2022年04月
2022年04月27日
ウクライナの事態への視点
私たちはもちろん、ウクライナ東部の一部地域でのロシア系住民を「救い出し、解放する」ための軍事行動だなどというプーチンの口実など信じるはずもないので、自然、ロシアの一方的な侵略ではじまったウクライナ対ロシアの戦争であり、いわば善玉と悪玉の戦いで、我々と同じ陣営に属する欧米諸国が善玉を支援している・・・戯画的に単純化すれば、そんな構図で見てしまうように思います。
けれども、今起きている事態を、そうした国家や軍隊の攻防という、国家や軍隊を牛耳る人たちの視点であるか、双方を距離をおいて安全地帯から見る傍観者の視点で眺めることに疑問を生じることはないでしょうか。
もし自分がウクライナに住んで生活をしてきた人だったとしたら、もちろんそういう人の多くにとっても、自分はウクライナという国家の国民であり、自分たちが帰属している国家を守らなければ自分たちの生活もないので、これを守ることは当然であり、その主権国家を侵すロシアと戦い、侵略には抵抗するのが国民としての義務でもあり、また自らの自発的な意志でもあり行動でもある、・・・のかもしれません。
しかし、私はそうした、おそらくは世界中でウクライナへの支援の気持ちを懐いて報道に接している人たちにとって好ましい、強い意志をもった戦う国民よりも、テレビ画面で、ロシア軍の砲撃やミサイルで家族を失い、自分の家を完全に破壊されるなどして、すべてを失って、まだ黒煙に包まれた廃墟の前で呆然と立ち竦んで、「自分は何も望まない、ただ平穏な日々がほしいだけだ、青空がほしいだけだ」と嘆く老女の姿や言葉のほうに、いまのウクライナの人々の実像と言って語弊があるなら、私たちがしっかり見なくてはいけない原像があるのではないか、という気持ちを拭うことができません。
そこで家族を殺され、住む家を焼かれ、すべてを奪われた老女が直面しているのは、そうした現実そのものです。これだけは侵略者であれ被侵略者であれ、認めざるを得ない唯一の現実です。彼女が帰属するとゼレンスキ―やその兵士たちが考えるかもしれない国家は、彼女にとって必ずしも現実とはいえません。良し悪しは別にして(と言わなくてはならないこと自体がそのことを証しているのですが)例えば東部の一部地域でウクライナ政府にっ反旗を翻していたロシア系市民の一部にとっては、自らの帰属する国家はロシアであったり、今回捏造したその傀儡「国家」でしょう。
私たちは国際政治の現実というとき、いつもこのような国家と国家の関係で構図を思い描き、パワーポリティックスなどというものを現実だと思いがちです。しかし、その基礎にあるのは、いくらでもイデオロギーに染まる共同幻想に過ぎず、決して人間にとって唯一の現実、それをもとにして初めて現実的な解決の方途が見いだされるべき唯一の基礎としての現実でもなんでもありません。
かの老女にとっては、ウクライナ国家が侵害された主権を回復し、侵略者を打ち破ることよりも、家族を失わないこと、住む家を焼かれないこと、日々の平穏な暮らしを、青空を失わないことのほうが、よほど大切だったでしょう。たとえ自分の暮らす土地が、専制的な独裁者プーチン・ロシアの支配下に置かれ、様々な強権的な統制、圧政の下に置かれていたとしても、です。
だからロシアに降参したらいいのか?とか、ロシアの圧政下へウクライナの人々が追いやられればいいのか?というのは見当違いの反問です。そんなことは誰も言っていないし、そういう反問こそが事態を国家と国家の争いの構図でしか見られず、現実へのまなざしを失った傍観者の目でしかないのではないか、と思うのです。
正直のところ、私も多くの人と同様に、ウクライナへのロシアの一方的な侵略に憤激し、傍観者ながらウクライナを応援し、ウクライナ軍がロシアの旗艦「モスクワ」を撃沈したことを聴けば小躍りするくらい喜んだりしているわけです。
しかし冷静になって考えれば、こういう自分って何なんだろう?いまウクライナでその国民に起きていることの現実を、そんな国家と国家の構図のうちに回収してしまい、傍観していて、ほんとうに現実を見ていることになるのだろうか、という疑問が湧いてきます。
今回プーチンのロシア軍がウクライナの領土へ侵攻して、多くの市民の生命と生活を奪っていること自体はとうてい許されることのない蛮行で、戦争犯罪であることは間違いないけれど、少し時間を巻き戻して、なお国家と国家の関係といった次元でウクライナとロシアおよびそれをとりまく欧米なども含めた国際政治の構図で眺めてみれば、必ずしも一方的にプーチン・ロシアを悪者扱いしてすませられるかどうかは疑問です。
もとより、いまのプーチン・ロシアの専制的な支配体制に否定的であるとか、ウクライナがそのロシアの支配を離れて民主主義を奉じる「われわれの側」に一層近づくのは好ましいことだとかいった考え方からみれば、プーチン・ロシアは常に悪であるかもしれませんが、それは観る者のイデオロギーに染められた主観的な見方であって、ロシア国民にとってはもちろんのこと、中国やインドやアラブ諸国やその他数多くのさまざまな立場の国々の国民からみれば、大変一方的で偏ったものの見方であることは疑いありません。
いわゆる民主主義国家の奉ずる「民主主義」を普遍的価値とし、理想的な形でそれが実現されることを唯一の正義と考える人たちにとっては、それ以外のイデオロギーを奉じ、それにもとづく支配をつづける国々に正義はないことになるかもしれません。しかし、それは一つのイデオロギーに過ぎず、決して普遍的価値としてだれもが認めざるを得ないものではありません。
実際、いかにきれいごとを言っても、いま民主主義を奉じる最大の大国アメリカの社会の現実は、すさまじい不平等や差別や暴力を骨がらみ孕んだものであることは、現実から目を背けない限り誰の目にも明らかです。一握りの権力者、富裕者たちが社会の富を独占し、日々飢え、貧しさに人生を打ち砕かれ、病いに抵抗も出来ず死んでいく無数の人々は客観的にみればほとんど放置されているに等しい社会としての一面を確実に持っていることは、誰もが認めざるを得ないでしょう。
