2022年09月
2022年09月28日
久しぶりにいい試合をみる
昨夜はニュースをみたくないというので、サッカーのエクアドル戦を見ていました。
結果は0対0でしたが、稀にみる好試合でした。日本チームもエクアドルチームも本気を出してぶつかっているのがよくわかるような試合。
中でも、ゴールキーパーのシュミット(母親が日本人、父親がドイツ人らしい)が、エクアドルの主砲バレンシアのペナルティーキックを止めたのは凄かった。
ほかに目立って良いところを見せたのが、鎌田、三苫、相馬といったところか。前半は強力で粘っこく至近距離に迫ってくるエクアドルに、よく耐えてはいたものの、ほとんど守勢に回らざるをえず、三苫の攻めのドリブルなど発揮しようがない感じで、後半エクアドルにも疲れが出てようやく本来の技が発揮できた。少し線が細いし、スペイン、ドイツなど強豪の圧倒的に強靭な身体にぶつかってこられたとき、守備は大丈夫かという不安がないでもなくて、後半双方疲れが出てくるころに出てきて本領を発揮するのが一番向いていそうな選手。
相馬は後半の途中出場だったけれども、すぐに巧みな攻撃をしかけて見どころがあった。ただ、それがスタメンで出て終始いけるかどうかはわからない。その点、鎌田は結果は出せなかったものの、チャンスが作れる能力を終始示していたと思う。
古橋は海外の所属チームですごい活躍をしていると聞いていたので、どんなプレイをするかと期待していたけれど、不発だった。素早く、細かいパスを交わしながら中央へ切り込んでいってゴールを目指す日本的な戦い方の中で、他の選手とうまく適合するプレイができなかった。
海外の強豪チームで鍛えられて日本の若い選手たちが確実に強くなっているけれど、このレベルまでくると、そのプレイのスタイルが日本チームの基本的なスタイルに合わないということも出てくるのかもしれない。
トップの上田も結果は出せなかったものの、悪くはなかった。
逆に明らかにダメだなぁ、と思ったのは柴崎、堂安、南野の三人。結果が出せなかったのはほかのいい選手だって同じだから、それは構わないのだけれど、それ以前に、それまでの動きが悪い。柴崎と南野は明らかに運動量が少なかった。堂安という選手は運動量は豊富だけれど、決定的なチャンスでの動きが悪くて、勘が悪い人だなという印象。勘が悪いというのは、こういう場合、やっぱりプロとしてのトレーニングの仕方に問題があって、とっさの場合に身体が最も効果的な動き方を自然にできるまでに至っていない、ということになるのだろうな、と思った。
あと、田中碧という選手は前から注目して、好きで、期待もしていたのだけれど、今回はみどころがなかった。あと、いつもすごいスピードで駆け抜けてくれる伊藤純也も出場時間が短くて見せ場はなかった。
長友が未だに出ていて、しかも決定的なところで活躍してしまう、というのが良いことなのかどうかわからないけれど(笑)、彼らしい存在感を示した。もうそろそろ彼の出番がなくなるようでないと困る。その意味では、遠藤―守田でいいのかもしれない。今回はこういうボランチコンビでの活躍が見られなかったけれど、遠藤は後半出て、悪くはなかった。
長友と同じことが吉田についても言えて、いつまでも吉田頼みで、吉田ー富安の不動のセンターバック、なんて言っているのではこの先不安のほうが大きい。
ドイツ、スペイン、コスタリカのいずれも強豪で、昨日の試合を見れば日本も侮れないな、と思って本気でくるだろうし、実力からすればどの相手にも勝てないでしょう(笑)。
しかしサッカーというのはある水準までくれば1点を争うゲームだから、ひょっとしてどんなチャンスがあって大番狂わせということになるかもしれません。
選手はもちろん勝つつもりでいくでしょうし、特に海外で鍛えられた選手たちは個人的には自信を持っているでしょう。それがうまくチーム力として機能するかどうかはまた別なので、監督の能力が大きく結果を左右するに違いありません。不安と言えばそれが一番不安かもしれません(笑)。
昨日のエクアドル戦が本番前の、相手の実力や本気度から言っても、チーム力を試す最後のまっとうな機会だったようです。本来なら監督がスタメンに選ぶ、ベストメンバーで臨んで、本番の予行演習をやり、この段階でも可能な微修正すべき課題をきちんと見つけて、潰しておくべきだったでしょう。
とくにそういうメンバーでの連携について、本番で機能するかどうかをしっかり確認する必要があったと思います。それができなかったのは、監督の責任です。
昨日の試合で気になったのは、セットプレイが全然なっていなかったこと。なんの知恵もないじゃないか、というようなプレイをしていました。
あれは個々の選手の問題というより、セットプレイについて確固とした方法的なトレーニングを繰り返して選手たちが気持ちを一つにして身に着けたその方法に従ってゴールをめざす、ということが、全くできていないからで、これも指導する監督の責任でしょう。
スタメンに予定された選手たちではないからバラバラだった、というのは言い訳にはならないのであって、一つのチームとしてセットプレイがまるでなっていない、という問題であろうと思います。
とにかく強豪相手に、日本チームにチャンスは決して多くは訪れないから、たった一度のチャンスを決して逃さない決定力が必要ですが、トップとバックの連携やセットプレイには依然として多くの不安があります。
いくらバックやボランチがしっかり守ってくれても、点をとりにいくには個人の能力だけではなくて、チームとしての組織的な固有の戦法の備えがあってチーム全体がそれを体現していなければ相手チームの堅い守りを突破することはできないでしょう。
結果は0対0でしたが、稀にみる好試合でした。日本チームもエクアドルチームも本気を出してぶつかっているのがよくわかるような試合。
中でも、ゴールキーパーのシュミット(母親が日本人、父親がドイツ人らしい)が、エクアドルの主砲バレンシアのペナルティーキックを止めたのは凄かった。
ほかに目立って良いところを見せたのが、鎌田、三苫、相馬といったところか。前半は強力で粘っこく至近距離に迫ってくるエクアドルに、よく耐えてはいたものの、ほとんど守勢に回らざるをえず、三苫の攻めのドリブルなど発揮しようがない感じで、後半エクアドルにも疲れが出てようやく本来の技が発揮できた。少し線が細いし、スペイン、ドイツなど強豪の圧倒的に強靭な身体にぶつかってこられたとき、守備は大丈夫かという不安がないでもなくて、後半双方疲れが出てくるころに出てきて本領を発揮するのが一番向いていそうな選手。
相馬は後半の途中出場だったけれども、すぐに巧みな攻撃をしかけて見どころがあった。ただ、それがスタメンで出て終始いけるかどうかはわからない。その点、鎌田は結果は出せなかったものの、チャンスが作れる能力を終始示していたと思う。
古橋は海外の所属チームですごい活躍をしていると聞いていたので、どんなプレイをするかと期待していたけれど、不発だった。素早く、細かいパスを交わしながら中央へ切り込んでいってゴールを目指す日本的な戦い方の中で、他の選手とうまく適合するプレイができなかった。
海外の強豪チームで鍛えられて日本の若い選手たちが確実に強くなっているけれど、このレベルまでくると、そのプレイのスタイルが日本チームの基本的なスタイルに合わないということも出てくるのかもしれない。
