2022年12月
2022年12月29日
北区の短編小説公募一次審査・私設落選展覧会~その3
けれど、案外そのために勢いがあって、結果的にみれば、色々工夫をこらしてきた一つ目、二つ目の作品よりも案外良かったかもしれない、と思う所もあります。素材は、入院前の相対的に元気な時期に毎日のように私が繰り返していた、上賀茂の朝採りの野菜の自動販売機を自転車で巡って、新鮮で美味しく、値段も安い野菜をゲットするという行動を、老人がやっているのでは元気が出ないから、女子大生を語り手≒主人公にしたところだけがフィクションで、後は大体普段自分がやってきたことを書いただけの作品ですが、結果的にはそれが素直で勢いのある文章になったかも、と思っています。
これで私が今回応募した3篇は全部ご披露したので、これでこの件はおしまい。
もしよろしければ、これまでの2作同様、いま北区のサイトでデジタルブックとして公開されている、一次選考をパスして最終選考にノミネートされた30篇の作品のいずれかと読み比べてみていただくことができれば御一興かと思います。
【令和4年度】「京都キタ短編文学賞」最終選考ノミネート作 品 デ ジ タ ルブックの公開 ペ ー ジ はこ こ です。
野菜めぐり
上賀茂の住宅地の間を自転車で走っていると、ところどころ住宅が途切れて、背後に広々とした景色が広がる畑がある。むき出しの畑もあれば、ビニールハウスが建っていることもあるが、年中たいていは何か野菜の類を作っている。都市の中の農園。そんな風景に出会うと何だかほっとする。
そんな畑で作られる野菜のごく一部が、上賀茂一帯のところどころに設けられた無人の販売所に置かれている。私たちがほぼ毎週末、野菜をゲットするために自転車で回るのは、その中の六ケ所だ。
実果と一日交代の共同自炊を始めてから、この販売機の野菜は欠かせなくなった。なにしろ朝採りの野菜を生産者が直接置きに来るのだから、市販の野菜より新鮮で美味しい。おまけにかなり安いのだ。
私たちはキュウリがひん曲がっていようが、トマトが熟れてはち切れそうになっていようが、カボチャに傷があろうが、全然気にもならない。野菜は旬のものだから、いつもほしい野菜が販売機に出ているわけではない。それでも、一度上賀茂の野菜を口にすると、ほかの産地の野菜を食べる時もつい比較して、やっぱり上賀茂野菜でなくちゃ、と思ってしまう自分がいる。
最初の販売機は、植物園脇の地下鉄駅の角から真っ直ぐ北へ、深泥池の入口に近い交差点の少し手前にある小さな販売機。二十ほど覗き窓がついたボックスが整然と並ぶ、野菜のアパートだ。この販売機は野菜の名札もついていない。でも販売機の最上部に、all 100yen と手書きした紙が貼りつけてある。
最初は、上賀茂に住み着いた日本語のおぼつかない外人さんが、自分の畑でとれたものを置いているのかしら、なんて思っていた。でもある時、車がとまって、不精髭のおじさんが人参を何本か抱えて出てくると、ボックスのカギをあけて、乱暴に放り込むのを目撃した。外人さんじゃなかった!
「見て!見て!イチゴがあるよ!」
果物が大好きな実果が高い声を挙げた。彼女は私が支度する番の日には、食後に「果物ないのぉ?」と不満気に言う。彼女の実家は食後にはデザートに果物が必ずつくような、都会風のライフスタイルのおうちなのだ。「はいはい、お嬢様。申し訳ありません。きょうのデザートはそこの駄菓子で我慢してくださいまし。」
私の実家では果物は三時のおやつ、それもたまたまあれば、だ。食事のあとのデザートなんて洒落たものはなかった。けれど、イチゴはうちの畑で作っていたから旬のときにはよく食べた。
「これはまた可愛らしいイチゴねぇ!」
あんまり小さいので笑ってしまった。それも五つ六つ入っているだけだ。
「百円って高くない?一個二十円もするよ!
「でも食べてみようよ。ここのおじさんとこの、何でもおいしいよ。」
実果はもう百円玉をスロットに押し込んでいる。手早くボックスの扉を開いて取り出すと、早速ひとつつまんで口に入れる。
「うわっ、甘ぁ~い!メッチャ美味しいよ。」
私もひとつ口に入れる。これは・・・市販の大きな粒ではあっても気の抜けたような水っぽい味のイチゴとはなんと違うことだろう!五つ、六つばかりのいちごは、あっという間になくなる。
「この菜っ葉は何?」
実果はボックスの窓を斜め上から覗き込む。珍しく野菜の名と説明を書いたカードが張り付けてあるらしい。
「ら・ふ・ら・ん」
「ああ、ラフランか。」
「里菜、知ってるの?」
「うん、最近品種改良で作られた大根と同じアブラナ科の雑種野菜だよ。栄養価が高いらしいよ。大学と提携した農家が実験的に作ってるんじゃないかな。」
「じゃ、この間ここで遇ったおじさん、結構先端農業やってるんだ!」
「そうかもね。このイチゴだって、ただのイチゴじゃないかもしれないよ。どうみても市場に出して売れそうな見栄えじゃないもん。」
私たちはラフランをゲットして、次の販売所へ。すぐ先の交差点を西へ少し走ると、公園のちょっと先に、先ほどよりは大型の野菜のアパートが自動車道路の方を向いて立っている。ここでは以前に若いお兄さんが野菜を入れているのを見たことがある。
ホウレンソウ、サニーレタス、小カブなど、朝採りの新鮮な野菜がいっぱい。同じ野菜が幾つものボックスに入っている。今日のような休日には車で買っていく人が多いのか、ボックスは過半が空っぽだ。ゴボウのとなりに名札のない根菜らしいものがはいっている。百円玉を入れて取り出してみると、ビートだった。ラッキー!お店でもめったに見ないから。頭の中に真っ赤なボルシチが浮かぶ。
