2021年06月
2021年06月30日
仔鹿跳ぶ!
段差の滝を跳ぶ仔鹿。大人の鹿は背が高く、下をのぞき込むようにして前脚を伸ばせば、届きそうな程度の段差ですが、小鹿にとっては結構高いから、エイヤっと跳ぶしかない。だから跳躍の姿は仔鹿が一番綺麗で、思い切りが良かった。
段差の上で、5頭はずいぶん長時間、降りようかどうしようかと迷っている風でした。おとなの鹿にとっては何でもない段差だと思うのですが、仔鹿のことを考えたのかどうか、向こうの3頭はほとんど同じ位置で立ったまま少なくとも15分以上は動かずにいたと思います。仔鹿とママは行ったり来たり、あきらめて引き返すのかと思うような動きも見せていたのですが、結局向こうの先頭の鹿が最初に跳び下り、2番目はママでした。仔鹿もママに続いてすぐに跳びました。
のぞき込んで、跳ぶ直前。
後ろ足で蹴って跳ぶ瞬間。
無事着地
ママもうれしそう。
今日も跳んだり跳ねたり
ほんとに楽しそうな仔鹿
ママが愛情をこめて舐めてやります
結構長時間丁寧に首から顔にかけて舐めてやっていました。仔鹿も気持ちよさそうに目を閉じてじっと立っています。
終わると、ママありがとう、というように自分の首を延ばしてママの首に巻き付けるようにすり寄席せて甘えていました。
この仔は本当に甘えん坊で、おばちゃまにも近づいて、舐めてもらっていました。
こうしてみるとイッチョ前です。もう、ひとりで川をこちらか向こうへ向こうからこちらへ、自在に渡っておばちゃまやお姉さんのいる所へ行ったり、またママの所へ戻ったりしています。
岸辺を走り、
川の中を走り、
また向こう岸へ駆けていきます。
こうしてみるとジャコメッティの絵のように痩せぽっちでひょろりとしています
でもほんとに可愛い
毎日でも見ていて飽きません
ママ以外のおばちゃま、お姉さんたち
同前
失礼しました。1頭はお兄ちゃんでした。角がはえかけた牡鹿ですね。
おとなは、こうして伸びあがっていると、とても背が高い。石垣の3分の2位迄届く感じですね。上の方から生え下っているおいしい葉っぱを食べているようで、しきりに後ろ足で立ちあがって背伸びして食べていました。これは仔鹿のママさんです。
今日は帰りのルートを確かめてやろうと思って、ほとんど日暮れ近くまで見ていましたが、最後はママとこちら(川端側)の岸へ渡ってきて、まずママが石垣のすぐ下の草深い茂みに身を隠し、仔鹿はその数メートル離れた、水際の小さな草むらに潜り込んで、ちょっと頭隠して尻隠さずみたいに、白い斑点のある腰のあたりが川端からのぞき込むと丸見えの感じですが、とにかく自分では身を隠したつもりで蹲って動かなくなりました。
こんなところで寝るのかなぁ、そのうちまた動きだして帰って行くのじゃないかな、と思いましたが、こちらも少し自転車を漕いで距離をかせいでおかないと、また腰痛を起こしかねないので、上賀茂神社まで往復して、帰りに、もういないかも、と思いながら午後7時過ぎに同じ場所を覗いてみたら、先ほどと全く変わらない位置で、そのままの姿で見えていました。どうやらぐっすり眠りこんでいるようでした。こんなところで夜を明かすのですね。でも仔鹿が眠る草むらは、すぐ1メートルほど先まで川の水が来ていて、今夜雨が降ったら水嵩が増えて危ないんじゃないか、とちょっと心配でした。でもまぁ去年大水のとき孤立した亡くなった仔鹿の時とは違って、ママがそばについているから、ママがなんとか逃がしてくれるでしょう。
今日の夕餉
鶏の手羽元と大根、ニンジン、タマネギ、ジャガイモのスープ煮
黒メバルの煮つけ
肉巻き3種。アスパラ、サンドマメ、オクラ
茄子と隠元の粒山椒胡麻和え
サラダ
モズク酢
ぬかづけ
大根のキムチ
枝豆。以上でした。
2021年06月28日
3+2=5頭
自転車行の往きに見た3頭。みな若いですね。たぶん牝だけ。
少し離れていたもう一頭。これは写真で見るとはえかけた角の突起があるようにも見えるし、若い牡鹿だったかもしれません。
帰りは松ヶ崎橋に近い草地に3頭、それより南の馬橋の上に2頭いました。
3頭のうちの2頭はすぐそばに伏せて休憩中。
もぅ一頭は少し離れた同じ緑地の石垣の傍で休憩中。
南の方の草地の2頭のうち1頭はまだ草を食べていました。比較的若い牝鹿。
もう一頭は丈の高いふさふさした草の中にすっぽり埋もれて、頭だけ見せていました。これはさきほどの牡鹿のようです。
そういうわけで、往きに見た4頭が、帰りに見た中にすべて含まれているとすれば、全部で5頭いたことになります。往きに見たときは1頭が草に隠れていて見過ごしたか、あとで合流したのでしょう。昨日見た乳飲み子の仔鹿はみあたりませんでした。きっと、毎日連れてくるのは、親の方が結構大変だから、何日かに一度にしているのでしょうね。
自転車行の折り返し点、上賀茂神社は、昨日は手作り市の賑わいを見せていましたが、きょうはまたいつもの静かな境内に戻って、出合う人も2人、3人、といったところでした。コゲラの姿は、あれから一度も見ることができません。
今日の夕餉
焼きナスと豆腐のだしかけ
マグロのやまかけ
ジャガイモ、あつあげ、ちくわ、サンドマメの煮物
砂肝と葱、ニンニクの塩炒め
胡瓜もみ
サラダ
とうもろこし
以上でした。
2021年06月27日
仔鹿は生きていた!
