2021年03月
2021年03月31日
散る桜、流れる桜、映る桜
今日は黄砂がそれほど飛ばなかったようで、比叡は綺麗にはれ上がった空に映えて見えました。川端の桜の列も満開で、いい景色でした。
きょうは下鴨疎水の桜を堪能しました。哲学の道や平野神社のようないわゆる観光スポットとしての桜名所ではなく、川端のように車が飛ばしていく道路脇でもなく、高野川に遮られる生協裏(浄水場裏)あたりから、下鴨本通リなどいくつもの南北の通りを横切って住宅地のあいだを抜けて府立大学前あたりまで、歩く人の姿もぽつぽつだし、自動車も時々とおるだけだし、自転車でゆっくり見物しながら走って、いいところで時々とまって写真を撮ったり、という絶好の花見の散策路。今満開で、散り始めたところでした。
岸辺の桜が映る川面を散った花弁が流れていきます。風が吹くとまたほろほろと花びらが舞い落ちてきます。
人通りと言っても、平日の昼間、こんなところです。
水面が鏡面のように岸辺の桜を映す中を、落花した花びらの塊が流れていきます。上を見ても桜、下を見ても桜、横を向いても前を向いても後ろを向いても桜です。
きょうはようやくカントの「啓蒙とは何か」とフーコーの全く同じタイトルを持つ、カントのこの小論文を解釈しながら、自身の知的戦略の構図を提示するようなフーコーの小論文を読んで、読書ノートをこのブログに昨日から書いていたのを終えました。まったく引き写しただけのメモになってしまったけれど、自分だけはそのメモを読んだら、何が書いてあったか辿りなおすことができ、ついでにそれを書いたときに、どこがどう分かっていなかったかが分かる、というわけです。
昨日はかなり体調が悪くてしんどかったけれど、きょうは気候のせいか、体が軽快な感じで、パートナーが整体に行ってる間に一人で掃除ができました。花粉やら黄砂やらが家の中まで入り込んでいそうなので、こまめに掃除しておくほうがよさそうです。
今日の夕餉
トンカツとアスパラのササミロールフライ。
タケノコの煮物
自家製キノメ味噌。筍はこれをつけて食べます。色、香り、味三拍子そろって、これで京都産タケノコを食べるのは最高の贅沢です。この味噌は、私が育てている山椒の葉をすり鉢にすりこぎですりつぶして、白みそにちょっとミリン(でしたっけ)を加えて作ったもので、木の芽をふんだんに使ったからこんな良い色が出るのだそうで、市販の木の芽味噌は、木の芽の外のもので増量してあるから、こんな色は出ないそうです。とりたてだから、味も香りもすばらしい。山椒だけは自分で育てていて正解でした。そうそう、バジルもそろそろ種まきの季節だとか。
マカロニサラダ。
ホウレンソウのおひたし。
ラザーニア。昨日の残りに外の残りものを加えて焼き直したらしいけど、美味しかった。
モズク酢。
サラダ・
タケノコ炊き込みご飯。
ぬか漬け。以上でした。
saysei at 20:54|Permalink│Comments(0)│
黄砂に煙る比叡
これは昨日、3月30日、高野橋から撮った比叡山と川端桜です。空は晴れていると思うのですが、全体に猛烈な黄砂が空を覆っていて、北山も比叡も霞んでいました。
桜は綺麗ですが、この黄砂、PM2.5、花粉の肺へのトリプルパンチは勘弁してほしい。
川端桜はほんとに綺麗。
もう満開でした。
銀閣寺道の疎水は例年のように散った花びらが水面にたまっていました。
哲学の道へ行くまでの疎水桜も満開。
30日の夕餉
豚肉、ベーコン、グリンピースの白ワインクリーム煮込み、ニョッキ添え。
茄子とズッキーニのラザーニア風グラタン。
グリーンサラダ。以上でした。
saysei at 20:03|Permalink│Comments(0)│
「啓蒙とは何か」~つづき
ド素人による哲学書の手ブラ読みの続きです。いきなりこのブログに書いているので、長くなると、毎日感謝を込めて書いている「きょうの夕餉」が書けなくなってしまうので(笑)、いったん中断しました。単なる読書メモに過ぎませんが、少しは頭の体操のつもりで書いてみます。
