2021年04月
2021年04月30日
新緑の「哲学の道」
リハビリ自転車行でさっと往復しただけですが、午後に『哲学の道』(の脇に沿ったアスファルト道)を途中まで走って引き返しました。小雨がぱらいて来たから、あわてて引き返したのです。
人影もほとんどなく、ただ白い花が綺麗、新緑が瑞々しく、桜の季節とはまた全然違った光景でした。
きょうはカントの『人間論』を少し読み進めました。純粋理性批判よりは、だいぶんと読みやすそうでほっとしていますが、フーコーのこの本を論じた本を読んだあとでは、何となく表面をさらっと読んで分かった気になれそうにもありません。「啓蒙とはなにか」のときもそうでしたが、カントの方だけを素直に読んで、わかったわかった、と思っていられたらハッピーだったのですが(笑)
今日の昼食
ラ・ブラドォルのパンを買ってきてくれたので、美味しいコーヒーを淹れ、後は私がいつも朝つくっておくフルーツ入りヨーグルトで昼食。
今日の夕餉
茄子のミートソース・ペンネ
チキンロールのポルチーニ白ワイン茸クリーム
サラダ
ベーコンとローズマリー入りポテトサラダ。昼に食べたラ・ブラドォルのポテトサラダサンドイッチの味をパートナーが再現したもので、まったく同じ味になっていたのでびっくり。
キャラウェイ・シード入りオリーブオイルとそれをつけて食べた、キノコとナッツ入りのパン。
以上でした。
saysei at 20:14|Permalink│Comments(0)│
2021年04月27日
妙満寺、圓通寺のさつき
先日訪れてまだほとんど咲いていなかった、妙満寺のさつきが、かなり咲き始めました。
明日は天気が下り坂のようなので、今日のうちにと思ってリハビリ自転車を走らせました。川端をまっすぐ上がって、白川通へ出て、花園橋の少し先を国際会館の方(西)へ曲がってまたまっすぐに走ると、ドンツキに思える少し手前、向かいに郵便局があるあたりで右(北)へ折れるとじきに左手に妙満寺と書かれた駐車場が見え、その裏に山門があって池がしつらえてあり、その周囲にさつきが咲いています。
まだ咲き始めたばかりのようですから、或いは見ごろは来週くらいかもしれません。
それでも、さつきと新緑とが綺麗なお寺です。
これは何度も訪れた圓通寺の縁から見える借景の比叡。
いつも叡電の木野で降りて歩いて訪れていたので、随分遠いような気がしていましたが、地図を見ると妙満寺よりもうちに近いし、妙満寺から少し南へ下がったところにあるようなので、試しに自転車を走らせてみたらあっという間に着きました。でも、この借景の庭が見える座敷には結構観光で来たらしい人が座っていたので、私はこの写真を手早く一枚撮っただけで、さっさと出てきました。
圓通寺の南側の入口。いつもはこの門から入りますが、きょうはここを閉ざして少し東寄りの入口から入れていました。この辺りではサツキの花が咲いていました。
本来は閑居にふさわしい山の中の静かなお寺なので、狭い建物の中で結構大勢の観光客にまじって、いかにも人工的にしつらえられた庭を眺めるよりも、人のいない庭で、山の空気を吸い込んで、ぼうっとしているほうが快適です。
こちらの庭には足を踏み入れられないのですが、こじんまりして、いい感じのお庭です。
せっかく案内の踏み石も置いてあるのだから、入れてくれてもいいようなものですが、大勢が来れば植栽が傷むから仕方ない面があるのでしょうね。
建築物の中は一巡できるようになっていますが、やたらと「屋内撮影禁止」の札が掛けてあります。別段撮りたいようなものもないけど(笑)ちょっと見苦しい。この種の禁止事項を周知させたり、来場者(参拝客)の自覚を促す方法に関しては、欧米のミュージアムや宮殿、庭園などの歴史遺産、寺院などは、非常に洗練されていてスマートなのが多いようです。ときには思わず口元が緩むような、ユーモアたっぷりの短いセリフやイラストがあって、オシャレだなぁ、と感じることが多かった。
