫はすばらしい舌を持っているのですが、シイタケだけは苦手。彼女もこの味が楽しめるようになれば画竜点睛といったところですが・・・
ロールチキンのキノコクリーム煮。ミンチの中にシイタケ、タマネギを入れ、ハーブで味付け。ズッキーニとインゲン添え。ポルチーニでコクのある味が出ています。野菜はみんな上賀茂野菜です。上賀茂野菜がみな水分をたっぷり含んだジューシーで、しかも味とりわけ甘味の濃い、新鮮な野菜なのは、おそらく水と土のせいでしょうが、水といえば葵祭直前の御蔭祭のときに山の中に入って御神水を汲んでくる行事があるように、北山一帯は御神水の湧き出るところで、その水が市街地まで流れて来て、上賀茂神社、下賀茂神社、御所など地下水の主脈を形づくってきた京都の地下の、琵琶湖ほども水量があるらしい水甕の水ともなり、また上賀茂一帯の田畑を潤し、季節ごとの野菜を育む源でもあるわけです。
そういえばもうひとつ、北山の重なる山並みを龍に見立てれば、水神でもあるその巨大な龍が最初に降り立つのが神泉苑だそうです。いまは二条城に敷地をほとんど取られて、ごく狭いところに押し込められたようになっていますが、平安時代にはいまの二条城の辺りは全部神泉苑で、広大な敷地に広大な池があって、そこに屋形船など浮かべて貴族らが遊ぶ京都一の庭園だったようです。そして、京都中が渇水して干上がっても、この神泉苑の水だけは絶えなかったので、いよいよのときは、ここを管理した天皇が庶民に水を分け与えたといいます。弘法大師空海がここで干ばつの折に雨乞い祈祷の競争をやって相手を負かして見事に雨を降らせたのは有名な話ですが、ほかにも静御前がここで舞ったとか、今昔物語に出てくる陰陽師安倍晴明にもゆかりの地だったかと思います。
話が脱線しましたが、私たちが毎日いただいているジューシーな上賀茂野菜は、いわばそうした京都の神様がお住まいになっている北の山々に湧き出る御神水を飲んでいるようなものだと思います。そう思えば元気がみなぎってきますね(笑)。
バケットと、トマト、ひよこ豆、茄子のディップ。ディップに入れてある、わが家で大きくなったディルの香りが素晴らしい。
砂肝のコンフィ(のこり)
グリーンサラダ。
(以上でした。)
今日は少し古今集を読み進みました。二、三首しか進まなかったけれど、色々調べることがあっていい勉強になりました。文法も大体分かっているつもりでも、結構奥が深くて、よく分からないケースに出くわすと、文法書や古語辞典の解説など読んで書いてなかったり、頼りにしている専門家の解説にも全然触れてなかったりします。
でもウェブサイトでこまめに、しつこく探すと、戦前の独自の文法を唱えた文法学者の記述なんかが出て来て、そこにはまさに私が躓いている箇所が例文として取り上げられて解説されていたり。むろん丸ごと信じていいものじゃないかもしれないけれど、少なくとも自分が納得できる解説に出遭ったりすると、やはりウエブサイトの情報も馬鹿にならないなぁと思います。
昼過ぎには団地で申し込みをとりまとめて業者さんにまわってもらう年に一度の排水管の清掃に申し込んでいたので、予約通り来てくれて、点検と管内部および玄関先のマンホール内の清掃をやっていってくれました。これでまた1年間安心して使えます。
きょうも雨が降ったり、けっこう変わりやすい蒸し暑い天気でした。長男の部屋のエアコンが赤いランプがついて、アーチャンみたいにピイピイ鳴くので、だめかと思っていたら、ちゃんと除湿や冷房の機能は動くようで、今日の昼間はずっとかけていて、とても涼しく快適でした。温度が比較的低いうちはアーチャンの部屋だけはエアコンを24時間つけて一定の温度にしていたのですが、さすがに夏が近づくと必要ないので、いまはアーチャンは冷暖房なしです。もともと熱帯の鳥のはずですから、暑いのは比較的平気なんだと思います。ずいぶんお歳のはずですが、やたら元気です(笑)。
saysei at 21:26|Permalink│Comments(0)│
2023年06月29日
きょうはMI5
(昼前の比叡)