ロシアや中国のような専制的な支配体制の国家の弊をあげつらうのは、私たちにとって極めて容易ですが、そういうイデオロギーに染まった目でいわゆる国際政治の構図を描いても、なにも現実は見えてこないと思われます。
しかし、元へ戻って、いまかりに国家と国家の関係のような次元で今回のウクライナ侵攻をめぐる経緯をざっと調べて見ると、どうやらウクライナ侵攻だけでなく、ロシアによるジョージアへの侵攻もあわせて、その引き金となったのは2008年のNATO首脳会議だったようです。そこでアルバニア、クロアチアのNATO加盟が承認され、ウクライナとジョージアについては米国のブッシュ大統領(阿保のほうの)がNATOへの加盟行動計画の承認を得たがっていると推したものの、仏独が反対したのをはじめヨーロッパ諸国が強い懸念を表明して米国と対立した経緯があります。
結局両国の加盟も、加盟準備に向けての具体的な手順に入ることも承認されませんでしたが、共同宣言の中で、両国は「将来加盟国となるべき(will become member)」とする文言が入ります。
これがプーチン・ロシアを痛く刺激したことは確かなようです。ウクライナ侵攻の前に、報道に姿をみせるプーチンは、しばしば、自分たちは西側に欺かれた、NATOは1インチも東方へ拡大はしない、と約束していたのだ、という意味のことを繰り返し語っていました。
色々調べてみると、このプーチンの言葉が指しているものは、文書で交わされた条約だの国家間の正式な取り決めなどではありませんが、東西ドイツを隔てるベルリンの壁が崩壊した折に、西側がソ連に対して東ドイツから手を引くように説得する際、たとえば米国のベーカー国務長官は90年2月9日、ソ連のゴルバチョフ書記長に対して「NATO軍の管轄は1インチも東に拡大しない」と発言したのは事実のようです。*
また、その翌日10日は、西ドイツのゲンシャー外相やコール首相が訪ソした折にも、同趣旨の発言をしていたそうです。さらに、NATOのヴェルナー事務総長も同年5月に「NATO軍を西ドイツの領域の外には配備しない用意がある」と演説しています。
ところが、その後の推移をみると、90年に統一されたドイツをはじめ、99年には旧ワルシャワ条約機構加盟国のチェコ、ハンガリー、ポーランドがNATOに加わるなど、ソ連崩壊以前は16カ国だったNATO加盟国は今では30カ国まで拡大しています。それはNATO側がロシアに約束した東方不拡大とはまさに真逆の動きでした。
NATOはヨーロッパ共同体(EC)などとは違って、あくまでも軍事同盟です。しかも、もともとロシアの前身であるソ連を攻囲する明確な意図をもった軍事同盟です。そして、加盟国一国に対する攻撃は全加盟国への攻撃とみなすという強力な共同防衛のための軍事同盟です。これが体制の異なるロシアにとっていかに大きな脅威であるかは申すまでもないでしょう。他方でソ連が盟主として仕切っていた東側の軍事同盟であるワルシャワ条約機構は91年に解体してしまっていたのですから。
米国にも、こうしたNATOの東方拡大に強い懸念を懐いていた人たちがいたことが知られています。
たとえば、かつてソ連大使を務めたこともあるジョージ・ケナンは、98年5月のニューヨーク・タイムズで「私はそれ(NATO拡大)は、新たな冷戦の始まりであると思う。ロシア人は強く反発するだろうし、ロシアの政治にも影響を与えるだろう。それは悲劇的な過ちだ」と述べていたそうです。
これを自著で引用した、クリントン時代に国防長官をつとめ、NATO拡大に慎重な姿勢を取って来たウィリアム・ペリーは、共著『核のボタン』で、「冷戦終結とソ連崩壊は米国にとってまれな機会をもたらした。核兵器の削減だけでなく、ロシアとの関係を敵対からよいものへと転換する機会だ。端的に言うと、我々はそれをつかみ損ねた。30年後、米ロ関係は史上最悪である。」と述べているそうです。
さらに、米軍将校から歴史家に転じたアンドリュー・ベースビッチは自著で、米国が冷戦の勝利を過信して道を誤ったと指摘し、20年6月の朝日新聞のインタビューで「ベルリンの壁崩壊を目の当たりにして、米国の政治家や知識人は古来、戦史で繰り返された『勝者の病』というべき傲慢さに陥り、現実を見る目を失ったのです」と述べていたそうです。
シュルツ元国務長官ら冷戦末期にソ連との核軍縮条約の実務を担当した人たちは、NATO拡大がセンシティブな要素をはらむことを理解していたけれど、「お互いに敵とみなさない」との東西和解の合意にもかかわらず、クリントン政権はNATO拡大に舵をきったということです。
ロシアのエリツィン大統領は難色を示したものの、駆け引きの末、99年に東欧3カ国がNATOに加わったわけです。エリツィンは、退任後の2000年に出した回想録『大統領のマラソン』で、「私は世界に向けてこう語った。これ(NATO東方拡大)は誤りだ。新たな東西対立へとおとしめることになるだろうと。残念ながら、その通りになった」と述べているそうです。
* 以上、NATOの東方拡大およびそれについての慎重な意見に関する情報の出所は、朝日新聞デジタル「ゴルバチョフは語る 西の『約束』はあったのか NATO東方不拡大」によっています。(https://www.asahi.com/articles/ASQ3B51K1Q39PLZU001.html)
ソ連の崩壊で、いわば労せずして自由主義陣営が「勝利」して、冷戦を制したという、米国政権や米国の主導するNATOのおごりが、こうした事態を招いたことは容易にみてとれます。
私たちはその「自由主義陣営」に属しているために、軍事的なかけひきなどに疎くても、それを朗報のように受け止めて、いつかそう遠からず旧社会主義圏もみな自由主義的な政体に変わって行かざるを得ないのではないか、経済システムはすでに社会主義圏も市場経済を取り入れて中途半端とはいえ資本主義経済以外の何ものでもないものに変わりつつあるのだし、政治体制が追い付いていないだけだ、といった感覚で眺めていたのではないかと思います。
しかし、考えて見れば、ロシア国民の立場に立ってみれば、その間の出来事は全て、非常に屈辱的な出来事だったのではないでしょうか。