これは昔私が文化庁の委託による海外の美術館調査で、スミソニアンノハーシュホーン美術館という現代美術館の見学&ヒアリングに行ったときに、展示室の廊下で見かけた掲示で、オシャレだなぁ、と感心した例のひとつ。たまたま昔の文化施設写真の中に残っていました。
それにひきかえ、日本の同様の施設は公共施設も寺社のような民間の施設も、堅苦しく、頭ごなしの「禁止」めいた文言で、ユーモアのかけらもない窮屈なものがほとんどです。上から目線の掲示で禁じても、守らない不心得者が少なくないから、頭にきて、これでもまだやめんか!とベタベタ禁止事項を書いてところかまわず貼り付けたくなったりするのでしょう。
そういうのは事の善し悪し以前に、そもそも、そんなものを見て人がどういう印象をもつか、そんなものに心を動かされて従いたくなるような人がいるとでも思っているのか、まるで人間というものが分からない人のすることですから、少なくとも一昔前には衆生を導くような存在として敬意を払われていたはずの寺のお坊さんなどがそんなことをするようでは、まったく末世というほかはないでしょうね(笑)。
左手に見える燃え立つような紅色のさつきは目立って綺麗でした。確か同じような色のが、青蓮院の庭にもあって、同じ種類かどうかは知りませんが「霧島つつじ」と書いてありました。「霧島つつじ」の花言葉は「燃えるような恋」だそうです。ピッタリの花言葉ですね。花言葉を聞いてから見たこの花は一目で好きになりました(笑)
7,8年前(もっと前かもしれない)に女子大勤めをしていた時、ちょっと常識の箍が外れてしまった学生さんだったけれど、先生はもう終わっているはずだから(笑)、なんてことを面と向かって言ったのがいて、もちろん反論なんかしたら文春的スキャンダルになるから(笑)フン、と無視しただけでしたが、教養なんてものが信じられていたころの先生なら、おまえ大岡越前の母親の話を知らんのか、と諭したかもしれません。いくつになろうが、せめて心は霧島つつじ(笑)
今日の夕餉
鶏の手羽元、根菜とのスープ煮
アボガドのシラガネギ添え
タケノコの当座煮
きょうはこれがあったので、タケノコゴハンはお休みで、炊き立ての白いご飯
舌平目のムニエル
小松菜のジャコおろしポン酢
サラダ
五目納豆
あとはぬか漬け、赤ワイン。以上でした。
今朝、パートナーが2階の洗濯物干し場に出ようとしてガラス戸をアケタラ、チチッと声がして、パートナーがアーチャンが鳴いてるみたいやね、と言っていたら、そのうちに「‥・ホケキョッ!」と啼いたので、あれ?ウグイスじゃないか?・・・と首を傾げていたら、しばらく喉鳴らしみたいに不完全な啼き方をしたと思ったら、突然自信満々響き渡る声で、「ホーホケキョッ!」
やっぱりウグイスだったようで、姿は見えねどごく近くで何度か繰り返し啼いていましたが、やがて羽音がしてどこかへ飛んで行ったようです。
梅にウグイスで、ウグイスといえば春先に鳴くだろうと漠然と思っているところがあって、えらく遅くまで啼いているんだな、と思ったのですが、それにしてもウグイスも啼くときは喉鳴らしというのか、ちょっと準備が要るみたいで、ホケキョにならない発声を少しやってみてから啼くんだなぁ、と知りました。
嵯峨の家の台所にいたときも、窓のすぐ向こうでしきりに啼いて、まるでこちらの気配を察して、そこにいるならぼくの声を聴いてくれ、と言わんばかりに、こちらが台所で物音を立てていると、余計に熱心に啼いていました。しばらく家の周囲に住んでいたウグイスだったのか、昼間にすぐ近くの電線の上にとまっていい声を聴かせてくれたこともありました。大河内山荘の園内を歩いているときも、しばしばウグイスの声を聴いたものです。