午後の自転車行の時刻には雨が降り出すという予報だったので、昼前に本を返しに府立大学図書館へ。ドレウスの「キリスト神話」、彌永さんの「代数学」、モルガンの「古代社会」(下)を返して、かわりにアクセル:ホネットの「承認をめぐる闘争」、佐武一郎の「代数学への誘い」、モルガンの「古代社会」(上)を借りてきました。ホネットという人を知ったのは先日(17日)このブログに書いた小林慶一郎の世代間問題をめぐる記事を読んだからで、著書の多い人で翻訳も沢山出ているようだけれど、私は全然今まで読んだもともなかったし、承認をめぐる闘争ってのもこの人によればヘーゲルが言ってるんだそうですから、一度読んでみたいと思いました。ついでに、小林さんが引用していた廣光俊昭という人の書いたものをウェブサイトで検索すると、沢山すぐにでも読めるものが日本語のも英文のも幾つも出て来て、面白そうだったので全部ダウンロードしておきました。
廣光さんというのはいまは小林さんが書いていたように日本総合政策研究所に所属しているのかもしれないのですが、ウェブサイトで出て来た書き物での肩書は財務省主計局主計企画官となっていて、もともと東大出身で財務省の主計局という官僚の王道をゆくみたいない超エリート官僚なんですね。けれどもなかなかベースが広くて、財政だけじゃなくて、経済全般から哲学、倫理学みたいなものにまで及んで、元より財務官僚として長期的な視点で将来の日本の財政をどう考えるかという問題意識で世代間問題などをやるようになったのかもしれませんが、「将来世代の問題の哲学的基礎について」とか「世代間における互恵性の機能についての考察」だとか、「政策の基礎付けについて - 政策当局者のための倫理学序説」だとか、ちょっと食指をそそるようなタイトルの記事がいくつか出てきました。面白い人がいるものですね。
ついでに彼が引用したと小林さんが書いていたサミュエル・シェフラーの「死と後世」というちくま学芸文庫から出ていた本も発注しておいたら、さきほど届いていたので、これも読んでみようと思っています。これらはみな私にとっては今まで全然触れたことのない著者で、関心のありようがまったく違っていて触れることもなく過ごして来たんだな、と思いますが、たまには全然関心のありようの異なる人の本を読んでみるのも面白いかなと思います。私が財務官僚の書いた本を読むなんてことはまず考えられなかったけれど(笑)・・・
で、今日は何をしたかといえば、実は今日も体調があまり芳しくなくて、ちょっと自転車でくるっとまわってきただけで疲れてしまって、昨日に引き続き、夕方はMI5を見ていました。MIはⅠからⅣまで全部見ていたけれど、このⅤはなぜかまだ見ていなくて、プライムビデオで無料で見られたので見たら、やっぱり面白かった。みんなメガヒットばかりのシリーズでしょうから、お金のかけ方が違うんでしょうね。カーチェイスなんかでもほんとに迫力があるし、うまく作ってあるなあと感心します。
昼前にはまだ晴れていたので、パートナーがだいぶのびた私の髪を散髪してくれるというので、ずいぶん前に買って重宝している電器バリカンであっという間に刈ってくれました。
髪って意外に早く伸びるもので、バサバサ切られて膝に落ちる髪が結構たくさんあるので驚きました。以前は理髪店で4800円(だったかと思う)も払って刈ってもらっていましたが、コロナで警戒して行かなくなって、わが家でバリカンで刈ってもらうようになると、もうコロナがおさまっても散髪屋さんへ行く気がしなくなってしまいました。
さすがに、もうそんなに切らなきゃならいような豊かな髪でもないし、きちんと整髪しなきゃいけないような人に会う機会なんてもう無いし、だいたい5分か10分もあれば素人で簡単に、無料でけっこうさまになる散髪ができてしまうのに、5千円近くも払ってなんでひとさまにやってもらわなくてはならないのかと思ってしまいます。なじんできた散髪屋さんとは、それなりのおつきあい的な感じもあったけれど、さすがに年金生活でキャッシュに事欠くようになれば、そんな浮世の商売がらみの義理だてというのは、そろそろ御免被らないと、と思います。まあ、ほかにはそんなのは無かったと思うけれど。
正面から
上から
横から
後ろから
けっこうまく刈れてるでしょう?(笑)
理髪店での1回分の費用で素人でも簡単に扱える電動バリカンが買えました。事前にちょっと充電しておくとコードを付けずにほんの5~10分で綺麗に刈れてしまいます。刃を換えるのも簡単で、短く刈ったり長めに刈ったり、襟足のあたりを剃るように刈ったり、色々自在にできます。理髪店泣かせのすぐれものです。
