2022年03月

2022年03月31日

古今集を読む 第14回(100~109)花の歌②(巻第二 春歌下)

(以下は片桐洋一著『古今和歌集全評釈』[講談社文庫]をたよりに古今集の和歌を最初から読んでみようと思って、少し読んでは感想やコメントをひかえて間歇的にブログに残している私的なひかえです。特に出典を記さない評註の類は同書に拠っています。ただ、現代語訳は片桐さんの通釈を参照しながら、自分なりに考えてみた私の勝手訳です。)


100   まつ人も来ぬものゆゑに鶯の鳴きつる花ををりてけるかな      (よみ人知らず)

 待つ人も来ないにちがいないのに鶯が(散るのを惜しんで)鳴いていた花を折って(活けて)みたことであるよ

 「ものゆゑに」は現代語にはない表現ですね。これが「助詞」だと言われると少々驚いてしまいますが、古語辞典(岩波)をひいてみると「ものから」と一緒に説明してあったので、そういえば「ものから」という言葉はなにかで出てきたことがあったなぁ、と昔古文を習ったときのかすかな記憶が蘇ってきました。岩波古語辞典の巻末のこれらの助詞についての解説はとても行き届いたものだと思います。少し長くなるけど引用してみます。

 ”「もの」と「から」「ゆゑ」との複合した助詞である。従って活用語の連体形を承ける。「から」は格助詞の「から」と起源的には同一で、「自然のつながり」の意から種々に発展し、原因・理由を示す用法を持っていた。「ゆゑ」は、もとづくところの意である。それ故、「から」も「ゆゑ」も、それだけで原因・理由を示す助詞となり得るものである。その上に加わっている「もの」とは、いわゆる「物」が原義である。「もの」とは形があり、手にふれることの出来る存在を指す語で、「こと」と対比して使われ、「こと」が時間の経過とともに変化し推移して行く出来事・行為をいうに対して、「もの」は変化せず推移しない存在を指す語である。その、変動しない存在の意から、確固として定まっている既定の事実や、避けることのできない法則とか慣習とかを指すことがあった。従って、「ものから」「ものゆゑ」と複合すれば、「・・・・するにきまっているのだから」「必ず・・・・とは既にきまっていることだ」「当然・・・・するにきまっているけれど」の意を表わすのが古い用法である。「から」「ゆゑ」は順接条件も逆接条件も示しうる語なので、「ものから」「ものゆゑ」も、順接、逆接両方の例がある。平安時代には「ものゆゑ」は古語となり、「ものから」の方が歌などに多く使われ、「・・・・ながら」「・・・だのに」の意味を表わした。”

 逆接の例として古語辞典および片桐さんの評釈で挙げられている歌に:

 毎年(としのは)に来鳴くものゆゑほととぎす聞けばしのはく逢はぬ日を多み(万葉集4168)]
  誰が秋にあらぬものゆゑ女郎花なぞ色に出でてまだきうつろふ(古今集232)
 恋すれば我が身は影と成りにけりさりとて人におはぬものゆゑ(古今集528)  

 「よみ人知らず」の歌ですが、この歌の趣旨や連想される情景、さらに当時の男女関係のありようを考慮すれば、片桐さんの言うとおり、この歌は女性が詠んだか、女性の立場に立って詠まれた歌だと考えるのが自然でしょう。
 惜春の歌として春の部に採録されている歌ですが、どうせ待っても来ないだろうと男のことを思いながら、鶯が春を惜しむかのように散って行く花の木にとまって鳴いていた、その枝を折って活けている女性が目にうかぶようで、あからさまな言葉を用いずに詠まれたすぐれた惜春の歌とみる片桐さんの解釈に共感できます。


      寛平の御時の后の宮の歌合の歌
101   咲く花はちくさながらにあだなれど誰かは春を怨み果てたる    藤原興風(おきかぜ)

 咲く花は色々あるけれどみなはかなく色褪せて散ってしまう。しかし、誰が(花を散らせてしまう)春を怨み通すことができようか

 「あだなり」は散りやすい花についても言いうけれど、心変わりしやすい人についても言う言葉だし、「怨む」という語を用いて一首をまとめている点、「単なる擬人化を超えた艶が感じられる」というのが片桐さんの鑑賞欄の評です。
 どうってことのない惜春の歌だと思いましたが、なるほどそう言われてみれば、これらの言葉の選び方にこの歌のポイントがあるのかもしれませんね。

