2021年08月
2021年08月31日
高野川~中洲に涼む鹿
きょうは松ヶ崎橋のすぐ下の高野川の川の真中にできた中洲で、夕暮れ時に、5頭が涼んでいました。
若い優しい表情の牡鹿
彼が追っかけしている若い美形の牝鹿
段差の滝登りに6度挑戦した仔鹿Shoheiとママ。よく似た母子ですね(笑)
もう一頭の牝鹿
でもみんな暑そうでした。
この川涼みの光景は、去年は一度も見たことがないと思うので、今年の猛暑で生まれて来た彼らの新しい文化ではないかと思います。文化というのがどうか、というならニホンザルの生態研究の初期に言われた前文化(プレカルチャー)と言ってもいいでしょう。そりゃ彼ら自身がこれは俺たちの文化だ、とその意味を反省的に理解するような超越論的水準で意識しているわけじゃないでしょうから(笑)。
しかし彼らは居心地の良いところをちゃんと知っていて、体を冷やすにも寝そべって心地よく、体温を冷やすのによい場所を確実に選んでいますね。中洲には草もないので、餌を食べに来たわけじゃなく、明らかに身体を冷やしながら休憩できるところで、腹ばいになって心地よい場所を直観的に選んできています。人間はこの辺りでは無害とわかっていて、すぐ近くで見ていても河原へでも下りて行かない限り警戒はしません。そして、彼らがいるのは、いつも人間が河原までは下りていけない場所です。
私が自転車行で戻ってくる小一時間ほどの間に、もう彼らの姿は消えていました。どこか近くの叢で就寝態勢に入ったか、お山へ戻ったか。いったん草深い茂みに姿を隠すと、そよとも動かないので、私にはみつけることができません。彼らは同じメンバーでしばらく現れていますから、きっとどこかこのあたりの叢で寝泊まりしているのだろうと思います。
saysei at 21:10|Permalink│Comments(0)│
「フィールド・オブ・ドリームズ」をまた見る
昨日NHKプレミアムだったか、「フィールド・オブ・ドリームズ」を放映していたので、何度目になるか分からないけれど、また見てしまいました。先日この映画のロケ地に撮影の折に建設された球場で、大リーグ(MLB)初の試合が実際に行われ、ヤンキースとホワイトヘッドが8対8のところホワイトヘッドが逆転サヨナラホームランで勝ったことや、映画の場面さながらに選手たちが球場を囲むトウモロコシ畠から現れたり、映画に主演したケビン・コスナーも来て、ここは天国会?という映画の中のシューレス・ジョーや父親の言葉を言うシーンもニュースで紹介されていました。
あの報道を見て、もう一度見たいな、と思っていたら、タイミングよく放映してくれたのは、きっと視聴者からも要望が多くて、NHKがそれに応えたのではないかという気がします。味なことをするものです。
こんかいまたこの映画を見て、あらためてつくづく感嘆させられたのは、こんなどこにでもありそうな、父と子のちょっとした葛藤で心に生じた傷を抱えて長い年月を過ごした中年男の自己回復の話を、これだけの現実にはありえない、しかし人々が現実であってほしいと強く願うことによって本当に現実になってしまうかのような世界、よくもまあ見事に創り上げたものだ、という、作家と映画作家のすばらしい創造力でした。
ケビン・コスナー演じる主人公は、60年代の若者に広がった自由と旧秩序、旧世代への反抗の精神が素地になった時代の空気に浸り、かといってこれといった夢も持てず、ただ父親に反抗して家を飛び出し、冴えない人生を送って、気づけばアイオアの片田舎でトウモロコシ畑を耕す貧しい農家を営む、妻子持ちの冴えない中年男になっています。
その彼がある時、トウモロコシ畑の中にいて、「つくれば彼がやってくる」という不思議な声を聴きます。繰り返し聞こえるその声の意味は彼にもわかりません。何を作ればなのか、誰が来るというのか・・・その謎がことのはじまりで、少しずつ彼に、そしてみている観客の私たちにもその謎が解き明かされて行きます。その謎解きの為に主人公が動き出し、他者と関わりを持っていくプロセスがこの映画の時間を自然な形で引っ張っていきます。
