2022年05月
2022年05月31日
仔鹿物語~@高野川2022-5-31
松ヶ崎橋のすぐ下手西側の草地、午後4時ころでしょうか。母子の姿が見えました。ほかにも3頭いて、きょうは全部で5頭の鹿がみられました。
仔鹿の表情です。はじめてお目見えしたのは今月18日ですが、あれから今日が2度目。なんだかひとまわりたくましく大きくなったような気がします。前見たときは本当に小さく頼りなく、母鹿について草の間から出てきてしばらくするとまた草の間に姿を隠して出てこなかったのですが、きょうは堂々の登場です。
水辺にたたずむ仔鹿。母親の近くにはいますが、べったり寄り添って離れないという感じではなくて、自分の好奇心に任せてちょっと離れて興味のあるものを眺めている感じ。
彼(または彼女)が注視していたのは2羽の鴨です。興味津々だけど、ちょっと近づくのはおっかないという慎重な風情でしたが、川辺にいた鴨のほうが川の中へ逃げていきました。
川の水に口をつけて、水を飲んでいるところ
ママがそばにいたのですが、ひとりで川へ足を踏み入れます
ちょっと不安そうな面持ちで佇んでいましたが
後ろを振り返らずにひとりで川を渡り切りました。浅瀬ではあったけれど、膝のちょっと上あたりまでの深さのある個所はあり、流れの力もあるので、仔鹿がひとりで渡るのは結構冒険だったと思います。
こちら(川端通り側の細長い草地)に上がると、その南端まで歩いて行って、何を考えているのか、川縁に立って、流れの深い少し段差のあるあたりをしばらく眺めていました。そして、くるっと向きを変えて草むらに入ると、狭く細長いこの草地を縦断するようにして、一人で突然かけっこをはじめました。
けっこう素早くて、彼(または彼女)が三度ばかりギャロップで往復する間に何度となくシャッターを切りましたが、私のいた川端通りの歩道の真下で、間近なのに望遠レンズをつけていたこともあって、なかなか姿をとらえることができませんでした。疾走する姿をとらえた数少ないショットです。
全速力で走るときは、ほとんど宙を跳んでいく感じのジャンプ力です。
野生の鹿がこうして自由に跳び走る姿を見るのは本当に爽快です。仔鹿はいま育ち盛りの活力に溢れていて、こうやって一人で突然かけっこしてその有り余るエネルギーを発散しているのでしょう。以前に若い鹿たちが数頭でもっと広く長い草地で競争して数十メートルの草地を何度も何度も宙を跳ぶように全速力で疾走する素晴らしい光景を見たことがありますが、この子も遠からずそんな仲間に入って野生の姿を見せてくれるでしょう。
迎えに来たお母さんと一緒に川を渡って西岸へ帰って行く仔鹿。
お母さんに丁寧に舐めてもらう仔鹿。気持ちよさそうにじっとしています。
ここが今日の寝床なのかもしれません。動くのを待っていた私でしたが、小一時間くらいしても動き出す気配はなく、陽が傾き、少しうすら寒くなってきたので帰りました。母仔鹿はいつまでもここにいました。
記念撮影
藤の花のような花房が下がっている、素敵な場所を選んでいますね
母仔鹿から数メートル左手の花の蔭にもう一頭寝そべって、ずっとこちらを見ていました。とても穏やかな表情の鹿です。右手の花と言い、手前のつる植物の花といい、なんだか絵になる場所を選んでいるような気がしてきます。この鹿はその前に草を食べたりしていたとき、母仔鹿と付かず離れずの距離にいた鹿ではないかと思います。
顔つきが違うように見えるのですが、これ上と同じ、母仔鹿の母親のもう一人の娘(仔鹿のお姉さん)ではないかと私は思っているのですが、とても美形のまだ若い牝鹿です。
ほかに2頭。たぶんこれがそのうちの1頭だったと思います。
そして残る1頭がこれだったと思います。この2頭は、母仔鹿だちとはとくに親しい感じでもなく、勝手に東側の草地で草を食べてばかりいました。でも、仔鹿が来て、近くを全速力で走ったりしていても我関せずで、特に干渉もしなければ、可愛がるふうでもありませんでした。
きょうは可愛い仔鹿の姿を存分に見ることができてラッキーでした。面白いことに、川端通りを通る人の多くが、大人の鹿には気づいて、お、鹿がおる!などと言って見ているのに、案外仔鹿がいることに気づかずに行ってしまうのです。
身体が小さくて、草の色とも紛らわしいこと、そして母親の体にくっついたり、こちらからみて重なって見えていたりするときは、母親の体の色模様が背景になって、ちょうど保護色のように仔鹿の姿が消えてしまう感じになります。
私も望遠カメラを外して肉眼で見ると、おや、仔鹿がいなくなったぞ、と探すことがしばしばでしたが、実はちゃんとそこに居たりして、川を隔てて見ると草地の背景や母親の姿が目くらましになって、仔鹿の姿が消えてしまうのです。
でもそれくらい目立たなくてちょうどいいのかもしれません。あまり大勢の人が騒いで見ていると、今日のようにこちらの近い岸辺には来てくれなくなるかもしれません。向こう岸は石垣の絶壁で、上は人家が立っていて、人が降りてこれない草地なので、鹿たちも安心してそちらでゆっくり草を食んだり眠ったりしています。東の草地にもおいしい草はあるのでしょうが、車や人がすぐ上の川端通リをとおるし、時には犬の散歩に来る人などもあるので、鹿にとってはちょっとリスキーな餌場なのです。