先日、滝がのぼれなくて、母鹿に置き去りにされて、ひとり河原の草むらに身をひそめ、どうなることかと心配していた仔鹿が、きょう4日ぶりに現われました。今日は叔母さん鹿は離れて下流へ行ってしまいましたが、母鹿はずっとそばについていました。
まだおっぱいが恋しいお年頃です。
お母さんはもう乳離れしなさい、とばかり邪険にしますが、なかなか忘れられません。
でも母鹿もこうして仔鹿の首筋を丁寧に舐めてやったりして、可愛がっています。
もう仔鹿は草もよく食べているので、乳離れできる年ごろなのでしょう。と言っても、今春生まれの仔に違いないから、まだせいぜい生後3か月くらいじゃないんでしょうか。
でも、こうしてみると、もう一人前の娘さん(だと思いますが)のようです。スタイルがいいですね。
対岸の私に気づいてこちらを見る仔鹿。
水辺の仔鹿。
目のあたりがかゆい・・・
こちらへギャロップ。
よく遊ぶ子です。少しだけママから離れて草むらでジャンプし、左へ右へと駆け出します。
跳ねまわる姿がとても可愛い。
駆けるというより、跳ねるって感じですね。まだ重量感がないから、身が軽い。
草むらに飛び込んでは、また跳ねる。
今度は水際に近い草地を左から右へ。
結構速くて、全力疾走だと宙を跳んでいく感じ。
母子は2頭だけでいましたが、数十メートル下に1頭だけで草を食んでいたのが、先日母子と一緒にいた叔母さんかお姉さんでしょう。彼女は一人で川へ入って、橋の下をくぐって下流の方へ行ってしまいました。
その後、私は上賀茂神社まで自転車を走らせて、きょうのリハビリをしてきたのですが、帰りに見ると、どこにも母子の姿はなく、かわりに若いこの3頭の鹿と、もう1頭少し年増の鹿が草を食んでいました。あの滝は越えられないと思うので、きっと仔鹿もいけるルールがあるのでしょうね。次の機会には追っかけて見たいと思います。
これが最後の一頭。
2021年06月26日
8頭の鹿~きょうの高野川
馬橋の少し上の対岸草地に2頭
もうひとつ上の川端沿いの緑地にいた6頭のうち4頭
近くにいた別の2頭
ランダムにその表情をご紹介
みんな賢そうな顔しています。
このメンバーで賢鹿内閣を作って、現内閣と交代できるのではないか(笑)
親子兄弟姉妹の集団だからか、互いによく似ています。
半分舌を出して笑っているようにも見えます。
これは若い牡鹿です。優しい目をしていますね。
今日は雨の降る前で、みな一所懸命草を食んでいました。
川端の歩道からのぞき込んでスマホを構えている女性が、犬を連れていたせいか、しきりにそちらを見上げて警戒していました。なにかあれば次の瞬間にはさっと身をひるがえして走り出しますが、今日は再びおとなしく草を食べはじめていました。わりあい人も、人が連れた犬も見慣れて居るので、やたらビクビクしたりはせず、すぐ近くで草を食べています。
私などはすっかり舐められていて、手すりをたたいて音を断てたりすると、チラッと顔を上げるけれど、あぁ、あいつか、って感じで、こちらがカメラをかまえてシャッターを切る前に、すぐ下を向いて草を食べ始めてしまうことがたびたびです。
今日の夕餉
揚げ出し豆腐
鮎の山椒煮
ホウレンソウの煮びたし
キュウリもみ
若狭の一夜干しのキス
春巻き
野菜の素揚げ
野菜サラダ
ぬか漬け
以上でした。
フーコー論を読みながら~その5
(以下は松野充貴著『ミシェル・フーコーの歴史的「批判」~カントと対話するフーコー~』(名古屋市立大学人間文化研究叢書⑧ ミネルヴァ書房 2021)についての哲学には素人の<手ぶら読み>極私的読書メモです。記事中「本書」などとしているのは同書を指します。また、引用は特記しない限り同書の引用です。)
ようやく第1章第2節の二つ目以降、エピステモロジーがどうカントの<批判>をフーコーへと仲立ちしたかについて書かれた部分に入ります。
エピステモロジーというカタカナ言葉はなじみがないけれど、バシュラールは学生時代から翻訳が出ていて、一つ二つ手に取って拾い読みした覚えがあります。しかし、この人はいったい科学(史)が論じたいのか詩的なエッセイが書きたいのか、実際の科学に何か貢献するような認識について創造的な議論がしたいのか、それともこれまで科学が成し遂げて来た自然認識のあり方を跡付け、意味付けて、そこに何か哲学的な意味を見いだしたいのか、科学好きの哲学者なのか哲学好きの科学者なのか、いずれにせよ中途半端な思想家のようだな、という印象を懐いた記憶があります。
当時は湯川秀樹のノーベル賞受賞で活気づいた日本の理論物理学者たちの中で武谷光男のように科学論、技術論を展開する人がいて、彼に対立する哲学者は全く分が悪く、理学系の学生だった私たちから見ても、科学を認識論の立場から哲学的観点で扱うような人たちは、みな科学者が成し遂げてきた成果を単に欧米の借り物の哲学用語で自己流にあれこれあとづけで解釈しているにすぎず、お話にならなかったと思います。
武谷さんのいわゆる三段階説も一種の認識論であり、哲学には違いないけれども、彼自身が理論物理学者として、湯川さんや坂田昌一ら第一線の理論物理学者と実際に当時ようやく広大な領域が目の前に開かれようとしていた素粒子物理学の最前線で自然の構造の究明に取り組んでいる人だったし、その過程で、実践的な指針が必要だと痛切に感じて、いま取り組むべき課題を導きだし、その仮説の有効性を彼と同様に自然の究明にあたる研究者たちとの議論の中で検証してきたものです。
従って、それは、いわゆる哲学者や科学思想史家が、理論物理学者たちが探究の成果を記した論文などを読んで、自分の頭の中の「ア・プリオリな」認識の諸条件なるものにあてはめて解釈し、机上でひねり出した「理論」なんてものと比較すべきものではなかったのです。
今回本書で触れられているエピステモロジーの簡単な紹介、引用を一読しても、その議論は学生時代の私が抱いた印象よりは精密であったようだけれど、所詮は科学の成果を出汁にしておのれを語る類のものでしかないのではないか、という印象は当時とあまり変わりませんでした。著者が触れているカンギレムやバシュラールの書いたものは私の学生時代にはすでに公刊されていたでしょうから、それはいま読んでも同じ印象なのは当然かもしれません。
ただ、科学の観点からはいかがわしいものであっても、カント→エピステモロジー→フーコーという、著者の言う<批判>の継承の系譜をたどる、という意味では、エピステモロジーに著者の書いているような仲立ちとしての役割があったことまで直ちに否定するわけではないので、これらの項目に書かれたことの当否はまた別の問題でしょう。
著者は、ブラウンシュタインの定義を借りて、エピステモロジーを次のように定義するとしています。
①
科学についての反省であること
②
その反省が歴史的であること
③
その反省がカント的意味で批判的であること
④
合理性の歴史であること
このうち、①や②は、べつだんエピステモロジーなどというカタカナ語を使わなくても、科学者自身が科学の実践の中で自らやってきたことです。