それにしても随分髪が白くなり、まばらになりましたね(笑)
きょうの夕餉
シイタケと牛肉のコチジャン味噌炒め、チシャ添え。
昨日までの三日間夕食を共にした孫は、唯一、シイタケだけが苦手なので、シイタケが食べられずにたくさんあったので、きょうはあらゆる料理にシイタケを使う、とパートナーが宣言して(笑)・・
そういえば長男も子供のころ、「シイタケは子供の敵」などと言ってシイタケを毛嫌いしていました。いまは食べられるようになったみたいですが、それにしても不思議なことに孫の舌はまったくこの「伯父」である私の長男とそっくり。苦手なものも、好みも、そっくりそのままで笑えるほどです。だのにパパともママとも全然食の好みは似ていないのです。遺伝というのはほんとに不思議なものですね。
サンドマメのゴマ味噌あえ。こういうのが味覚障害の私の舌には一番味がよく分かって美味しく感じられます。
焼き茄子と焼き椎茸の出汁醤油かけ。パートナーが美味しい、美味しい、と言って食べていましたが、上賀茂の茄子の焼いたのはほんとに美味しいでしょう。今の味覚障害が進んでいる私にはこういう「旨味」に類する微妙な味がちょっと分かりにくくなっていて残念です。
子持ちシシャモと鰯の焼いたの。
コリンキーとキュウリのカツオ醤油
サラダ
塩鮭
モズクきゅうり酢
スジコン大根(のこり)
シイタケ、蒟蒻、ゴボウ、ニンジン、おあげの炊き込みご飯
(以上でした。)
午後の自転車行の時刻には雨が降り出すという予報だったので、昼前に本を返しに府立大学図書館へ。ドレウスの「キリスト神話」、彌永さんの「代数学」、モルガンの「古代社会」(下)を返して、かわりにアクセル:ホネットの「承認をめぐる闘争」、佐武一郎の「代数学への誘い」、モルガンの「古代社会」(上)を借りてきました。ホネットという人を知ったのは先日(17日)このブログに書いた小林慶一郎の世代間問題をめぐる記事を読んだからで、著書の多い人で翻訳も沢山出ているようだけれど、私は全然今まで読んだもともなかったし、承認をめぐる闘争ってのもこの人によればヘーゲルが言ってるんだそうですから、一度読んでみたいと思いました。ついでに、小林さんが引用していた廣光俊昭という人の書いたものをウェブサイトで検索すると、沢山すぐにでも読めるものが日本語のも英文のも幾つも出て来て、面白そうだったので全部ダウンロードしておきました。
廣光さんというのはいまは小林さんが書いていたように日本総合政策研究所に所属しているのかもしれないのですが、ウェブサイトで出て来た書き物での肩書は財務省主計局主計企画官となっていて、もともと東大出身で財務省の主計局という官僚の王道をゆくみたいない超エリート官僚なんですね。けれどもなかなかベースが広くて、財政だけじゃなくて、経済全般から哲学、倫理学みたいなものにまで及んで、元より財務官僚として長期的な視点で将来の日本の財政をどう考えるかという問題意識で世代間問題などをやるようになったのかもしれませんが、「将来世代の問題の哲学的基礎について」とか「世代間における互恵性の機能についての考察」だとか、「政策の基礎付けについて - 政策当局者のための倫理学序説」だとか、ちょっと食指をそそるようなタイトルの記事がいくつか出てきました。面白い人がいるものですね。
ついでに彼が引用したと小林さんが書いていたサミュエル・シェフラーの「死と後世」というちくま学芸文庫から出ていた本も発注しておいたら、さきほど届いていたので、これも読んでみようと思っています。これらはみな私にとっては今まで全然触れたことのない著者で、関心のありようがまったく違っていて触れることもなく過ごして来たんだな、と思いますが、たまには全然関心のありようの異なる人の本を読んでみるのも面白いかなと思います。私が財務官僚の書いた本を読むなんてことはまず考えられなかったけれど(笑)・・・
で、今日は何をしたかといえば、実は今日も体調があまり芳しくなくて、ちょっと自転車でくるっとまわってきただけで疲れてしまって、昨日に引き続き、夕方はMI5を見ていました。MIはⅠからⅣまで全部見ていたけれど、このⅤはなぜかまだ見ていなくて、プライムビデオで無料で見られたので見たら、やっぱり面白かった。みんなメガヒットばかりのシリーズでしょうから、お金のかけ方が違うんでしょうね。カーチェイスなんかでもほんとに迫力があるし、うまく作ってあるなあと感心します。