 「ちくさながらに」という言葉の解説で、この「ちくさ」は「色のちくさ」という形が基本だけれど、「ちくさに物思ふ」のように、「あれこれと悩む」場合にも用いられるので、色だけにこだわる必要はなく、「あれもこれも」「いろいろと」「種々に」と訳してよいが、「背景に『花の色があだにうつろう』という意を感じとった方がさらによい。」と片桐さんは書いています。

 この歌では「色」という言葉は用いられていないし、ごくふうつうに「咲く花は色々だが」と訳して支障なく思えるのですが、やはり花にについて「ちくさ」というときの慣用で色が連想されることや、すぐあとに「あだなれど」という「心変わりしやすい人」について言われることも多い言葉が置かれることで、ことばの背後に多彩な色の花を咲かせて、じきにまた色褪せうつろい散って行く、という「色」が透けてみえるような仕掛けがほどこされているのを感じさせる点は、片桐さんの指摘のとおりです。


  それと私は「ながらに」という言葉をどう受け止めればよいかが、わかりにくかった。別段特別に強い意味を主張する言葉でもないので、無視して歌の趣旨を受け止めることはできますが、たった三十一音のなかですから、この言葉の意味や響きが歌の構成になんらかのポジティブな役割を果たしているに違いないわけで、こういう言葉の理解が適切にできないと一首を十全に受け止めることが難しいんだろうな、という気がします。「ながら」については、古語辞典をひいても、「・・・のままで」といった意味合いしか出てきません。動詞を承けて「・・・・したままで」「・・・しつつ」と同時進行の意をあらわすことから、転じて逆接の意を表わすようにもなった言葉だとか、「涙ながら」のように「ともに」の意を表わすといった説明があるけれど、この歌の「ながらに」をうまく説明してくれる文言は見当たらないようです。

  だからここは「ちぐさながらに」と「あだなれど」を対照させて、軽い逆接でつないだ言葉とみて、「色々(さまざまな色合いも華やかな花が)あるけれど、みな(じきに色あせて散ってしまって)はかないのだが」という気持ちで訳してみました。「ながらに」「なれど」はそう明確に韻を踏んではいないけれど、「な」音の頭韻とでもいうリズムがあって、「ちぐさながらにあだなれど」という言葉の続きが、とてもいい感じでつながる言葉になっています。うまく言えないけれど、こういう言葉の組み合わせの効果をうまく説明できないと、意味だけを辿っても、この歌をうまく評価できないという気がします。

 初句の「さく花は」を「さくらばな」とする本があり、それに即して解釈しているものもあるけれど、配列上もこのあたりの歌はすべて「花」とのみあって、89番歌以前の「桜花」の歌群とは離れている、と片桐さんは批判的で、そのあとに、「まして『春』を花を咲かせるプロデューサーとしてとらえる構成なのであるから、『桜』だけではなく『花』全体について言っていると見なければなるまい。」と述べている点はさすがです。「春」を花を咲かせるプロデューサーとしてとらえている、という評言は実に的を得た解釈だと思います。

 藤原興風という人はあまりなじみがないけれど、三十六歌仙の一人で、宇多天皇の歌壇で活躍した歌人だそうで、管弦の道にも秀でていたらしい、とのこと。


102  春霞色のちくさに見えつるはたなびく山の花の影かも   (藤原興風)

 春霞が色々な色に見えたのは、霞がたなびく山の花の色が映っているのだろうか

 花の色が春霞に映る、という発想の歌は前にもありました。何でもない歌ですが、片桐さんは「見えつる」の完了の助動詞「つ」に注意を促し、「今まで見えていた」のであって「今、見えている」のではない、と指摘し、さらに「本当に千くさの色に見えたのではなく、千くさの色に見えたように思えたのである。そして、小休止して、『それは霞がたなびいている山の花が映って見えていたのだなあ」と納得しているのである』と述べています。」

 「本当に千くさの色に見えたのではなく」とまで言っちゃっていいのかな、とは思いますが、完了の助動詞を使っていることは事実なので、今目の前に見ているのではなくて、霞が微妙に色んな色を映しているように見えていた、という完了した現象を言っているのはそのとおりでしょう。
 山にたなびく霞が何らかの複雑微妙な色を帯びることはよくあることですから、わざわざ本当にそう見えたのではない、と言い切らなくてもいいのではないでしょうか。

