2022年01月

2022年01月31日

新京野菜ラフラン

新京野菜らフラン
 きょういつものリハビリ自転車行で上賀茂へ行く途中、私が覗く野菜の自動販売機で一番手前(東)にある販売機のミニボックスのアパートの中に、「新京都野菜 ラフラン」というのがあったので、だいたい新しい野菜はみんな試してみよう、と思っていたので、買ってきました。こんなに沢山あって100円!

 生でも食べられると書いてあったので、茎を切って齧ってみたら、淡い甘味のようなものが感じられて、歯ごたえもよく、生野菜としても食べられることがわかりました。しかしたぶん調理してほかの菜っ葉類と同様に多彩なレシピで食べられると思います。それはパートナーが調べてやってみるそうです。

 私もちょっとだけネットで検索してみたら、なんとこの野菜は京都大学と京都市のコラボで、大根とキャベツの仲間「コールラビ」の属間交配で2016年に開発した雑種野菜なんだそうで、「ラフ」は大根学名「ラファヌス・サティヴァスから、「ラン」はキャベツの和名「甘藍(かんらん)」からとって名付けたんだそうで、2019年から、市が育成した苗を市内の農家に販売する本格的な栽培がはじまったばかりというニューフェイスであることが分かりました。料理の仕方によって、どんな味になるか楽しみです。
 最近知ったばかりの小粋菜も大変気に入っているのですが、これはタキイ種苗がカブと水菜を交配して、令和元年に新品種として発売したものだとのことです。根はカブと同様に、葉は水菜と同様に食べられるのですが、どちらも元のカブや水菜よりも美味しいのです。

 野菜もこうして人為的に進化させられて、今の人の口により合うように改良した新しいものが出てきているんですね。

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きょうの夕餉
★ラフランと菜の花のボイルなど
 ラフランと菜の花のボイル、カリフラワー、ラフランとラディッシュ、酢味噌、マヨネーズ添え。
 ラフランは茹でても生でもおいしい。

酢味噌、マヨネーズ添え
 上の野菜をつける酢味噌とマヨネーズ

★ラフランの葉の辛子和え
 ラフランの葉の辛子和え。これも小粋菜の辛子和えにまさるとも劣らない美味しさでした。

★カリフラワーのチーズカレー揚げ
 カリフラワーのチーズカレーあげ。カリフラワーのちょっと変わった食べ方だなと思ったけれど、とても美味しかった。

★筑前煮
 筑前煮

★大根とキンカンの甘酢
 大根とキンカンの甘酢和え。キンカンと一緒に食べるとすごく美味しい。

★焼き鮭
 焼き鮭

★自然薯のトロロ
 自然薯のトロロ

 以上でした。

きょうの比叡 松ヶ崎橋
 今日の比叡。松ヶ崎橋より、自転車行の往きに。

夕陽浴びる比叡
 夕陽を浴びる比叡。自転車行の帰りに。

 きょうも少しキュヴィエの動物分類の各項を読んでから、プライムビデオで、ニコラス・レイ監督の「夜の人々」(They live by night.,1948)を観ました。どれを観ようかとメニューを見ていて、この映画が1930年代のアメリカに実在した若い男女のギャング、ボニー&クライドをモデルにして作られた、という説明を観たので、見たくなったのでした。

 ウォーレン・ビーティーの「俺たちに明日はない」(ボニー&クライド)とはずいぶん違うけれど、これはこれでなかなかいいところのある映画でした。とりわけ男性の若者ボウイを演じたファーリー・グレンジャーが、体は一人前だけれどまだ本当に幼い、世間知らずな、もともとは心根の優しいまっすぐな青年が、悪人の身近な大人たちの誘いで、どんどん引き返せない道へはまり込んでいくところを、とても真実味のある姿で演じていました。

 仲間と強盗をはたらいて警官に重傷を負わせるなどしながら、盗んだ金で弁護士を雇って保釈の道を探ろうと考えるなど、現実に無知な、幼い空想家のような彼と、その幼さ、現実の苛酷さ、自分たちを待ち受ける運命を予感しながら、彼を愛してしまい、彼についていって彼の子を身ごもるキーティーという女性を演じたキャシー・オドネルも、哀感を漂わせ、悪い予感におびえながら、ときに彼に冷淡な態度をとり、時に必死で抱きしめて、と身をよせる繊細な女心をよく演じていました。

