2022年04月

2022年04月27日

ウクライナの事態への視点

 毎日のテレビや新聞の報道を見ていると、ロシア軍がウクライナを侵略して殺戮を繰り返し、どこそこの街が破壊されてこれだけの犠牲者が出た、これだけの住民が国内外への避難を余儀なくされた、これだけの住民がまだ取り残されて生命が脅かされている、ここではウクライナ軍がロシア軍に激しく抵抗して押し返している、或る都市は奪還した、欧米諸国が重火器の提供に踏み切り、何百億ドル分かの兵器をウクライナ軍に提供する等々といったニュースが飛び込んできます。

 私たちはもちろん、ウクライナ東部の一部地域でのロシア系住民を「救い出し、解放する」ための軍事行動だなどというプーチンの口実など信じるはずもないので、自然、ロシアの一方的な侵略ではじまったウクライナ対ロシアの戦争であり、いわば善玉と悪玉の戦いで、我々と同じ陣営に属する欧米諸国が善玉を支援している・・・戯画的に単純化すれば、そんな構図で見てしまうように思います。

 けれども、今起きている事態を、そうした国家や軍隊の攻防という、国家や軍隊を牛耳る人たちの視点であるか、双方を距離をおいて安全地帯から見る傍観者の視点で眺めることに疑問を生じることはないでしょうか。

 もし自分がウクライナに住んで生活をしてきた人だったとしたら、もちろんそういう人の多くにとっても、自分はウクライナという国家の国民であり、自分たちが帰属している国家を守らなければ自分たちの生活もないので、これを守ることは当然であり、その主権国家を侵すロシアと戦い、侵略には抵抗するのが国民としての義務でもあり、また自らの自発的な意志でもあり行動でもある、・・・のかもしれません。

 しかし、私はそうした、おそらくは世界中でウクライナへの支援の気持ちを懐いて報道に接している人たちにとって好ましい、強い意志をもった戦う国民よりも、テレビ画面で、ロシア軍の砲撃やミサイルで家族を失い、自分の家を完全に破壊されるなどして、すべてを失って、まだ黒煙に包まれた廃墟の前で呆然と立ち竦んで、「自分は何も望まない、ただ平穏な日々がほしいだけだ、青空がほしいだけだ」と嘆く老女の姿や言葉のほうに、いまのウクライナの人々の実像と言って語弊があるなら、私たちがしっかり見なくてはいけない原像があるのではないか、という気持ちを拭うことができません。

 そこで家族を殺され、住む家を焼かれ、すべてを奪われた老女が直面しているのは、そうした現実そのものです。これだけは侵略者であれ被侵略者であれ、認めざるを得ない唯一の現実です。彼女が帰属するとゼレンスキ―やその兵士たちが考えるかもしれない国家は、彼女にとって必ずしも現実とはいえません。良し悪しは別にして(と言わなくてはならないこと自体がそのことを証しているのですが)例えば東部の一部地域でウクライナ政府にっ反旗を翻していたロシア系市民の一部にとっては、自らの帰属する国家はロシアであったり、今回捏造したその傀儡「国家」でしょう。

 私たちは国際政治の現実というとき、いつもこのような国家と国家の関係で構図を思い描き、パワーポリティックスなどというものを現実だと思いがちです。しかし、その基礎にあるのは、いくらでもイデオロギーに染まる共同幻想に過ぎず、決して人間にとって唯一の現実、それをもとにして初めて現実的な解決の方途が見いだされるべき唯一の基礎としての現実でもなんでもありません。

 かの老女にとっては、ウクライナ国家が侵害された主権を回復し、侵略者を打ち破ることよりも、家族を失わないこと、住む家を焼かれないこと、日々の平穏な暮らしを、青空を失わないことのほうが、よほど大切だったでしょう。たとえ自分の暮らす土地が、専制的な独裁者プーチン・ロシアの支配下に置かれ、様々な強権的な統制、圧政の下に置かれていたとしても、です。

 だからロシアに降参したらいいのか?とか、ロシアの圧政下へウクライナの人々が追いやられればいいのか?というのは見当違いの反問です。そんなことは誰も言っていないし、そういう反問こそが事態を国家と国家の争いの構図でしか見られず、現実へのまなざしを失った傍観者の目でしかないのではないか、と思うのです。

 正直のところ、私も多くの人と同様に、ウクライナへのロシアの一方的な侵略に憤激し、傍観者ながらウクライナを応援し、ウクライナ軍がロシアの旗艦「モスクワ」を撃沈したことを聴けば小躍りするくらい喜んだりしているわけです。

 しかし冷静になって考えれば、こういう自分って何なんだろう?いまウクライナでその国民に起きていることの現実を、そんな国家と国家の構図のうちに回収してしまい、傍観していて、ほんとうに現実を見ていることになるのだろうか、という疑問が湧いてきます。

 今回プーチンのロシア軍がウクライナの領土へ侵攻して、多くの市民の生命と生活を奪っていること自体はとうてい許されることのない蛮行で、戦争犯罪であることは間違いないけれど、少し時間を巻き戻して、なお国家と国家の関係といった次元でウクライナとロシアおよびそれをとりまく欧米なども含めた国際政治の構図で眺めてみれば、必ずしも一方的にプーチン・ロシアを悪者扱いしてすませられるかどうかは疑問です。

 もとより、いまのプーチン・ロシアの専制的な支配体制に否定的であるとか、ウクライナがそのロシアの支配を離れて民主主義を奉じる「われわれの側」に一層近づくのは好ましいことだとかいった考え方からみれば、プーチン・ロシアは常に悪であるかもしれませんが、それは観る者のイデオロギーに染められた主観的な見方であって、ロシア国民にとってはもちろんのこと、中国やインドやアラブ諸国やその他数多くのさまざまな立場の国々の国民からみれば、大変一方的で偏ったものの見方であることは疑いありません。

 いわゆる民主主義国家の奉ずる「民主主義」を普遍的価値とし、理想的な形でそれが実現されることを唯一の正義と考える人たちにとっては、それ以外のイデオロギーを奉じ、それにもとづく支配をつづける国々に正義はないことになるかもしれません。しかし、それは一つのイデオロギーに過ぎず、決して普遍的価値としてだれもが認めざるを得ないものではありません。

 実際、いかにきれいごとを言っても、いま民主主義を奉じる最大の大国アメリカの社会の現実は、すさまじい不平等や差別や暴力を骨がらみ孕んだものであることは、現実から目を背けない限り誰の目にも明らかです。一握りの権力者、富裕者たちが社会の富を独占し、日々飢え、貧しさに人生を打ち砕かれ、病いに抵抗も出来ず死んでいく無数の人々は客観的にみればほとんど放置されているに等しい社会としての一面を確実に持っていることは、誰もが認めざるを得ないでしょう。

 ロシアや中国のような専制的な支配体制の国家の弊をあげつらうのは、私たちにとって極めて容易ですが、そういうイデオロギーに染まった目でいわゆる国際政治の構図を描いても、なにも現実は見えてこないと思われます。

 しかし、元へ戻って、いまかりに国家と国家の関係のような次元で今回のウクライナ侵攻をめぐる経緯をざっと調べて見ると、どうやらウクライナ侵攻だけでなく、ロシアによるジョージアへの侵攻もあわせて、その引き金となったのは2008年のNATO首脳会議だったようです。そこでアルバニア、クロアチアのNATO加盟が承認され、ウクライナとジョージアについては米国のブッシュ大統領(阿保のほうの)がNATOへの加盟行動計画の承認を得たがっていると推したものの、仏独が反対したのをはじめヨーロッパ諸国が強い懸念を表明して米国と対立した経緯があります。

 結局両国の加盟も、加盟準備に向けての具体的な手順に入ることも承認されませんでしたが、共同宣言の中で、両国は「将来加盟国となるべき(will become member)」とする文言が入ります。

 これがプーチン・ロシアを痛く刺激したことは確かなようです。ウクライナ侵攻の前に、報道に姿をみせるプーチンは、しばしば、自分たちは西側に欺かれた、NATOは1インチも東方へ拡大はしない、と約束していたのだ、という意味のことを繰り返し語っていました。

 色々調べてみると、このプーチンの言葉が指しているものは、文書で交わされた条約だの国家間の正式な取り決めなどではありませんが、東西ドイツを隔てるベルリンの壁が崩壊した折に、西側がソ連に対して東ドイツから手を引くように説得する際、たとえば米国のベーカー国務長官は90年2月9日、ソ連のゴルバチョフ書記長に対して「NATO軍の管轄は1インチも東に拡大しない」と発言したのは事実のようです。*

 また、その翌日10日は、西ドイツのゲンシャー外相やコール首相が訪ソした折にも、同趣旨の発言をしていたそうです。さらに、NATOのヴェルナー事務総長も同年5月に「NATO軍を西ドイツ
の領域の外には配備しない用意がある」と演説しています。

 ところが、その後の推移をみると、90年に統一されたドイツをはじめ、99年には旧ワルシャワ条約機構加盟国のチェコ、ハンガリー、ポーランドがNATOに加わるなど、ソ連崩壊以前は16カ国だったNATO加盟国は今では30カ国まで拡大しています。それはNATO側がロシアに約束した東方不拡大とはまさに真逆の動きでした。

 NATOはヨーロッパ共同体(EC)などとは違って、あくまでも軍事同盟です。しかも、もともとロシアの前身であるソ連を攻囲する明確な意図をもった軍事同盟です。そして、加盟国一国に対する攻撃は全加盟国への攻撃とみなすという強力な共同防衛のための軍事同盟です。これが体制の異なるロシアにとっていかに大きな脅威であるかは申すまでもないでしょう。他方でソ連が盟主として仕切っていた東側の軍事同盟であるワルシャワ条約機構は91年に解体してしまっていたのですから。

