2023年01月
2023年01月31日
河内厚郎さんの論文「水と芸能とヒルコ神」のことなど
往きの比叡
今朝も少し雪が積もったようで庭の緑が雪をかぶっていましたが、午後は比較的良い天気で、他に行ける所もないので、少ししんどいけれども、腰痛対策と、或る程度肺に負荷をかけることも必要かと、フーフー息を切らしながら、なんとかゆるゆると上賀茂の四つの野菜自動販売機をめぐってきました。
きょうの収穫は、白菜、スナップエンドウ、人参、大根、リーフレタスでした。
復りの比叡
きょうは二十歳前後の頃に書き始めては挫折し、何度もまた書き出しては挫折してほうりっぱなしだった創作「帰郷」の書き出しの章をやっつけて、投稿サイトへの連載をはじめました。最後のチャレンジというわけです(笑)。→「帰郷」の掲載されたエブリスタのページはこちらです。
ところで話は違いますが、私がシンクタンク時代におつきあいのあった文化プロデューサーの河内厚郎さん(「スナップショット」で取り上げた方の一人)の事務所の方から先日、河内さんの代筆ということで突然お葉書をいただき、わたしのメルアドを教えてほしいとのことでしたのでご連絡すると、河内さんからお久しぶりにメールをいただきました。
4年前に脳出血で倒れられて何と半月間もの間意識不明だったそうで、さらに半年間入院され、その後リハビリ生活に入られ、現在も右半身がお使いになれないそうですが、ご家族やたぶん代筆などを去れている方でしょうが、秘書役のかたなどの援けで、お仕事には復帰されているとのこと。大変な目に遭われたようですが、昔と変わらない充実したお仕事をつづけていらっしゃるようです。
昨日第2信が届き、最近になって、西宮えびす神社の論文募集に応募なさって、それが最高賞を受賞して、神社のホームページで公開されていることを教えて下さったのです。
早速アクセスしてその受賞作の論文「水と芸能とヒルコ神」を読んでみました。これが頗る面白い論文で、西宮えびす神社が祀るえびすさんの前身であるらしいヒルコ(イザナギ・イザナミから生まれて海に流された最初の子=蛭子でもあり、また「日の子」つまり太陽神でもありという)についての神話学的な考察から、大阪湾という土地、水との関わり、さらにそのことと、西宮えびす神社境内にいまは包摂されている人形芝居の元祖百大夫とその後淡路へわたり、さらに大坂へ戻って来る人形浄瑠璃の流れ、そしてこのヒルコが日本的な「中心」を持たない、また西洋的な自意識の核を持たない八百万の神々の体系から排除された「西洋的な」異端の神であり、日本的な太陽神=女神(アマテラス)とは相反する西洋の一神教的な太陽神=男神であって、これを再び神として受容し、祀るところに、異端のものを受容する日本的な集合的無意識としての文化のありようを見る河合隼雄の所説を援用しつつ、はては西洋文化受容に際しての阪神間モダニズムの淵源をそこに見いだすという、時空を縦横無尽に飛翔して、思いもかけないものどうしを結びつけ、アッと驚くような新鮮な光景を見せてくれる、実に楽しい論考です。
→西宮えびす神社HP「重要文化財保全修理工事竣工記念「えびす懸賞論文」受賞作品発表」はこちらです。
河内さんの論文を読むと昔と少しも変わらず博覧強記、才気煥発、独創的なアイディアがそこかしこにきらめいていて、時に大胆な想像力の翼が思わぬ飛躍をみせて、それがまた楽しめて、というほんとに飽きさせない文章で、これは昔から変わらないなぁと思います。
私もせっかく河内さんから交友を保ちたいと言っていただく身としては、せめて何か自分の表現として彼のような人にも読んでもらえるようなものを書きたいと思っているのですが、如何せん、少々遅かったかも(笑)。
しかし、私も最後の日が近いいまごろになって、こういう方とお付き合いさせていただけるのは、本当に楽しく、幸せなことです。二人ともメールでしか交感できない体ではあるけれど、それで十分です。
さて毎日恒例の今日の夕餉です。
きょうのメインディッシュは、ハンバーグですが、今日のは、いつもと違ってパートナーの手作りではなく、たまたま用あって彼女が久しぶりに高島屋へ行ったので、そこで買ってきて「手抜きしたわ」というハンバーグ。ただ、書けてあるのは、半分が上賀茂の「辛味大根」のおろしポン酢、半分がパートナーお手製のヨーグルト・ディルソース。あと私が買ってきた肉厚の椎茸と人参。
久しぶりの金時草のおひたし。