 冒頭から、一体どうなるんだろう、と思わせる展開が次々におこり、見せ方としてもなかなかうまいな、と思いました。これがニコラス・レイの初監督作品だそうですが・・・

 












saysei at 17:09|PermalinkComments(0)

2022年01月30日

コーヒータイムと夕餉

★おやつ
 お昼は焼きそばを食べて、いつものように上賀茂神社までリハビリ自転車の往復。帰宅して、きょうは長男がケーキを買ってきてくれたので、最近は滅多に自分たちでは買わなくなった、おいしいケーキとウィークエンダースのスペシャリティコーヒーを入れて、珍しくおやつの時間。

★典範焼き
 夕餉も、同じく長男が三嶋亭の肉を買ってきてくれたというので、鉄板焼きに。

★長男が買ってくれた三嶋亭の肉
 やっぱり三嶋亭の肉は美味しかった。もう若いころのように肉を好物として欲しがることもなく、ほんのひと切れ二切れ味わえば満足できるのですが、コレステロールとか中性脂肪とか色々言われるので、最近は野菜食中心で、滅多に肉らしい肉は食べてこなかったようで、久しぶりに美味しい肉でした。

★鉄板焼き用おろしポン酢
 鉄板焼き用のおろしポン酢

★ブロッコリ、カリフラワー、ラディッシュ
 ボイルドブロッコリ、カリフラワー、ラディッシュの辛子マヨネーズ添え。野菜はみな上賀茂の自動販売機でワンボックス100円で買って来たもの。でもきょうは、いつも覗いてみる5つの販売機設置場所のうち4つまでが、僅か数個のスグキが置いてあるだけで、あとは全部空っぽ。最後のひとつだけ何種類かの野菜があったので、そこで買えましたが、どうも土、日はお客さんが多いか、誰か上賀茂野菜のファンが車で回って片っ端から買い占めてるんじゃないか(笑)・・・

★カボチャ煮
 カボチャの煮つけ

★菜の花酢味噌
 菜の花に辛子味噌

★小粋菜辛子和え
 小粋菜の辛子酢味噌あえ

★モズクきゅうり酢
 モズクきゅうり酢

★サラダ
 サラダ
 以上でした。

 きょうもキュヴィエを少しお勉強。

きょうの比叡
  きょうの比叡(松ヶ崎橋から)。きょうもずっと曇りで、ときどき日が射すという一日でした。

西南の空
 西南の空も雲ばかり。







saysei at 21:58|PermalinkComments(0)

2022年01月29日

ひとなつっこいセグロセキレイ

舗道を歩くセキレイ
 昨日、川端通りの川沿いの歩道を自転車でゆっくり走っていたら、目の前にセグロセキレイが現われて、しばらく私の前1メートルほどのところをトコトコと歩いて先導してくれました。

セグロセキレイ2
 そのうち左手の金属製の柵の下をくぐって土手の方へ行きましたが、すぐ近くを並ぶように歩いていました。セグロセキレイに関してはよくこういうことがあります。元来ひとなつっこい鳥なのか、高野川のセキレイがひとに慣れているからなのか分かりませんが、人が近づいても慌てて逃げる気配はありません。

セグロセキレイ
 ですから、こちらも自然と親しみを感じて、声をかけたくなります。

28日13時の比叡
 28日午後1時ころの比叡。

★きょう29日15.18の比叡
 こちらはきょう29日の午後3時ころの比叡。両日とも終日曇りで、たまに日が射す程度でしたが、ちりちり寒いということもなく、比較的ぬるんだ寒さでした。

キンカンシロップ(ケーキに入れたり、フレンチトーストにのせたり)
 庭の木に成ったキンカンはこうしてシロップ漬けにしてあります。

昼のフレンチトーストとコーヒー
 こんな風にフレンチトーストに塗る(載せる)こともあります。これはきょうの昼食。

自家製フルーツヨーグルト
 いつも私が朝つくっておく自家製フルーツヨーグルト。
 ヨーグルトは一日前に、そのときできていて、その日食べる分から、翌日用のタネにするいくらかの分量を綺麗な容器(わが家では円筒形のタッパー)に入れ、牛乳をたっぷり入れてかきまわしておけばOK。
 常温で翌朝には容器一杯の、新しいヨーグルトができあがっています。
 牛乳が賞味期限ぎりぎりだと、少しもろもろの、できの悪い仕上がりになることもありますが、牛乳が新しいと本当に綺麗な、ツヤツヤ、すべすべしたクリーミーなヨーグルトができます。