さらにまっすぐ西へ自転車を数分走らせる。右手のマンションの前の駐車場の隅に、先ほどと同じような自動販売機がある。きょうはその前にバンが停まっている。良く日焼けしたおじさんがちょうど野菜を補充して、賀茂茄子をひとつかかえて車へ戻る所だった。
「野菜買いに来たんね?」
「はい!」と実果が自転車を下りると息をはずませて答えた。
「それじゃ、これをあげよう。」おじさんは手にした大きな賀茂茄子を差し出す。
「えっ?いいんですか?」
「ちょっと傷がいっとるけど、そこだけ落としゃなんも変わらんで」
実果経由で受け取った賀茂茄子はずっしり重かった。
「うわぁラッキー!ありがとうございます!」
私たちは車へ戻って行くおじさんに何度も頭を下げた。
「きょうは賀茂茄子の味噌田楽だね。シェフ里菜の腕の見せ所だ!」
実果が嬉しそうに言う。私は自分で料理することは嫌いじゃない。実果はメニューを考えるのが面倒だと言うけれど、私はこの野菜で何を作ろうかと考えるのが楽しい。料理は創造的な活動だと思う。
「味噌田楽はいつ食べても美味しいよね。でも賀茂茄子は煮物、揚げ物、焼物、炒め物、何でもできるよ。はさみ揚げでもニシンナスでも、チーズ焼きでも。」
「よし、里菜に任せた!」
私たちの野菜行脚はまだ続く。来るたびに、きょうはどんなものが入っているだろう?とワクワクする。販売所によっても違う。もちろん季節によって大きく異なる。私たちはあれがほしい、これがほしいと指定はできない。どんな野菜が置かれるかは生産者次第だ。それがかえって楽しい。
四番目の販売所は、おじさんのところから、西南方向にワンブロック、路地の角の少しくぼんだような場所にある庇のついた販売所だ。
「きょうもトマトがある!良かったぁ。」
トマト好きの私は、ここの若い奥さんのところのトマトが一番気に入っている。市販のトマトよりずっと濃い甘味と、同時に強い酸味のある、トマトらしい味のトマト。
「おむすび型でとんがった頂点から星のように細いスジが出ているやつだったね?」
実果がボックスの中を覗きながら、私が教えた美味しいトマトの見分け方を復唱する。毎朝、トーストに水平な切れ目を入れて、そこに沖縄のベーコンと、このトマト、レタスやスライス玉葱を挟んだ自家製サンドイッチを食べる。これが私たちの一日の活力源だ。
どうしてここのトマトはこんなに美味しいのか。きっと土が良いのだろう、育て方に秘訣があるのだろう。色々考えてみるけれど本当のところはわからない。
ここのトマトだけじゃない。私たちがツアーショッピングを楽しむ上賀茂の野菜は、どれも味が濃くて美味しい。流通を介さずにゲットできる朝採り野菜が新鮮なのは間違いないが、そもそも野菜自身のもつ味が他の産地のものとは違うような気がする。
賀茂茄子、スグキ、九条ネギ、鷹峯トウガラシと京野菜がブランド化されて全国に知られるようになったけれど、上賀茂でとれる野菜は、なんでもないものでも味が違う。
茄子、キュウリ、ゴーヤ、大根、カブラ、ニンジン、ゴボウ、キャベツ、白菜、ロマネスコ、トマト、セロリ、オクラ、トウガン、水菜、畑菜、菊菜、小松菜、京菜、菜の花、三つ葉、ホウレンソウ、ケール、ネギ、レタス、サニーレタス、モロヘイヤ、カボチャ、バターナッツカボチャ、タマネギ、紫蘇、枝豆、トウモロコシ、ジャガイモ、里芋、サツマイモ、ビート、ブロッコリ、アスパラガス、カリフラワー、スナップエンドウ、万願寺唐辛子、伏見トウガラシ、ピーマン、ラディッシュ・・・まだまだある。
これらの販売機で旬の季節ごとに売られる野菜はどれも他の産地のものとは一味違うような気がする。
「それは水と土のせいじゃないかな。昔から、賀茂川が氾濫を繰り返して、有機物がタップリ含まれ肥えた土をこのあたり一帯に運んできて。それが何百年だか千年だかの単位で蓄積してきたんだ。」
「この辺の畑もみんな賀茂川から水をひいているでしょう?」
「スグキを生み出した社家町でも、賀茂川からわかれた明神川の水を石組みの水路で邸内に引き入れて生活用水に使っていたそうだよ。」
「賀茂川の恩恵は絶大だね。」
「上賀茂野菜の美味しさの秘密をたどれば、賀茂川の源流だっていう雲ケ畑の方まで遡りつくんじゃないかな。」
「時間的にも確実に平安京以前にさかのぼるだろうなぁ。」
五番目の販売所は東西に走る自動車道上賀茂本通に面したスーパーの角を曲がってすぐ、「野菜特売」の幟を立てた二列六段の野菜のアパート一つの小さな無人販売所だ。
「これ何?野菜らしくないけど」
実果が不思議そうに、最上段のボックスを覗き込む。私は或る予感を覚えてワクワクしながら百円玉を入れ、ふさふさした葉のついた小枝の先みたいなものを手に取ると鼻の先へもっていった。
「ディルだ!ハーブだよ!」
「へぇ?そんなものまで作っているんだね。何に使うの?」
「どんなお料理にも使えるよ。カボチャスープにも、パスタにも、肉料理にも、ポテトサラダにも、お刺身にだって。ちょっと載せるだけで凄く存在感があるんだ。肉や魚の臭みが消えて素適なアクセントになるよ。」
「この袋に入ったのもハーブのようね。」
実果が指すボックスにセロファン紙の袋に入ったハーブらしいものが見える。ハーブ好きの私はコインを三つ入れるのももどかしく袋を取り出す。袋にはbouquet garniとイタリック字体で書かれたおシャレなシールが貼ってある。ローレル、タイム、オレガノ、フェンネル、パクチー、ルッコラ。万歳!