ウグイスはほんとうに人懐こい小鳥だと思います。人がいる気配に、警戒して飛び去るどころか、わざわざ近い距離のところにとまって、ほんとにひとに自分の声を聴いてもらいたくてたまらないかのように朗々と響く例の声を聴かせてくれます。まさに里の鳥なのでしょう。こんな子だから平城、平安の時代から愛され、歌に詠まれてもきたのでしょう。
わが家は比叡山の山麓のすそ野が広がるあたりにあって、東山、北山が近いので、よく色々な野鳥が庭にも降りてきます。例によって小鳥の名もほとんど知らないので、ウグイス、メジロ、コマドリ、ツグミ、山鳩、モズ・・・と数えてその後が続きませんが、実際にはもっとたくさんの種類の中小の鳥たちが下りてきて、木の実をついばんでいたり、枝から枝へぴょんぴょん跳び渡っていたり、小さいのはプリペットの茂みの中でごそごそやっていることもあります。自然が近い、というのは京都に住んでいて本当に幸せだと感じる理由の最も重要なことのひとつです。
saysei at 18:40|Permalink│Comments(0)│
2021年04月26日
曼殊院のさつき
今日のリハビリ自転車行は、以前に2度ほど行ったことのある曼殊院。確かさつきがあった、と思って庭を見てきました。
もし人が多ければ入らずに門前で引き返そうと思っていきましたが、誰も参拝者はなく、受付の方もどうせ誰も来ないだろう、とのんびりくつろいでおられるようで、覗くとびっくりしていらしたようです。
さつきの朱と新緑との対照が瑞々しい初夏の庭を現出してくれていました。
結局参拝者(見学者)は私以外は、私と交代くらいに入って来た中年のアベック一組だけで、ゆっくりと庭を眺めることができました。
私は見たところもどんなところだったかも、すぐに忘れてしまうのですが(だから日記代わりのブログにこんな記事を書いておく、ということもあるのですが)、実際に再訪すると、もちろんすぐに記憶が甦ってきて、あぁここには誰某さんと来たな、彼女はあの時、ここに立って、こんな表情で庭を見ていたな、と極めて具体的にその情景を思い出します。胸の底に沈めてあるそんないくつもの思い出の塊が、私の今のほとんど唯一の宝物です。
今回初めて気づいたのは、この石の外が四角、うちに丸い窪みがあって水が貼ってある水盤で、そこに前のさつきが映って、廊下から眺めるととても綺麗でした。
こんなふうに前の明るい色のさつきが水盤の面に映じていたんですね。こんな偶然の一瞬の出合いがあると、とてもうれしくなります。
帰りは正門の方へ回って参道を一気に自転車で下りましたが、途中振り返ってみたところです。どこも新緑は眩しかった。
今日の比叡。本当に快晴の上天気でした。南の方(都心側)へ行くとどうしても人が多くて、交通量も多いので、腰痛対策に欠かせない自転車行も最近はできるだけ北の方を走るようにしています。道路が直線で幅広くよく整備されていて、交通量が少なく、目当てのスポットへ行っても観光客に出合うことが少ないので、私の目的にはぴったりです。
今日の曼殊院はちょっと山の方で、坂が私の肺では上がれなかったので、降りてゆっくりと自転車を押して行きつきました。もうそうやって歩くのも、坂道だと息がひどく切れて、これはちょっとヤバイかも、こんなところで倒れて人が来なかったらアウトだし、引き返そうか、と思いましたが、前に一緒に行ってくれた人と歩いた時を思い出して、あのときからどれくらい肺機能が衰えたか確かめてやろう、という気持ちで門前にたどり着きました。おそらくあの頃の半分くらいの機能まで落ちているのでしょう。もう次に訪れるのは無理かもしれないな、と思いながら歩きました。
saysei at 22:04|Permalink│Comments(0)│
鯉のぼり!