トップの上田も結果は出せなかったものの、悪くはなかった。
逆に明らかにダメだなぁ、と思ったのは柴崎、堂安、南野の三人。結果が出せなかったのはほかのいい選手だって同じだから、それは構わないのだけれど、それ以前に、それまでの動きが悪い。柴崎と南野は明らかに運動量が少なかった。堂安という選手は運動量は豊富だけれど、決定的なチャンスでの動きが悪くて、勘が悪い人だなという印象。勘が悪いというのは、こういう場合、やっぱりプロとしてのトレーニングの仕方に問題があって、とっさの場合に身体が最も効果的な動き方を自然にできるまでに至っていない、ということになるのだろうな、と思った。
あと、田中碧という選手は前から注目して、好きで、期待もしていたのだけれど、今回はみどころがなかった。あと、いつもすごいスピードで駆け抜けてくれる伊藤純也も出場時間が短くて見せ場はなかった。
長友が未だに出ていて、しかも決定的なところで活躍してしまう、というのが良いことなのかどうかわからないけれど(笑)、彼らしい存在感を示した。もうそろそろ彼の出番がなくなるようでないと困る。その意味では、遠藤―守田でいいのかもしれない。今回はこういうボランチコンビでの活躍が見られなかったけれど、遠藤は後半出て、悪くはなかった。
長友と同じことが吉田についても言えて、いつまでも吉田頼みで、吉田ー富安の不動のセンターバック、なんて言っているのではこの先不安のほうが大きい。
ドイツ、スペイン、コスタリカのいずれも強豪で、昨日の試合を見れば日本も侮れないな、と思って本気でくるだろうし、実力からすればどの相手にも勝てないでしょう(笑)。
しかしサッカーというのはある水準までくれば1点を争うゲームだから、ひょっとしてどんなチャンスがあって大番狂わせということになるかもしれません。
選手はもちろん勝つつもりでいくでしょうし、特に海外で鍛えられた選手たちは個人的には自信を持っているでしょう。それがうまくチーム力として機能するかどうかはまた別なので、監督の能力が大きく結果を左右するに違いありません。不安と言えばそれが一番不安かもしれません(笑)。
昨日のエクアドル戦が本番前の、相手の実力や本気度から言っても、チーム力を試す最後のまっとうな機会だったようです。本来なら監督がスタメンに選ぶ、ベストメンバーで臨んで、本番の予行演習をやり、この段階でも可能な微修正すべき課題をきちんと見つけて、潰しておくべきだったでしょう。
とくにそういうメンバーでの連携について、本番で機能するかどうかをしっかり確認する必要があったと思います。それができなかったのは、監督の責任です。
昨日の試合で気になったのは、セットプレイが全然なっていなかったこと。なんの知恵もないじゃないか、というようなプレイをしていました。
あれは個々の選手の問題というより、セットプレイについて確固とした方法的なトレーニングを繰り返して選手たちが気持ちを一つにして身に着けたその方法に従ってゴールをめざす、ということが、全くできていないからで、これも指導する監督の責任でしょう。
スタメンに予定された選手たちではないからバラバラだった、というのは言い訳にはならないのであって、一つのチームとしてセットプレイがまるでなっていない、という問題であろうと思います。
とにかく強豪相手に、日本チームにチャンスは決して多くは訪れないから、たった一度のチャンスを決して逃さない決定力が必要ですが、トップとバックの連携やセットプレイには依然として多くの不安があります。
いくらバックやボランチがしっかり守ってくれても、点をとりにいくには個人の能力だけではなくて、チームとしての組織的な固有の戦法の備えがあってチーム全体がそれを体現していなければ相手チームの堅い守りを突破することはできないでしょう。
saysei at 12:04|Permalink│Comments(0)│
2022年09月27日
きょうはニュース見たくない
きょうはニュース、見たくない、と言ってテレビを見せてもらえません(笑)。どこも国葬のニュースを長々やっていそうだから、というので。
昨日どこの局だったか、「実況放送でお伝えする」なんて言ってたので、そんなの長々と垂れ流されちゃたまらない、というわけです。
国民の6割、賛成者の2倍の反対者があった安倍元総理の国葬が、きょう行われた(らしい)。昨日のニュースでは、結局G7をはじめ、主だった国の元首は一人も来日しなかったようです。
どの国の元首も、現政権への義理は形だけでも示さないと具合悪いだろうが、国民の6割もが反対している「国葬」に出向いてわざわざ国民の多数意志に抗い、その気持ちを逆撫でするようなことをするには及ぶまい、という当然の常識的な判断をしたのでしょう。
安倍さんの「お友達」だったロシアのプーチンくらいは来てくれるのではないかと思いましたが、どうだったでしょうか。彼もお尻に火がついて、それどころではなかったでしょう。
先日来の旧統一教会との癒着問題にからめて、自民党と旧統一教会の合同葬でやれば一番よかったのに、という人もいますが、少なくとも安倍さんを高く評価している自民・公明両党でやれば、誰も文句を言う筋合いはなかったはずなのに、自腹を切るのがいやだったのか(笑)、公金を使うから国民の6割もが反対するようなことになってしまいましたね。安倍さんもさぞ草葉の陰で苦笑しているでしょう。
私自身は安倍さんが二期目にアベノミクスを掲げて、大胆な金融緩和と財政出動と矢継ぎ早に2本の矢を射ったことは評価していました。3本目の矢は政府だけではできないから、もともと時間がかかることは分かっていたけれど、効果を生むための道筋がはっきり見えないまま、行き当たりばったりの手当てに終始したように見えました。
基本的にはいまの急ごしらえのデジタル庁のドタバタ騒ぎに見るように、日本社会がどういう方向を目指さなくてはならないか、しっかりした展望もヴィジョンも政治家たち(もちろん与党以上に野党も)がまったく持ち合わせていなかったことが原因でしょう。
役所の人事権を内閣官房の手中に収めて権力を集中したまでは計算どおりだったけれど、権力で人を動かす快楽に酔ってしまったのか、せっかく手にした権力を積年の課題だった構造改革に使わずにお友達に種々便宜を図るようなことにしか使えなかったのでは、何が変わるわけでもないのは自明の理でしたね。
結局第一、第二の矢も第三の矢まで効果をおさめてはじめて生きてくるのであって、そうでなければ全部裏目に出てしまいます。その結果がいまのとことん地獄の底まで行ってしまった金融緩和で、金利を上げるにも、これだけ景気が浮揚できないままで、しかも国も膨大な国債を抱えたままで、上げようにも上げられず、欧米の高金利政策との差がどんどん大きくなって、円安で日本はもうぼろぼろの貧しい国になってしまい、インバウンドだと喜んでいたのもつかの間、安物として買いたたかれる三等国に成り下がってしまいました。これもアベノミクスの結果的なマイナス効果にほかなりません。
しかし、ともかく一国の首相までつとめた人の不慮の死です。「国葬」騒ぎとは別に、一人の国民として、ご苦労様でした、と静かにご冥福を祈りたいと思います。
きょうの夕餉