「ハーブの香りが苦手じゃなきゃ、これから私が当番のときはたっぷりハーブを効かせた美味しいメニューを考えてあげるよ!」
私たちが訪ねる最後の野菜のアパートは、保育園の前の誰かの家のガレージの中に立つ二列九段の大型販売機二台。よく保育園の送り迎えのお母さんが自転車を停めて覗いている。私たちはいつもここは最後にまわるので、旬の野菜はほかでゲットしていることが多い。それでも、時にはほかの販売機で出払ってしまった旬の野菜が残っていて嬉しくなることがある。
最後の販売所をチェックしてそのまま西へ自転車を走らせると、じきに上賀茂神社をすぐ右手に見る御薗橋の東詰めに出る。この神社の境内では時々フリーマーケットや展覧会のようなイベントが開催されるので、そんなときは覗いてみることもある。きょうは少し鳥居を出入りする人が多く見える程度で、いつもと変わらないようだ。私たちはそのまま御薗橋のたもとから川辺の遊歩道へ降りて川の流れに沿って走る。
遊歩道にはいま、シロツメクサが絨毯のようにびっしりと咲いている。川の縁にはアカツメクサの群落もある。川の中洲にはまだところどころに菜の花が咲き残っている。一時は中洲全面を鮮やかな黄の色で覆うほどで、素晴らしい光景だった。この菜の花は誰が植えたわけでもなく、畑の水が流れこむ中に混じって上流から多くの種が流れ着いたのだろう。畑で菜の花が咲き始めるころには、野菜のアパートにも毎日のように菜の花の束が入っていたものだ。ところどころにいまにも開こうという黄色い花がちらほら見えるその菜は柔らかく、なんでもないお浸しにして食べて美味しく、春の香りを楽しむことができる。
私たちは北山橋で土手にあがり、二人でシェアしている学生用マンションの部屋へ戻る。きょうは私が炊事当番。その日その時に恵まれる野菜をどう使って夕餉のテーブルに載せるか、それが腕のふるいどころだ。さあ、きょうはどんなメニューにしようか。
(了)
北区の短編小説公募一次審査・私設落選展覧会~その1 「石楠花幻想」(2022年12月27日)はこちら です。
北区の短編小説公募一次審査・私設落選展覧会~その2 「カキツバタを見に」 (2022年12月28日)はこちら です。
「野菜めぐり」の、小説投稿サイト「エブリスタ」での掲載ページはこちら です。作者名はエブリスタでのハンドルネーム(ペンネーム)を使っています。
【令和4年度】「京都キタ短編文学賞」最終選考ノミネート作 品 デ ジ タ ルブックの公開 ペ ー ジ はこ こ です。
2022年12月28日
北区の短編小説公募一次審査・私設落選展覧会~その2
この2作目も昨日の1作目と同様、北区の第一次選考をパスした方たちの作品30篇と読み比べていただければ面白いかと思います。
【令和4年度】「京都キタ短編文学賞」最終選考ノミネート作 品 デ ジ タ ルブック)の公開 ペ ー ジ はこ こ です。
カキツバタを見に
ペダルを踏むとグイと前に出る、その感触が心地よい。爽やかな五月の風を切って緑の並木道をまっすぐに北へ走る。急なカーブを右に折れると、眼の前にきらきらと陽光を照り返す水面が広がる。向かいの山の緑と青い空に浮かぶ真っ白な綿雲が水の面に映っている。
「あ、咲いてる!」
あおいの声が弾む。浮島の手前に、カキツバタの白い花がかたまって咲いている。すっきりと伸びた茎の先に白く華やぎのある花がいくつも。緑一色の中で柔らかに垂れた花弁が白く輝くようだ。花の中央には内花皮が燕の尻尾のようにピンと立つ。
池はどんより濁っている。水面のすぐ下は藻で覆われて底が見えない。こんな濁りから凛として汚れのない純白の花が生い立つのが不思議。
「この池は氷河時代からあるらしいよ。」
岸に立つ解説板を見ながら、あおいが言う。
「そこのミツガシワが一万年以上前から毎年花を咲かせてきたらしいから。」私は大学の実習でここは何度か訪れている。
「えっ?どこどこ?」
「ほら、あの小さな白い星を一杯つけたような花があるでしょ。」
あおいは身を乗り出して私の指すほうを探した。
「でも、なんでそんな大昔から毎年花が咲いていたなんて分かるの?」
「はい、いい質問です。それはね、地層を調べると分かる。一万年以上前から今まで、毎年の地層にミツガシワの花粉が残っているの。」
「おお、さすがリケジョ!」
あおいはいつもそう言って冷やかす。
歴史オタクのあおいと違って、私はこの都市で暮らすようになるまで、京都と言えば漠然と平安京のイメージしか持っていなかったような気がする。
「深泥池みたいな自然の尺度からみれば、建都千二百年もほんの僅かな時間だよね。」
「この辺を走り回っていた旧石器人も縄文人も一万年以上前にミツガシワが咲くのをきっと見ているよね。平安京はそんな時代よりもずっと現代に近いわ。なんにも残ってはいないんだけどね。」
あおいはちょっとなさけなそうな顔をする。私には意外だ。
「京都にはいくらでも古い都の遺産があるじゃないの。」
「京都に残っているのは近代遺産だけよ。戦災を免れたからね。平安時代の建物なんて一つも残っていないのよ。」
「上賀茂神社は古いんじゃないの?」
「神社の歴史は古いけど建物はみな江戸時代のものよ。でもね、建物が建て替わっても上賀茂神社は上賀茂神社なんだよ。」
「コピーがほんものになるの?」
「魂が宿りさえすればね。」
深泥池から今日の本命であるカキツバタの名所、大田神社までは、山端の道を西へ、自転車でわずか十五分ほど。鳥居をくぐると、参道には木漏れ日が射して美しい文様をつくっている。本堂は正面、あまり勾配のない幅広い幾段かの石段を上がったところで杉の木立に囲まれている。そこはもう背後の山の一部だ。
鳥居をくぐってすぐ右手の金網戸を開け、志納金三百円を小箱に入れて中へ。目の前に緑と紫のカキツバタ群落が向こうのほうまで伸びている。池というより、水を張った水田にびっしりと植えこまれたように、つやつやした剣状の長い葉と真っ直ぐな茎が伸びて殆ど水面を隠すほど密生している。その緑に濃い青紫の花が落ち着いた色どりを添える。右手の高みが見物スポットらしく、ベンチに座る老夫婦のほかに二組の男女が池の眺めを楽しんでいる。
二万五千株とされるカキツバタが一斉に咲き乱れる光景は壮観だ。
このカキツバタの群落は、大田の沢と呼ばれた辺り一帯に自生していたらしく、平安時代には既にカキツバタの名所として知られていたそうだ。いまは二千平米ほどの池に咲くだけだけれど、恐らく千年前にはこのあたり一帯がカキツバタの群生する湿地帯だったに違いない。その大田の沢は、もっと古くは深泥池とつながっていたと考えられているそうだ。京都盆地は巨大な湖だったと聞いたことがある。いまはない南の巨椋池も、深泥池も、この大田の沢も、みなはるか古代以前の京都の姿を垣間見せてくれているのだろう。「タイムトンネルの入口」という言葉が頭に浮かぶ。