昼前にはまだ晴れていたので、パートナーがだいぶのびた私の髪を散髪してくれるというので、ずいぶん前に買って重宝している電器バリカンであっという間に刈ってくれました。
髪って意外に早く伸びるもので、バサバサ切られて膝に落ちる髪が結構たくさんあるので驚きました。以前は理髪店で4800円(だったかと思う)も払って刈ってもらっていましたが、コロナで警戒して行かなくなって、わが家でバリカンで刈ってもらうようになると、もうコロナがおさまっても散髪屋さんへ行く気がしなくなってしまいました。
さすがに、もうそんなに切らなきゃならいような豊かな髪でもないし、きちんと整髪しなきゃいけないような人に会う機会なんてもう無いし、だいたい5分か10分もあれば素人で簡単に、無料でけっこうさまになる散髪ができてしまうのに、5千円近くも払ってなんでひとさまにやってもらわなくてはならないのかと思ってしまいます。なじんできた散髪屋さんとは、それなりのおつきあい的な感じもあったけれど、さすがに年金生活でキャッシュに事欠くようになれば、そんな浮世の商売がらみの義理だてというのは、そろそろ御免被らないと、と思います。まあ、ほかにはそんなのは無かったと思うけれど。
正面から
上から
横から
後ろから
けっこうまく刈れてるでしょう?(笑)
理髪店での1回分の費用で素人でも簡単に扱える電動バリカンが買えました。事前にちょっと充電しておくとコードを付けずにほんの5~10分で綺麗に刈れてしまいます。刃を換えるのも簡単で、短く刈ったり長めに刈ったり、襟足のあたりを剃るように刈ったり、色々自在にできます。理髪店泣かせのすぐれものです。
それにしても随分髪が白くなり、まばらになりましたね(笑)
きょうの夕餉
シイタケと牛肉のコチジャン味噌炒め、チシャ添え。
昨日までの三日間夕食を共にした孫は、唯一、シイタケだけが苦手なので、シイタケが食べられずにたくさんあったので、きょうはあらゆる料理にシイタケを使う、とパートナーが宣言して(笑)・・
そういえば長男も子供のころ、「シイタケは子供の敵」などと言ってシイタケを毛嫌いしていました。いまは食べられるようになったみたいですが、それにしても不思議なことに孫の舌はまったくこの「伯父」である私の長男とそっくり。苦手なものも、好みも、そっくりそのままで笑えるほどです。だのにパパともママとも全然食の好みは似ていないのです。遺伝というのはほんとに不思議なものですね。
サンドマメのゴマ味噌あえ。こういうのが味覚障害の私の舌には一番味がよく分かって美味しく感じられます。
焼き茄子と焼き椎茸の出汁醤油かけ。パートナーが美味しい、美味しい、と言って食べていましたが、上賀茂の茄子の焼いたのはほんとに美味しいでしょう。今の味覚障害が進んでいる私にはこういう「旨味」に類する微妙な味がちょっと分かりにくくなっていて残念です。
子持ちシシャモと鰯の焼いたの。
コリンキーとキュウリのカツオ醤油
サラダ
塩鮭
モズクきゅうり酢
スジコン大根(のこり)
シイタケ、蒟蒻、ゴボウ、ニンジン、おあげの炊き込みご飯
(以上でした。)
saysei at 21:42|Permalink│Comments(0)│
2023年06月28日
「アメリカン・スナイパー」を見る
今朝は4時過ぎに頭痛で目が覚めて、じっとしていたけれど段々ひどくなるので、仕方なく5時過ぎには起き出して、バナナとシリアル少々を胃に入れて、カロナール(痛み止め)をのんで、なんとか朝食までには頭痛を抑えました。
多分寝たときの姿勢とかによって、首に負担がかかると、幼いころ頸椎に受けたダメッジのせいでつぶれかかった頸椎から軟骨が生えて来て神経に触れている状態なのが、より刺激される形になって痛みを生じるようで、これもまあ私の持病みたいなものです。