久しぶりの酢豚、おいしかった!

麻婆豆腐。熱々ごはんにかけて食べたらとっても美味しかった!

砂肝、キュウリ、セロリ、ネギ、ショウガお中華和え。さっぱりしておいしかった!

モズクきゅうり酢

サラダ
あと、トウガンと豚肉、蟹のスープがあって、美味しかったのですが、後で出されたので、写真を撮り忘れてしまいました。
以上でした。
昨日どこの局だったか、「実況放送でお伝えする」なんて言ってたので、そんなの長々と垂れ流されちゃたまらない、というわけです。
国民の6割、賛成者の2倍の反対者があった安倍元総理の国葬が、きょう行われた(らしい)。昨日のニュースでは、結局G7をはじめ、主だった国の元首は一人も来日しなかったようです。
どの国の元首も、現政権への義理は形だけでも示さないと具合悪いだろうが、国民の6割もが反対している「国葬」に出向いてわざわざ国民の多数意志に抗い、その気持ちを逆撫でするようなことをするには及ぶまい、という当然の常識的な判断をしたのでしょう。
安倍さんの「お友達」だったロシアのプーチンくらいは来てくれるのではないかと思いましたが、どうだったでしょうか。彼もお尻に火がついて、それどころではなかったでしょう。
先日来の旧統一教会との癒着問題にからめて、自民党と旧統一教会の合同葬でやれば一番よかったのに、という人もいますが、少なくとも安倍さんを高く評価している自民・公明両党でやれば、誰も文句を言う筋合いはなかったはずなのに、自腹を切るのがいやだったのか(笑)、公金を使うから国民の6割もが反対するようなことになってしまいましたね。安倍さんもさぞ草葉の陰で苦笑しているでしょう。
私自身は安倍さんが二期目にアベノミクスを掲げて、大胆な金融緩和と財政出動と矢継ぎ早に2本の矢を射ったことは評価していました。3本目の矢は政府だけではできないから、もともと時間がかかることは分かっていたけれど、効果を生むための道筋がはっきり見えないまま、行き当たりばったりの手当てに終始したように見えました。
基本的にはいまの急ごしらえのデジタル庁のドタバタ騒ぎに見るように、日本社会がどういう方向を目指さなくてはならないか、しっかりした展望もヴィジョンも政治家たち(もちろん与党以上に野党も)がまったく持ち合わせていなかったことが原因でしょう。
役所の人事権を内閣官房の手中に収めて権力を集中したまでは計算どおりだったけれど、権力で人を動かす快楽に酔ってしまったのか、せっかく手にした権力を積年の課題だった構造改革に使わずにお友達に種々便宜を図るようなことにしか使えなかったのでは、何が変わるわけでもないのは自明の理でしたね。
結局第一、第二の矢も第三の矢まで効果をおさめてはじめて生きてくるのであって、そうでなければ全部裏目に出てしまいます。その結果がいまのとことん地獄の底まで行ってしまった金融緩和で、金利を上げるにも、これだけ景気が浮揚できないままで、しかも国も膨大な国債を抱えたままで、上げようにも上げられず、欧米の高金利政策との差がどんどん大きくなって、円安で日本はもうぼろぼろの貧しい国になってしまい、インバウンドだと喜んでいたのもつかの間、安物として買いたたかれる三等国に成り下がってしまいました。これもアベノミクスの結果的なマイナス効果にほかなりません。
しかし、ともかく一国の首相までつとめた人の不慮の死です。「国葬」騒ぎとは別に、一人の国民として、ご苦労様でした、と静かにご冥福を祈りたいと思います。
きょうの夕餉

久しぶりの酢豚、おいしかった!