 米国にも、こうしたNATOの東方拡大に強い懸念を懐いていた人たちがいたことが知られています。
 たとえば、かつてソ連大使を務めたこともあるジョージ・ケナンは、98年5月のニューヨーク・タイムズで「私はそれ(NATO拡大)は、新たな冷戦の始まりであると思う。ロシア人は強く反発するだろうし、ロシアの政治にも影響を与えるだろう。それは悲劇的な過ちだ」と述べていたそうです。

 これを自著で引用した、クリントン時代に国防長官をつとめ、NATO拡大に慎重な姿勢を取って来たウィリアム・ペリーは、共著『核のボタン』で、「冷戦終結とソ連崩壊は米国にとってまれな機会をもたらした。核兵器の削減だけでなく、ロシアとの関係を敵対からよいものへと転換する機会だ。端的に言うと、我々はそれをつかみ損ねた。30年後、米ロ関係は史上最悪である。」と述べているそうです。


 さらに、米軍将校から歴史家に転じたアンドリュー・ベースビッチは自著で、米国が冷戦の勝利を過信して道を誤ったと指摘し、20年6月の朝日新聞のインタビューで「ベルリンの壁崩壊を目の当たりにして、米国の政治家や知識人は古来、戦史で繰り返された『勝者の病』というべき傲慢さに陥り、現実を見る目を失ったのです」と述べていたそうです。

 シュルツ元国務長官ら冷戦末期にソ連との核軍縮条約の実務を担当した人たちは、NATO拡大がセンシティブな要素をはらむことを理解していたけれど、
「お互いに敵とみなさない」との東西和解の合意にもかかわらず、クリントン政権はNATO拡大に舵をきったということです。

 ロシアのエリツィン大統領は難色を示したものの、駆け引きの末、99年に東欧3カ国がNATOに加わったわけです。エリツィンは、退任後の2000年に出した回想録『大統領のマラソン』で、「私は世界に向けてこう語った。これ(NATO東方拡大)は誤りだ。新たな東西対立へとおとしめることになるだろうと。残念ながら、その通りになった」と述べているそうです。

 * 以上、NATOの東方拡大およびそれについての慎重な意見に関する情報の出所は、朝日新聞デジタル「ゴルバチョフは語る 西の『約束』はあったのか NATO東方不拡大」によっています。(
https://www.asahi.com/articles/ASQ3B51K1Q39PLZU001.html)
 
 ソ連の崩壊で、いわば労せずして自由主義陣営が「勝利」して、冷戦を制したという、米国政権や米国の主導するNATOのおごりが、こうした事態を招いたことは容易にみてとれます。

 私たちはその「自由主義陣営」に属しているために、軍事的なかけひきなどに疎くても、それを朗報のように受け止めて、いつかそう遠からず旧社会主義圏もみな自由主義的な政体に変わって行かざるを得ないのではないか、経済システムはすでに社会主義圏も市場経済を取り入れて中途半端とはいえ資本主義経済以外の何ものでもないものに変わりつつあるのだし、政治体制が追い付いていないだけだ、といった感覚で眺めていたのではないかと思います。

 しかし、考えて見れば、ロシア国民の立場に立ってみれば、その間の出来事は全て、非常に屈辱的な出来事だったのではないでしょうか。
 私たちが考えがちなように、それまでの強権的な共産党独裁のもとで抑圧されてきたけれども、ソ連崩壊で解放された、と感じていたとは、とうてい考えられないのです。

 ソ連崩壊後の社会の大混乱の中で、これなら共産党時代の方がずっとマシだった、と考える人々を大勢生み出すような事態を招いたことは、それほど私たちには実感を伴う形で知られてはいません。
 しかし、ロシア国民がソ連解体の後に経験せざるを得なかったのは、いかにひどい社会であっても、民衆のための平等な社会という看板(タテマエ)だけは下ろせなかった共産党支配の時代よりもずっとひどい、その看板さえかなぐりすててしまった、むきだしの強欲、権力、暴力がマフィアと結びついて民衆を収奪し、かつてソ連統治下にあった共和国や東欧諸国よりも貧しくなるばかりの、混乱と無気力がまん延する社会でした。

 そんな不安定で希望のない状況の中で、とにもかくにも国内的な政治・経済の体制を立て直し、人々の生活に私たちの社会からみれば低い水準であれ一定の安定をもたらしたプーチンが、国民の多数から圧倒的に支持されてきたのも、決していま強い規制を掛けている状況のような、権力による抑圧で自由にものが言えないからと、一部のインテリゲンチャや西側文化にある程度なじんだ都市部の若い世代の発言だけを見て考えると、大きな過ちを犯すことになるでしょう。

 そうしたロシア国民の目から見て、ロシアにあらたな冷戦を強いるような敵対的軍事同盟NATOの急速な東方拡大はどう見えていたか、私たちがふだん漠然と感じて来た「西側」内部の庶民感覚ではうかがい知れないものがあるのではないか、と思います。

 とりわけジョージアとウクライナの二国にNATO加盟への道を開いたことは、プーチン・ロシアにNATOが越えてはならない一線を越えた、という大きな危機感を抱かせただろうことは想像に難くありません。ポーランドやハンガリー、チェコなどとの違いは、まがりなりにも独立国家であった旧ソ連の衛星国家と、連邦の形で国家を成していた旧ソ連そのものの一部としての共和国であったジョージアやウクライナとの、ロシアにとっての決定的な違い、という点だろうと思います。

 いまプーチン・ロシアがウクライナ南部の黒海沿岸部をつないで、モルドバ共和国の一部ロシア人居住地域で勝手に独立宣言してロシア軍が駐留している地域にも侵攻しようとしているのは、こうした推測を裏付けるものでしょう。

 ほんとうは、プーチン・ロシアはジョージア、ウクライナ、モルドバのような旧ソ連そのものの一部であった共和国の領土は、すべてロシアの領土として「取り戻し」たいのでしょう。(もちろんそれぞれの住民たちの意志で選ばれたリーダーのもとで主権国家となったそれらの国々をいかなる経緯や主観的な思い、理由、目的があろうと、そんなことは決して許されないことは申すまでもないことですが。)

 今回のウクライナ侵攻でも、ネットから漏れたロシア側の情報では2日間での戦勝を予定していて、おそらく最新兵器を使って空港など主要な軍事施設だけを的を絞って的確にたたき、電撃的に首都を制圧してゼレンスキ―を追い出して、ロシアの傀儡政権を立てれば、それで一件落着と楽観的に考えていた節があります。
 
 それはクリミア半島の制圧がそんなふうにいとも簡単に実現し、西側の制裁を受けたものの、いまのグローバル経済の中でロシアの天然ガスに大きく依存するドイツを始めヨーロッパ諸国に大した圧力がかけられるわけがないと考え、その成功体験の延長でやってしまったというところがあったかもしれません。

 実際にはウクライナ軍がプーチン・ロシアの予想をはるかに超えた強力な抵抗によって、市民をも無差別の攻撃標的とする兵器の使用に踏み切り、最新兵器や空軍、戦車などの重火器を使った都市全域への攻撃に転じざるを得なかったのでしょう。それもうまくいかず、内外にその失敗をとりつくろうために、東部戦線に兵力を集中して、せめて東部2州の制圧、あるいは黒海沿岸部一帯の制圧を目標とせざるを得なくなっているのが今の状況でしょう。

 私たちはもちろんプーチン・ロシアにそうした経緯があり、事情があり、想いがあっただろうからといって、いまのウクライナ侵攻が理解できるとか、致し方ない面があるなどということは絶対にできません。
 市民を無差別に虐殺し、その住居、生活の一切を破壊していくプーチン・ロシアのジェノサイド的蛮行は、プーチンがゼレンスキ―たちにレッテル貼りをしている「ナチス」の蛮行に匹敵するもので、これを強く批難し、それに対するウクライナ国民の抵抗を強く支持します。

 しかし、そうしたものの見方と同時に、果たしてその構図の中で、ウクライナ国民が現在から将来にかけて平和を取り戻し、平穏な生活を取り返せるのか、そうしたヴィジョンを思い描くことができるのか、と考えると、その種の善玉、悪玉的な構図、国家と国家のパワーポリティックスの構図で傍観者の私たちが考えることの虚しさを痛感せざるを得ないし、ゼレンスキ―の軍隊が今ほしがり、必要とすることは重々承知ではあるけれど、米欧が競い合って重火器を送り込んでいることに対しても、手離しで喝采を送ることはできない気がします。

 欧米各国の軍産複合体のような権力にとっては、自国以外でのこのような戦争の一方に加担して兵器弾薬を製造し、送り届けることは、いわゆる特需的な機会で、正義の旗の下に世界の多くの国々の賛同を得ながら堂々と殺人兵器を無際限に送り込むことができる、またとない機会かもしれません。世界戦争を避けるために欧米もNATOも自身の軍隊は出さない、というのですから、自ら決着をつけるリスクは負わないわけです。これは一種の代理戦争でしょう。

 米国の政権が常にこうした軍産複合体の利害に突き動かされる一面をもっていたことはよく知られています。米国に限らず、国家というものが、もともとそういうものなのかもしれません。

 だから、私は手放しでいわゆる正義に加担することを躊躇し、拒否します。欧米がウクライナ支援として戦地に競って重火器を送り込むやり方に大きな疑問を感じます。
 それよりも影響力のある国々の権力者たちには、やるべきことがあるのではないか。とにもかくにも直ちに停戦し、市民の殺戮をやめさせ、ウクライナとロシアの戦闘の当事者としての交渉を超え、この戦争のもとになった、もともとのNATOの選択の地点まで戻って、ロシアと他の国家との関係を見直し、冷静に異なる体制の共存を見据えた方策を提案しあい、交渉しあってそれぞれのとるべき道を見いだすようなことができないのでしょうか。

 本来なら、ウクライナにもジョージアにも、スウェーデンやフィンランドのような、NATOに加盟せずに中立を守る方途というのは探すことはできたでしょう。しかしこうなってしまえば、そのスウェーデンやフィンランドもロシアを脅威以外の何ものでもないと断じざるを得ず、NATOに先を争ってなだれ込もうとするのは避けられないでしょう。

 しかし、その結果は、以前にもまして厳しい東西冷戦のはじまりであり、国家間の版図拡張争いであり、そのはざまでのさまざまな陰謀が交錯する地域紛争であり、はては予期せぬまま核戦争に到る可能性も除外して考えるわけにはいかないでしょう。そんな道をこのまま歩んで、いったいどこの国のふつうの生活者にとっていいことがあるでしょうか?

