2022年09月
2022年09月30日
栗の渋皮煮
いただいた内子町の栗で作った、栗の渋皮煮。栗の皮むきから、細い火でゆるゆると煮て栗を壊さないようにしながらアク抜きすること4,5日、前後およそ1週間かけて、栗の渋皮煮なる菓子ができあがって、きょう栗をいただいたお友達に届けていました。そんなに手間のかかるもののように見えないけれど(笑)和菓子というのはおおむねそうしたものなのでしょう。甘く柔らかくほろッと口の中で崩れて栗の味が甘みとともに美味しい、マロングラッセのようにしつこい甘味のないシンプルな菓子に仕上がっています。
きょうはとてもよい天気で、午後、もう3時だよ、と言われて自転車行に出たけれど、野菜はもう十分買い込んであるし、新しいものもなかったのでスルー。もちろんもう鹿さんもいないし、小説の会話など考えながら走っていたら、きょうの比叡を撮るのも忘れて、そのまま帰宅してしまいました。
どうもこのところ指先を挟んで測る血中酸素濃度が以前より一つ二つ低い、94-95という値を示すことが多くて、肺から身体全体に供給される酸素量が少ないんじゃないか(笑)という気がして、そのせいか体がだるくて頭がぼんやりしたままで、机の前に座っても何かしようという意欲が湧かなくて変だなと思うことが多い。自転車で数十メートル先のゴミ回収場へ対して重くも大きくもないゴミを籠に入れて運んだだけでふうふう息切れしているのも同じ原因かもしれません。
こりゃ、そろそろヤバイかな、とも思いますが、ただ家の中を歩いたり、じっとして本でも読んでいればまあどうってこともないし、じっとしていて息苦しいわけでもないので、まぁいっか・・・と思っても思わなくてもどうすることができるわけでもないので、そうやって毎日あまり無理をしないように過ごしています。
きょうは原稿をほんの数行書いて、古今集の七夕の歌を二首ばかり読んだだけでした。何もする気になれないときは古今集を読むのが一番ほっとしますが、いまう読んでいる七夕の歌はあんまりわざとらしくって面白くない。技巧的ななかにも生の感情が垣間見えるようなのが好きなので、早くそういう歌にたどりつきたいのですが、いかんせん、スローテンポでしか進みません。まあ進むことが目的ではないので、ゆっくり楽しめばいいのですが。
きょうの夕餉
鯵のひらき
鶏と里芋、モロッコインゲンの煮物。里芋が美味しくなってきました。
キュウリ、ミョウガ、新ショウガの酢のもの。
トウガンのスープ煮
キュウリと新ショウガの入子味噌添え
大根の葉のナムル
茄子と万願寺唐辛子の煮物
黒豆五目納豆
ぬか漬けとサラダ。夏に気温が高すぎて味噌がダメになって、ちっとも醗酵が進まなくなっていた糠味噌、ようやく回復して、よく漬かるようになり、味もだいぶもとに戻ってきました。
このごろ朝夕の気温差が激しく、昼間暑いので、アーちゃんの部屋のエアコンを切って、夜になってつい付け忘れていると、朝部屋へ入るとスーッとうすら寒くて、アーちゃん(いんこ)がいつになくオトナシイことがあります。
今朝も階下のカーテンをあけるといつも、早く来い来いと大騒ぎするのに、全然音沙汰内し、部屋へ入ってもいつものようにバタバタ羽搏いて迎えることもなく、えらくおとなしく枝木をちょんちょんとこちらへ近づいて、差し入れた指先に嘴をくっつけて、ひどく優しい声で鳴いているので、かえって心配になりました。
それで暖房を入れて部屋をあったかくしたら、しばらくするといつものように、ちょっと私の気配が分かる音をたてると、何度も呼ぶ鳴き声をたてては、ばたばた騒いでいたので、安心しました。やっぱり温度にはかなり敏感なようです。
以上でした。
saysei at 21:03|Permalink│Comments(0)│
2022年09月29日
今日の芙蓉、上賀茂めぐり、書店
今日は芙蓉がよく咲いています。少し曇り空がいいのか・・・
2階のアーちゃん(いんこ)のいる部屋の窓から。
きょうも上賀茂めぐりで、戸田農園さんのバンが野菜を補充しておられるところに行きあわせました。10月に、と言っておられたトマトのことを訊くと、うまく成長しなかったとのことで、残念ながら次は年明けになるそうです。朝のサンドに挟むトマトは、しばらく北海道産とか市販のあまり美味しそうじゃないトマトになりそうです。
きょうは美味しそうな細めのキュウリと茄子を補充されたところだったので、それとニンニクをゲットしてきました。昨日はトウガンや大根の抜き菜をここで、ネギやトウガラシをほかで買ってきました。
