2022年06月
2022年06月30日
きょうも2頭の仔鹿~高野川6月30日
最初に顔を出した仔
しばらくして顔を出した仔。ちょっと大きく、ひとなつっこい。
どっちがどっちのママだっけ・・・
こっち?
走るのはこの仔だっけ
この仔だったと思うけどそれが上の仔と同じだったかどうだか(笑)
突然ひとりで草地を走り出した!というよりジャンプにつぐジャンプ
ほんとに宙を跳んでいますね
ひとり懸命に走り去っては・・・
また一心不乱に駆け戻ってきます
こんな姿がかわいい
ちょっと振り向く姿も
暑さで疲れてしまうのか、仔鹿同士遊ぶこともなく、それぞれ草の褥に横たわって休憩。周囲を少し丈の高い草で囲まれて涼しく居心地よさそうな場所を上手にみつけてきます。
彼らは馬橋と松ヶ崎橋の間の川端側の岸にへばりつくような狭い草地に、昨日と同じように4頭でいたのですが、ほかに対岸(西岸)の木陰深くで一頭の牝鹿が寝そべっているのが見えていました。
上賀茂への自転車の帰りにまた通ってみると、松ヶ崎橋の下の中州で2頭の牝鹿が草を食んでいました。これがさきのママたちなのかどうか、それともうち一頭は対岸に居た牝鹿なのか、確信がもてません。仔鹿たちは、往きに見たとき最後に休んでいたそれぞれの草の褥から動いていなかったので、仔鹿たちは暑さの中、動くのはやめて、小一時間ほどそこで休んでいたようです。
これがその一頭
もう一頭の仔鹿も先ほどとまったく同じ草の褥でまだ目が覚めない様子でした。
2頭のママさんたちは往きには仔鹿たちのすぐ近くで草を食んでいたのですが、帰りには近くには姿が見えませんでした。
仔鹿たちに別れを告げて南へ下って行こうとすると、川の中を下流のほうへ歩いて行く一頭の牝鹿を見ました。これもさっきの仔たちのどちらか片方のママかどうか、ちょっと確信がもてません。いつも見慣れている、若く精悍な感じの美しい牝鹿でした。
きょうの比叡。きょうはスマホを忘れて出たので、望遠レンズ付きカメラで頂上付近だけ。
きょうの夕餉
ロマネスコとセロリ入りワンタン
シイタケと牛肉の中華味噌炒め、レタスと胡瓜、ネギ添え
春雨と蒸し鶏、コリンキー、錦糸卵とカイワレの中華サラダ
四川の田舎風麻婆豆腐
枝豆
以上でした。
saysei at 21:40|Permalink│Comments(0)│
《自己陶冶》の日々
フーコーによれば「生活の《私的》側面とか、個人の行為の価値とか、自分自身にいだく関心とかに、ますます大きな地位をあたえるような《個人主義》の、ヘレニズムならびにローマの世界における増大」が見られるということです。(引用はすべてフーコ―著田村俶訳『性の歴史Ⅲ 自己への配慮』第二章より。以下同じ)
その背後には、「政治的で社会的な枠組みの弱体化」があり、「個々の人間は国家のなかに組込まれる程度が以前にくらべて弱まり、相互にますます切離され、いっそう自分に依存するようになったので、哲学のなかに、いっそう個人本位の行動指針を探し求めたに違いない、というのである」とフーコーは伝聞形で通念に距離を置く言い方をしながらも、一旦は、必ずしもこれを頭から否定するわけではない微妙な言い方をしています。
しかし、それにつづいて、キリスト教的な禁欲苦行の動きが「自己の自己への関係の、ただし私的生活の諸価値の下落という形式のもとでの、きわめて顕著な強化として現われた」こと、「しかもこの動きが修道共同生活の形式をおびたとき、それは修行生活の実践のなかに存在しえた個人主義的なものにたいする明白な拒否を表わした」ことに注意を促し、「帝政期に表明された性にかんする厳格な態度の要請は、増大していく個人主義の表われであったとは思われない」と明確にこの傾向を「個人主義」として集約することに否定的な見解を述べています。
では彼はかわりにそうした一見個人主義的傾向と見えるものにどんな言葉(概念)を与えているかといえば、それは「自己の陶冶」です。