きょうの夕餉
鶏の胸肉の酒蒸しに味噌
餃子
麻婆豆腐
春雨の中華風サラダ
グリーンサラダ
ポテトサラダ
スジコン(のこりもの)
モズクきゅうり酢
以上でした。
saysei at 22:55|Permalink│Comments(0)│
2022年05月30日
くもりぞらに2頭~高野川の鹿
今日川端通りをいく私の前に姿をみせた鹿は2頭だけ。うち1頭は左腰に大怪我を負い、左後脚が使えず三本脚で歩いているいつもの鹿でした。
そのそばで草を食んでいたのは、いつもの左後脚の足首から先がない仔鹿ではなく、目だった傷もなく脚も四本以上がない、群れの中にいればほかの牝鹿たちと区別がつかないだろう牝鹿でした。ひょっとしたら先日2頭の生涯のある鹿の近くで伏せて見守るというか警戒をしていたように見えた、私が2頭の母鹿ではないかと書いていた鹿かもしれません。毛並み、年頃(そう若くは見えない)などは先日見たその鹿に似ていますが、顔までは確認できませんでした。
鹿たちも群れで現れても、母子、姉妹など血縁の近い者同士は一緒に現われたり、近い距離を保ったり、ときに母子のように見守り行動をとるといった仮説が成り立つかどうか、見てやろうという感じで観察しているのですが、日によって一緒に現われる者が違って、必ずしも恒常的な関係が明瞭ではないので、はっきりしたことは言えません。もっとも私が観察するのは、いつも午後遅めの一瞬ですから、たまたま出くわした場面から憶測しているにすぎません。
きょうの左京区は朝のうち陽射しもさしていましたが、ほぼ終日曇っていて、午後遅めの自転車行のころにはぽつぽつ振り出し、ビニールカッパを持って行ったのが役に立ちました。ところが自転車の前輪の空気が抜けていたので、出るときに空気入れで満帆にしておいたのに、宝ヶ池の自動車教習所近くへくるころには随分空気が抜けてしまって、上賀茂神社あたりからの帰りはぺちゃんこになり、ガタンガタン言わせながら、無理に乗ってなんとかカナートまで帰り着き、自転車屋さんへ駆け込みました。
なにしろ今自転車は毎日の必需品だから、どんなに費用がかかろうとただちに修理しておくしかなかったのです。このまえ後輪がパンクしたときに北大路橋近くのアサヒ自転車で、これはチューブだけでなく、外側のゴムタイヤ輪自体がボロボロに裂けているから、もう無理です、と言われてゴムタイヤごとかえてもらい、4500円とられていたので、今回は最初から覚悟していました。
目で見てもゴムタイヤがほうぼうで擦り切れて、黒いゴムの下の白い繊維みたいなものの地が出ている所が何カ所もあり、ゴムが裂けているところもあって、ゴムタイヤも替えないとどうしようもなかったのです。混んでいて1時間間も待ってくれと言われたので、うぁーと思いましたが、歩いて家へ帰ってまだ歩いて自転車をとりにこなくてはならないことを考えると、書店で文庫本でも買っておとなしく何処かへ座って本を読んで待っているのが得策だと思い、そのようにしていたら、案外早く1時間くらいで直してスマホに連絡してくれました。料金も前回別の店でやったのと同じでした。もうこうした定番修理は価格も決まっていて、店による違いはないようで、どこへいっても安心して頼めるようです。
きょうの夕餉
鯵の塩焼き、シラコ添え
賀茂なすの田楽、肉山椒味噌のせ
牛筋大根煮
牛肉、三つ葉、エンドウの卵とじ
胡瓜、ミョウガ、ショウガの酢の物
オニオンスライスのせ冷奴
グリーンサラダ
生キャベツ(トンカツソースをかけてバリバリ食べるのが好き)
以上でした。
saysei at 18:41|Permalink│Comments(0)│
フーコー論を読みながら ~その17
*以下は松野充貴著『ミシェル・フーコーの歴史的「批判」 ―カントと対話するフーコー―(名古屋市立大学人間文化研究叢書⑧ 2021.3.20ミネルヴァ書房刊)を読みながら間歇的に感想、コメントを書いてきた個人的な覚え書きの類の第17回です。哲学にもフーコーにもまったく素人の私がこんなことを始めたのは、たまたまたった一度紹介されて会う機会があった遠縁の青年が、その後7,8年を経てドクター論文をもとにしたフーコー論を出版して送ってくれたがきっかけで、昔読もうとして挫折したフーコーを半世紀を経て、何の準備もなく「年の功」だけを頼りに「手ブラ読み」してみようと思い立った結果です。文中の引用出典は特記しない限り同書で、その該当ページノンブルを記しています。また、同様に特記しない限り、「本書」は同書を指し、「著者」は同書の著者(松野充貴)を指します。