③は哲学の方に引き寄せているので、解釈次第ですが、カントの<批判>が理性みずからがその限界を探求し、その根拠を問う、ということであるなら、つまり科学的な認識がその認識自体の根拠を問い、限界を問うということであるなら、これも科学者自身が科学的実践の中で常にやっていることです。
だからこそ、科学者が科学者として発言する場合には、実験結果に整合性があり、他の科学者がやっても同じ結果が出る再現性があり、認識した結果の適用範囲はその認識の結果の記述自体に含まれ、それ自体が認識の限界を区切るものであるような言語しか用いないし、その範囲を超えたことは科学の埒外であることを自明としています。
⑤については、本書では「合理性」という言葉を、合理論か実在論かという哲学ムラでの村内「対立」を踏まえた言葉として使っているので、そういう区別は科学の実践とは無縁な哲学者の観念的な区分に過ぎない、というほかはないものですが、エピステモロジーなるものが、哲学ムラで言う合理論の系譜に属し、合理性の歴史として科学史を見たい、というのであれば、あぁそうですか、というほかはないでしょう。
本書でエピステモロジーなるものがどういうものだと理解されているかを、一番簡単に示すとすれば、著者がカンギレムの「科学史・科学哲学研究」(1963年)などを参照しながら、次のように述べているところでしょうか。
エピステモロジーは科学的著作において展開される真理を語る言説を自らの研究対象とし、その言説の分析をとおして真理が真理とみなされるための諸条件を明らかにすることを目指している。(p7)
科学者は自然を、つまり物資的対象を扱うけれども、エピステモロジーの探究者はそうやって科学者たちが科学的方法によって明らかにした自然に関する言説、つまり記述された言葉を扱い、それを分析して、なぜそれが真理と見なされているのか(見なされるに至ったのか)、つまりその科学的認識の根拠を明らかにしよう、ということのようです。
これは別段エピステモロジーの研究者の専売特許ではなく、すべての科学者が科学的実践と同時にその内部で、日常的に多かれ少なかれやっていることです。
科学者は、自然に働きかけて得た結果をその働きかけ方も含めて、それ自身の方法的限界と適用範囲を明確にし、厳密にその範囲での真理として提示するので、そうでなければ彼は自然に触発されて自由に空想を羽ばたかせる空想家か、さもなければ「哲学者」でしかないでしょう(笑)。
エピステモロジーなんてカタカナ語をつかわなくても、普通に科学史家と言えばいいと思いますが、科学史家に役割があるとすれば、そうした個別の科学者の、認識の限界と根拠を問う日常的な営為にみられる、その認識条件が、その時代、その社会に一定の共通した構造を備えている、といったことを、より巨視的な視点で見出したり、その大きな転換点がどこにあるかを明らかにしたり、といったことなのでしょう。そのこと自体を大げさに考える必要は全くないように思います。
エピステモロジーなんてものを議論するとき、とても可笑しく思えるのは、科学的認識の限界や根拠を問うということが、あたかもその種の科学史家が初めてやってのけたかのように大仰に語られることです。そんなことは個々の科学者が科学者としての日常的な探究の中で常時やっていることであって、最初にまずそのことを明らかにし、そのベースの上に、科学史家が何を付け加えるのかを明らかにしなければ、まるで科学史家の「発見」が初めて科学の限界や根拠を問い、それが科学をリードしたかのような、まったく滑稽な倒錯に陥ってしまうのは必定です。
たとえば、著者がエピステモロジーの代表選手として取り上げているバシュラールは、次のように苦々しい口調でぼやいています。
事実、科学者たちは形而上学的な準備を無益であると判断する。かれらは、実験的な諸科学を研究する場合には実験の教えるところを、数学的な諸科学を研究する場合には合理的な明証性を持った原理を真っ先に受け容れる、と広言している。かれらにとっては、哲学の時間は、実際の研究が終わったときに訪れるのである。科学哲学というものを科学的思考の一般的帰結の総和、重要な事実の蒐集、とかれらは考えている。(バシュラール『否定の否定』p10 中村雄二郎・遠山博雄訳、白水社 1958)
しかし、科学者たちがそういう態度をとるのは当然なのです。実際、バシュラールがやっていることも、「一般的帰結の総和、重要な事実の蒐集」であり、科学者たちの「実際の研究が終わったとき」に書かれた形而上学にほかならないのではないでしょうか。
哲学者ならともかく、科学者たちは、こんなお説をいくら承っても、実際の科学の探究には何の役にも立たないことを経験的によくわかっているはずです。
日本のエピステモローグたちは、フランスの横文字言葉を輸入して国内市場向けに解釈し。披露してみせているようだけれど、実際に例えば日本の現在の理論物理学者たちが取り組んでいる研究に向き合って「その言説の分析をとおして真理が真理とみなされるための諸条件を明らかに」するような仕事をしているのでしょうか。
或いは、理論物理学者と一緒に先端的な課題に取り組み、その探究の指針となるような「理論」や「仮説」を生み出しているような人が一人でもあるのでしょうか。さらに言えば、そのエピステモロジーの仕事が、最前線の理論物理学者の科学の探究に大いに役立った、指針となった、と理論物理学者たちから感謝されるようなことが一度でもあったのでしょうか。
おまえのいうようなのはエピステモロジーじゃない。エピステモロジーは実際の科学の探究とはかかわりない次元で自己完結する哲学的思考なんだ、というのであれば何をかいわんや。そういう国内市場をあてにした知的閉鎖社会の中だけで流通する「哲学」に、これ以上言葉を費やす必要はないでしょう。
もし武谷光男が今生きていたら、きっともう一度「哲学はいかにして有効性をとりもどせるか」を書かざるを得ないと思うのではないでしょうか。そして、何の訳にも立たない和製エピステモロジーなどあてにせずに、三段階説に相当するような新たな「理論」なり「仮説」を生み出そうとしたのではないかと思います。
しかし、ここでは別段エピステモロジーなるものを批判したり否定したりしたいわけではないので、それを著者がどうとらえ、それがカントの<批判>を継承するに際して、フーコーがどう活用した、と著者が理解したかを見ておきましょう、というだけの話です。
その点についての著者の考えは、次の一節に端的に表現されています。
エピステモロジーはカントと同じように主体の認識の条件が認識対象を規定すると考えるのだが、認識の条件は主体が有する認識能力にあるのではなく、主体に外在する知の条件のなかに存在すると考えるのだ。(p11)
カントの場合は、「超-時間的、超-空間的な、普遍的な認識の可能性の条件を探求するもの」であり、その条件というのは、主体の認識能力、時間や空間という主観の側に備わった諸条件だった。しかしエピステモロジーにとっての認識の条件は、主体の外部にある「理論」であり、「科学的対象は理論という格子をとおしてしか対象化されえず、認識された対象は理論によって規定されるもの」(p10-11)だというのです。