 やはりヨーグルト菌も新鮮な餌(牛乳)だと活発に仲間を増やせるのでしょう。毎朝状態を見て、おぅ、今日も元気で頑張っとるなぁ、とか、今日はちょっと疲れとるなぁ、とか生き物を飼っている感じで見ています。
 もちろん常温でこんなに逞しく何十年も代を重ねて、わが家の食卓を潤しつづけてくれているのは、カスピ海ヨーグルト以外にはありません。ほかのヨーグルトではこうはいきません。

キャラウェイシードケーキ
 パートナーが比較的最近ものにした、わが家の新定番ケーキ、キャラウェイシード入りのケーキです。二、三度調節しながらチャレンジして、いまは完璧な味、しっとりさ加減になりました。シード入りなんてどうかな、と最初は思っていたけれど、これが素敵な香りがして、ほんとにおいしい。孫も大好きなようで、持って帰る?と言われると、うん!と言っていつも持って帰ります。

きょうの夕餉

★鶏の磯揚げと菜の花のおひたし
 鶏の磯あげと菜の花のおひたし

★芋汁
 芋汁

★ローストビーフ
 ローストビーフ

★小粋菜の辛子和え
 小粋菜の辛子和え。小粋菜なんてつい最近まで知らなかったのに、今ではすっかり大好物。

★シイタケ、ほうれん草、ソーセージのマカロニグラタン
 シイタケ、ホウレンソウ、ソーセージのマカロニグラタン

★大根、人参のナマス
 大根と人参のナマス

★大根、ニンジンのゴママヨネーズ和え
 大根と人参のゴママヨネーズ和え

★ゴボウとレンコンのキンピラ
  ゴボウとレンコンのキンピラ

★サラダ
 サラダ
 以上でした。

 きょうはこの間の続きで、ちょっとキュヴィエさんを齧ったあと、アマゾンのプライムビデオで、見放題はあと24時間だよ、というメニューの中にフランク・キャプラ監督の「風雲のチャイナ」(The Bitter Tea of General Yen, 1932)という珍しい作品があったので、慌ててこれを観ました。時々プライムビデオで、あとわずかで見放題ではなくなるよ、というメニューの中に、あっと驚くような作品があるので、ときどきチェックしないといけないなぁ、と思っているところです。

 この作品はモノクロだけれど、とても1932年の作品だとは思えない、戦乱の中国を舞台にしたアメリカ人宣教師の娘ミーガンと中国人の将軍イェン(袁)との間の本格的なラブロマンスです。ラブロマンスと言ってもふわふわした甘いものではなくて、正義とは何か悪とはなにか、ヒトを救うとはどういうことか、残忍冷酷だとか人にやさしく温かいとかいうのはどういうことか、愛とは何か、人生とは何か、別段理屈っぽいわけでも何でもないけれど、その物語をたどるうちにふとそんなことを考えさせるかもしれないだけの奥行を備えた作品なのです。

 この将軍は最初、アメリカ人の悪徳商人と結託した、根っからの残忍冷酷非道の悪人だと見えます。実際捕虜を養う食糧が不足するからと大量殺戮を命じて平然としている冷酷さを持ち合わせてはいるのですが、混乱の中で夫となる男と結婚式直前に引き裂かれる形になった女性を自邸に囲っても無礼を働くわけではなく、女性が心を開くまで丁重な態度をとっています。

 この中国人将軍イェンに使われていたマー・リーという女性が間に絡み、彼女が実は敵のスパイで、それが露見してイェンが殺そうとするのを、ミーガンが強く望んで命を助けます。イェンはどうせマーは裏切るぞ、と言いながら彼女をミーガンに預けるのですが、結局そのミーガンの人の良さは裏切られ、マーによって機密情報が敵にもたらされて、イェン将軍の軍は襲われて壊滅、部下も財産も土地もすべて失って、屋敷にはもはや使用人の一人もいなくなります。それでもイェン将軍はミーガンを責めるでもなく、平然としています。

