2021年10月
2021年10月20日
紫竹の貴船神社、總神社
上賀茂神社から今日はいつもと反対に西へ橋を渡ってから南へ下がるルートをとり、適当に走っていたら、「貴船神社」という147坪ちょっとらしい、小ぢんまりした神社があったので、寄ってみました。北区紫竹西北町155番地だそうです。
説明板によれば、このあたりが賀茂別雷神社の荘園であったことから、同社の摂社として建てられ、貴船神社の祭神を勧請したもののようです。高龗神(たかおかみのかみ)という「水徳を司る神」だそうで、水難よけの神様なんだそうです。本家の貴船神社もこの神様でしたから、その神様に来てもらった、ということなのでしょう。「勧請」とかって、遠くの効験あらたかな神様に時空をワープして飛んで来てもらえる便利なものですね。
この貴船神社からまたちょっと自転車を走らせたら、今度はこんな張り紙が表に出た神社がありました。總神社というのでした。
これも賀茂別雷神社38社のひとつだそうで、賀茂読経所聖通寺の鎮守だとかで、社僧が常敬していた神社で、社僧の存在は天武天皇白鳳年間から知られているので、そのころの創建ではないか、などという解説。驚いてしまいますね。
また、ここは菅原道真の叔母が宮守をしていたので、道真が流罪になる直前に叔母に別れを告げるために訪れて泊まって行ったとされています。表の張り紙はそのゆかりで、そういうことになっているのでしょう。
さらに、このあたりは源氏との縁が深いようで、源義朝の別邸があったと言われており、彼の妻常磐御前がここで義経を生んだと伝えられている由。まあ真偽のほどはともかく、そういう言い伝えがまことしやかに伝えられる由緒因縁がある、というだけでも、ちょっとほかの都市では考えにくいことでしょうね。京都にはこういうのが何でもない住宅街の中に、とくに上賀茂神社みたいな古い神社の周囲にはいっぱい散らばっているようです。
今日は変な天気で、出る時は比叡の上空は青空でした。
でも上賀茂神社のあたりまでくると厚い雲が垂れこめ、小雨もパラパラ。と思ったら雲の中に前にも見たと同じ位置に大きな虹がかかりました。
きょうの夕餉
ぎょうざ
茄子の肉巻きの照り焼き
きゅうりもみ
鶏の肉団子とカブラ、ジャガイモ、セロリ、ニンジン、タマネギのクリームスープ煮
黒豆五目納豆
カブの皮と葉の醤油づけ
あとサラダ、ナスの煮物ののこりなど。
以上でした。
2021年10月14日
鹿も戸惑う気候かな
きょう自転車行で高野川の川端歩道を走っていて驚いたのは、この季節に鹿が2頭出現して草を食べていた姿があったことです。去年も一昨年も、さすがにこの季節まで居残っていた鹿はいなかったと思います。今年も6月1日に最初の4頭が現われてから8月31日を最後にふっつり姿を見ないので、ちょうど3カ月間だったな、と思っていたら9月8日には仔鹿2頭を含む9頭、11日には同時の出現では最多の10頭が群れを成して現れ、山へ帰って行くときに一番小さな仔鹿が段差の滝登りを6度挑戦して6度目に見事成功して無事群れと一緒に帰って行く姿まで見せてくれましたが、それが本当に最後で、それ以降は一頭も姿を見ず、今年の鹿の季節も終わった、と思っていました。
例年9月半ばまではなんとか見られたのですが、10月に入って鹿の姿を見たのは私にとって初めての経験です。少し間が空いたせいで、こちらの目にそう見えただけかもしれませんが、鹿の毛の色が明るい茶色から黒ずんだ色に変わったように見えました。ひょっとしたら冬毛に生え変わったのでは?と思いますが、なにしろ鹿の生態についても生理についても全く無知なので、何とも言えません。
姿を現したのはオトナの牝鹿2頭で、望遠レンズ付きの一眼レフを持っていなかったので、スマホで上のような粗い画像で見るだけですが、どうもこちらに顔を向けた鹿は、その顔つきが、去年ダンボ君などと私が勝手に読んでいた幼い時耳が大きかった個体のような気がします。彼女は去年もママと来ているし、この辺りはかつて知ったる自分の縄張りみたいなもので、群れが来れば大抵その中に姿が見える常連さんでした。人にも慣れていて、たまたまこっちの岸で間近なところで顔を合わせても、びくついて跳んで逃げたりせず、落ち着いており、こちらが手を振ると顔を上げて何をしてるんだろう、というようにじっと見ていたりしたものです。もう一頭のほうはほとんど顔を上げなかったのでよくわかりません。
お山の鹿たちは交尾の季節だと思うのですが、彼女たちは色気より食い気だったのかもしれませんね。季節が不純で、10月だというのにこんなに暑い日が続くので、鹿さんたちもまだ夏だと思って山を下りて来たのかもしれません。鹿も戸惑う気候かな。
今日の比叡。青空も広がってはいましたが、かなりの黒雲が上空にありました。
比叡に続く北山の方角(松ヶ崎橋より)
きょうはインコのアーチャンのケージを庭で洗剤をつけたたわしでごしごしこすって綺麗に洗い、テラスにほして日にあてて片付けました。しばらくはアーチャンも東京です。
『フーコーの歴史的「批判」』の読みによる感想書きもやっと第5章まで終わり、いよいよ6,7,8と3章を残すばかりとなりました。まぁ最初に通読したときの印象では、ここからまた技術だの権力だのといった新たな問題が出てきて厄介だったような気がしますが。とにかく早く片付けて古今集に戻りたい。やっぱりあっちのほうが楽しい(笑)。
先日、この本の感想書きの作業の関連でフーコーの『外の思考』というブランショ論を読んだら、昔ちょっと手はつけたものの、よくわからないまま手離していたブランショの作品がまた読んでみたくなって、古本で何冊か注文して安く手にいれました。私は書物という物体へのフェティシズムはないので、滅茶苦茶な値段がつけてある絶版や品切れの単行本などは敬遠して、他の作家の作品と一緒に文学全集の類の一冊として出ていたゾッキ本扱いの安いやつで十分なので、そういうのを選ぶと、いま単行本でも文庫本でも売っていなくて高値のついている作品も、結構安く入手できました。ブランショはフーコーなども、大変高く評価していた作家・批評家で、カフカ論なども昔読んだことがあったけれど、もひとつよくわからない人でした。いま読めばどうだろう、という興味もあって・・・でもやっぱり分からなかったりして(笑)
今日の夕餉
ポルチーニ、シメジ、椎茸、ほうれん草、レンコンのクリームパスタ。
鱈のグリルに野菜入りドレッシングかけ、ゆず添え。このトマトはきょう上賀茂の野菜自動販売機で買って来た7個300円の真っ赤な完熟トマト。ゆずは次男が貰って来た義母宅の庭で成ったゆず。このレシピはゼミの19期生の百貨店での鳴門オレンジプロモーションプロジェクトチームがわが家へ来て鳴門オレンジを使ったレシピをいくつか開発したとき、一番おいしく仕上がったレシピ。実際、素晴らしく美味しい。あのときは鱈のムニエル、と言っていたと思います。
茄子のガーリックメンタイマヨグラタン。
サラダ。
枝豆。
以上でした。
フーコー論を読みながら~その13
(以下は松野充貴著『ミシェル・フーコーの歴史的「批判」~カントと対話するフーコー~』(名古屋市立大学人間文化研究叢書⑧ ミネルヴァ書房 2021)についての哲学には素人の<手ぶら読み>極私的読書メモです。記事中「本書」などとしているのは同書を指します。また、引用は特記しない限り同書の引用です。)
5章は主として『言葉と物』および『カントの人間学』を中心に展開されたフーコーの、<人間>という概念を定立する近代的思考に対する批判に関して、彼がカント自身をそうした思考の源流を成すものと批判したのか、あるいはカントの<批判>とは明確に区別してその<人間>的思考を断罪したのか、という論点をめぐって、フーコーのカント理解と近代的思考に対する批判の観点をたどり、近代的思考がカント的な<批判>哲学と形而上学的な存在論を混同することによって、カントの<批判>から逸脱する<擬批判>の道を歩んだと批判したことを明らかにする展開になっています。
冒頭で著者は、カント自身が純粋統覚と経験的統覚という自我の二重性、フーコーの言う「経験的―超越論的二重体」として、人間が認識において経験的統覚が対象を受容し、超越論的統覚がそれを基礎づけるという二重の操作を行うことによって、自らの外部を内部化し、自己の中であらゆるものを認識する存在、つまり世界の外部性を人間の思考という内部性にとじこめ、人間本質を人間の乗り越え不可能な存在論的な有限性に限界づけられるものとした、というふうに、フーコーが考えてカントを批判しているかのように見なすフーコー論者の見解を、認識論的な有限性と存在論的な有限性を混同した謬論として、ポレミックな語り口で批判しています。
そこで批判されているフーコー論者の著書を読んでいないので、正確なことはわからないけれど、そこでの論理展開自体に違和感を覚える点はなく、ハイデッガーに引きずられてその論者が認識論的な有限性と存在論的な有限性を混同しているという批判も説得力があると思いました。そして、カントの<批判>における認識の限界と根拠を吟味するという問題設定と、「論理学」のような後期の形而上学に関する著作における存在論的な問題設定とが明確に別の次元で考えられていること、またフーコーもそれを正しく認識していること、そしてそのように考える著者の判断も、すべて納得できるものでした。