もっと早くこの販売コーナーを知っていたら、と思ったと話したら、いやうちも1年半ほど前からです、と言っておられたので、長く京都に住んでいても知らなかったのは当然でした。
きょうは大垣書店で池田浩士さんの『ボランティアとファシズム』という本を、少々懐の痛む値段でしたが、エイヤっと衝動買いしました。前から気になるタイトルだったし、だんだん世の中がまたファシズムの時代に戻って行くというのか、新しい形のファシズムを模索し始め、近づき始めているようは予感がして仕方がないので、いまのうちに過去から学べることは学んでおきたいと思って・・・なんちゃって、もう私は世の中がどうなろうと、その世の中に生きてはいない人間なのは分かっているので、そんな殊勝な気持ちからなんてのはウソウソ。単なる知的好奇心ってやつです。
池田さんには、失業時代に大学の裏手にあったもっきり亭という酒場でお目にかかったことがあって、もちろん向こうは私のことなど知る由もなかったのですが、カウンターの中の店の主人が私の学生時代の友人で、池田さんに私のことを紹介して、何か(翻訳とか)仕事でもあれば、みたいなことを言ってくれたのです。もちろん、それはこいつはぼくの学生時代の友人ですねん、という軽い挨拶がわりに一人で飲んでいる池田さんに声をかけてくれたというだけのことで、突然そんな機会があるわけもなく、こちらにもその用意があったわけではなく、池田さんは、あ、そうですか、とこちらを見て柔らかな了解の表情をしてみせた、ただそれだけの出会いでした。
しかし、私の方は彼がドイツ文学者だけれどマルクス主義者らしく当時よく読まれたルカーチを論じたり、ファシズム研究でよく知られた人だという程度のことは知っていたし、たしかカフカ論などいくつかを読んだ覚えがありました。その印象から、もう少し年輩の顎の張った硬い感じの印象の人ではないかと想像していたので、眼の前にいるのが予想よりずっと若くみえる、細面のヤサオトコと言っていい女性的な柔和な印象を与える人(もちろん男性)だったので、意外な気がしたことを覚えています。
彼に遇ったのは後にも先にもそのときだけで、ほんとうはこういう人をこそ「スナップショット」のほうに書くべきだったかも、と思うような、縁もゆかりもない方なのですが、近頃の世の中の動向を見ていて、ふと彼の著作のことを想い出して読みたくなったのです。これは近年出された本のようですが、彼は半世紀ほど前から今起こりつつあるような事態について歴史的な経験を検証しつづけて、警鐘を鳴らしてきたのだろうと思ったのです。
阪神淡路大震災や東北大震災の直後から、私の周囲にも、現地にはいってボランティアを続けているような人が出てくるようなことがあり、先般の東京オリンピックも今回の国葬と同様に国民の意見が分かれる中、強行され、再び沸き起こったボランティアの動向が、選手たちのパフォーマンスとともに、金や利権まみれの興行を美しく彩る結果になったこともあわせて、かねてから違和感を覚えずにはいられなかったボランティア熱について、歴史的な経験を読み解いてくれる期待があって手にとった次第。
きょうの夕餉
子持ちカレイの煮つけ
茄子と万願寺唐辛子のジャコ炒め煮
豚肉のネギ巻焼き
大根の抜き菜、アゲ、チクワ、シメジの薄味煮
ブロッコリのタルタルソースチーズグラタン
オニオンスライス冷奴
モズクきゅうり酢
野菜サラダ
ぬか漬けと紫蘇の実の佃煮
以上でした。
saysei at 13:48|Permalink│Comments(0)│
栗のあく抜き
四国の内子町が郷里のお友達からいただいた栗。パートナーがきょうも、あく抜きのために深い鍋に入れて、とろ火にかけています。強い火でぐつぐつ煮ると栗の実が壊れてしまって、お友達にも差し上げるマロングラッセみたいな、栗の形を残したままの、美味しい栗菓子をつくることができなくなってしまうからです。もう4日目です。
栗の実はそれほどアクが強いようです。そういえば栃餅をつくるとき何が大変といって、栃の実のあく抜きが大変だと聞いたことがあります。林へ行って栃の実をたくさん拾ってくるのはいいけれど、その皮を剥いて、そのあとアクとりをするのに大変な時間がかかるんだそうです。