 そして最後は・・・

 というわけで、このイェンがミーガンに想いを寄せながら力づくで彼女を奪おうとはせず、あくまで彼女に対しては紳士として振る舞い、彼女のほうは拒みつづける、という展開の中ですべてが起きるところ、それがひとの命がいとも簡単に奪われていく戦乱のただなかで、当初絶大な権力をもち、彼女等どうにでもなりそうなイェンの立場で、一面非常に有能で計算高い将軍として、敵に対し、裏切り者に対して、残忍冷酷な彼が、全く別の面を見せ、最初は頑なに拒んでいたミーガンの心にもわずかな変化が萌す、そういうところが、ただの単純なラブロマンスにはない緊張感と、次はどうなるのだろう、という興味を高めています。

 やはりこの映画の最大の魅力は、このイェン将軍の性格の二面性にあり、それを演じているニルス・アスターという俳優の存在感でしょう。ありきたりなキリスト教会の博愛主義で、スパイである女の命乞いをいわば上から目線でイェン将軍説教する形のミーガンに対して、イェンが、「あなたの言葉は教会の日曜学校の受け売りにすぎない!」と喝破するところは、彼の方が女の博愛主義よりずっと迫力があり、真実を突いていると思わせられます。それでも彼は、彼の流儀を押し付けることなく、彼女の頼みを聞き入れて、結果的に自分を破局に導くのです。

 なかなか見ごたえのある作品でした。




































































セグロセキレイ2







saysei at 21:44|PermalinkComments(0)

2022年01月28日

髙木美帆選手のこと

 先日テレビをみていたら、たまたまアイススケートのスピード競技選手である髙木美帆を、たしか14歳くらい、中学生のころから現在にいたるまで長期密着取材して撮影されたドキュメンタリーをやっていて、それを見て本当にこの選手のやってきたこと、なしとげつつあることに驚嘆と尊敬の念を覚えました。

 私は自分が身体的に不器用で、小学生のころから体育の授業がドッジボールやバレーボールのようなゲームをするとき以外は、いやで仕方がなかった人間なので、長じてスポーツ全般にも親しみが持てず、子供たちがサッカーをやっていたころにやっとスポーツ観戦の楽しみを覚えたようなところがあります。
 従って、オリンピックをはじめとする各種のスケート競技大会で、髙木姉妹が活躍していたことは、小平奈緒選手の名と共に知ってはいましたし、たまに競技の映像も見てはいましたが、それぞれがどんな選手で、どんな種目でどんな成績を上げて来たか、といった詳細については全く知りませんでした。

 このドキュメンタリーを見ると、髙木美帆選手は中学生のころからちょっと他の子とは違う、志の高いスケーターだったようです。
 彼女は5歳のころにスケートを始めたそうですが、自分なりの目標をもって日々研鑽につとめ、反省点をノートに克明に記しては自分の滑りを改善し、おそらく14歳だったと思いますが、2009年の全日本ジュニアスピードスケート競技会では綜合優勝を果たすまでになっていたようです。

 しかし、競技会に出場しても他者との勝負は彼女にとって二義的なことで、自分の課題をひとつ、またひとつとクリアして目指す滑りができるようになるかどうかが、彼女にとってはつねに第一義だったことがわかります。

 そのころの指導者が語っていましたが、ある競技会に出て、僅かな差でトップになれず、いわば負けてゴールしたのに、晴れやかな表情でガッツポーズをしてゴールしたのだそうです。それを見て、彼女にとっては、その競技に出て自分の課題をクリアすることが何よりも大切なことだったこと、そしてそれがクリアできたことを知り、この子はほかの子とはまったく違うな、とその志の高さを痛感して内心驚いた、と。

 やっぱり人並外れた存在になる人は若いころから志の高さが違うな、と思わずにはいられません。そう言えばサッカーの中田英寿が、まだ平塚でプレイしていたときなど、Jリーグの選手の常識からすれがとんでもないところへパスを出すので、なんでこんなところへパスを出すんだよ、と言われそうなことをよくやっていたのですが、その後彼が活躍するようになって、彼が最初から自分に対してもチームメイトに対しても要求水準が高くて、パスを出すなら当然ここまで味方は走り込んでいなくてはならないはずだ、というところへパスを出していた、ということを知って、なるほどな、と思ったことがありました。