麻婆豆腐。熱々ごはんにかけて食べたらとっても美味しかった!

砂肝、キュウリ、セロリ、ネギ、ショウガお中華和え。さっぱりしておいしかった!

モズクきゅうり酢

サラダ
あと、トウガンと豚肉、蟹のスープがあって、美味しかったのですが、後で出されたので、写真を撮り忘れてしまいました。
以上でした。
saysei at 21:22|Permalink│Comments(0)│
2022年09月26日
きょうも好天

きょうの比叡。松ヶ崎橋より。きょうは鹿さんを見ませんでした。

賀茂川、北大路橋の手前から上流(上賀茂)方向

下流方向。北大路橋。きょうもいい天気でした。ちょっと暑かったけれど、川辺で自転車を走らせている分には快適でした。昨日同様、木のベンチで水筒を取り出して一休み。

賀茂川の落日。こんなに素敵な場所でも、平日の夕方ともなれば、殆ど人はいないし、木のベンチも寝そべり放題。ときどき川辺の遊歩道や土手を自転車が走って行ったり、ジョギングの人が通り過ぎたりするだけで、静かなものです。

夕暮れの比叡。高野橋より。ここは生協に行く人や逆にイズミヤやカナートへ行く人で橋上往来も盛んです。

高野橋より下流方向の夕空
きょうは古今集をたった一首。ふと、殿上人っていったい何人くらいいたんだろう?と思ったので、ウェブサイトをみても確かな数字が出てこないし、宇多天皇の「寛平御遺誡」やその逸文などまで読んでいたら、あっという間に「もう4時よ、明日は雨らしいから」と階下から自転車行を促す声がかかる時刻になりました。
きょうの夕餉

冷製バターナッツかぼちゃのスープ、ディル添え

ハンバーグの赤ワイントマト煮込み、付け合わせ:ブロッコリ、焼き芋バター添え

生野菜とバーニャカウダ。野菜は新生姜、ミョウガ、セロリ、キュウリ、人参、ラディッシュ。バーニャカウダは自家製です。日本の料理書の多くがまともなバーニャカウダの作り方を書いてないそうで、イタリアで修行して帰国したシェフの本に唯一、まともな作り方が書いてあって、それはとてもシンプルだけれど手間(時間)がかかる作り方だったそうです。何でもホンモノはシンプルだけれど時間と手間を惜しまない仕事で作られる、というのがパートナーの見る所のようです。
秘訣というほどのことはなく、牛乳とニンニクを、牛乳がほとんど全部蒸発してしまうほど煮込むのだそうです。もちろん牛乳が噴いたりしないように、監視しながらゆっくりと煮込むんだそうで、ニンニクは融けて白いドロドロになり、牛乳は液体から同じように白いヨーグルト状になり、できあがるころには両者融合したペーストになっているらしいです。もちろんアンチョビを加えたりするのですが、基本的に素材も作り方もシンプルだそうです。ただ、半日がかりくらい(もっとかな・・・笑)らしいので、少し多めに作って冷凍しておくそうです。
しかし味は抜群で、近所の美味しいイタリアンのレストランでおいしいバーニャカウダに出会って、舌の肥えた孫が(野菜は食べない子だったのに)美味しいと言って火にかけたバーニャカウダに生野菜をどっぷりつけながらバリバリ食べていたのが記憶に残っていますが、あの味を完全にわが家で再現しました。
市中のレストランでも、テレビのお料理教室でも、生クリームなんかで誤魔化して作っているような偽物がほとんどだそうで、味が全然違うようです。

砂肝のコンフィ。端パン(いつも買うトーストの両端の硬い部分を薄く切ったもの)を焼いたのにのっけて食べます。汁の中にはニンニクがたっぷり融けています。これも時間をかけて蒸しているので、砂肝が驚くほど柔らか。

グリーンサラダ。
以上でした。
saysei at 18:19|Permalink│Comments(0)│
2022年09月25日
久しぶりの鹿さん

もうお山へ帰ってしまって、来年まで出てこないかな、と思っていた高野川の鹿さんたち、きょう一頭だけいつもの草地の縁で、川の中に入って草地の縁の草を食べているのを見つけました。あまり動かなかったので、たしかではないけれど、どうやら左後脚に障害があって、いつもその脚を少し上にあげて、3本脚で歩いている子ではないかと思いました。近くにほかの鹿さんの姿は見えませんでしたが、一頭だけで降りてくることはめったにないと思うので、離れたところに居るのかもしれません。
草地に生えた木や草が電動草刈り機で刈られているので、あまり隠れる所がなくなっていますが、それでも上手に隠れているかもしれません。

きょうの比叡

きょうの夕空(高野橋より)。なにかレンズにゴミでもついたかと思ったら、偶然巣に帰る鳥が映り込んだようです。
きょうの夕餉

メバルの煮つけ。やっぱりメバルはおいしい。

生野菜の入子味噌ぞえ。味噌が美味しい。上賀茂のショウガとラディッシュが秀逸。

トマトぽん酢かけ焼きナス。昨日ののこりものの活用。

キノコと豆腐のガーリックバター焼き

冬瓜、オクラ、シイタケ、蟹のおつゆ

マカロニグラタン(のこり)