 先ほどまで霞が美しい色を帯びていたように見えた、という事実があれば、それに心を動かされて、今度は古今集の歌人らしく理性を働かせて、あれは山の花の色を映じたのであろうか、と推測してみせることで、自然現象としての霞が色をおびていたことを、花の色の映じたものだ、と風流に解してみせたところに、この歌のポイントがあると言えるのではないでしょうか。


103  霞立つ春の山辺は遠けれど吹き来る風は花の香ぞする  在原元方

  霞の立つ春の山辺は遠いけれど吹いて来る風は花の香がするじゃありませんか!

 そんな遠い山辺に咲く花の香りがここまで届くはずないでしょ、と半畳入れたくなるけれど、そこはそれ、春風を肌に感じたときに、霞に遮られた山辺には満開の桜の花が咲いているのだろうなぁ、と思いをはせることで、その香がここまで運ばれてきたかのように思えるよ、ということなのでしょうね。ちょっと大げさに驚いたような訳をつけましたが、こういうさりげない強調の「ぞ」をうまくさりげなく訳すのは難しいですね。

  「春の山辺」については片桐さんの素晴らしい解説があります。

 ”「いざ今日は春の山辺にまじりなん暮れなばなげの花の蔭かは」(95・素性)、「宿りして春の山べに寝たる夜は夢の内にも花ぞ散りける」(117・貫之)、「思ふどち春の山べにうち群れてそことも言はぬ旅寝してしか」(116・素性)のように、作者元方と同じ世代の人々にとって、「春の山辺」は、自然と融合して、花を愛で、心を遊ばせる所であった。”

 ”[語釈]にも述べたように「春の山辺」は人々の憧れの地であった。人々は「思ふどち」を連ねて「いざ今日は」と張り切って分け入り、「暮れなばなげの花の蔭かは」と「うち群れて」「宿りして」「旅寝」をし、「夢の内にも」「花ぞ散りける」景を見ようと思うのであるが、公務のある身は、なかなか思うようにならない。そのような前提が、「春の山辺は遠けれど」なのであるが、その上に「霞立つ」とあるように、霞が隔てているので、ますます遠い彼方の理想郷、今年はもう出かけて行けそうにもないという気持になる。そんな時に吹いて来た風、何と花の香がするではないか・・・・という喜びが一首のポイントになっているのである。”

 「春の山辺」という言葉の背後には、当時の歌人たちを含む宮廷人のこれだけの熱い想いがある、というのは、たまたまこの一首を拾い読みする素人の私たちには見えにくいところで、こうして解説してもらうと、なるほどなぁと味わいが深くなりますね。

 春の日の桜の盛りに窓から見える空は雲一つない青空で、こんな日に川端の桜の列の下の遊歩道をゆっくり散歩したら素敵だろうなぁ、と思いながら、年度末締め切りに間にあいそうにもない仕事を抱えて口惜しい想いをしていたときの現役時代を思い起こすような解説ですが(笑)。
 多くの現役男性にとっては花見の季節も滅多に心行くまでお花見ができる機会には恵まれないでしょう。土日の名所は観光客でごった返しているだろうと思うと、休日くらいは家でごろ寝していたい、と思ってしまうでしょうしね(笑)

 あまり現代の自分に引き寄せてもおかしなことになるでしょうけれど、当時の歌人たちは支配階級の貴族で、荘園からのあがりで食うに困らず、恋の歌をやりとりして女の所に通ったりしながらのんびり暮らしていたようなイメージで思い浮かべそうだけれど、彼らは一面、朝廷に仕えるお役人であって、宮仕えという意味では現代のサラリーマンと共通する側面もあったわけで、上のような連想が働いても、端から荒唐無稽とは言えないでしょう。

 在原元方は、古今集の冒頭第一番の歌の詠み手でもある、業平の長男棟梁の長男だというのが、一番歌の注で片桐さんが書いていました。けっこう選ばれた歌も多い、よく知られた歌人だったようです。