第7章の最後、第5節は、「魂を中心とした権力論」という見出しがついています。この「魂」は、市販の田村俶訳の『監獄の誕生』では、「精神」と訳されています。私は「精神」という訳語のほうがいいと思います。「魂」という日本語は「霊魂」のような、それ自体で独特の意味合いを連想させてしまいます。「精神」であれば「肉体(身体)」という対概念的な言葉がごく自然に連想されます。そして、『監獄の誕生』におけるこの「精神」という言葉の使い方は、もともとそれに近いものだからです。
刑罰の苛酷さの過去数世紀における緩和は、法制史家たちがよく知っている現象である。・・・(中略)・・・確実なのは、目標の変更だ。
もっとも苛酷なかたちの刑罰制度であれその対象が、もはや身体ではない場合、刑罰制度は何にたいして力を及ぼすのか。・・・(中略)・・・対象がもはや身体ではない以上、それは精神だというわけである。身体に猛威をふるった罪ほろぼしの後に続くべきは、心・思考・意志・素質などにたいして深く作用すべき懲罰なのだ。その原則を決定的に定式化したのはマブリーであり、「こう語ってよければ、懲罰は身体によりもむしろ精神に加えられんことを」と述べている。(フーコー『監獄の誕生』p21 田村俶訳、新潮社)
犯罪者の精神は、単に犯罪を説明するその目的だけで、また、責任事実の法律的限定にあたってその精神を一つの要素として持ち込むために裁判所へ呼ばれて来ているわけではない。犯罪者の精神を連れてくるにあたって、あんな大げさな言葉が使われ、理解してやりたいという並大抵でない関心が寄せられ、<学問的な>非常な熱意が傾けられているのは、犯罪をと同時にそれを、その精神を裁くためであり、処罰にあたってその精神を相手にするためである。予審に始まって判決ならびに刑のもたらす後遺症にいたる刑罰の祭式全体のなかに、人々は一群の客体を導入させたが、それらの客体は、法律的に規定された記号体系化された客体を倍加するのみか分離もしている。・・・(中略)・・・もろもろの犯罪を、科学的認識の対象となりうる客体の場へ正式に加え入れることによって、それらの学問は、もはや犯罪にたいするのみならず当の個人にたいする、もはや個人が行なった事柄にたいするのみならず個人が現に、将来、また可能性においてどんな人間であり、人間でありうるかという点にたいする弁明可能な把握を、法律上の処罰機構に提供するのである。・・・(中略)・・・裁判官は犯罪以外のものを、すなわち犯罪者の<精神>を裁きはじめているのである。(同前 p23)
精神は一つの幻影、あるいは観念形態の一つの結果である、などと言ってはなるまい。反対にこう言わねばならないだろう。精神は実在する、それは一つの実在性をもっていると。しかも精神は、身体のまわりで、その表面で、その内部で、権力の作用によって生み出されるのであり、その権力こそは、罰せられる人々に-より一般的には、監視され訓練され矯正される人々に、狂人・幼児・小学生・被植民者に、ある生産装置にしばりつけられて生存中ずっと監督される人々に行使されるのだと。この精神の歴史的実在性がある、と言うのも、この精神は、キリスト教神学によって表象される意味での精神と異なり、生まれつき罪を犯して罰せらるべきだと言うわけではなく、むしろ、処罰・監視・懲罰・束縛などの手続きから生まれ出ているからである。実在的な、だが身体不関与のこの精神はまったく実質的ではない。ある種の型の権力の成果と、ある知の指示関連とが有機的に結びついている構成要素こそが、しかも、権力の諸関連が在りうべき知をさそい出す場合の、また、知が権力の諸成果を導いて強化する場合の装置こそが、実は精神の姿である。精神のこの実在性―指示関連をもとに、人々は各種の概念をつくりあげ、分析領域を切り取ってきたのだった。つまり、霊魂、主観、人格、意識など。(同前 p33)
引用が長くなりましたが、フーコーが「精神」という言葉にどんな意味合いを与えているかは、これだけ読めばおよそ理解できるでしょう。「魂」などという神秘的?なものを扱っているわけではなく、フーコーの言う「権力」の諸々の手続きによって歴史的に作られた実在するものとしての「精神」、別の言い方では個人性、個人の特徴などとして客体化されることで成立した「人間」といったものを指しているに過ぎません。
もともと刑罰は身体に苦痛を与えるなど身体を対象としていたのが、精神にその対象を変えた、と。このように「精神」という言葉は「魂」などという何か特殊な意味合いの概念としてではなく、「身体」に対する「精神」と普通に言われるような意味合いで用いられています。
ただし、その「精神」は、身体に規定され、身体に関わるものでもなければ、身体に対する幻影のごときものでもなく、権力の作用、具体的には、処罰・監視・懲罰・束縛などの手続きから、つまりそれが個人を客体化し、個人性、個人の特徴といった対象性を生み出して、関連する知を誘い出し、霊魂だの主観だの人格だの意識だのといった言説で語られる歴史的実在だということです。
ただし、その「精神」は、身体に規定され、身体に関わるものでもなければ、身体に対する幻影のごときものでもなく、権力の作用、具体的には、処罰・監視・懲罰・束縛などの手続きから、つまりそれが個人を客体化し、個人性、個人の特徴といった対象性を生み出して、関連する知を誘い出し、霊魂だの主観だの人格だの意識だのといった言説で語られる歴史的実在だということです。