 ワールドカップ本戦に出られるかどうかの瀬戸際だったと思うけれど、たしかオーストラリア戦で、とにかくひたすらまっすぐ走るしか能がなさそうだったチームメイトに、俺が球を持ったら、すぐに全力で走れ、と言い聞かせて走らせ、みごとなキラーパスを送るも、もう一歩走りが追っつかなかったのに、二度目にようやく必死で走って最後に伸ばした足先に中田のパスボールが当たってゴールに押し込むことに成功して全日本チームが勝って、本戦に出られることになった一戦がありました。あのときに中田がそれまでに言っていた言葉が本当だったなぁ、と感じ入った記憶があります。

 わずか14-15歳の髙木美帆選手の志の高さも、若き日の中田のように、そのときその場の勝敗などよりも、ずっと高い所を見ているようなものだったんだろうな、と思ったのです。
 第一、14-15歳の年頃で、いくらうまいスケート選手だからと言っても、その後どうなるかもわからない未知数だらけの時期に、こうしてほとんどプライバシーにまでカメラが踏み込んでくるような長期密着取材を許す、ということが、どんな様々な現実的理由があったにせよ、私には彼女の腹をくくった生き方を感じさせるに足ることのように思えてなりません。

 実際、彼女のスケート人生は順風満帆というわけにはいかず、恐らく深い痛手を負ったであろうような大きな挫折を味わい、カメラの前に落ち込んだ苦渋の表情をさらすことにもなります。そういうことを一切受け入れて、必ず立ち直って自身の誰よりも高い志を貫いていくというのは、少なくとも彼女の14-15歳のころすでに備えていた、自分の人生に対する姿勢であったのだろうな、と思います。

  しかし、その素質にも恵まれ、不断の努力を惜しまなかった彼女にも大きな挫折を味わう時がやってきます。うちのパートナーによれば(彼女はよく競技も見ていたようです)髙木美帆は早くからスピードスケートの天才少女と言われていた、とのことで、その彼女が日本のスピードスケート界で史上最年少の15歳でオリンピック選手に選ばれ、2010年のバンクーバー五輪に出場したものの、1000mでは出場選手の中で最下位、1500mでも23位という不本意な結果に終わったらしいのです。

  それは誰に何を言われなくても、天才少女ともてはやされただろう彼女自身が誰よりも深い挫折感を味わったに違いありません。その後も各種競技会で素晴らしい成績を上げるのですが、2013年のソチオリンピック代表選考会ではすべての種目で5位に終わり、代表として出場することができませんでした。このときは姉の菜那は日本代表に選ばれています。姉妹の関係は他人にはほんとうのところ理解できないでしょうが、いずれにせよこの代表になれなかった一件も美帆にとって大きな挫折だったことは、カメラがとらえたその表情からうかがえます。

 そんな挫折から立ち直り、みなが見て来たような素晴らしい結果を残してきた彼女ですが、その現在の滑りを映像で仔細に見た、長野オリンピックの金メダリストであるスピードスケートの清水宏保元選手が、彼女のスピードの秘密は、スケートのエッジで氷を蹴る一瞬に体重をかける、その決定的な一瞬をどのストロークでも、その一瞬しかない、という最高のタイミングでとらえきっていることによる、と喝破していました。

 その証拠は、彼女が滑る時のスケートが氷を蹴っている瞬間、ほとんどまったくといってよいほど、氷の飛沫が立たないことだと言うのです。考えてみればスケートのエッジを立ててぐっと体重をかけ、カーブしていくわけですから、普通ならその力で氷が削れて、飛沫を生じるのが当然です。
 ところが実際美帆のスケーティングの映像をスローモーションでその足元を見ていても、ほとんど飛沫らしいものなんて見えないのです。その話を聞き、その映像を見ていて本当に鳥肌が立ちました。それはほとんど人間業じゃない、神業のようにも思えたのです。

   同じ番組で、彼女が高校生か大学生の時の映像だったかもしれませんが、自転車漕ぎみたいな計測器で足をフル回転させて、その速さというか、単位時間の回転数だかを、要するに脚の筋力を測定する装置だと思うのですが、ほかの子たちと一緒に測る場面があります。彼女は苦しそうに精一杯やっていましたが、結果は「意外にも」何人かの中では下位のほうで、決してとびぬけた筋力を持っているわけでもなんでもないことがわかりました。

 にもかかわらず世界のトップと争う記録が出せるのはなぜか、しかも、世界の常識を破って、500m, 1000m, 1500m, 3000mと全種目に出場して優勝カップを総なめという信じられないような快挙をなしとげられるのはなぜか。それは彼女がどんな場合でも清水のいう「これしかない」という極限の一瞬を、ワンストロークごとにその研ぎ澄まされた感覚でとらえることができるからだ、というのです。