フーコーの「啓蒙とは何か」は、カントの同じタイトルの小論文の重要性を語りながら、それ以上にフーコー自身がカントをどう評価し、とりわけカントの「批判」をどう受け止めてきたかを語る、短いけれどとても重要な小論文のような気がします。
実は先日従弟の子から送ってもらったフーコー論を少しは理解できるように、彼のテクストを読むのとそれを理解するための下準備とを並行させて(笑)まさに泥縄式でこんなものを読んでいます。
従弟の息子の論文は、フーコーを、カントの<批判>をどう受け止めて来たかという観点から読み解いていこうという趣旨のものなので、その主たる材料であるフーコーによる『カントの人間学』を読まないと話にならないのではありますが、まだ読んでいません。そのうち読もうとは思いますが。
しかし、この「啓蒙とは何か」についても彼の論文で触れられていたので、まずはすぐ読めそうな(単に量的に短い、というだけですが・・・笑)カントとフーコーが同じタイトルで書いている、この両者の小論を読んでみたのです。
カントのは昔読んだかすかな記憶があって、そのときと同様にさらっと読めたけれど、次にフーコーのそれを論じた小論を読むと、それ自体が超高密度で手ぶらのこちらには理解困難なところが山ほどあるばかりか、フーコーを読んでしまうと、さらっと読めたはずのカントの小論のほうまで、とたんにいまの自分には理解困難な奥の深いものに見えてきて、フーコーを読みながらまたカントのページをくってみるというようなことをしながらメモしているようなわけです。
さて、フーコーによれば、「カントは人間が彼自身の未成年状態から脱出するための二つの条件を定め」ています。それは両方とも、「精神的であると同時に制度的、倫理的であると同時に政治的なもの」だそうです。
次にフーコーは当然その二つの条件を紹介するはずで、最初に「これらの条件の第一のものは、服従に属することと、理性の使用に属することとを明確に区別しなければならない、というものだ」と述べています。
ところが、この「第一の条件」についてひとしきり述べて、次には当然「第二の条件」というのが来ると思って読んでいくと、そういうのはありません(笑)。これは、昨日書いた、「カントのテクストにおいて、第三の困難があらわれる」と述べられているものの、じゃあ「第一」と「第二」の困難って何なんだ?どこに書いてあるの?と、その言葉自体を探しても見つからないのと同様です。
まあ内容を理解しているなら、読者が自分で探せ、当然わかるでしょ、ということなのでしょうが、これは大変不親切な書き方ですね。
哲学ってのはそれを語る語り口も論理的なはずですが、「第一に」と言いながら、第二、第三がなくて、ずるずるっと語り継がれるような、だらしない非論理的な文章をフーコーさんが書くとも思えないので、自分ではよくよくわかっているから、読者も当然分かるだろうと、ことばとしては省略してしまったのかどうか。
学校の先生が生徒に意地悪するみたいに、さあ生徒諸君、自分で考えてごらん、と省いちゃったのか(笑)、あるいはご本人か訳者が「第一」は書いたけど、「第二」、「第三」を書くのを忘れちゃって、ついほかの話題へ逸れていっちゃったのか(笑)。
まぁ一番ありそうなことは、それらのいずれでもなく、私に読めてないだけで、「第二の条件は」、と書いてなくても、他の読者には明々白々、ということなのでしょうけれど。
そこで、ここでの、カントの「啓蒙」の第二の条件は、多分次の節でフーコーが論じている、カントが持ち込んでいる「もう一つ別の区別」をはっきりつけなければいけない、ということなのだろうと考えて先へいくことにしましょう。
まず「第一の条件」の方ですが、フーコーは次のような引用の仕方をしています。
人間が成人になるのは、もはや服従しなくてもよくなるときだ、というのではなく、「服従せよ、そしてあなたはあなたが望むだけ論議[推論]してよい」と言われるときだというのである。(引用は、昨日と同様、石田英敬訳のフーコー「啓蒙とは何か」、筑摩書房のフーコー・コレクション6 によります。以下すべて同じです。)