前にあおいから衝撃的な一枚の写真を見せてもらったことがある。それは京都の町なかの工事現場だ。地面を掘ったら遺物が出て工事がストップし、文化財保護課の調査が入ったらしい。地表を一枚はぎ取り、その下の層をむき出しにした水平面を高所から撮った写真。表皮をめくられた地面に無数の黒い穴ぼこが口を開いている。
「これ、なんだかわかる?」とあおいが言った。
「・・・井戸の跡?」
「そう、平安時代から今まで入れ替わり立ち代わりここに住んだ人たちが掘ってきた井戸。千二百年の時間の切り口だね。タイムトンネルの入口みたいでしょう。」
あおいはそう言って、京都は「時間の都市」と呼ばれているのだと教えてくれた。いたるところに、異なる時代の痕跡、色々な時間の切り口がある都市なのだ。それにしても、上賀茂のこのあたりの時間は桁違いに古い。もしこのタイムトンネルに入れば、千二百年前の都の造営を超えて、カキツバタがこの辺り一帯に咲き乱れていた数千年の時の彼方まで行きつくのかもしれない。
「この辺りは平安京以前から賀茂一族が支配していた所らしいよ。でも、その賀茂一族も移住者で、もっと以前から住んでいた部族が幾つもあるって。真偽のほどはわからないんだけどね。入口の解説板に、この神社が賀茂最古の神社だって書かれていたけど、賀茂一族がやって来る前にこのへんに住んでいた農民たちが、自分たちの長寿福徳を願って祀っていた古い神様のお社だったらしいよ。」
「こんな小さなお社にも賀茂一族がやってくる前に住んでいた人々にまでつながるタイムトンネルの入口があるんだね。」
あおいは自分が使って教えた比喩を私の口から聞いて嬉しそうにうなずく。タイムトンネルをくぐって遠い過去に行けるなら、向こうから誰か来てもいいんだけど。そう考えると何だか楽しくなる。
ベンチに長く座って池を眺めていたご老人夫妻が席を立つと、ふと空白の時間が生まれたように、周囲に人影がなくなっている。私たちはベンチに並んで腰をおろす。
私はこのカキツバタの深い紫が好きだ。これほど沢山の花が咲き乱れていても、少しも派手な印象がなく、どちらかと言えば地味で、あたりはしっとりと落ち着いた雰囲気なのだ。
「アヤメ、あの人ここの巫女さん?」
みると、池の縁を東のほうへ回り込んだ木陰に巫女さんの姿が見える。深紅の袴が鮮烈だ。白と赤の装束が凛として美しい。
驚いたことに、その巫女の髪は真っ白だ。近づいてきた彼女を間近に見ると色白の綺麗な面に深い皺が刻まれている。齢九十を過ぎているのではないか。
私たちは慌てて立ち上がり、席を譲る。
「ありがとうよ。」
皺だらけだけれど美しい顔の奥で、細くよく光る眼が笑っている。
「あんたたちも座りなさい。」
促されて私たちもかしこまって彼女の横に並んで腰かける。
「あんまり年寄りの巫女だから驚いておるのじゃろ?」
「ごめんなさい。お年寄りの巫女さんを見るのは初めてで」
つい、まじまじと見てしまう。あおいが正直に謝ると、おばあさんは、そうじゃろ、そうじゃろとおおらかに笑う。前歯が無くて、残った歯の間から隙間風のようなヒヒヒという声が漏れる感じだ。
「失礼ですけど、お幾つになられるのですか」
私が尋ねると、
「歳か!忘れてしもうた。婆くらいになると数えるのが面倒になるのよ。」と言って、またヒヒと笑う。
「ここのお社はな、長寿を祈るお社じゃから、祭の神楽も爺婆の役目でな。」
「え、お祭なのですか?」
「おや、賀茂の祭も知らずに来ておるわけではあるまいが。」
そう、きょうは五月十五日、葵祭の日だ。例年なら上賀茂神社で流鏑馬などの行事が行われ、巡行する行列が最後に入るその神社には大勢の観光客が訪れるはずだ。でもコロナの感染拡大で三年続けて巡行は中止、あおいも私も去年の春に京都へ出て来たから、まだ見られずにいる。上賀茂神社では内輪の神事は行われるようだから、摂社であるこの大田神社でも何か内輪の行事だけは行われるのかもしれない。
「でも、お婆さんが神楽を舞われるのですか?」
私は驚いて尋ねる。すると、まるでそれを訊いてほしかったとでも言うように、彼女は得意げに、
「もちろんじゃよ。わしはこう見えても、神楽の舞いではほかの者にひけをとらぬ名手よ。」
これにはさすがに驚かされる。が、ここの御神楽がどういうものかは知らないので、嘘でしょう、というわけにもいかない。
神楽といえば、床に足を滑らせて円を描くような動作を基本とする、概ね悠長な舞だろう。あの緩やかな動きであれば、長年修行してきた巫女さんなら歳をとっても舞えるのかもしれない、と一人納得してみる。
「あんたたちはここの御祭神が誰か知っておるかね?」
「はい、アメノウズメノミコトですね。」
「そうそう。」
「天の岩戸の前で御神楽を舞った方ですよね。」
あおいが念を押すように言う。
「そうそう。アメノウズメは舞い踊りが得意でな。いまも芸能の神様として崇められておる。最近もダンスなんかやっとる若い者が上達を願って、よくここへ来るんじゃよ。」
「へぇ、そうだったんだ!」
あおいも、そこまでは知らなかったようだ。
「それにしても、なぜこの神社でアメノウズメノミコトをお祀りするようになったのでしょうね?」
あおいはこの神社の巫女さんなら知っているかもしれないと考えたのだろう。
「ここは上賀茂神社の摂社になっとるからの。賀茂別雷大神が神山に降臨なさったときに、例によって猿田彦がお導きしたんじゃよ。どんな歴史書にも記されてはおらんがな。」
「猿田彦と言えばニニギノミコトが高千穂の嶺に降臨されたとき、道案内役をつとめた神様でしたね。」
あおいは私と違って、神様の名もスラスラ言える。
「おう、そうよ。よく知っておったな。」
「それにしてもアメノウズメノミコトをお祀りすることと猿田彦と何の関係があるのでしょう?」
歴史オタクあおいの好奇心がおばあさんの言葉で刺激されたらしい。
「おやそんなことも知らんのかい。ウズメと猿田彦は夫婦じゃよ。」
「あっ」、とあおいは声を挙げ、「じゃ、アメノウズメノミコトは猿田彦についてここまでいらしたのですね・・・」
お婆さんは、うんうん、ようやく合点がいったかね、というようにうなずく。
「そういえば、この神社の境内には、猿田彦の小さなお社もありますね。」
私は、前にあおいとこの神社を訪れたとき仔細に調べた参道の幾つかの社に祀られた神々の中に、猿田彦の名があったのを憶えている。
「でも、それならどうして猿田彦を本殿に祀らなかったんだろう?アメノウズメノミコトは本殿に祀られて、ご主人の猿田彦はあんな小さなお社に?」
あおいがそう言うと、間髪を入れず、
「尻に敷かれておるに決まっとるじゃろうが!」
そう言い放って、お婆さんはヒヒヒッと一層大きな声を立てて笑い、あおいも私もつられて声高く笑う。
「儂はそろそろ用意をしに行かにゃならん。あんたたち近くに住んでいるなら、またいつでも訪ねておいで。名前を聞いておこうか。」
そう言ってお婆さんはよっこらしょ、と立ち上がった。
「あおいです。」
「アヤメです。」
「おう、よい名じゃな。この神社にもなんとはのう縁のありそうな名ではないか。」