縄文時代の日本人の主食はドングリだったというのを実証実験をやって主張している国立民族学博物館の研究者の本を読んだことがありますが、そこでも調理の最大の問題はアクぬきだったようです。でもきっと1万年くらい前から日本人はそんな木の実を食べようとして一所懸命アク抜きの労をとってきたのでしょうね。
saysei at 10:44|Permalink│Comments(0)│
2022年09月28日
ロシアの悲惨
ロシアは侵略して奪ったウクライナの領土で、残っているロシア派の住民の住民投票を演出して、ロシアへの帰属を正当化する演出をやっているようです。この方式で正当化していくなら、どこへ侵略しても、敵対する民衆を殺したり囚人としてシベリアかどこかへ連れ去ったりして、ロシア支持派の住民だけ残し、住民投票を演出してロシア領土への編入を正当化できるでしょう。実際、プーチンは今後もそういうやり方でロシア(ソ連)崩壊以前のロシア領を取り戻そうという大ロシア妄想にとりつかれているようです。
プーチンがせっぱつまって核兵器を使用しようがすまいが、もうプーチンの行く末はほぼ見えていて、彼は彼の運命をたどるしかないでしょう。しかし問題はそのあとのロシアです。プーチンが権力を長く維持するほど、ウクライナではなくて、ロシア国内の荒廃は急激に進むでしょう。建物が破壊されず、国民の大多数がこれまでどおり生きているとしても、経済的、社会的、文化的な著しい頽廃、荒廃がいたるところで起きて、ロシア社会全体を根幹から蝕むことは疑いのないところです。
そうすると、プーチンを引きずり下ろしてロシアを導く役割を担った指導者(たち)が、運よくまっとうな連中だったとしても、そんな頽落の底に沈んだ社会を再び浮上させるのは至難の業でしょう。自分たちが侵略して破壊したウクライナにロシアは自分たちよりも優先的に再建の元手を差し出さなくてはならないでしょうし、その上で自分たち自身の救いがたい荒廃と頽廃の泥沼から起き上がらなくてはならないのです。
それは下手をすると第一次大戦後のドイツ社会のような状況に陥るのではないかと思います。国民の荒廃、頽廃が極まるとき、その危機に現れるのはナチスのようなファシズムの煽動者たちにちがいありません。傷口が大きければ大きいほど、危機が深ければ深いほど、国民全体で一致団結して克服しようとする超越的なエネルギーの結集を求める声が心に響くからこそ、ファシストたちがその共感を栄養にしてたちまち巨大化していくというわけです。
まだプーチンが他国を侵略している最中にプーチン後を語るのは早すぎるかもしれないけれど、いま悲惨な目にあっているウクライナ国民には申し訳ないけれど、プーチン後のロシア国民の悲惨はおそらくそれよりもはるかに深く長い年月にわたる悲惨となるだろうという気がします。
今日は終日の曇りでした。夕暮れの比叡(高野橋より)。
きょうは府立図書館へ借りた本を帰して、新たに、プラトンの「パルメニデス」と坂部恵さんの「かたり」というちょっと面白そうな文庫本、それに鷲田さんの「顔の現象学」を借りてきました。先般読んだ『平成転向論』の鷲田さんについての記述が面白かったので、昨日は手元にあってまだ読んでなかった彼の『思考のエシックス』を読んでいて、あわせて後期の(だろうと思いますが)具体的な問題を扱ったものも読んでみたくなったからです。
『思考のエシックス』はもともとの彼のアカデミックな専門分野である哲学的な問題をたぶん同僚にあたる哲学者どもを読者として思い浮かべながら書いた論文を集めたものなので、より普遍的な問題が扱われていて、語彙も哲学ジャーゴンにのっとっていて、半世紀こういう文体を避けてきた今の私にはとっても読みづらい、悪文の見本みたいなもので、すぐ投げ出さなかったのは、ま鷲田さんを読むのもこれが最後だろうし、仕方ないか、と少しの間つきあうことにしようかと思ったからで、きのう、きょう付き合ったからと言って、明日もつきあいたいと思うかどうかはわかりません(笑)。
高野橋の反対側の夕空。日が沈むのが早くなり、ちょっとのつもりで書店を覗いて外に出ると真っ暗で、心配したパートナーから携帯に珍しく電話が入って、あわてて帰りました。
きょうの夕餉
鯵のフライ、茄子と万願寺唐辛子とホジソ(紫蘇の実)のフライ。タルタルソースまたはふつうのソース。
鶏の手羽元と根菜(タマネギ、ダイコン、ニンジン、ジャガイモ)のスープ。すばらしく美味しかった。
ブロッコリ
オクラ豆腐
モズクきゅうり
小鮎の佃煮