フーコーのこういう(カントからの)引用の仕方は、かえってカントの言っていることの理解を難しくするような気がしますが、要は職業人として組織人として理性を行使し、行動する時には、その職業なり組織なりの求めるルールなり倫理なりに従い、他方その場を離れて一地球市民として自分個人の理性を行使し、行動する場合には好きなようにする、という当たり前のことをカントは言っているだけです。
ことばの背景や、命題に付されている条件づけみたいな言葉を省いたり、抽象的な言葉に置き換えて、フーコーがやっているような言葉の取り出し方をすると、それだけ読んでも分かりにくいし、わざと煙に巻くようなやり方で、哲学者の悪い面を見るような気がします。
それはともかく、ここで「論議[推論]」と訳されている言葉について、フーコーは次のようにこだわっています。
ここで使われているドイツ語の単語が "räsonieren” であることに注意すべきだ。この語は、カントの三批判においても使用が見られるが、理性のありふれた使用について言われるのではなく、理性がそれ自身以外の目的を持たないような理性の使用、について言われるものなのだ。"räsonieren”とは、論議[推論]するために論議[推論]することなのだ。
これはちょっと意外な指摘です。私が翻訳ではあるけれど、カントのこの小論を読んだ限りでは、「論議[推論]」と訳されたこの言葉は、ごく普通に議論する、何かを論じる、あるいは自分の意見を語ることだと理解して抵抗なく読んでいけるし、この言葉に特別な意味のさわりのようなものを感じることはなかったからです。
上に引いたフーコーのように「論議[推論]するために論議[推論]すること」だと強調すると、"räsonieren”という言葉が、「議論のための議論」というニュアンスのように解されてしまいそうです。
このドイツ語は、フランス語の raisonner(理性的に考える・語る)から派生した言葉だそうで、シェリングは『近世哲学史』の中で、カント出現以前のドイツ哲学の低調さを、「たんに合理的な(bloß räsonnirende)哲学」が盛行していた時代と表現し、ヘーゲルもまた、räsonieren を、「理屈をこねる」という悪い意味でよく使っていたそうです。(ウェブサイト「哲学用語の解説」http://ntaki.net/di/Te/ra.htm による。)
だから "räsonieren" という言葉が「議論のための議論」という否定的なニュアンスを担うということはあり得るのでしょうけれど、カントのこの小論における使用例にそれを当てはめると、意味をなしません。
カントの原文がウェブサイト上に上がっていたので、ドイツ語の原文を翻訳文と照らし合わせて、この "räsonieren" という言葉の使い方を調べてみましたが(ヒマでしょう?・・笑)、使われているのは8回だけで、いずれも、ふつうの「議論する」であって、とくに「議論のための議論」といった否定的なニュアンスを強調するものではありません。
一番多く(5回 )"räsonieren" が使われたパラグラフは次のとおりです。(下線太字は引用者)
ところでわれわれはあらゆる場所で。議論するなと叫ぶ声を耳にする。将校は「議論するな、訓練をうけよ」と叫ぶ。税務局の役人は「議論するな、納税せよ」と叫ぶ。牧師は「議論するな、信ぜよ」と叫ぶのである。好きなだけ、好きなことについて議論せよ、ただし服従せよと語っているのは、この世でただ一人の君主[フリードリッヒ大王]だけなのだ。(中山元訳。光文社古典新訳文庫。太字下線は引用者)
だから、フーコーはそういうことが言いたいのではなくて、カントが啓蒙ということを理性の使用で定義づけているから、その理性の使用(およびその表現、公表)としての議論、という意味ですよ、と言いたいだけなのでしょう。
次に、私がフーコーの言うカントの挙げた啓蒙が成り立つための「第二の条件」はこれだろう、と考えた後者に話を進めるなら、それは私も最初読んだときに、これは反対じゃないか?と少し混乱した、理性の使用に関する例の「私的」と「公的」の区別についてです。