       うつろへる花を見てよめる
104  花見れば心さへにぞうつりける色には出でじ人もこそ知れ    躬恒

 (衰えて色を変えていく)花を見ると(わたしの)心までもが(他の人に)移ってしまうよなぁ、しかし顔色には出さずにおこうよ、あの人に知られるといけないから

 「さへ」は岩波古語辞典によれば「添へ」の転と考えられる、とのこと。片桐さんも「『さへに』は『添へに』と同じ。この花に加えて自分の心までがうつろったと言っているのである」としています。現代語でも「~さえ」と言いますが、もとは「添える」、つまり「それに加えて」ということなんですね。

 「うつり」は前にも出ていましたが、「映」でもあり「移」でもあって、「物の形や内容が、そっくりそのまま、他の所にあらわれる意」で、「ウツはウツシ(顕)・ウツツ(現)のウツと同根」ということでした。ここでは投影の「映」のほうではなく、(花の色などが)変わる、褪せる、心が他の人に寄る、といった「移」の意でしょう。

 「出でじ」は、現代語の感覚では「出で」は自動詞だと思いますが、古語辞典をひくと、他動詞としても使われたようで、「内や奥にあって見えないものを、外や表から見えるようにする。あらわす、外に出す」 などという語釈がついています。
 従ってここは他動詞で、「じ」は推量の「む」の否定にあたる語だそうで、一人称の動作を承けるときは「・・・・ないつもりだ」「・・・・まい」と否定的な意志を表わす(岩波古語辞典)のだそうです。ここはだから、外にあらわすまい、あらわさないようにしよう、といった意味でしょう。

 「人もこそ知れ」の「もこそ」は、ちょっとみには強調を重ねた語のようにみえるのですが、「不確実な推量や、打消と呼応する係助詞モと、強調を示す係助詞コソとの複合。将来に対する危惧・懸念を表わす。・・・するといけないから。・・・・があるといけないから。」(岩波古語辞典)といった意味の連語で、「もこそ」でひとつの助詞として扱われているようです。

 「もこそ知れ」で、「知るといけないから」みたいな訳になるのは感覚的にちょっと違和感があります。「も」は不確実なことの推量をあらわす語のようですし、「こそ…已然形」の係り結びは「・・・・したので」という順接あるいは「・・・・したけれども」という逆説の条件句を成す表現のようですから、もともとは「あの人がひょっとして知るかもしれないけれども」といった不確かな怖れを交えた推量のような意だったんじゃないでしょうかね。
 そこから「だから知ることがないように」「知られないように」という意を表わせるような言葉になったんだ、と考えれば、なんとなく腑に落ちるのですが、そういう可能性はないんでしょうか。
 「もこそ」=「・・・するといけないから」と機械的に覚えなさい、というのが学校教育における古文の教え方だから、そりゃそう暗記しておけば現代語に置き換えることはできるけれど、なんとなく腑に落ちないところがありますね。


105    鶯の鳴く野辺ごとに来て見ればうつろふ花に風ぞ吹きける    よみ人しらず

 鶯が(花の散るのを惜しんで)啼くそこかしこの野辺にやって来て、見れば散っていく花に(追い討ちをかけるように)風が吹いているよ

 片桐さんの解説によれば、「花に鳴く鶯は、花の散るのを惜しんで鳴くものとしてとらえられていた」のだそうです。100番歌の「まつ人も来ぬものゆゑに鶯の鳴きつる花ををりてけるかな」の場合もそういう含意がありましたね。

 「野辺ごとに」の「ごと」は「毎」で「別々に。一つ一つ別に」の意味でしょうが、現代語ではこういう使い方はしないでしょうから、ちょっとどう訳せばいいのかな、と戸惑うところです。
 片桐さんが注するように、「あの野辺この野辺と散策して自然に親しみ、花を惜しんでいる人の姿を感得すべき」なのでしょう。「鶯が鳴いている野辺をひとつひとつ訪ねてみれば、そのどこも花はもう散るところで、それに追い討ちをかけるように風が吹いているよ、残念なことだ」といった意味でしょうか。


106    吹く風を鳴きて怨みよ鶯は我やは花に手だに触れたる   (よみ人知らず)

 鶯よ吹く風を怨んで啼きなさい、私は花に手さえ触れていないのだから(私のせいで花が散るかのように、私に向かって啼くのは見当違いというものだよ)