私たちには当初見えていず、彼自身も気づいていない、物語の始まる以前の、物語発生の核心の所に、若い日の彼と父親との葛藤と、そこで彼が心の傷を負って中年になるいままで、自分でそれと自覚することもなく抱えてきている、という過去があります。そして、そんな若い日の彼を形づくっていた、60年代アメリカの若者の風俗、文化、思想。生き方・・・彼が生きて来た時代の空気、そのときには彼の目にも見えなかっただろう空気が、いまは確かに具体的な色や形を備えて存在していたことが、観客の私たちにも鮮やかに見えてきます。
私のようにその時代を彼と同じように若者として生きた凡庸な者にも、この映画が涙無くして見られないのは、ただストーリーや俳優の演技の卓抜さだけではなく、確かに存在しその中で生きていたのに、自分には見えていなかったあの時代の空気が、たまらない哀切の情を込めて全篇の背後を流れているからです。
彼の良き理解者である妻アニーは、最も明瞭にその空気を体現し、象徴する人物ですが、その描き方は絶妙で、滑稽な人物になりかねない、ギリギリのところで、私たちにとってはこの上なく共感でき、最高に好ましいキャラクターとして踏みとどまっています。そのギリギリの距離感に、この作品を創り出した作家(あるいは映像作家)の、あの時代への絶妙な距離の取り方が示されています。
ストーリーなんか追うより、見て無い人はぜひ見てほしいので、これでやめておきますが、映画を素晴らしいものにしている、いくつも要素の中で、やはりキャスティングのすばらしさに触れないわけにはいかないでしょう。
ケビン・コスナーもとても良かったけれど、妻アニーを演じたエイミー・マディガン、子役のギャビー・ホフマン、それに何と言ってもシューレス・ジョー・ジャクソンを演じて、その存在感だけで他の俳優では絶対ダメだったろうと思わせレイ・リオッタ、それからこの人も亡くなった肉親が生きている家族の強い願望でこの世に現われれば、こういう表情をしているほかはないな、と思わせるような風貌を野球のマスクをとってあらわした父ジョン・キンセラ役のドワイヤー・ブラウン、それから「ヴェラクルス」や「許されざる者」(イーストウッドのではありません)などの西部劇でさんざん見てきて私もファンだった、ドクター・グラハム役のバート・ランカスター、60年代若者文化と切っても切れない関係にあるサリンジャーがモデルの作家テレンス・マンを演じたジェーームズ・アール・ジョーンズと、綺羅星のようなキャスティングです。
私はフィル・アルデン・ロビンソンという映画監督をたぶんこの映画でしか知らないのですが、これ一作で充分でしょう、という感じです。
先ほど俳優名を確認するためにウィキペディアで映画名を検索してその記事を見たら、この作品は米国でアカデミー賞作品賞、脚色賞、作曲賞にノミネートされたそうですが、海外で8つの映画賞にノミネートされ、5つの賞を受けたそうですが、そのうち4つは日本の賞だったそうです。ひょっとしたら日本人好みなのかな(笑)。まぁ野球をやっている国は世界にそう多くないはずだし、これだけ野球が特別なものとして描かれるのは米国くらいかもしれません。
その意味ではアメリカにまだ若者の夢と希望があり、同時にそれゆえ反抗に意味があるとも感じられた60年代を限りない哀切さをもって歌い上げたファンタジーだともいえるし、恐らく批評家的な冷徹な目でアートとして作品を評価すれば、大甘なロマンチスト向きファンタジーということになるところはあるでしょう。
しかし私などは、どんなにプロの批評家が称揚しがちな、社会性やら政治性やらの「問題意識」を孕んだ作品だとしても、ごくありふれた観客の心を動かさない作品を少しもいい作品だと言いう気にはなれないし、ひとに見ろ見ろと熱心に勧める気にもなれません。この映画は、文句なしに何度でも見ることをお勧めします。