フーコーは、先の個人主義を否定する言葉につづけてこう言います。「その要請の脈絡は、むしろ、かなり長期にわたる歴史的影響力をもった、だがこの時期に頂点に達したある現象によって特徴づけられている。すなわち、《自己の陶冶》とでも名づけてよい事態の進展であって、その陶冶においてこそ、自己の自己への関係は強化され、高い評価が与えられたのである。」
《自己の陶冶》とは、ソクラテスが神に委託された言葉として、自らを裁く裁判官たちを前に語ったように、「配慮すべきは自分の富でも自分の名誉でもなく、自己自身について、自分の魂についてである」ということ、「人が自分自身に専念し自分自身に配慮し(heautou epimeleisthai)なければならないという観念」だ、とされ、それは生活術、つまりさまざまな形式をもった生活技術(technē tou biou)を伴うものだったということです。
こうして「自己への配慮(希 epimeleia heautou, 羅 cura sui)を主題とした生活術のゆるやかな展開のなかで、帝政期の最初の二つの世紀は、一つの大いなる曲線の頂点、つまり、自己の陶冶にかんする一種の黄金時代、と見なしていい」ということになります。ただし、「この現象がかかわるのは、量的にはきわめて限られた社会集団、つまり文化の担い手であって、technē tou biou (生活技術)が何らかの意味と何らかの現実性を持ちうる社会集団に限定されるのは言うまでもない」と断わっています。
この自己への配慮、自分自身への専念という主題はストア派をはじめ多くの哲学者の言説の中で繰り返されます。いま私たちの多くが手にとるセネカやマルクス・アウレリウスの遺した書物はそうした理念とそれに必然的に伴う実践的な生活術の記述に満ちています。
「このepimeleia(配慮、自己への配慮のこと)は、時間を必要としている。しかも、この自己陶冶にふりあてるのが適切な配分を一日のなかや一生のなかで定めることは、自己陶冶の重大問題の一つである」・・・というわけで、セネカやエピクテトス、マルクス・アウレリウスは、人が自分自身に取り組むことに割くべきこの時間に言及しています。
時として自分の通常のさまざまな活動と中断してまでも時間を割いておこなう心の修行によって可能になるのはどんなことなのか。フーコーは次のように要約しています。
「自分自身と差し向かいになること、自分の過去をまとめること、過去の生活のすべてに目を配ること、着想をえたいと思う教訓や模範に読書をとおして慣れ親しむこと」であり、「しかも、自分のさまざまな活動から解き放たれて、欲望の静まる老年期を活かしつつ、セネカが哲学上の仕事で行なったように、スプリナが快適な生活の静けさのなかで行なったように、自己の掌握に完全に没頭すること」が可能になる、と。
この部分を読んで、いま平均余命が著しく伸びた日本で多くの退職者にして後期高齢者が、半ば衒いから「終活」などと実は本気で明日にでも死ぬだろうなどとは露ほども考えていないくせに(笑)、ぼつぼつとやっていることというのは、こういうことなんじゃないか、と腑に落ちるような気がしたのです。
古代ローマの帝政期などとは違って、宗教的なしばりも政治的なしばりも共同体のしばりも、もはや無いも同然のゆるゆる状態になり、個人主義の理念にいたってはお神輿に載るほどに少なくともタテマエ的にはこの社会に蔓延している中で、こうした傾向が強められることはある意味で当然のことでしょう。
ただし、タテマエ的な理念としての個人主義は蔓延しても、これとフーコーが峻別してみせたセネカやエピクテトス、マルクス・アウレリウスのような《自己陶冶》は私たち第二次大戦後の日本人の多くが忘れ果てていた理念ではなかったかと思います。