この第5章でふれられた<有限性>の概念は、『言葉と物』の中でも、最も難解に思えた部分で、わずかなページのうちに<有限性>と言う抽象的な言葉が十数回も使われていて、自明の言葉のようでいて、そこに込められた文脈中の意味がいまひとつ明確にとらえきれず、このキーワードが読めないとその節全体がさっぱり分からない、といった重要な概念でもあったので、読んでいて相当閉口した覚えがあります。しかし、著者がここで引用しているフーコーの言葉やそれを証拠として展開される著者の論述にはそれほど分かりにくいところは見当たりませんでした。私も存在論的な有限性と認識論における有限性を曖昧に混同していたのかもしれません。
形而上学において、カントが見いだしたのは感性が多様を受容する以前に、人間はすでに世界と相関関係にあるということであり、人間はこの相関関係以上に遡って考えることはできないということであった。すなわち、形而上学で論じられる人間の有限性、存在論的有限性は認識に先立って、認識論である「批判」における有限性に先立って、人間の限界をしるしづけるものであり、それゆえ、存在論の有限性は認識論の有限性より、根源的な有限性なのである。(p123-124)
とても簡明な説明で、よく理解できるように思います。
読みごたえがあったけれど、この章で述べられていることに格別の疑問を懐くような点がなく、納得のいく感じで読めたのは、ここに例の「まなざし(感性)、言語(悟性)、共通の構造(著者は構想力に擬している)」という著者のいう「三項」なるものが登場しなかったせいかもしれません。
論述をただなぞることになりますが、著者の論述をなぞることは、フーコーのカント理解をなぞることになり、それはまたカントの考え方を辿ることにもなる(その三者の間に重大な齟齬がないことを前提にすれば、ですが)ので、私なりに少しメモしておきましょう。
フーコーによれば、「近代の思考の基本的布置」は次の三つで語ることができます。
①
批判哲学
②
実証主義
③
対象の形而上学
まず①の批判哲学は、言うまでもなくカントが創始した、理性による認識の可能性の条件と限界を問い、認識の根拠を吟味するもので、理性による理性の自己関係的な反省・吟味であって、そうしたカントの<批判>にとっては、認識される現象についての知識(「多様」の内容)、つまり生物学や経済学が明らかにする実証的知識、いいかえれば表象の内容は問題にはなりません。
そうではなくて、そうした認識自体、表象自体を可能にする条件(諸形式)こそ、<批判>が明らかにしようとするもものであり、カントはれを経験を超えた「超越論的」な次元での問いだと考えたのでしょう。経験を構成するのは表象の内容であり、様々な実証的知識なわけだけれど、<批判>が問うのはそうした中身ではなくて、それらを可能にする感性や悟性など人間の認識構造に備わった形式であり、主体に備わった能力であるということではないでしょうか。
ところが、カントのこの批判的思考、つまり人間の認識の限界と根拠を吟味する、という態度を継承しながらも、その後の近代的思考がやったことは、カントの「超越論的」な次元に経験を可能とするものを探求することではなく、経験自体の内容に、つまり表象の諸内容に批判哲学に固有の価値である、経験を可能にするものを問うということをやってしまった、つまり「批判的思考を実証的認識の水準に適用」してしまった、というのが著者の語るフーコーの観点です。
具体的にはどういうことかと言えば、生物学や経済学や言語学のような実証的な探究が、人間の経験の可能性とその限界を教えてくれる、つまりそうした知識が人間の経験の可能性、限界を規定するア・プリオリなものの役割を果たす「認識のアプリオリ」になると同時に、そうした<人間>が実証的な学問よって、かくかくの如き存在である、というふうに実証的水準で対象化され、主体としての存在論的なア・プリオリ、「存在のア・プリオリ」として規定されることになります。いずれも実証的水準で考えられていることですから、両者は混同されたものとなるというわけです。
つまりこうした近代的思考はカントの問うた「超越論的」な問いを経験のレベル(表象の内容、実証的な知識が教える人間)に引き下ろして、その経験的知識の内容、表象の内容に超越論的価値、つまりそれらの経験を可能にする条件を見いだしたのです。このような批判的思考のありようを、フーコーはカントの<批判>とは似て非なる<擬批判>と読んで断罪している、というのが著者の見解です。
つまり近代的思考はカントのように経験の可能性の条件を(経験の内容を超越した、経験を可能とする条件の探求へ向う)超越論的水準で問おうとしないで、経験的(実証的)知識のうちに見出そうとしたので、表象の内容に表象の成立条件を求めるのと同じことです。フーコーが『言葉と物』においてこの近代的思考を批判しているのは、そこにカント的な超越論的な問いかけを欠くためであって、著者のいうとおり、「超越論的なものではなく、むしろその不在こそが糾弾の対象となっている」(p131)というわけです。
こうした擬批判が成り立つのも、②の実証主義の展開があってこそです。
実証主義は、たとえば人間の感覚器官や神経など人間の肉体を研究し、人間の認識のメカニズムを明らかにしていきます。そして、そこで解明されたメカニズムは同時に認識の可能性の条件でもあることになります。つまり、対象として認識された人間についての知識が認識主体しての「人間」が認識する上でのその認識の可能性の条件となるわけです。
カントが自然認識の可能性を主体の側に問うたのに対して、近代的思考は対象側につまり事物についての知識の中に「人間」の経験の可能性の条件と限界を問いかけたわけです。
③の「対象の形而上学」については、著者によれば、近代的思考における<人間>ほどにはこれまで問題にされてこなかったそうです。近代的思考においては、経験的水準で、つまり実証的な知識の中で問われるので、人間の経験の可能性の条件、経験の限界は言語、生命、労働についての知識に規定され、またそうした実証的知識によって対象化された人間と主体としての人間が置換可能な等価なものとされるために、その主体性の存立根拠もまた実証的な知識の中に、つまり対象的世界の側にしか見いだすことはできません。
こうして見いだされる経験の可能性の条件、主体性の存立根拠が、人間の外部から規定されることになるわけで、それが言語、生命、労働についての知識が導く「対象の形而上学」のアプリオリ、具体的には<生命>、<労働>、<言語>といったものです。
例えば生物学に例をとってみると、キュヴィエが「構造」という概念を「器官」に置き換えたことが象徴的な転換であって、彼はここで可視的な要素とその機能の同一性とを切り離したのだ、とされています。彼以前には、「構造」という言葉で実際上は器官そのものとその機能が同一視して語られていたのを、器官とその機能を切り離し、機能から構造を見ていくことになります。
生命維持に不可欠な一次的器官は多くの生物で共通の形態を持ち、それらは身体の内部に隠されているため、その探究は解剖学への接近を促します。博物学が身体の表面の諸「構造」を記述したのに対して、キュヴィエは身体の内部にある諸「器官」を記述する、つまり形態の類似性とは切り離された機能的な観点から諸器官の類似性を見ていくことによって、例えば鰓と肺の機能の相同性を見いだすことになります。
こうしてキュヴィエ以降、<生命>は「知覚しえないもの」、分類の外面的な可能性を基礎づける純粋に機能的なものの中にある、とみなされるようになります。そして、生物が存在するためには、それに先立って、アプリオリに<生命>が存在していなくてはならず、またそれは例えば<器官>と言う<実証的なもの>の中にその実在性を持つ、と考えられていくことになります。つまり<生命>とは、生命存在の諸様態を規定するものとなったわけです。
別のところでは私たちにもなじみ深いラマルクを例に挙げて、彼が生物の組織を研究し、生物の諸特徴間の階層的秩序を分析し、特徴が機能に結びついて、機能によって律せられた複雑な階層的組織として存在することを明らかにし、可視的なものをその深い理由に関係づけるように不可視的なものに関係づけ、この隠された建築物からそれを示すものとして身体の表面に与えられている顕在的なものへと再び上昇する「動物相互の本当の関係を決定するための要素として」組織というものが考慮すべき最も本質的なものだと考えたことが指摘されています。
この「隠された建築物」とか「不可視的なもの」「深い理由」などと比喩的に語られているものこそが<生命>であり、認識のアプリオリであると同時に<人間>という主体性の存立根拠でもある存在のアプリオリであって、同じく実証学の見いだした<労働>や<言語>と同様に、近代的思考が支柱とした「対象の形而上学」の要をなす概念なのです。
