2021年08月
2021年08月25日
暑さにへたる鹿

松ヶ崎橋のすぐ下の、川の真中の小さな「島」で、2頭がへたっていました。

後ろ足は水の中につけて涼んでいるんじゃないでしょうか。この子は若い牡鹿ですね。男らしいけどどこか貴公子然とした品の良い、優しい顔つきです。

寄り添っているのは、いつも私が美形と評しているお嬢さんのようです。表情、しぐさが何とも言えず優雅で、ちょっとはにかむようなところもあって、魅力的なおお嬢さん。牡鹿に愛されるのも無理はありません。

もう一頭、少し離れた西岸側の草地で草を食んでいる牝鹿がいました。
天気予報に傘マークや雲に雨のマークがつく日が続きましたが、きょうからは雲とお日様マークの連続で、京都は気温が連日35度から36度にまで上がるそうです。私の体温(平熱35°7′)と同じ科、それより高い気温ということになります。日中もお風呂に入っている感じでしょうか。
きょうの夕餉

茹で豚のニンニク醤油漬け

生姜とミョウガ入り胡瓜もみ

カボチャの煮物

牛すじとタケノコ、蒟蒻、ニンジンの煮物

タラコ豆腐

アスパラboiled

キゴショウ(唐辛子の葉)の炊いたの

レンコンと人参の明太子炒め

サラダ

枝豆
以上でした。
saysei at 20:37|Permalink│Comments(0)│
2021年08月24日
仔鹿もいて・・・

変な天気だったけれど腰痛対策でいつもの自転車行に出ると、馬橋と松ヶ崎橋の中間あたりの川端側の狭い草地で休憩中の鹿をみつけました。耳の大きな、昨年ダンボと呼んでいたやつじゃないかな。

すぐ近くに母子もいました。この顔は段差の滝に6度挑戦してShoheiと名付けた仔鹿でしょう。

もう一頭、角の生えかけた若い牡鹿もそばにいました。

たぶんこの4頭だったと思います。

母子はやっぱりずっと寄り添っていて、ママが仔鹿をなめてやったりしていました。きょうはShohei君、ちょっと疲れているようです。私が見る時は、大抵元気に周囲をひとり跳ね回っているのですが、今日は珍しくぐったり伏せたままです。

きょうは岩倉自動車教習所のあたりで雨が降り始めたので、すぐに引き返しましたが、そのときにはもう鹿たちは対岸へ移っていました。

ところが一頭だけが川を渡って、また川端側の先ほどの草地あたりへ来て、草を食べ始めたので近寄って顔をのぞかせると、

すぐ真上から見下ろす感じだったせいか、驚いて逃げ出しました

けれども、すぐに立ち止まってこちらを見て、私が手を振ると、なんだおまえさんか、と言うように、戻ってきて、一度こうして正面から見ただけで、あとは私が話しかけても口笛を吹いてこっち向かせようとしても、おかまいなしで草を食べるのに夢中でした。

