2021年05月

2021年05月26日

高野川に鹿4頭~今年2度目

★1
 先日、今年初めて高野川の川床草地に鹿を2頭見てから、雨の日が多くて心配していましたが、ちゃんとその間は山へ帰っていたとみえて、きょう曇ってはいたけれど、比較的お天気で明るかったせいか、松ヶ崎橋の少し南の緑地に4頭の姿が見えました。

 この写真の1頭だけ、滝状に水が落ちている段差のある所を隔ててもう少し南の西側緑地で、しきりに草を食べていました。

★1頭全身
 今春生まれではなく、たくましい体つきの成長した牝鹿ですが、まだ若々しく、多分去年生まれの仔ではないかな、と思いました。去年も来ているから一頭だけ離れて川を下りてきていても、全身をさらしていても平気なのでしょう。

★2
 こちらはそれよりも多分1年は若い、恐らく今春生まれた仔ではないかと思います。母鹿に見守られながら寝そべっていました。

★2-2
 優しい顔をしています。

★3-3
 すぐ近くにもう一頭。たぶん同じ年生まれの姉妹でしょう。よく似ていますね。同じ恰好で寝そべっていました。

★3-4
 草を食べるのも飽きたのか、眠そうでした。

★4
 2頭しかいないのかと思ったら、すぐ後ろの茂みの蔭で、お母さんらしい鹿が見守っていました。私が対岸からカメラを向けて、口笛を吹いて寝そべって横を向いている2頭の仔鹿を振り向かせようとしたら、仔鹿はなかなかこちらを向いてくれませんでしたが、母親らしいこの鹿はすぐに対岸の私をまっすぐに見ていました。さすがですね。

★3頭みまもり
 3頭の位置関係はこんな具合に、狭い川床の緑地でごく近い位置を保って休んでいました。1頭だけ川下へ離れている姉貴分の帰りを待っていたのかもしれませんね。











saysei at 18:01|PermalinkComments(0)

2021年05月16日

高野川に仔鹿~今年はじめて

2頭の仔しかしか
 早くも梅雨に入ったそうで、自転車で走れる日も少なくなるでしょうから、腰痛対策のために雨の合間を縫うように川端通りの川沿いの歩道で自転車を走らせていたところ、松ヶ崎橋の南50mあたりの対岸草地で2頭の仔鹿が草を食んでいる姿を見つけました。

2頭の仔鹿2
 去年は毎日のように母子連れの群れの姿を見せてくれましたが、今年見るのは初めてです。
 しばらく見ていましたが、周囲に年長の鹿の姿がなく、少なくとも松ヶ崎橋付近までは、この2頭の仔鹿の姿しか見えませんでした。まだこの春に生まれたばかりか、せいぜい去年生まれの仔鹿だと思うのですが、ママやお姉さん鹿はどうしたのでしょうか。

 去年の大雨でものすごく可愛らしい仔鹿が孤立して、目の前で弱って死んでいくのを見ているので、大雨の降ったときの川の怖さを経験していない仔鹿だけで川へ降りてきているのは、とても心配です。もう夕方だったのに、一頭は草を食むのにも飽きたのか寝そべっていたし、この草地に泊まるつもりでしょうか。あるは途中の滝状のかなりの段差を、降りるのは簡単でも、ジャンプしてあがるのが今春生まれの仔にできるのかどうか・・・     

 川端通りの車道では、車にはねられたのか、一羽の鳩が蹲り、まだ生きてはいるけれど動けない様子で、車がよけて通っていました。バス停にいた女性が近寄って移動させようとしているようでしたが、多分助からないでしょうし、そういう光景はちょっと見るに忍びないところがありますね。

 鹿は例年より少し早く山を下りて現れたのではないかと思います。6月から9月初めまで、毎日ではないにせよ、何日かに1度は必ず見られると思うので、自転車行のできる日は、注意して見ようと思います。

左の仔鹿

 今日の夕餉


サーモン、ホタテのバター焼き
  サーモン、ホタテのバター焼き、タルタルソース添え

タルタル
 タルタルソース

蒟蒻タケノコ、ニンジンにもの
 蒟蒻、タケノコ、ニンジンの煮物

小松菜、あげ、かまぼこ、しいたけ
 小松菜とあげ、かまぼこ、シイタケの薄味煮

五目納豆
 五目納豆

もずく酢
 モズク酢
 それとサラダでした。




saysei at 18:12|PermalinkComments(0)