 たとえ欧米各国がウクライナに重火器を有り余るほど送り、ロシア軍を撃退できたとしても、上記のような経緯とそれに伴うロシアの立場を考えれば、将来にわたってグルジアやウクライナのような旧ソ連そのものであった旧共和国地域をロシアがそのまま欧米に、NATO軍事同盟下に取り込まれるままに放置するとは思えません。そうすれば、たとえ今一時的に撃退しえたとしても、再びウクライナの生活者たちは戦火の中に放り込まれることになるでしょう。それでいいのでしょうか?

 ロシアにはじめから好ましい感情を持たない人は、ロシアの体制が変わって自由主義陣営に降伏帰順するまでやれがいいと思っているのかもしれません。アメリカの軍産複合体や極右だか極左だか最近はどっちがどっちかわからないけど(笑)、そういう権力はそんな考えをもっているのかもしれません。しかし、おそらくプーチンのいうようにロシアのような大国は、そう簡単にそんなふうにはならないでしょう。

 日本にいると、いまもロシア国内でプーチンの支持率が7割だとか8割だとかに達すると言われると、それは調査結果自体の捏造だろうとか、外部の情報を遮断して一方的な情報だけ与えているからだとか、強権で抑圧して声が挙げられないようにしているからだ、と考えがちだし、そういう面が少なからずあることも事実でしょうが、私は実際にロシアの相当な比率の国民がプーチンを依然として強く支持していると思います。

 それは日本国内に来ているインテリの子弟であるロシア人の若い世代が、母国にいる父母らに連絡をとって、いくら一所懸命説得しようとしても、それは西側の流すフェイクニュースだとして、頑として説得されない、という多くの事実にも示されているように思います。
 もちろんそこにあるのは一方的で偏った情報を流すだけの政権の情報統制なのですが、しかしそれ以前に家族が説得してもきかずにプーチンを支持し続ける、前提としてのプーチンへの信頼があるのを見落とすと、とんでもない誤りをおかすことになるでしょう。

 人はいくら偽情報を与えられ続けても、それにひっかかるのは、そうした情報ー文化のレベルでの知的操作に関してであって、生活者は日常的な自分の生活の中で形成されるものの感じ方や見方、行動の仕方に関しては、政治権力であれ経済的な力であれ知識人らの知的権力によるものであれ、そう簡単にそなんなものによって根底から動かされたりしないものです。

 彼らの生活はソ連崩壊によって痛めつけられ、それに耐え抜いて今日があるはずで、その生活を立て直してくれたのがプーチンだということを身に染みて「わかって」いるのだろうと思います。それは誤解であって、ほんとうはプーチンの功績なんかではない、というのは「西側」の、あるいはインテリの理屈であって、ロシアの大多数の生活者にとってはそうなのだと思います。
 これは彼らの体験してきた苦痛に比例し、またそこから立ち直って来た経験に比例して、彼らの心身に焼き付けられた記憶であって、インテリの言葉による理屈で簡単にどうこうなるようなものではないと思います。

 私たちはこうしたロシアの民衆の現実をすっぽぬかして、プーチンという権力者個人にロシアを代表させ、ロシアという国家の次元でしか事態を見ないとすれば、大きな過ちをおかすことになるのではないかと思います。私たちは、たとえプーチンが狂人と紙一重であっても、また何か心身を病んだ病人であっても、ロシアをロシアのなんでもない生活者の現実においてとらえていく必要があると思います。

 こうした観点からは、ロシアでどんな専制的な権力の支配があろうと、それはそれでロシアの民衆がみずからの行方を決めることであり、その民衆のロシアの現実とどう平和に共存していけるかを考えなければならないはずです。

 米国の識者の一部が警告していたように、ソ連崩壊の時がその最大のチャンスだったのでしょうが、そんなことをいま言っていても仕方がないので、遅くてもやらないよりはまし。もう一度その原点、つまり今回の侵略の直接のきっかけとなった出来事の時点に戻って、そこでありうべきロシアと他国との関係の将来をよりよく見定め得たであろうように、あらためて世界の叡智を集めてそうした道を手探りしていくほかに、ウクライナ問題の本当の解決はあり得ないのではないか、という気がします。

  



saysei at 14:02|PermalinkComments(0)

2022年04月26日

知床

 知床の海を走る遊覧船の沈没で多くの犠牲者が出ています。本当につらいことです。
 強風波浪注意報とか、警報が出ていて、プロの漁師が出航しないのに、大勢の客の命をあずかる観光遊覧船が出航したのはなぜか。

 当初の疑問が報道に接するうちに少しずつ見えてくるようでした。まず比較的最近になってその観光遊覧船を運営する会社の経営者(社長)が変わったということ、そしてそれまでそこで働いていたベテラン乗務員らを全員解雇した、ということ、今回運航した船の船長は、そうした人事で繰り上がった乗務員だったこと等です。

 解雇された理由は報道では直接には触れていませんでしたが、取材に対して解雇された元乗務員は、ベテラン乗務員だと30万、40万とるからな、そら若いアルバイトなんか雇えば安くすむ、・・・というふうな答えをして、経営者が人件費を削減して利益を上げるために、ベテラン乗務員の首切りを断行して経験に乏しい若い乗務員で運営しようとしていたらしいことが窺えました。

 また別の取材では、なぜ天候が悪くなるのが分かっているのに出航したのだろうかと訊く記者に対して、今の社長は海のことはなにも知らんから…と言っていました。

 その社長は遺族への説明会で同様の問いを受けて「私は大丈夫だとおもいました」というような答え方をしていたかと思います。

 今回船を操縦して出た船長は写真をみるとまだ若い、ベテランとは言えない乗務員のようで、去年も二度座礁事故を起こしていたらしく、そのうちの一度のとき、船底に亀裂が生じていたという証言もありました。それを社長は修理していた、と説明したようですが、真偽は不明で、そこから浸水したのではないかという疑問を持つ人もあると報道では報じられていました。

 出航時点ではそれほど波が高くはなかったようですが、後刻つよい風が吹き、高い波になることについては警報が出ていたようです。また船長には漁業者だったか同業他社の船長だったか忘れましたが、個人的にきょうは危ないから出航しないほうがいい、と忠告したそうですが、船長はうん、と答えながら出航した、と証言していました。

 なぜ船長はそんな状況で出航したのか。船長がなくなった以上、その証言は得られず、謎のままですが、彼自身の判断がよほど甘かったり、考えにくいことですが、気象条件をチェックせずに出航したかでないなら、上司、具体的には社長の指示で出航したとも考えられます。それは社長の正直な証言があるか、そういう指示の場に立ち会った証人が無ければ、なかなか突き止められないかもしれません。

 けれども、客観的な状況として、コロナ禍で観光客が激減し、おそらく知床を旅する人も、観光遊覧船に乗る客もとだえたり、激減したりしていたでしょうし、ひょっとすると休業を余儀なくされていたかもしれません。社長が交代したのも、おそらく前の経営者がコロナ禍でこれはもうだめだ、と会社を手放したのかもしれません。

 そして、ようやく全国的な「自粛」から人々が解放されて観光客の動きがではじめた矢先で、一刻も早く経営を立て直すべく、一回でも多く、一人でも多くの客を乗せて遊覧船を航行させたい、というのが会社の経営者のホンネだったでしょう。

 状況を推測すれば、そんな中で起きた人災と考えるのが、一番ありそうなことのように思えます。多くの人命を預かる船の運航事業者として、客の安全を第一に考えるべきことは当然ですが、コロナによる観光業の極端な不振という状況下で、その原則がなおざりにされ、利益優先の経営、管理がなされ、ベテラン乗務員の解雇による経験の浅い乗務員の起用、船体や装備の点検や出航条件・気象条件の厳密な確認、日々の運営原則の順守などについて様々なほころびを生じ、それらが重なって起きた、まさに人災と言うほかはない事故ではないか、という気がします。

 通常なら、事業の責任者である社長が遺族らに即刻状況説明や謝罪を行なうのが当然で、これだけ社会的な負のインパクトを与えるような事故を引き起こした責任者として、記者会見を開き、事実関係を正直に語るのが当然だと思いますが、事故後3日を経ていまだに報道陣の前には姿を見せていないようで、いわば雲隠れの状態なのはどうしたわけでしょうか。