 散る花を惜しんでなくのが鶯、という当時の歌人に共有された観念を前提に、鶯を擬人化して詠んだ、いささか理屈っぽい歌ですね。
 「怨みよ」は上二段活用をする「怨む」の命令形。「やは」は反語。


107     散る花の鳴くにし止まる物ならば我鶯に劣らましやは    典侍洽子朝臣

 鳴いて花の散るのが止まるものなら、私もどうして鶯に負けていましょうか(いや、いくらでも泣いてみせるでしょうに)

 散りかけの花に鶯が鳴くのは、散るのを惜しみ、それをとどめる力があるかのようにみなす、一種の美学的な共同幻想ともいうべき常套的な連想パターンが当時の歌人たちに共有されていて、それをふまえて、自分だって花が散るのを惜しむ気持ちは人一倍強いから泣いて花の散るのがとめられるのなら、鶯に負けずに泣いて見せるだろうに、という意味合いでしょう。前提になる観念をもたない私たちにとっては、少々あざとい、わざとらしく理屈っぽい歌にみえてしまいます。

 鶯の声が花の散るのを「鳴きとめる」という表現の例として、片桐さんは次の二首を挙げています。

    鳴き止むる花しなければ鶯も果ては物うくなりぬべらなり (古今集 128・貫之)
    鳴くとても花や葉とまるはかもなく暮れゆく春の鶯の声(『躬恒集』403)

 また鶯のように、私も泣いて花の散るのを止めようという、この歌と同趣旨の歌として、次の例をあげています。この歌はいいですね。
    鶯の鳴かむ代(しろ)には我ぞ泣く花のにほひやしばしとまると (『拾遺集』物名・424) 

 「鳴くにし」の「し」は強意の助詞とされてきた語で、片桐さんもそう書いていますが、岩波古語辞典ではこれを「強意の助詞」とすることに強い疑問を呈しています。
 「し」の実例を見ると、下に否定や推量、あるいは条件句を形成するものが圧倒的に多く、確実な肯定的断定で結ぶ文末がほとんどないこと、助詞「ば」を伴って、「・・・・し・・・・ば」の形をとるものが、奈良時代に用例の半数、平安時代の源氏物語や枕草子では、例のほとんどすべてを占めている、といった事実を挙げ、この語は「むしろ基本的には、不確実・不明であるとする話し手の判断を表明する語と考えられる」としています。
 「し」の前の「に」は、岩波古語辞典では、格助詞「に」の転用としての接続助詞で、「その場合」といった意味を表わすのが本来で、前後の文脈によって、意味は、「・・・ので」「・・・から」という順接条件、「・・・のに」「・・・けれども」という逆接条件のどちらの場合もある、と解説されています。

 典侍洽子(ないしのすけ あまねいこ / ひろいこ)は従三位参議善縄(797-870)の娘。片桐さんの使った底本に.「寛平延喜掌侍 典侍 糸所別当」と主筆で定家の書入れがあるのだそうで、『大和物語』第147段に登場している糸所の別当はこの人だということです。


      仁和の中将の御息所の家に、歌合せむとて、しける時に、よみける
108    花の散る事やわびしき春霞立田の山の鶯の声      藤原後蔭

  花の散ることが切ないのであろうか、春霞が立つ立田の山の鶯の声が聞こえるよ

  詞書の「仁和」を光孝天皇の時の年号とするのが通説らしいけれど、その御息所(后)が誰であるかは「未詳」だそうです。ただ、同じく仁和の中将の御息所の家の歌合の歌と伝える114番歌が『素性集』に「仁和寺の中将の御息所」となっていることなどから、「仁和寺のみかど」と呼ばれた宇多天皇の時の御息所とする可能性もある、と片桐さんは語釈欄で解説し、そのほうが後蔭の閲歴にはふさわしいとしています。

 藤原後蔭は片桐さんの底本では「後蔭 蔵人 右少将 中納言有穂子」とあるそうです。延喜十九年(919)正月には従四位下、備前権守になった人だそうです。

  「春霞立つ」と「立田」の「立つ」は単純な掛詞。

 片桐さんの解説では、立田山は紅葉の名所と知られているので、秋の歌に詠まれることが多く、春の鶯を詠むのは珍しいこと、「春霞」と詠むのであれば、『万葉集』以来「春霞春日の里」「霞立つ春日の里」と詠まれていた「春日の里を詠むべきであったのに、あえて立田山を詠んだのは、この歌合において、これを詠み込まなければならない条件設定があったと考えるほかはあるまい」と述べています。