モズクきゅうり酢

セロリの葉のジャコキンピラ

枝豆
以上でした。
saysei at 18:26|Permalink│Comments(0)│
小峰ひずみ『平成転向論』を読む
近くの書店でたまたま手にとって、谷川雁と鷲田清一を並べて扱っているらしいタイトルがついているのと、パラパラめくってみると、むしろ鷲田と柄谷行人を並べて扱っているらしいことがわかって、買ってきた、小峰ひずみという人の『平成転向論』を読んでみました。随分若い人らしいので、鷲田さんのお弟子さんかと思って読むと、どうやら鷲田さんが阪大を退職したあとに阪大へ入った人らしくて、もうひとまわり若い人のようです。
SEALDs という私などにとってはつい先ごろ若い人たちが頑張ってやってたなぁ、くらいにしか記憶に残っていないけれど、かなりマスコミや雑誌にもとりあげられて評判になった、若い人たちが街頭に出ていった近頃稀な政治的運動に参加した人らしい。
その背景となっている現在の状況に対峙する思想的な立場として、著者は、1990年代を代表する鷲田さんと柄谷行人を一つの対極的なものとして軸の両端に位置づけ(対立するという意味ではない)、さらにこれを時代状況に共通するものが多い1930年代における戸坂潤と和辻哲郎を対極的な位置に置き、柄谷と戸坂を「翻訳(交換)可能」な普遍性、世界性をめざすインターナショナルな志向性を持つもの、鷲田と和辻を、言葉を「ふれる」ことのできる「翻訳(交換)不可能」なものと考え、ナショナルなものに収束する傾向を持つ思想とし、この時間軸と翻訳可能性への態度という直交軸とで構成される4象限のうちに位置づけています。
これは、中身はまるで無関係だけれど、柄谷の『世界史の構造』の交換様式の4象限の図式のごとく面白く読めました。実際、この著者は鷲田さんの孫弟子さんであると同時に、柄谷の思想的なお弟子さんでもあるようで、著者自身の分類図によるところの、「翻訳(交換)可能」な普遍性、世界性をめざすインターナショナル派としての思想的資質を持つことがこうした図式からもよくわかります。
しかし、この著者の新しい、柄谷とも鷲田とも違うところは、この柄谷と鷲田の両者に接点がないのはなぜなのかと自問し、それは本来は一体的なものであるはずの「政治運動」と「ケア」が分裂しているからだ、と自答して、そこに「オルガナイザー(組織者)」の喪失を見いだしている点で、このへんはこの著書の中でもっともスリリングなところでしょう。
実際、柄谷はなんとかいう政治運動体をつくり(すぐ潰れたけれど)、反原発デモにもでかけたりしていたし、鷲田さんは震災の被災地に出かけて哲学対話をする「せんだいメディアテーク」の館長に就任したりしていたようで、私も報道でそういう彼らの動向は仄聞していたので、このへんはとてもよく納得できました。
ここで「オルガナイザー」を体現した思想家≒活動家(革命家)として登場するのが、書名の一部に織り込まれている谷川雁なのでした。
知識人に対しては大衆として、大衆に対しては知識人として同時にその両者に対する批判的態度を貫く谷川雁の「工作者」の概念は1960年代によく知られていましたが、ここで「翻訳可能な」言葉と「翻訳不可能な」<ふれる>言葉との対立を揚棄する、工作者(オルガナイザー)の「加害者の思想」として甦ってきます。これにはハッとさせられるような新鮮さがあって、この本で一番面白かったところです。
オルガナイザーの言葉は、大衆に積極的に「触れて」いこうとするのではあるけれど、鷲田さん流の「ふれる」言葉とは違って、活動家の集団の中で研ぎ澄まされた組織言語として、硬質の刃のように鋭く生活者を襲うような厳しい言葉で、それは「加害者の言葉」だといっていいようなものです。しかし、彼が期待するのは生活者がそれを彼ら自身の豊かに分化した日常語に置き換え、みずから「翻訳」することなのだと著者は考えているようです。
どうすればそんなことが可能なのか、この本を読んでもすぐにそこに直接な答えが書いてあるわけではありません。しかし、鷲田さんが大震災後に書いた『「聴く」ことの力』の引用に、そのヒントがあるようです。
晩年のフッサールはひとりの弟子に、悲しげにこうもらした。幼年の頃、ナイフをもらったが、切れ味がよくないので何度も研いだ。すると、ナイフはなにも切れないほどすり減ってしまった、と。それを踏まえて、鷲田は言う。
対象にナイフの切れ味を押しつけるのではなく、対象がナイフの研ぎ方を指示してくるその声を聴くべきなのだ。(本書p38-39 鷲田の引用は『「聴く」ことの力』のp36)
そういう言葉は谷川雁の工作者(=加害者)の言葉ではなく、鷲田さんの<ふれる>言葉のようにも思えますが、ここでは鷲田さん流の言葉ではなく、普遍性、翻訳(交換)可能性を失わない加害者の言葉だと考えればいいでしょう。ただし、鷲田さんのいう<ふれる>言葉も決して優しいばかりではなく、<ふれる>ことでひとを支えもするけれど、傷つけもする言葉なのです。
生活者自身の日常語が工作者の言葉自体を、その普遍性、「翻訳(交換)」可能性を失わずに、生活者の言葉に「翻訳(交換)」される仕方というものを、このエピソードの場面は実に鮮やかに教えてくれているのではないでしょうか。
先ごろ私が読んだカントの『人間学』で、カントがやろうとしていたのは、認識の根拠を超越論的な領域に求めるような作業ではなく、人々の日常的な言葉自体のうちに見いだそうとする考え方であり、いわば歴史的なアプリオリに関する探究だったと思います。
例えば、英語でいえばfoolにあたる言葉も、日常語では「馬鹿」「阿呆」「頓馬」「間抜け」・・・と様々に分化していて、これはみな「fool」に集約され、翻訳されると考えるのが「翻訳可能」な言語観です。けれども、わたしたちは誰でも日常的な場面でこれらの言葉が明確に、どれほど微妙なニュアンスの違いでもって使い分けられるかを知っています。カントはこうした日常語を調べ、それが全体としてどのような世界を形作っていて、その中で一つ一つの日常語がどのような位置づけを与えられているのかを探究しようとしていたのです。