 もちろん社長の刑事責任も民事責任も厳しく問われなくてはならないでしょうが、仮に刑事責任を法的に証拠を挙げて問うことが困難だとしても、観光遊覧船運航の最終的な管理運営に責任を負う社長は、今回の事故に関して、遺族に対する民事的、道義的責任を負うことは言うまでもないことですし、観光事業をおこなって不特定多数の市民を相手にしている以上、社会的な責任をも負うていることは当然のことであって、報道陣の前に姿を見せ、その責任をはっきりと認め、謝罪し、事実関係を語らなくてはならないはずです。

 私ももう半世紀以上前になりますが、大学2年の夏休みに友人二人と北海道旅行を楽しんだことがあり、そのときに知床で観光遊覧船に乗って海に出た覚えがあります。たしかあの海でだったと思うけれど、船のすぐそばをイルカが並走して、ほんとうにすばらしい光景を眺めることができた良い想い出があります。

 その場所でこんな事故が引き起こされたと思うとやりきれません。今後知床を訪れようと思っていた人も今回のことで二の足を踏むでしょう。
 観光船会社の社長は、知床の観光業界の人たちや住民たちのすべてに相当致命的なマイナス効果を及ぼすことをしでかしたのだ、ということを自覚しているでしょうか。まだ船も引き上げられておらず、今も見つからない乗客がたくさんいらっしゃる段階ではありますが、遺族の気持ちにできるだけよりそい、正面からその思いを受け止めて、この事故の詳細が明らかにされ、せめて、なぜ乗客の方たちがこのようにむごい死に遭遇しなければならなかったのか、究明しつくされることを願っています。

 今日は終日降ったり止んだりの悪天候で、外には出ず、終日うちの中で調べ物をしたり本を読んだりしていました
 朝はかなり足腰が痛みましたが、激痛というほどではなかったので、カロナールを朝食後に呑んで痛みを抑えていたら、結構痛みが緩和されて、昼食のときは、これなら飲まずにいてもいいかな、とためしに薬を飲まずにいたら、そのまま痛みがひどくならずに夕食時になったので、夕食後もためしに呑まずにいますが、午後9時をすぎたいまも、なんとかひどくは痛まずにもっています。
 この調子で朝が迎えられれば御の字です。但し、治っているわけではないから、咳をするだけで、ひどく腰に痛みが来て困りますが、まあ激痛に比べればましです。


今日の夕餉

★サワラのカマの塩焼き
 サワラのカマの塩焼き。2尾分で350円だったとか。おいしくてたっぷりあって、しかも安い。ふつうの身だと1尾で500円くらいするらしい。カマのほうがおいしいのにね。

★ブロッコリ椎茸ベーコンのマヨグラタン
 ブロッコリ、椎茸、ベーコンのマヨネーズグラタン

★豚肉ジャガイモ人参の煮物
 ブタ肉、ジャガイモ、人参の煮物

★胡瓜の中華風甘酢あえ
 胡瓜の中華風甘酢あえ

★ホウレンソウのゴマあえ
 ホウレンソウの胡麻和え

★サラダ
 サラダ

★カブの葉のジャコキンピラ
 カブの葉のジャコキンピラ(炊き立てごはんに掛けて食べるとめちゃ美味い)

★カブと胡瓜のぬかづけ
 カブやキュウリのぬか漬け

 以上でした。




saysei at 21:23|PermalinkComments(0)

「デジタル監」の交代

 情報を制するものが世界を制するような今の時代、これからの時代に、その基礎をなすデジタル化で世界の後進国になってしまっていたことが、国や自治体をあげてのコロナ対策の中ではしなくも露呈してしまったことは記憶に新しいところです。

 様々な登録や補助金申請ひとつとっても、市民の方がネットを通じて申し込んでも、お役所では送られてきた情報をディスプレイで確かめてはストックされた文書の個人情報と照合しながらアナログ処理していたために、いつまでたっても処理が進まない、というのをテレビの報道で目の当たりにして、素人の私たちでもさすがにこれほどひどいとは思っていなかったので、事態の深刻さを実感したのでした。

 その決定的な遅れを全国的にはまずは国民のマイナンバーカード登録で、一人一人の国民をデジタルな情報として処理対象にできるようにしよう、まずはガチガチの縦割り行政でデジタル化を進めることができず、あちこちで機能不全を起こしている中央官庁でそれを突破する新たなデジタルインフラネットワークシステムを構築しよう、その指針を掲げて各省庁を動かし、調整し、引っ張って行く役割を果たすものとしてデジタル庁を設けよう、というようなことで、デジタル庁というお役所ができたのだったと思います。

 ところがその最初の大臣に誰やらが任命されて間もなく、NTT社長の接待を受けていたような報道がなされたりして、ろくなことはなかった記憶があり、内閣が変わって大臣はいま女性の大臣になっています。
 女性だからといってしっかりした政治家は幾らでもいると思いますが、一度デジタル担当大臣としての答弁をたまたまテレビで見ていたら、全然質問に答えられず、この人はデジタルのことなど分かっているのかいな、と不安を抱かせるようなところがありました。
 まあ大臣というのは派閥が順繰りに出して選挙目当てに就任させるようなものらしいですから、私はデジタルなんてさっぱりわかりません、という政治家でも優秀な官僚が支えればつとまるものなのかもしれません。

 デジタル庁で実際に仕事をするのは、同庁ホームページによれば令和4年度で、一般職員411名、非常勤職員211人だそうで、これを率いるトップが3人いて、副大臣、大臣政務官、デジタル監です。
 副大臣や大臣政務官というのは大臣と同じく政治家の方に属する人間でしょうから、デジタルオンチでもつとまるのかもしれませんから、実質的にデジタル庁を動かせるトップは能力的にはデジタル監ということになるのでしょう。

 昨年9月1日に同庁が発足した折に、その初代デジタル監に任命されたのは石倉洋子という一橋大学の名誉教授で経営学者だったようです。
 ウィキペディアによれば「日本の通訳、経営学者(経営戦略・競争力・グローバル人材)。学位はDoctor of Business Administration(経営管理学博士。ハーバード大学・1985年)。一橋大学名誉教授。マッキンゼー・アンド・カンパニーマネジャー、青山学院大学国際政治経済学部教授、一橋大学大学院国際企業戦略研究科教授、慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科教授、日本学術会議副会長(第20期)を歴任」という華々しい経歴をお持ちの方です。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E5%80%89%E6%B4%8B%E5%AD%90

 ウィキペディアの情報は、この種の有名人になかなか厳しく、本人が関わった「不祥事」まで情報公開されていて、彼女が自身の公式ウェブサイトで、"Depositphotos"や"Shutterstock"および"PIXTA"などの商用画像サンプルや、ギズモードの記事画像を無断使用していたことが、デジタル監就任直後に次々と発覚し、「石倉の公式ウェブサイトは2021年10月現在、謝罪声明が表示された状態で閉鎖されている」ことや、彼女が著作権を有する画像を無断使用したことを認めて謝罪した(2021年9月3日)ことを伝えています。
 私はこの著作権侵害事件を知りませんでしたが、きっとこの報道を知った人たちからは、デジタルの世界で他者の著作権を侵すようなことをする人物が、国のデジタル事業の計画をつくったり推進したりする実質的なトップをつとめてよいのか、という議論が当然沸き起こったことでしょう。

 そういうことが影響したのかどうかは、私は全く知りませんが、この初代デジタル監がつい最近、辞任したという報道がありました。2022年4月26日の産経ニュース(ウェブ版)の見出しには、「石倉氏のデジタル監退任を閣議決定」とあります。
https://www.iza.ne.jp/article/20220426-HHOQVZ3HVNM7LBVB2YIVTZATUM/

 同記事によれば、「石倉氏は体調不良で今年に入ってからはほとんど登庁していないとされていたため、後任の人選が進められてきた」のだそうです。就任してわずか半年ちょっと、「今年に入ってからはほとんど登庁していない」のであれば、なにかされたのは最初の3カ月だけということになります。

 体調不良のためであれば、お気の毒です。しかし同記事に「石倉洋子氏(73)」と同氏の年齢が記されているのを見て、庶民熊さん・八っぁんとしては、これは彼女を任命した政府の誰某の責任じゃないか、と思いました。

 デジタル担当に特化した大臣でなくても、世界の主要先進国の大統領、首相、大臣などをの顔ぶれをざっと眺めてみてください。わたしだって時々テレビに登場する彼ら、彼女らの姿を見るだけですが、それでも三十代、四十代の若々しい人たちがいっぱいです。

 アイスランド、ノルウェー、エストニア、デンマーク、フィンランド、オーストリア、オランダ、オーストラリアは、いずれも2018年時点で閣僚(大臣)の平均年齢が40代です。よく知られているのは、フィンランドの女性首相が2019年時点で34歳。閣僚19人のうち女性が12人です。

 ニュージーランドも閣僚の40%が女性で、首相は1980年生まれの女性で、いま41歳です。昨日大統領に再選されたフランスのマクロンも1977年生まれで、39歳のとき大統領になっています。また、そのマクロンが経済・産業・デジタル大臣をつとめていたのは2014年から2016年にかけてのことですから、彼が36-38歳のころです。ちなみにフランスの閣僚の最年少は38歳が二人いて、そのうちの一人は著名なブロガーだそうです。

 コロナ対策で名をはせた台湾のオードリー・タンは1981年生まれのいま40歳です。19歳のときシリコンバレーでソフトウェア会社を立ち上げて、デジタル業界でよく知られた何やら素人にはわからない言語システムなのか何かしらを始めて開発した実績もある人のようで2016年35歳でデジタル担当政務委員(閣僚)に任命されて、コロナ対策に腕を振るって世界にその名を轟かせたことは記憶に新しいところです。