 春霞なら春日の里、紅葉なら立田山、といった美学的な共同規範のようなものが、そこまで強く、目の前の景物なり場なりと無関係にそう詠むべきだと考えられたのだすれば、古今集の歌を現代の私たちが読むときには、よほど気をつけないと、そうした組み合わせは何ら目の前の景色でも、詠み手の体験した状況でもなく、単に当時の歌人たちが共有した慣用的な結びつき(観念連合)を言葉にしただけで、近代的な自己表現という考え方は通用しないと思わなくてはならないでしょう。

 ではその歌固有の表現としての価値はどこにあるかと考えると、そうした慣用的な表現を、どんな新しい文脈の中に置き換えて新しい効果を発揮できるか、またそれが歌が詠まれ、聴かれる場の中で、状況に対して、また他の歌人の歌に対して、どのような新たな意味を持ち、効果を持ち得るか、といったところに見出だすほかはなさそうに思えます。


      鶯の鳴くをよめる
109   木伝へばおのが羽風に散る花を誰におほせてここら鳴くらむ    素性

 木から木へ飛び移れば自分の羽風で花が散るのに、それを誰のせいにしてそんなに大層に鳴くのだろうか

 わかりやすい歌ですが「ここら」という言葉だけが現代語ではこうした意味の言葉としてはないでしょうから、つまづくところです。岩波古語辞典によれば「ココバの平安時代以後の形。これほど多く。これほど甚だしく。」といった語釈になっています。「ココバ」の項を見ると、「幾許」という漢字があてられ、「バはソコバ・イクバクのバに同じ。量・程度についていう接尾語。ココバは話し手に関係深い事柄について、多量である、程度が甚だしいのにいう語。平安時代以後はココラ。こんなに甚だしく。」と書かれています。

 「木伝へば・・散る」という言葉の結びつき(観念連合)も、この歌が詠まれたころにはできあがっていたようで、片桐さんがいくつか例を挙げてくれています。

 鶯の木伝ふ梅のうつろへば桜の花の時かたまけぬ(万葉集・巻十・1854) 
 いつしかもこの夜の明けむ鶯の木伝ひ散らす梅の花見む(同・巻十・873)
 袖垂れていざ吾が苑に鶯の木伝ひ散らす梅の花見に(同・巻十九・4277)
 
  「おほせ」はオヒ(負)の古い他動詞形(下二段活用)。人に背負わせる意が原義。背負わせる。課する。罪などを負わせる。かぶせる。


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2022年03月29日

「バンデラス~ウクライナの英雄」を観る

 プライムビデオのカタログを物色していたら、「バンデラス~ウクライナの英雄」という2018年製作のウクライナ映画があって、会員無料だったので観ました。

 いまプーチン・ロシアが「ナチ」のウクライナ政府に虐殺されているロシア系住民を救出するために、などと荒唐無稽な口実でウクライナを侵略しているわけですが、まさにロシアの傀儡である分離派がその一部を支配している東部のドネツク州を舞台に、バスを攻撃して住民を皆殺しにし、政府軍のしわざだと喧伝し、村人たちをメディアを通じて洗脳するロシア&分離派と戦うウクライナ特殊部隊の隊長を主人公にした映画です。

 映画の中で起きていることは、あまりにも現実そのままなので、複雑な気分ですが、まさにロシア&分離派はこういう手口でウクライナを分裂させようと、あらゆる手段を講じてきたんだろうな、と思わずにはいられません。

 映画としてはハリウッド映画と違って、少々カッタルイところはあるものの、特殊部隊の内部に分離派のスパイが潜り込んでいて、次々に隊員を殺していくのを、なんとか正体を暴こうとするせめぎあいを設定することでストーリーを盛り上げています。隊長がこの戦闘の部隊となっている村の出身であることも人間関係を複雑にし、かかわって行く人たちに陰影を与えています。映画としてすぐれているとか、エンタメ系戦争映画として特別に面白いとかでお勧めというわけではないけれど、いまウクライナで起きていることを大雑把に知りたければこの映画を見ればざっと見当はつくでしょう。