谷川雁が工作者の役割として語っていたのは、工作者が「fool」と言えば、大衆が直ちにこれを自らの「馬鹿」「阿呆」「頓馬」「間抜け」・・・等々といった日常語に時と場合に応じて受け止め、反撥したり、やり過ごしたり、受け入れたり、みずからのとるべき態度を判断するといった場面で思い描くことができるようなものだったでしょう。しかし、彼の試みは必ずしもうまくいきません。
「けれども彼の方へつき刺さってくる言葉、人々を統一し指導しようとして繁殖した組織語ともいうべき知識の言葉に対して、彼のいわば生活語はそれに対応するだけの分化をしていない。」(谷川雁『原点が存在する』p45からの小峰の引用)
しかし、いまやこのアポリアを克服しうるときが来たというのが本書の指し示すところでしょう。
戸坂vs和辻から柄谷vs鷲田まで連綿と続く、「翻訳可能」な言葉と「翻訳不可能」な言葉、インターナショナルな思想とナショナルな、あるいな日常的な思想との分離断絶を揚棄すべき谷川雁の「加害者の思想」は、上に引いたフッサールの語った擦り切れたナイフを引用して鷲田が語った、対象がナイフの研ぎ方を指示する、という逆転の発想を梃子に「他者への想像力」(ケア)へと転回することによって現在における思想と行動の実践的指針となる、というのが著者の主張だと思います。
民主主義を信じ得ない状況に置かれながら、それを信じようとするとき、人々は外へ出て行動することができずに、内にもぐりこむ。その内圧が政治と日常を凝縮させる詩を生む。しかしその詩的状況が消えてしまうと、政治と日常をつなぐ糸は切れ、詩人は日常に帰る。・・・いまはそういう状況なのだという見立てには実感的に腑に落ちるところがあります。
戦火に見舞われることもなく「平和」に見える現在の状況こそ、私たちに外へ出ることを封じ、内へもぐりこむことを強いる「戦時」なのだという指摘は実感的によくわかるのです。
この本の後半に詳述されるSEALDsをめぐる総括や運動論的な議論は、こうした状況認識や、柄谷あるいは鷲田の思想への評価、時代状況への向き合い方に関する著者の原則的な構えと深くかかわり、或いは本書の最も力の入った部分であったかもしれないのですが、今の私には関心が持てず、たどっていくだけの気力、体力が維持できませんでした。
ただ、それ以前の議論の中で、ほかにも言葉の問題については沢山示唆されるところがありました。知識人の言葉と大衆の言葉の対立、乖離は、知識人の思想が日常的な生活者の世界でどうすれば実践的な有効性を持ちうるのか、ということでもあり、言い換えれば外国思想の借り物ではない、日常的な現実の世界に根差した知識人の思想はどうすれば可能かということでもあります。それは象徴的に単純化すれば、外来語、翻訳語に対する日常語、カタカナ言葉や漢語に対するヒラカナ言葉、やまとことばということになります。
この本の中で触れられている柄谷の「漢字から平仮名へ、というのが日本人の転向」だという言葉を踏襲するようにして、阪神淡路大震災を契機とする鷲田の、ヒラカナを多用する「100年遅れの言文一致」を「日常生活へと回帰」していく「転向」とみる視点も、同じ文脈の中でうなづきながら読むことができました。(ただし、この文脈では著者が鷲田を転向者とみているかのようですが、後述の部分で自らそれを否定しています。)
カントが『人間学』でやろうとしていたことを調査や研究ではなく、知識人の普遍的な言葉と大衆の日常的な言葉との対立・乖離を実践的な場でどう揚棄するか、という問題意識は、いまも思想家、批評家、作家といった、言葉によって行動し、言葉によって生きている、実践的な言語活動の場では切実な課題として個々に向き合わざるを得ないのでしょう。
これを揚棄する視点として谷川雁の工作者、オルガナイザーを登場させたのではあるけれど、なお「翻訳」という行為を通して「翻訳可能性」と「翻訳不可能性」を揚棄することは困難なようで、この谷川雁の直面しただろうアポリアを克服するには、言葉を「翻訳」するのではなく、「使う」という実践的な方法しかない、というのが著者の考え方のように見えます。
これに関して著者はテオドール・W・アドルノの引く例、つまり異国でいやでもその国の言葉を喋らざるを得なくなった人を想定すれば、彼は辞書をひかずに、四苦八苦しながら多くのものを読み、そこに見られる言葉を繰り返し読むうちに理解していくだろう、ということに注意を促しています。
「その度ごとにちがった関連のなかで同じ単語を三十ぺんも見かけるなら、羅列されたいろんな意味を辞書で引く場合より、いっそう確実にその語の意味を会得することになる。」
辞書に載っている「翻訳」ではなく、言葉を駆使すること、使うことから始まる、このような行為ないしその結果生まれてくるものを、著者は「エッセイ」と呼んでいます。
そういう意味では書くことの中で、言葉を繰り返し使うことによって、作者の頭の中で生み出されながら、しっかりと日常世界に根付いた、作品の世界で生きる言葉を生み出していく作家というのは、著者のいう意味でのエッセイストなのかもしれません。著者はこれを内部と外部、政治とケアが乖離しない実践的な姿で思い描いているのですが。
それにしても、私たちの考えはいつも次のような著者が引用するヴィトゲンシュタインの言葉が発せられる場所に還って行くような気がします。
116. 哲学者たちが単語を使って ー 「知(Wissen)」、「存在(Sein)」、「対象(Gegenstand)」、「自我(Ich)」、「命題(Satz)」、「名(Name)」などを使って ー ものごとの本質をつかまえようとしているとき、いつもつぎのように自問する必要がある。「その単語は、自分の故郷である言語において、実際にそのように使われているのだろうか?」ー