 ネットを見ていたら、G7デジタル閣僚会合の2019年度の記事があって、そこ出席した各国の経済・デジタル担当の閣僚の名がありました。ネットで出てくる年齢はその情報のだされた時の年齢が書いてあって混乱するので、生年でしめしてみます。
 
 カナダ:ナブディーブ・ベインズ   1977年生まれ  
 フランス:セドリック・オデシタル  1982年生まれ
 アメリカ:マイケル・クラッティオス 1986年生まれ
 イギリス:ジェレミー・ライト    1972年生まれ
 日本  :磯崎仁彦経済副大臣    1957年生まれ

 60代の磯崎さんを除けば記載された各国の経済・デジタル関連の閣僚は全員30代か40代ですね。なんと10年以上のギャップがあるわけです。30代、40代なら、みなきっとデジタル世代で、「私はじつは新しいデジタル技術のことはよく知らないんですが‥」なんて人は一人もなさそうです。

 今の経済はデジタルがインフラみたいなもので、固く一体化しているから、経済産業の担当とデジタルの担当とが一つになっているのも普通になってきています。将来の国の土台をつくる要の政策を担当する大臣に30代~40代が就任しているのがG7のような世界の主要国の現実。60代の大臣が「デジタル閣僚」として出ていかなくてはならないような恥ずかしい国は日本だけではないでしょうか。

 私は年齢が高いからといって個人の政治家としての能力、とりわけデジタル関連の知識・経験・能力に絶対的な制約が生じるとは思っていませんが、やっぱりこういうデータを総合的に見渡してみると、日本が非常に特異な、というのか、ほとんど異常だという思いを禁じることができません。医学的にみても社会的にみても、やっぱり三十代、四十代のほうが頭脳明晰、柔軟、鋭利で、回転も速いでしょう。

 高齢政治家などは、保身のためにすぐに自分たちには「経験」という強みがある、というけれど、今の時代は次々に新たな知識、情報を代謝しなければ、その経験も知識も、すぐに古びて役に立たないことの方が多いので、新しいことを考えたりやったりすることの足を引っ張る古い慣行や古い人間関係をいっぱい引きずった「経験」なんて、むしろないほうがいいとさえ思います。

 いまの日本にだって、30代、40の若い世代で、すでにその分野では十分な経験を積み、実績もあり、トータルにデジタル戦略を立案したり推進したりできる能力も備えた人材がいない、なんてちょっと考えにくいのですが、将来の日本のデジタル化を引っ張って行くはずのトップに、いかに実績、経験をお持ちの方とはいえ、その計画がすべて実現するデジタル日本の「将来」にはたぶん存在していないだろう70歳台のかたを据えなければならない理由が、私には皆目見当もつきません。

 思い出してください、第4次安倍内閣の「科学技術・IT担当大臣」は就任当時78歳でありました!
 今度こそデジタル庁を創設して本格的にやるんだ、というから、今度は違うかと思ったら、初代デジタル監がまた70歳台です。どうなってるんでしょうね?

 世の中がデジタル、デジタルとうるさいから、「そんな名前の省庁をつくって、各省庁をはみ出した役人の吹き溜まりにしておけばいい、どうせ長い間既得権を守り続けてきた縦割り省庁の壁を崩せるはずがないんだから、そんな役所をつくったって何もできやしないんだし、トップなんて肩書や実績だけは文句の言えないやつをお飾りに据えておけばいいんだ」と政治家たちが考えてそういう人事をしてきたのかもしれません。

 だいたい霞ヶ関で省庁というときの「庁」というのは、なんとなく日陰者(笑)のような扱いじゃないでしょうか。
 私がいくらか関わりをもった国土庁(昔の)なども建設省とか経済産業省とかいろんなところから、ちょっとはみ出し者を出しておくか(笑)という感じで出されてきたお役人がやっていて、本庁に帰ることしか考えてなかったㇼ、文化庁なんてのも親方文部省(当時)のちっぽけな出先機関みたいなもので、当時は政治家も「文化は金にならん」「文化は票にならん」と思っていますから予算もよこさないし、やっぱり本省のメインストリームを行く連中から見た場合のホンネは「掃き溜め」ではないか、と(笑)・・・そう言っちゃ一所懸命やっている職員さんたちには悪いけれど、ほんとに金も力も与えられてはこなかったですよね。

 せっかくデジタル技術を身に着け、世の中のため、将来のために意欲をもって仕事をしようと考えていた若い職員たちも、これでは意欲をそがれて、いやになるのは目に見えています。まだできたばかりのお役所だけれど、次々辞めていく職員が出なければ良いのですが・・・・

 デジタル庁なんて本当はこれからの国家・経済の土台を全部作り変えるようなことをしなきゃいけないお役所なのですが、政治家たちにはそういう気などさらさらないのです。
 先日、デジタル庁がうまく機能してないじゃないか、みたいなことを議員だか記者だかにつっこまれて、今の経済産業大臣だったかな、はじめはデジタル庁に全体の絵を描いてもらおうと思っていた(経済についても)けれど、経済のほうはこっちでやればいいから、こっちでやるよ、みたいなことを言っていました。

 語るに落ちるというのか、霞が関の各省の意向というのは、この人と変わらないのでしょう。デジタル庁に自分たちの既得権に一歩たりと踏み込ませるつもりはないし、立ち上げたのならまぁやってごらんよ、どうせ何もできやしないんだし、と薄笑い浮かべながら眺めていて、デジタルのことが分からない大臣を充当したり、デジタル監にはもうずっと昔に功成り名遂げて隠居していただくほうがいいような御高齢のかたをあてて、実際にそれでうまくいくはずはないから、行き詰まったところで、ほらね、やっぱりそりゃ無理ですから、わが方でちゃんとやりますよ、とにんまり。

 これでデジタル社会・日本が誕生したら奇蹟以外のなにものでもないのでは?


saysei at 18:56|PermalinkComments(0)

2022年04月25日

JR西日本の福知山線脱線事故のこと

 17年前の2005年のきょう、4月25日は、JR西日本の福知山線脱線事故という大惨事が発生した日です。コロナ感染の拡大のせいで、直近2年間は中止されていた慰霊式が、きょう行われたことをテレビニュースが先ほど報じていました。

 乗客、乗員あわせて107名が死亡、562名が負傷したこの事故は、直接の原因とされるのは事故調査委員会の最終報告書などによれば速度超過のようですが、その背景には、ゆとりのないダイヤのもとに乗務員を目標達成に駆り立てるいわゆる「日勤教育」など、乗客の安全対策を軽視した、当時のJR西日本の効率優先の経営姿勢、管理体制があったことが明らかになり、大きな社会問題として取り上げられてきました。

 当時の安全担当役員だった山崎行夫が業務上過失致死傷罪で起訴されたのは当然として、事故当時の社長を含め彼の上司は一般の予想を裏切って神戸地検が不起訴処分としたため、神戸第一検察審査会が不起訴とされたJR西日本の歴代社長・井手正敬、南谷昌二郎、垣内剛を起訴相当と議決したのですが、地検は再び3人を不起訴とし、検察審査会は再度起訴相当として、強制起訴されました。

 しかし、裁判の結果は、結局山崎社長(当時)をはじめ、強制起訴された歴代社長すべて無罪となり、法曹界の常識と社会の常識が大きく乖離する現在の日本の司法の状況をあらためてさらけだす結果となったのは記憶にあらたなところです。

 刑事裁判でこの事故に関する歴代社長の刑事責任を問うことはできなかったわけですが、彼らがどういう人物であるかは、ウィキペディアに出ている次のような事例を一つ二つ挙げるだけで明らかです。

 2009年9月25日、事故当時鉄道本部長だった山崎正夫前社長が、当時の事故調査委員の一人である山口浩一元委員に手土産持参で接待し、事故の調査報告を有利にするための工作をしていたこと、そこに情報遺漏があったことが発覚した。

 翌9月26日には、幹部のJR西日本の東京本部の鈴木善也副本部長が、航空・鉄道事故調査委員会の鉄道部会長佐藤泰生元委員に接触を図り、土屋隆一郎副社長(事故対応担当審議室室長兼務)の指示で接触して、「中間報告書の解説や日程を教えてもらった」と会社ぐるみの事故調査委員会の委員への接触工作をしていたことが明らかになった。

 この2件が発覚して、山崎取締役、土屋副社長は解任されたそうですが、事故の反省は表向きで、責任逃れや罪を軽くするためなら、事故調査委員たちを巻き込んででも、何でもやるという当時のJR経営幹部たちの体質をこれほど雄弁に物語っていることはないでしょう。

 今日の番組で、事故の被害者の一人で生き残った人が、日本の司法にこのような組織とその経営者を罰する「組織罰」を創設する署名運動をしている、ということが紹介されていました。

 JR西日本にせよ、始終不祥事を起こしながら懲りずに金をばら撒いて原発立地をひろげてきた関西電力にせよ、また社内ハラスメントでたびたび公的機関の勧告を受けながら同じことを繰り返して若い有能な社員を死に追いやった電通等々、この手の悪質な経営体質、経営姿勢をあらためない大企業の権力、財力、組織力を嵩にきた横暴から、被害者となる市民や労働者を守るために、「組織罰」として裁くことができる、強力な法的根拠を整備することがぜひ必要だと思います。

 JRのような大量交通機関だけでなく、自動車メーカーのような企業についても、「交通事故」として事故だから仕方がないかのようにその製造責任を問われない自動車の安全性に関する製造者責任をいまよりもずっと厳しく問うことができるような法律を、利用者である市民の立場からつくるように大企業と癒着した政府に働きかけていく必要があるでしょう。