つまりこうしたものが近代の思考を構成する要素のひとつである「対象の形而上学」です。これは経済学における<労働>であっても、言語学における<言語>であっても同じことです。それらは人間の認識を根拠づける経験的な次元におけるアプリオリと考えられ、また同時にそれが人間の主体性の成立根拠でもあるわけで、それがこうした実証的な知識の中にその実在性をもっていると考えられてきたわけです。
このように実証的知識という外部によって規定された<人間>を軸とする近代的思考は、カントが区別した認識論的な次元と存在論的な次元を混同し、認識の根拠への問いと主体性の根拠への問いを実証的な知識のうちで問い、超越論的な問いとして主体の側に投げかけることなく、対象の側につまり経験的世界のうちに経験的なア・プリオリを、<人間>という超越的なものを見いだすあらたな形而上学を見いだすことになったわけです。
この<人間>の形而上学はその後現在にいたるまで幅をきかせており、マルクス主義から実存主義、ベルグソニズムから現象学にいたるまで全部同じ穴の貉だというのがフーコーの見立てです。
たとえば現象学について、フーコーは認識の可能性の条件の問い掛けが、存在の可能性の条件へ変位してしまった一例と考えているようで、カントにとっては超越論的哲学は「自然の学の可能性」を問うものであったが、現象学にとってそれは「人間が自己を思考する可能性」を問うものになった、と考えているようです。
現象学において問題となるのは、<人間>はいかにして<人間>そのものではない<生命>(あるいは言語、労働)の主体でありうるのか、である。言い換えれば<私>はいかにして<私>そのものではない<生命>の主体となりうるのか。<人間>はいかにして存在のア・プリオリの主体となりうるのか。現象学にとってはそれが問題なのだ、と。
本章の最後で触れられているのは、フーコーがカントの<批判>、近代的思考(<人間>的思考)の<擬-批判>に次いで挙げている「第三の<批判>的思考様態」のことです。これは具体的には精神分析、文化人類学、純粋な文学理論の三つの反―科学で、フーコーはこれらが彼のこきおろした近代的思考(<人間>的思考)の<人間>を解体する、と考えています。
これら三つの反―科学は、<人間>的思考を本質とする人文諸科学と対照させて論じられています。先に述べた「対象の形而上学」(言語学、生物学、経済学)と結びついた人文諸科学の例として挙げられているのは、心理学、社会学、文学、神話学などで、そこで論じられるのは、<人間>の外部にある事物の経験的内容を<人間>の経験の中に導入し、それらを経験することができる主体とはいかなる存在なのかを問うという<人間>学だ、と語られています。
これに対して三つの反―科学は、『言葉と物』ではそれぞれ詳しく論じられていたと思いますが、本書では文化人類学を例としてフーコーの考え方が紹介されています。
つまり、文化人類学で探究されるのは諸民族の認識の条件であり、その構造上の不変式だ、と。ここで問題になるのは、人間の普遍的経験の可能性の条件ではなく、現実的な経験(各文化に固有の経験)の可能性の条件であり、文化人類学者たちは構造をとおして各文化がもつ特殊性や固有性を明らかにするのだ、ということです。すなわち、各文化が使用する象徴の体系、確立する諸規範の体系によって、各々の文化における経験がいかにして組織されるかが問われるのだ、というのです。
そして、文化人類学や精神分析が無意識の科学であることは当然だと、フーコーは述べています。なぜなら、「それらは人間の意識の下にあるものに到達するからではなく、人間の外にあって、人が知っている実証知を可能にするもの、人間の意識に与えられているもの、あるいは人間の意識から逃れるもののほうへ向かうからである」、と。
なるほど、私たちはちょっと目に見ると、フロイトの見出した無意識の世界だの、文化人類学が見出した未開社会の婚姻規則の体系だのといったものは、「人間の意識の下にあるもの」のように見えるので、こういうフーコーの言い方にはちょっと意表を突かれ、「人間の外にあって、人が知っている実証知を可能にするもの」という言い方に、なるほどな、と納得させられます。
さらにフーコーは言います。それは表象の内容から出発してその可能性の条件を問うのではなく、構造という形式的なものがいかにして諸文化の経験を可能にするのかを問う。それは表象の内容から自由になり、その内容がいかなる形式(構造)によって与えられるのかを問う、と。うまいこと言うものだな、と思いますね。構造と言われているものは、表象を可能にする諸形式だということになります。
私は『言葉と物』のこの部分を読んだ時、なぜフーコーが他の小さな書き物やインタビューの中で自分は構造主義者ではないと言い張って、自分の思想と構造主義を引き離そうとするのかよく分からないな、と思いました。彼の言う構造って、構造主義の構造そのものじゃないか、と思えたからです。
今感想を書いている本書でも、こういう考え方ではフーコーが当初構造主義に共感を持っていたといったふうにコメントしているので、それは一般的な見方なのかもしれません。著者の言い方では、フーコーは「歴史のある地点における固有の知の可能性の条件を探求していた」のだし、構造主義も「経験の中にあって経験を可能にするものを主体の外側で探究していた」ということで、当初フーコーは構造主義に共感していたが、『知の考古学』の末尾の架空対談では構造主義に対して批判的で、自分の思想をそこから引きはがそうとしていたのだそうです。
その理由として著者が言うのは、「構造主義があるときから、各文化に固有の経験の可能性の条件ではなく、あらゆる文化を超えて普遍的に存在する構造を探究しようとしたから」だそうです。
そこのところはこれだけでは私にはよく分かりません。構造主義にも色々ありそうだから一概に言えないとは思いますが、少なくとも元祖レヴィ=ストロースが見出した未開社会の婚姻規則の体系などは、フーコーの言う「構造」そのものじゃないか、と思うし、そういう婚姻規則に類似した構造が他の民族社会にも見出せるとしても、それはあくまでもそれぞれの民族社会に固有の多様なものとしてあるだろうし、「あらゆる文化を超えて普遍的に存在する構造」なるものが、どういうものを指しているのか、私にはその言葉だけではよくわからないので、なぜフーコーが自分を構造主義者と呼ばれることを嫌った(?)のか、いまのところはまだよくわかりません。
日本でも舶来思想を人にさきがけて輸入販売するようなことに長けた翻訳家兼海外思想解説者兼評論家(または哲学者)兼大学教授みたいな人たち(笑)の中には、フーコーを構造主義者の一人とみなした言説に対して、何も分かっていない無知な者を罵倒、嘲笑するような言辞を弄する者もあったようですが、そのくせそういう輩に限ってフーコーの思想と構造主義を対比してフーコーのそうした思想的態度をきちんと納得のいくように論じたためしがないので、ただ自分だけがフーコーを正しく理解しているかのような「言葉の意味はわからんがすごい自信」だけ持ち合わせたキン肉マンみたいな存在にすぎず、何の助けにもなりません。まぁ必要ならぼちぼちそういうところも読んでみてフーコーの言う構造が構造主義者の言う構造とどこが違うのか、あらためて考えてみてもいいなと思いました。
To be continued ・・・
2021年10月09日
今日の比叡、今日の収穫
毎日よく秋晴れがつづいています。(松ヶ崎橋より)
夕暮れ近い南の空(松ヶ崎橋より)
きょうの収穫。上賀茂の野菜自動販売機、きょうは色々入っていたので、つい買ってきました。
トマト4個300円。赤く美味しそうな、酸っぱい上賀茂トマト。
ドウモロコシ4本300円
大根の抜き葉4束くらいあったか、全部で100円。根っこはぬか漬けにすると懐かしい辛みの強い大根の味がうれしい。葉はジャコ炒めにして、あつあつごはんにかけていただきます。
枝豆2袋×100円
きょうはフーコー論で触れていた「外」の概念との関わりで、フーコーのブランショ論である『外の思考』を読みました。
フーコーはもともとストレートな語り口ではなくて、言ってみれば相当もったいぶった言い方をする人だと思いますが、こういう文学論になるとそれが一層ひどくなって、ルーセル論でもそうだったけれど、暗喩だけでつづられた文章みたいで非常に分かりにくいものになっています。『言葉と物』のような思想を語る縦深的な文体は重厚だけれどもっとストレートで、かえって理解しやすいような気がします。
彼が書きながら決して言葉にはせずに頭の中でつねに思い浮かべている要になるよう表象が分かれば、一挙に氷解する可能性はあるけれど、それが見えないと最初から最後まで一体何を言っているのかよく分からない、ということになってしまいます。『レーモン・ルーセル』ほどではなかったけれど、これもかなりひどかった。