うなずきながら歩き去って行く。私たちもそろそろ帰ろうか、と少し後をついていき、参道を行くお婆さんの後ろ姿を目で追う。社務所へ行くのかと思ったら、もう本殿への石段を上がって行く。腰を屈めたあまりスマートとは言えない歩き方にしては進み具合が早くて驚く。案外健脚なんだ。
あ、いけない。私たちだけ名前聞かれて、お婆さんの名前を訊くの忘れてる。
「お婆さん!お名前を教えておいて下さいな!」
「お名前は?」
二人そろって大声で呼ぶ。
お婆さんはゆっくりと振り向き、ニッと笑ったように見える。
「ウズメじゃよ!ウ・ズ・メ」
大声で返事をしたと思うと、彼女の両足が跳ね上がり、その場でピョーンと垂直に跳び上がる。
「エッ!」
思わず私たちは顔を見合わせ、「いまの、何?」
そして二人が参道のほうを振り返ると、もうどこにもウズメさんの姿はない。
(了)
北区の短編小説公募一次審査・私設落選展覧会~その3 「野菜めぐり」 (2022年12月29日)はこちら です。
「カキツバタを見に」の、小説投稿サイト「エブリスタ」での掲載ページはこちら です。作者名はエブリスタでのハンドルネーム(ペンネーム)を使っています。
【令和4年度】「京都キタ短編文学賞」最終選考ノミネート作 品 デ ジ タ ルブックの公開 ペ ー ジ はこ こ です。
2022年12月27日
北区の短編小説公募一次審査・私設落選展覧会~その1
若い頃毎日のように小説らしいものを書いていたこともあって、書くことはずっと好きだったし、上賀茂野菜には愛着があって、日常的にお世話になっている上賀茂の野菜づくりの農家に少しは恩返しめいたことの一つもしてみたい、などとちょっとした悪戯心を起こして、応募限度の三作までということ、入院直前までかかって3篇の短編を仕上げました。
ひとつが5000字以内、目的も北区を舞台に、北区の魅力を伝える、というふうに限定されていたので、普通の文芸作品としての小説とは少々勝手が違うものでしたが、それだけ目的もはっきりしていて、書きやすく、工夫のしがいもあり、いつになく生真面目に取り組んでみました。
応募する前にいつもの定期検査のつもりで出かけた病院で、胸部エックス線撮影をした結果を見た主治医が、即入院という診断で、着の身着のまま入院することになったのが10月半ば。入院は12月8日まで56日間に及んだので、応募原稿は仕上がっていたものの、投函したのは締め切りも間近だった11月初旬、パートナーに頼んで誤字脱字だけ校正してもらって、出してもらったのでした。
これで結構うぬぼれ屋の自信家なので(笑)、絶対に受賞するはずだから、と退院してからも、授賞式までにはステロイドでパンパンに腫れあがったような顔ヲオトコマエに戻しておかないとな、とか、それより薬剤の副作用で肝臓、腎臓をやられて腹部が猛烈に膨満してズボンのチャックも上げられないMr. Incredible 状態だから、まずおなかをひっこめないと背広も着て行けないよなぁ、などと話して、きょうの一次選考などやすやすとパスするはず、と思っていたのでありました(笑)。
今日の発表というのは、やはり公募で北区が募った北区在住の市民20人の選考委員による一次審査の結果で、二百数十件の応募点数から30篇にしぼりこんで残った作品をデジタルブック形式で作者氏名とともにウェブサイト上で公表したものでした。
大量に服用中のステロイドの覚醒剤的効果で退院以来、毎朝4時、5時に目がさめるので、早起きして北区のウエブサイトを見たら、たしかにデジタルブックが30篇ほど公開されていました。もちろんあるよなぁ・・・う?嘘やろ!な、ない!私の名が、私の作品が!・・・(笑)
というわけで、あえなく一次予選で3作とも敗退!いやぁ、がっかりしたなぁ、もう。
うん、誰にも私が北区のウェブサイトを見ているところを見られなくてよかったぁ。ひとりで早朝に起きて自分の作品を探している図なんてみられたもんじゃありませんからね。所在ないから、どうせなら、いったいどんな作品がパスしたんだろう、と思って、一次予選に通過した30篇の電子ブックを全部ざっと読んでみました。すべて5000字以内の短い作品だからすぐに読めました。
それで分かったことは、通過作品のほとんどすべてといっていいほど多くが、「ぼく」ないし「わたし」という一人称を語り手兼主人公とする、いわゆる日本的な私小説で、身辺に起きる出来事と、その中で語り手兼主人公の「ぼく」ないし「わたし」が、どんな思いで、何を感じ、考え、どんな感慨にふけるか、という典型的な心境小説だということでした。
審査員をなさったのは北区在住のごく普通の市民、生活者、まあ小説を読むのが好きな方には違いないでしょうが、作家とか評論家といった文芸のプロではない普通の感覚を持った方だと思うので、そういう方がどんな作品を選ばれるかも興味があったのですが、そういう方たちが「小説」をイメージされるときのモデルは典型的な日本の心境小説的な私小説なんだな、というのを思い知らされるような結果だったと思います。
私はどんな限定された目的で書かれるものであっても、小説と銘打つ限りは、「フィクションを創る」という意志で構築されるものを指すように思っているところがありますが、実際にそこに公開された作品にはほとんどそうした意志を感じさせるものが見当たらなかったので、小説というもののイメージがこれほど違えば、こりゃダメだな、と納得せざるを得ませんでした。
もちろん負け惜しみ(笑)。でもこちらも多少とも意地がありますから、ぜったいに自分の作品が文芸的に劣っているとは自信家の私としては思えないので、それぞれの文芸観の違いですわね、と言いたいわけですよね(笑)。
おそらく、選考の際に審査員の方々が拠り所にされた基準は、ここに書かれたことは本当にあったことだろうか、作者は本当に体験したことなんだろうか、そしてその体験を通して感じた心情や強い想いは本物なのだろうか、といったことだったのではないかと思います。それは私の友人で博物館長だった人が、ふつうの観客というのは展示物が「ホンモノ」であるか「レプリカ(つくりもの)」であるかには、きわめて敏感だし、それで価値判断をするところがあるよ、と言っていたのを思い出します。こと小説に関しても、日本の私小説を高く評価する伝統の中にはそういうある種の価値観が根強くあるような気がします。
そもそも本当に体験したことなんてどうでもよく、「嘘」を承知で敢えて貧相な想像力を精一杯羽搏かせて「フィクションを創る」ことだけに精一杯つとめてきた私は、審査員の方々からすれば、なにか求められる「小説」について根本的な「誤解」をしていたことになるかもしれません。
さて、もはや落選して北区にとっては用なしになった私の応募作ですから、好きにさせてもらう、ということで、すでに学生時代の親しい友人二人にはきょうのうちに送りましたが、私のブログの数少ない読者のみなさんにも、一次審査ですべて落選した三篇の短編小説を公開します。