紫蘇の実の佃煮。この紫蘇はわが家の庭に自生していまや大きく育ってたくさん実をつけている枝を折って来て、1時間ほどかかってパートナーが枝をしごいて、実だけを取り出して煮込んでつくだににしたものです。すごい量の枝だったけれど、佃煮に出来た量は、両手に載るビニール袋いっぱいだけとのこと。でも、あつあつごはんにたっぷり載せて食べるとすごく美味しい。山椒のように辛みはなく、優しい味です。こうして、ごくわずかずつでも、わが家の庭で自然にとれるものがあって、食卓に載せられるのは、なんとも嬉しく、幸せな気がします。
サラダ。
以上でした。
プーチンがせっぱつまって核兵器を使用しようがすまいが、もうプーチンの行く末はほぼ見えていて、彼は彼の運命をたどるしかないでしょう。しかし問題はそのあとのロシアです。プーチンが権力を長く維持するほど、ウクライナではなくて、ロシア国内の荒廃は急激に進むでしょう。建物が破壊されず、国民の大多数がこれまでどおり生きているとしても、経済的、社会的、文化的な著しい頽廃、荒廃がいたるところで起きて、ロシア社会全体を根幹から蝕むことは疑いのないところです。
そうすると、プーチンを引きずり下ろしてロシアを導く役割を担った指導者(たち)が、運よくまっとうな連中だったとしても、そんな頽落の底に沈んだ社会を再び浮上させるのは至難の業でしょう。自分たちが侵略して破壊したウクライナにロシアは自分たちよりも優先的に再建の元手を差し出さなくてはならないでしょうし、その上で自分たち自身の救いがたい荒廃と頽廃の泥沼から起き上がらなくてはならないのです。
それは下手をすると第一次大戦後のドイツ社会のような状況に陥るのではないかと思います。国民の荒廃、頽廃が極まるとき、その危機に現れるのはナチスのようなファシズムの煽動者たちにちがいありません。傷口が大きければ大きいほど、危機が深ければ深いほど、国民全体で一致団結して克服しようとする超越的なエネルギーの結集を求める声が心に響くからこそ、ファシストたちがその共感を栄養にしてたちまち巨大化していくというわけです。
まだプーチンが他国を侵略している最中にプーチン後を語るのは早すぎるかもしれないけれど、いま悲惨な目にあっているウクライナ国民には申し訳ないけれど、プーチン後のロシア国民の悲惨はおそらくそれよりもはるかに深く長い年月にわたる悲惨となるだろうという気がします。
今日は終日の曇りでした。夕暮れの比叡(高野橋より)。
きょうは府立図書館へ借りた本を帰して、新たに、プラトンの「パルメニデス」と坂部恵さんの「かたり」というちょっと面白そうな文庫本、それに鷲田さんの「顔の現象学」を借りてきました。先般読んだ『平成転向論』の鷲田さんについての記述が面白かったので、昨日は手元にあってまだ読んでなかった彼の『思考のエシックス』を読んでいて、あわせて後期の(だろうと思いますが)具体的な問題を扱ったものも読んでみたくなったからです。
『思考のエシックス』はもともとの彼のアカデミックな専門分野である哲学的な問題をたぶん同僚にあたる哲学者どもを読者として思い浮かべながら書いた論文を集めたものなので、より普遍的な問題が扱われていて、語彙も哲学ジャーゴンにのっとっていて、半世紀こういう文体を避けてきた今の私にはとっても読みづらい、悪文の見本みたいなもので、すぐ投げ出さなかったのは、ま鷲田さんを読むのもこれが最後だろうし、仕方ないか、と少しの間つきあうことにしようかと思ったからで、きのう、きょう付き合ったからと言って、明日もつきあいたいと思うかどうかはわかりません(笑)。
高野橋の反対側の夕空。日が沈むのが早くなり、ちょっとのつもりで書店を覗いて外に出ると真っ暗で、心配したパートナーから携帯に珍しく電話が入って、あわてて帰りました。
きょうの夕餉
鯵のフライ、茄子と万願寺唐辛子とホジソ(紫蘇の実)のフライ。タルタルソースまたはふつうのソース。
鶏の手羽元と根菜(タマネギ、ダイコン、ニンジン、ジャガイモ)のスープ。すばらしく美味しかった。
ブロッコリ
オクラ豆腐
モズクきゅうり
小鮎の佃煮
紫蘇の実の佃煮。この紫蘇はわが家の庭に自生していまや大きく育ってたくさん実をつけている枝を折って来て、1時間ほどかかってパートナーが枝をしごいて、実だけを取り出して煮込んでつくだににしたものです。すごい量の枝だったけれど、佃煮に出来た量は、両手に載るビニール袋いっぱいだけとのこと。でも、あつあつごはんにたっぷり載せて食べるとすごく美味しい。山椒のように辛みはなく、優しい味です。こうして、ごくわずかずつでも、わが家の庭で自然にとれるものがあって、食卓に載せられるのは、なんとも嬉しく、幸せな気がします。