これは<外>をめぐって展開されるメタフォーのオンパレードですが、ほんとうは<外>なんていう言葉なしに、正確に語れたはずだと思います。しかし、この論文の中で、法の言語に触れて、あれは<外>なんだ、と言っているところで、ハハァ、とピンとくるところがありました。
なんだ、そんなことか、それならそうとストレートにやれよ、<外>だの<内>だのもったいつけて、ひねくれた言い方せずにさ、という感じですね(笑)。
人は法(共同幻想)の<外>に居る、と考えることもできるし、<内>に居る、と考えることもできるけれども、そもそもそれは個人(<内>)のままでそこに参与することはできないので、その意味では<外>、<外>の外にあるものだ、という言い方をしてもいいけれど、どうしてこう持って回った言い方をしなくてはいけないのかはさっぱりわからない。
従弟の子の新著では、なんと自身の(カントやフーコーがそう考えていると彼自身が考えているところの)感性・悟性・構想力の三項説の一項をなす構想力がフーコーのいう<外>にあたるんだと書いてあってちょいと驚きました。感性と悟性の綜合として<形>(技術)を生むのが構想力だから、構想力が生み出すものが<外>にあって不思議はないけれど、構想力自体が<外>だったらどうなるのよ(笑)
きょうは自転車行から帰って、小津はおいといて、稲垣浩の戦前の(阪妻の)「無法松の一生」を観ました。先日、テレビで放映していたらしく、そのあと制作をめぐる話をインタビュー構成などでやっている番組をパートナーが録っておいてくれたのを見て、もう一度見たくなったので。
しかし、今見るとほんとにそのドキュメンタリーで言っていたように、戦中の当局からカットされるわ、戦後になると進駐軍からカットされるわで、もうズタズタのようで、ちょうちん行列もなければ松が告白するようなシーンもなくて、太鼓をたたく唯一といっていいハイライトシーンで走馬灯のように過去のシーンがあらわれると、そのあとはいきなり松がもう亡くなっていて、例の預金通帳に未亡人の息子名義で500円もの大金が預金されていた、というシーンになります。
戦後に三船敏郎と高峰秀子の主演で稲垣自身がリメイクしたのはもちろん見ていて、たぶんあれは脚本通りの完全なストーリーを追ったのでしょうし、それはそれでいい映画だったから、受賞もしているようだけれど、やっぱりこのオリジナル版の阪東妻三郎と園井恵子が良かったので、そちらのほうで完全版を見たい気がします。カットされたフィルムが一部なりと残っているのか、デジタルリマスター版を作る計画があるようなことを言っていたと思うので、それができればいま古いビデオで不完全なカット版を見るのとは全く違った作品を見ることができるんじゃないかと思います。
園井恵子は軍人の妻らしい気品のようなものを漂わせていて、やや庶民的な風貌の高峰秀子よりも、この作品では資質的に向いていたと思います。また三船はその風貌からしてちょっとうるさすぎる、というか(笑)、粗暴さや一個人としての気の小ささとか、そういうのは三船にも表現できるけれども、もうちょっとやっぱり当時の社会で車夫の身分や育ちを素直に感じさせる一種の貧しさの雰囲気を漂わせるところがないと、松五郎を演じるのはしんどいでしょう。その点阪妻はさすがでした。
前にも聞いたことはあったけれど、未亡人を好演した園井恵子は移動劇団の拠点だった広島に公演に行っていて原爆に遭遇して亡くなったそうです。惜しい女優さんでした。
今日の夕餉
きゅうり いりこみ味噌添え。
芋煮
春巻き(昨日の残りのチャプチェを巻く)
白身魚の味噌づけ、ししゃも
きゅうりのたたき。青紫蘇、生姜入り胡麻和え
人参のお浸し
大根の抜き葉のジャコ炒め
野菜サラダ
とうもろこし
枝豆。
以上でした。
2021年10月08日
フーコー論を読みながら~その12
(以下は松野充貴著『ミシェル・フーコーの歴史的「批判」~カントと対話するフーコー~』(名古屋市立大学人間文化研究叢書⑧ ミネルヴァ書房 2021)についての哲学には素人の<手ぶら読み>極私的読書メモです。記事中「本書」などとしているのは同書を指します。また、引用は特記しない限り同書の引用です。)
第4章は主として『言葉と物』や「科学の考古学についてーエピステモロジーサークルへの回答」をとりあげ、これが第3章で取り上げた『臨床医学の誕生』における<まなざし>(感性)、<言語>(悟性)、著者のいう<共通の構造>(構想力)の三項から成る認識構造を前提として(科学における)認識の可能性の条件を問う<批判>に対して、様々な学問領域を横断して、その言説の集合にみられる規則性、フーコーがエピステーメーと呼ぶ認識構造を明らかにすることによって、つまり言説の次元で認識の可能性の条件を問う、パシュラール的な「言語一元論」的<批判>の立場をフーコーがとる一方、文学論的な著作においては<まなざし>、<言語>及び著者のいう<共通の構造>なる第三項を含む三項から成る認識構造を見いだしており、著者によれば1960年代後半のこの時期、フーコーは「カント的な三項的認識」と、「バシュラール的言語一元論」という「この二つの批判的思考様態のあいだで揺れていた」(p92)と考えていて、これがこの章の中心的な主張になっています。
ここまで読んできて、以前の所で感じた疑問が尾を曳き、その疑問の箇所での著者の判断が次の主張を生んで拡張されていくのを見ると、私の疑問もそれについてさらに大きくなってくるのを感じざるを得ないところがあります。
どこから始めてもいいのですが、結論的なことから言えば、フーコーの『言葉と物』が、エピステモロジーのように個別科学の言説を分析してその真理の規範性を与えるものを当の科学自体に見いだすことによって、科学的認識可能性の条件を問うという<批判>ではなく、自然科学をも含む様々な領域の学問における言説を横断的に分析し、そこに必ずしも個々の領域の認識とは重ならない或る規則性、或る知識のコードの諸法則、知の実定的な無意識、それらの言説の制度化の諸条件、などと様々な言葉で彼が語るものを探求することによって認識の可能性の諸条件を明らかにすること、つまりカント的な意味での<批判>を実行しようとしたことについては、著者も語っている通りで、まったく異存のない理解です。
従ってその<批判>が最初から最後まで、言説の次元でなされていることも著者の書いているとおりです。しかし、そのことがなぜフーコーが認識論においてカントが感性と悟性を媒介するものと考えた構想力に該当するものと著者の考える「第三項」としての「共通の構造」を考慮せず、また感性を悟性のうちに解消してしまうかのような言語(悟性)一元論に傾いたかのような主張が出てくるのかがうまく理解できません。
『臨床医学の誕生』では、臨床的措置の中で医療者が<見るもの>(まなざし、感性)と、彼らが本来ならそれによって再現しようとするはずの<語ること>(ことば、悟性)との、言い換えれば医学的経験における<意味されるもの>と<意味するもの>という対の絵柄の切り抜き方の変容として、その認識のありようの転移を語りながら、同時にそのような転移を促した医学教育、医療政策など社会的、政治的、技術的な、非言語的諸条件の決定的な役割を分析し、医学的経験の変貌を総体としてとらえようとしていることは明らかです。
そこでは、そうした医学的経験の認識構造のうちに(ほかの学問にも共通するような)普遍的な認識の規則を見いだすことが目的ではなく、それを含めて医学的経験の認識構造を転移させる現実的な諸条件を分析し、実際に医学的経験の内で起きた認識構造の転移がいかにして可能であったのか、その認識の可能性の諸条件を探求する経験的世界でのカント的<批判>が試みられているのであることもまた明らかです。
これに対して「言葉と物」はさまざまな学問領域における言説の集合を分析することによって、その言説が前提としている認識構造のうちにフーコーの言う<実定的な無意識>としてある或る時代と社会に固有の、知識一般の規則性、彼のいう<エピステーメー>を探り当て、抽出することに目的があり、個々の学問領域の発展については、いわばその普遍的な認識構造、<規則性>が貫かれていることの例示的な挙証であり、むしろ<エピステーメー>の存在を立証する証拠物件であるにすぎず、個々の学問領域のありようやその変化の経緯を実証的、現実的、具体的に明らかにしようとするものではありません。
その意味では著者の言うように、「言葉と物」は最初から最後まで言説の次元で認識の可能性の条件を問う<批判>であって、カントの「人間学」がフーコーに示唆を与えたような、経験的世界でのいわば具体的なアプリオリとしての「出来事」を明らかにしようとするものではなく、あくまでも言説の次元で或る時代・社会の認識、従って言説にとってアプリオリなものとして機能する知識の規則性を明らかにしようとしたものです。
したがって、「言葉と物」において、「臨床医学の誕生」のような、具体的な社会的・政治的等々の非言語的諸条件を扱わないのは、この著作の論述自体が要求するものであって、なんらあるべきものの欠落でもなければ顧慮すべき条件を顧慮しなかったわけでもありません。