私たちが考えがちなように、それまでの強権的な共産党独裁のもとで抑圧されてきたけれども、ソ連崩壊で解放された、と感じていたとは、とうてい考えられないのです。
ソ連崩壊後の社会の大混乱の中で、これなら共産党時代の方がずっとマシだった、と考える人々を大勢生み出すような事態を招いたことは、それほど私たちには実感を伴う形で知られてはいません。
しかし、ロシア国民がソ連解体の後に経験せざるを得なかったのは、いかにひどい社会であっても、民衆のための平等な社会という看板(タテマエ)だけは下ろせなかった共産党支配の時代よりもずっとひどい、その看板さえかなぐりすててしまった、むきだしの強欲、権力、暴力がマフィアと結びついて民衆を収奪し、かつてソ連統治下にあった共和国や東欧諸国よりも貧しくなるばかりの、混乱と無気力がまん延する社会でした。
そんな不安定で希望のない状況の中で、とにもかくにも国内的な政治・経済の体制を立て直し、人々の生活に私たちの社会からみれば低い水準であれ一定の安定をもたらしたプーチンが、国民の多数から圧倒的に支持されてきたのも、決していま強い規制を掛けている状況のような、権力による抑圧で自由にものが言えないからと、一部のインテリゲンチャや西側文化にある程度なじんだ都市部の若い世代の発言だけを見て考えると、大きな過ちを犯すことになるでしょう。
そうしたロシア国民の目から見て、ロシアにあらたな冷戦を強いるような敵対的軍事同盟NATOの急速な東方拡大はどう見えていたか、私たちがふだん漠然と感じて来た「西側」内部の庶民感覚ではうかがい知れないものがあるのではないか、と思います。
とりわけジョージアとウクライナの二国にNATO加盟への道を開いたことは、プーチン・ロシアにNATOが越えてはならない一線を越えた、という大きな危機感を抱かせただろうことは想像に難くありません。ポーランドやハンガリー、チェコなどとの違いは、まがりなりにも独立国家であった旧ソ連の衛星国家と、連邦の形で国家を成していた旧ソ連そのものの一部としての共和国であったジョージアやウクライナとの、ロシアにとっての決定的な違い、という点だろうと思います。
いまプーチン・ロシアがウクライナ南部の黒海沿岸部をつないで、モルドバ共和国の一部ロシア人居住地域で勝手に独立宣言してロシア軍が駐留している地域にも侵攻しようとしているのは、こうした推測を裏付けるものでしょう。
ほんとうは、プーチン・ロシアはジョージア、ウクライナ、モルドバのような旧ソ連そのものの一部であった共和国の領土は、すべてロシアの領土として「取り戻し」たいのでしょう。(もちろんそれぞれの住民たちの意志で選ばれたリーダーのもとで主権国家となったそれらの国々をいかなる経緯や主観的な思い、理由、目的があろうと、そんなことは決して許されないことは申すまでもないことですが。)
今回のウクライナ侵攻でも、ネットから漏れたロシア側の情報では2日間での戦勝を予定していて、おそらく最新兵器を使って空港など主要な軍事施設だけを的を絞って的確にたたき、電撃的に首都を制圧してゼレンスキ―を追い出して、ロシアの傀儡政権を立てれば、それで一件落着と楽観的に考えていた節があります。
それはクリミア半島の制圧がそんなふうにいとも簡単に実現し、西側の制裁を受けたものの、いまのグローバル経済の中でロシアの天然ガスに大きく依存するドイツを始めヨーロッパ諸国に大した圧力がかけられるわけがないと考え、その成功体験の延長でやってしまったというところがあったかもしれません。
実際にはウクライナ軍がプーチン・ロシアの予想をはるかに超えた強力な抵抗によって、市民をも無差別の攻撃標的とする兵器の使用に踏み切り、最新兵器や空軍、戦車などの重火器を使った都市全域への攻撃に転じざるを得なかったのでしょう。それもうまくいかず、内外にその失敗をとりつくろうために、東部戦線に兵力を集中して、せめて東部2州の制圧、あるいは黒海沿岸部一帯の制圧を目標とせざるを得なくなっているのが今の状況でしょう。
私たちはもちろんプーチン・ロシアにそうした経緯があり、事情があり、想いがあっただろうからといって、いまのウクライナ侵攻が理解できるとか、致し方ない面があるなどということは絶対にできません。
市民を無差別に虐殺し、その住居、生活の一切を破壊していくプーチン・ロシアのジェノサイド的蛮行は、プーチンがゼレンスキ―たちにレッテル貼りをしている「ナチス」の蛮行に匹敵するもので、これを強く批難し、それに対するウクライナ国民の抵抗を強く支持します。
しかし、そうしたものの見方と同時に、果たしてその構図の中で、ウクライナ国民が現在から将来にかけて平和を取り戻し、平穏な生活を取り返せるのか、そうしたヴィジョンを思い描くことができるのか、と考えると、その種の善玉、悪玉的な構図、国家と国家のパワーポリティックスの構図で傍観者の私たちが考えることの虚しさを痛感せざるを得ないし、ゼレンスキ―の軍隊が今ほしがり、必要とすることは重々承知ではあるけれど、米欧が競い合って重火器を送り込んでいることに対しても、手離しで喝采を送ることはできない気がします。
欧米各国の軍産複合体のような権力にとっては、自国以外でのこのような戦争の一方に加担して兵器弾薬を製造し、送り届けることは、いわゆる特需的な機会で、正義の旗の下に世界の多くの国々の賛同を得ながら堂々と殺人兵器を無際限に送り込むことができる、またとない機会かもしれません。世界戦争を避けるために欧米もNATOも自身の軍隊は出さない、というのですから、自ら決着をつけるリスクは負わないわけです。これは一種の代理戦争でしょう。
米国の政権が常にこうした軍産複合体の利害に突き動かされる一面をもっていたことはよく知られています。米国に限らず、国家というものが、もともとそういうものなのかもしれません。
だから、私は手放しでいわゆる正義に加担することを躊躇し、拒否します。欧米がウクライナ支援として戦地に競って重火器を送り込むやり方に大きな疑問を感じます。