私自身も、ただの本好きとして様々な哲学者、思想家の書いた文章には触れてきたけれど、いま挙げたような哲学者たちは、同時代の人たちにとって生身の人間としては魅力のある人物であったかもしれないけれど、残された言葉は、どう生きようと勝手だろうと思える他人の人生に、こうすべし、ああするべからず、と恣意的な当為を持ち込んで、ありきたりの人生訓をもったいぶって語っただけの書物に思えて、最初から毛嫌いして洟もひっかけなかった、というのが正直のところです。
しかし、たぶん、そこには重大な落とし穴があったので、いまようやく自分がそれを必要とする時になったらしいことを、ギリギリのところで感じているのかもしれません。
周囲を見渡してみると、少しまえには、マルクス・アウレリウスの岩波文庫版がベストセラーになっていると聞いて驚いたことがありましたし、数年前に、年賀状だけのおつきあいを何十年もつづけている、もと熊本県の文化担当課のお役人だった当時働き盛りだったかたが定年を迎えて退職されたのちのある年の賀状に、「セネカに没頭しています」といった添え書きをひと言、書いていたことがありました。彼とはセネカどころか哲学だの思想だのといった話は、仕事でおつきあいしていた数年の間、一言も交わしたことが無かったので、ちょっと驚いたのです。
おそらく私だけではなく、私たちいまの日本で老後を迎えている人たちの少なからぬ人たちの間に、これまでにないほど「自己への配慮」、「自己陶冶」へと向かう強い傾向が生じる理由があり、様々な欲望から解放されて、いまは静かに自分自身と向き合い、自分の生きていた時間の全てに目を配り、自分なりにまとめようと、それぞれに残された日々の中にそのための時間を配分し、その実践を可能とするようそれぞれの生活技術を活用して暮らしているのだろうと思うのです。
その背後には、「政治的で社会的な枠組みの弱体化」があり、「個々の人間は国家のなかに組込まれる程度が以前にくらべて弱まり、相互にますます切離され、いっそう自分に依存するようになったので、哲学のなかに、いっそう個人本位の行動指針を探し求めたに違いない、というのである」とフーコーは伝聞形で通念に距離を置く言い方をしながらも、一旦は、必ずしもこれを頭から否定するわけではない微妙な言い方をしています。
しかし、それにつづいて、キリスト教的な禁欲苦行の動きが「自己の自己への関係の、ただし私的生活の諸価値の下落という形式のもとでの、きわめて顕著な強化として現われた」こと、「しかもこの動きが修道共同生活の形式をおびたとき、それは修行生活の実践のなかに存在しえた個人主義的なものにたいする明白な拒否を表わした」ことに注意を促し、「帝政期に表明された性にかんする厳格な態度の要請は、増大していく個人主義の表われであったとは思われない」と明確にこの傾向を「個人主義」として集約することに否定的な見解を述べています。
では彼はかわりにそうした一見個人主義的傾向と見えるものにどんな言葉(概念)を与えているかといえば、それは「自己の陶冶」です。
フーコーは、先の個人主義を否定する言葉につづけてこう言います。「その要請の脈絡は、むしろ、かなり長期にわたる歴史的影響力をもった、だがこの時期に頂点に達したある現象によって特徴づけられている。すなわち、《自己の陶冶》とでも名づけてよい事態の進展であって、その陶冶においてこそ、自己の自己への関係は強化され、高い評価が与えられたのである。」
《自己の陶冶》とは、ソクラテスが神に委託された言葉として、自らを裁く裁判官たちを前に語ったように、「配慮すべきは自分の富でも自分の名誉でもなく、自己自身について、自分の魂についてである」ということ、「人が自分自身に専念し自分自身に配慮し(heautou epimeleisthai)なければならないという観念」だ、とされ、それは生活術、つまりさまざまな形式をもった生活技術(technē tou biou)を伴うものだったということです。