だって、そうでもしなけりゃ、誰も読んでくれる機会さえないんですから(笑)。もし入賞でもしたら、少しは知らない方にも読んでもらえるだろうし、それならもう三つ、四つ、こういうのを書いて一冊に仕上げるきっかけになるかも、なんて思っていたのですが、その目論見もついえたので、せめてブログを読んで下さっている方には読んでいただいて、できれば今北区のホームページで公開されている30篇の一次通過作品のいくつかと読み比べていただければと思います。
【令和4年度】「京都キタ短編文学賞」最終選考ノミネート作 品 デ ジ タ ルブック)の公開 ペ ー ジ はこ こ です。
当選、落選は審査員の方が決めることですから、全く異存はないし、もともとそういうものだろうと思いますが、落選組は落選組でそれなりに力を注ぎ、工夫もして、「ことばの意味はようわからんが自信だけは満々」(笑)なので、落選展覧会をやってみたいと思います。
これはもちろん、かつてのフランスの印象派の画家たちがやったことで、みんな既存の画壇からへたくそだと嘲笑され、官展に展示の機会を与えられなかった落選組ばかりで、落選展覧会を開いたのが、いまではひとつ何億円もするような日本人好みのフランス印象派の巨匠たち、マネー、モネー、コロー等々といった面々だったというエピソードにちなんで・・・いや、もちろん自分を印象派になぞらえようなんて大それたことを考えているわけじゃありませんが(笑)、私にも小さな意地はあるので、これを機会にいずれ反転攻勢に出るつもりですので、読者、友人諸氏におかれましては乞うご期待。
きょうはその三篇のうち、最初に書いた第1作目だけを掲載します。ただし、本来は原稿用紙に縦書きしたものを横書きするしかないので、ちょっと勝手がちがうのはご容赦を。
石楠花幻想
くすくすと耳元で笑う気配を感じて目がさめました。いつの間にか居眠りをしていたようです。たくさんのピンク色の花がぼやけて目の前に広がっていました。
(なんだか演説でもしてるみたいだったわよ。)
(会議の夢をみていたんだ。)
(ご苦労様。会社をやめて二十年もたつのに、まだ仕事の夢をみるなんて。よっぽどストレスがたまってたのね。)
そういうわけでもないが、と言おうとして、ないわけでもないか・・・と思って言葉にはなりませんでした。
「京都は周囲の山々まで含めて全域が歴史的資産の宝庫です。しかし、それは展示室に並べて見せるお宝のようなものではありません。むしろ私たちが努力して新しい視点でその価値を見いださなくてはならないようなものです。京都に歴史博物館を作るとすれば、そんな活動のための拠点となるべきものだ、というのが市の博物館構想の理念だったはずです。」
五年にもわたって共に様々な困難と戦って構想案をまとめあげ、戦友のようにも感じていた座長に、なぜそんなことがわからないのだ、と私は感情的になっていました。一介の事務局の手伝いの立場に過ぎない私をも含めて、数人のメンバーが全く対等な立場で、新しい博物館の理念を創りだそうと気持をひとつにして議論を戦わせてきた日々は何だったのか。
「しかし、ここに示された国立京都歴史博物館構想なるものは、千二百年の歴史を持つ古都であり日本文化の中心であるという既存の京都観に胡坐をかいた、国へのおねだりに過ぎません。霞ヶ関のお役人が読めば、時代錯誤の京都セントリズムだと鼻で嗤うに違いありません。」
「それは君、先生がこうおっしゃっているのだから!」
突然、予想外のところから飛んできた叱りつけるような声が、私の発言を遮りました。
それは座長の隣に座っている若手の委員でした。座長は腕組みをして目を閉じたままです。私は驚いたものの、次の瞬間にすべてを覚りました。
市は、立派な博物館構想の答申を受けたものの、財政難に窮してこれを「一時棚上げ」とする一方、ホンネではこんな厄介なお荷物は永久に葬り去ってしまいたいと考えたのでしょう。そこで、構想をまとめた中心人物である座長を担いで、国立での建設をめざす、という体裁を取り繕い、その要望書案を作ってこれを正当化するために、内輪の委員会を立ち上げたというわけなのです。
これは出来レースなのだから、おまえは黙ってやりすごせばいいのだ・・・私の発言を遮った若手委員の高飛車な言い方からはそんなメッセージが露骨に伝わってきました。
(ストレスか・・・そうかもしれんな。)
(あのころはあなた、いつも無理をしては倒れてたもの)
(役所の仕事は締め切りがみな年度末に集中してたからな。頭を下げて猶予してらったら、今度はゴールデン・ウィークがデッドエンドになってね。)
(倒れるのは決まって連休のとき・・)
彼女はフッと笑いました。今度の連休にはどこそこへ行こう、などと言っては、仕事が一段落ついたとたんに私が風邪をこじらせたり、肺炎まで起こしたり、まるで仕事とセットでスケジュール化されていたかのように倒れては、連休の間じゅう寝込んだものです。仕事をやめると、そんなこともふっつりとなくなって、彼女と出かけることも多くなりました。
(ここへ来たのもあなたが仕事をやめた年だったでしょう。)
石楠花の群落で知られるこの寺はまた、伊勢物語に在原業平とともに登場する惟喬親王が隠棲したとも伝えられ、一度訪ねてみたいと思いながら果たせずにいました。そこで、退職した年の四月の末、ちょうど石楠花の咲くころを見計らって長年の希望を果たしたのです。
(あのときも、石楠花が満開だったね。)
(私たち運が良かったのよ。あとで聞いたら石楠花の花の盛りは一週間ほどで、じきに散ってしまうんだって。)
二度にわたって、これほど見事な盛りの花が見られるのは、よほど運に恵まれたのでしょう。
「どうかされましたか。大丈夫ですか。」
男性の声でハッと我に返りました。さっぱりとした作務衣を着た歳のころ五十前後の男性が、私を覗き込むように身を屈めていました。私は志明院の山門を仰ぐ社務所の縁側に腰かけたまま、うつらうつらと夢の続きを見ていたようです。
けれどもどこまでが夢でどこからが現実なのか自分でも定かではない心持でした。あの会議で大演説をぶっていたのは夢の中の夢だったのでしょうか。
さきほどまで、石楠花の咲くあたりに大勢いた参拝客の姿はいつの間にか消えています。どれほどの時間がたったのか・・・
「あ、大丈夫です。一休みしているうちに眠ってしまったようです。」
「そうですか。なにかおっしゃっているようにも見えたものですから。」
上品で優しい顔立ちにかすかに笑みが浮かんでいました。
「胸の内で家内と喋っているのが、自分でも気づかないうちに声に出てしまうらしいのです。」
恥ずかしくなって、言い訳めいたことを申しました。
「奥様は・・・」
「三年前に亡くなりました。」
「それは・・・お寂しいですね。」
「喋る相手もないものですから、そんな習慣になってしまって、最近は昼間も一人でうとうとしていることが多いもので、夢の中で喋っているのか、起きて胸の内で家内と喋っているのかも分からなくなってきました。」
言いながら自分でも可笑しくて笑ってしまいました。目の前の男性も一緒に笑ってくれました。
「上にはおいでになりましたか。」