それよりも影響力のある国々の権力者たちには、やるべきことがあるのではないか。とにもかくにも直ちに停戦し、市民の殺戮をやめさせ、ウクライナとロシアの戦闘の当事者としての交渉を超え、この戦争のもとになった、もともとのNATOの選択の地点まで戻って、ロシアと他の国家との関係を見直し、冷静に異なる体制の共存を見据えた方策を提案しあい、交渉しあってそれぞれのとるべき道を見いだすようなことができないのでしょうか。
本来なら、ウクライナにもジョージアにも、スウェーデンやフィンランドのような、NATOに加盟せずに中立を守る方途というのは探すことはできたでしょう。しかしこうなってしまえば、そのスウェーデンやフィンランドもロシアを脅威以外の何ものでもないと断じざるを得ず、NATOに先を争ってなだれ込もうとするのは避けられないでしょう。
しかし、その結果は、以前にもまして厳しい東西冷戦のはじまりであり、国家間の版図拡張争いであり、そのはざまでのさまざまな陰謀が交錯する地域紛争であり、はては予期せぬまま核戦争に到る可能性も除外して考えるわけにはいかないでしょう。そんな道をこのまま歩んで、いったいどこの国のふつうの生活者にとっていいことがあるでしょうか?
たとえ欧米各国がウクライナに重火器を有り余るほど送り、ロシア軍を撃退できたとしても、上記のような経緯とそれに伴うロシアの立場を考えれば、将来にわたってグルジアやウクライナのような旧ソ連そのものであった旧共和国地域をロシアがそのまま欧米に、NATO軍事同盟下に取り込まれるままに放置するとは思えません。そうすれば、たとえ今一時的に撃退しえたとしても、再びウクライナの生活者たちは戦火の中に放り込まれることになるでしょう。それでいいのでしょうか?
ロシアにはじめから好ましい感情を持たない人は、ロシアの体制が変わって自由主義陣営に降伏帰順するまでやれがいいと思っているのかもしれません。アメリカの軍産複合体や極右だか極左だか最近はどっちがどっちかわからないけど(笑)、そういう権力はそんな考えをもっているのかもしれません。しかし、おそらくプーチンのいうようにロシアのような大国は、そう簡単にそんなふうにはならないでしょう。
日本にいると、いまもロシア国内でプーチンの支持率が7割だとか8割だとかに達すると言われると、それは調査結果自体の捏造だろうとか、外部の情報を遮断して一方的な情報だけ与えているからだとか、強権で抑圧して声が挙げられないようにしているからだ、と考えがちだし、そういう面が少なからずあることも事実でしょうが、私は実際にロシアの相当な比率の国民がプーチンを依然として強く支持していると思います。
それは日本国内に来ているインテリの子弟であるロシア人の若い世代が、母国にいる父母らに連絡をとって、いくら一所懸命説得しようとしても、それは西側の流すフェイクニュースだとして、頑として説得されない、という多くの事実にも示されているように思います。
もちろんそこにあるのは一方的で偏った情報を流すだけの政権の情報統制なのですが、しかしそれ以前に家族が説得してもきかずにプーチンを支持し続ける、前提としてのプーチンへの信頼があるのを見落とすと、とんでもない誤りをおかすことになるでしょう。
人はいくら偽情報を与えられ続けても、それにひっかかるのは、そうした情報ー文化のレベルでの知的操作に関してであって、生活者は日常的な自分の生活の中で形成されるものの感じ方や見方、行動の仕方に関しては、政治権力であれ経済的な力であれ知識人らの知的権力によるものであれ、そう簡単にそなんなものによって根底から動かされたりしないものです。
彼らの生活はソ連崩壊によって痛めつけられ、それに耐え抜いて今日があるはずで、その生活を立て直してくれたのがプーチンだということを身に染みて「わかって」いるのだろうと思います。それは誤解であって、ほんとうはプーチンの功績なんかではない、というのは「西側」の、あるいはインテリの理屈であって、ロシアの大多数の生活者にとってはそうなのだと思います。
これは彼らの体験してきた苦痛に比例し、またそこから立ち直って来た経験に比例して、彼らの心身に焼き付けられた記憶であって、インテリの言葉による理屈で簡単にどうこうなるようなものではないと思います。
私たちはこうしたロシアの民衆の現実をすっぽぬかして、プーチンという権力者個人にロシアを代表させ、ロシアという国家の次元でしか事態を見ないとすれば、大きな過ちをおかすことになるのではないかと思います。私たちは、たとえプーチンが狂人と紙一重であっても、また何か心身を病んだ病人であっても、ロシアをロシアのなんでもない生活者の現実においてとらえていく必要があると思います。
こうした観点からは、ロシアでどんな専制的な権力の支配があろうと、それはそれでロシアの民衆がみずからの行方を決めることであり、その民衆のロシアの現実とどう平和に共存していけるかを考えなければならないはずです。
米国の識者の一部が警告していたように、ソ連崩壊の時がその最大のチャンスだったのでしょうが、そんなことをいま言っていても仕方がないので、遅くてもやらないよりはまし。もう一度その原点、つまり今回の侵略の直接のきっかけとなった出来事の時点に戻って、そこでありうべきロシアと他国との関係の将来をよりよく見定め得たであろうように、あらためて世界の叡智を集めてそうした道を手探りしていくほかに、ウクライナ問題の本当の解決はあり得ないのではないか、という気がします。
2022年04月26日
知床
強風波浪注意報とか、警報が出ていて、プロの漁師が出航しないのに、大勢の客の命をあずかる観光遊覧船が出航したのはなぜか。
当初の疑問が報道に接するうちに少しずつ見えてくるようでした。まず比較的最近になってその観光遊覧船を運営する会社の経営者(社長)が変わったということ、そしてそれまでそこで働いていたベテラン乗務員らを全員解雇した、ということ、今回運航した船の船長は、そうした人事で繰り上がった乗務員だったこと等です。