 プーチン・ロシアの手口は、自分たちがやった住民の虐殺のような非道なこと、さらに同様のこれからやろうとしていることを、敵であるウクライナ軍がやったことにして、圧倒的な情報戦によって住民に信じさせ、自分たちを救世軍に仕立てあげて他国の領土を侵略することで、映画で典型的に示されたこの手口は現実にいまロシアが盛んに仕掛けていて、欧米が警告しているように、生物・化学兵器や戦術核兵器の使用についても全く同様の手口でいま盛んにウクライナ軍が使おうとしているなどといったデマを振りまいているようです。

 映画の中のウクライナ軍はこういう卑劣な敵の情報戦によって騙された住民たちの反発をくらって、難しい局面に立たされたりしながら、あまり対抗策的な手立ても講じずに、実直に住民に寄り添った戦を進めるだけですが、隊長をこの村の出身者にしているように、ウクライナ兵にとってここは自分たちの故郷ですから、一時的にはロシアの調略に騙されても、いずれ住民たちにも気づくときがくる、ということだけが救いです。

 現実のウクライナ政府軍は、今であれば、この映画のウクライナ軍より、もう少しロシアの情報戦や住民懐柔策に対抗する方途を確立していると思いますが、それにしてもロシアの手口はこの映画でウクライナ側も熟知しているとおり、全然変わっていないようです。


きょうの夕餉

★煮込みハンバーグ
 煮込みハンバーグ

★リゾット
 タケノコ、椎茸、ホウレンソウ、ブロッコリ、フキノトウのリゾット。食べる時フキノトウの香りがパァッとたって、素晴らしく美味しい。わが家の庭でとれたフキノトウはきょうが最後だったようです。

★サラダ
 グリーンサラダ

パン
 パン
 以上でした。

saysei at 20:28|PermalinkComments(0)

賀茂川の桜 3月29日

咲くラフな凹
 上賀茂橋に近い賀茂川べりです。正面は五山の送り火の舟形かな。


◆上賀茂より下流を望む
 だいぶ咲いてきましたね。


◆今日の比叡
 こちらは高野川の桜と比叡。今桜は蕾の色で赤っぽい色に見えます。

saysei at 16:56|PermalinkComments(0)

2022年03月28日

上賀茂橋近くの桜

上賀茂の桜1
 賀茂川べりの桜も、高野川の川端桜と同じくらい咲いていました。花の向こう、遠くに見えるのが上賀茂橋で東詰め(右手)すぐのところに上賀茂神社があります。私はたいてい宝ヶ池のほうからまっすぐ西へ自転車を走らせ、この橋の東詰めで左に折れてすぐに川床の遊歩道に降り、北大路通りとの交差点まで南下します。

上賀茂の桜5
 まだ蕾の多い桜ですが、どころどこで突き出た枝に、なかなか綺麗に咲いているところがあって、目を楽しませてくれます。

上賀茂の桜3
 きょうは午前中、パートナーの年一度のコンタクト関係の町中の眼科での検査などに行くのに車を出してアッシー君をつとめましたが、月曜だったせいもあってか、なんと2時間以上待たされました。都心を避けて車をとめられるところで、本を読んでいたからいいようなものの、ちょっと心配になったりしました。

上賀茂の桜2
 遅めの簡単な昼食のあと、いつものように自転車行に出ましたが、その前に後ろのタイヤがぺしゃんこなので空気を入れて、ちゃんとはいったようなのでそのまま出かけました。そうするとちょうど東西を走る道のなかほどまでくると、後輪がひどくがたがたするので、見るとまたぺしゃんこになっています。明らかにパンクです。

 仕方ないので、目の前に交番があったので、そこで一番近い自転車屋さんを訊いて、修理してもらいに行きました。結局北大路橋の手前のアサヒ自転車というわりと大きなところへ行って、みてもらうと、もうタイヤ自体がボロボロなので、チューブ全体を替えないといけない、ということで、30分以上かかるとのこと。困ったな、ここで待つしかないですね、というと、代替自転車を貸しましょうか、というので、これ幸いと自転車屋で用意してくれた代替自転車に乗っていつもの上賀茂野菜の自動販売機をいくつかまわり、上賀茂のなかむらで、昼のヨーグルトに入れるパイナップルとバナナがもうなかったので、それを購入して自転車屋さんに戻ると、ちょうどよい時刻になっていました。