きょうは自転車行に出ようと思ったら雨が降って来て、結局終日家にいて、しかもここ数日どうも体がだるくて、少し動いても息のあがりかたが尋常でなく、何百メートルも走ったあとみたいに疲労困憊という状態になるので、今日も何もせずに、プライムビデオで何か見ていない面白そうな映画は無いか、と思って探していたら、クリント・イーストウッド監督の「アメリカン・スナイパー」というのがあって、まだ見ていなかったことに気づいたので、夕食近くまでずっとこれを見ていました。
クリント・イーストウッドが監督として大きな才能を持った人であることは分かっているけれど、好きな監督ではなかったし、好きな映画もなかったけれど(俳優として出ていた初期のマカロニウェスタンは好きだったけれど・・・笑)、これは見ごたえのある映画でした。まあマイケル・チミノの「ディア・ハンター」という優れた先例があるので、その二番煎じといえば言えるし、ほぼ事実にもとづいた伝説のスナイパーの回顧録をなぞった映画らしいから、そう事実から逸脱もできなかったのでしょうが、「ディア・ハンター」のような意外性に満ちた鮮烈な深い印象を与える作品にはとうてい及ばないし、この監督らしいマッチョな「愛国者」らしいつくりだけれど、ちょっときまじめに考えさせるかのようなテーマ性を持たせながら、それも含めてエンターテインメントとしての型でうまくまとめた作品で、何もする気力がない時の暇つぶしには適当な映画でした。
きょうの夕餉
三夜連続孫がきてくれて一緒に食べたきょうの夕食は、チキンと茄子と万願寺唐辛子のカレー。とても美味しいカレーでした。
(29日記:この日のカレーはパートナーにとっても珍しく満足のいった最高の味だったようです。その原因は彼女によれば、上賀茂野菜にあり、とくにタマネギらしくて、大きいのを丸々一個使ったらしいのですが、最初にそれを炒めるとき、以前に使っていた普通店で売っているタマネギよりもずっと早く焦げ付くほどで、甘味があるとか。たしかに上賀茂のタマネギは、あの目に沁みる刺激性の揮発成分や辛味がほとんどなくて、生でバリバリ食べて美味しい甘味と食感があります。孫はママがネギもタマネギも食べられないらしいのですが、実は本人はネギもタマネギも大好きで、昨日も生のタマネギをスライスしたものを、美味しい美味しいとバリバリ食べていました。そんなに好きなら一個持ち帰って自分で切ってたべたら?と言っても、自分の欲求よりも人の気持ちを先に思う優しい子なので、タマネギ嫌いのママのことを思うらしく、持ち帰るとは言わず、じゃまたうちで食べたらいいわ、とばあちゃんが言うと、うん!と喜んでいました。この格段においしい上賀茂タマネギが美味しいカレーの第一要因らしいのですが、あとカレーに入れた茄子や万願寺唐辛子もかなり貢献しているだろうとのこと。とくにナスは蕩けるように柔らかく、甘みのある茄子なのですが、その甘味が溶け出してうまく融合していい味を出しているんだろうとのこと。私は今も半分くらい薬害による味覚障害なので、その美味しさが半分くらいしか味わえていないと思いますが、それでも美味しくいただけました。)
スティック野菜はみんな上賀茂の朝採りの新鮮な野菜。ロメインレタス、コリンキー、キュウリ、人参、タマネギ、スティンキー(ピノキオ)に、マンゴーとメンタイコのディップなどをつけていただきました。
あとはぬか漬けと、いつもは昼に食べるフルーツヨーグルトを、きょうは孫に食べさせてやろうと、夕食の後、デザート代わりに一緒にいただきました。
ところで、きょうの大谷翔平はピッチャーで投げては10三振を奪って勝利投手、バッターとしては2本のホームランを打ったそうで、まさに超人ぶりを発揮しましたね。どこまで行くのか、それだけでも楽しみです。
今日も何もできなかったけれど、モルガンの『古代社会』の文庫本(下巻)を拡大コピーしました(笑)。以前に持っていて拾い読みくらいはしたことのある本でしたが、いつか手放してしまって手許になくなっていたのを最近また読みたくなって、図書館で借りたのですが、こんどは白内障のせいで全然文字が読めないので、140%拡大コピーをして読めるようにしたのでした。ヤレヤレ・・・
多分寝たときの姿勢とかによって、首に負担がかかると、幼いころ頸椎に受けたダメッジのせいでつぶれかかった頸椎から軟骨が生えて来て神経に触れている状態なのが、より刺激される形になって痛みを生じるようで、これもまあ私の持病みたいなものです。