解雇された理由は報道では直接には触れていませんでしたが、取材に対して解雇された元乗務員は、ベテラン乗務員だと30万、40万とるからな、そら若いアルバイトなんか雇えば安くすむ、・・・というふうな答えをして、経営者が人件費を削減して利益を上げるために、ベテラン乗務員の首切りを断行して経験に乏しい若い乗務員で運営しようとしていたらしいことが窺えました。
また別の取材では、なぜ天候が悪くなるのが分かっているのに出航したのだろうかと訊く記者に対して、今の社長は海のことはなにも知らんから…と言っていました。
その社長は遺族への説明会で同様の問いを受けて「私は大丈夫だとおもいました」というような答え方をしていたかと思います。
今回船を操縦して出た船長は写真をみるとまだ若い、ベテランとは言えない乗務員のようで、去年も二度座礁事故を起こしていたらしく、そのうちの一度のとき、船底に亀裂が生じていたという証言もありました。それを社長は修理していた、と説明したようですが、真偽は不明で、そこから浸水したのではないかという疑問を持つ人もあると報道では報じられていました。
出航時点ではそれほど波が高くはなかったようですが、後刻つよい風が吹き、高い波になることについては警報が出ていたようです。また船長には漁業者だったか同業他社の船長だったか忘れましたが、個人的にきょうは危ないから出航しないほうがいい、と忠告したそうですが、船長はうん、と答えながら出航した、と証言していました。
なぜ船長はそんな状況で出航したのか。船長がなくなった以上、その証言は得られず、謎のままですが、彼自身の判断がよほど甘かったり、考えにくいことですが、気象条件をチェックせずに出航したかでないなら、上司、具体的には社長の指示で出航したとも考えられます。それは社長の正直な証言があるか、そういう指示の場に立ち会った証人が無ければ、なかなか突き止められないかもしれません。
けれども、客観的な状況として、コロナ禍で観光客が激減し、おそらく知床を旅する人も、観光遊覧船に乗る客もとだえたり、激減したりしていたでしょうし、ひょっとすると休業を余儀なくされていたかもしれません。社長が交代したのも、おそらく前の経営者がコロナ禍でこれはもうだめだ、と会社を手放したのかもしれません。
そして、ようやく全国的な「自粛」から人々が解放されて観光客の動きがではじめた矢先で、一刻も早く経営を立て直すべく、一回でも多く、一人でも多くの客を乗せて遊覧船を航行させたい、というのが会社の経営者のホンネだったでしょう。
状況を推測すれば、そんな中で起きた人災と考えるのが、一番ありそうなことのように思えます。多くの人命を預かる船の運航事業者として、客の安全を第一に考えるべきことは当然ですが、コロナによる観光業の極端な不振という状況下で、その原則がなおざりにされ、利益優先の経営、管理がなされ、ベテラン乗務員の解雇による経験の浅い乗務員の起用、船体や装備の点検や出航条件・気象条件の厳密な確認、日々の運営原則の順守などについて様々なほころびを生じ、それらが重なって起きた、まさに人災と言うほかはない事故ではないか、という気がします。
通常なら、事業の責任者である社長が遺族らに即刻状況説明や謝罪を行なうのが当然で、これだけ社会的な負のインパクトを与えるような事故を引き起こした責任者として、記者会見を開き、事実関係を正直に語るのが当然だと思いますが、事故後3日を経ていまだに報道陣の前には姿を見せていないようで、いわば雲隠れの状態なのはどうしたわけでしょうか。
もちろん社長の刑事責任も民事責任も厳しく問われなくてはならないでしょうが、仮に刑事責任を法的に証拠を挙げて問うことが困難だとしても、観光遊覧船運航の最終的な管理運営に責任を負う社長は、今回の事故に関して、遺族に対する民事的、道義的責任を負うことは言うまでもないことですし、観光事業をおこなって不特定多数の市民を相手にしている以上、社会的な責任をも負うていることは当然のことであって、報道陣の前に姿を見せ、その責任をはっきりと認め、謝罪し、事実関係を語らなくてはならないはずです。
私ももう半世紀以上前になりますが、大学2年の夏休みに友人二人と北海道旅行を楽しんだことがあり、そのときに知床で観光遊覧船に乗って海に出た覚えがあります。たしかあの海でだったと思うけれど、船のすぐそばをイルカが並走して、ほんとうにすばらしい光景を眺めることができた良い想い出があります。
その場所でこんな事故が引き起こされたと思うとやりきれません。今後知床を訪れようと思っていた人も今回のことで二の足を踏むでしょう。
観光船会社の社長は、知床の観光業界の人たちや住民たちのすべてに相当致命的なマイナス効果を及ぼすことをしでかしたのだ、ということを自覚しているでしょうか。まだ船も引き上げられておらず、今も見つからない乗客がたくさんいらっしゃる段階ではありますが、遺族の気持ちにできるだけよりそい、正面からその思いを受け止めて、この事故の詳細が明らかにされ、せめて、なぜ乗客の方たちがこのようにむごい死に遭遇しなければならなかったのか、究明しつくされることを願っています。
今日は終日降ったり止んだりの悪天候で、外には出ず、終日うちの中で調べ物をしたり本を読んだりしていました
朝はかなり足腰が痛みましたが、激痛というほどではなかったので、カロナールを朝食後に呑んで痛みを抑えていたら、結構痛みが緩和されて、昼食のときは、これなら飲まずにいてもいいかな、とためしに薬を飲まずにいたら、そのまま痛みがひどくならずに夕食時になったので、夕食後もためしに呑まずにいますが、午後9時をすぎたいまも、なんとかひどくは痛まずにもっています。
この調子で朝が迎えられれば御の字です。但し、治っているわけではないから、咳をするだけで、ひどく腰に痛みが来て困りますが、まあ激痛に比べればましです。
今日の夕餉
サワラのカマの塩焼き。2尾分で350円だったとか。おいしくてたっぷりあって、しかも安い。ふつうの身だと1尾で500円くらいするらしい。カマのほうがおいしいのにね。
ブロッコリ、椎茸、ベーコンのマヨネーズグラタン
ブタ肉、ジャガイモ、人参の煮物
胡瓜の中華風甘酢あえ
ホウレンソウの胡麻和え
サラダ
カブの葉のジャコキンピラ(炊き立てごはんに掛けて食べるとめちゃ美味い)