近くの保育園の庭に鯉のぼりが上がりました。もうすぐ5月ですね。
ゴールデンウィークは今年も緊急事態宣言で、外へ遊びに行きたいお子さんや若い人には不完全燃焼のつらい休日になりそうで、お気の毒です。病床逼迫等が深刻とあって、飲食店だけでなく、百貨店もスーパーも各種公共娯楽・商業施設も休業または時短営業、部分営業といった、かなり厳しい自粛に踏み切ったようですから、押し切ってどこかへ出かけても迎える場所が無ければ空しいことになるでしょう。京都市の岡崎公園などの公共駐車場なども閉じているようなことをラジオで言ってましたから、遠方から車で来ても停める所がなくて困るかもしれません。
個人の行動の自由をできる限り妨げないことと感染防止を両立させることは、とても難しいと思いますが、初期段階で2週間徹底的な措置を講ずれば、島国ですから出入国の検疫を徹底すれば、少なくとも台湾やニュージーランド程度には、コロナを早い時期に収束できたのではないか、という気がしますが、今は何をやっても、ある程度感染の広がりを抑制はできても抑えきることはもうできないでしょうし、かといってロックダウンもできないでしょうから、いくら厳しい措置をとっても解除すればそう間をおかずにまた感染が拡大し始め、何度も同じことを繰り返して幾つもの山と谷を経て、ある種の平衡状態を迎えて起伏がきわめてゆるやかに、二、三年かけて極少化していくと考えるのが自然です。
そんな予想を良い意味で裏切るとすれば、唯一、効き目のある、副作用の少ないワクチン接種が早急に行われ、劇的に感染者が減少していく、ということしかないでしょうが、政府の主導するワクチン接種のための態勢づくりもこれまでのコロナ対応と同様にひどく行き当たりばったりで、そううまくいくとはとても思えません。ワクチンの効果がどの程度あるのか、有効な抗体ができても、どの程度の期間それが持つのかといったことも、本当のところはまだ分かっていないまま、とにかく打てうて、ということでやっているようです。
私たちは高齢者なので、既に先日接種券は届きましたが、申し込みは、このあと案内がきてからだそうで、具体的な接種申込の案内が来たら、かかりつけの医院に連絡して予約をして、というふうなことらしいけれど、接種に協力する医療機関のリストをウェブサイトで見ると、左京区は私など行ったこともない個人病院らしい病院の名が17件(左京区の場合)並んでいるだけです。その他にも、接種はするが、公表したくない病院があるそうですが、逆に掲載されている協力医院の中にも、かかりつけの患者にしか接種しないところがある、と断り書きがあります。
どっと押し寄せられるとほかの病気の患者の治療にもさしつかえたりするから、数を絞るためにふだんかかりつけの患者しか受け入れない、あるいは接種はするけれど病院名は公表しない、ということでしょうが、じゃ「かかりつけの医院」などもたない人はどうなるのか。そういう人は保険料を払っていても医療費を使ってこなかった税金の浪費を節減する上での優等生なわけですが、そういう人が差別されるようなことにはならないのでしょうか。各医院は自分の病院をふだん儲けさせてくれているお客さんだけ受け入れたいのかもしれないけれど、これは国や自治体のワクチン接種の政策理念としては、とんでもないことではないでしょうか。
このような全社会的にパンデミックを生じたような状況では、個別の病院の利害などにふりまわされて国民の間にワクチン接種に差別を生じるようなことがあってはならないので、個々の病院の選択に任せるなんてとんでもないことで、協力医療機関に公平に割り振りをして、誰はダメ、こっちの人だけOKなんてことを許してはならないでしょう。医療機関の側もエゴイズムだけではなくて、実際に偏った予約希望が殺到すれば通常の医療業務に支障をきたすから、自衛策としてそういう対応をとっているのでしょうから、医療機関にも患者側にもできない、そうした調整をきちんとやって、双方が困らないように適切なマッチングを設計するのが行政の役目でしょうに、少なくとも私の住む京都市のお役所には、そういう公平・平等の原則など理解できる人はいないようです。
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2021年04月25日
深泥池のカキツバタ
今日の自転車行はまた大田神社のカキツバタをちょっと覗いたあと、深泥池に寄ってみました。岸辺に近い池の面に、カキツバタの花が咲いていました。少しだけれど可憐な風情。
朝は曇っていたけど、すぐによく晴れて暖かな日でした。少し風が強かったけれど。
手前にカキツバタが幾本か見えます。
小群落
一輪
黄色いの
今日の夕餉
春巻き。筍、シイタケ、ナップ豌豆など春野菜の
タケノコ、ザーサイ、ネギのいためもの
ホウレンソウのおひたし
鮭の塩焼き
タケノコごはん
ブロッコリ
モズク酢
ワカタケの残り。以上でした。
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