ロマネスコ。ただしこれは上賀茂のではなく、高島屋で見つけて買ったそうですが、戸田さんのと違って全然甘味が無く、実に不味い。パートナーは一口食べて、一度上賀茂のロマネスコを食べたらもうこんな不味いロマネスコが食べられなくなったわ、とそれ以上箸をつけようとはしません。
カブの葉と干しえびのキンピラ。このカブは上賀茂ので、実においしい。上賀茂野菜には独特の甘味と濃い味があり、いやみな味、雑味というものが少しもないのが特長です。
カライネ大根の甘酢
残り物。右のサツマイモのサラダは、芋自体の甘味が尋常ではなく、すばらしく美味しい。
すぐきと、わずかに残っていた鮒ずし。この鮒ずしの味が癖になって、今日彼女が高島屋へ行ったのも主な目当ての一つが、魚治の鮒ずしでしたが、残念なことに今日は無かったのだそうです。
豆腐、おアゲ、ネギの味噌汁。
(以上でした。)
今朝も少し雪が積もったようで庭の緑が雪をかぶっていましたが、午後は比較的良い天気で、他に行ける所もないので、少ししんどいけれども、腰痛対策と、或る程度肺に負荷をかけることも必要かと、フーフー息を切らしながら、なんとかゆるゆると上賀茂の四つの野菜自動販売機をめぐってきました。
きょうの収穫は、白菜、スナップエンドウ、人参、大根、リーフレタスでした。
復りの比叡
きょうは二十歳前後の頃に書き始めては挫折し、何度もまた書き出しては挫折してほうりっぱなしだった創作「帰郷」の書き出しの章をやっつけて、投稿サイトへの連載をはじめました。最後のチャレンジというわけです(笑)。→「帰郷」の掲載されたエブリスタのページはこちらです。
ところで話は違いますが、私がシンクタンク時代におつきあいのあった文化プロデューサーの河内厚郎さん(「スナップショット」で取り上げた方の一人)の事務所の方から先日、河内さんの代筆ということで突然お葉書をいただき、わたしのメルアドを教えてほしいとのことでしたのでご連絡すると、河内さんからお久しぶりにメールをいただきました。
4年前に脳出血で倒れられて何と半月間もの間意識不明だったそうで、さらに半年間入院され、その後リハビリ生活に入られ、現在も右半身がお使いになれないそうですが、ご家族やたぶん代筆などを去れている方でしょうが、秘書役のかたなどの援けで、お仕事には復帰されているとのこと。大変な目に遭われたようですが、昔と変わらない充実したお仕事をつづけていらっしゃるようです。
昨日第2信が届き、最近になって、西宮えびす神社の論文募集に応募なさって、それが最高賞を受賞して、神社のホームページで公開されていることを教えて下さったのです。
早速アクセスしてその受賞作の論文「水と芸能とヒルコ神」を読んでみました。これが頗る面白い論文で、西宮えびす神社が祀るえびすさんの前身であるらしいヒルコ(イザナギ・イザナミから生まれて海に流された最初の子=蛭子でもあり、また「日の子」つまり太陽神でもありという)についての神話学的な考察から、大阪湾という土地、水との関わり、さらにそのことと、西宮えびす神社境内にいまは包摂されている人形芝居の元祖百大夫とその後淡路へわたり、さらに大坂へ戻って来る人形浄瑠璃の流れ、そしてこのヒルコが日本的な「中心」を持たない、また西洋的な自意識の核を持たない八百万の神々の体系から排除された「西洋的な」異端の神であり、日本的な太陽神=女神(アマテラス)とは相反する西洋の一神教的な太陽神=男神であって、これを再び神として受容し、祀るところに、異端のものを受容する日本的な集合的無意識としての文化のありようを見る河合隼雄の所説を援用しつつ、はては西洋文化受容に際しての阪神間モダニズムの淵源をそこに見いだすという、時空を縦横無尽に飛翔して、思いもかけないものどうしを結びつけ、アッと驚くような新鮮な光景を見せてくれる、実に楽しい論考です。
→西宮えびす神社HP「重要文化財保全修理工事竣工記念「えびす懸賞論文」受賞作品発表」はこちらです。
河内さんの論文を読むと昔と少しも変わらず博覧強記、才気煥発、独創的なアイディアがそこかしこにきらめいていて、時に大胆な想像力の翼が思わぬ飛躍をみせて、それがまた楽しめて、というほんとに飽きさせない文章で、これは昔から変わらないなぁと思います。
私もせっかく河内さんから交友を保ちたいと言っていただく身としては、せめて何か自分の表現として彼のような人にも読んでもらえるようなものを書きたいと思っているのですが、如何せん、少々遅かったかも(笑)。