カブやキュウリのぬか漬け
以上でした。
「デジタル監」の交代
様々な登録や補助金申請ひとつとっても、市民の方がネットを通じて申し込んでも、お役所では送られてきた情報をディスプレイで確かめてはストックされた文書の個人情報と照合しながらアナログ処理していたために、いつまでたっても処理が進まない、というのをテレビの報道で目の当たりにして、素人の私たちでもさすがにこれほどひどいとは思っていなかったので、事態の深刻さを実感したのでした。
その決定的な遅れを全国的にはまずは国民のマイナンバーカード登録で、一人一人の国民をデジタルな情報として処理対象にできるようにしよう、まずはガチガチの縦割り行政でデジタル化を進めることができず、あちこちで機能不全を起こしている中央官庁でそれを突破する新たなデジタルインフラネットワークシステムを構築しよう、その指針を掲げて各省庁を動かし、調整し、引っ張って行く役割を果たすものとしてデジタル庁を設けよう、というようなことで、デジタル庁というお役所ができたのだったと思います。
ところがその最初の大臣に誰やらが任命されて間もなく、NTT社長の接待を受けていたような報道がなされたりして、ろくなことはなかった記憶があり、内閣が変わって大臣はいま女性の大臣になっています。
女性だからといってしっかりした政治家は幾らでもいると思いますが、一度デジタル担当大臣としての答弁をたまたまテレビで見ていたら、全然質問に答えられず、この人はデジタルのことなど分かっているのかいな、と不安を抱かせるようなところがありました。
まあ大臣というのは派閥が順繰りに出して選挙目当てに就任させるようなものらしいですから、私はデジタルなんてさっぱりわかりません、という政治家でも優秀な官僚が支えればつとまるものなのかもしれません。
デジタル庁で実際に仕事をするのは、同庁ホームページによれば令和4年度で、一般職員411名、非常勤職員211人だそうで、これを率いるトップが3人いて、副大臣、大臣政務官、デジタル監です。
副大臣や大臣政務官というのは大臣と同じく政治家の方に属する人間でしょうから、デジタルオンチでもつとまるのかもしれませんから、実質的にデジタル庁を動かせるトップは能力的にはデジタル監ということになるのでしょう。
昨年9月1日に同庁が発足した折に、その初代デジタル監に任命されたのは石倉洋子という一橋大学の名誉教授で経営学者だったようです。
ウィキペディアによれば「日本の通訳、経営学者(経営戦略・競争力・グローバル人材)。学位はDoctor of Business Administration(経営管理学博士。ハーバード大学・1985年)。一橋大学名誉教授。マッキンゼー・アンド・カンパニーマネジャー、青山学院大学国際政治経済学部教授、一橋大学大学院国際企業戦略研究科教授、慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科教授、日本学術会議副会長(第20期)を歴任」という華々しい経歴をお持ちの方です。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E5%80%89%E6%B4%8B%E5%AD%90
ウィキペディアの情報は、この種の有名人になかなか厳しく、本人が関わった「不祥事」まで情報公開されていて、彼女が自身の公式ウェブサイトで、"Depositphotos"や"Shutterstock"および"PIXTA"などの商用画像サンプルや、ギズモードの記事画像を無断使用していたことが、デジタル監就任直後に次々と発覚し、「石倉の公式ウェブサイトは2021年10月現在、謝罪声明が表示された状態で閉鎖されている」ことや、彼女が著作権を有する画像を無断使用したことを認めて謝罪した(2021年9月3日)ことを伝えています。
そういうことが影響したのかどうかは、私は全く知りませんが、この初代デジタル監がつい最近、辞任したという報道がありました。2022年4月26日の産経ニュース(ウェブ版)の見出しには、「石倉氏のデジタル監退任を閣議決定」とあります。
https://www.iza.ne.jp/article/20220426-HHOQVZ3HVNM7LBVB2YIVTZATUM/
同記事によれば、「石倉氏は体調不良で今年に入ってからはほとんど登庁していないとされていたため、後任の人選が進められてきた」のだそうです。就任してわずか半年ちょっと、「今年に入ってからはほとんど登庁していない」のであれば、なにかされたのは最初の3カ月だけということになります。
体調不良のためであれば、お気の毒です。しかし同記事に「石倉洋子氏(73)」と同氏の年齢が記されているのを見て、庶民熊さん・八っぁんとしては、これは彼女を任命した政府の誰某の責任じゃないか、と思いました。
デジタル担当に特化した大臣でなくても、世界の主要先進国の大統領、首相、大臣などをの顔ぶれをざっと眺めてみてください。わたしだって時々テレビに登場する彼ら、彼女らの姿を見るだけですが、それでも三十代、四十代の若々しい人たちがいっぱいです。
アイスランド、ノルウェー、エストニア、デンマーク、フィンランド、オーストリア、オランダ、オーストラリアは、いずれも2018年時点で閣僚(大臣)の平均年齢が40代です。よく知られているのは、フィンランドの女性首相が2019年時点で34歳。閣僚19人のうち女性が12人です。
ニュージーランドも閣僚の40%が女性で、首相は1980年生まれの女性で、いま41歳です。昨日大統領に再選されたフランスのマクロンも1977年生まれで、39歳のとき大統領になっています。また、そのマクロンが経済・産業・デジタル大臣をつとめていたのは2014年から2016年にかけてのことですから、彼が36-38歳のころです。ちなみにフランスの閣僚の最年少は38歳が二人いて、そのうちの一人は著名なブロガーだそうです。