サラダ。
以上でした。
saysei at 21:27|Permalink│Comments(0)│
時平のこと
先日、殿上人がどれくらいいたのか、人数を調べるために逸文を参照した、宇多天皇が譲位するにあたって、息子の敦仁親王(醍醐天皇)に与えた訓誡書「寛平御遺誡」はなかなか面白い文書で、左右大臣の人物評が載っています。
右大臣菅原道真は宇多天皇自身が異例の抜擢をして、藤原北家一色になりそうな政権内部で天皇の自立性を保つために大黒柱と頼みにした大秀才ですから、東宮を立てる際も譲位する際も彼一人に明かして相談したのだ、ということまで述べて、この直言居士の忠臣は新しい帝にとっても功臣であろうから大切に思え、というようなことを述べています。
他方、左大臣藤原時平については、こんな具合です。
左大将藤原朝臣は、功臣の後なり。その年少(わか)しといへども、すでに政理(まつりごと)に熟(くは)し。先の年、女のことにして失(あやま)てるところあり。朕早(つと)に忘却して、心を置かず。朕去(い)ぬる春より激励(はげまし)を加へて、公事(くじ)を勤めしめつ。まあすでに第一の臣たり。能く顧問に備へて、その輔道(ほだう)に従へ。新君慎め。(「寛平御遺誡」岩波書店日本思想大系『古代政治社會思想』所収)
「女のことにして失てるところあり」というのが、『古今集』(本朝巻22第8)にみえる「時平の大臣、國經の大納言の妻を取りし語」という話らしいのです。これがなかなか傑作です。
前段に書かれているのは、関白基経の息子で右大臣時平が歳三十ばかりで。容姿端麗みめ麗しいオトコマエだということが述べられ、彼が決まり事を破った装束を格別に派手に着こなし内裏へ上がったのをみた醍醐天皇が小蔀の間から見て気分が悪くなって、直ちに時平を退出させるように命じられた。決まり事というのは、どうやら華美な服装などひかえて、倹約にこれつとめよ、というようなことで、世間ではこれを厳しく順守させているのに、第一の大臣がこう華美な服装を着てくるのはけしからぬ、ということらしい。
これを伝えられた時平は驚いてすぐに退出し、屋敷に引きこもってしまった。人が来ても、天皇のお怒りに触れた罪は重いと言って会いもしないで一月ほども引きこもっていた。後になって内裏に召されて参上したということだ。
・・・という話が前段にあるのですが、この話にはオチがあって、早くに天皇と時平で申し合わせて、ほかの者たちをよく誡めようとして、一芝居うったのだ、ということだった、と。
時平というと関白基経の子で、次代の藤原北家の代表選手として左大臣にのぼりつめ、やがて讒言をもって道真を太宰府へ追いやり、権力を独占するに至る人物として、後世、天神という神様にまでなった道真とは対照的な悪役として評判が悪いけれど、こういうエピソードをみると、ほんとかどうかはともかく、天皇とはからって華美な服装をまとって参内し、天皇の勘気に触れて一月も蟄居して、ほかの殿上人らの華美に流れるのを戒めるのに一役買うなんて、なかなか茶目っ気のある男じゃないか、という気がします。
天皇にやらんか、と言われて、いいですよ、とこういう役割を引き受けるというのもなかなかいいし、ひょっとしたら、時平のほうからもちかけた話かもしれません。
ましてや、後段の本来の「國經の大納言の妻を取りし語」を読むと、時平というのは、たしかに常識やぶりのことをケロリとしてやってのけるプレイボーイだったかもしれないけれど、なかなか太っ腹の、茶目っ気のある魅力的な人物だったように思われます。
國經の大納言というのは、どうやら時平の伯父にあたる、歳はもう80歳にもなりますが、その妻はなんと20歳そこそこの「形端正にして、色目めきたる人」で、要するに容姿端麗で色っぽい女だったようです。それでこの女性は「老いたる人に具したるを頗る心ゆかぬ事にぞ思ひたりける」と。
時平のほうも、伯父の大納言の北の方が美しく麗しい女性だと聞いて、一度見たいものだと思っていたのですが、チャンスがなくて日を過ごしていました。
ここに狂言回しの平中と言われる好き者が登場します。彼は色好みで、人の妻、娘、宮仕えの女などで美しいときけば必ず見にいくので、見ていない者が少ないほどでした。この男が時平のところに常日頃から出入りしていましたが、あるとき時平が伯父の北の方のことを想いつつ平中に、近頃見た女でこれはすばらしいと思う女子が誰かあるか、と訊ねます。