権力と知の言説において一つの仕組みに結びつけられるこのような相互関係によって、ある権力関係が成立すると同時に知が成立しうるわけですから、この権力―知による「精神」としての人間の客体化、といういわば権力の技術(戦術)が、より大きな戦略的状況に活用されまたそれを支えることになります。
監獄の例で言えば、パノプティコンという技術が、囚人たちを個人(精神)として客体化し、それが呼び寄せる知によって言説化され、規律・訓練による個人の規格化によって囚人たちを矯正するという目的(戦略)に奉仕することになります。
しかし、そのような戦術と戦略との関係は固定的なものでも一方的なものでもなく、例えば監獄は囚人たちの矯正という目的を果たすことには失敗し、むしろ収監者の特徴として非行という新たな概念を生み出し、在監者と民衆との間に境界線を引いて分断することによって、民衆の大規模な政治的あるいは社会的な抵抗を未然に防御するような戦略へと移行していった、というのがフーコーの見立てです。
監獄の例で言えば、パノプティコンという技術が、囚人たちを個人(精神)として客体化し、それが呼び寄せる知によって言説化され、規律・訓練による個人の規格化によって囚人たちを矯正するという目的(戦略)に奉仕することになります。
しかし、そのような戦術と戦略との関係は固定的なものでも一方的なものでもなく、例えば監獄は囚人たちの矯正という目的を果たすことには失敗し、むしろ収監者の特徴として非行という新たな概念を生み出し、在監者と民衆との間に境界線を引いて分断することによって、民衆の大規模な政治的あるいは社会的な抵抗を未然に防御するような戦略へと移行していった、というのがフーコーの見立てです。
著者はこうしたフ―コーの権力の技術論を祖述して要領よくまとめていますが、その際、フーコーの言説を、著者が一貫してこだわってきた「三項構造」に引き寄せて語っています。しかし、フーコー自身は一度も、自身の論理を「三項構造」と自己規定して語ってはいないので、その点は注意が必要です。
著者は「『監獄の誕生』は権力の技術論と認識論の共通の母胎を論じた著作」であり、「この著作の探究図式は戦略(権力の目的)-戦術(権力の技術)-魂(対象)というバシュラール的な技術論とカント的な認識論をモデルとしている」と、この章の冒頭での指摘に沿って、その「探究図式」を具体的にときほぐしていきます。
それによれば、バシュラールは技術論と認識論を重ね合わせ、「理論(悟性)-実験器具(感性)-対象(真理)」という図式で、カントの<批判>を悟性一元論的批判へ変形した。ここで「理論―技術―実在」は相関関係にあるが、より根本的には理論が優越するものと考えられている。これに対してフーコーの『監獄の誕生』は技術論的には「戦略―戦術―魂」で、戦略と戦術は相互条件付けの関係にある。・・・というのが著者の語っているところです。
戦略、戦術、精神をこのように敢えて「三項」として語るのはフーコー流ではなく著者独自のものですが、戦略と戦術が相互条件付けの関係にあり、客体と関わるということ自体はそのとおりだと思います。
戦略、戦術、精神をこのように敢えて「三項」として語るのはフーコー流ではなく著者独自のものですが、戦略と戦術が相互条件付けの関係にあり、客体と関わるということ自体はそのとおりだと思います。
また、ここで戦略と戦術の相互条件付けに関していわゆる「監獄の失敗」(在監者の規格化による矯正の失敗)が、非行性の産出による民衆の大規模な政治的、社会的抵抗の勃発を未然に防ぐ目的(戦略)への移行を誘発するというフーコーの議論について、それは必然的な過程とは言えず、戦略と戦術の相互づけは「非常に緩やかな条件づけ、漠然とした条件づけとしてしか提示されていない」と著者は批判的に述べています。
たしかにこの「監獄の失敗」による監獄の目的(戦略)の変更についてのフーコーの議論は、必然的にそうなるんだ、という意味に受け取れば論理の飛躍に思えるところです。
ただ、著者が理解するように、もともと戦略と戦術の相互条件づけというのはリジッドな因果関係の如き必然的な過程として考えられるものではなく、錯綜した多様な力の働く場が作り出す動的な全体を貫く力線のようなもので、その場に存在する様々な向きと量をもったベクトルが作り出す、その場全体を特徴づけ、個々のベクトルに全体の中での役割を与える、全体を貫くベクトルとして思い描くことができるものだと思います。
従って、それは常に個々のベクトルや相互の関係が変われば変わりうるものだし、またその変化が個々のベクトルの位置づけを変化させるものでしょう。フーコーにとって権力というのは、そのような「錯綜した戦略的状況に与えられる名称」(『知への意志』p120-121)なのです。