きょうは自転車行に出ようと思ったら雨が降って来て、結局終日家にいて、しかもここ数日どうも体がだるくて、少し動いても息のあがりかたが尋常でなく、何百メートルも走ったあとみたいに疲労困憊という状態になるので、今日も何もせずに、プライムビデオで何か見ていない面白そうな映画は無いか、と思って探していたら、クリント・イーストウッド監督の「アメリカン・スナイパー」というのがあって、まだ見ていなかったことに気づいたので、夕食近くまでずっとこれを見ていました。
クリント・イーストウッドが監督として大きな才能を持った人であることは分かっているけれど、好きな監督ではなかったし、好きな映画もなかったけれど(俳優として出ていた初期のマカロニウェスタンは好きだったけれど・・・笑)、これは見ごたえのある映画でした。まあマイケル・チミノの「ディア・ハンター」という優れた先例があるので、その二番煎じといえば言えるし、ほぼ事実にもとづいた伝説のスナイパーの回顧録をなぞった映画らしいから、そう事実から逸脱もできなかったのでしょうが、「ディア・ハンター」のような意外性に満ちた鮮烈な深い印象を与える作品にはとうてい及ばないし、この監督らしいマッチョな「愛国者」らしいつくりだけれど、ちょっときまじめに考えさせるかのようなテーマ性を持たせながら、それも含めてエンターテインメントとしての型でうまくまとめた作品で、何もする気力がない時の暇つぶしには適当な映画でした。
きょうの夕餉
三夜連続孫がきてくれて一緒に食べたきょうの夕食は、チキンと茄子と万願寺唐辛子のカレー。とても美味しいカレーでした。
(29日記:この日のカレーはパートナーにとっても珍しく満足のいった最高の味だったようです。その原因は彼女によれば、上賀茂野菜にあり、とくにタマネギらしくて、大きいのを丸々一個使ったらしいのですが、最初にそれを炒めるとき、以前に使っていた普通店で売っているタマネギよりもずっと早く焦げ付くほどで、甘味があるとか。たしかに上賀茂のタマネギは、あの目に沁みる刺激性の揮発成分や辛味がほとんどなくて、生でバリバリ食べて美味しい甘味と食感があります。孫はママがネギもタマネギも食べられないらしいのですが、実は本人はネギもタマネギも大好きで、昨日も生のタマネギをスライスしたものを、美味しい美味しいとバリバリ食べていました。そんなに好きなら一個持ち帰って自分で切ってたべたら?と言っても、自分の欲求よりも人の気持ちを先に思う優しい子なので、タマネギ嫌いのママのことを思うらしく、持ち帰るとは言わず、じゃまたうちで食べたらいいわ、とばあちゃんが言うと、うん!と喜んでいました。この格段においしい上賀茂タマネギが美味しいカレーの第一要因らしいのですが、あとカレーに入れた茄子や万願寺唐辛子もかなり貢献しているだろうとのこと。とくにナスは蕩けるように柔らかく、甘みのある茄子なのですが、その甘味が溶け出してうまく融合していい味を出しているんだろうとのこと。私は今も半分くらい薬害による味覚障害なので、その美味しさが半分くらいしか味わえていないと思いますが、それでも美味しくいただけました。)
スティック野菜はみんな上賀茂の朝採りの新鮮な野菜。ロメインレタス、コリンキー、キュウリ、人参、タマネギ、スティンキー(ピノキオ)に、マンゴーとメンタイコのディップなどをつけていただきました。
あとはぬか漬けと、いつもは昼に食べるフルーツヨーグルトを、きょうは孫に食べさせてやろうと、夕食の後、デザート代わりに一緒にいただきました。
ところで、きょうの大谷翔平はピッチャーで投げては10三振を奪って勝利投手、バッターとしては2本のホームランを打ったそうで、まさに超人ぶりを発揮しましたね。どこまで行くのか、それだけでも楽しみです。
今日も何もできなかったけれど、モルガンの『古代社会』の文庫本(下巻)を拡大コピーしました(笑)。以前に持っていて拾い読みくらいはしたことのある本でしたが、いつか手放してしまって手許になくなっていたのを最近また読みたくなって、図書館で借りたのですが、こんどは白内障のせいで全然文字が読めないので、140%拡大コピーをして読めるようにしたのでした。ヤレヤレ・・・
saysei at 21:45|Permalink│Comments(0)│
2023年06月27日
「ラストマン」は最終回も良かった!