あの報道を見て、もう一度見たいな、と思っていたら、タイミングよく放映してくれたのは、きっと視聴者からも要望が多くて、NHKがそれに応えたのではないかという気がします。味なことをするものです。
こんかいまたこの映画を見て、あらためてつくづく感嘆させられたのは、こんなどこにでもありそうな、父と子のちょっとした葛藤で心に生じた傷を抱えて長い年月を過ごした中年男の自己回復の話を、これだけの現実にはありえない、しかし人々が現実であってほしいと強く願うことによって本当に現実になってしまうかのような世界、よくもまあ見事に創り上げたものだ、という、作家と映画作家のすばらしい創造力でした。
ケビン・コスナー演じる主人公は、60年代の若者に広がった自由と旧秩序、旧世代への反抗の精神が素地になった時代の空気に浸り、かといってこれといった夢も持てず、ただ父親に反抗して家を飛び出し、冴えない人生を送って、気づけばアイオアの片田舎でトウモロコシ畑を耕す貧しい農家を営む、妻子持ちの冴えない中年男になっています。
その彼がある時、トウモロコシ畑の中にいて、「つくれば彼がやってくる」という不思議な声を聴きます。繰り返し聞こえるその声の意味は彼にもわかりません。何を作ればなのか、誰が来るというのか・・・その謎がことのはじまりで、少しずつ彼に、そしてみている観客の私たちにもその謎が解き明かされて行きます。その謎解きの為に主人公が動き出し、他者と関わりを持っていくプロセスがこの映画の時間を自然な形で引っ張っていきます。
私たちには当初見えていず、彼自身も気づいていない、物語の始まる以前の、物語発生の核心の所に、若い日の彼と父親との葛藤と、そこで彼が心の傷を負って中年になるいままで、自分でそれと自覚することもなく抱えてきている、という過去があります。そして、そんな若い日の彼を形づくっていた、60年代アメリカの若者の風俗、文化、思想。生き方・・・彼が生きて来た時代の空気、そのときには彼の目にも見えなかっただろう空気が、いまは確かに具体的な色や形を備えて存在していたことが、観客の私たちにも鮮やかに見えてきます。
私のようにその時代を彼と同じように若者として生きた凡庸な者にも、この映画が涙無くして見られないのは、ただストーリーや俳優の演技の卓抜さだけではなく、確かに存在しその中で生きていたのに、自分には見えていなかったあの時代の空気が、たまらない哀切の情を込めて全篇の背後を流れているからです。
彼の良き理解者である妻アニーは、最も明瞭にその空気を体現し、象徴する人物ですが、その描き方は絶妙で、滑稽な人物になりかねない、ギリギリのところで、私たちにとってはこの上なく共感でき、最高に好ましいキャラクターとして踏みとどまっています。そのギリギリの距離感に、この作品を創り出した作家(あるいは映像作家)の、あの時代への絶妙な距離の取り方が示されています。
ストーリーなんか追うより、見て無い人はぜひ見てほしいので、これでやめておきますが、映画を素晴らしいものにしている、いくつも要素の中で、やはりキャスティングのすばらしさに触れないわけにはいかないでしょう。
ケビン・コスナーもとても良かったけれど、妻アニーを演じたエイミー・マディガン、子役のギャビー・ホフマン、それに何と言ってもシューレス・ジョー・ジャクソンを演じて、その存在感だけで他の俳優では絶対ダメだったろうと思わせレイ・リオッタ、それからこの人も亡くなった肉親が生きている家族の強い願望でこの世に現われれば、こういう表情をしているほかはないな、と思わせるような風貌を野球のマスクをとってあらわした父ジョン・キンセラ役のドワイヤー・ブラウン、それから「ヴェラクルス」や「許されざる者」(イーストウッドのではありません)などの西部劇でさんざん見てきて私もファンだった、ドクター・グラハム役のバート・ランカスター、60年代若者文化と切っても切れない関係にあるサリンジャーがモデルの作家テレンス・マンを演じたジェーームズ・アール・ジョーンズと、綺羅星のようなキャスティングです。