たしかにこの「監獄の失敗」による監獄の目的(戦略)の変更についてのフーコーの議論は、必然的にそうなるんだ、という意味に受け取れば論理の飛躍に思えるところです。
ただ、著者が理解するように、もともと戦略と戦術の相互条件づけというのはリジッドな因果関係の如き必然的な過程として考えられるものではなく、錯綜した多様な力の働く場が作り出す動的な全体を貫く力線のようなもので、その場に存在する様々な向きと量をもったベクトルが作り出す、その場全体を特徴づけ、個々のベクトルに全体の中での役割を与える、全体を貫くベクトルとして思い描くことができるものだと思います。
従って、それは常に個々のベクトルや相互の関係が変われば変わりうるものだし、またその変化が個々のベクトルの位置づけを変化させるものでしょう。フーコーにとって権力というのは、そのような「錯綜した戦略的状況に与えられる名称」(『知への意志』p120-121)なのです。
次に著者がとりあげているのは、権力の規則に述べられた権力と知との相互内在性です。具体的に取り上げられるのは、監獄における在監者の規律・訓練における諸個人を服従的にすると同時に経済的に有用となるよう訓育するに際して、諸個人を特徴に応じて分類するために博物学のタブローを活用して、表象の二重化と分類の二重化の技術をもって目的を実現しようとした、と。
ここで著者は「パノプティコンのなかの囚人を見ることは同時にその囚人の能力や矯正の度合いを知ることであるということだ。したがって、パノプティコンという技術は見ることと言うこと、まなざしと言語を結びつけるものなのである。」と、かねてからこの著書の中で強調される認識論的な問題、「見ること」と「言うこと」、「まなざし」と「言語」を結びつけるという問題設定を思い起こさせたうえで、これを結びつけるのが「技術」だと述べています。
ここで「見ること」とは監獄のパノプティコンの獄舎にある在監者に対する可視性であり、「まなざし」は見る権利を独り占めしている権力にほかならないでしょう。そして、このような「見ること」を可能とする権力関係の場において在監者が個人(個人性、個人の特徴、精神、人間)として客体化され、そこに関連の知が吸い寄せられ、個人を言説によって攻囲することによって、それら諸々の知が個人を訓育する権力を支えることになります。こうした権力の場で、権力と知、まなざと言語、見ることと言うこととが内在的に結びつく、というわけです。
著者はこの「まなざし」と「言語」を結びつける「技術」を、認識論的な著者のいう「三項構造」、すなわち「感性」と「悟性」を結びつける「構想力」に当たるものだと考えています。前にも書いたように、私はこのこと自体は、そう言いたければ(「三項構造」だと言いたければ)言ってもいいんじゃないか、と理解しています。
つまり認識論でいえば、感性と悟性を媒介するのは構想力(想像力)だ、というのがカントの考えの中にあったでしょうし、実際には彼自身がその「媒介」の具体的な機序について詳述しているわけではないので、後の人が、あれこれ色んな解釈をしているのでしょう。そのうちの一つらしいハイデガーのカント論だけは読みましたが、彼は構想力を、感性と悟性という一本の幹から分かれた二俣幹の、もとの一つの太い幹にあたるものが構想力だと考えているようで、カントのように感性と悟性から構想力を考えるというより、その思考の順序を逆転して構想力のほうから感性と悟性が派生するかのような構図を示唆しているように読めました。しかし彼の場合も構想力についてはまだひどく曖昧だなという印象を持ちました。
つまり認識論でいえば、感性と悟性を媒介するのは構想力(想像力)だ、というのがカントの考えの中にあったでしょうし、実際には彼自身がその「媒介」の具体的な機序について詳述しているわけではないので、後の人が、あれこれ色んな解釈をしているのでしょう。そのうちの一つらしいハイデガーのカント論だけは読みましたが、彼は構想力を、感性と悟性という一本の幹から分かれた二俣幹の、もとの一つの太い幹にあたるものが構想力だと考えているようで、カントのように感性と悟性から構想力を考えるというより、その思考の順序を逆転して構想力のほうから感性と悟性が派生するかのような構図を示唆しているように読めました。しかし彼の場合も構想力についてはまだひどく曖昧だなという印象を持ちました。
三木清は芸術の創造過程をイメージしながら、感性と悟性を媒介するのが想像力であり、それはものの形をつくる働きであって、その働きを具現化するものが技術であり、これが例えば芸術作品のようなものを実際につくりだす、というふうに語っていたかと思います。
したがって、ここで著者がフーコーの認識論における「三項構造」として取り出している、感性と悟性を媒介するものが構想力であり、その構想力という「第三項」をフーコーは権力の技術を語る場合の「技術」と重ね合わせている、という指摘は、三木清の「構想力の論理」の示した構図そのもので、それ自体はわかりやすい構図だと思います。