こうして「自己への配慮(希 epimeleia heautou, 羅 cura sui)を主題とした生活術のゆるやかな展開のなかで、帝政期の最初の二つの世紀は、一つの大いなる曲線の頂点、つまり、自己の陶冶にかんする一種の黄金時代、と見なしていい」ということになります。ただし、「この現象がかかわるのは、量的にはきわめて限られた社会集団、つまり文化の担い手であって、technē tou biou (生活技術)が何らかの意味と何らかの現実性を持ちうる社会集団に限定されるのは言うまでもない」と断わっています。
この自己への配慮、自分自身への専念という主題はストア派をはじめ多くの哲学者の言説の中で繰り返されます。いま私たちの多くが手にとるセネカやマルクス・アウレリウスの遺した書物はそうした理念とそれに必然的に伴う実践的な生活術の記述に満ちています。
「このepimeleia(配慮、自己への配慮のこと)は、時間を必要としている。しかも、この自己陶冶にふりあてるのが適切な配分を一日のなかや一生のなかで定めることは、自己陶冶の重大問題の一つである」・・・というわけで、セネカやエピクテトス、マルクス・アウレリウスは、人が自分自身に取り組むことに割くべきこの時間に言及しています。
時として自分の通常のさまざまな活動と中断してまでも時間を割いておこなう心の修行によって可能になるのはどんなことなのか。フーコーは次のように要約しています。
「自分自身と差し向かいになること、自分の過去をまとめること、過去の生活のすべてに目を配ること、着想をえたいと思う教訓や模範に読書をとおして慣れ親しむこと」であり、「しかも、自分のさまざまな活動から解き放たれて、欲望の静まる老年期を活かしつつ、セネカが哲学上の仕事で行なったように、スプリナが快適な生活の静けさのなかで行なったように、自己の掌握に完全に没頭すること」が可能になる、と。
この部分を読んで、いま平均余命が著しく伸びた日本で多くの退職者にして後期高齢者が、半ば衒いから「終活」などと実は本気で明日にでも死ぬだろうなどとは露ほども考えていないくせに(笑)、ぼつぼつとやっていることというのは、こういうことなんじゃないか、と腑に落ちるような気がしたのです。
古代ローマの帝政期などとは違って、宗教的なしばりも政治的なしばりも共同体のしばりも、もはや無いも同然のゆるゆる状態になり、個人主義の理念にいたってはお神輿に載るほどに少なくともタテマエ的にはこの社会に蔓延している中で、こうした傾向が強められることはある意味で当然のことでしょう。
ただし、タテマエ的な理念としての個人主義は蔓延しても、これとフーコーが峻別してみせたセネカやエピクテトス、マルクス・アウレリウスのような《自己陶冶》は私たち第二次大戦後の日本人の多くが忘れ果てていた理念ではなかったかと思います。
私自身も、ただの本好きとして様々な哲学者、思想家の書いた文章には触れてきたけれど、いま挙げたような哲学者たちは、同時代の人たちにとって生身の人間としては魅力のある人物であったかもしれないけれど、残された言葉は、どう生きようと勝手だろうと思える他人の人生に、こうすべし、ああするべからず、と恣意的な当為を持ち込んで、ありきたりの人生訓をもったいぶって語っただけの書物に思えて、最初から毛嫌いして洟もひっかけなかった、というのが正直のところです。
しかし、たぶん、そこには重大な落とし穴があったので、いまようやく自分がそれを必要とする時になったらしいことを、ギリギリのところで感じているのかもしれません。
周囲を見渡してみると、少しまえには、マルクス・アウレリウスの岩波文庫版がベストセラーになっていると聞いて驚いたことがありましたし、数年前に、年賀状だけのおつきあいを何十年もつづけている、もと熊本県の文化担当課のお役人だった当時働き盛りだったかたが定年を迎えて退職されたのちのある年の賀状に、「セネカに没頭しています」といった添え書きをひと言、書いていたことがありました。彼とはセネカどころか哲学だの思想だのといった話は、仕事でおつきあいしていた数年の間、一言も交わしたことが無かったので、ちょっと驚いたのです。