 スケートを前に進め、スピードをあげるために加える力は、スケートのエッジを最適な角度で立て、体重をかけて氷を蹴る一瞬の力で、その反作用で前に進むのであることは誰にでもわかりますが、それがスピードを落とすことなく、一番無駄のない形で、氷に最大の力を一瞬でかけられれば、最も効率よく前に進めるわけです。効率がよいということは疲労も最小限に抑えられるから、長距離でもスピードが落ちないわけです。そして、そういう最適のタイミングというのは、ある瞬間だけしかない、といいます。彼女はその一瞬をとらえることができるのだ、と。

 だから髙木美帆の疾走するスケートからは氷の飛沫が立たない。それはまったく無駄な力を加えずに、これしかない、という氷を蹴る最高の瞬間を彼女の足がとらえているからだ、というのです。

  清水のような経験者にはそれが感覚的によくわかるらしく、その一瞬をとらえて滑るときは、蹴った瞬間に氷の反作用が身体を浮上させるような感覚がある、というようなことを言っていたかと思います。要はベストの一瞬をとらえて氷を蹴ることで、スピードを落とす抵抗感を覚えるとは逆に、その反作用が自然に身体を押し上げるように、最高のスピードで前へ送り出すということなのでしょう。そして、その清水が、「これは髙木美帆にしかできない。10年間一所懸命トレーニングしても追いつけない」とまで言っていました。

  実際、500mから3000mまで全種目で世界トップのベストパフォーマンスができる、ということは、陸上で言えば100mの短距離走も3000m、10000m長距離走も同じようにこなしてしまえるに等しい、常識では考えられないことでしょう。ところが彼女のすべりは全部同じ、清水のいう「彼女にしかできない」、ワンストロークごとに最高のあの一瞬をとらえることによって、それを彼女は可能にしているのだというのです。

 それは番組の中でも語られていたように、大リーグの昨シーズン、大谷翔平が野球の「常識」を塗り替え、投打に超一流の選手として活躍したことを連想させます。それは超人的な業に見えるけれど、決して神秘的な超人の技ではなく、絶え間ない努力が達成した心技体が一体になって初めて実現しえたことで、これまでの「常識」とは異なる視点から分析すれば、そこに新たな合理性を辿ることが必ずできるはずのものでしょう。
 そしてその新しく見いだされるべき合理性を、こうした選手は自らの資質と絶え間ない努力が生み出す、研ぎ澄まされた感覚と鍛えられた身体、技、そして意志によって、理論的に解明される以前に自らの身体と技によって体現してしまい、いわば、自ら新たな合理性を生み出すのだと言ってもいいでしょう。

  実際、この番組で計測した競技中のスピードの変化をグラフでみると、他の一流選手でも長距離の場合、どうしても後半のスピードはどんどん遅くなって直線的にグラフの傾きが落ちていきます。しかし、髙木美帆の場合、同様のカーブは描くけれども、その落ち方が他の選手よりもひどくないのです。そのわずかな差が決定的なタイムの違いを生み出しているようです。

 実は日本人のスピードスケートは短距離向きで、長距離は外人選手にかなわない、と言われていたようです。身体が大きく、脚の長い外人選手はワンストロークで距離を稼げること、また体力的に外国人選手の方が勝っていて持続力が必要な長距離に向いていること、などがその理由だとされてきたのです。

 ところが体格も小柄でスリム、脚の筋力測定か何かの結果を見ても、彼女が人並みはずれた身体的なアドバンテッジを持ってなどいないことは明らかです。彼女自身は、それを、あるときコーチから言われた言葉だそうですが「(体格の大きい外国人選手も自分も)同じ人間なのだから、できるはずだ」と信じてやってきたということです。

 「同じ人間だから」・・・しかし、それは選手を叱咤激励するコーチの言葉としては理解できるけれど、客観的にみれば真実とは言えそうもありません。やっぱりもともとの体格や持久力(スタミナ)や瞬発力を支える筋力等々の身体能力、資質が優れている方が有利にきまっているじゃないですか。
 ところがそんな資質や元々の身体能力を重視するような考え方を、自身のパフォーマンスで現実に否定してみせたのが彼女の滑りなのです。