私はフィル・アルデン・ロビンソンという映画監督をたぶんこの映画でしか知らないのですが、これ一作で充分でしょう、という感じです。
先ほど俳優名を確認するためにウィキペディアで映画名を検索してその記事を見たら、この作品は米国でアカデミー賞作品賞、脚色賞、作曲賞にノミネートされたそうですが、海外で8つの映画賞にノミネートされ、5つの賞を受けたそうですが、そのうち4つは日本の賞だったそうです。ひょっとしたら日本人好みなのかな(笑)。まぁ野球をやっている国は世界にそう多くないはずだし、これだけ野球が特別なものとして描かれるのは米国くらいかもしれません。
その意味ではアメリカにまだ若者の夢と希望があり、同時にそれゆえ反抗に意味があるとも感じられた60年代を限りない哀切さをもって歌い上げたファンタジーだともいえるし、恐らく批評家的な冷徹な目でアートとして作品を評価すれば、大甘なロマンチスト向きファンタジーということになるところはあるでしょう。
しかし私などは、どんなにプロの批評家が称揚しがちな、社会性やら政治性やらの「問題意識」を孕んだ作品だとしても、ごくありふれた観客の心を動かさない作品を少しもいい作品だと言いう気にはなれないし、ひとに見ろ見ろと熱心に勧める気にもなれません。この映画は、文句なしに何度でも見ることをお勧めします。
saysei at 15:28|Permalink│Comments(0)│
2021年08月28日
韓流ドラマ"Watcher”、シーズン2が楽しみ
今朝スマホで天気予報を見たら、10時で31℃、きょうは23~33℃です、と出ていました。夕方もう日が暮れるころにリハビリ自転車行に出かけたのですが、いつもなら強い陽射しさえなければ、風を切って走っていれば涼しく感じられたのですが、きょうは体が熱を持ってくるような感じで、これは熱中症になりかねないな、と思って行きも帰りも水筒の水を充分に飲んでゆっくりと走りました。
きょうは高野川の鹿さんたちもお休みで、出てきませんでした。草地とちょっとした木陰は会っても、この川は全般に開けていて草地と雖も強い陽射しで、中まで蒸し上げられるでしょうし、陽射しを避けるところがほとんどないので、このところ鹿たちは川の中へ入って脚から体温を下げているようでしたが、さすがにお山の方が涼しいと悟ったのかもしれません。
この高野川には春になると中洲に菜の花が一面に咲くように、上流の色んな野菜の種なども流れ着いて勝手に芽を出したりしているし、鹿たちにとっては美味しい食材に事欠かず、魅力があるからこの季節は毎日のように出てきているのでしょうが、さすがにこう暑いと毛皮を着た鹿さんたちには酷でしょう。
わが家もエアコンが壊れて居間に月賦で特売エアコンを入れたので大いに助かっています。これがなかったら扇風機だけではしのぎにくい暑さ。ただし寝室にはエアコンがないので、タイマー付き扇風機でしのいでいますが、たまにさすがに寝つきの良い私でも、一度夜中や明け方に目覚めて水でも飲むと、それからなかなかもう寝付けないほど寝苦しい暑さです。
痛風の足の親指付け根はだいぶ良くなりましたが、今度は同じ左足の小指の付け根が赤く腫れて相當痛くなってきました。親指の付け根に来た痛みと同質の痛みなので、これも痛風なのでしょう。やれやれ、こうして次々に指の付け根を一本ずつ襲われるのでしょうか。それでも小指の方が、親指よりはまだマシですけど。
親指で思い出しましたが(犯人に親指を切り取られる人が何人も登場するドラマなんで)、楽しみに見ていた韓流ドラマ「Watcher」日本語名はなんだかカッタルイ長いタイトルでしたが、忘れてしまった・・・不正捜査官たちのどったらこったら・・・なぜそんなつまらないタイトルにわざわざ変えるのかよく分かりません。ラストで局長を追い詰めずに取引したチーム長が自分はこれからも、必ずしも法と正義に則って行動するわけじゃない、という意味のことを言うと、若い部下が、私がチーム長を監視します、と言うシーンがあるのだから、単にWatcher≒「監視者」でいいじゃないか、と思いますがね。