私たちはこれらの単語を、形而上学的な用法から日常的な用法 [たとえば、「知 [ってい] ること(Wissen)」、「[で] あること(Sein)」、「対象・物(Gegenstand)」、「私(Ich)」、「文(Satz)」、「名前(Name)」など] へと連れ戻すのだ。(ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタイン『哲学探究』丘静也訳 岩波書店2013年 p93)
SEALDs という私などにとってはつい先ごろ若い人たちが頑張ってやってたなぁ、くらいにしか記憶に残っていないけれど、かなりマスコミや雑誌にもとりあげられて評判になった、若い人たちが街頭に出ていった近頃稀な政治的運動に参加した人らしい。
その背景となっている現在の状況に対峙する思想的な立場として、著者は、1990年代を代表する鷲田さんと柄谷行人を一つの対極的なものとして軸の両端に位置づけ(対立するという意味ではない)、さらにこれを時代状況に共通するものが多い1930年代における戸坂潤と和辻哲郎を対極的な位置に置き、柄谷と戸坂を「翻訳(交換)可能」な普遍性、世界性をめざすインターナショナルな志向性を持つもの、鷲田と和辻を、言葉を「ふれる」ことのできる「翻訳(交換)不可能」なものと考え、ナショナルなものに収束する傾向を持つ思想とし、この時間軸と翻訳可能性への態度という直交軸とで構成される4象限のうちに位置づけています。
これは、中身はまるで無関係だけれど、柄谷の『世界史の構造』の交換様式の4象限の図式のごとく面白く読めました。実際、この著者は鷲田さんの孫弟子さんであると同時に、柄谷の思想的なお弟子さんでもあるようで、著者自身の分類図によるところの、「翻訳(交換)可能」な普遍性、世界性をめざすインターナショナル派としての思想的資質を持つことがこうした図式からもよくわかります。
しかし、この著者の新しい、柄谷とも鷲田とも違うところは、この柄谷と鷲田の両者に接点がないのはなぜなのかと自問し、それは本来は一体的なものであるはずの「政治運動」と「ケア」が分裂しているからだ、と自答して、そこに「オルガナイザー(組織者)」の喪失を見いだしている点で、このへんはこの著書の中でもっともスリリングなところでしょう。
実際、柄谷はなんとかいう政治運動体をつくり(すぐ潰れたけれど)、反原発デモにもでかけたりしていたし、鷲田さんは震災の被災地に出かけて哲学対話をする「せんだいメディアテーク」の館長に就任したりしていたようで、私も報道でそういう彼らの動向は仄聞していたので、このへんはとてもよく納得できました。
ここで「オルガナイザー」を体現した思想家≒活動家(革命家)として登場するのが、書名の一部に織り込まれている谷川雁なのでした。
知識人に対しては大衆として、大衆に対しては知識人として同時にその両者に対する批判的態度を貫く谷川雁の「工作者」の概念は1960年代によく知られていましたが、ここで「翻訳可能な」言葉と「翻訳不可能な」<ふれる>言葉との対立を揚棄する、工作者(オルガナイザー)の「加害者の思想」として甦ってきます。これにはハッとさせられるような新鮮さがあって、この本で一番面白かったところです。
オルガナイザーの言葉は、大衆に積極的に「触れて」いこうとするのではあるけれど、鷲田さん流の「ふれる」言葉とは違って、活動家の集団の中で研ぎ澄まされた組織言語として、硬質の刃のように鋭く生活者を襲うような厳しい言葉で、それは「加害者の言葉」だといっていいようなものです。しかし、彼が期待するのは生活者がそれを彼ら自身の豊かに分化した日常語に置き換え、みずから「翻訳」することなのだと著者は考えているようです。
どうすればそんなことが可能なのか、この本を読んでもすぐにそこに直接な答えが書いてあるわけではありません。しかし、鷲田さんが大震災後に書いた『「聴く」ことの力』の引用に、そのヒントがあるようです。
晩年のフッサールはひとりの弟子に、悲しげにこうもらした。幼年の頃、ナイフをもらったが、切れ味がよくないので何度も研いだ。すると、ナイフはなにも切れないほどすり減ってしまった、と。それを踏まえて、鷲田は言う。
対象にナイフの切れ味を押しつけるのではなく、対象がナイフの研ぎ方を指示してくるその声を聴くべきなのだ。(本書p38-39 鷲田の引用は『「聴く」ことの力』のp36)
そういう言葉は谷川雁の工作者(=加害者)の言葉ではなく、鷲田さんの<ふれる>言葉のようにも思えますが、ここでは鷲田さん流の言葉ではなく、普遍性、翻訳(交換)可能性を失わない加害者の言葉だと考えればいいでしょう。ただし、鷲田さんのいう<ふれる>言葉も決して優しいばかりではなく、<ふれる>ことでひとを支えもするけれど、傷つけもする言葉なのです。
生活者自身の日常語が工作者の言葉自体を、その普遍性、「翻訳(交換)」可能性を失わずに、生活者の言葉に「翻訳(交換)」される仕方というものを、このエピソードの場面は実に鮮やかに教えてくれているのではないでしょうか。
先ごろ私が読んだカントの『人間学』で、カントがやろうとしていたのは、認識の根拠を超越論的な領域に求めるような作業ではなく、人々の日常的な言葉自体のうちに見いだそうとする考え方であり、いわば歴史的なアプリオリに関する探究だったと思います。
例えば、英語でいえばfoolにあたる言葉も、日常語では「馬鹿」「阿呆」「頓馬」「間抜け」・・・と様々に分化していて、これはみな「fool」に集約され、翻訳されると考えるのが「翻訳可能」な言語観です。けれども、わたしたちは誰でも日常的な場面でこれらの言葉が明確に、どれほど微妙なニュアンスの違いでもって使い分けられるかを知っています。カントはこうした日常語を調べ、それが全体としてどのような世界を形作っていて、その中で一つ一つの日常語がどのような位置づけを与えられているのかを探究しようとしていたのです。
谷川雁が工作者の役割として語っていたのは、工作者が「fool」と言えば、大衆が直ちにこれを自らの「馬鹿」「阿呆」「頓馬」「間抜け」・・・等々といった日常語に時と場合に応じて受け止め、反撥したり、やり過ごしたり、受け入れたり、みずからのとるべき態度を判断するといった場面で思い描くことができるようなものだったでしょう。しかし、彼の試みは必ずしもうまくいきません。