一昨日、テレビドラマ「ラストマン」の最終回の後編が放映されましたが、このドラマは最後まで飽きさせませんでした。私は、最終回の前編で、主人公の片割れの身内である、権力を握っている「黒幕」らしき政治家が登場したときに、なぁんだ、おわりは平凡なんだな、またそういう政治家の自己保身のための悪事の隠蔽の結果でした、って話で終わるのかい、と思って、終わりが見えてしまったじゃないの、なんて書いたのですが、間違っていましたね。予想を裏切ってくれて大変楽しむことができました。パートナーは二人が兄弟だとは予想していたらしいけれど、あれだけの複雑な人間関係の織り成すストーリー仕立てまではさすがに見通せなかったようです。
やはりドラマは脚本ですね。劇中で福山雅治のセリフにありましたが、大きな政治的陰謀だとかそんな話ではなくて、もっと小さな家族の間の愛憎の劇なんだというところが、なかなか良かった。これが逆に政治権力の陰謀がからんだ話だったりしたら、かえって平凡きわまりない、つまらないドラマに終わったでしょう。
主人公二人もラストは特に熱演でした。大泉の泣きはすごかった。
ラストはなんか次は米国を舞台につづきをやります、って感じでしたが、とりあえずは別のドラマが始まるようです。同じ脚本家なら大いに期待できそうですがどうだったでしょうか。まかり間違っても大河ドラマの脚本家なんかではありませんように!(笑)
松ケ崎橋より
きょうは、早朝2階の洗濯物干し場にでるつっかけが濡れていて、機能は本格的な雨降りでしたから、夜なかもひきつづき雨が降ったのかなと思いましたが、幸いきょうはその後雨にはならず、歯医者さんへブラッシングしてもらいにいった10時ころにも雨は降っていなかったので助かりました。でも蒸し暑くて、体がだるく、7時間は寝ているのにずっと眠くて、何もする気にならないような一日でした。
起床時もなんだかそのままずっと寝ていたい感じだし、ゴミを共同回収場へ自転車で運んだり、ちょっと歩くだけでひどく息が上がって、そのあと座り込んでしまうし、なんだかこのまま動かないと寝たきりになってしまいそうな雰囲気なので、大儀でもエイヤっと無理して立ち上がって動くようにしています。本を読むのも白内障のせいで文庫はまず無理だし、少しは字の大きい単行本でもかなりつらく、拡大鏡をあててなんとか読みはしますが、すぐ疲れてしまって長く読んでいられないので、ほとんど唯一の楽しみが半減する感じです。8月に手術すればそれについては少しはましになるだろうと期待しています。
今日姿を見せた高野川の鹿は、まず午後3時半前後に、ずっと馬橋のすこしかみの水際の草地で草を食んでいたこの牝鹿と
松ヶ崎橋の下流側のすぐ下の中洲の水際の草の陰で休んでいるこの牝鹿と、もう一頭
その奥の西岸の草地の木陰で休んでいるおそらくはこれも牝鹿との合計3頭で、仔鹿の姿は見られませんでした。お山にいるのか、それとも草の陰にでも隠れて昼寝しているのか・・・
高野橋から見る比叡
上賀茂の野菜自動販売機を覗いて、ご注文のキュウリを戸田農園さんとこで二袋(6本)買ってきて、帰りの高野橋からみた比叡。
帰宅してシャワーを浴びると、またなんだか疲れてソファでニュースなど見ながらぼぉっとしていました。本当は先日コピーした彌永さんの「代数学」を読み始めたかったのだけれど、ちょっとそういう意欲が湧いてこなくてデレッとして休んでいただけ。食べれば忽ち元気の出るポパイのホウレンソウみたいな特効薬があるといいのですが・・・
きょうの夕餉
天ぷら(牛肉とタマネギのかきあげ、コーン、大葉、京みどり、茄子など)
さしみ(これがあるのは孫が夕食に来てくれるとき ♪)
刺身がもう一つの私向きに用意してもらった鰯
スジコンだいこん
冷奴
五目黒豆納豆
グリーンサラダ
豚汁
(以上でした)
ワグネルの「反乱」がたった一日終息したのは残念。茶番にしても、もうちょっと進軍してクレムリンを脅かせば面白かったのですが。それにしても犯罪者を駆り集めて、国家が汚れ仕事を全部やらせて、アフリカや中近東で暴れ回って大きな顔をするようになったとか。そういえば昔、リー・マーヴィンの主演した戦争映画で、ドイツの将校たちが集まる郊外の保養所に密かに侵入してせん滅する「特攻大作戦」というロバード・アルドリッチ監督の映画が、死刑を待つだけの凶悪犯ばかり12人を特訓して特攻チームに仕立て上げて作成を遂行するという話でしたが、国家というのは昔からそんなことばかりやっているんですね。あの映画の原題がThe Dirty Dozen (笑)。
やはりドラマは脚本ですね。劇中で福山雅治のセリフにありましたが、大きな政治的陰謀だとかそんな話ではなくて、もっと小さな家族の間の愛憎の劇なんだというところが、なかなか良かった。これが逆に政治権力の陰謀がからんだ話だったりしたら、かえって平凡きわまりない、つまらないドラマに終わったでしょう。