最初は本能的に飛びのいたりするけど、一度安全パイだと確認すると平気なんですね。やっぱり相當賢い動物だし、臆病なくせに結構図々しいところがあるようです。

しきりに石垣の草など食べていましたが・・・

すぐ足元の段差の滝をのぞき込むと・・・

あっという間に跳んで降りました。ほかの3頭から離れて一人でちょっと下(しも)のほうへ行ってみる気になったようです。
今朝は起きたときから、左足の親指の付け根が、まるで骨折でもしたように痛くて、脚を引きずって歩いています。ロキソニンジェルを塗り、ロキソニン湿布を貼って包帯で巻いて固定していますが、なぜこういうことになったのか、眠っている間のことゆえ、全然心当たりがありません。布団に入るまではなんともなかったのに、起きたときは痛みが。
狭いところで寝ているから、寝相が悪くて箪笥に足先を思い切りぶつけたのか(笑)、或いはうつぶせに寝て指に変な力が加わるような形で体重が乗っかってしまっていたのか(?)、それとも寝る前に本当はどこかへぶつけていたのが、そのときは気付かずに時間が経って痛みが生じたのか(ぶつけた記憶などもないのですが)・・・・とにかく突然のことで、歳をとると、世の中いつなにが起きるかわからんなぁ、と閉口しています。
それでも何とかいつものゆったりしたシューズを履いて、自転車を漕ぐ分にはそれほどの痛みもないので、腰痛対策で欠かせない自転車行だけは雨の降らないうちにと出かけたのですが、でもやっぱり降られました。天気の方も全然アテにはなりません。仔鹿さんたちに会えたことだけがせめてもの慰めでした。
きょうはここ数日かかりきりだった、ハイデガーの『カントと形而上学の問題』をやっと最後のページまで読み終わりました。第3章くらいまでの、感性と悟性を媒介するものと言われてきた構想力の基礎づけを超越論的次元で緻密に掘り下げていくあたりは、さすがに迫力満点で、もとのカント先生迄肝心の所へ来て逃げちゃったみたいな批判をしながら、構想力は、感性と悟性という二つの幹の「根」なんだ、という独創的な解釈で基礎づけていくあたりは、多少の強引さはあっても、説得されてしまいそうな力がありました。しかしそこからさらに基礎を掘り下げて、構想力を<根源的な時間>で根拠づけるところまでくると、とうとう行きつくところまで行きついたな、という感じとともに、それが第4章からあれよあれよという間に存在論の方へ行ってしまって、形而上学の基礎を固める論理に収まってしまうところに至ると、さすがにその強引さにはついていけない感じになってきました。
そもそも彼の解釈は逆に、『純粋理性批判』そのものを超越論的な次元を拓いて、形而上学の基礎を固める仕事だとして、「認識論」とみる普通(だと素人の私としては思う)の考え方を繰り返し口を極めてこき下ろしているのですから、それは無理でしょう、と思わないではいられません。カント先生自身が、理性の限界を吟味し、その根拠を明らかにする作業だと言っていたはずで、認識論以外の何物でもないでしょうに、と思ってしまいます。もちろん晩年のカント先生が、超越論哲学へ軸足を移したらしいことは遺稿集や論理学など残された著作、遺稿の類で分かっているらしいから、そこへつながる要素はあるのだろうけれど、後の目で<批判>の時期を見てしまっているような気がして、そこは全然説得されませんでした。もっとも、第四章以下は私には一段と難解でよく分からなかっただけかもしれませんが(笑)
いずれにせよ、若き日のフーコーが『カントの人間学』を、ハイデガーのこの著作をライバル視して、独創的な観点を打ち出したんだと言うことらしいので、やむを得ず読んでみたのですが、構想力の基礎付けあたりまではほんとに説得力があって、折伏されてしまいそうでした。もう一度カントの図式論と第一版の演繹論とをよく読んでみたくなったので、またしばらく回り道で、なかなか本来の従弟の子の新著に戻れません。今年中にはなんとか感想を書いて送らないと、いくら何でも年を越しちゃったらまずいなぁ(そこまで生きているとして・・・笑)、とは思っているので、少しはピッチをあげて読んでいこうと思います。はやく古今集に返りたいし(笑)
saysei at 17:40|Permalink│Comments(0)│
2021年08月16日
大雨のはざま、仔鹿あらわる

雨で増水している高野川。今日は朝方ちょっと降っただけで、だいたい終日曇りだったので、また自転車で出かけると、久しぶりに川鵜が一羽泳いでいるのをみかけました。

見ていると結構飽きさせず、羽で水を叩くようなしぐさをしてみたり、

餌の魚をとらえにもぐってみたり

一羽でも結構目立ち、騒々しい鳥なのです。

庁と泳いだ先の川の真中に岩が突き出していたので、そこへ跳び上がって休憩。しばらく毛づくろいなどしていましたが、そのうちに翼をいっぱいにひろげ、まるで乾かしているみたいに、ずっとそうやって広げたままかなり長い時間岩の上にじっととまっていました。

鵜に注目していたので気づかなかったのですが、ふと見上げると、対岸の草地で仔鹿がまるで川鵜に好奇心を持ってみているように、こっちを見ていました。

たぶん先日6度の段差の滝上りにチャレンジして、私がShoheiと名付けていた仔鹿だと思います。ついさきほどまでは確かに姿が見えなかったので、草の中に隠れていて、出てきたのでしょう。少しの間こうしてこっちを見ていましたが、じきにくるりと身をひるがえして、向こうの叢の中に姿を消し、その後はまったくちらとも姿を見せなくなりました。

仔鹿と川鵜の写真にも写っているのですが、すぐそばの茂みにはもう一頭、多分、仔鹿のママだと思うのですが、身を半分隠しながらしきりに草を食べていて、顔も隠れて見えなかったのですが、これは一度だけ顔を上げたところを撮ったものです。