おそらく私だけではなく、私たちいまの日本で老後を迎えている人たちの少なからぬ人たちの間に、これまでにないほど「自己への配慮」、「自己陶冶」へと向かう強い傾向が生じる理由があり、様々な欲望から解放されて、いまは静かに自分自身と向き合い、自分の生きていた時間の全てに目を配り、自分なりにまとめようと、それぞれに残された日々の中にそのための時間を配分し、その実践を可能とするようそれぞれの生活技術を活用して暮らしているのだろうと思うのです。
saysei at 12:53|Permalink│Comments(0)│
2022年06月29日
鹿も出てこない猛暑
きょうは朝は雲もあったようですが、夕方散歩に出るころには雲一つない快晴の青空で、もう4時半を過ぎ、返る頃には5時半前後という時刻でしたが、まだ真昼間と変わらない、怖いくらい強烈な熱と光を送って来る太陽が燦燦と輝いていて、とても夕暮れに差し掛かる時刻とは思えませんでした。
連日高野川に姿を見せていた鹿も、きょうは自転車での行きかえりに一頭くらい居ないかと強烈な夕陽にめげず注意深く見て来たけれど、一頭も見当たりませんでした。今日の左京区の気温は24℃~35℃。暑さに弱そうな鹿さんたち、さすがにこの暑さで出てくる気になれなかったのでしょう。
私は足腰のリハビリがわりの自転車なので、上賀茂までぐるっと一巡り。きょうは、キュウリ、新タマネギ、枝豆、ミニトマトをゲットしてきました。いま菜っ葉者は影をひそめて、もっぱらトマト、ナス、キュウリ、タマネギ、ジャガイモなど枝や根っこにため込んだ養分のかたまりである実のものばかり。
往きには府立大学の図書館へ寄って、借りていた3冊の本を返し、新たに3冊借りてきました。ゼノンほか初期ストア派の論集と、セネカ全集のルーキーリウス宛倫理書簡2巻。若い頃はこんな本読もうとは思いもしませんでしたが・・・。
きょうの夕餉
カボチャの冷製スープ
賀茂なすの肉詰め、トマトソース煮
グリーンサラダ
パンコントマテ。パンはブレドォルのバケット。トマトは上賀茂野菜の熟々トマト。
枝豆 これも上賀茂できょうゲットしてきたうちの半分。新鮮で品の良いソフトな甘味があった。
以上でした。
saysei at 19:08|Permalink│Comments(0)│
2022年06月28日
きょうも仔鹿が2頭~高野川6月28日
この仔と
この仔? いや同じ仔じゃないか?
出はこちら? 2頭しかいなかったのですが・・・あとで写真を見ると、どっちがどっちだかわからなくなってしまいます。この子は人なつっこい表情をしています。
例のこのちょっと顎をあげて流し目のようなまなざし
暑いからかな。よく舌を出します
とにかく2頭いたことは確かですが、よく似ているし、草の間へ隠れたり出て来たり神出鬼没
仔鹿のウィンク
暑さのせいかよく草の上にねそべっていました。
母仔
ママ(もう一人の仔のママかもしれない)はとても綺麗
美しいママのウォーキング
同じく
ママどうしの会話? 宅の仔、みかけませんでした?とか・・・
子供らは好きにおっかけっこしていました
おまけ:仔鹿たちの遊ぶ狭い川端通りの下の草地のすぐそばを2尾の大きな鯉が泳いでいきました。仔鹿たちは気付かなかったようですが、川に入っている時みたりしたらどんな反応をしたでしょうね。
きょうの夕餉
キムチチゲ
蒸し鶏の胡瓜、タマネギ、セロリ、コリンキーといっしょに中華ドレッシングで
もろへいや
鯛のアラダキ(のこり)
サラダ
トウモロコシと枝豆
以上でした。
saysei at 23:12|Permalink│Comments(0)│
2022年06月27日
名前をつけてあげたいけれど・・・高野川のバンビ