フーコーもここで驚いたとみえて、カントが「理性はその公的な使用においてこそ自由であるべきであり、その私的な使用において服従させられたものであるべきだ」というのは「通常ひとが良心の自由とよぶものとは正反対」だと述べています。
しかし、彼は冷静にカントの議論を辿って、カントの言う「理性の私的な使用」とは、ひとが「機械の一個の部品」であるときのものだ、という彼独特の言葉に置きなおして説明しています。それは「人間存在を、社会の中の個別的な線分に変えてしまう」ときであり、人はそうしたことによって「自分自身が規則を適用し個別的な目的を追求せねばならないような限定された位置のなかに置かれることになる」のだ、と。そして、カントはなにも盲目的に服従せよと言っているのではなく、「そのような限定された状況にふさわしい理性の使用を行うべきだと述べているのだ」と。
この辺の議論はカントの小論そのままの紹介で、とてもよくわかります。「理性の公的な使用」についても同様に、「自分の理性を使用するためにのみ、ひとが議論[推論]するとき、理性ある人類の構成員として、ひとが論議[推論]するとき、その時こそ、理性の使用は自由で公的なものとなる」と、これもそのとおりですね。「自分の理性を使用するためにのみ」というふうな言い方だけが、先に述べておいた"räsonieren”へのフーコー独自のこだわりであるとしても。
フーコーはカントのこの「理性の公的使用」の観点から見られた、啓蒙の成立条件を次のようにまとめています。
理性の普遍的な使用と、自由な使用、そして公的な使用が重なりあったときに、啓蒙が存在するのだ。
「しかし、このことは、私たちを、カントのテクストに愛する第四の問いへと導く」とフーコーは続けています。ここでも例によって、「第一の問い」から「第三の問い」までがなくて、いきなり「第四の問い」が登場します(笑)。さっきの「第三の困難」が「第三の問い」にあたるのでしょうか。
とにかくその「問い」とは、カントのいうような「理性の公的な使用は、いかなる方法で確保されるのだろうか」ということです。フーコーによれば、啓蒙は「たんに人類全体に関わる一般的なプロセスと考えるわけにはいかない」し、同時にまた「たんに諸個人に対して課されるべき義務とも考えられてはならない」のです。
これは少し前の部分では、カントの言葉はこの両方のどちらにもとれる、或いはどちらをも意味する「両義性をもつ」という言い方でした。そこが疑問なようでもあり、カントの議論の「困難なところ」だというニュアンスではありましたが、カントの考え方だとそんな風になる、という意味では肯定的な言及がされていたように思います。
しかし、ここでは、そういう解釈は両方ともばっさり切り捨てられています。私たちが人類社会の一員として理性を行使すればおのずから未成人状態から成人状態へと「脱出」していく、という推移をたどるのが人類一般の辿るプロセスだというわけにもいかないし、その「脱出」を個人のなすべき義務のように見なして勇気を持て、と言って済ませる訳にもいかない性質のものだ、と。
じゃどういう性質のものかといえば、フーコーは「それは、今や一つの政治的な問題として現われてくる」というのです。
これはフーコーさん自身がそう考える、というのか、カントのこの小論を読んでいくと、そういう問題として立ち現れてきている、つまりカントがそんな風に考えている、とフーコーさんが言っているのか、ちょっとどっちだろうと思ったりしましたが、私は後者だと思って読みましたが、それをフーコーさんもカント流の答えとして追認し、こんな風にこの「第四の問い」への解答は政治的な問題にならざるを得ないのだ、ということを確認しているニュアンスじゃないか、という感じで読みました。