「はい、本殿にお参りだけさせていただきました。ほかはもうよかろう、と。二十年ほど前に家内と来たときには、ひととおり見どころは回りましたので・・」
「そうですか。上りの石段ばかりですからね。岩屋からこまで来られるのも大変だったでしょう。どちから?」
問われるままに答えると、彼は私をねぎらい、私が「こちらのかたですか」と訊くと、「ええ、ずっとここにいます」と言われたので、ご住職なのだろうかと思いました。
彼は私と並んで縁側に腰かけ、しばらくはただ一緒に、満開の石楠花を眺めていました。
「この石楠花は昔から自生していたものでしょうか。お寺は弘法大師が創建されたそうですが、そのころから石楠花は咲いていたのかな。」
私はふとそんなことを口にしてみました。
「ええ、この辺り一帯には古くから石楠花群落があったようです。」
「ではここに隠棲されたという惟喬親王もこの石楠花が咲くのをご覧になったのでしょうね。」
「よくご存じですね。」
彼は目を輝かせ、少し大げさに思えるほど感心した表情を見せてくれました。
「いえ、北区に引っ越してきてからは、玄武神社がお隣さんになりましたので。」
玄武神社は紫野にある惟喬親王をお祀りしたうちの近所の神社なのです。
「そうですか。お隣さんですか。」
彼は、私の「お隣さん」が気に入ったみたいに、嬉しそうな表情で繰り返しました。
「神社のある紫野雲林院のあたりは、若い頃の惟喬親王の御所があったようですし、あの一帯は惟喬親王には馴染の深い場所でしょう。雲林院の桜や紅葉をいつも楽しんでおられたのではないでしょうか。」
「雲林院の桜・・・」
彼は遠くを見るような眼をして聞いていてくれました。
文徳天皇の第一皇子で秀でた資質をもち、天皇も彼を愛して皇位を継がせようとしながら、時の権力者藤原良房の娘が生んだ第四皇子にその座を奪われ、後に病を得てこの北山に隠棲したという惟喬親王は北山一帯のほか各地に、貴種流離を地で行くような足跡を残し、様々な伝説を生んでいる方です。
しかし、実際に雲ケ畑まで来て見ると、市街地から車なら半時間の距離ですから、思ったよりずっと近い印象です。
紅葉狩りにでも訪れそうなほど都に近いのに、当時はその華やかな世界からはるかに隔たる異界のように思われただろうこの山中に、身近に語り合う友もなく幾年月もの間隠棲された惟喬親王がどのような気持でこの石楠花を見ておられたか、その孤独が偲ばれるような気がいたしました。
「惟喬親王も都人との華やかな社交の場からこの山中にこられたのですから、さぞかしお寂しかったでしょうね。」
「心行くまで語り合える友がそばにいないのは寂しいことですね。きっと美しい石楠花が皇子の心を慰めることもあったでしょう。」
ほかに人影もなく、久しぶりに私のとりとめない話を聞いてくれる人に出会えた嬉しさに、私は先ほどまで見ていた夢のこと、あの会議のこと、私たちが考えた博物館のこと、京都全域をフィールドミュージアムに見立てる構想のことまで、夢中で話していました。
「京都はどこもかしこも歴史のフィールドだというのは、その通りですね。この雲ケ畑のような周囲の山々まで含めた広大な空間そのものが、うまく読み解けば、そのまま千二百年を超える歴史的な時間に変換できるような都市なのです。そこに様々な物語が生まれ、人々はその物語のうちに歴史を見、過去の人々の息吹が甦るのを感じる。学者がつまみ食いする断片的な事実ではなく、民衆にとっての生きられる歴史をとらえようとするのが、あなたがたが構想された京都の新しい博物館だったのでしょうね。」
彼が、こんなにも私(たち)のかつての思いを受け止め、理解してくれたことに、私は思わず涙がこぼれそうになるほど感動して、ただありがとうございます、ありがとうございますと繰り返し呟くばかりでした。
そうして目を上げたときには、お隣に座って私の話を聞いていてくれた人の姿は、どこにもありませんでした。
あたりを見回すと、そろそろ山門が閉まる時刻なのか、幾組かの参拝客が、こちらへ降りてくるところでした。
「石楠花は堪能されましたか?」
さきほどの男性とよく似た作務衣を着たご老人が声をかけてくれました。少し言葉をかわすと、志明院のご住職だそうです。
「では、先ほどの方は息子さんでしたか」
ご住職は一瞬首をかしげ、
「いえ、そういう者はここにはおりませんが・・・」と言われました。
どうみても参拝客には見えなかったので、こういう方とこんなお話をしていたのですが、とついさきほどまでのことを事細かに申し上げました。するとご住職は、破顔一笑、本気とも冗談ともつかない表情でこうおっしゃったのです。
「それはきっと惟喬親王がお姿を変えて、わざわざここまで来られたあなたのお相手をして下さったのでしょう。」
(了)
北区の短編小説公募一次審査・私設落選展覧会~その2 「カキツバタを見に」 (2022年12月28日)はこちら です。
北区の短編小説公募一次審査・私設落選展覧会~その3 「野菜めぐり」 (2022年12月29日)はこちら です。
「石楠花幻想」の、小説投稿サイト「エブリスタ」での掲載ページはこちら です。作者名はエブリスタでのハンドルネーム(ペンネーム)を使っています。
【令和4年度】「京都キタ短編文学賞」最終選考ノミネート作 品 デ ジ タ ルブックの公開 ペ ー ジ はこ こ です。
きょうの夕餉
「スノーホワイト」(カリフラワー)のポタージュ。
ハンバーグのトマト煮込み。小松菜とカブ添え。
フェンネル、シイタケ、タマネギのリゾット。フェンネルの香りがすばらしい。
サラダ。このチシャ(サニーレタス)は戸田農園さんの。
パンコントマテ。
パンコントマテのトマト。残念ながら戸田農園のトマトは出てなかったそうで、ほかのところのです。戸田さんのトマトは最高。
(以上でした)
2022年12月26日
きょうはショパンばかり聴きながら
パートナーはコロナ禍の渦中の次男宅へ届ける食糧サポートで大わらわ、近所に住んでいるメリットがこういう時は発揮されて、ふだんは干渉しないようにしていても、やはりスープの冷めない距離で暮らしていれば、なにかと互いに心強いところはあります。もっとも私ではほとんど何の役にも立たないので、パートナーが中心にいてくれてこその話で、このところパートナーは私のことからはじまって、出ずっぱりの活躍です。こちらも、もう少し体調が回復すれば、もう少しは色々手伝えるのだけれど、いまは食前食後、じっとしていないと余計に迷惑をかけてしまいそうで、とにかく早く自分がまともに動けるようにならないと、と思うばかり。
きょうの夕餉。
鯵の干物
大根と豆腐のカブラあんかけ
モズクきゅうり酢
小松菜とベーコンのガーリック炒め
大根葉のキンピラ
サラダ
どうみてもカリフラワーですが、生協の上賀茂野菜のコーナーのこの商品には「スノーホワイト」という下の写真のような名札が差し入れてあったそうです。これ、戸田農園さんのらしい。色白野菜に美しい名前をつけましたね。スノーホワイトって、日本でいえば白雪姫ですよね。
いいね!