 それは彼女のこの12年間のたゆみない努力の過程で研ぎ澄ましてきた、一足ごとにその決定的一瞬を確実にとらえることのできる感覚と身体の動き、それらを統御する心、心技体がひとつになった彼女のスケーティングが生み出した奇跡だというほかはありません。

 彼女は取材者に、今後どうしていくのかと問われて、きわめてシンプルに、最小のエネルギーで最大のスピードを出していけるようにすることだ、というように答えていました。このエコノミーの原則が完璧に近い形で実現するとき、長距離であっても疲労を最小限に抑え、従って減速を最小限に抑えることのできる彼女独自のスケーティングが実現するということなのでしょう。

 私はこのドキュメンタリーをみたとき、昔読んだ岩波文庫の『日本の弓術』という外国人の弓の修行者がその体験を書いた本を思い出しました。
 それは、オイゲン・へリンゲルというドイツ人(1884-1955)が日本の弓道の師範のもとで5年間修業し、帰国後にその体験を講演で語った言葉を訳したものです。その中で描かれている彼の師匠は、的にあてることを考えるな、ただ弓を引き矢が離れるのを待って射あてるのだ、と言い、指導のときも的の方は全然見ないで、弟子が弓を引いて矢が離れる、その姿だけを見ていた、ということです。

 その記述の中で、私に最も強い印象を与えたのは、師匠の言葉がなかなか信じられない弟子に何とかわからせようと、最後の手段として、弟子を夜になって再び招き、師範自身が弓を射て見せる場面です。

 九時ごろ私は先生の家へ伺った。私は先生のところへ通された。先生は私を招じて腰かけさせたまま、顧みなかった。しばらくしてから先生は立ちあがり、ついて来るようにと目配せした。私たちは先生の家の横にある広い道場に入った。先生は編針のように細長い一本の蚊取線香に火をともして、それを垜(あずち)の中ほどにある的の前の砂に立てた。それから私たちは射る場所へ来た。先生は光をまともに受けて立っているので、まばゆいほど明るく見える。しかし的はまっ暗なところにあり、蚊取線香の微かに光る一点は非常に小さいので、なかなかそのありかが分からないくらいである。先生は先刻から一語も発せずに、自分の弓と日本の矢を執った。第一の矢が射られた。発止(はっし)という音で、命中したことが分かった。第二の矢も音を立てて打ちこまれた。先生は私を促して、射られた二本の矢をあらためさせた。第一の矢はみごと的のまん中に立ち、第二の矢は第一の矢の筈(はず)に中たってそれを二つに割いていた。(柴田治三郎訳 p46-47)

 今の若い人なら、二本目の矢が最初の矢を割いて的を射ぬく、というシーンは、マンガやアニメあるいはふんだんに特撮を駆使した韓流歴史ドラマでしばしば見るでしょうが、現実にこの種のことがまぐれ以外に可能であるとは、ほとんど信じがたい、それこそ人間技とは思えない神技といっていいような技ですが、おそらく毎日毎日修練を積み重ねて技を研ぎ澄ませ、弓が手を離れる「その一瞬」をとらえる術を体得した者にだけは、そのような境地が訪れるのだろうと推察する以外にないと思います。

 常人にはとても想像だにしがたいことだけれど、決して偶然でも奇跡でも神の技でもなく、まさに一人の、資質にはめぐまれていたかもしれないけれど、到底資質だけで達することのできない特別な境地に、その絶え間ない数十年の修練の積み重ねが至らしめたことを疑うことはできません。
 
 髙木美帆のドキュメンタリーを見たときに感じたのは、その弓道の師範が達したような境地に、スピードスケートの世界でいままさに彼女が到達した、あるいは少なくとも到達しようとしている、ということでした。こういう究極のパフォーマンスを見ることが出来る機会などというのは滅多に訪れるものではないので、金まみれの祭典としてのオリンピックには極めて批判的な私も、今回ばかりは何が何でも開催してもらって、髙木美帆選手の最高のパフォーマンスを見ることができれば、と熱い期待をもってあと数日の開催を待っているところです。


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ステルスオミクロン

 またまた「ステルスオミクロン」なんて呼ばれる、PCR検査でも見つかりくいという変異株の流行が取りざたされ、すでに海外ではかなり広がり、日本でも27例見つかっているとか。いまのところまだ分からないことが多いけれど、このBA.2と呼ばれる変異株は、従来ひろがってきたBA.1に比べて18%感染力が強い(実行再生産数が高い)ともいわれ、いずれにせよ感染力が従来のものよりやや高いらしい。