私は認識は主観の能力にも左右されると思いますが(笑)、それはどこへやら吹っ飛んでしまいました。本書がここで見ているのは認識の構造全体というよりは、もっぱら、このエピステモロジーなるものが言うところの、認識対象を規定する、外在的な認識の条件だけのようです。
それはそれとして、ここで言われている外在的な認識の条件とされるものは、別段とりたてて言われるようなものでもなく、エピスモローグ(そういう言葉があるのかどうか知りませんが)たちが「発見」したものでもなんでもありません。要は現在までに、その社会で形成されてきた科学の「理論」であり、個別的な科学の探究の中で言えば「仮説」にあたるものを指しているようです。
著者は社会学にエピステモロジーを移入したと言われているらしいブルデューなる人物の次のようなインタビューでの発言を引用しています。
この伝統は対象の構成をもっとも重視するという共通基盤をもっています。根本的な科学活動、これは対象の構成です。仮説なしに、(対象を)構成する諸手段なしに、現実に向かうことはできません。(p9 もとの出典は『社会学者のメチエ』)
何のことはない、エピステモローグたちのいう認識条件、バシュラールが科学的対象は「全身に理論的刻印を帯びた現象」と大仰に言う「理論」とは、科学者が実験などに携わる時に用意する<仮説>にすぎないのです。
対象を見る時、その科学者の頭を支配している理論なり仮説なりに、対象像の形成が影響されることは当然ですが、それが「根本的な科学活動、これは対象の構成です」などというたわ言を許すものではありません。
これは本書のあとの方でも登場する言い方ですが、「ある科学的言説は以前の科学的言説から生じる」(p12)というのは、科学者なら例外なく即座に否定するでしょう。もちろん正しくは、「ある科学的言説は以前の科学的言説を踏まえた、科学的探究の実践の結果から生ずる」であることは自明でしょう。
科学の実践に携わったことのない哲学者は、抽象的な言葉をもてあそぶ趣味が嵩じて、科学を論じても、肝心の自然と向き合う科学という活動の本質を忘れて、その結果積み重なっていく科学的言説の系譜を、言説の自動更新の系譜であるかのように見なしてしまうようです。
同じく著者が引用している、セールの言葉を再掲してみましょう。
歴史と体系、生成と規範の間を絶えず調停することは、発展を連続的な再構成として考えることによってのみ可能である。このようにして、共時的な諸真理は通時的な諸真理と絡みあって、緊密な網目を織りあげる。ある時点で与えられているア・プリオリは、明日になれば、おのれを基礎づけるア・プリオリを指示する。(p12. もとの出典は『ヘルメスⅠ コミュニケーション』)
これは、科学史から肝心の科学を抜き取ってしまい、その痕跡として残された言説だけをつないで系譜図をつくり上げ、そこに「生成と規範」の葛藤と調停、「発展の連続的な再構成」を見る、とても奇妙な抽象です。
或る意味で、それは現実の歴史の総体から現実的な社会関係を捨象してしまい、各時代の共同性における人間のありようを数珠つなぎにつないで、これを「精神」なるものの「発展」とみなし、その「その連続的な再構成」を考えたヘーゲルに倣った考え方なのかもしれません。
人類の歴史も、いわゆる上部構造、個々の人間の振る舞いや関係性を捨象して、生産関係と生産力のありようだけを見ていけば、それぞれの時代を画する「発展段階」が見られ、それを「連続的な再構成」の過程とみなす唯物史観なるものを唱えることは可能でしょう。
また逆に、そうした下部構造的なものを退けて、歴史をセールの言うような「生成と規範」の矛盾とその超克の面でだけ切り取れば、共同幻想(共同的な規範)の「発展」の「連続的な再構成」のプロセスと見ることもできるでしょう。
さらに、具体的な言語活動をも、その共同的な規範の面からではなく、それをその都度突き破って行く個々の表現とみなし、その突き破る瞬間の表現を系譜として数珠つなぎにしていけば、その都度共同規範を突破し、かつ再構成していく自己表出史としての「連続的な再構成」の歴史を描き出すことができるでしょう。
したがって、エピステモロジー的な認識はどの分野でも現代の流行であって、別段エピステモローグが初めて拓いた領分でもなんでもなく、大仰に扱うのは滑稽ですが、ここではとりあえずそうした科学史上の各時代、社会の共同規範が、個々の科学の営みに、対象認識のあり方に影響を与えた、という当たり前の誰もが知ることを、エピステモロジーが大げさに強調してみせたということを確認しておけばいいでしょう。
それはもちろん、認識が認識の限界や根拠を問うことの一つのありようですから、カント的な<批判>を継承するものと言っていいでしょうし、カントが認識条件とした主体に備わった能力に代わって、科学者が新たな認識のベースとして使い、あるいは無意識に前提とする、主体にとっては外在的な「理論」、「仮説」が、その科学者の活動にとっては、その認識を可能にする条件になる、ということも、そう言いたければ言えるでしょう。
本書ではそのような認識条件が、「ア・プリオリ」なものであるという点、そして「超越論的な水準」にある点ではカントと同じであり、ただカントの認識条件(認識を可能とする条件)は主体の能力であるという内在的なものとされたのに対して、エピステモロジーでは、主体にとって外在的な「理論」や「仮説」とされた点が異なる、としているのです。
ここで著者のいう「ア・プリオリ」とか「超越論的」というのは、カントの翻訳語をそのまま借りて、概念を操作しているだけなので、著者自身がその用語にどんな形象的表象を与えているのかはよくわかりません。
「ア・プリオリ」を文字通り、経験に先立つものという意味に受け取れば、一体ここで言われているのは、どんな「経験」のことなのか、個々の科学者が個々の探究の場面で意識的・無意識的に頭の中に宿している「理論」や「仮説」は、その時点の彼にとっては、いま行っている科学的探究の活動という<経験>に先立って頭脳に宿っているものですから、「経験に先立つ」(ア・プリオリな)もの、ということになるのでしょうか。
あるいは、そうした個別的な経験に先立つ、という意味ではなく、その時代、その社会に固有の、従って特定の個別の科学者ではなく、その時代の科学者一般に共有された思考の枠組みとして、いずれの科学者の個々の経験にも先立つもの、という意味で語られているのでしょうか。クーンの「パラダイム」だとか、構造主義者の「構造」、あるいはフーコーの「エピステーメー」のような概念を念頭に置いているのかどうか。
「理論」とか「仮説」と言われ、経験に先立つ(ア・プリオリ)と言われている概念の、使われているコンテクストが明確にされないまま、何か超越的な概念のようにこれらの言葉が使われているために、こうした初歩的な疑問を生じる余地のある、曖昧な記述になっているように思えます。
先に掲げた、著者が引用していたブルデューのような言い方をすれば、科学者が自分の科学の探究の際に前提とする「仮説」なり「理論」なりが、科学者の主観にとって外在的な知の条件であり、カントが認識の条件とした主観の側の認識の諸形式(認識能力)に代わるエピステモロジーの<批判>が問題にするものなのだとすれば、それはほんとうに著者の言うように「ア・プリオリ」で「超越論的な水準」にあるものでしょうか。