きょうは行き帰りに対岸の草地で、この子とママらしい若い牝鹿をみて、帰りにはもう一頭の牝鹿と3頭が、川端通りの歩道のすぐ真下の狭い草地にいました。
往きにはほかに、対岸の草地で後脚の足首から下を失っている鹿ともう一頭が、親子とは少し離れた場所で草を食むのをみました。
この子に名前を付けて上げたいと思ったけれど、今まで確認しただけでも4頭の同い齢の仔鹿がいて、まだはっきりと区別ができないので、名前をつけても、どの子だっけ?とすぐに分からなくなりそうです。もう少ししっかり個体識別ができてから・・・
これは往きに対岸でいるのを見かけて撮った写真なのですが、あとですぐ近くに来たのを撮った写真と並べてみて、ぜったいに同じ仔だと言えるか、と言われると、たちまち自信がなくなりそうです。どこかにはっきりした目印があるといいのですが・・・
ママとふたりで
これは帰りに一頭だけ牝鹿が歩道のすぐ下で草を食べていたので、みていたら、もう一頭ほとんど姿かたち年恰好のかわらない牝鹿が茂みからあらわれ、しばらくは2頭で少し離れて草を食べていましたが、こんどはさっき後の鹿が出て来た茂みのトンネルみたいになっているところでチラチラ茶色い毛の色が動いたので、もう一頭いるな!どうやら仔鹿みたいだな、と思って待っていると、またかなりたってからこの仔がとことこと出てきました。
カメラを向けている私の方を見てもものおじする様子もありません。
というより、なんだかからかうような、人懐っこい表情を浮かべて見ています。
ちょっと顎を挙げてこういう表情をされると、なんだか若い可愛い女の子に誘惑されているような気がしてきます。前にも昨年生まれの仔で今年草地へ帰って来たんじゃないかというので紹介した若い牝鹿がこういう表情をしている写真を2度ブログに上げましたが、どうも鹿はちょっとなれなれしさを感じるとこういう表情をして見せるところがあるんじゃないか、という気がします。
どうも鹿さんたちはほんとに暑さに弱いようで、この仔も出てはきたけれど、目の前で3度もこういううう姿勢で草の上にへたり込んで、そのままの姿勢で手近な草を食べたりしていました。もう草を食べているのですね。一度ママのおなかの下にもぐりこもうとして、ママに手厳しく拒否されていました。仔鹿のへたっている位置は、馬橋のちょっとかみの川端通り歩道の石垣の真下の狭い草地で、私が歩道の柵を乗り越えたらすぐ手がとどきそうな位置ですが、柵が高くて誰もそんなこと試みないせいか、安心しきって、私の見守るすぐ下で、無防備な格好で寝そべっています。ほかの仔鹿たちもいないのではなくて、この暑さに終始草の奥深くに隠れてしまっているのかもしれませんね。
今日の左京区の気温は23℃~33℃だそうで。明日は35℃になるそうです。
ママ
先に出ていたおばさん?
ママとふたり
今日は終日曇り。痛み止めを昨日一日我慢して呑まずにいたら、やっぱり腰と脚、とくに大腿部が耐えられないくらい強く痛んで、これでは読書もおちおちできないので、仕方ないとあきらめて今朝はプレガバリンもカロナールも呑みました。そしたらじきに激痛が引いていって楽になりました。痛みは消えはしませんが、これなら読書しても痛みで気が散ることもない程度。まぁしばらくは仕方がないでしょう。
きょうの夕餉
鯛のアラ炊き。こんな立派な鯛のアラが2人分298円で売っていたら買わずにいられないでしょ?ほかにいい魚が何もないのよ、やたら値段の高いのばかりで・・・・とパートナー、これで298円の鯛のアラを買ってくるのは何度目でしょうか。アラダキ、酒蒸し、塩焼き、などと毎回調理法を変えてくれるので、私は美味しくいただいています。
キュウリの酢の物、㎡っ洋画、生姜、胡麻入り
茄子、カボチャ、タマネギ、ピーマン、とうもろこしの天ぷら
冷奴の山椒味噌かけ
焼き椎茸とオクラのポン酢かけ
野菜サラダ
枝豆
以上でした。
saysei at 21:24|Permalink│Comments(0)│