ただ、かねて指摘してきたように、著者の誤解、思い込みとしか思えない「共通の構造」といった言葉ないし概念がここに挿入されて、「構想力(共通の構造)」といったふうに書かれると、いったいそれは何と何がどう「共通」なのか、また「構造」とはいかなる構造なのか、説明が少しもないので、まったく意味不明です。
私は当初から「共通の構造」なるものは存在しないし、フーコーもそんなことは言っていない、と主張しています。
私は当初から「共通の構造」なるものは存在しないし、フーコーもそんなことは言っていない、と主張しています。
監獄のパノプティコンのような(在監者を監禁し、一方的に監視、観察するような空間に関する)技術、あるいはそこに置かれる在監者を規格化する監禁、観察、調査、記録、試験等々、在監者を個人として客体化し、知の言説に攻囲させる諸々の技術が、「見ること」(まなざし)と「言うこと」(言語)つまり知の様々な言説とをむすびつけること、そしてそれが在監者をいっそう服従させ、いっそう生産的にする訓育、規格化に活用され、権力の目的に役立ち、その戦略のうちに位置づけられる、ということができるでしょう。
著者は、「監獄という戦術(技術)はそのなかで戦略(まなざし)と言説(言語)をむすびつける」と書き、また「権力の技術は感性(まなざし)と悟性(言語)を結びつける構想力(共通の構造)の機能を果たしている」と書いています。(p204)
これでは、「戦略」=「まなざし」であり、同時に「感性」=「まなざし」で、「戦略」=「感性」という、わけのわからないことになってしまいます。要は見ること、権力がしつらえる一眸監視的な可視性の場に個人を拘束し、観察の対象として個人化し、客体化することで、個人をめぐる諸々の知の言説を引き寄せ、それがまた収監者の訓育、規格化、矯正に役立てられ、そうした権力を支え、その大きな目的であり戦略とみなされる収監者の矯正(服従を深め、生産性を高める)に役立てられ、権力を支えることになる、フーコーが言いたいのは、そのような権力と知の相互依存的な内在的関係で、それを具現化するのが権力の「技術」だということでしょう。
これは認識論的な領域で言えば、芸術の創作において構想力がかたちづくる形、物にあたるものであり、具体的にそういう形、物をつくりだす「技術」を指すことになるでしょう。
これは認識論的な領域で言えば、芸術の創作において構想力がかたちづくる形、物にあたるものであり、具体的にそういう形、物をつくりだす「技術」を指すことになるでしょう。
バシュラールにおいては科学における認識を自然と人間の認識論的な構造として、感性に対する悟性の優位という、著者のいう「悟性一元論」的な構造のもとで語っているだけで、その認識論的な場を設定し、同時にその認識論的な構造によって支えられもする権力の技術がしつらえる磁場において、諸々の知が権力の磁場に引き寄せられる技術論的な構造への目配りはなかったのに対して、フーコーは権力の技術のはたらきと知が、その技術が生み出す客体としての個人において内在的に重ね合されることで、この客体としての個人を支配し、規格化し、矯正するという目的(戦略)を果たすのだというふうに、認識論的な構造と権力の技術論的な構造が重ね合されている、というのは著者の述べている通りだと思います。
ただ、そこに「三項構造」を見、ありもしない「共通の構造」を見ようとするとき、前者についてはそう言いたければ言ってもいいけれど、それは類推の構造という以上の意味はもたないでしょうし、後者に至っては意味不明ということになるように思われます。
具体的な事象を語っているときはよいけれど、抽象的な概念を操作する段になると、簡略化された類推の非論理で強引に展開されるところがあって、「戦略(感性)」だとか「戦略(まなざし)」だとかいった曖昧な表記によって、事実上「戦略=感性」、「戦略=まなざし」を示唆するごとく、或る概念を、別の概念に無造作に等値してしまうことで、類推がいつのまにか論理にすり替えられてしまっているところがあるようです。
したがって、次の「権力論の諸問題―戦略と戦術」という一節はとても分かりにくいものになっています。
著者はその冒頭に、「権力論のフーコーは・・・(中略)・・・まなざしと言語を結びつける第三項(共通の構造)について技術論という観点を導入することで解決しようとした」と書いています。ここで「共通の構造」という一度もまともに説明されたことのない言葉(概念)を除外してしまえば、「まなざしと言語を結びつける」ということで著者が言いたいのは、カント的な認識論における、「感性と悟性を結びつける」ことにほかならないでしょうから、それは構想力であり、三木清が言うように、それは形を、モノをつくりだすことであり、その技術なのだということは、それを「第三項」と呼ぼうと呼ぶまいと、間違ってはいないでしょう。
そしてフーコーが権力論にこの認識論的な構造を重ねて権力の技術論を展開し、それが権力と知の内在的な関係で支えられ、またそれを活用するものだという構造を明らかにしたことも、これまで見て来たとおりだと思います。