それはたとえば政治的あるいは社会的過程の諸問題を扱う上で、いわゆる下部構造の「反映」として語ることがむしろ誤謬に陥ることであり、その内在的構造に即して政治史なり社会史を構成すべきであるのと同様であり、また文学を語る上でそれが書かれた社会のありようや海外の文学の影響といった外在的要因を捨象して言語の本質から内在的な表出の転移を語ることに根拠があるのと同じことでしょう。
そもそも「臨床医学の誕生」の認識論的な記述が、<まなざし>と<ことば>と、著者のいう<共通の構造>なるものの三項を想定していると著者が考えているらしいところに疑問があります。私にはどうみても、<まなざし>と<ことば>、<意味されるもの>と<意味するもの>の「切り抜き方」の問題として、そう言いたければ「二元論」的に一貫して語られているとしか思えません。
フーコーが<見ること>と<言うこと>を切り抜く同時に「それらを関連づける(articuler)共通の構造」と著者が訳している「臨床医学の誕生」の序の一節は、単に臨床医学というものが医学的叙述を深さにおいて再編成しただけでなく、病気についての言語の可能性自体を再編成したことを言っているのであって、それを言葉を換えて言えば、<見ること>と<言うこと>とを切り抜き、かつその<切り抜き方>を共通の言語で表現する(articuler)ことを指しているのであって、<見ること>と<言うこと>以外になにかしら<共通の構造>なる実体的なものがあるわけではないでしょう。
直前に言う「病気についての言語の可能性自体を再編成した」という、その再編成された言語、言い換えれば新たに見いだされた<見るもの>と<言うこと>との切り抜き方=両者を共通の言葉で語ることのできる認識構造、認識原理そのものをさしているわけで、実体としてそこにあるのは<見るもの>と<言うこと>しかなく、その両者の新たな関係とその認識を表現することが臨床医学の意味なのだ、と言っているに過ぎません。
このarticulerは、ふつうに「はっきりと言う」「表現する」ととればいいので、わざわざ「関連づける」とすることで、次の「共通の構造」が何か実体的な第三項として両者を「関連づける」というような誤読に導かれることになるのではないでしょうか。
そうした「第三項」とか「媒介項」を実体化するような思い込みを排して素直に読めば、フーコーが単に「見ること」と「言うこと」の二項のせめぎ合いを軸に認識論的な議論を展開していることは明らかだと思います。
そういう意味では『言葉と物』のフーコーが認識論として突如、悟性(言語)一元論になったなどということがあろうはずもなく、言ってみれば言語が対自的なモメント(自己表出)と対他的なモメント(指示表出)から成る構造であることを自明として、文学作品を言語表現の価値という観点から見る時に対他的なモメントを捨象して、対自的なモメントを軸に見ていくことで自己表出の転移の過程とみることが出来るのと同様に、あれこれの学問領域の言説をその指示的言語の広がりや、これに関わる社会的条件等々から見るのではなく、対自的言語としての表出水準の転移を軸に見ていくことによってはじめて、フーコーの言うエピステーメーというようなある時代の普遍的な認識の規則性が見いだされるのであって、これを認識論としての言語一元論への傾斜と考えるのは的外れであろうと思います。
そもそもそれ以前に、本書では「バシュラール的な言語一元論」ということが盛んに言われていますが、はたしてバシュラールに著者が代表をみているエピステモロジーなるものは「言語一元論」だったのでしょうか。
前にも書いたように、私は学生時代に何冊かのバシュラールを読んだ覚えがありますが、科学者になりたかったのか詩人になりたかったのか、なんとも中途半端な文体で哲学をやっている人だな、という印象であまり好感を持った覚えがありません。だから多少偏見的先入観で書いてしまうかもしれませんが(笑)、今回あらためて古本で翻訳を入手し、一応『否定の哲学』とか『新しい科学的精神』の中で関心が持てそうな部分を拾い読みしてみました。
問題の認識論的立場に関して言えば、彼がしきりにこだわりを持って論じているのは、認識構造の三元論(あるいは二元論)か悟性一元論かということではなく、合理論と科学者に多い実証的な方法に拠り所を見いだす実在論の対立みたいなことで、彼及びエピステモロジーの立場はもちろん合理論の立場で、そこから科学者に根強い実証的方法を拠り所とする実在論を盛んに批判しています。
それは彼が考える、科学の発展を推し進める動因として、先行する理論の先導性、規範性を絶対視する彼の考え方からは当然の帰結でしょう。埴谷雄高という戦後文学者がかつて「文学は文学から生まれる」というようなことを言ったのを憶えていますが、バシュラールなども「科学は科学から生まれる」と思っているのでしょう。実際「科学を推進させる方法は一つしかなく、それは、すでに構成された科学の誤りを指摘することである。」(『否定の哲学』)などと言っています。彼にとっては「科学的経験とは確かめられた理性にほかならない」(『新しい科学的精神』)のです。
ごく普通にものごとを考える素直な人がこんな言葉を聴けば、科学者でなくても、そんなアホな、と思うでしょう。しばしば思想家の中にはこのように、ものごとの一面をとらえて、それを本来その言葉自身が守るべき領分を超えて野放図に拡張し、真理を超越してしまった誇大妄想的な言説を真理だと言い張る人がいるものです。私にはここでのバシュラールもその種のいかがわしい「思想家」にしか見えません。
しかし、面白いことに著者がしきりに「言語一元論」だと主張しているバシュラールのこれらの著書の中に、私は彼自身が「言語一元論」だとみずから主張するような言説をどこにも見出すことができません。みずから感性と悟性を対立させて感性を悟性に解消し、<見ること>(まなざし)を<語ること>(ことば)の裡に解消して、自ら言語一元論だと唱えたような文言を見いだすことができないのです。
ただ、著者がなぜバシュラールのことを「言語一元論」だと思ったか、というのは理解できなくはないと思いました。それは著者がバシュラールによる質量の解釈を例に挙げていることからもうかがうことができます。
それはこういうことです。質量の観念はかつて秤の使用と結びついたものでした。バシュラールの言い方をすれば「道具がその理論に先行する永い時代があった」(『否定の哲学』)わけです。そこでは質量の概念は「思考を経ないものとして、決定的で明白、単純で謬(あやま)つことのない最初の経験の代替物として、直接にあらわれる」ような「無媒介的で直接的な経験の原初的な一要素」だった、と。
何とも大仰な言い方ですが、要は質量というのは私たちが秤を使って計る日常的、経験的な行動の中で直接にいわゆる物の重みとして感じられるものでしかなかった。ところが、ニュートン力学の誕生とともに、質量はその観念の体系の中で規定される、「力を加速度で割った商」として定義されることになります。例の
f=mα という中学の物理で最初に習う公式ですね。
こうして質量の概念はもはや経験的、実在論的な物質の量としての観念ではなく、現象の生成という動的な過程における生成の係数として考察されるものとなる、というのです。その後の相対論的な物理学では、その質量概念も、エネルギーに転換されうる概念になることは、これまた高校くらいの物理で習った
E=mc2 という公式で習いましたね。
こうしたバシュラールの指摘は、個々の物理的概念の解釈としては別に間違ってはいないと思います。しかし、そのことが、なぜ感性が悟性に、見ること(まなざし)が語ること(ことば)に解消される認識論における「言語一元論」にまで行きつくのかはまだよくわかりません。
ここで彼が例に挙げているのはいずれも、科学の歴史における認識の転換の個別的な事例にすぎず、秤によって経験的に知られていた質量の概念が実は実在論的な根拠を持たず、精密な概念規定でもなかったことは後に知られる事実だとしても、ニュートン力学が成立する以前のそれよりもはるかに長い歳月の間、人間はその素朴な実在論的な観念で質量を扱って、とりたてて不便を感じてはこなかったし、それは感性的な認識であると同時に、バシュラールは「思考を経ないもの」などと馬鹿にする(笑)けれど、それはそれで悟性を経て使用されていた概念であったに違いないので、別段質量の概念自体が人間一般の「言語一元論」的認識構造を立証してくれるわけではありません。
著者は第1章でバシュラールに触れて述べていました。「今日の物理学的実験においては空間と時間は数式という合理的なものに規定されなければならない。そして、その数式に則って選択された実験器具をとおしてのみ物質(例えば、素粒子)は認識される。それゆえ、実験器具は理論によって規定された感性、悟性化された感性なのである。」
だからこそバシュラールも「感性的直観の二形式を悟性にまで否が応でも引き上げなければならない」と論じるのだ、と。