今日はクリスマスプレゼントの箱をあける「ボクシングデイ」ですが、それより、テレビで言っていて気付いたのですが、明治から敗戦までが77年間、敗戦から今年までが77年間(私が敗戦の年の生まれだからこれは間違いなくわかりますが)、だそうです。折り返し点の敗戦時が、なにかのピークで、そこからまた元へ戻っていったのかな?近頃の「殖産興業・富国強兵」の喧しい声を聴くにつけ、そんな錯覚にとらわれます。
2022年12月22日
『ドイツ人はなぜヒトラーを選んだのか』を読む
これを読むと、ヒトラーはたしかに突撃隊など使って敵対者に激しい暴力をふるい、殺人を犯し、国会議事堂に放火して共産党のせいにして一挙に敵を潰しにかかるようなことはするわ、「小さな嘘では人は騙せない、大きな嘘なら簡単に騙せる」とうそぶくような奴ではあったけれども、完全な独裁体制を固めるのに成功するまでは、あくまでも「民主的に」選ばれて権力の座についたのだ、というタテマエを崩そうとしないで、その手続きを踏んでいくのですね。
彼はやはり「ドイツ人が選んだ」のであって、ドイツ人が彼に「騙された」わけでもなければ、「強いられた」わけでもなく、最後の最後までいくらでも「引き返す」機会はあったのに、誰も引き返そうとはしなかった。そこに、かれを「選んだ」ドイツ人の責任がある、ということが非常に具体的によくわかるように書かれていると思います。
そして、彼の周辺にいた保守派の彼よりずっと大物だった政治家たちや企業家たちは、みんな彼のことを単に大衆の感情に訴えることが得意な演説上手なだけの小人物だと馬鹿にしていて、みんな彼の大衆人気をうまく利用してやろうと思っていたということがよくわかります。そして最後は全部彼にやられてしまう。利用しようと思っていたやつが、みんな彼に利用され、あげくは無力化され、気づいたときはすでに遅く、殺されてしまったり。
第一次大戦後に敗戦国ドイツに対して戦勝国側が負わせた苛酷な賠償責任や割譲させた領土のことで、ドイツが追い詰められた・・・かのような単純な見方をともすればしてしまいがちだったけれど(ドイツに対してあまりに苛酷な勝てば官軍の戦勝国による賠償交渉の席を、若き日のケインズが蹴って帰国した話など聞いていたせいもあるけれど)、ことはそう単純ではなかったことが、ジャーナリストらしい筆で一人一人の関係者の人物像を追っかける形で活写されていて、なかなか面白かった。
ただ、この著者には社会ファシズムや国家(ステイト、ネイション)について自分なりに作り上げた思想なり理念なりがあるようには思えないので、ヒトラーの唱えた「民族共同体」の理念に触れながら、彼が力を持つに至る過程でそのことが果たす意味合いと言ったことについては、突っ込んだ分析はありません。ひたすらヒトラーをめぐる当時の政治権力を担い、影響力のある資本を牛耳る連中一人一人の考え方や行動にジャーナリストとしての嗅覚で寄り添って、なぜそういう連中から小馬鹿にされていた非力なはずだったヒトラーが独裁者として権力を手にしていくのかを追究していくだけです。
それはたしかに第一次世界大戦の戦後処理がまずかったために、ドイツをあそこまで追い詰めてしまった、というふうな単純な「通念」?に対して、ことはそう単純ではないよ、と関わりのあった権力者たち相互の入り組んだ利害関係や、それぞれの思惑、見通しの甘さ等々といった微視的で多元的な要素を指摘し、具体的な歴史の一齣一齣が生み出されてしまう過程を垣間見させる面白さはあるものの、これを読んで、なるほど「ドイツ人はこういう理由で、こういう構造的、心理的なメカニズムでヒトラーを選んだのか」と納得がいくような答えが得られたとは思えません。
それにしてもヒトラーの考え方や行動を見ていると、トランプを髣髴とさせるところがあって、大統領選挙に不正があったと根拠なくデマを吹聴して選挙に敗北した結果を認めないとか、そもそもの民主制の根幹的な理念を認めないようなことを平然と公言するようなやつを、100人を超えるような共和党の議員やら州知事やら法務官?やらがあるというから、あんなやつに騙されるかね、と思っていたけれど、騙される、騙されないというのではなくて、人は自分が信じたいことを信じるものなんだな、と考えをあらためなきゃならんな、と思ったことでした。
これだけ人々の情報への接し方自体が明確に分断されてくると、もう反対側にいるグループの人間が何を言おうと関係なく、どんな嘘八百でも自分が信じたいことなら頭から信じて疑わない人間が半数近くはある、と考えた方がいいのかもしれません。全く大変な世の中になってきたものです。
きょうの夕餉
鯖の塩焼き。ショウガおろしぞえ
豆腐のカブラあんかけ。揚げ出し豆腐を使う予定だったけれど、私の肝臓の調子が悪いのに配慮してあっさり味にしてくれました。でも好きな味で、美味しかった。
カボチャのにつけ。ベネット錠の副作用でまた味覚障害が起きそうな兆しがあるので、服用を中止しましたが、以前に起きたとき、カボチャの味だけは分かったので、カボチャさんは私の命の恩人だと思って大切にいただいています。きょうは冬至だということで、カボチャを炊いたんだそうです。
ホウレンソウのおひたし。
ブロッコリ。
カブの酢の物
スグキ。上賀茂の自動販売機でゲットしたもの。まだ深漬けではない今年のらしいから酸味は乏しいけれど、うまみはちゃんとあって、おいしかった。
豆小鮎の小鮎がすごくおいしい。
サラダ。
以上でした。あいかわらず空腹時に異が膨らんでひどい膨満感、不快感、腫れものがあるような種類の痛みがあって、食べるとそれがおさまる。潰瘍でもできたか・・・。明日いちど検査に行った方がよさそうです。
(以上)