科学者が日ごろの科学の探究において設定する「仮説」なり「理論」は、たしかにそれまでのその分野での科学的探究の成果が作り出してきた既定の「理論」という意味では、現在時点で最先端の探究に取り組む科学者にとっては既成の理論であり、彼自身の「経験に先立つ」ものかもしれないけれど、一方で彼の実験なり観察なりに向かう時に武器となる「仮説」は、そうした既存の「理論」を踏まえながら、もう一歩踏み込んで、それを超えようとする新たな「理論」であって、なんら「経験に先立つ」ものではなく、むしろ新たな経験の創造そのものなので、総体として見れば、一人の科学者がその探究の限界を問い、その根拠を吟味する時に問われるものが「ア・プリオリ」なもの、ということはできないでしょう。
また、これが「超越論的な水準」にある、というのも疑問です。自然認識それ自体ではなく、その認識の限界を問い、根拠を吟味する理性の働きそのものを「超越論的」というのであれば(カントはそう言っているのだと思いますが)、ここで主観にとって外在的な「理論」や「仮説」が、カントのいう認識の根拠をなす人間の認識の諸形式、認識の能力に相当する、その根拠なのだ、とすれば、その「理論」なり「仮説」なりを問うことを「超越論的」と呼んでもいいでしょう。
しかし、これはとても奇妙な表現です。ここでいうその「理論」とか「仮説」というのは、単にどんな科学者でも多かれ少なかれ日常的な科学的探究の実践の中で用いている、個々の場面での自然認識そのもののコンテンツを成す「理論」や「仮説」に外なりません。
従って、それは経験的なものに由来し、それ自体が経験的なものであり、またそれを問われて吟味するのも、実際の探究における自然認識の実践がもたらす経験と引き比べて正しかったかどうか、と問われるのであって、そこになんら経験的なものを超える要素も無ければ、経験とは別の次元を要求するプロセスでもありません。
哲学的な用語で、認識そのものと、理性の自己関係的(自己言及的)な内省で明らかになる認識の根拠とは、理性の働きとして別の次元(メタレベル)のもの、と考えられるかもしれませんが、科学においてその認識が正しい(真理である)かどうかを検証することと、その認識の限界と根拠を吟味、検証することとは別のことではないでしょう。
それは人間の主観(認識構造)の内部で完結できることではなく、あくまでも対象的自然との関わりにおいて、その主観の条件と外在的な理論なり仮説なりをもって対象に働きかけ、その結果を検証する繰り返しの実践の中で検証されることであって、対象とのこの関わりが科学の実践的認識の過程そのものなので、これをすっぽかして、主観の側の諸条件だのその主観が採用する外在的な理論なり仮説といったものだけを問うても、科学者が認める真理の検証にも吟味にもならないことは明らかです。
それは当然のことであって、フーコーが『言葉と物』で説いていたように、カントが成し遂げたことは、先験的-超越論的領域を拓くことによって、同時にそのこと自体の帰結として、他方に、生物学やら経済学やら言語学のような経験的諸科学を拓いたということであって、それら経験的諸科学が指示する有限性から出発して、超越的な<人間>の概念がつくりだされた、ということなので、その経験的諸科学の有限性の内部でいくら探してみても、「超越論的なもの」が見つかるはずもなく、カントは超越論的なものと、経験的なものを峻別していたはずでした。
したがって、著者が、エピステモロジーは、カントの<批判>を受け継ぎながら、認識の根拠を人間の主観の側の能力(認識の諸形式)に求めるのではなく、主観にとって外在的な「理論」に求めたとし、その「理論」は「ア・プリオリ」なものであり、「先験的水準」にある、と性格づけて見せる時、疑問を生じざるを得ません。
あとの方で、著者は、この「理論」にあたるものとして、ユークリッド幾何学を事例に持ち出しています。
周知のとおり、『純粋理性批判』の重要な根拠の一つはユークリッド幾何学が約2000年ものあいだ不動であったことである。すなわち、ユークリッド幾何学は思考の規範であり、別の仕方で思考することは容認されえなかった。しかし、幾何学はユークリッド幾何学からリーマン幾何学に代表される非ユークリッド幾何学へと発展した。歴史のなかで新たなア・プリオリが生成されたのである。「ア・プリオリなものが歴史のなかで生成される」、これはエピステモロジーが創出した最も重要な観念の一つであり、エピステモロジーを特徴づけるものである。(p12)
ようやくここで認識の限界や根拠を問うという場合の、問われる根拠の形象的表象として、言い換えれば「理論」の実例として、「ユークリッド幾何学」と「非ユークリッド幾何学」が与えられました。そうすると、これまで著者が引用したブルデューの言葉によって、私などがイメージしてきた、科学者がそのつど探究の糧とする、それぞれの分野での具体的な「理論」や「仮説」とはずいぶん違ってくるような印象があります。
まず時間の尺度として、個々の科学者が使う「理論」や「仮説」あるいは、ある時代の科学が頼りにする「理論」などとは違って、およそ1000年以上も変わらずに人びとの頭脳を支配してきた「ユークリッド幾何学」のようなものを指しているとすれば、そういうものでなければ、この概念には該当しないのでしょうか?少なくとも著者が引用したブルデューはそうは考えていないようですが。
また、事例として数学を挙げるのは、何か不自然な印象があります。これは、物理学や化学や生物学や地質学等々における「理論」では具合が悪かったのでしょうか?数学は、私の理解する限りは、カントにおいても、経験的な諸科学としては考えられておらず、論理学と同様に、内容をもたない形式的なもので、それを支配する規則は「ア・プリオリ」なもので、「超越論的」な次元に属すると見なされていたと思います。
著者はエピステモロジーにおいて主観にとって外在的なものであり、歴史的に生成されると考える認識の根拠とは、数学にほかならない、と考えているのでしょうか。経験諸科学における様々な分野における「理論」や「仮説」は排除して考えているのでしょうか。もしそうでないなら、それらにおいても、はたして「ア・プリオリ」で「超越論的」なものと言えるでしょうか。
それはさておき、様々な経験諸科学の探究において、ある種の経験に先立つ「理論」が、それぞれの時代に共有されていて、それが人々の常識や科学者の通念を形作り、思考の一般的な枠組みとなっている、というふうなゆるやかな理解をするならば、誰もがそのような「理論」の存在は認めるでしょうし、その「理論」がどのようなものかが次第に緻密に明らかにされるようになってきたことは確かでしょう。
例えばクーンが科学革命を論じて提唱した「パラダイム」の概念、構造主義が明らかにしてきた「構造」の概念、あるいはフーコーが作り出した「エピステーメー」の概念、あるいはまた、そこへ吉本隆明の「共同幻想」を加えてもいいかもしれません。