私の手元にある文献では、「機具とは、物質化された理論にほかならない。そこから出てくるものは、全身に理論の刻印をおびた現象である。」(『新しい科学精神』p20 関根克彦訳1976中央公論社 自然選書)という言葉があります。
実験に使われる機具と理論とは、まったく異なるカテゴリーに属するものとして普通は認識されています。それをある媒介的な論理によって、機具=(物質化された)理論、と等号でつなぐのは、文学の領域ではメタフォーを作る時のやり方です。それは実体として、機具=理論であることを保証するものではなく、単に実験器具には、それを設計して何らかの実験をおこなおうとする科学者の理論が投影されている、という当たり前の事実を、つまり科学の実験器具とそれを用いる理論とをつなぐ関係を強調的に表現するためのレトリックとしての喩にすぎません。
したがってまた、この等式は、機具=(物質化された)感性、と置き換えても成立します。ちょうどマクルーハンが、メディアとは人間の(感覚器官の)延長(拡張)である、と言ったのと同じことです。
著者は、バシュラールが現代物理学を考察することで、そうした考え方を導いたかのように述べています。たしかに現代物理学、たとえば素粒子論が対象とする素粒子だのクォークだのといったものは私たちの感覚器官で直接とらえることはできません。それは現在までに到達しえた素粒子論物理学に基づいて設計された実験「機具」によって、同じくその理論が立てる仮説にもとづいて、ある粒子と別の異なる粒子に一定の加速度を与えて衝突させるとき、どのように新たな粒子が発生するか、あるいはその粒子が霧箱の中なりなんなりでどのような航跡を描くかを予測し、実際に実験をやってみることによってはじめて、その理論が正しいかどうか、あるいはそこに齟齬があって新たな現象が見いだされるか、といった悟性的判断が可能になるのであって、生身の人間の感官が素粒子そのものに直接触れるわけではありません。
しかし、たとえばいまのケースでも、古典的な実験かもしれないけれど、粒子同士の衝突を観測するには、霧箱に記される粒子の航跡を観測するのであって、そこでは明らかに科学者の生身の感覚器官が参与しているわけですが、それもまたいまではすべて自動機械で読み取り、情報処理された形で数式によって結果だけが科学者にもたらされるのかもしれません。その場合、対象としての物質と科学者との間をつなぐ観測の経路の中に、<見ること>(まなざし、感性)が対象化され、そう言ってよければ悟性的なもののうちに感性が吸収され、解消されていると言ってもいいでしょう。
ただ、それはあくまでもレトリックのレベルの話で、たしかに人間の生身の感官が直接参与することはないけれど、観察や観測、つまり人間が対象的な現象と関わり、カント流に言えばその「触発」を受ける、いわば主観と客観を関係づける過程がそこにあることは疑いようのないことで、それは観察や観測を可能にする機具がどんなに高度化し、また情報化されてしまっても、何ら変わりはないでしょう。メディアの場合には経路は現代ではほとんどデジタル化され、バシュラール流に言えば「悟性化」されていても、その両端はアナログで、感性に馴染む様態をとどめているために、「メディアは感覚器官の延長(拡張)である」というマクルーハンの言葉が実感的にしっくりくるのですが、これとて「メディアは悟性の延長(拡張)である」と言っても全然かまわないでしょう。
主観と客観の「関係づけ」の過程を悟性的なものと考えるか、感性的なものと考えるかは単にいずれの面を強調するかのレトリックの問題に過ぎません。実験、観測、観察にもちいる機具を感性の延長(拡張)と考えようと悟性の延長(拡張)と考えようと、もともとレトリカルな表現としての強調点の違いを示すだけのことですから。
ただ、現代の様々な先端的な学問領域を垣間見ると、たしかに人間の生身の感官が直接対象(現象)に触れる場面がどんどん少なくなっているために、バシュラールのようにその極端な様相を念頭に、すべて悟性一元論でかたがつくようになってしまったんだ、といわんばかりの議論を展開したくなるのは理解できなくはありません。
私の大学教養部時代の友人に、宇宙物理学をやっている研究者がいて、今の太陽系とは異なる太陽系がこの暗い闇の宇宙空間には沢山あるんだということで、なかなか見つからないけれど、それを見つけようというので研究しているようなことを仄聞したことがあります。昔で言えば天文学の領域で、天文台にあるような大きな望遠鏡で日々夜空を観測している、というのが、かつて私たちが思い浮かべる天文学者の姿でしたが、いま彼がやっていることはおそらく世界中の天文台でほとんど自動的に観測される様々な星の動態に関するデータを集約したものと自分の理論的仮説とを突き合わせながら、コンピュータ上で数値計算を重ね、モデルを創り出すような作業なのではないかと思います。
たしかに宇宙物理をやっているような人の中には、幼いころから望遠鏡で夜空を見ることが好きで、長じてもそういうことを続けている人もあるでしょうが、今ではそうしたことはほとんどの場合趣味的なものであって、本業の宇宙物理学のほうでは、ひたすらコンピュータに向かってキーボードをたたいて計算し、モデルを作ったり壊したりといったシミュレーションを繰り返すような作業なんだろうと推察できます。
まさにそれはバシュラールのいう悟性一元論的な光景ではありますが、この場合も彼にデータを提供する世界中の天文台の電波望遠鏡だか何だかの観測機具というのは、悟性の拡張でもあれば感性の拡張でもあると言っていいでしょう。
そして、そうしたことは、何も今例に挙げたような現代物理学に限らないのであって、バシュラールが対照的なもののように例示する、質量を測るための秤という古典的な道具でさえも、感性の延長でもあり、悟性の延長でもあるようなものにほかなりません。バシュラールは秤で測る質量の概念を「思考を経ないもの」などと馬鹿にしている(笑)けれども、秤だってより正確に測るためにそれを創り出した人間は工夫して、幾段階かの質量を正確に、温度湿度などで変化せず、力が加わっても破損しない材料を使い、今風に言えば「設計」したわけで、決して「思考を経ない」直接な経験などではなく、そこにその時代なりの「思考を経た」悟性の延長としての道具の活用があったことは疑うべくもありません。
そのような機具、道具を創り出すためには、「自然の法則性を認識し、それを意識的に適用する」(武谷光男による技術の定義)技術が必要なのであって、三木清が(『構想力の論理』の中で)言うように、技術というもの自体が、感性と悟性の総合にほかならず、そうしたものとしての「形」(フォルム)を創り出すのが構想力のはたらきということになるでしょう。
少し脱線しましたが、そういうわけで、バシュラールの「言語(悟性)一元論」というのは、あくまでも現代技術において生身の人間の感官が直接対象(現象)に接する機会が少なくなってきた、と言うことを強調するだけの喩的レトリックに過ぎず、認識構造を語る真理でもなんでもない、ということだけ確認しておけばいいと思います。従って、フーコーがバシュラール流の言語一元論と、カント的な感性と悟性と構想力との三項で考える認識構造のとらえ方との間で揺れていた、というのはありえない幻想だと考えるほかはないと思います。
しかし著者の第4章は、フーコーが著者の言う「バシュラール的な言語(悟性)一元論」と、カント的な悟性・感性・構想力のいわば三元論との間で「揺れて」いた、という思い込みを前提に、どの著作ではこちらに傾き、また別の著作ではあちらに傾き、ときにそれと矛盾したことを言っているようにもみえ、というふうな議論に終始していて、その点では不毛な議論になっているように思います。
その元凶は、「まなざし(実践)、言語(言語)、共通の場所(ある種の経験的計画)」(p94)と表現されるその意味不明の「共通の場所(ある種の経験的計画)」なる「第三項」の想定にあります。
これがフーコーの言葉の誤訳・誤読によるものであろうことは、既に指摘したので、ここでは繰り返しません。ただこの誤読による思い込みが、その後本書に一貫して尾を曳いて、フーコーの思想的動向を説明する記述にも論拠として使われているので、もしも私の判断が正しければ、この著書からその系列の解釈による部分を大きな肉の塊を腑分けして中に走る幾本かの無用のスジを抜くように取り去るというちょっと厄介な作業が必要になると思います。
エピステモロジーが科学的な領域での認識に理論的な枠組みが先行し、実証的なものの領域は理論によって規定されると考え、先行する理論を特定の科学の領域の探究におけるいわばアプリオリなものと考えたことに示唆を受けて、フーコーが様々な学問領域の言説を横断的に分析し、個別の領域を規定する認識とは必ずしも重ならない、そこに見いだされるある時代の言説に普遍的な認識の規則、共通する認識構造(エピステーメー)を、その時代の様々な認識を可能にするアプリオリな条件として取り出して見せた、という点に、カントの「人間学」に端緒が見られた経験的世界における認識の可能性の条件を問う<批判>の継承を見る、という著者の(p84の記述など)主張については、まったく異論がなく、この著書が明らかにしようとしたことが、ここでも果たされていることに納得しています。