2021年05月14日

「ロースクール」の面白さ~Netflix original

 このところはまっているのが、ネットフリックスのオリジナルドラマで、日韓同日配信の「ロースクール」という法科大学院を舞台とする韓流ミステリー。脚本が素晴らしい。

 主人公はかつて敏腕な検察官で、上司の検察官ソ・ビョンジュを贈収賄容疑で起訴しながら、最高裁判決で無罪となり、検察を辞めざるを得なくなって、ロースクールの刑法の教授をつとめ、模擬裁判方式の厳しい指導をして後進育成にあたるヤン・ジョフン教授(キム・ミョンミン)。準主役が、その受講生の一人で、低所得階層特別選考でギリギリ入学した女子学生カン・ソルA(リュ・ヘヨン)。この人は私の好きな韓流ドラマ「恋のスケッチ・応答せよ1988」・たしかヘリの演じた庶民家庭の魅力的な女の子のお姉さんを演じていた人だと思います。

 物語はこのロースクールへ多額の寄付をして、教授に就任したばかりの、ソ・ビョンジュが、学生たちの模擬裁判の様子を眺められる教官控室で殺害された事件をめぐり、かつてソを起訴して追い込みながら敗れ、その事件で検察官を辞めざるを得なかったヤンが容疑者として逮捕されることが発端となって、その後、死んだ被害者のほうにも、また容疑者周辺でも、学生たちの中でも、さらには逮捕した警察、検察の側にも、次々に新たな事実が顕わになってくるにつれて、犯人像は一転、二転、混沌としてきます。

 ヤン教授は、自分が容疑者として拘束されても、ほとんど自己弁護せず、むしろロースクールの学生の答案を採点しつづけたり、授業課題を出したりして、今進行中のこの事件そのものを素材としながら模擬裁判の舞台に載せ、学生たちをリアルタイムでこの事件に参加させていきます。

 この仕掛けが実に見事で、私たちはここで起きた事件の謎解きを、実際に起きる様々な出来事の直接の映像と同時に、学生たちの模擬裁判への参加による、学生たちそれぞれの個性を通した意見や調査結果、さらに教場での議論の映像を通じて、二重に、とても奥行の深い進行中の出来事として見ていくことになります。

 登場人物一人一人の性格設定も見事なもので、昨日見た回では、準主人公だけれど、それまでは優秀な学生たちの中で、ひときわ劣等生にみえていたカン・ソルAが、ヤン教授の出した課題にただ一人ほぼ満点の解答を出すシーンがあります。その設定が、同じ学生仲間の中でカンとは逆にひときわ優秀な首席入学者だったハン・ジュンフィという男子学生、彼は殺害されたソ・ビョンジン教授の甥で、ソの収賄事件の真実も、またもうひとつのソの引き起こした犯罪の隠蔽についても察知していて、ソの教授就任に反対する大量のビラを教室に張り出すのですが、ヤン教授が学生たちに出した課題は、そのビラに書かれた内容を前提とするものでした。

 学生たちは当然、そのビラの文章がそのまま課題文に使われたと思い込んで解答するのですが、みんなのように斜めよみしてすぐ理解できるほど学習の基礎トレーニングを積んでいたないカン・ソルAは、いつものように、端折ることなく課題文を最初から丁寧に読んでいくために、その課題文はハンが書いたビラとほとんど同じだけれど、一か所重要な点が変えられていて、ソ・ビョンジンが「多額の寄付をした後で教授に就任した」と明記されていることに気づき、その前提で当然導かれる結論を答案としたので、ただ一人の正解となります。

 このあたりの設定は実にうまい。

 もう一つ、このドラマは、単に殺人の犯人捜しミステリーではなくて、検察権力の内実を暴くような面を最初から備えている所が、韓国ドラマらしく、エンターテインメントながら、なかなかリアルに韓国社会の闇に迫るところがある、というところがまた興味津々です。主人公自身が優秀な検察官だったのを、法廷闘争で敗れて辞任に追い込まれ、真に法の正義のために戦うことのできる人材を育てようと真剣にロースクールの学生たちを実際の事件を扱う模擬裁判方式の教授法でトレーニングしているのですが、自分が容疑者として拘束されたときも、無罪の証拠を示すことができても、あえて沈黙を守り、検察を徴発し、彼らに誤った判断と行動に追いやって、その権力の欺瞞を公然と明るみに出すというところまで持っていきます。これは彼の古巣である検察権力との闘争のドラマでもあるわけです。