もちろん、それぞれの概念を生み出した人物たちは、やつらのいっているものと、おれの見出したものとは、まったく異なるものだ、と言い張るに違いないでしょうし(笑)、実際、異なるものですが、いずれも人間の思考を規定する共同規範を様々な視点からとりだしてみせたものである点では、本人たちがどういおうと通底するものがあるでしょう。
それは人が意識しようがすまいが、人の認識、人の思考を規定するものであり、その意味ではそう言いたければ「ア・プリオリ」なものであり、何を認識し、思考するかが問題なのではなく、その認識や思考の仕方それ自体を規定するものだ、という理性が理性を自己関係的(自己言及的)に吟味しようとする限りで問われる次元にある問題だ、という意味では、なるほどカントが言う意味での「超越論的」次元の問題であり、しかもそれは超-時間的、超-空間的で普遍的なものではなく、やはり歴史的に生成したものにほかならない、という意味では著者がエピステモロジーがそうだ、というとおり、歴史的なものだということができるでしょう。
そこまで抽象度を上げた言い方をすれば、それで問題はないと思いますが、この<批判>の形象的表象を明らかにして語らないと、個々の科学者の営為とエピステモロジーとの関係、科学とその言説の分析やそれ自体の法則性の解明との関係が、ちっとも鮮明にイメージできず、概念自体が曖昧になってしまうような気がします。
著者はこの項の後半部で、「ア・プリオリなものに対するエピステモロジーの態度は真理の存在様式に決定的変化をもたらした」として、ユークリッド幾何学が普遍的にあらゆる図形に適用可能なのではなく、ある図形が特定の条件を満たしている場合にのみそれに基づいて思考することが可能になるとして、「ある幾何学の体系は普遍的ではなく、その体系が適用されうる固有の領域を持つということが明らかとなったのである」(p13)と述べています。
しかし、もちろんそれはエピステモロジーが初めて見出したことでもなんでもなく、幾何学に限ったことでもありません。あらゆる科学はそのそれぞれの発展の過程で、新たな理論的展開をみせるとき、それまでの思考が普遍的なものではなく、その思考に固有の適用範囲を持っていたことを確認し、その限界を定め、その範囲内での真理を吟味して、新たな理論的展開へと向かってきたわけです。
非ユークリッド幾何学の誕生は、幾何学の世界では1000年単位の画期を成す認識の転換・拡張だったでしょうが、別段そこではじめて「真理の存在様式に決定的変化」がもたらされたわけではありません。単に幾何学的認識の空間が拡張されたにすぎない、と言ってもいいでしょう。
歴史的に新たな「ア・プリオリ」つまり新たな思考の原理となる「理論」が生み出されるとき、それは、それまでの「理論」の単なる否定ではなく、「一般化」というべき形をとる、というのは、エピステモロジー論で言われてきたのかもしれませんが、面白い考え方だと思います。
ただ、それはユークリッド幾何学から非ユークリッド幾何学へ、古典力学から現代物理学(量子論や相対論)への転換については成り立つ考え方かもしれませんが、果たして経験的諸科学の全ての発展について同じことが言える「普遍性」を持つかどうか。その根拠はどこに求められるでしょうか。
たしかに、科学が厳密に自身の言説の適用範囲を守り、その範囲の内で語られてきたことがその限りでは真理であったとすれば、これを<否定>して生まれて来るあらたな「理論」は、前の理論がその適用範囲では真理である限り、これを消去的に<否定>しさることはできず、これを<包摂>せざるを得ないでしょう。したがって、著者の言う<一般化>だということになるでしょう。
ただ、天動説から地動説へ、とか、生物の誕生に関する天変地異起源説から進化論への転換はどうでしょうか。それも<一般化>でしょうか。物理学における<エーテル>説はどうでしょうか。部分的な認識の継承や修正をもって<一般化>と強弁することができなくはないかもしれませんが、それなら最初から<一般化>という言葉でそうした転換を<一般化>しないほうがまだましでしょう(笑)。
けれども、いま「ア・プリオリ」云々の話を脇へどけておいても、この<一般化>、言い換えれば人間の認識、思考の発展のは、以前の認識、思考を<包摂>してしか次の段階へ行けないんじゃないか、という発想は面白いと思います。それは個人の思想の発展を考えても、また共同的な観念の発展段階を考えても、そういうところがあるんじゃないか、それが人間の幻想過程に固有の、変化のありようではないか、と考えられるからです。ただ、それは<一般化>というよりも、前の段階のものを<包摂>して新たな段階を構成する、という方が適切だと思います。
第2節の最後は、カントの<批判>では、感性と悟性は全く異なる能力とされていたのを、バシュラールは悟性一元論的批判として継承した、と主張されています。
現代物理学では「実験器具が感性の役割を担っている」が、その感性は「数式に則って選択された実験器具をとおしてのみ物質(例えば、素粒子)は認識される。それゆえ、実験器具は理論によって規定された感性、悟性化された感性」なのだということで、実験器具は感性でもあり悟性でもある、ということで、めでたく悟性一元論化が果たされることになります。
こういうところを読むと、理論物理学者でなくても、自然科学者は微苦笑を禁じ得ないのではないか、と思います。
そういえばマクルーハンはメディア論で、メディアは人間の感覚器官の<延長>だというテーゼを軸に、様々なメディアを巧みに論じて一世を風靡しましたが、反面、科学者の少なくとも一部からは、いかがわしい議論のようにみなされていたかと思います。私はマクルーハンのメディア論は高く評価していますが、彼がいかがわしいものに見られる面をもっていたとすれば、それは比喩を論理にすりかえて語るようなところがあったからではないかと思います。
メディアが感覚器官の<延長>であるという表現と同様の言い方をすれば、上記の考え方は、実験器具は感性の<延長>であり、その感性はまた<悟性化された感性>であるがゆえに、悟性の<延長>でもある、ということになるでしょう。
私たちが学生の頃よく使ったマルクス主義系の用語でいえば、<対象化>という便利な言葉がありました。実験器具は人間の感性の対象化であり、同時に悟性の対象化でもある、と。それは分かりやすい説明の仕方だと思いますが、論理ではなくて比喩ではないでしょうか。<延長>と言い、<対象化>と言ったからといって、なにが明らかになるわけでもないでしょう。
実験器具は別段現代物理学になって初めて「感性の役割を担う」ようになったわけではありません。私たちが普段使う眼鏡や補聴器だって、近眼や遠視の私たちがまともに見ることのできないものを鮮明に見せ、まともに聞き取れない声を鮮明に聞かせてくれる「感性の役割を担っている」のであり、そう言いたければ感性の<延長>だと言えるでしょう。