このドラマの魅力は、脚本がいいこと、それに主役のハン・ソッキュ(チーム長役)、ソ・ガンジュンン(チームの若い捜査官役)、キム・ヒョンジュ(元検事の女性弁護士役)のトリオが素晴らしいことでしょうか。
ハン・ソッキュは私は「八月のクリスマス」でいいなぁ、と思い、もちろんその後もいろんなドラマで見てきましたが、今回もこの人の好さそうな人が笑うと不気味でコワイほど。いろんな役がこなせる幅の広い役者さんだな、と感心しました。
昨日20回で一応の完結は見たけれど、まだ正義の名のもとに犯罪者を残忍に痛めつけたり殺したりすることを専門とする警察内部の秘密組織の根っこは残っているようだし、警察と張り合う検察の組織も似たような暗部がありそうだし、主人公も不正捜査チームに戻って来たところですから、to be continued ? と疑問符尽きでしたが、韓国での視聴率も上々のようだし、きっと遠からずシーズン2を立ち上げるでしょう。楽しみです。
きょうの夕餉
カレイの煮つけ
大豆入りノッペ汁。こういうのは痛風に良いのだそうです。
もやし、ほしえび、ツナの韓国風卵焼き
鶏の塩麹漬け焼き(麹の味と香りがとても美味しい)とハルマキ
胡瓜、生姜、ミョウガの酢の物
サラダ
オクラ
枝豆
キゴショウつくだにとキムチ各種
以上でした。
きょうは高野川の鹿さんたちもお休みで、出てきませんでした。草地とちょっとした木陰は会っても、この川は全般に開けていて草地と雖も強い陽射しで、中まで蒸し上げられるでしょうし、陽射しを避けるところがほとんどないので、このところ鹿たちは川の中へ入って脚から体温を下げているようでしたが、さすがにお山の方が涼しいと悟ったのかもしれません。
この高野川には春になると中洲に菜の花が一面に咲くように、上流の色んな野菜の種なども流れ着いて勝手に芽を出したりしているし、鹿たちにとっては美味しい食材に事欠かず、魅力があるからこの季節は毎日のように出てきているのでしょうが、さすがにこう暑いと毛皮を着た鹿さんたちには酷でしょう。
わが家もエアコンが壊れて居間に月賦で特売エアコンを入れたので大いに助かっています。これがなかったら扇風機だけではしのぎにくい暑さ。ただし寝室にはエアコンがないので、タイマー付き扇風機でしのいでいますが、たまにさすがに寝つきの良い私でも、一度夜中や明け方に目覚めて水でも飲むと、それからなかなかもう寝付けないほど寝苦しい暑さです。
痛風の足の親指付け根はだいぶ良くなりましたが、今度は同じ左足の小指の付け根が赤く腫れて相當痛くなってきました。親指の付け根に来た痛みと同質の痛みなので、これも痛風なのでしょう。やれやれ、こうして次々に指の付け根を一本ずつ襲われるのでしょうか。それでも小指の方が、親指よりはまだマシですけど。
親指で思い出しましたが(犯人に親指を切り取られる人が何人も登場するドラマなんで)、楽しみに見ていた韓流ドラマ「Watcher」日本語名はなんだかカッタルイ長いタイトルでしたが、忘れてしまった・・・不正捜査官たちのどったらこったら・・・なぜそんなつまらないタイトルにわざわざ変えるのかよく分かりません。ラストで局長を追い詰めずに取引したチーム長が自分はこれからも、必ずしも法と正義に則って行動するわけじゃない、という意味のことを言うと、若い部下が、私がチーム長を監視します、と言うシーンがあるのだから、単にWatcher≒「監視者」でいいじゃないか、と思いますがね。
このドラマの魅力は、脚本がいいこと、それに主役のハン・ソッキュ(チーム長役)、ソ・ガンジュンン(チームの若い捜査官役)、キム・ヒョンジュ(元検事の女性弁護士役)のトリオが素晴らしいことでしょうか。
ハン・ソッキュは私は「八月のクリスマス」でいいなぁ、と思い、もちろんその後もいろんなドラマで見てきましたが、今回もこの人の好さそうな人が笑うと不気味でコワイほど。いろんな役がこなせる幅の広い役者さんだな、と感心しました。