コロナ対策で名をはせた台湾のオードリー・タンは1981年生まれのいま40歳です。19歳のときシリコンバレーでソフトウェア会社を立ち上げて、デジタル業界でよく知られた何やら素人にはわからない言語システムなのか何かしらを始めて開発した実績もある人のようで2016年35歳でデジタル担当政務委員(閣僚)に任命されて、コロナ対策に腕を振るって世界にその名を轟かせたことは記憶に新しいところです。
ネットを見ていたら、G7デジタル閣僚会合の2019年度の記事があって、そこ出席した各国の経済・デジタル担当の閣僚の名がありました。ネットで出てくる年齢はその情報のだされた時の年齢が書いてあって混乱するので、生年でしめしてみます。
カナダ:ナブディーブ・ベインズ 1977年生まれ
フランス:セドリック・オデシタル 1982年生まれ
アメリカ:マイケル・クラッティオス 1986年生まれ
イギリス:ジェレミー・ライト 1972年生まれ
日本 :磯崎仁彦経済副大臣 1957年生まれ
60代の磯崎さんを除けば記載された各国の経済・デジタル関連の閣僚は全員30代か40代ですね。なんと10年以上のギャップがあるわけです。30代、40代なら、みなきっとデジタル世代で、「私はじつは新しいデジタル技術のことはよく知らないんですが‥」なんて人は一人もなさそうです。
今の経済はデジタルがインフラみたいなもので、固く一体化しているから、経済産業の担当とデジタルの担当とが一つになっているのも普通になってきています。将来の国の土台をつくる要の政策を担当する大臣に30代~40代が就任しているのがG7のような世界の主要国の現実。60代の大臣が「デジタル閣僚」として出ていかなくてはならないような恥ずかしい国は日本だけではないでしょうか。
私は年齢が高いからといって個人の政治家としての能力、とりわけデジタル関連の知識・経験・能力に絶対的な制約が生じるとは思っていませんが、やっぱりこういうデータを総合的に見渡してみると、日本が非常に特異な、というのか、ほとんど異常だという思いを禁じることができません。医学的にみても社会的にみても、やっぱり三十代、四十代のほうが頭脳明晰、柔軟、鋭利で、回転も速いでしょう。
高齢政治家などは、保身のためにすぐに自分たちには「経験」という強みがある、というけれど、今の時代は次々に新たな知識、情報を代謝しなければ、その経験も知識も、すぐに古びて役に立たないことの方が多いので、新しいことを考えたりやったりすることの足を引っ張る古い慣行や古い人間関係をいっぱい引きずった「経験」なんて、むしろないほうがいいとさえ思います。
いまの日本にだって、30代、40の若い世代で、すでにその分野では十分な経験を積み、実績もあり、トータルにデジタル戦略を立案したり推進したりできる能力も備えた人材がいない、なんてちょっと考えにくいのですが、将来の日本のデジタル化を引っ張って行くはずのトップに、いかに実績、経験をお持ちの方とはいえ、その計画がすべて実現するデジタル日本の「将来」にはたぶん存在していないだろう70歳台のかたを据えなければならない理由が、私には皆目見当もつきません。
思い出してください、第4次安倍内閣の「科学技術・IT担当大臣」は就任当時78歳でありました!
今度こそデジタル庁を創設して本格的にやるんだ、というから、今度は違うかと思ったら、初代デジタル監がまた70歳台です。どうなってるんでしょうね?
世の中がデジタル、デジタルとうるさいから、「そんな名前の省庁をつくって、各省庁をはみ出した役人の吹き溜まりにしておけばいい、どうせ長い間既得権を守り続けてきた縦割り省庁の壁を崩せるはずがないんだから、そんな役所をつくったって何もできやしないんだし、トップなんて肩書や実績だけは文句の言えないやつをお飾りに据えておけばいいんだ」と政治家たちが考えてそういう人事をしてきたのかもしれません。
だいたい霞ヶ関で省庁というときの「庁」というのは、なんとなく日陰者(笑)のような扱いじゃないでしょうか。
私がいくらか関わりをもった国土庁(昔の)なども建設省とか経済産業省とかいろんなところから、ちょっとはみ出し者を出しておくか(笑)という感じで出されてきたお役人がやっていて、本庁に帰ることしか考えてなかったㇼ、文化庁なんてのも親方文部省(当時)のちっぽけな出先機関みたいなもので、当時は政治家も「文化は金にならん」「文化は票にならん」と思っていますから予算もよこさないし、やっぱり本省のメインストリームを行く連中から見た場合のホンネは「掃き溜め」ではないか、と(笑)・・・そう言っちゃ一所懸命やっている職員さんたちには悪いけれど、ほんとに金も力も与えられてはこなかったですよね。
せっかくデジタル技術を身に着け、世の中のため、将来のために意欲をもって仕事をしようと考えていた若い職員たちも、これでは意欲をそがれて、いやになるのは目に見えています。まだできたばかりのお役所だけれど、次々辞めていく職員が出なければ良いのですが・・・・
デジタル庁なんて本当はこれからの国家・経済の土台を全部作り変えるようなことをしなきゃいけないお役所なのですが、政治家たちにはそういう気などさらさらないのです。
先日、デジタル庁がうまく機能してないじゃないか、みたいなことを議員だか記者だかにつっこまれて、今の経済産業大臣だったかな、はじめはデジタル庁に全体の絵を描いてもらおうと思っていた(経済についても)けれど、経済のほうはこっちでやればいいから、こっちでやるよ、みたいなことを言っていました。
語るに落ちるというのか、霞が関の各省の意向というのは、この人と変わらないのでしょう。デジタル庁に自分たちの既得権に一歩たりと踏み込ませるつもりはないし、立ち上げたのならまぁやってごらんよ、どうせ何もできやしないんだし、と薄笑い浮かべながら眺めていて、デジタルのことが分からない大臣を充当したり、デジタル監にはもうずっと昔に功成り名遂げて隠居していただくほうがいいような御高齢のかたをあてて、実際にそれでうまくいくはずはないから、行き詰まったところで、ほらね、やっぱりそりゃ無理ですから、わが方でちゃんとやりますよ、とにんまり。
これでデジタル社会・日本が誕生したら奇蹟以外のなにものでもないのでは?