川鵜はその後、休憩していた岩から低く飛び立って上流の方へ去っていきました。

仔鹿はあれからどうしたでしょうか。少し上流にはこんな段差があって、2段だけど低いので、いつもなら楽勝で仔鹿でもジャンプして行けますが、今日は増水して、水の勢いも強いので、おりていくならともかく、仔鹿が足をとられずに上がって行くのは難しいのではないかと思います。あのまま草の中で眠るのでしょうか。明日からはまたずっと雨また雨の天気予報だから、もっと増水して、へたをすると草地が水に埋もれてしまうおそれもあります。ひとごとながら、いやシカごとながら心配です。
saysei at 21:02|Permalink│Comments(0)│
2021年08月14日
神宮輝夫さん逝く
モーリス・センダックの絵本の邦訳者として広く知られる神宮輝夫さんが亡くなられたとのことです。89歳、間質性肺炎だったそうで、同じ病を抱えている私は妙な所で親近感を覚えてしまいます。
彼はたくさんの絵本や物語を翻訳出版されているようですが、私にとっては何と言ってもセンダックの絵本のすぐれた翻訳者としての神宮輝夫さん。
息子たちが幼いころも、孫が幼いころも、神宮輝夫さんが訳してくれたセンダックの絵本は、つねに無数の絵本の中の絵本、絵本の王様の地位を一度も他に譲ったことのない、絶対的な地位を占めていました。
大学勤めをしている間、よく研究室に出入りしてフレンドリーだった幾人かの学生さんたちが、社会に出てからも、ずっと変わらず付き合ってくれて、やがてよき伴侶をみつけ、ほどなく最初の赤ちゃんが生まれると、さきほど無事生まれました、なんて調子ですぐにLINEで知らせてくれたりするので、自分に何人もの孫ができたように嬉しく、そのつど10冊前後の絵本を選んで贈って来たのですが、そんなときも、神宮輝夫さん訳のセンダックを欠かしたことは一度もありません。
原作のぶっ飛んだ発想と独特のインパクトのある絵はもちろん素晴らしいものでしたが、その絵の世界で発せられる言葉は、きっと子供たちの胸にすっと入って行くような日本語にするには、とても難しいものだったと思います。神宮輝夫さんは、その難しい仕事を見事にやってのけて、センダックの絵と響き合って素晴らしい響きを奏でるような絵本の世界を創り出してくれました。
『かいじゅうたちのいるところ』、『まよなかのだいどころ』『ジョニーのかぞえうた』は特に私のお気に入りだし、センダック―神宮輝夫のコンビによる絵本は、多分書店で手に入る本は片っ端から買って、今もワンセットは、もう思い出のためにだけ残してある居間の本棚に立っているはずです。
絵本は子供たちや孫の幼い頃の思い出や学生さんたちの思い出につながっていて、どの絵本も手にとれば思い出の中の大切な人と過ごした情景の一コマが浮かんで来て、ふっと意識がその世界に飛んでしまって、しばし現実に戻れないことがあります。しかしそれは、束の間のことではあるけれど、限りなく幸せな時間でもあります。
センダック―神宮輝夫の絵本のほか、同じように私を別の世界へすぐに誘ってくれる絵本が何冊もあります。『くいねこのたまご』、『けものとかりうど』、『もものき なしのき プラムの木』、『ぼちぼちいこか』、『もけらもけら』、『100万回生きたねこ』、『空飛ぶライオン』.『はいいろひめさまかぞえうた』.『ネコざかな』,『クッキーサーカス』、『おいしいね』、『グロースターの仕たて屋』、『ちいさなあなたへ』等々・・・
神宮輝夫さんに感謝、そしてご冥福をお祈りします。
彼はたくさんの絵本や物語を翻訳出版されているようですが、私にとっては何と言ってもセンダックの絵本のすぐれた翻訳者としての神宮輝夫さん。
息子たちが幼いころも、孫が幼いころも、神宮輝夫さんが訳してくれたセンダックの絵本は、つねに無数の絵本の中の絵本、絵本の王様の地位を一度も他に譲ったことのない、絶対的な地位を占めていました。
大学勤めをしている間、よく研究室に出入りしてフレンドリーだった幾人かの学生さんたちが、社会に出てからも、ずっと変わらず付き合ってくれて、やがてよき伴侶をみつけ、ほどなく最初の赤ちゃんが生まれると、さきほど無事生まれました、なんて調子ですぐにLINEで知らせてくれたりするので、自分に何人もの孫ができたように嬉しく、そのつど10冊前後の絵本を選んで贈って来たのですが、そんなときも、神宮輝夫さん訳のセンダックを欠かしたことは一度もありません。
原作のぶっ飛んだ発想と独特のインパクトのある絵はもちろん素晴らしいものでしたが、その絵の世界で発せられる言葉は、きっと子供たちの胸にすっと入って行くような日本語にするには、とても難しいものだったと思います。神宮輝夫さんは、その難しい仕事を見事にやってのけて、センダックの絵と響き合って素晴らしい響きを奏でるような絵本の世界を創り出してくれました。
『かいじゅうたちのいるところ』、『まよなかのだいどころ』『ジョニーのかぞえうた』は特に私のお気に入りだし、センダック―神宮輝夫のコンビによる絵本は、多分書店で手に入る本は片っ端から買って、今もワンセットは、もう思い出のためにだけ残してある居間の本棚に立っているはずです。
絵本は子供たちや孫の幼い頃の思い出や学生さんたちの思い出につながっていて、どの絵本も手にとれば思い出の中の大切な人と過ごした情景の一コマが浮かんで来て、ふっと意識がその世界に飛んでしまって、しばし現実に戻れないことがあります。しかしそれは、束の間のことではあるけれど、限りなく幸せな時間でもあります。
センダック―神宮輝夫の絵本のほか、同じように私を別の世界へすぐに誘ってくれる絵本が何冊もあります。『くいねこのたまご』、『けものとかりうど』、『もものき なしのき プラムの木』、『ぼちぼちいこか』、『もけらもけら』、『100万回生きたねこ』、『空飛ぶライオン』.『はいいろひめさまかぞえうた』.『ネコざかな』,『クッキーサーカス』、『おいしいね』、『グロースターの仕たて屋』、『ちいさなあなたへ』等々・・・
神宮輝夫さんに感謝、そしてご冥福をお祈りします。
saysei at 12:52|Permalink│Comments(0)│
2021年08月11日
暑さにうだる鹿、川に入って涼む鹿