  ただ、先に感染が広がっているデンマークやイスラエルの状況だと、入院率などは従来とそう変わっておらず、とくに重症化のリスクが高いといった兆候は今のなさそうなのが救いでしょうか。

  それにしても、コロナ君のサバイバル戦略はなかなかのものですね。ワクチンはスルーするは、次々に変異株を生み出して、宿主を殺すよりも生かしておいて自分たちの分身を大量に拡散して生き延びを図るなど、決め手となる治療薬ができるまでのあいだに、なんとしも生き延びられる方法を講じておこうとするかのように頑張っています。

 コロナ全体でみると、これまでに感染した人の累計が27日午後8時20分現在、243万8,079人に達したそうです。1日の新規感染者も昨日のその時点で7万8,920人だそうです。そして、死者の累計は1万8,649人だそうです。阪神淡路大震災による死者数が6,434人、東日本大震災による死者数(関連死を除く)が1万5899人で行方不明者が2,526人だそうですから、コロナによる国内の死者数は阪神淡路大震災を遥かに上回り、ちょうど東日本大震災による死者数と行方不明者数を合わせた数に匹敵するということになります。長期間にわたるので、途中で危機感が希薄になったり途切れたりしがちなところもあるけれど、今回のコロナによるパンデミックとして一体で振り返れば、とんでもなく恐ろしい事態が起きていることがよくわかります。

 しかもそれが世界からコロナ対策の優等生のように言われ、感染者数も死者数も欧米からみれば信じられないくらい少なく抑えられている日本にしてこれなのですから、まして世界各国の悲惨な状況を見れば,、いかに人類にとってこの種のパンデミックが脅威であるかが分かります。

 少し細かに見ていくと、昨日の上記の時点で、東京、千葉、神奈川、埼玉の首都圏1都3県での累計感染者数は101万6,560人で、とうとう100万人を超えました。大阪、兵庫、京都の関西3府1県の累計は46万5,607人で、ちょっとメモしなかったけれど、これを近畿全域で集計すれば、50万人を超えるでしょうから、ちょうど首都圏の半分くらいということになるでしょう。これは都市機能の集中度や人口集中や産業経済の集中等々、圏域のもつポテンシャルの違いを反映しているかもしれません。

 1日の新規感染者数は首都圏1都3県あわせて3万168人で、ほぼ3万人。大阪、兵庫、京都の2府1県があわせて1万5,746人ですから、これも半分です。

 わが京都は累積感染者数5万5,677人、新規感染者数が27日は1,728人でしたが、その前日は2,211人でしたから、すでに2000人台にきているのでしょう。死亡者は297人とされています。

 3度目のワクチン接種も、あれだけ必要だと言われ、早く接種すべきだと言われながら、当初の判断のまずさから2度目の接種から8カ月たって、とかいや6カ月だとか、政府の右往左往に振り回されてきた自治体の対応も遅れて、結局、日本は欧米に比べてだいぶ遅れてしまっています。

 わが京都市はその中でもさらにいつもビリの方を走るのが当たり前のようになっている自治体なので、まだ音沙汰ありません。それで先ほどウェブサイトで調べてみたら、2度目の接種から7カ月後にあたる2月の中頃だったかにようやく接種券が配布されるようなことが書いてありました。これもこちらから市役所のウェブサイトを調べにいかないとわからないわけです。

 接種券が配布されてから、どのくらいで実際の接種ができるのかは、まだ分からないので、7カ月どころか結局政府が当初言っていた8カ月にもそれ以上にもなるのかもしれません。その間に感染力の強いオミクロンだかステルスだか(笑)に感染したら、もともと重症化リスクの高い私のような悪条件を備えた者にとっては、住んでいたところの自治体がほかの自治体に比べてのろまだったから不運でした、ということになるのでしょう。

 結局、京都市などあてにはならないから、自衛するしかないよ、というのが家族や知人の一致した見解(笑)です。自衛と言っても、ワクチンも治療薬もないのですから、若い人が平気で出歩くようになっても、いやそうなればなるほど逆に、家の中でおこもりして、消毒、マスク、うがい、手洗い等々を励行するしかない、というのが現状のようです。

saysei at 17:53|PermalinkComments(0)
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