啓蒙が理性の公的な使用による未成年状態からの脱出だとしても、それは現実に、或いは具体的に、どういう方法で、どういう筋道で実現可能なのか。自分の所属する組織、身分、立場、ルールに服従している現実の人間が、そういう現実の世界で、どうすればそれらの縛り(制約)から自由に、世界市民の一人として堂々と理性にのみ従って考え、判断しその結果を公表する勇気が持てるのか。
この問いに対するカントの解答を象徴するものとして、フーコーが持ち出すのは、彼の言う、カントが結論部で持ち出す、フリードリッヒ二世に対して提案する一種の契約、「理性的な専制と自由な理性との契約」ともいうべきものです。カントの提案をフーコー流に言えば、「自律的な理性の公的で自由な使用は、服従の最良の保証となるであろう、但し服従すべき政治的原理がそれ自身普遍的理性に適合するものであるという条件において」ということになります。
これでテキストの検討をひとまず終えたフーコーは、カントのこの小論の持つ意味を、昨日引用した部分にあるように、三批判との関係を強調することで明らかにし、カントの著作の中での位置づけを試みています。
その際に、ただ「批判」との関係だけでなく、最初に「現代」へのアプローチの独自性に触れていたように、他の著作にみられる歴史についての考察との関係にも触れて、その両方から、このカントの小論文の位置を定めようとしています。
私はまた、カントのこのテクストと歴史について書かれた一連の他のテクストとの関連も強調しておかねばならないと思う。他のテクストの大部分は、時間の内在的な目的性、及び人類の歴史が向かう点を決定することをめざしている。ところが啓蒙の分析は、啓蒙を人類の成人状態への意向と定義することによって、全体の運動及びその基本的な方向との関わりで、現在性を位置づけている。だが同時に、その分析は、いかに、この<現在>のこの時において、各人が全体のプロセスについて、一定の仕方で責任があるものなのかを示してもいる。
こうして、「批判的省察」と「歴史についての考察」のいずれもと、このカントの小論分との関わりに触れたうえで、それを統合する形でフーコーのカント論文への最終的な評価のイメージが登場します。
私が提案したい仮説は、この小さな論文が、批判的省察と歴史についての考察との、言わば、連結部(ターニングポイント)に位置する、というものだ。それは、カントによる自分自身の企ての現在性についての反省なのだ。
この評価から、フーコーは、ここに「一つの出発点」を見出すことができるのではないか、と言います。そこには「<現代性(モデルニテ)>の態度、と呼んでもよいかもしれないようなものの素描が見て取れる」のだと。
<現代性>については、しばしばこれを一つの時代のことであるかのように、或いは一つの時代の特徴的性格の総体であるかのように語られてきた。素朴で古風な<前ー現代性>に先立たれ、謎に満ち不安な<後-現代性>がそのあとに続くような時間軸の上に位置付けて。そして、その<現代性>が啓蒙の継続、発展をなすものであるのか、あるいは18世紀的な原理との断絶や逸脱を見るべきなのか、と自問するのが常だった、と。
しかし、カントは全く別の観点を示唆してくれる、とフーコーは言うわけです。
カントのテクストを参照することによって、私は、現代性を、歴史の一時期というよりは、むしろ一つの<態度>として考えることができないだろうかと考えるのだ。態度という語によって、私が意味するのは、現在的現実(アクチュアリテ)に対する関わり方の様式のことなのだ。
ここまできて、やっとこの小論の冒頭でフーコーがなぜ、<現在>へのアプローチに従来これこれの三つの類型があった、カントはそのいずれでもない、とその独自性を指摘した理由がはじめてよくわかるようになります。そして、そのときにも用いられた<アクチュアリテ>という言葉で意味しようとしていることも、直観的によく理解できるように思いました。
現代性を現在的現実に関わる態度だと考えるなら、現代を前―現代や後―現代から区別するよりも、むしろ「現代性の態度が、その形式以来、『反―現代性』の諸々の態度と、どのように闘争してきたかを考えるほうがよいのではないか」というのも理解できそうです。