しかし、私も最後の日が近いいまごろになって、こういう方とお付き合いさせていただけるのは、本当に楽しく、幸せなことです。二人ともメールでしか交感できない体ではあるけれど、それで十分です。
さて毎日恒例の今日の夕餉です。
きょうのメインディッシュは、ハンバーグですが、今日のは、いつもと違ってパートナーの手作りではなく、たまたま用あって彼女が久しぶりに高島屋へ行ったので、そこで買ってきて「手抜きしたわ」というハンバーグ。ただ、書けてあるのは、半分が上賀茂の「辛味大根」のおろしポン酢、半分がパートナーお手製のヨーグルト・ディルソース。あと私が買ってきた肉厚の椎茸と人参。
久しぶりの金時草のおひたし。
ロマネスコ。ただしこれは上賀茂のではなく、高島屋で見つけて買ったそうですが、戸田さんのと違って全然甘味が無く、実に不味い。パートナーは一口食べて、一度上賀茂のロマネスコを食べたらもうこんな不味いロマネスコが食べられなくなったわ、とそれ以上箸をつけようとはしません。
カブの葉と干しえびのキンピラ。このカブは上賀茂ので、実においしい。上賀茂野菜には独特の甘味と濃い味があり、いやみな味、雑味というものが少しもないのが特長です。
カライネ大根の甘酢
残り物。右のサツマイモのサラダは、芋自体の甘味が尋常ではなく、すばらしく美味しい。
すぐきと、わずかに残っていた鮒ずし。この鮒ずしの味が癖になって、今日彼女が高島屋へ行ったのも主な目当ての一つが、魚治の鮒ずしでしたが、残念なことに今日は無かったのだそうです。
豆腐、おアゲ、ネギの味噌汁。
(以上でした。)
saysei at 21:15|Permalink│Comments(0)│
2023年01月30日
野菜の収穫
きょうも照ったり曇ったり、寒そうだし、上賀茂まではもうけっこうしんどいしなぁ、と億劫な気持ちもあったのですが、パートナーから、野菜が乏しくなってきたから、「もし行くなら」何でもいいから買ってきて、と言われて、それじゃエイヤっと腰をあげて行ってこようか、自転車をこぐだけで腰の痛みが少しは翌朝軽減されるからな、と思って、行ってきました
外に出ると案外気温は高いようで、手袋なしで自転車にも乗れました。雪はまだ日陰の方の歩道には固まって残っているので、危ないから反対側の日当たりがよくて氷がすっかり融けている側の歩道を走って、ゆるゆると上賀茂の自動販売機へ。
昨日はなにもなかったけれど、きょうはありました!ネギもホウレンソウも赤カブや紅芯大根もラディッシュも。葱は「土つき」だったので、帰宅するとパートナーが一把は庭の花壇に埋めに行きました。
赤カブ(大きいのが100円)に紅芯大根(2個で100円)
なにより嬉しかったのは、このイチゴ!一番最初に寄る販売所で出すとびきり甘いイチゴ。
まだ硬いのに味はもう甘いのです。
今日は少しだけ創作に時間が割けました。ほかの雑文を書くのはいつもぶっつけ本番でどんどん書いていけますが、創作の原稿だけは私の場合、2,3時間空白の時間がないとだめで、書いているうちに集中してきて、或る程度エンジンがかかったところで、自分の中でアタリの感覚がやってくるところがあって、そこでやっと本番という感じで、そこまで至らないでやめてしまうと元の木阿弥ですから厄介です。
今日の夕餉
わが家では珍しい久しぶりの茶碗むし。
小鯵のフライ。生野菜とディル・ヨーグルトソース添え。
モズクきゅうり酢。
サツマイモ、チーズ、リンゴ、ピクルス、クルミのサラダ。サツマイモがめっちゃ甘くておいしい。
小松菜とアゲ、キノコの薄味煮
骨せんべい
生野菜サラダ
デザートにいちご
(以上でした)
saysei at 22:07|Permalink│Comments(0)│
2023年01月27日
チーズフォンデュの夕餉
きょうの夕餉のテーブル。
チーズフォンデュ用の道具セットと、固形燃料を燃やす小型コンロでいつも火を燃やしながらやっていたのですが、なんと長い間コンロを使わなかったために、燃料がダメになって、火をつけても燃えなくなっていたので、急遽、ふつうの鍋で煮てアツアツチーズフォンデュを作り出す羽目になりました。
でも何とかうまくいき、久しぶりにとってもおいしいチーズフォンデュが食べられました。
このパンのちぎったのを専用のセットについている長く細く先が二股になった長い針みたいなフォークの先に刺して、チーズをつけるというか、熱々トロトロのチーズを巻き込んでいただきます。血液検査の日の前には食べられない料理かも(笑)
自家製バーニャカウダをつけていただく生野菜。すべて上賀茂野菜です。