 もちろん同時に、これはロースクールを舞台とする学生たちの青春ドラマでもあり、かれらの個性のぶつかり合いは、事件の解釈や教授をめぐっての彼ら自身の行動等々によって実に多彩に描き分けられて、ドラマを豊かに彩っています。恐らく、どの韓国ドラマにもひとつの典型的なパターンとしてみられるように、このような多彩な登場人物が、対立、いさかい、不信、和解などを繰り返しながら、最後はそのそれぞれの個性、才能を結集して、一つの力となって事件の解決に貢献していくようなストーリーなのではないかと予想しています。いろいろあっても、韓流は最後はそうして多様な力が一つにまとまって行き、後味の良い結末を迎えるように思います。

   すぐれた韓流ドラマと同様、このドラマもストーリー展開が単純ではありません。日本のドラマはその点非常に単純で、とくにこの種の犯罪ものなどは、いくつかの伏線があっても、それはみな単線的なストーリーの軸に奉仕し、そこに回収されてしまうような種類のもので、たとえばこのドラマの場合だと、ヤン教授がなぜ容疑者として拘束されながら自己弁護しないんだろう、という疑問に、日本のドラマであれば、学生か誰かほかの人をかばってのことでありました、とか、ひとつの理由でそういう行動を説明し、その種あかしがされれば、なんだそうか、とその単純さに飽き足らない思いをさせられ、人間ってそう単純じゃないだろう、という気がするのですが、韓流だとそこに幾筋もの糸が張ってあって、そう単純にこういう理由でした、なんて言えない人間の本来の分からなさが重層的に描かれていきます。

 主人公だけでなく、一人一人の主要な人物がそういう複線的なストーリーを担っているので、私たちは並行するその複線的なストーリーの流れを同時的に追いながら、時にそれらが交わり、時に遠く離れ、また急転直下結びつくといった、それ自体がドラマチックな過程につきあうことになります。

 もう一つ、日本のドラマとの決定的な違いは、スピード感です。日本のドラマは本当にひとつひとつのシーンの展開が遅く、場面の「選択」がシャープでないばかりか、「転換」のスピードが欠如していて、かったるい思いをします。韓流ドラマは、このロースクールでもそうですが、「説明」的な場面はありません。場面の「選択」は考え抜かれたシャープなもので、「転換」の鮮やかさ、スピード感がすばらしい。複線的な物語が並行して進行するだけでなく、それらが不断にフラッシュバックするので、こういう演出に慣れない人は、最初のうち、何がどういう順番で起きているのか、通常の時間の順序を追った物語性が負えない感じを持つかもしれません。
  
 しかし、これは今世界の最も優れたドラマが共通して自家薬籠中のものとして駆使している手法で、私が熱狂した「バビロン ベルリン」なども、まったく同じ手法を駆使して素晴らしい、緊張感のある場面選択と転換の鮮やかさを最初から最後まで維持していました。この「ロースクール」もそうした演出法を血肉化した演出家が腕を振るっていることは間違いのないことで、なぜ日本の演出家はいつまでたっても、こういう素晴らしい演出法が学べないのだろう、と残念でなりません。

saysei at 11:44|PermalinkComments(0)

2021年05月06日

深泥池のカキツバタ

☆深泥池カキツバタ3
  深泥池でカキツバタが咲いています。

☆深泥池のカキツバタ
 池はドロドロだけど(笑)そこにとても可愛いこの花が似合っています。

☆深泥池のカキツバタ2
 一輪を眺めても、綺麗な花です。

☆カキツバタ大田神社
 ついでにもう少し西の大田神社まで自転車の脚を伸ばして、先日も見たカキツバタを見てきました。先日は南半分のはまだ咲いていませんでしたが、きょうは全ての花が開いて、もう盛りを過ぎているようでした。

☆大田神社カキツバタ
 こんな撮り方をすると、水田のようですが(笑)

☆今日の比叡
 今日の比叡は青空のもと、くっきり冴えわたっていました。

☆比叡
 今春生まれの仔鹿と母鹿たちはまだ降りてこないかなぁ、などと少し気が早く、川端から対岸の草地を眺めながら帰りましたが、さすがにまだ姿がみえません。あれは6月になってからでしたね。