昨日20回で一応の完結は見たけれど、まだ正義の名のもとに犯罪者を残忍に痛めつけたり殺したりすることを専門とする警察内部の秘密組織の根っこは残っているようだし、警察と張り合う検察の組織も似たような暗部がありそうだし、主人公も不正捜査チームに戻って来たところですから、to be continued ? と疑問符尽きでしたが、韓国での視聴率も上々のようだし、きっと遠からずシーズン2を立ち上げるでしょう。楽しみです。
きょうの夕餉
カレイの煮つけ
大豆入りノッペ汁。こういうのは痛風に良いのだそうです。
もやし、ほしえび、ツナの韓国風卵焼き
鶏の塩麹漬け焼き(麹の味と香りがとても美味しい)とハルマキ
胡瓜、生姜、ミョウガの酢の物
サラダ
オクラ
枝豆
キゴショウつくだにとキムチ各種
以上でした。
saysei at 21:12|Permalink│Comments(0)│
2021年08月27日
川の中で遊ぶ
日が沈むころ、5頭の鹿は馬橋をくぐってその少し下(しも)へ。
そこで輪になったりおっかけっこしたり
牡鹿と牝鹿がじゃれあったり
若い牡鹿はオトナの牝鹿に突っかかられてたじたじ
突っかかられて牡鹿の方が逃げ
牝鹿の群れからちょっと疎外され、離れてたたずむ牡鹿のところへ仔鹿のShoheiが近づきます。ちょっと顔を寄せて引き返しただけですが、仲が良いようで、牡鹿は柔和な表情で、親し気に近寄るShoheiに接していました。
私が自転車行で上賀茂へいく、小一時間ほどまえの往きには、まだ日が落ちていなくて暑かったので、Shoheiは松ヶ崎橋のすぐ下の草地で、ぐったりした様子で休んでいました。
その時同時に目撃したのは、もう一頭の仔鹿。こちらはママのお尻にくっついていましたが、じきに草の茂みに姿を隠して見えなくなりました。たぶん前に見た<年少さん>のほうでしょう。Shoheiより一回りは身体も小さく細い感じです。こちらは帰りの川では姿を見ることができませんでした。
Shoheiの方は元気で川の中を歩いたり走ったり、大人たちにまじって遊んでいました。
毛皮を着ているんだから、鹿さんたちも暑くてたまらないのでしょう。水を蹴立てて縦横に走り、体を冷やしているようでした。
この子は5頭とは別に松ヶ崎橋の近くで川端側の石ころだらけの所で草を食べていました。声をかけると、こっちを見ていましたが、物おじする様子もなく私の真下の石垣の草を食べていました。毎日会っているから、無害なお爺さんだ、とわかっているのでしょう。
今日は朝から青空が広がって、猛烈な陽射し。そして日が沈むと、少し夕焼け。明日もお天気なのでしょう。
哲学小僧と並行して、今日から、少し新しい書き物の準備を始めました。20歳の時に書き始めて、これまで数回は本格的に挫折してばかりいた私的な<事業>で、書くぞと言いながら、どうしても書き続けられなくて半世紀(笑)。もうとても間に合いそうになくなってから、またちょっと気を取り直すきっかけなどあって、まあ途中まででもやってみっか、ということに。もう何の縛りもないし、邪魔するものもなければ、追い立てられることもないので、一日一日を楽しみながら。
きょうの夕餉
サワラのムニエル。ネギ、生姜、中華だれ
ジャガイモ、ちくわ、アツアゲ、豆苗の煮物
ホウレンソウのおひたし
チャプチェ
サラダ
五目納豆
モズクきゅうり酢
納豆
以上でした。
saysei at 21:07|Permalink│Comments(0)│
2021年08月26日
川の中で涼む鹿たち
きょうも鹿さんたちは、夕暮れ時、馬橋のすぐ下(しも)の川の中で涼んでいました。川の流れの中で、砂地が盛り上がっていて水が表面すれすれといった、涼むにちょうどよい快適な場所を選んで、おなかをくっつけて涼んでいます。人間でも熱をもつ脇の下あたりを冷やしているのかもしれませんね。真中は私がShoheiと呼んでいる、段差の滝への6度のジャンプを試みた頑張り屋の仔鹿。