肉団子のトマト味スープ。
生野菜サラダ。
(以上でした。)
saysei at 20:23|Permalink│Comments(0)│
2023年01月26日
キリタンポ鍋の夕餉
今日の夕食はきりたんぽ鍋。自家製キリタンポが香ばしく、とってもおいしかった。身体が温かくなり、雪の融けない今日のような日には体が温まってありがたい。
鍋の中身は、鶏、つくね、豚、白菜、シイタケ、シメジ、ゴボウ、ネギ、小松菜、菊菜。
自家製キリタンポ。以前につくったときは、なぜか固くなってしまったそうですが、きょうのは本当にほどよくやわらかに鍋の中で解体しそうになりながらその前に取り出して食べると、香ばしくておいしかった。
鍋に足す白菜、もちろん上賀茂野菜。
ネギや菊菜も上賀茂産
鯖の塩焼き。
カブの葉と茎のキンピラ
(以上でした。)
saysei at 20:19|Permalink│Comments(0)│
2023年01月25日
新たにブログ「吉本隆明試論」を立ち上げました!
長年親しんできた詩人・思想家の吉本隆明さんについて、断片的にでも、間歇的にでも、書けるだけ書いておこうと思って、またひとつ、「吉本隆明試論」というブログをAmeba blogに立ち上げました。
吉本さんが亡くなって昨年で10年がたち、そのあいだに雨後の筍のように、彼の悪口を書いた「悪口本」がわんさと出版されてきました。そんなに否定したけりゃ、ご本人が反論できる存命中に堂々とぶつかるべきだと思うのですが、ご本人からしっぺ返しをくらう恐れのない死後にシャシャリ出て、言いたい放題の悪口を言い散らす、卑しい物書きの根性をいやというほど見せつけられてきました。
1950年代から60年代にかけてわが国の思想・文学の最良の部分に強い影響力を及ぼし、その後も未踏の思想領域に挑んできた吉本さんをエスタブリッシュされた権威とみて、これをあの手この手で引きずりおろして名をなそうという、名保安官に挑む命知らずのチンピラガンマンみたいな連中、吉本さんの名を付した本なら市場で売れそうだというさもしい小商人根性の評論家の類がわんさと登場しましたね。
そんなのにいちいち付き合う気はないけれど、そういう状況を苦々しく思っていたことは事実だし、吉本さんから多かれ少なかれ影響をうけた多くの人たちはそういう思いを共有しているでしょう。
吉本さんについては、いつかじっくり準備してまとまった論考を書きたいとも思っていたし、学生時代に最も親しかった友人などが、おまえの吉本隆明論が読みたい、とよく言っていましたが、彼の方が先に逝ってしまったし、吉本さんを論じるには吉本さんだけ読んでいたのでは話にならないので、そう簡単なことではなく、一番大切に思うことは一番あとまわしになってしまって、私のほうも、もう自分が人生から退場するときが目前に迫るいまとなっては、系統立てて吉本さんを論じることなどできるはずもない、ということになってしまいました。
それでも若い頃から大きな影響を受けて来た彼のことを、自分なりの理解がどうであったか、また彼の何に自分がこれほど惹かれてきたのか、そういうことを多少は振り返って自覚する機会を持たなければ、いつまでも宿題をせずに抱えこんでいるみたいな気分でいなければならないでしょう。
そこで、まっとうに筋道立てて論じることは諦め、彼のキーワードを思い出して頭の中でいじっている折に、以前にはよくわからなかったことが、ふっと新たな補助線に気づいて解けるような気がしたり、自分の経験に引き寄せて初めて腑に落ちるような形で理解できたなと感じたり、といった折々の機会に、そういうことを私的なおぼえとしてでもいいから、書き留めておこうと思いました。
論というより、脈絡のない断片を間歇的に書き留めるだけに終わるかもしれませんが、まあそれでもよかろう、思い残すことが無いよう、ひろげられるだけ店をひろげてみよう、と思った次第です。
「吉本隆明試論」はこちらです。
なお、これもホームページ「Sayseiの夢」のindex ページに私の書き物のリンク先を集約した中に加えておきました
これで私のブログとして加えたいものは、あと一つだけ。京都のとっておきの観光スポット(おもに古い寺社とその庭園など)を紹介する、「京都めぐり」で、これも近日中に開始して、これまでに訪れたそうしたスポットについて、写真で紹介していこうと思っています。
公開の場をFBにするのがいいか、長らくアカウントだけ設けてほうっておいたmixiにでもするか、まだ決めかねています。