今日の夕餉

★タイの兜焼き
 鯛の兜焼き

★セロリ葉とジャコのキンピラ
 セロリの葉とジャコのキンピラ

★タケノコ、牛筋コン煮物
 タケノコと牛筋蒟蒻の煮物

★アラメ
 アラメ煮(昨夕の残り)

★冷奴
 辛子豆腐の冷奴

★小松菜のおひたし
 小松菜のおひたし

★レンコンニラズッキーニ豚キムチいため
 レンコン、ニラ、ズッキーニ入りのブタキムチ炒め

★サラダ
 サラダ。以上でした。











saysei at 20:31|PermalinkComments(0)

2021年05月05日

カント先生の実像

 昔、少年雑誌(私が定期購読していたのは「少年クラブ」だからたぶんそれでしょう)にイラストつきでカントをめぐるエピソードが紹介されていたのを覚えています。もちろんそのころは哲学者が何をする人かも知らなければ、カントがどういう人かなんて、まったく知らなかったのですが、妙に印象に残ったのです。

 18世紀末、ケーニヒスベルクというドイツ(東プロイセン)北方の町に、私たちの認識についてコペルニクス的転回と言われるような決定的な転換をなしとげ、近代思想の礎を築いたと言われる、イマヌエル・カントという哲学者が住んでいました。彼は町にあった大学の私講師として教えながら自らの研究を進め、ついにこの街から出ることなく静かな生涯を終えました。
 彼はとても几帳面な性格で、朝起きてから夜寝床に着くまでの、自らが定めた日課を厳格に守り、夕方には毎日必ず決まった時刻、決まったコースで街を散歩したので、町の人たちはカント先生が来たから何時だぞ、とカントを時計がわりにして、自分たちの時計の針を修正したと言われています。

 もちろん文章など全く記憶してはいないので、具体的にどんなふうに書かれていたかは分かりませんが、いま想像してみると、多分こんなことだったかと思います。もちろん私の記憶しているのは、杖をついてケーニヒスベルクの街を散歩するカントの姿を描いた粗雑なイラストと、それに添えられた上のような内容の文章の後半のエピソードの部分だけです。

 自分自身も、毎日学校へ通い、昨日のように今日があり、今日のように明日が来るだろう、というふうな日々を過ごしていても、そこまでの厳格さをもって反復する日常を、自らの意志で自分に強いるような人間というのが居るんだということ、或いは単に、常人の想像を超えるそんな几帳面さというものがあり得るんだ、ということだったかもしれないけれど、とにかく自分の想像を絶する、その「変わり者」の学者像というのが、子供心にも強い印象を与えたんだろうと思います。

 それはもちろん、岩のように堅固な意志をもち、非常に厳しい自己抑制力を備えた、謹厳な老学者のイメージだったと思います。学生のころに出ていた「世界の大思想」シリーズで彼の「純粋理性批判」にチャレンジして、たちまち挫折して放り出したときも、そんな彼のイメージはずっと変わらなかったように思います。

 しかし、あれから半世紀(笑)、学生時代にチャレンジして挫折した本たちを、もう一度あのときの少しだけ傍線が引いてある本と、新しく出ている文庫本の新訳とを比べながら拾い読みし、また従弟の子がフーコーのカント論を中心に何か論じたらしい本を送ってくれたのをきっかけに、あらたに古本でカントの『人間学』を読みだしてみると、子供のころから引きずって来たカントという人の固定したイメージが少しずつ融けていくのを感じています。

 ひとつにはこの「人間学」という著書が、大学での講義をもとにしたもので、その講義というのが、「世間知」に関する、彼自身「通俗的な講義」と言っているように、学生だけではなく、一般市民にも向けた講義として行われた性格のものだったことによるのでしょう。実際に、その講義には、様々な職業の市民が聴講したことが分かっているそうです。そしてそれは面白い(興味深い)講義として大変人気が高かったといいます。

 「純粋理性批判」で一度躓いた身としては、カントの講義が面白くて、一般市民にも人気があった、なんて聞いてもちょっと信じがたく、当時のケーニヒスベルクの学生は私のような大衆化時代の学生とは違う超エリートで、聴講に訪れた市民も実際には相当高度なインテリさんばかりだったんじゃないか、と思わなくもなかったのです。