すると平中は、(大臣の伯父に当たる方の北の方のことを言うので)大臣の前でこういうのは恐縮ですが、「藤大納言の北の方こそ実に世に似ずめでたき女はおはすれ」と答えたのです。時平は、それはどうやって見たのか、と訊ねます。
平中が言うには、「そのお屋敷に居る人を知っているのですが、その者が申しますには、その方が年老いた人に添ったことをひどくみじめなことと思っていらっしゃるとのこと。そこで無理に計画し、人を中に立ててその方の消息を言わせましたところ、にくからず思っていると聞きましたので、不意に偲んで見て参ったのです。しかしゆっくりと見ることもできませんでした。」と。
時平は「いと悪しきわざをもせられけるかな。」とぞなむ笑ひ給ひける。つまり、そりゃひどい悪さをなさったものだなぁ、と笑ったというのですね。
これを聴いて、時平はおれもひとつやってみよう、と今までご無沙汰だった大納言のところへ足を向けるようになります。大納言のほうは、甥とはいえ、自分よりずっと身分の高い時平の訪れを恐縮しながら喜んでいます。時平のほうは大納言の妻がお目当てなので、それを知らずに喜んでいる大納言のことを滑稽に思う、ちょっと意地悪な気持ちが生じています。
正月に大納言のところへなど行ったことがないのに、正月の三日、時平はしかるべき上達部、殿上人を引き連れて大納言の家に行きます。大納言は大喜びで酒や食事を振る舞って歓待し、夜が更けるまで歌を詠み合ったりして遊びます。
その様子を御簾の影から大納言の妻が見ていて、時平の容姿の美しさ、声や雰囲気、着物にたきこめた香の薫りをはじめ、すべてこの世のものとも思われず、素晴らしいのを目の当たりにするほどに、こうして老人に連れ添って閉じ込められている我が身の宿世がなさけなく思われる。いったいどんな人がこんな素敵な人により添っているのだろうか。私は年老いて古臭い人に添う身で、平生からなにかにつけてイラつくことが多いが、この大臣の姿を拝見すると、ますますこの心の置きどころがなく、わびしく思える。
他方の時平の方も、実はこの簾の影に彼女がいることは先刻承知で、しばしば流し目をよこすので、北の方は御簾のうちにあっても気恥ずかしいことこの上ない。
夜も更けて、みな帰ろうと、車を呼び、車寄せに車を寄せる。しかし時平は、酔っぱらってしまったから、少し酔いがさめるまでここで待とうと、動かない。
そして、時平が言うには、大納言の家に目下として敬意を払うためにこうしてやって来たのだからと、引き出物として筝を取りだし、またすぐれた馬を二頭引かせてきたのを大納言に贈るという。
大納言はひどく喜ぶも、そんな贈り物をもらってこちらは何の用意もなく、身の置き所がない思いだが、さきほどから時平が、妻の控えている御簾のほうをちらちらと常に見ているのを知っていた大納言は、「かかる者持ちたりけりと見せ奉らむと思ひて、酔ひ狂(たぶ)れたる心に」、つまり私もここにこういう者を持っているのでひとつご披露しましょう、と酔いに任せてつい、「私はこの妻をすばらしいと思っていますが、すばらしい大臣でいらっしゃっても、これだけのものはお持ちになれないでしょう。この老人のもとにはこのような者がおるのですよ。これを引出物として差し上げましょう。」と言って、屏風を押したたんで、御簾から手を差し入れて北の方の袖を取って引き寄せ、「ここに居ます」と言い放ったのです。
時平は「実に参った甲斐があって、今こそ嬉しうござるよ」と言い、その引出物に時平が近寄ってきたので、大納言はその場を立ち退いた。そうして、他の上達部、殿上人らも声をかけさせて立ち退かせてしまった。
時平は、「ひどく酔った。さあ車を寄せよ。ちと苦しい」と言って、車が庭に引き入れられると、大納言が寄ってきて車の御簾をもたげると、時平はその北の方をかき抱いて、車の中へ押し込み、つづいて自分が乗り込むと、すぐに車を出させて屋敷へ帰って行った。大納言はなすすべもなく「やや、ばぁさんや、わたしをどうか忘れないでおくれ」と言うばかりだった。
ざっとそんなところで、企んだ時平も自分の権力をかさにまんまと目下の伯父の美しく若い妻を横ごりしてしまうのだから、ひどいやつですが、これは酔いにまかせて、こともあろうに自分の妻を引出物にと口走った大納言のほうもいけませんね。時平はあまり自分の評判など気にしないで、こういうことをやってしまう豪胆なところがあって、たしかにプレイボーイだったのでしょうが、憎めないところがあります。女性の方も夫が超高齢者ではうんざりしていたので、さらわれて喜んでいたでしょう。