そしてフーコーが権力論にこの認識論的な構造を重ねて権力の技術論を展開し、それが権力と知の内在的な関係で支えられ、またそれを活用するものだという構造を明らかにしたことも、これまで見て来たとおりだと思います。
ただ、著者は次の一節で、このフーコーの権力の技術論における認識論的な構造の活用の仕方に関して、或る疑問を提起しています。著者の言葉によればそれは次のようなことです。
一つはまなざしについてである。対象性の領野が権力の戦略によって切り拓かれることからフーコーは戦略を感性(まなざし)に相当するものと位置づけている、と解釈することができる。しかしながら、ここにはカントの認識論で言えば、感性と理性が混同されているように思われる。『監獄の誕生』において受容の具体的な形式については戦術の水準で議論されている。・・・(中略)・・・しかし、それらの諸技術は戦略によって条件づけられていた。言いかえれば、感性の形式は戦略によって条件づけられていた。それゆえ、戦略がまなざしと位置づけられることは理解できる。それに対し、戦略は権力の目的であり、それはカント哲学で言えば理念に相当するはずである。(p206)
著者の類推的思考では、フーコーは「戦略―戦術―魂」と言う権力の技術論による対象の客体化と、「戦略(感性)-戦術(構想力)-言説(個性)」という認識構造とを重ね合わせているので、「戦略=感性」ということにならざるを得ないわけです。
これは類推的な概念の対比をもて遊んだ結果であって、意味不明の等値になっています。それはフーコーのせいではなく、著者の類推による展開の結果落ち着く先なのです。著者の言うように「フーコーは戦略を感性(まなざし)に相当するものと位置づけている」と解釈することは「できない」でしょう。どこにもそんなことは書かれていません。
「戦略がまなざしと位置づけられることは理解できる」とあるのも、まったく「理解でき」ません。その前に書かれた、著者の言を根拠づけるはずの論理にまったく説得力がないからです。「戦略=まなざし」というのは、著者の類推的展開の成行き上、「戦略=まなざし」という結果になってしまっただけのことのように思われます。
これは類推的な概念の対比をもて遊んだ結果であって、意味不明の等値になっています。それはフーコーのせいではなく、著者の類推による展開の結果落ち着く先なのです。著者の言うように「フーコーは戦略を感性(まなざし)に相当するものと位置づけている」と解釈することは「できない」でしょう。どこにもそんなことは書かれていません。
「戦略がまなざしと位置づけられることは理解できる」とあるのも、まったく「理解でき」ません。その前に書かれた、著者の言を根拠づけるはずの論理にまったく説得力がないからです。「戦略=まなざし」というのは、著者の類推的展開の成行き上、「戦略=まなざし」という結果になってしまっただけのことのように思われます。
著者のもう一つの疑問は、カントの構想力に相当する、著者のいう「第三項」についての議論が不十分ではないか、「まなざし」と「言語」を媒介し、総合することはいかにして可能なのか、ほとんど論じられていないではないか、ということのようです。
私が思うにそれは、結局、認識論的構造の中で言えば、構想力(想像力)とは何か、それが感性と悟性を媒介し、総合するとはどういうことか、またいかにしてそれは可能なのか、ということであって、多くの哲学者を悩ましてきた問題なのだろうと思います。
私が偶々今回この本を読むための準備体操として読むことになったハイデガーの『カントと形而上学の問題』もこの難問に取り組んだものだったと思います。
しかし私が見るところではすっきり解決してくれたようには思えず、感性と悟性が根元に近いところで二股に岐れた大樹の、二股に岐れる前の幹の部分に当たるものが構想力なのではないか、という、もともと感性と悟性から出発して考えられた、それこそ著者の言う「第三項」的な扱いだった構想力が、むしろ感性や悟性をそこから派生する源であるかのように、到達点から逆にそれまでの経路が生み出されるかのような逆転の構図を示唆されただけで終わったようなところがありました。
私が偶々今回この本を読むための準備体操として読むことになったハイデガーの『カントと形而上学の問題』もこの難問に取り組んだものだったと思います。
しかし私が見るところではすっきり解決してくれたようには思えず、感性と悟性が根元に近いところで二股に岐れた大樹の、二股に岐れる前の幹の部分に当たるものが構想力なのではないか、という、もともと感性と悟性から出発して考えられた、それこそ著者の言う「第三項」的な扱いだった構想力が、むしろ感性や悟性をそこから派生する源であるかのように、到達点から逆にそれまでの経路が生み出されるかのような逆転の構図を示唆されただけで終わったようなところがありました。