 しかし、『人間学』を読み進むにつれて、あぁ、カントの講義は実際にごく普通の学生や市民にも人気があったのかもしれないな、と納得できるような気がしてきました。
 理性のはたらきを厳密に追究し、その限界を確定しようという「批判」とは違って、これはきわめて具体的な日常生活のさまざまな場面を扱って、それを論理の言葉に置き換えて語るならどうなるか、とても分かりやすく、具体例も豊富に、しかもふんだんに様々な面白いエピソードを引用しながら述べています。

 タイトルも「実用的見地における人間学」ですから、「実用的」の意味を深掘りせずに受け取れば、私たちがこんな場合にどう考え、どういう選択をすればいいか、いわば人生どう生きるかを、人間のありようから説いた「実用書」ともいえるものなので、だれもが自分に引き寄せて読んでいくことができる性格の本なのです。

 小難しいところは、いずれまた(笑)ということにして、本筋からはカットしてもいいような部分で面白いな、と思ったようなところの一部を抜き出してみましょう。

 多くの人間が不幸なのは、彼らが抽象をなしえないからである。もしも求婚者がその愛人の顔にある疣(いぼ)だとか、歯の欠けたのなどを無視することができさえすれば、良縁をうることができるであろうに。ところが、他人の欠点であるものに、故意にではないにしてもすぐに注意を向けたがるのが、私たちの注意能力の特別な悪習である。すなわち、すぐ目の前で上衣にボタンがとれていたり、歯が欠けていたり、あるいは習慣的な言い損いをしたりするのに目をつけて、他人をそれによりドギマギさせ、自分自身もまた交際での楽しみを台なしにしてしまう、といった類いである。ーー主として眼目とするところが善いのであったなら、他人に欠点があったり、自分自身の幸福状態に欠けたところがあったりしても、そんなものは見逃すというのが公平であるばかりか、また賢明なやり方でもある。しかしながら抽象するというこの能力は、ただ訓練によってのみ獲得できる心の力なのである。
(第一部 第一篇 認識能力について ー 自己の表象への随意的な意識について  第三節)
[カント『人間学』p37 山下太郎 訳。カント全集 第十四巻 理想社 1966]

   カント先生によれば、人のちょっとしたつまらない欠点が目につくのは「抽象力」の欠如なんですね(笑)

 知恵は、理性の合法的に完全な実践的使用の理念であって、これを人間に要求するのはたしかに過大である。しかしその最小の程度のものであっても知恵を他人が彼に注ぎ込むことはできず、人間はこれを自分自身からひき出してこなくてはならない。知恵に達するための指示は、これに導くための三つの格率をふくんでいる。すなわち、1 自分で考えること、2 (人びととの伝達においては)みずから他人の立場に立って考えること、3 いつも自己自身と一致した考えをすること。
 人間が自分の理性を完全に使用するに至るまでの時期は、その練達(任意の意図を達成する技術の能力)に関していうとおよそ二十代と、怜悧(他の人間を自分の意図のために使用するための)に関する時期は四十代と、また最後に知恵の時期はおよそ六十代と定められうる。この最後の時期においてはしかし知恵はむしろ、前の二つの時期がすべて愚かであったことを洞察するという否定的なものである。

[同前 p142 三つの上級の認識能力相互の人間学的な比較 第四三節)

 概念的な小難しいことを言っているようでいて、ちゃんと実用的な生き方の指針(「格率」)を箇条書き風に示してくれたり、また冒頭と末尾の文章に見るような、聴衆がニヤッと笑ってしまうような皮肉なユーモアを交えた、巧みな語り口で、こういうところはきっと聴衆に大いにウケたことでしょう。

 人間を浮かれた奴 Laffen とかイカれた奴 Gecken とか呼ぶのも、彼らが阿呆で利口でないという概念を根拠としている。前者は若年の阿呆であり、後者は年とった阿呆である。両者とも悪漢や詐欺師に誘惑されるが、その場合に前者はまだしも同情をよぶけれども、後者はひどい嘲笑をまねく。ある機知に富んだドイツ人の哲学者で詩人でもあるひとが、浮かれた者 fat とイカれた者 sot という称呼(阿呆 fou という共通の部類に入る)をつぎの一つの例によって解明した。すなわち彼によれば、「前者はパリに出かけてゆく若年のドイツ人で、後者はちょうどパリから帰ったばかりの同じドイツ人だ」と。
[同前 p158  認識能力に関しての精神の薄弱さと病気について B 認識能力における精神薄弱について 第四六節]