右大臣菅原道真は宇多天皇自身が異例の抜擢をして、藤原北家一色になりそうな政権内部で天皇の自立性を保つために大黒柱と頼みにした大秀才ですから、東宮を立てる際も譲位する際も彼一人に明かして相談したのだ、ということまで述べて、この直言居士の忠臣は新しい帝にとっても功臣であろうから大切に思え、というようなことを述べています。
他方、左大臣藤原時平については、こんな具合です。
左大将藤原朝臣は、功臣の後なり。その年少(わか)しといへども、すでに政理(まつりごと)に熟(くは)し。先の年、女のことにして失(あやま)てるところあり。朕早(つと)に忘却して、心を置かず。朕去(い)ぬる春より激励(はげまし)を加へて、公事(くじ)を勤めしめつ。まあすでに第一の臣たり。能く顧問に備へて、その輔道(ほだう)に従へ。新君慎め。(「寛平御遺誡」岩波書店日本思想大系『古代政治社會思想』所収)
「女のことにして失てるところあり」というのが、『古今集』(本朝巻22第8)にみえる「時平の大臣、國經の大納言の妻を取りし語」という話らしいのです。これがなかなか傑作です。
前段に書かれているのは、関白基経の息子で右大臣時平が歳三十ばかりで。容姿端麗みめ麗しいオトコマエだということが述べられ、彼が決まり事を破った装束を格別に派手に着こなし内裏へ上がったのをみた醍醐天皇が小蔀の間から見て気分が悪くなって、直ちに時平を退出させるように命じられた。決まり事というのは、どうやら華美な服装などひかえて、倹約にこれつとめよ、というようなことで、世間ではこれを厳しく順守させているのに、第一の大臣がこう華美な服装を着てくるのはけしからぬ、ということらしい。
これを伝えられた時平は驚いてすぐに退出し、屋敷に引きこもってしまった。人が来ても、天皇のお怒りに触れた罪は重いと言って会いもしないで一月ほども引きこもっていた。後になって内裏に召されて参上したということだ。
・・・という話が前段にあるのですが、この話にはオチがあって、早くに天皇と時平で申し合わせて、ほかの者たちをよく誡めようとして、一芝居うったのだ、ということだった、と。
時平というと関白基経の子で、次代の藤原北家の代表選手として左大臣にのぼりつめ、やがて讒言をもって道真を太宰府へ追いやり、権力を独占するに至る人物として、後世、天神という神様にまでなった道真とは対照的な悪役として評判が悪いけれど、こういうエピソードをみると、ほんとかどうかはともかく、天皇とはからって華美な服装をまとって参内し、天皇の勘気に触れて一月も蟄居して、ほかの殿上人らの華美に流れるのを戒めるのに一役買うなんて、なかなか茶目っ気のある男じゃないか、という気がします。
天皇にやらんか、と言われて、いいですよ、とこういう役割を引き受けるというのもなかなかいいし、ひょっとしたら、時平のほうからもちかけた話かもしれません。
ましてや、後段の本来の「國經の大納言の妻を取りし語」を読むと、時平というのは、たしかに常識やぶりのことをケロリとしてやってのけるプレイボーイだったかもしれないけれど、なかなか太っ腹の、茶目っ気のある魅力的な人物だったように思われます。
國經の大納言というのは、どうやら時平の伯父にあたる、歳はもう80歳にもなりますが、その妻はなんと20歳そこそこの「形端正にして、色目めきたる人」で、要するに容姿端麗で色っぽい女だったようです。それでこの女性は「老いたる人に具したるを頗る心ゆかぬ事にぞ思ひたりける」と。
時平のほうも、伯父の大納言の北の方が美しく麗しい女性だと聞いて、一度見たいものだと思っていたのですが、チャンスがなくて日を過ごしていました。
ここに狂言回しの平中と言われる好き者が登場します。彼は色好みで、人の妻、娘、宮仕えの女などで美しいときけば必ず見にいくので、見ていない者が少ないほどでした。この男が時平のところに常日頃から出入りしていましたが、あるとき時平が伯父の北の方のことを想いつつ平中に、近頃見た女でこれはすばらしいと思う女子が誰かあるか、と訊ねます。
すると平中は、(大臣の伯父に当たる方の北の方のことを言うので)大臣の前でこういうのは恐縮ですが、「藤大納言の北の方こそ実に世に似ずめでたき女はおはすれ」と答えたのです。時平は、それはどうやって見たのか、と訊ねます。