しかし、私はフーコーの権力の技術論における、権力のしつらえる構図に知が引き寄せられ、諸々の技術(戦術)が機能しあうことで、全体の目的(戦略)に奉仕し、またその目的(戦略)が個々の戦術をより効果的に配列し、位置づけるよう条件づける、という構図はとても明快で、曖昧なところはなく、誤解の余地もないと思います。著者がカントの「構想力」に擬定する「技術」については、具体的に様々な技術を取り上げて分析してみせています。
具体的に監獄のパナプティコンやその他の諸技術(監視、観察、記録、試験など様々な規律・訓練の方法、規格化の技術)が個人を客体化し、そのことが知の言説を引き寄せ、権力と知の内在的な結びつきによって全体としての目的(戦略)が達せられる、というフーコーの語り方に過不足はないように思います。
具体的に監獄のパナプティコンやその他の諸技術(監視、観察、記録、試験など様々な規律・訓練の方法、規格化の技術)が個人を客体化し、そのことが知の言説を引き寄せ、権力と知の内在的な結びつきによって全体としての目的(戦略)が達せられる、というフーコーの語り方に過不足はないように思います。
saysei at 13:16|Permalink│Comments(0)│
2022年05月29日
猛暑の高野川に4頭
きょうは全天快晴の猛暑。左京区の最高気温は33℃だったそうです。ちょっと陽が陰ってから出ましたが、やっぱり暑かった。
きょうは松ヶ崎橋のすぐ下手の草地で、合計4頭の若い元気な鹿たちを見ました。
1頭目
2頭目は、しきりに背伸びして石垣の上の植物を食べていました。
3頭目は上の背伸び君のすぐ右隣りの草むらにうずくまっていたのです。でも自転車を止めて見ていた時には気づきませんでした。帰宅して写真を見たら、上の鹿のとなりに写っていたんです。
4頭目は川の中ほどで、こうしてしばらく水につかっていました。体温を下げるためでしょう。去年もこうやって足を水につけて、じっと立って体を冷やしている鹿をよく見ました。自然の知恵ですね。
きょうの夕餉
豚肉のロースト、焼き野菜とトマトソースを添えて
カボチャの冷製スープ
パンコントマテ、あとグリーンサラダと枝豆。
自家製キャラウェイシードケーキ(デザート)
同前
アイスコーヒー(スペシャリティーコーヒー)
以上でした。
saysei at 18:12|Permalink│Comments(0)│
2022年05月28日
鹿もぐったり高野川
きょうの左京区は気温30度前後まで上がり、真夏のような暑さでした。高野川でみた鹿は全部で5頭。みんな暑い陽射しを避けるように、草蔭に伏せていました。
2頭目
3頭目。ここまでが馬橋のすぐ上(かみ)の草地。
4頭目はもひとつ上(かみ)の草地。
5頭目。この子だけが立っていました。
昨日見た左後脚に障害のある2頭は、この5頭の中にはいませんでした。また、18日に現われた仔鹿も、あれきり姿を見ません。
終日いいお天気でした。昨日いささか過剰に働きすぎたせいか、きょうはすごく眠くて、ちょっとしんどいようでしたが、パートナーも同じだというので、それは今日の暑さのせいかもしれません。
発注していた里中満智子さんの『天上の虹』が、今日届きました。今朝の日経新聞の「私の履歴書」に里中さんが書いているところでは、なんと完成までに32年間を要した作品だそうです。人生の三分の一をかけて描いた作品、ぜひそこに込められた思いをじっくり拝見したいと思います。
きょうOGから、月末には海外へ留学する旨の知らせをいただきました。こうして近況を知らせてもらえるのは、本当にうれしいですね。1年間の留学だそうで、きっと彼女にとってはこれからすごされる時間が、生涯で一番自由で、自分のやりたいことに、思い切りチャレンジできる、最高の時になるんじゃないでしょうか。そして向こうで過ごされる日々は、彼女にとってかけがえのない生涯の資産になって、その後の物の考え方や行動に、生き方に必ず影響を及ぼすに違いありません。
若いということは本当に素晴らしいことですね。
彼女が帰国するころまで私が生きていられれば、ぜひ海外での経験をいろいろ聴きたいなと思います。
彼女とは一度、一緒に自転車で京都市内を走ろう、と約束していたのですが、今の私はもう自転車に乗るのが車いす代わりといったありさまですから、若い彼女と一緒に走って何処かへ行くのは無理でしょう。でも「人間失格」の主人公のように、自転車に乗って二人で青葉の滝を見に行く、かなわぬ夢を見たりすることがあります。
今日は土曜日で、長男が一緒の夕食。上賀茂野菜をフルに使った料理をパートナーが工夫をこらして用意していました。たまたま上賀茂の豆類が多く、豆づくしのようなメニューでもありました。
きょうの食卓
ズッキーニ、モロッコインゲン、肉巻き、賀茂茄子のフライ、新じゃがとピーマンのから揚げ
カツオのタタキのルッコラとディルのせ、オリーブオイル、ぽん酢かけ
うまい菜、エンドウ豆、おあげの天ぷらの煮物
里芋と鯛の子の煮物
タケノコ入り牛筋蒟蒻(スジコン)
枝豆
グリーンサラダ
豆ごはん
以上でした。
saysei at 21:39|Permalink│Comments(0)│