最初は右のママらしい牝鹿と2頭で涼んでいたのですが、そこへ左のお姉さんが来て寄り添うように寝そべっていました。やっぱりおなかの接する部分が砂地だと気持ちが良いのでしょうね。
リハビリ自転車行の帰りに見ると、今度は川の真中あたりで、4頭がこうやって同じ下流の方を向いて並んで立っています。4本の脚を水につけてじっとしていることで、血流を冷やして体全体を涼しくしているのでしょうね。この4頭の少し前方に、もう1頭牡鹿がいます。この4頭の中にも1頭牡鹿がいるので、今日の群れには珍しく2頭の若い牡鹿が混じっていました。今年ずっと見てきたのは1頭だけ牡鹿が混じる群れだったのです、今日初めて同時に2頭が混在する群れを見ました。
この5頭とは別に仔鹿もいて、彼(顔つきから判断して勝手に牡鹿だと決めつけています)もこの後、この4頭に合流します。
こんな風に、一番手前のたぶんママである牝鹿に寄り添っています。前列の真中に居る若い女鹿は、恐らく去年生まれの、私が美形だと言っているお嬢さん。美鹿(ミカ)とでも名付けておきましょうか。そういえば親しくしてくれているOGにもミカさんという人がいますが(笑)、人の名の漢字としても美鹿は悪くないと思いますがどうでしょうか。動物の字が入るのは嫌うでしょうか。でも龍馬のような好例もありますしね。
美鹿さんのうっとりするような表情
やっぱり彼女の居る所へ、ハンサムな貴公子が現われました。
仔鹿は首でスリスリして愛情表現をしています
ママにはやっぱり甘えて舐めてもらっていました。さすがにおっぱいはもう追っかけていませんでしたが。
それだけ逞しくなったということでしょうね。もう一頭だけでこうしてみると仔鹿という感じはありません。でもオトナたちと一緒にまじっていると、体が二回りほど小さいからはっきりわかります。二回りというのは、多分去年生まれの美鹿さんも一回り小ぶりだからです。其れよりさらに一回り小さい。
今日は6頭くらいが川の真中で堂々と涼んでいたので、川端通りを散歩する人がみな珍しがって眺めていました。このワンちゃんも不思議なものを見る様に、手すり柵の間から首を突き出して眺めていましたが、賢いワンちゃんと見えて、全然吠えたりしませんでしたから、鹿さんたちも気づいてか気づかないでか、全然気にしてはいませんでした。吠えたりすると、逃げはしませんが、やっぱり警戒してじっと犬の方を見上げたりしていますが、きょうはそんなこともありませんでした。
私がサヨナラをする日暮れ時の様子。段差の滝の間近の川のまんなかへんで、特に移動しようという気配もなく、恐らくは脚をつけているのが気持ちがいいから、自由に立っているだけなのでしょう。
最後に見たシーン。今日はこの近くの草地に泊まるのでしょうか、それともこれから山へ帰って行くのでしょうかね。
曇りでも暑い一日でしたが、夕方日が落ちるころには、自転車で走ると気持ちよい涼しさが感じられました。痛風の左足親指付け根の痛みも昨日よりさらに楽になって、今日は自転車を走らせるのに何の苦痛もありませんでした。西の方角は淡い夕焼けの綺麗な空で、明日も雨にはたたられないようです。
帰宅すると今日は私の記念日なのでパートナーが好物のラムの夕食を用意してくれていました。じきに帰宅した長男からは素敵なカーディガンをプレゼントしてもらいました。ちょっと小寒いときに羽織る薄手のカーディガンが欲しいと思っていたのでありがいプレゼントでした。
卒業してからも親しくつきあってくれていたOG(いまはママ)からもメールをもらって、とても幸せでした。
きょうの夕餉
カボチャの冷製スープ
ローストラム、ポルチーニ茸ソース、ニョッキ添え
生トマトソースかけ冷奴
パンにのせる焼きナスのディップ(茄子、ヨーグルトなどでつくるらしい。とても美味しい)
それを載せるパン
サラダ
枝豆のガーリック炒め
以上でした。
saysei at 21:46|Permalink│Comments(0)│