遠くの星の様子を調べたいとか、微細な物質の様子を観察したいと考えて望遠鏡や顕微鏡を使うのであれば、こんなものが見えるのではないか、という<仮説>をもって、見えるだろうものが一番くっきりと見えるようにそれらの道具を選び、適切にセッティングして見ようとするでしょう。それを悟性の<延長>だと言いたければ言ってもさしつかえないし、それはバシュラールが、おれが初めて見出したことだと思っているのかも知れない、現代物理学における事情と、何も変わるところはありません。
日本の哲学者、ひいては知識人一般は、日常的な経験の世界を離脱して、知的に上昇することによって、つまり具体的には、海外から移入したできあいの言葉(概念)の操作に習熟することで、自分のレゾンデートルを確立してきたので、こういうことを実質(形象的表象)を欠いた抽象的な概念の操作だけで考えるものだから、日常的に自分たちが経験している何でもないことを、実際にものを考える際の概念に包括することができず、まるで別のことのように空疎な概念をもてあそぶことになりがちです。
それはさておき、ここで、バシュラールが悟性一元論的批判とかなんとか言っているような問題は、感性―構想力―悟性というカントの考える認識の前半の三項構造を、その後の悟性―判断力―理性という後半のプロセスも含めて、カントの<悟性>だの<感性>だのと言った用語にとらわれずに、今考えている私たちの思考の言葉に即し、また人間の意識や認識の構造について積み重ねられてきた知見の現在的な到達点を踏まえて、カントの考えたそれら古典的な概念がどう解体されるか、と問題に置きなおしてみればよいので、著者がその点をどう考えているか、著者なりの認識論を展開すれば、それが正しいことを語っているかどうかがすぐに判定できるのではないかと思います。感性だ、悟性だ、構想力だ、とカントの概念を借りて抽象的に論じている間は、そのことによって著者がどんな実質を意味しているか的確に判断できないので、或る意味ではボロを出さずに済むけれど、読者の納得は得られないのではないかと思います。
しかし、本書はフーコー論なので、フーコーの解体の仕方に沿って論じていくことになるので、主観内部の認識構造の方へ行かずに、<批判>を主観の問題から、その主観を規定する、外在的な規範の方へ振り向けることで、カント的な<批判>の概念を解体、継承していくフーコーの方法を検証しよう、という方向をたどっています。
今外在的な規範と言いましたが、本書では、先ほど引用したブルデューなどに従って「理論」だとか「仮説」だとか呼ばれています。
エピステモロジーがカント的な<批判>を主観から外在的な、従ってまた歴史の中で生成される「理論」(規範)へ振り向けたことによって、<批判>はカントが考えたように「認識が超えることを諦めるべき限界」を問うことから、その限界を乗り越えようとする実践的な<批判>に転じることになります。
カントの問題は認識が超えることを諦めるべき限界とはどのようなものなのかを知ることにあったとすれば、今日における、批判の問題は積極的な問いへと反転されるべきだとわたしには思われる。…(中略)・・・要するに、必然的な制限という形式において行使される批判を可能的な乗り越えという形式において行使される実践的批判へと変形させることが問題なのだ。(p15著者の引用によるフーコーの言葉。もとの出典は、フーコー『ミシェル・フーコー思考集成Ⅹ』)
わたしたちの認識を規定する外在的な要因が歴史的に生成されるものならば、その限界は当然<乗り越え>可能だ、ということになります。実際、先に著者が引用していたセールの言葉にあったように、「歴史と体系、生成と規範の間を絶えず調整」してきたのが、人間の認識の発展史だと考えることもできるでしょう。ただ、フーコーはその外在的な規定要因をエピステモロジーのいう「理論」だとも、セールの言う「規範」だとも考えていないようです。
批判は普遍的な価値を持つ形式的構造の探究において行使されるものではもはやなく、われわれがおこなうこと、考えること、言うことの主体として、われわれを構成し、認識するようにわれわれを導いた諸々の出来事をとおした歴史調査として行使される。(同前)
こういうところがフーコーの非常に面白いところですね。こういう発想はニーチェ的なもので、フーコーがニーチェから学んだことであることは、このすぐあとに、このような<批判>はその究極目的においては「系譜学的」だ、などとわざわざニーチェ的な言葉を使って見せていることでもわかります。
かくして、この<批判>は超越論的ではなく、「他の歴史的出来事と同じように、われわれが考え、述べ、おこなうことを分節化しているそれぞれの言説を論じることを目指す」ものであり、「われわれが今のように存在し、おこない、考えるのではもはやないように、存在し、おこない、考える可能性を、われわれが今のように存在することになった偶然性から引き出す」のだということになります。
なぜ「言説」に的を絞ってしまうのかは、この言葉だけでは分からないし、後半の言い回しはもったいぶっているけれど、要は私たちの認識を規定するものというのは、歴史の中で起きる様々な偶然的な出来事であって、私たちはそうした出来事を歴史的な調査で明るみに出すことによって、それらによって規定されてきた自身の認識の現在を超えていけるのだよ、ということでしょう。
とてもわかりやすく、端的にフーコーの<批判>がどんなものかを語っていると思います。
著者はこの章でたどってきた、カントの<批判>→エピステモロジーの<批判>→フーコーの<批判>の最後の項で、前二者とフーコーの<批判>との違いを比較して次のようにまとめています。
①
認識の対象と主体の関係: カントは認識対象が主体の能力によって規定されると考え、エピステモロジーはそれを主体の外部にある理論によって規定されると考えた。フーコーは後者と同じように対象の認識の仕方を規定するものは主体の外部にあるとは考えるが、それは超越論的な「理論」(規範)のようなものではなく、歴史的な偶然の出来事或いは私たちの思考や言葉や行動を分節化し、規定している言説だと考えた。
②
限界について: カントは、限界を真理の領域を画定する普遍的なものと考え、エピステモロジーは、限界はそれぞれの認識の条件によって異なる、その条件が固有の真理の領域を画すると考えた。フーコーは後者と同じく限界は変化するものと考えるが、その限界を乗り越えようとするところに<批判>の核心を見る。
③
ア・プリオリについて: カントは<批判>を超越論的な水準で問い、そこに経験に先立つ「ア・プリオリ」な認識の諸形式、人間の普遍的な認識能力を見いだした。エピステモロジーは、認識を規定するものを、主観の外部に求め、歴史の中で生成される、経験に先立つ(ア・プリオリな)「理論」(あるいは規範)を見いだした。これに対して、フーコーの<批判>が見出すのは、経験の中にあって経験を可能にし、われわれの思考を、言葉を、認識を導くもろもろの出来事や言説であり、経験に先立つ(ア・プリオリな)超越論的なものではない。
④