主人公二人もラストは特に熱演でした。大泉の泣きはすごかった。
ラストはなんか次は米国を舞台につづきをやります、って感じでしたが、とりあえずは別のドラマが始まるようです。同じ脚本家なら大いに期待できそうですがどうだったでしょうか。まかり間違っても大河ドラマの脚本家なんかではありませんように!(笑)
松ケ崎橋より
きょうは、早朝2階の洗濯物干し場にでるつっかけが濡れていて、機能は本格的な雨降りでしたから、夜なかもひきつづき雨が降ったのかなと思いましたが、幸いきょうはその後雨にはならず、歯医者さんへブラッシングしてもらいにいった10時ころにも雨は降っていなかったので助かりました。でも蒸し暑くて、体がだるく、7時間は寝ているのにずっと眠くて、何もする気にならないような一日でした。
起床時もなんだかそのままずっと寝ていたい感じだし、ゴミを共同回収場へ自転車で運んだり、ちょっと歩くだけでひどく息が上がって、そのあと座り込んでしまうし、なんだかこのまま動かないと寝たきりになってしまいそうな雰囲気なので、大儀でもエイヤっと無理して立ち上がって動くようにしています。本を読むのも白内障のせいで文庫はまず無理だし、少しは字の大きい単行本でもかなりつらく、拡大鏡をあててなんとか読みはしますが、すぐ疲れてしまって長く読んでいられないので、ほとんど唯一の楽しみが半減する感じです。8月に手術すればそれについては少しはましになるだろうと期待しています。
今日姿を見せた高野川の鹿は、まず午後3時半前後に、ずっと馬橋のすこしかみの水際の草地で草を食んでいたこの牝鹿と
松ヶ崎橋の下流側のすぐ下の中洲の水際の草の陰で休んでいるこの牝鹿と、もう一頭
その奥の西岸の草地の木陰で休んでいるおそらくはこれも牝鹿との合計3頭で、仔鹿の姿は見られませんでした。お山にいるのか、それとも草の陰にでも隠れて昼寝しているのか・・・
高野橋から見る比叡
上賀茂の野菜自動販売機を覗いて、ご注文のキュウリを戸田農園さんとこで二袋(6本)買ってきて、帰りの高野橋からみた比叡。
帰宅してシャワーを浴びると、またなんだか疲れてソファでニュースなど見ながらぼぉっとしていました。本当は先日コピーした彌永さんの「代数学」を読み始めたかったのだけれど、ちょっとそういう意欲が湧いてこなくてデレッとして休んでいただけ。食べれば忽ち元気の出るポパイのホウレンソウみたいな特効薬があるといいのですが・・・
きょうの夕餉
天ぷら(牛肉とタマネギのかきあげ、コーン、大葉、京みどり、茄子など)
さしみ(これがあるのは孫が夕食に来てくれるとき ♪)
刺身がもう一つの私向きに用意してもらった鰯
スジコンだいこん
冷奴
五目黒豆納豆
グリーンサラダ
豚汁
(以上でした)
ワグネルの「反乱」がたった一日終息したのは残念。茶番にしても、もうちょっと進軍してクレムリンを脅かせば面白かったのですが。それにしても犯罪者を駆り集めて、国家が汚れ仕事を全部やらせて、アフリカや中近東で暴れ回って大きな顔をするようになったとか。そういえば昔、リー・マーヴィンの主演した戦争映画で、ドイツの将校たちが集まる郊外の保養所に密かに侵入してせん滅する「特攻大作戦」というロバード・アルドリッチ監督の映画が、死刑を待つだけの凶悪犯ばかり12人を特訓して特攻チームに仕立て上げて作成を遂行するという話でしたが、国家というのは昔からそんなことばかりやっているんですね。あの映画の原題がThe Dirty Dozen (笑)。
saysei at 18:55|Permalink│Comments(0)│
2023年06月26日
雨の日の夕餉
きょうのメインディッシュは羊のグリルのポルチーニクリームソースかけでしたが・・・
パートナーが力を注いでいたのは,ちぎったバケットに載せていただく、4種ものディップでした。 左から、いつものパンコントマテの上賀茂戸田農園産の完熟トマト、その右が豆腐のディップ、その右がひよこ豆のディップ、右端が上賀茂茄子のディップです。どれも各種ハーブ類をきかせた、すばらしい味わいでした。
カボチャスープ
砂肝のコンフィ
サツマイモとクルミ、ピクルス、チーズのサラダ
グリーンサラダ
コーンと枝豆
(以上でした。)
きょうは長男と孫も一緒に夕食を取ることが出来、楽しい夕餉になりました。彼等も美味しい美味しいと言ってたべてくれて、パートナーもとても喜んでいました。
吉本隆明試論の「関係の絶対性」とは何か、をきょうアップロードしました。
今日は終日本格的な雨だったので、外出はしませんでした。鹿さんたちはどうしていることでしょうか。
saysei at 22:10|Permalink│Comments(0)│