 パートナーのお友達のおうちから譲っていただいた自転車なのでタイヤが傷んでいるのは仕方なく、ちょうどほどよい替え時だったようです。しまむらの自転車なので、躯体はすごくがっしり、しっかりしていて、変速機などはちゃんとスムーズに動いて機能するし、坂道のしんどい私にはとてもありがたい乗り物になっていて、毎日の腰痛対策リハビリに欠かせない道具なので、対自に使わせてもらおうと思っています。

 それやこれやで、きょうは疲れて、帰宅後はプライムビデオを見ただけ。「Mr.ノーボディ」という評価の星印がほとんど5つ全部つきそうな満点に近い映画だったので、いい映画か、面白い映画かどっちかだろうと思って見始めたら、どちらでもなかった(笑)。
 
 どこにでもいそうな妻子もちのダメおやじみたいにみえる中年男が、実はもと(?)FBIなんだかCIAなんだか特殊部隊の軍人あがりなんだか知らないけど、何人の悪党を相手にしても全部一人でぶちのめし、何十人というロシアンマフィアの殺し屋が銃撃してきても、ジャカスカ銃を撃ちまくり、殺しまくって全部始末してしまう得体の知れないスーパーマンを主人公にした荒唐無稽なアクション映画。まぁなにかストレスを抱えて鬱屈している人がみれば、これだけ撃ちまくり破壊しまくり殺しまくってメデタシメデタシというのを見ればスカッとするのかも。私の評価点は★一つ(笑)。

今日の比叡
 今日の比叡


今日の夕餉

★銀鮭の塩焼き
 銀鮭の塩焼き(ロシア産ではないそうです)

★ホウレンソウ、シイタケ、ベーコンのガーリックいため
 ホウレンソウ、シイタケ、ベーコンのガーリック炒め

★アツアゲ、揚げ出し茄子のおろし煮
 厚揚げと揚げ茄子のおろし煮

菜の花の辛子酢味噌あえ
 菜の花の辛子酢味噌

★サラダ
 グリーンサラダ

★鰯煮のこり
 煮鰯(昨日ののこり)

残りのお惣菜
 昨日の残りのお惣菜

★タケノコごはん
 きょうもタケノコごはんを炊いてもらいました。

 以上でした。





saysei at 20:49|PermalinkComments(0)

「ショパン国際ピアノコンクール」(BS103)

 昨夜、たまたまつけたBSプレミアムでやっていた「ショパン国際ピアノコンクール」は、とてもいい番組でした。そろそろ風呂へ入って寝ようかという時刻でしたが、そのまま見入って(聞き入ってというのか)しまいました。

 ショパンコンクールの二次、三次選考に残って行く多彩な若手ピアニストたちの個性の違いが、素人にも分かるように編集された内容で、同じショパン、同じ曲でも、演奏家によって、こんなに違うのか、こんなにも豊かな展開がありうるのか、というのを実感させてくれるような番組でした。

 それに、この番組を放映したタイミングも内容も、おそらくプロデューサーらによって慎重に考え抜かれたものだったのではないか、という気がします。
 ロシアのウクライナ侵攻を直接批判したわけでもなければ、政治的な話題を振ったわけでもなく、純然たる音楽好き、ショパン好きのゲストやアナウンサーによる、音楽好き、ショパン好きのための視聴者のための番組だったけれど、その中で、ショパンを生んだポーランドという国が歴史的にロシアを始め隣国に侵略されては、それに耐え抜き、抵抗してきた民族であること、ショパンがフランスへ赴きついに故郷へ帰ることなくパリで死んだことをさりげなく伝え、ロシアの支配に対するポーランド人の蜂起(11月蜂起)との関わりを思い起こさせるとき、それはごく自然に、いまのロシアによるウクライナ侵略と重ねて聴く私たち視聴者を思いうかべながら放映された番組であったに違いないと思います。

 テレビ離れしている私たちだけれど、ときにはこういうじっくりとテーマに取り組んだ、すぐれた番組に出会う幸運にめぐりあうこともあるんだな、と思いました。

 

saysei at 17:33|PermalinkComments(0)
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