2022年04月25日
JR西日本の福知山線脱線事故のこと
乗客、乗員あわせて107名が死亡、562名が負傷したこの事故は、直接の原因とされるのは事故調査委員会の最終報告書などによれば速度超過のようですが、その背景には、ゆとりのないダイヤのもとに乗務員を目標達成に駆り立てるいわゆる「日勤教育」など、乗客の安全対策を軽視した、当時のJR西日本の効率優先の経営姿勢、管理体制があったことが明らかになり、大きな社会問題として取り上げられてきました。
当時の安全担当役員だった山崎行夫が業務上過失致死傷罪で起訴されたのは当然として、事故当時の社長を含め彼の上司は一般の予想を裏切って神戸地検が不起訴処分としたため、神戸第一検察審査会が不起訴とされたJR西日本の歴代社長・井手正敬、南谷昌二郎、垣内剛を起訴相当と議決したのですが、地検は再び3人を不起訴とし、検察審査会は再度起訴相当として、強制起訴されました。
しかし、裁判の結果は、結局山崎社長(当時)をはじめ、強制起訴された歴代社長すべて無罪となり、法曹界の常識と社会の常識が大きく乖離する現在の日本の司法の状況をあらためてさらけだす結果となったのは記憶にあらたなところです。
刑事裁判でこの事故に関する歴代社長の刑事責任を問うことはできなかったわけですが、彼らがどういう人物であるかは、ウィキペディアに出ている次のような事例を一つ二つ挙げるだけで明らかです。
2009年9月25日、事故当時鉄道本部長だった山崎正夫前社長が、当時の事故調査委員の一人である山口浩一元委員に手土産持参で接待し、事故の調査報告を有利にするための工作をしていたこと、そこに情報遺漏があったことが発覚した。
翌9月26日には、幹部のJR西日本の東京本部の鈴木善也副本部長が、航空・鉄道事故調査委員会の鉄道部会長佐藤泰生元委員に接触を図り、土屋隆一郎副社長(事故対応担当審議室室長兼務)の指示で接触して、「中間報告書の解説や日程を教えてもらった」と会社ぐるみの事故調査委員会の委員への接触工作をしていたことが明らかになった。
この2件が発覚して、山崎取締役、土屋副社長は解任されたそうですが、事故の反省は表向きで、責任逃れや罪を軽くするためなら、事故調査委員たちを巻き込んででも、何でもやるという当時のJR経営幹部たちの体質をこれほど雄弁に物語っていることはないでしょう。
今日の番組で、事故の被害者の一人で生き残った人が、日本の司法にこのような組織とその経営者を罰する「組織罰」を創設する署名運動をしている、ということが紹介されていました。
JR西日本にせよ、始終不祥事を起こしながら懲りずに金をばら撒いて原発立地をひろげてきた関西電力にせよ、また社内ハラスメントでたびたび公的機関の勧告を受けながら同じことを繰り返して若い有能な社員を死に追いやった電通等々、この手の悪質な経営体質、経営姿勢をあらためない大企業の権力、財力、組織力を嵩にきた横暴から、被害者となる市民や労働者を守るために、「組織罰」として裁くことができる、強力な法的根拠を整備することがぜひ必要だと思います。
JRのような大量交通機関だけでなく、自動車メーカーのような企業についても、「交通事故」として事故だから仕方がないかのようにその製造責任を問われない自動車の安全性に関する製造者責任をいまよりもずっと厳しく問うことができるような法律を、利用者である市民の立場からつくるように大企業と癒着した政府に働きかけていく必要があるでしょう。
交通事故をなくす、なんてことは、技術的にはもう何十年も前にほとんど完全に実現していたはずで、何億円、へたすると何兆円という利益を上げている大企業が、利益優先で全部それをさぼって、その政治力でそうした動きを封じ、その巨大な資本で広告業界はもちろん報道にも自社に不都合な報道を抑制させ、イメージ戦略で厚化粧してきただけのことですから。
ところで、きょうのJR福知山線脱線事故の慰霊会をめぐる報道の中で取材に応じていた、事故の列車に乗車していて重傷を負い、辛うじて助かった女性の「その後」の話を聞くと、本当にこうした事故が個人にもたらす暴力的な爪痕がどれほどのものか、戦慄とともに思い知らされずにはいられませんでした。彼女はなんと体中の17本の骨を折り、7回も手術をしてその命を取り留め、身体的に受けた痛手から回復されたのですが、その後、重度のうつ病とPTSDに罹り、6年間苦しみ続けたということです。
そして彼女が語る「事故によって被害者が受ける最大の苦しみは、身体の損傷による痛み、苦しみかと言えばそうではない。この事態を自分が受け入れられないことだ」と言う言葉を聴いて、事故と言われるものの本質を、この女性はほんとうに17年かけて全身全霊で受け止め、それに打ち負かされずに耐えて、この言葉によってつかみとったのだな、と痛感しました。
交通事故などの事故に限らず、犯罪の被害者やその家族など、ごくふつうに幸せに生きていた市民が突然その命を奪われ、健康な心身を冒されることの、本当のおそろしさを、「最大の苦しみはそのことを受け入れることができないことだ」と言う彼女が命をかけてつかみとったその深い認識を伝える言葉によって、私は心の底から納得し、共感できることとして聞いたのでした。それはどんな謝罪や同情の言葉によっても触れることができず、どんな有識者の言葉でも聞いたことがない、易しい言葉だけれど事故の恐ろしさの本質を射ぬく言葉だったと思います。