ただ、上記のような疑問点を、著者が自身の主張を支える根拠の一つと考えているとすれば、少し厄介なことで、もう一度思い込みにとらわれずにフーコーの問題の部分を読みかえしていただけば問題は氷解するのではないかという気がします。
この章の後半で『言葉と物』の内容を要約的に述べているところについても、末尾の再び言語一元論かカント的な三項構造かという議論へもっていってしまうところを除けば、とくに疑問に思ったところはありません。
ただ、著者が、フーコーがカント的な三項構造で語っている、と著者が考えている文学論について書かれたp86からp92までの、ルーセル論をめぐる記述、フィクシオンについての記述の二つの節は、著者の頭の中での認識論の三項構造との結びつきが前提になっているせいか、私には大変理解しにくいものでした。もちろん私がここで取り上げられたルーセルを読んでいないことや、それを論じたフーコーの「レーモン・ルーセル」は今回古本を入手して最初のページから最後のページまでとにかく目を通して見たけれど、ほとんど一行も理解できなかった(笑)といったことのせいかもしれません。
だから、ここではつまらない揚げ足取りにしかならないけれど、現代文学一般についての著者の言説に疑問なところがあったことだけ記しておきましょう。
たとえば、次のようなところ。
現代文学において言語は事物の類同代理物ではなくなった。言い換えれば、言語は事物を忠実に写し取るものではなくなったのである。(p88)
これではまるで、ルーセルのような現代文学よりも以前の文学における言語が「事物の類同代理物」であり、「事物を忠実に写し取るもの」でしかなかったかのようではありませんか。いくら何でもそれはないでしょう。自然主義文学であれ、日本の私小説であれ、いまではそれらの文学における言語が「事物の類同代理物」であったり「事物を忠実に写し取るもの」であったと考えるような文藝批評家も研究者もいないでしょう。
かつてはある主体がいて、主体の表象を言語に写しとることによって作品が織りあげられると考えられていた。それに対し、現代文学では言語自身が主体なしで自律的に事物を与えうるのである。(p88-89)
この「現代文学では・・・自律的に事物を与えうる」というふうな認識は、その前に詳しく書かれたルーセルの創作手法が、「任意の一文を取りあげ、そこにわずかな変更を加えてほとんど同じ文章を作りあげ、そして任意の文章を物語の最初に置いて、変更を加えられた文章で物語を終えるというもの」であり、また「任意の文章を取りあげ、その文章をアルファベットにまで分解して、以前の文章とは全く異なる語に組み換え、そこからイメージを抽出し、そのイメージを中継地点として物語を構成するというもの」であるといったことを念頭に述べられているらしい。
ルーセルの「手法」は創設的主体と呼びうるような観念を退ける。言いかえれば、「手法」は作品が作者の想像力によって作りあげられるという観念を退ける。ルーセルが編み出した言語空間は言語が自律的に展開することによって開かれる空間なのである。(p87)
わが国でも、文芸批評や思想を売り物した雑誌などで、いっとき評論家の類が、ニーチェの「神は死んだ」に倣って「作者は死んだ」と吹聴しまわっていたことがあったのを思い出します。文学作品の背後に作者を想定するのは古臭い文学観であって、いまや文学はルーセルのごとき偶然的手法で言葉が言葉を呼ぶようにして織りあげられる自動記述の痕跡のようなものだというふうな新式の舶来文学観が流行した時期があったのです。欧米においてはどん詰まりの文学の血路を拓くための破れかぶれの、それなりに必然性のある理論的誤謬であってものが、わが国に移入されるやハイカラな舶来の新式文学観として喧伝されたのは、いつもの辺境の島国の文学・思想業界に固有の倣いだったということでしょう。
いまどきこんな文学観を持ち出すアナクロな評論家があろうとは思えませんが、ひょっとして哲学のほうではまだ、畑違いの文学についてはそんな舶来神話が信じられ流通しているといったことがあるのでしょうか。
ルーセルがおそらくは「いかにして私は私の本の数冊を書いたか」で語ったのでありましょう、そのような自動記述的な手法というのは、デュシャンの「レディ・メイド」やケージの「チャンスオペレーション」(偶然性の音楽)に相当する、芸術諸領域における「現代」の開幕を告げる西洋的な作品概念の転倒の一例で、20世紀初頭いっせいに様々なところで起こった価値転換と新たなパラダイムを象徴するような事例の一つに過ぎないでしょう。
作者という不動の座に胡坐をかいて古びた規範に従っているだけの既成の芸術に絶望し、根源的にそれを否定して血路を拓こうとする前世紀初頭のパイオニアたちが、既成の諸権威の最後の拠り所であった作者、創り手というものの存在自体を否定してかかったのは、いわば捨て身の技で、それぞれ大きなインパクトを与えたと思います。
けれども、もちろん彼らの言説を真に受けるのは早とちりで、作者はやっぱり死なない(笑)。いや作者の死を告げる彼ら自身がその偶然性の音楽なり美術なり文学なりの作品を楽譜やキャンバスや原稿用紙に定着した瞬間に彼らはその否定の意志を表現する作者として現れてしまうので、作者として死ねないことは申すまでもありません。
作者は死んだ、というふうな言説は、言説の語るところを文学作品をめぐる真理を語る言葉として真に受けるのは、いかにも時代錯誤的なことで、そうした途方もない言説を生み出さざるを得なかった欧米の先端的な芸術諸領域が陥った袋小路の深刻さと、その袋を食い破ってとにもかくにも血路を拓こうとした各領域の個々の芸術家たちの悪銭苦闘とみることが、そうした切実な場から遠く離れた島国でのんびりとあれもこれも舶来芸術として楽しんでいた島国の人間としてはせめてもの自らの位置を自覚した態度ともいうべきものでしょう。
繰り返し単なる揚げ足取りになって恐縮ではありますが、p89のフィクシオンを論じた節の冒頭に、フーコーの「かくも残酷な知」の引用があります。
一方の対象群は、クレビヨンになじみのもので、「対象―状況(objets-situation)」とでも呼びうるものを構成する。それらは諸対象間のかすかな関係を一瞬捉え、再び進展させる可視的な形式である。拒絶、まなざし、同意、回避が交差する出会いの表面、交換の場たる諸対象はそれらが含む意味の複雑さが増すにつれて物質的密度が下がる薄い中継地として機能する。(p89元の引用出典は『ミシェル=フーコー思考集成Ⅰ』所収の「かくも残酷な知」p281~ 『フーコーコレクション』2のp33~にも所収)[下線部は出典での本書の著者によって付記れた傍点]
おそらくこの本のこの一節を読む読者には、この引用の意味がさっぱりわからないのではないでしょうか。著者はこの引用の直前に、フーコーがこの論文において「文学において語られた対象と主体の関係を次のように論じている。」としてこの引用文を転載しているのですが、この引用文は「文学において語られた対象と主体の関係」一般を論じている文章などではないからです。
この引用文は、じつは二つの作品、C.クレビヨンの『心の迷い、気の迷い』と、A.レヴェロニ・サン=シールの『ぽーリスカあるいは現代の倒錯』をとりあげて、そこに描かれた<客体>の意味を対照的に論じた箇所で、それゆえに冒頭が「一方の対象群は」(上記翻訳は「一方の客体群は」としていますが)となっているので、このあとに「これに対してレヴェロニでは、」とクレビヨンの描写における対象とレヴェロニにおける対象の描き方、その意味合いが異なることを対照的に述べているのです。
前者(クレビヨン)の場合は、「客体=状況」ともいうべきもので、客体としての種々の道具や機械類は主体間の関係や動きの場を構成し、それをときにとらえたり、また促し新たな発展に導いたりするアリアドネのような役割をはたす客体であり、後者(レヴェロニ)の客体は、地下、織、機械といったタイプの「客体=形状」ともいうべきもので、ミノタウロスに遭遇せざるを得ない迷宮の片道軌道のごときものなので、主体を「包み込み、抵抗も逃亡も許さ」ず、主体はそれらに捉えられ、その立場を変えられ、「主体の意識は留置され、完全に変質せられる」のです。
だからこの出典における「文学において語られた対象と主体の関係」をフーコーの主体と客体をめぐる考え方として呈示したいなら、彼が対照的なものとして論じたこの二様の「主体と客体の関係」のありようをいずれも取り上げた上で、フーコーがいずれをも並列的に文学における主体と客体の関係の原型的なものとして認めているのか、片方を否定しているのか、あるいはそれぞれをどう評価して自身の「文学における主体と客体関係」をめぐる思考のうちに位置づけているのかをはっきりと述べなければ、この引用には何の意味もありません。
実際、著者は上記引用に示した下線部に原典にはない傍点を加えているですが、これではその傍点による強調の意味がまったく不明です。