平中が言うには、「そのお屋敷に居る人を知っているのですが、その者が申しますには、その方が年老いた人に添ったことをひどくみじめなことと思っていらっしゃるとのこと。そこで無理に計画し、人を中に立ててその方の消息を言わせましたところ、にくからず思っていると聞きましたので、不意に偲んで見て参ったのです。しかしゆっくりと見ることもできませんでした。」と。
時平は「いと悪しきわざをもせられけるかな。」とぞなむ笑ひ給ひける。つまり、そりゃひどい悪さをなさったものだなぁ、と笑ったというのですね。
これを聴いて、時平はおれもひとつやってみよう、と今までご無沙汰だった大納言のところへ足を向けるようになります。大納言のほうは、甥とはいえ、自分よりずっと身分の高い時平の訪れを恐縮しながら喜んでいます。時平のほうは大納言の妻がお目当てなので、それを知らずに喜んでいる大納言のことを滑稽に思う、ちょっと意地悪な気持ちが生じています。
正月に大納言のところへなど行ったことがないのに、正月の三日、時平はしかるべき上達部、殿上人を引き連れて大納言の家に行きます。大納言は大喜びで酒や食事を振る舞って歓待し、夜が更けるまで歌を詠み合ったりして遊びます。
その様子を御簾の影から大納言の妻が見ていて、時平の容姿の美しさ、声や雰囲気、着物にたきこめた香の薫りをはじめ、すべてこの世のものとも思われず、素晴らしいのを目の当たりにするほどに、こうして老人に連れ添って閉じ込められている我が身の宿世がなさけなく思われる。いったいどんな人がこんな素敵な人により添っているのだろうか。私は年老いて古臭い人に添う身で、平生からなにかにつけてイラつくことが多いが、この大臣の姿を拝見すると、ますますこの心の置きどころがなく、わびしく思える。
他方の時平の方も、実はこの簾の影に彼女がいることは先刻承知で、しばしば流し目をよこすので、北の方は御簾のうちにあっても気恥ずかしいことこの上ない。
夜も更けて、みな帰ろうと、車を呼び、車寄せに車を寄せる。しかし時平は、酔っぱらってしまったから、少し酔いがさめるまでここで待とうと、動かない。
そして、時平が言うには、大納言の家に目下として敬意を払うためにこうしてやって来たのだからと、引き出物として筝を取りだし、またすぐれた馬を二頭引かせてきたのを大納言に贈るという。
大納言はひどく喜ぶも、そんな贈り物をもらってこちらは何の用意もなく、身の置き所がない思いだが、さきほどから時平が、妻の控えている御簾のほうをちらちらと常に見ているのを知っていた大納言は、「かかる者持ちたりけりと見せ奉らむと思ひて、酔ひ狂(たぶ)れたる心に」、つまり私もここにこういう者を持っているのでひとつご披露しましょう、と酔いに任せてつい、「私はこの妻をすばらしいと思っていますが、すばらしい大臣でいらっしゃっても、これだけのものはお持ちになれないでしょう。この老人のもとにはこのような者がおるのですよ。これを引出物として差し上げましょう。」と言って、屏風を押したたんで、御簾から手を差し入れて北の方の袖を取って引き寄せ、「ここに居ます」と言い放ったのです。
時平は「実に参った甲斐があって、今こそ嬉しうござるよ」と言い、その引出物に時平が近寄ってきたので、大納言はその場を立ち退いた。そうして、他の上達部、殿上人らも声をかけさせて立ち退かせてしまった。
時平は、「ひどく酔った。さあ車を寄せよ。ちと苦しい」と言って、車が庭に引き入れられると、大納言が寄ってきて車の御簾をもたげると、時平はその北の方をかき抱いて、車の中へ押し込み、つづいて自分が乗り込むと、すぐに車を出させて屋敷へ帰って行った。大納言はなすすべもなく「やや、ばぁさんや、わたしをどうか忘れないでおくれ」と言うばかりだった。
ざっとそんなところで、企んだ時平も自分の権力をかさにまんまと目下の伯父の美しく若い妻を横ごりしてしまうのだから、ひどいやつですが、これは酔いにまかせて、こともあろうに自分の妻を引出物にと口走った大納言のほうもいけませんね。時平はあまり自分の評判など気にしないで、こういうことをやってしまう豪胆なところがあって、たしかにプレイボーイだったのでしょうが、憎めないところがあります。女性の方も夫が超高齢者ではうんざりしていたので、さらわれて喜んでいたでしょう。
saysei at 13:30|Permalink│Comments(0)│