 交通事故をなくす、なんてことは、技術的にはもう何十年も前にほとんど完全に実現していたはずで、何億円、へたすると何兆円という利益を上げている大企業が、利益優先で全部それをさぼって、その政治力でそうした動きを封じ、その巨大な資本で広告業界はもちろん報道にも自社に不都合な報道を抑制させ、イメージ戦略で厚化粧してきただけのことですから。

 ところで、きょうのJR福知山線脱線事故の慰霊会をめぐる報道の中で取材に応じていた、事故の列車に乗車していて重傷を負い、辛うじて助かった女性の「その後」の話を聞くと、本当にこうした事故が個人にもたらす暴力的な爪痕がどれほどのものか、戦慄とともに思い知らされずにはいられませんでした。彼女はなんと体中の17本の骨を折り、7回も手術をしてその命を取り留め、身体的に受けた痛手から回復されたのですが、その後、重度のうつ病とPTSDに罹り、6年間苦しみ続けたということです。

 そして彼女が語る「事故によって被害者が受ける最大の苦しみは、身体の損傷による痛み、苦しみかと言えばそうではない。この事態を自分が受け入れられないことだ」と言う言葉を聴いて、事故と言われるものの本質を、この女性はほんとうに17年かけて全身全霊で受け止め、それに打ち負かされずに耐えて、この言葉によってつかみとったのだな、と痛感しました。

 交通事故などの事故に限らず、犯罪の被害者やその家族など、ごくふつうに幸せに生きていた市民が突然その命を奪われ、健康な心身を冒されることの、本当のおそろしさを、「最大の苦しみはそのことを受け入れることができないことだ」と言う彼女が命をかけてつかみとったその深い認識を伝える言葉によって、私は心の底から納得し、共感できることとして聞いたのでした。それはどんな謝罪や同情の言葉によっても触れることができず、どんな有識者の言葉でも聞いたことがない、易しい言葉だけれど事故の恐ろしさの本質を射ぬく言葉だったと思います。
  

saysei at 19:11|PermalinkComments(0)

フーコー論を読みながら~その15(2/2)

 (「その15」を一度にアップロードしようとしたら、長すぎてアップできないので、二つに分けました。つづきです)

 「狂人の家」━権力論と真理の諸形態

 四つの原則につづいて、「狂人の家―権力論と真理諸形態」という見出しをもった一節で、フーコーの真理観が紹介され、それがどう権力論と関わるかが論じられています。

 権力について論じている中で突然「真理」が登場するのは唐突で意外なことに思えます。ふつう権力と真理の関係と言えば、権力が真理をゆがめたり、覆い隠したり、その探究を妨害したり、という外在的な抑圧装置として機能するような関係でしかないように思えるからです。

 しかし、権力と知の関係をそうした外在的な関係ではなく、内在的、相互的な骨がらみになった、支え合い、利用しあう関係とみるフーコーにとって、「真理」もまた権力と切っても切れない内在的な関係で結ばれているようです。

 私も著者がフーコーの真理観を示す論文して重要視している「狂人の家」を読んでみました、そこには真理について目から鱗というのか、驚くべき観点が提示されていました。

 ふつう真理といえば対象が自然であれ社会であれ人間あれ、なにか出来事であれ、ある命題で語りうるような判断の形式で表現される事柄であって、権力などとは無関係に(独立したものとして)自然なり社会なり人間なり出来事なりに内在する客観性であって、それは自明の場合もあれば私たちに隠されていたり、顕われ見えていてもそれとしてとらえられていない場合もあり、私たちが様々な方法で探究し、隠されているならそのヴェールをはぎ取ることによって露わにするようなものだと理解されていると思いますし、私もそう考えてきました。

 しかしフーコーによれば、真理というのは見えていようと見えていまいと、そこに存在するがゆえにその覆いをはぎとって私たちが見いだすべきものなどではなく、「出来事」として「引き起こされる」もの、命題ではなくて「生産」であるらしいのです。

 通り一遍に聴いても何のことやらと思いますが、彼が持ち出す決闘裁判の事例ですぐに彼の言わんとすることは分かります。そこでは、決闘の勝者の主張が真理になるのであって、そう言いたいなら決闘の結果「生産」されるものなのです。つまり、真理は裁判(決闘)以前に存在するものではなく、決闘の結果つくりだされるものなのです。

 高校時代に日本史の授業で習って、ちょっと衝撃を受けた、日本の古代の「盟神探湯(くがたち)」と言われた呪術的な神明裁判、熱湯に容疑者の手を浸けさせ、やけどを負わなければ無罪、やけどを負えば有罪という裁定を下す方法なんかも、「真理を生産する」方法の一例でしょうね。

 フーコーはこういう告解、刑苦、拷問などといった試練によって「生産」される「真理」を「試練―真理」と呼び、私たちがふつう思い描くような真理を「確認―真理」と呼んで、真理にふたつの形態を区別しています。

 一方には、生産される真理に向けて整序された、試練としての真理を対象とする古い儀礼があり、他方には、徴しと証拠の確立に向けて整序された、認証としての真理を対象とする認識論がある。(フーコー「狂人の家」p180)

 言われて見れば、こうした真理観は理解できなくはないし、ふだん私たちが持っている真理観を相対化されて、目から鱗が落ちるような新鮮な考え方に触れた気がしますが、その感動から覚めると、なんだか言葉の詐術にたぶらかされたような気がしてきませんか?(笑)

 たしかに古代社会に生きていた人々にとっては、その「生産」された真理が唯一の真理だったかもしれませんね。私たちがそれを「真理」だとみなさないのは、現在の真理観に立って過去の真理観を見ようとすることによる、一種の遠近法的倒錯なのかもしれません。それを指摘されたから、なにか目から鱗のように新鮮に思えるのでしょう。

 しかし、いまの観点からみれば、その古代社会にも、そこで「真理」と言われたものとは、ひょっとしたら正反対の、もうひとつの「真理」は厳然としてあったはずだろう、という疑問が生じてくることも確かです。

 具体的に言えば、犯罪を犯したのではないか、と疑われて、熱湯に手を浸けさせられる容疑者は、やけどを負って、やっぱりお前が殺していたんだ、と言われ、彼(または彼女)が殺人を犯した、という「真理」が生産されるかもしれません。それがその裁判にとっても、当時のその社会の人々すべてにとっても、唯一の「真理」とみなされるかもしれません。

 しかし、その容疑者本人は実際には殺人を犯しておらず、ほかに犯人があるとすれば、その場合、当の容疑者は、「俺は殺していない」ということを知っているはずです。

 ほかの誰にとってもそれが「真理」ではないとしても、容疑者本人は、事実やっていなければ、罪を認めようと罰を受け入れようと、殺していない、という事実を、彼の「真理」として自覚しているはずです。それを誰も「真理」だとは言わず、彼自身も自分の自覚している命題を「真理」とは呼ばないとしても、です。

 「生産」される真理と、事実として参照される真理がある、とフーコーのように区別するとしても、いずれの真理も、判断する人たちにとっては「確認―真理」タイプのほうの真理だと考えられているはずです。「真理」を「生産」する人たちも、それが虚偽であることを知りながら、故意に容疑者を陥れようとして「真理」を「生産」するのでない限り、真理か否かの判断は、恣意的に「生産」するわけではなく、厳正な手続きにしたがって導かれる結論によって「生産」されるはずで、それは彼らにとっては、その容疑者が殺人を犯したか否か、という事実関係についての判断の正否を求めるための行為にほかならないはずです。

 だからフーコーのいう「生産」であっても、その生産者たち自身は、自らの行為を「生産」だとは思っていないはずで、あくまでも真否を確認するための手続きだと思っているはずです。だから容疑者にとっても裁判官をはじめとする多くの人々にとっても、それは「確認ー真理」であったはずです。フーコーがそれを「試練―真理」、「生産」される真理だというのは、現在の私たちの目からみて、試練だ、生産だ、と見えているにすぎず、そちらのほうが遠近法的倒錯に陥っているのではないか、と私には思われますが、どうでしょうか。そんなわけで、一度はフーコーの指摘に目から鱗みたいな感覚を味わって、そうかぁ、真理って「生産」されるものなんだ、と思わされたりしたけれど、なんだか言葉の詐術でたぶらかされているように感じてしまうのは私だけでしょうか。

  フーコーは、彼の言う「確認ー真理」、つまり私たちがみんなそれが真理だと考えているものも、実は「試練ー真理」の一形式なのだ、というふうな言い方で、前者が結局は後者に包括されるかのような言い方をしています。つまり「確認」を「生産」の観点から包括してしまって、「今や、真理の生産は、あらゆる認識主体にとって認証可能な現象の生産という形を取ることになった」(前掲書p183)というふうな、ある意味で大変不自然で強引な言い方で、すべての真理を「生産」されるもの、存在の次元に属するものではなくて、「出来事」なのだと自身の論理に引き寄せてしまいます。しかし、私には上述のような疑問から、むしろ逆に、「試練―真理」のほうこそが、「確認―真理」に包括されるものにすぎないのではないか、と思われます。

 彼が殺した、殺さない、という命題はその事実に照らして判断される以外に正誤を判断することはできませんから、熱湯に手をつっこませてその結果で決めるとしても、かれらにとっては、その厳格な手続き自体が、彼が殺したか否かの事実関係の参照、確認にほかならないのであって、恣意的に真理を「生産した」(捏造した)わけではないでしょう。それは現在の観点からみれば、真理の正しい参照、確認の方法ではなく、客観的にみて真理を「生産」したことになるけれど、それはあくまでも現在の私たちにとって、であって、当時の人々にとっては、「生産」などではなく、あくまでも「真理」を、殺人なら殺人を容疑者が犯したか否か、彼が殺したという命題の確認する手続きにほかならなかったはずです。
 