 前者は、後者は、なんて書き言葉で読んでいると、その感じがうまく伝わってこないかもしれませんが、話し言葉の講義の中でこういうのを聴かされたら聴衆は爆笑したでしょう。
 カントが引用した「ドイツ人の哲学者で詩人でもあるあるひと」は、訳者注によればゲッティンゲン大学数学教授で風刺作家のゴットヘルフ・ケストナーだそうです。カントが私講師として教鞭をとったこの大学で数学を教えた人に、ガウス、リーマン、クライン、ヒルベルト、ワイルのような錚々たる教授陣がいます。物理でもプランク、ハイゼンベルク、哲学ではフッサールとものすごい大学です。

 深遠さはたしかに機知の問題とするところではない。しかし機知は、それが思想に与える寓意的な形式によって、理性に対する、また理性の道徳的・実践的理念のための理性使用に対する、運搬具あるいは外被となりうるかぎりにおいては、深遠な機知というものも(浅薄な機知と区別して)考えられる。サミュエル・ジョンソンが女性について述べた、驚嘆に値すると称せられる箴言の一つとしては、『ウォラーの生涯』につぎのことばがあげられている。すなわち「ウォラーは自分が結婚するのは尻込みしただろうと思われるような多くの女性をきまって褒めそやし、しかも彼自身が褒めそやすのは恥じただろうと思われるような一女性と多分結婚したのだった」と。対句の戯れになるものがここでは驚嘆に値するもののすべてをなしている。だが理性はそれによって何も得るところがないのである。
[同前 p174   比較する機知と理屈をこねまわす機知との種別的な差異について A 生産的機知について 第五五節 ]

 人間の認識能力の卓越性としての「才能(天稟)」とは、言い換えれば「生産的機知(より厳密に、あるいは実質的に言うところの才能)だとして、それは「構想力の法則(連想の法則)からいって非常にかけ離れていることが多い異質的な諸表象を組み合わせる(同化する)」能力だとしながら、ここではそうした機知にみえるけれど、何も理性にとって得るところのない非生産的な機知の例として、世間では典型的な機知の例として称賛されてきたジョンソンの言葉を否定的に引用しているので、肯定的な例示ではないけれど、聴講生は楽しんで聴いただろうな、と思います。

 こういう面白いエピソードを博識なカント先生はいろんなところからひっぱってきて、講義の中で惜しみなく披露したようです。
 だからこそ、その講義は学生のみならず一般の市民聴講生にも人気を博したのでしょう。カント先生の「人間学」の講義の受講生は最高70名、少ないときで28名、平均50名を超えたと言いますから、今の日本みたいなマンモス大学もマンモス授業もなかった時代ですから、内容的には結構高度なものを孕んでいる哲学者の講義の受講者数としては、きっと当時皆が驚くほど多かったのでしょうね。

 講義だけでなく、カント先生は結構社交的で冗談好きでもあり、気さくな人で町の人たちからも愛されていたようです。日に一度だった夕食には親しい人を招いていつも会食形式の夕餉を楽しんだそうです。これだと小学生のころに絵入り少年雑誌かなにかで読んだカント先生の姿とはずいぶん違ってきそうです。 

今日の夕餉

  今日は終日の雨で買い物も行かず、家にあるもので作るからね、とのこと。

★手羽先のから揚げとその甘辛ダレかけ
 手羽先のから揚げ(手前の二つ)とその甘辛ダレかけ〈ガラス器の中)

★アラメ、大豆、根菜の煮もの
 アラメ、大豆、根菜の煮物

★椎茸、ユリネ、サヤエンドウの卵とじ
 シイタケ、ユリネ、サヤエンドウの卵とじ

★小松菜のジャコおろしポン酢
 小松菜のジャコおろしポン酢

★タラコニンジン
 タラコニンジン

★マカオにサラダ
 マカロニサラダ

★サラダ
 サラダ

★ぬか漬け
 ぬか漬け

★三種のキムチとフキの佃煮
 三種のキムチと自家製フキの佃煮。
 以上でした。







saysei at 17:53|PermalinkComments(0)
記事検索
月別アーカイブ