今日の自転車行、往きに見たのは、川床の草地で暑さにうだるように、へたっている6頭の鹿でした。

2頭目

3頭目

4頭目

5頭目

6頭目

小一時間ほどして戻ると、そのうち3頭が川のまんなかにできている洲に立っていて、少し涼んでいる様子でしたが、そのうち上流の方へ川の中を歩いていきました。たぶん山へ帰って行くのでしょう。明日から秋雨前線とかの滞留でずっとお天気がよくないようですから。鹿さんたちは天候の変化に敏感なようです。

低い段差の滝ですが、帰り際にジャンプを見せてくれました。

この程度の高さだと後脚で立つと背丈の方がずっと高いから楽勝です。

3頭とも軽々跳んで、堂々と川の真中を上流へと去って行きました。

のこる3頭はどうしたかな、と思っていたら、少し下のほうに1頭、こちらの岸近くの川の中に、例のごとくじっと脚をつけたまま立っていました。きっと足を冷やして体中をめぐる血の温度をさげることで体温を抑えているのでしょうね。

砂地の上に建って、足首までしっかり浸かっています。気持ちよさそうにじっとしています。

対岸で草を食んでいた他の2頭も水の中へ入ってきました。

うち1頭はまだ若い牡鹿でした。彼も気持ちよさそうに水につかっていました。
鹿の群れがこんなに水の中に居る時間が長いのは、今年の特徴のようで、去年もかなり毎日のように見ていましたが、大抵は草地にいて、むしろ水の中に入るのは川を渡る時か、草地から草地へ移動する時だけで、どちらかといえば避ける感じでした。今年のように好んで川の真中を歩いたり、そこでじっと半時間近くも足を浸けて涼んでいる、なんてことはありませんでした。鹿さんたちもよほど暑さに参っているようで、涼をとる良い方法を見いだしたのかもしれません。
きょうの夕餉

カボチャの冷製スープ

ハンバーグのトマト煮、ズッキーニとマッシュルムのニンニク炒め添え

ブルケスタ

サラダ

トウモロコシ

枝豆
以上でした。
saysei at 21:05|Permalink│Comments(0)│