引用文の直前に「フーコーは文学の探究をとおして主体と対象の関係を探究している。文学において諸対象は主体間の関係の総体としてあらわれる。」と書き、その直後に上の引用文を引いているのですから、この引用文、とりわけ強調的な傍点をわざわざ加えた部分でそれを語っているのだと誰しも考えるでしょう。
しかし、この引用文は「文学において諸対象は主体間の関係の総体してあらわれる」なんてことは全然語ってはいません。
ここで語られる主体群は主体とは対立するもので、主体をとらえたり、促したり(クレビヨンの作品の場合)、包み込んだり、抵抗も逃亡も許さず出口のない留置所にとらえ、主体を変質させたりする(レヴェロニの作品の場合)ようなものであって、決してそうした客体群(対象群)自体が「主体間の関係の総体」だ、などという、まるで意味するものと意味されるもの、象徴されるものと象徴するものとの関係みたいなものであるなんてことは、全然書かれていません。
しかも、著者が強調の傍点を加えた部分は、客体群(対象群)自体のありよう、意味合いを語っている部分であって、主体間の関係を語っているのでもなければ、もちろん客体が主体関係の総体として現れるなんてことも書いてはありません。単にクレビヨンの作品では描かれる客体群としての道具や機械の類は主体やその主体間のちょっとした関係をとらえ、しばしとどめては、またその動きを促してみせるような「場」としての役割を果たすものにすぎない、という意味のことを述べているだけなのです。
フーコーが文学を語って、フィクシオンなる概念を提示し、これを「語る主体、語る言説、語られる内容の三項関係によって規定されるものと定義」しているとして、『臨床医学の誕生』における現実の「語る主体(医師)」と「語られる対象(病)」の関係は「語られる場」(家庭あるいは病院)によって規定されていたが、「物語の場合、それらは言説のなかで与えられなければならない」として、フーコーの文学論においては、「まなざし」(見ること、感性)もまた言説の内部で与えられるものであると著者は述べています。
ここでは「語る主体(医師)」(➡言うこと、悟性)にあたるのは、物語を「語る主体」であり、「語られる対象(病)」(➡見ること、まなざし、感性)にあたるのが「語られる内容」、さらに医療における「語られる場」は物語そのものの世界ですから、見ることと言うことを結びつける「構想力」に当たる第三項が著者の言う「語る言説」ということになるのでしょう。
「語る言説」という言い方は分かりにくくて、これがフィクシオンを規定する要素の一つとされているけれども、フーコーの「物語の背後にあるもの」(『フーコー・コレクション』2のp288~。竹内信夫訳)を見ると、「ファーブル」(語りの内容)や「エクリチュール」(その語られ方)と区別されている「フィクシオン」(語りの様態)というのが、むしろそれに該当する考える方が理解しやすい思います。
フーコーは「フィクシオン」を説明して次のような例を挙げています。
例えば、語り手が自分の語っている事柄に対してとる位置関係はどうか(語られている出来事の中に参与しているか、それを少し離れた所から見物人のように眺めている、あるいは語られている出来事からは完全に排除されて、それを外部から目撃するだけなのか)、事物を人々を全体的に見渡し、客観的な記述を可能にするような中立的なまなざしが存在しているかいないか、などが語りの様態である。物語全体がただ一人の人物の視点から語られているか、複数の人物の視点が次々と交替しているか、あるいはそのような個別の視点はまったく存在しないか、ということも語りの様態であり、また出来事の全体が事後的に語られているか、あるいはそれらが生起するのと並行して語られているか、等々もやはり語りの様態である。(フーコー「物語の背後にあるもの」p288-289 前掲書)
これはとても分かりやすい説明ですね。強いて言えば「語られ方」と言われているものとの日本語 の区別が分かりにくいはいえ、これは言語を自己表出から辿るときに見えるものを指していると考えてよいでしょう。語る主体の目の視点の位置やその視角と語られる対象との距離から、対象の見え方、語られ方が規定されるわけで、その関係を読み取っているのだと考えればいいでしょう。実際にはフーコーのいう「語り方」(エクリチュール)も、この「語りの様態」(フィクシオン)に含めて考える、あるいは一体のものとして「語り方」と考えればいいと思います。
こうした「語る主体」と「語られる対象」と「語り方」の、そう言いたければ「三項」が物語のような文学言語のうちにあるのは著者の言うとおりですが、少し考えればわかるように、これは私たちが物語の言語を分析的に見ているから、そのように概念を分離して三項などと言っているわけで、実際の言語はこの三つのモメントが切り離せない構造として表出されているから、そこに或る言語表現が成立しているわけで、言語表現の内部でこれを別々のものとして分離できるわけでもなんでもありません。
吉本隆明は『言語にとって美とはなにか』において、言語を自己表出と指示表出という二つのモメントから成る構造とみなしています。著者がしきりに「第三項」として強調したがっている「語り方」は、表現された言語のうちでは「語る主体」と「語られる対象」のアマルガム構造体として現れるほかはないものです。
逆に、言語表現においては、「語る主体」も「語られる対象」も「語り方」として現れるほかはないのです。第三項なんてものは、それを分析的にみたときに現われるにすぎない、そういうものが<ある>と言おうが<ない>と言おうがどっちだっていい、いわば幻のごときものにすぎません。
強いて悟性と感性を媒介するのが構想力だ、という言い方に対応させた言い方をしたいなら、自己表出と指示表出を媒介する構造そのものがその「第三項」であって、それは言語表現を成り立たせる構想力だと言ってもいいのではないでしょうか。したがって、もちろんそれは自己表出や指示表出と並んでそれらとは別に何らかの実体があるようなものではなく、両者の構造としての表出自体を可能とする意識の働きそのものを指している、というべきでしょう。
感性と悟性を媒介するのが構想力である、というふうなカントの言い方をとらえて、なにか感性と悟性と並んで構想力なるものが別途、何かしら実体化された概念として存在し、同じく最初から切り離され、実体化された概念として考えられた感性と悟性を関係づける、といったポンチ絵のようなリジッドなイメージで考えると、人間の認識構造について、とんでもない滑稽な誤解に満ちたイメージを懐くことになるような気がします。
ハイデッガーもその点は『カントの形而上学』でカントの演繹論や図式論を立ち入って解釈する中で繰り返し警告していますが、感性と悟性をカントのように峻別してみせるのはいま述べたように言語における自己表出と指示表出を区別するのと同様に、人間の認識構造を分析的に見て抽象しようとするからであって、そこで取り出された項目は、ちょうど自己表出と指示表出が構造として言語を構成しているように、両者を不可分離な構造としているのが人間の認識構造なので、なにか第三項としての構想力なるものが、最初からこっちとあっちに別のものとして分離してある独立した要素とみなされた感性と悟性に橋を渡す、などというものではないことは肝に銘じておかないと、とんでもなく滑稽な解釈をしてしまうことになるでしょう。
従って、あまり第三項、第三項と言われると、そのたびに眉に唾つけて読まざるを得なくなって、ハラハラします。ましてや、そこに「共通の構造(ある種の経験的計画)」(たとえばp94)なる摩訶不思議な概念を持ち出されたりすると辟易してしまうところがあります。
フーコーは、フィクシオンだのエクリチュールだのファーブルだの、あるいはエピステーメーだの、日本の哲学者がどんな日本語に翻訳していいのやら、と当惑するような新たな意味合いを込めた用語をでっち上げて今度はそれをもとに色々議論を展開していくので、日本の哲学者や解説者はそれに翻弄されて、彼の創り出す概念を自分なりに読み解こうと右往左往することになります。
でも素人がこんなことを言うのも口幅ったいけれど、彼はそんなに変わったことを言っているわけでも何でもなくて、ちょっと大仰な言い方や、もってまわった言い方、あるいはいろんな文学者や思想家の文言を持ち出してペダンチックな言い方をする傾向は少なからずあるようだけれど、そんな厚化粧を取っ払って、私たちの日本語で日常的な思考の言葉に置きなおして考えれば、なんでもない当たり前のことを言っていることが多いように思います。
だから、フーコーの造語を一所懸命たどってみて、当たり前の感覚で、変だな、と思ったら、そこはきっと翻訳なり、自分の理解なりがうまくできていないところであって、何かこれまでの常識的な思考をひっくり返すような、新たな特別な思考が展開されているなどとありがたいもののように思わない方がいいように思います。
To be continued ・・・