「けれども彼の方へつき刺さってくる言葉、人々を統一し指導しようとして繁殖した組織語ともいうべき知識の言葉に対して、彼のいわば生活語はそれに対応するだけの分化をしていない。」(谷川雁『原点が存在する』p45からの小峰の引用)
しかし、いまやこのアポリアを克服しうるときが来たというのが本書の指し示すところでしょう。
戸坂vs和辻から柄谷vs鷲田まで連綿と続く、「翻訳可能」な言葉と「翻訳不可能」な言葉、インターナショナルな思想とナショナルな、あるいな日常的な思想との分離断絶を揚棄すべき谷川雁の「加害者の思想」は、上に引いたフッサールの語った擦り切れたナイフを引用して鷲田が語った、対象がナイフの研ぎ方を指示する、という逆転の発想を梃子に「他者への想像力」(ケア)へと転回することによって現在における思想と行動の実践的指針となる、というのが著者の主張だと思います。
民主主義を信じ得ない状況に置かれながら、それを信じようとするとき、人々は外へ出て行動することができずに、内にもぐりこむ。その内圧が政治と日常を凝縮させる詩を生む。しかしその詩的状況が消えてしまうと、政治と日常をつなぐ糸は切れ、詩人は日常に帰る。・・・いまはそういう状況なのだという見立てには実感的に腑に落ちるところがあります。
戦火に見舞われることもなく「平和」に見える現在の状況こそ、私たちに外へ出ることを封じ、内へもぐりこむことを強いる「戦時」なのだという指摘は実感的によくわかるのです。
この本の後半に詳述されるSEALDsをめぐる総括や運動論的な議論は、こうした状況認識や、柄谷あるいは鷲田の思想への評価、時代状況への向き合い方に関する著者の原則的な構えと深くかかわり、或いは本書の最も力の入った部分であったかもしれないのですが、今の私には関心が持てず、たどっていくだけの気力、体力が維持できませんでした。
ただ、それ以前の議論の中で、ほかにも言葉の問題については沢山示唆されるところがありました。知識人の言葉と大衆の言葉の対立、乖離は、知識人の思想が日常的な生活者の世界でどうすれば実践的な有効性を持ちうるのか、ということでもあり、言い換えれば外国思想の借り物ではない、日常的な現実の世界に根差した知識人の思想はどうすれば可能かということでもあります。それは象徴的に単純化すれば、外来語、翻訳語に対する日常語、カタカナ言葉や漢語に対するヒラカナ言葉、やまとことばということになります。
この本の中で触れられている柄谷の「漢字から平仮名へ、というのが日本人の転向」だという言葉を踏襲するようにして、阪神淡路大震災を契機とする鷲田の、ヒラカナを多用する「100年遅れの言文一致」を「日常生活へと回帰」していく「転向」とみる視点も、同じ文脈の中でうなづきながら読むことができました。(ただし、この文脈では著者が鷲田を転向者とみているかのようですが、後述の部分で自らそれを否定しています。)
カントが『人間学』でやろうとしていたことを調査や研究ではなく、知識人の普遍的な言葉と大衆の日常的な言葉との対立・乖離を実践的な場でどう揚棄するか、という問題意識は、いまも思想家、批評家、作家といった、言葉によって行動し、言葉によって生きている、実践的な言語活動の場では切実な課題として個々に向き合わざるを得ないのでしょう。
これを揚棄する視点として谷川雁の工作者、オルガナイザーを登場させたのではあるけれど、なお「翻訳」という行為を通して「翻訳可能性」と「翻訳不可能性」を揚棄することは困難なようで、この谷川雁の直面しただろうアポリアを克服するには、言葉を「翻訳」するのではなく、「使う」という実践的な方法しかない、というのが著者の考え方のように見えます。
これに関して著者はテオドール・W・アドルノの引く例、つまり異国でいやでもその国の言葉を喋らざるを得なくなった人を想定すれば、彼は辞書をひかずに、四苦八苦しながら多くのものを読み、そこに見られる言葉を繰り返し読むうちに理解していくだろう、ということに注意を促しています。
「その度ごとにちがった関連のなかで同じ単語を三十ぺんも見かけるなら、羅列されたいろんな意味を辞書で引く場合より、いっそう確実にその語の意味を会得することになる。」
辞書に載っている「翻訳」ではなく、言葉を駆使すること、使うことから始まる、このような行為ないしその結果生まれてくるものを、著者は「エッセイ」と呼んでいます。
そういう意味では書くことの中で、言葉を繰り返し使うことによって、作者の頭の中で生み出されながら、しっかりと日常世界に根付いた、作品の世界で生きる言葉を生み出していく作家というのは、著者のいう意味でのエッセイストなのかもしれません。著者はこれを内部と外部、政治とケアが乖離しない実践的な姿で思い描いているのですが。
それにしても、私たちの考えはいつも次のような著者が引用するヴィトゲンシュタインの言葉が発せられる場所に還って行くような気がします。
116. 哲学者たちが単語を使って ー 「知(Wissen)」、「存在(Sein)」、「対象(Gegenstand)」、「自我(Ich)」、「命題(Satz)」、「名(Name)」などを使って ー ものごとの本質をつかまえようとしているとき、いつもつぎのように自問する必要がある。「その単語は、自分の故郷である言語において、実際にそのように使われているのだろうか?」ー
私たちはこれらの単語を、形而上学的な用法から日常的な用法 [たとえば、「知 [ってい] ること(Wissen)」、「[で] あること(Sein)」、「対象・物(Gegenstand)」、「私(Ich)」、「文(Satz)」、「名前(Name)」など] へと連れ戻すのだ。(ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタイン『哲学探究』丘静也訳 岩波書店2013年 p93)
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