FB(フェイスブック)は前にやっていましたが、実名でもあるし、知った方から「いいね!」を受けると、ついその方のFBも拝見して、お返し?に「いいね!」をつけたり、なんかきわめて日本的なおつきあいの仕方になってしまうのが少々苦痛で、もっと気軽にハンドルネームで(知っている人には別に知られてもいいのですが)一方的に書きたいことを書いていくだけ、というほうがいいな、と思ってやめてしまいました。FBというシステムにも情報遺漏などいろいろ問題があったこともきっかけになりましたが。
吉本さんが亡くなって昨年で10年がたち、そのあいだに雨後の筍のように、彼の悪口を書いた「悪口本」がわんさと出版されてきました。そんなに否定したけりゃ、ご本人が反論できる存命中に堂々とぶつかるべきだと思うのですが、ご本人からしっぺ返しをくらう恐れのない死後にシャシャリ出て、言いたい放題の悪口を言い散らす、卑しい物書きの根性をいやというほど見せつけられてきました。
1950年代から60年代にかけてわが国の思想・文学の最良の部分に強い影響力を及ぼし、その後も未踏の思想領域に挑んできた吉本さんをエスタブリッシュされた権威とみて、これをあの手この手で引きずりおろして名をなそうという、名保安官に挑む命知らずのチンピラガンマンみたいな連中、吉本さんの名を付した本なら市場で売れそうだというさもしい小商人根性の評論家の類がわんさと登場しましたね。
そんなのにいちいち付き合う気はないけれど、そういう状況を苦々しく思っていたことは事実だし、吉本さんから多かれ少なかれ影響をうけた多くの人たちはそういう思いを共有しているでしょう。
吉本さんについては、いつかじっくり準備してまとまった論考を書きたいとも思っていたし、学生時代に最も親しかった友人などが、おまえの吉本隆明論が読みたい、とよく言っていましたが、彼の方が先に逝ってしまったし、吉本さんを論じるには吉本さんだけ読んでいたのでは話にならないので、そう簡単なことではなく、一番大切に思うことは一番あとまわしになってしまって、私のほうも、もう自分が人生から退場するときが目前に迫るいまとなっては、系統立てて吉本さんを論じることなどできるはずもない、ということになってしまいました。
それでも若い頃から大きな影響を受けて来た彼のことを、自分なりの理解がどうであったか、また彼の何に自分がこれほど惹かれてきたのか、そういうことを多少は振り返って自覚する機会を持たなければ、いつまでも宿題をせずに抱えこんでいるみたいな気分でいなければならないでしょう。
そこで、まっとうに筋道立てて論じることは諦め、彼のキーワードを思い出して頭の中でいじっている折に、以前にはよくわからなかったことが、ふっと新たな補助線に気づいて解けるような気がしたり、自分の経験に引き寄せて初めて腑に落ちるような形で理解できたなと感じたり、といった折々の機会に、そういうことを私的なおぼえとしてでもいいから、書き留めておこうと思いました。
論というより、脈絡のない断片を間歇的に書き留めるだけに終わるかもしれませんが、まあそれでもよかろう、思い残すことが無いよう、ひろげられるだけ店をひろげてみよう、と思った次第です。
「吉本隆明試論」はこちらです。
なお、これもホームページ「Sayseiの夢」のindex ページに私の書き物のリンク先を集約した中に加えておきました
これで私のブログとして加えたいものは、あと一つだけ。京都のとっておきの観光スポット(おもに古い寺社とその庭園など)を紹介する、「京都めぐり」で、これも近日中に開始して、これまでに訪れたそうしたスポットについて、写真で紹介していこうと思っています。
公開の場をFBにするのがいいか、長らくアカウントだけ設けてほうっておいたmixiにでもするか、まだ決めかねています。
FB(フェイスブック)は前にやっていましたが、実名でもあるし、知った方から「いいね!」を受けると、ついその方のFBも拝見して、お返し?に「いいね!」をつけたり、なんかきわめて日本的なおつきあいの仕方になってしまうのが少々苦痛で、もっと気軽にハンドルネームで(知っている人には別に知られてもいいのですが)一方的に書きたいことを書いていくだけ、というほうがいいな、と思ってやめてしまいました。FBというシステムにも情報遺漏などいろいろ問題があったこともきっかけになりましたが。
saysei at 14:01|Permalink│Comments(0)│