認識論の構造について: カントは感性、悟性、構想力の三項からなる認識論を提示し、バシュラールはこれに対して悟性一元論的批判を提示した。これらに対してフーコーは経験は歴史的出来事と言説によって条件づけられていると論じているが、それがカントの認識論のいずれの能力に対応しているのか、あるいはカントの<批判>とは異なる区分で新たな<批判>を構想したのかは、これまで見た引用では言及されていない。・・・つまり、ここでは認識論の構造は明確には論じられていない、というのが著者の見解です。
以上が著者による、カント、エピステモロジー、フーコーの<批判>の比較の要約ということになります。
③の「ア・プリオリ」については、「超越論的」とともに、抽象的な用語としての定義はされていても、その言葉の実際の使われ方は人によってずいぶん異なるようです。
こうした舶来の翻訳用語を実質的な意味のある言葉として使うためには、あちらの語彙とこちらの語彙を一対一で置き換えるのではなく、むしろ私たちが日常的に使う説明的な言葉に置き換えたり、具体的な場面でその形象的表象を描いてみせることによって、本当にその言葉を使う人が実質的な中身を持った概念として使っているかどうかが分かると思うのですが、そうするとボロが出てしまうからか、翻訳用語を専門用語としてただその空疎な抽象度でつないでいくような操作で書かれる「哲学論文」なるものを私たちは読まされることが多く、正確にその意味するところを辿ることが難しくなっています。
上のまとめの③でも、カントやエピステモロジーではこうだ、と語っていることと、フーコーはこうだ、と語ることばが対応していません。「超越論的」については、先の引用文献でフーコー自身、自分の<批判>は超越論的なのではなく、考古学的なのだ、という言い方で明確に「超越論的」な批判ではない、と断わっているので、著者も安心してそう明記していますし、その点は問題がありません。
しかし、ここでも、エピステモロジーについては、「超越論的」なのか、そうではないのか、つまりカントが「超越論的」なものと「経験的なもの」を明確に区別した点にいて、エピステモロジーが想定する認識を規定する外在的な「理論」は「超越論的」なものと考えられているのか、もしそうであるなら(あるいはそうでないなら)、それはどういう意味でなのか、ここでは明記されていないので、「超越論的」という概念めぐって三者がどう異なるか、という比較にはなっていません。
わからないところには触れないことにしたのか、あるいは自明だと考えて触れなかったのかはわかりません。しかし私のような素人が読めば、エピステモロジーでは人間の認識を規定する「理論」は歴史的に生成すると考えられているらしいから、それは「超越論的」なものではなく、その種の「理論」をまさに日常的な経験的な科学の探究の中で次々に更新してきたわけで、当然その「理論」は経験的なもので、「超越論的」なものではありえないと思われます。
しかし、もしもこの「超越論的」を、カント的に理性が理性の限界と根拠を吟味するという意味で使うなら、エピステモロジーのいう「理論」が反省的に見いだされるのは、科学認識そのものではなく、その認識をする理性がその科学的認識自体の限界と根拠を吟味するという、自己関係的(自己言及的)な、メタレベルに立った反省によるわけでしょうから、それは「超越論的」であるということになります。
そうなると、この「超越論的」という言葉そのものへの理解、或いはこの言葉の使い方がまったく違ってくるわけですから、おまえのいう「超越論的」とはどういう意味だ?いったいどちらの意味に理解して使っているのだ?という問いにはっきり答えなくてはならないはずです。
「超越論的」を「経験的」との対比で考えれば、エピステモロジーの「理論」は、経験科学が作り出していくものですから、当然「経験的なものではないかと思えるですが、どうでしょうか。
さらに「ア・プリオリ」については、これを見出しとして、三者どう考えているかを比較するはずのところで、フーコーがこの「ア・プリオリ」をどう考えていたのか、明確な言及がないため、「ア・プリオリ」をめぐる三者の言説を比較することになっていません。
別のところで「歴史的ア・プリオリ」というふうな言葉を見たような気もしますが、その場合、フーコーのいう「出来事や言説」は「ア・プリオリ」なものと考えられているでしょうか。それは、単に今現在科学的な探究に従事している、そのことを現に経験しつつあることだとして、その現在的な「経験に先立って」、その認識を規定するものだから、過去のそうした「出来事」と「言説」が「ア・プリオリ」だということになるのでしょうか。
経験に先立つ経験があとの経験に影響を及ぼしますよ、というあたりまえのことを言っているだけだとしたら、わざわざ「ア・プリオリ」なんてカタカナ語を使わなければならない必要がどこにあるのか、さっぱりわからなくなりませんか?(笑)
ところで、先にも述べたように、フーコーが何か超越的な理念だとか理論だとか規範だとかいったものにではなく、歴史的、偶然的な「出来事」に、主体を構成し、その思考や言葉や行動を形作り、規定するものを見いだした点は、とてもいい発想だと思います。
彼自身はそういうものの見方をニーチェに学んだようで、『言葉と物』でも、ほとんどニーチェについては何も論じていないのに、特段に高い評価を与えていることだけは分かるようなことをチラッと書いたりしています。
しかし、別段そういう考え方はニーチェの専売特許ではなくて、たとえば私が知る範囲では、マルクスが「ブリュメール十八日」の分析で<体現>してみせた観点にほかならないと思います。
それはルイ・ボナパルトが権力を握る過程を、超越的な歴史(「史的唯物論」)によってでもなければ、政治的共同体の転変によってでもなく、そこで起きた歴史的な「偶然の<出来事>」の緻密な「歴史的調査」と分析によって明らかにしたのだったし、そのような「経験のなかにあって経験を可能にするもの」の分析よって、「われわれが今のように存在し、おこない、考えるのではもはやないように、存在し、おこない、考える可能性」を追求しようとしたのではなかったでしょうか。
フーコーは『言葉と物』で、マルクスを19世紀的なエピステーメーの地層に押し込め、正当に評価できませんでした。それはおそらく彼自身がいわばマルクス主義者からの転向者であったことと関わりがあり、当時彼をうんざりさせていたフランスの思想界を支配していたマルクス主義やサルトルのようなその同伴者たちの批判に応答する中で、マルクスの思想とマルクス主義との決定的な差異を見て取ることができず、両者を同一視したことの結果なのではないかと私は思っています。
彼は、マルクスの思想を、超越的な歴史だの人間だのという概念を奉じて救済を解いた現代の<人間>主義と見なして、その主著の中で極めて不当な扱いをしています。彼が「ブリュメール十八日」をきちんと読んでいれば、彼自身が「啓蒙とは何か」で言っているようなことが、ただこう考えるべきだ、などとフーコー自身のように「言うだけ」ではなく、そこにこれ以上ない見事な言説の模範として体現されていることが分からないはずはないと思うのですが。
To be continued ・・・