 古代なら古代の人々の観点にとって、「真理」と言う概念、ことばが指し示す対象が、客観的には私たちのそれとは異なる、ということは認めますが、古代の人々にとっても、真理か否かは、容疑者が殺したか否かという事実関係の参照、確認によって決まる、つまりその命題が真か偽かで決まる点では、現在と何も変わらないのであって、ただその参照、確認の方法が異なるだけではないでしょうか。決して「命題の確言ではなく生産である」というふうなものではないだろうと思います。

 現代では証拠調べをし、アリバイを調べ、彼が殺したかどうかという事実確認をするでしょう。しかし古代ではその事実確認を、決闘裁判や盟神探湯(くがたち)というフーコーの言う「試練」、厳格に定められた手続きによって行う、という違いがあるだけなのではないでしょうか。それを「生産」だというのは、事実関係の認識という認識論的な観点を断ち切って、「真理」が決定されるときの手続き、いわば権力の諸技術と「真理」との関係に焦点をあてたいからでしょう。それは同書の文脈から当然のことでしょうし、フーコーが「真理」を認識の観点からではなく、それを権力の技術論の中で語りたいために、どういう手続きで各時代の人々が「真理」だと考えるものを「生産」してきたか、というふうな観点を維持しようとしているのかは、わからなくはありません。

 フーコーのいう「生産」される真理は、一種の共同幻想で、同じ「試練―真理」タイプの真理であっても、その内容は変化し、時代が変われば動くけれど、私たちがいま「真理」と呼んでいるものは、客観的対象と向き合う認識の正誤に関わるもので、フーコーの言う「確認―真理」観に立つ限り変化しないものでしょう。

 動くように見えるとすれば、それはいずれかの「確認」が誤っているからであって、「確認」の技術が進歩すれば、その誤りは解消する方向に向かうはずで、その極限値が「真理」だとみなすことはできそうに思いますがどうでしょうか。私は「ら・ら・ら科学の子」なので、フーコーのいう「試練―真理」を真理とする観点にはちょっとたじろいでしまいます。

 しかし認識論の観点から真理を語るのではなく、フーコーのいうように所定の手続きによって引き起こされる「出来事」として真理を語るなら、それは権力と骨がらみに内在的にかかわって成立し、支え合うような歴史的事象の一つとして姿を現わすことは確かです。これが認識論の観点から語られる真理であれば、権力との関係は相互に外在的にしかとらえられず、時に触れあうときがあれば、権力が真理をゆがめたり、その探究を妨げたり抑圧したり、また逆にその力を緩めたり、発展を促進したり、という外在的関係でしかとらえることはできないでしょう。フーコーが否定してきたのは、そうした権力と真理の関係に対する観点(たとえばマルクス主義的な観点)であって、真理を「出来事」として、「生産」としてとらえることで、真理と権力は内在的な規則に従う歴史的概念として対象化されたのだ、と言えでしょう。
 そして、こうした観点で捉えられる「試練―真理」は、技術によって生産されるものであり、権力の技術と内在的に深くかかわりあって成立するものだということも、素直に納得できそうです。

 しかし、真理と権力の関係はもう少し先であらためて論じられています。

 
魂の系譜学―技術論と認識論

 本書第7章の第1節の最後は「魂の系譜学―技術論と認識論」という見出しの項目が最後に置かれています。

 ひとつ前の項のつづきで、「真理は生産される」というフーコーの倫理観が、エピステモロジーによって導かれたものではないかと著者は考えたようで、ここで再度バシュラールの科学哲学に触れています。

 つまりバシュラールにとって、科学の対象は「単なる現象ではなく、全身に理論の刻印を帯びたものであり、実体という地位にある」(p177)・・・・著者のこの文章は意味がよくわからないのですが、「実体という地位にある」とは何のことでしょうね。「現象ではなく」がその前にありますから、「現象はなく・・・実体(である)」ということが言いたいのでしょうか。主語は「科学的対象は」とされていますから、もちろん現象も実体も科学的認識の対象あることは間違いないので、そのこと自体はどうということはありませんが、なぜ「科学的対象は・・全身に理論の刻印を帯びたもの」であるということを述べたあとに、唐突に現象と対比させられる意味での実体が登場するのかはよくわかりません。

 バシュラール的な考え方では、現象であれ実体であれ、最初に理論(仮説)があって、それに適合する技術を用いて自然に問い掛けることで、はじめて科学的認識の対象として客体化されるのでしょうから、武谷三段階論でいえば現象だろうが実体だろうが本質だろうが、みな「全身に理論の刻印を帯びたもの」となることは自明でしょう。

 著者によれば、バシュラールにおいて技術は理論を現実化するものであり、そこでは「理論―技術―対象(真理)という相関関係が成り立つ」のだそうです。こういうところが危ないところだと思いますが、或る概念(ことば)にカッコつきで別の概念(ことば)をくっつけて並べ、あたかも「対象=真理」であるかのように表現して、論理のかわりに類推、飛躍でつないで議論を進めていくのはどんなものかと思います。「対象=真理」ということには、連想、類推ではなく、読者を納得させる論理が必要でしょう。

 それはともかく、著者は、フーコーがこのバシュラールの「技術論的かつ認識論的な探究」を継承して「認識される対象および真理が歴史の中で生産されるという観念」を引き継いだと考えているようです。

 フーコー自身がエピステモロジーから影響を受けたことはどこかで語っていたようですから、何らかの影響は受けたのでしょうが、私にはあまりその点はよくわかりません。エピステモロジーがどういうものかということは本書を読んではじめて教えられたので、それまでは若いころ個別の思想家としてバシュラールのいくつかの著作を拾い読みして、詩人的資質を持っていながら自然科学にも科学思想史的な興味をもって、人によっては詩的なと誉め言葉で語るような、詩人とも科学者ともつかない中途半端な文体で科学哲学を語る人だな、と思ってきただけで、深く読んだ経験もなくて、エピステモロジーについてはいまだに無知無理解といっていいので、それについても、そのフーコーへの影響云々についてもここで何か言えるようなことはなさそうです。

 ただ、科学者にとって、仮説を立て、その仮説に基づいて実験器具なりなんなり技術を用いて観察なり実験なりをして、対象である現象なり実体なりのデータを集め、分析し、その仮説的理論を確認したり棄てたり、修正したり、というプロセスは当たり前のことであって、それは別段著者がバシュラールの考えだと主張する「まず理論があり…」云々といった手順を固定的に考えなくてはならない理由にはならないし、対象が「全身に理論の刻印を帯びたもの」などというおどろおどろしい誇張的な表現を使わなければならない理由などないということは先般バシュラールを、二、三拾い読みして、そんな言葉に出会った時に思いました。

 科学的発見の歴史の中では、いくらでも偶然の発見もあれば、精緻な理論をもってチャレンジした結果もあり、またバシュラールがことさら現代物理学などでその実験装置を「悟性一元論」的な代物であるかのように語ったり、逆に質量の概念についてだったか、昔の秤のようなアナログな技術については感性にだけ結びつけるような、わけのわからない議論をしているようなところなど読むと、この人は科学分野の用語や概念を哲学と文学と入り混じったような修辞的言語で曖昧で不正確に語る人だな、という印象を懐かざるを得ませんでした。
 
 そのバシュラールを評価して、著者が「バシュラールの科学哲学は理論(悟性)―技術(感性)―対象(真理)という技術論的かつ認識論的な探究」だとするとき、おやおや、技術は悟性一元論的に、対象の「全身に理論の刻印を帯び」させるものだったんじゃありませんでした?と茶々をいれたくなってしまいます。

 もちろん技術というのはカントの古典的な認識構造の図式にあてはめれば、三木清が言っているように、感性と悟性の統一とみなすことができるものであって、感性一元論でも悟性一元論でも始末できる類のものではないでしょう。

 それはさておき、フーコーは真理も権力のさまざまな技術を用いて「生産」されるものだ、と語る時に、バシュラールの、科学的認識というのはまず理論があって、それに適合する技術を用いて理論を現実化する、フーコー流に言えば技術(諸手続き)が対象(真理)を生産する、という論理を継承したのだ、というのが、どうやら著者の言いたいことのようです。なるほど、だから「対象(真理)」(対象=真理)なんですね(笑)。

 ただし、著者は技術論と認識論をこのように重ね合わせるバシュラールに対して、フーコーは両者を「一つの思考のなかで同時に探究されるとは考えていない」と述べて、フーコーの場合は権力の戦略が対象性の領野、例えば性愛の領域を切り取って、自己の検証、訊問、告白、解釈、対話などといった技術(戦術)が性愛を包摂することによって、性愛という対象を客体として対象化すると考えた。著者の言い方だと、フーコーの技術論は、そのような「戦略―戦術―対象という三項関係」によって対象化(現実化)の諸様式を探究する。一方でフーコーは、こうして技術論によって対象化された対象が、いかにして科学の言説となりえたのかを、認識論として問うのだ、と述べています。

 こういうところでも著者はなぜかフーコーの『カントの人間学』を論じた時に見いだしたと考えているらしい「三項構造」に何でもかんでも強引に引き寄せて語ろうとしていて、その結果、その「三項構造」なるものがフーコーの思想を解くキーのように見え、あたかもフーコー本人がその思想展開、この本のテーマに即して言えば、カントの<批判>を継承したという場合のポイントになるフーコー自身に一貫する視軸であるかのように見えてくるから不思議です(笑)。でも、実際に本書から「三項構造」という用語を全部取っ払ってしまっても、フーコーがカントの<批判>を継承してどう自らの思想を展開してきたかを辿る上で、何の不自由もないように私には思われます。

 実際、今見ているこの箇所でも、フーコー自身は戦略とか戦術とかいう用語は使っていますが、それに「対象」をくっつけて「三項関係」で対象を対象として現実化するものだ、というような言い方はしていませんし、そんな言葉も使っていません。そもそも『カントの人間学』を論じる中で著者自身が熱心に語っていた認識の「三項構造」はもともとカントの、感性と悟性を媒介するものとして想像力というものを考え、この三つの概念を同じように扱うことで「三項」として「三項構造」と言っていたはずで、そうした認識の構造と、ここで論じられている「戦略―戦術ー対象」という「三項」とは、一つ一つの概念の中身(内包であれ外延であれ)も違えば、たとえ「構造」を形作るとしても、その根拠はまったく関わりのないもので、そこに認識構造のフレームを重ねるとすれば、それは論理ではなくて連想、類推、比喩にすぎず、表現上の修辞になってしまいます。別段、修辞を語ることが悪いわけではないけれど、それを論理と勘違いしていると、今度はその修辞的なフレームを、まるで次の展開の根拠であるかのように用いるという奇妙なことが生じるようなので、著者が「三項構造」という思い込みを持ち出すときは、いつも要注意です。

 さて著者がたどってきたフーコーのその「技術論」と「認識論」が結び合わされるのが、「対象化された対象である魂(âme)」だというのです。これはもちろん『監獄の誕生』で述べられた「ある種の型の権力の成果と、ある知の指示関連とが有機的に結びついている構成要素こそが、しかも、権力の諸関連が在りうべき知をさそい出す場合の、また、知が権力の諸成果を導いて強化する場合の装置こそが、実は精神の姿である」(フーコー『監獄の誕生』p33 田村俶訳)という一節によるものです。

 しかし、『監獄の誕生』のこのあたりも、それをたどる著者の文章も、私には大変分かりにくいものです。特に著者の文章でいきなり登場する「魂((âme))とはいったい何でしょうか。「魂」と言いながら、「非物質的で観念的なものではなく、実在するもの」とされ、著者によれば権力の技術論において「戦略(権力の目的)―戦術(権力の技術)―魂という相関関係にある」(またも要注意の「三項構造」)ものであって、さらに「技術によって生産される対象(魂)は実在性を有するのみでは」なく、「それは真理でもある」と述べられています。

  ここはフーコーの原著(邦訳ですが)に戻ってみてその文脈におきなおし、なおかつこうした抽象的な概念の言葉で操作的言語として書かれた言葉を、具体的な形象に置きなおしてみないと、なかなか腑に落ちません。

 著者が「魂」と訳した(âme)言葉は、普通はたしかに「魂」という訳語があてられるようですが、田村訳では「精神」と訳されています。いずれにせよ多義的な言葉で、使われている文脈を見ないと断片的な文章では真意をさぐることが難しい言葉です。

  原著でこの言葉が最初に使われているのは、次のような文脈においてです。

  国王の側での権力を補足するために、国王の身体の二重性がひき起こされたとすれば、死刑囚の、服従した身体に行使される過剰な権力こそは、別の型の二重性をさそい出さなかっただろうか。身体不関与の二重化を、マブリー流の<精神>のそれを。(前掲書p33)

  ここで言われる「国王の身体の二重性」というのは、生身の生き死にする人間としての国王の身体であることと、「時をつらぬいて止どまり、その王国の身体的、だが触知しがたい支えとして保持される」法-神学的に規定される王権を担う不可触の身体の二重性です。

 権力側にこの二重性があるとすれば、死刑囚の最小限の身体、最小限の権力のほうにも、そうした力学が誘い出す別のタイプの二重化があるんじゃないか、ということで、生身の一時的に生き死にする囚人の身体と、これを権力の技術がその作用によって生み出す、知の対象となりうる身体とを考えることができます。但し、この後者の「身体」は、王の場合と同様に「精神」と言ってもいいようなものです。

 モデルはキリストの人間イエスの生き死にする身体と、神の子キリストとしての身体言い換えれば魂(精神、霊性)だということはフーコーも示唆していますが、それは「精神」ではあるけれども、「幻影」でもなければ「観念形態の一つの結果」でもなく、「実在する」もの、「一つの実在性をもっている」ものであるわけです。(ちなみに、著者はこの「観念形態」と田村訳で訳しているところを「イデオロギー」と訳していますが、日本語の現代語で「イデオロギー」と言えば、なにかとても特殊な意味を帯びてしまうでしょうから、不適切だと思います)

 そのへんは抽象的に身体とか精神(魂)という言葉で語られた概念を文脈に即して形象化してみれば、すぐに理解できます。抽象的な言葉だけで「『監獄の誕生』は魂の探究である」(p178)と言われても、いったい何のことか分かる人は少ないでしょう。

 フーコーは上記の死刑囚の服従した身体の二重化について、「身体不関与の二重化を、マブリー流の<精神>のそれを、そうだとすると」と言っています。マブリーは同書のp21で登場した人で、「こう語ってよければ、懲罰は身体によりもむしろ精神に加えられんことを」と述べている人だそうです。「身体不関与」というのは懲罰の対象が身体から精神に移ることを指しているでしょう。これ以降、「処罰中心の司法機構は今やこの身体なき現実を捕捉しなければならない」(前掲書p21)ことになってくるわけです。

 フーコーはこの「精神」(著者の訳では「魂」)について、比較的易しい具体的な言葉で語っています。

  精神は、身体のまわりで、その表面で、その内部で、権力の作用によって生み出されるのであり、その権力こそは、罰せられる人々に━より一般的には、監視され訓練され矯正される人々に、狂人・幼児・小学生・被植民者に、ある生産装置にしばりつけられて生存中ずっと監督される人々に行使されるものだと。この精神の歴史的実在性がある、と言うのも、この精神は、・・・(中略)・・・処罰・監視・懲罰・束縛などの手続きから生まれ出ているからである。(前掲書p33)

 「権力の技術」と抽象的に言われているものは、例えばここに挙げられた、処罰、監視、懲罰、束縛であり、また性愛について述べられていた一節に挙げられた、自己の検証、訊問、告白、解釈、対話などといったものを形象として思い浮かべて読めばいいのだと思います。

 そのような「手続き」、「技術」、別のところでは「権力の戦術」と言われているものによって、例えば監獄の囚人や学校の生徒や病院の患者や工場の労働者や家庭の子供たちは、刑罰なり教育なり医療なり商品生産なりしつけなりの領域で対象化され、「身体の二重化」によってもう一つの身体、実在性をもつ「精神」、つまり各種人文諸科学のような「知」の客体として、それぞれの言説の場にその位置を与えられ、権力の標的となる価値を与えられて、収奪されたりされなかったりする客体、知の対象でもあり権力の対象でもある「精神」になるわけです。

 もう一度フーコー自身が抽象的な言葉でこの「精神」を語っている言葉を引いておきましょう。

  ある種の型の権力の成果と、ある知の指示関連とか有機的に結びついている構成要素こそが、しかも、権力の諸関連が在りうべき知をさそい出す場合の、また、知が権力の諸成果を導いて強化する場合の装置こそが、実は精神の姿である。精神のこの実在性―指示関連をもとに、人々は各種の概念をつくりあげ、分析領域を切り取ってきたのだった。つまり、霊魂、主観、人格、意識など。その実在性―指示関連のうえに、[権力的な]諸技術と学問的な言説をうち立ててきたのであり、それをもとにして、人間中心主義の道徳的な権利要求を浮かびあらせてきたのである。(前掲書p33-34)

  ここまでくれば、抽象的な哲学用語で語られるわけのわからない一節も、それが意味する形象を辿りながら、腑に落ちる形で読んでいけるでしょう。たとえば、「霊魂」と言われれば、お坊さん(聴聞僧)と懺悔(告白)する信者が向き合う場面を連想し、その権力の磁場の中で宗教的行事やもろもろの手続きによって、また懺悔(告白)や人文や対話や解釈やといった諸技術、諸戦術でもって、聖書や諸々の教義、戒律、お説教や教会の秩序といった知を誘い出し、その知の「指示関連」と権力関係を結びつけて、信者の魂を位置づけ、客体化、導いて、そこに働く権力をより強化していくさまを思い浮かべることができるでしょう。

 同様に家庭のしつけの場、病院の医療の場、工場の生産の場、学校の教育の場、軍隊の訓育の場、監獄の獄舎等々に置ける任意の場面を連想することもできるでしょうし、そこでしつけられたり癒されたり、監督、督促されたり、訓育されたりする「精神」(著者が「魂」と訳したもの)が霊魂だの主観だの人格だの意識だのとして対象化され、またそれらが各種の知を呼び寄せ、その言語的諸技術で持って権力を支え、また権力に用いられるものとなる事情を困難なく思い浮かべることができます。

 そこにおいて「精神」と言われるものは、権力の術と知の内在的な結びつきによって作り出される「実在性」であり、それを手がかりにして権力関係が関連の知を誘い出し、自らを強化するための装置だということになります。

  したがって、その権力の技術を確固たるものとし、知の指示関連を辿って一層明らかにすることによって、この「精神」(身体の二重化としての人間)を中心に据えた諸学問が拓かれることになるというわけでしょう。

 まだ当初に挙げた第7章の目次の最初の一節をたどってみただけで、長くなりそうなので、きょうはこのへんにしておきましょう。



saysei at 14:19|PermalinkComments(0)
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