しかし、これに続いてフーコーが「この<現代性>の態度を手短に特徴づけるために」ボードレールを例に挙げ、人がボードレールを、「伝統の断絶、新しさの感情、過ぎ去ったものの眩暈」など、時間の非連続性の意識によって特徴づけようとするのは間違いで、ボードレールにとって<現代的>であるということは、「この絶えざる運動を認め受け入れることではな」く、反対に「この運動に対して一定の態度をとる」こと、つまり「永遠的な何かを、<現在>の瞬間の彼方にではなく、またその背後にでもなく、その瞬間自身の裡に、捕まえること」にあり、現代性は現在の瞬間の裡に「英雄的な」ものを摑むことをゆるす態度のことだ、と語るとき、それはひとつボードレール論でもちゃんとやってくれないと、そういう抽象的な言いかたで自分流の独りよがりな結論だけを、かいつまんで言われても、よほど君の言説をありがたがって妄信する読者以外には理解不能だぜ、とでも言いたくなります。
もちろん、彼の言いたい<現代性>、従って、カントがこの小論でそういう<態度>で示しているとフーコーが考えている<現代性>というのが、感受性にひっかかってくる、諸々の事象が流行し、うつろっていくその変化の彼方やら背後やらに潜んでいるでもなければ、プレモダンやポストモダンから区別されることで画定されるものでもなく、現在の瞬間の裡に捕らえるほかはない<英雄的な>ものを摑み取る態度のことだ、と言いたいのはわかるけれど、それは文字を追っかけただけで(笑)、腑に落ちましたというわけにはいきませんが、まぁ読み飛ばしても差し支えないでしょう。
ここまで<現代性>にこだわり、そこにアプローチする<態度>に、似て非なるものとの決定的な違いあると彼が考えるのは、そのあとにこういう<批判的―実践的>な考え方が控えているからでしょう。
現代性の態度にとっては、<現在>のもつ高い価値は、その<現在>を、そうであるのとは違うように想像する熱情、<現在>を破壊するのではなく、<現在>がそうある在り方の裡に、<現在>を捕捉することによって、<現在>を変形しようとする熱情と切り離し得ないのだ。
彼は引き続きボードレールについて語っていて、ボードレールにとっての<現代性>が、「単に<現在>に対する関わり方」ではなく、「自分自身に対して打ち立てるべき関係の在り方」でもあって、この意志的な態度は禁欲主義と結びついており、ボードレールにとって<現代的>であるとは、単に過ぎ去る個々の瞬間に、あるがままの自分を受け入れることではなく、「自分自身を複雑で困難な練り上げの対象とみなすこと」であり、そういう態度を彼は「ダンディズム」と呼んだのだ、というなかなか面白い話まで広げているのですが、「ボードレールにとって」という言葉を付された次の言葉は、フーコー自身がカントに示唆されて読み取った<現代的>な態度にほかならないと考えてもいいものではないでしょうか。
現代的な人間とは、自己自身の発見、自らの秘密および自らの隠された真理の発見へと向かう人間ではない。現代的な人間とは、自分自身を自ら創出する人間のことなのだ。現代性は、「人間をその固有の存在へと解き放つことではない」。現代性は、人間を、自分自身を作り上げるという使命に縛り付けるのである。
どうやらこういう使命に向かわせる<態度>のうちに、フーコーは現在を英雄化する、という「アイロニカルな英雄化」を見ているようです。
こうして色々<現代性の態度>がどういうものかについて語りながら、これで<現代性の態度>を全て要約したつもりはないとことわり、<啓蒙>とは何か、に戻って、この問いから、現在的な視点も、歴史的な視点も、自己の主体形成の問題も同時に派生してくるのだ、と次のように述べています。
一方において、私は、現在に対する関わり方、歴史的存在の仕方、自己自身の自律的な主体としての構成という、三つのことがらを同時に問題化するようなタイプの<哲学的な問い>が、<啓蒙>に根ざすものであることを強調しておきたかった。他方において、私は、私たちを啓蒙へ結びつけている絆が、教養の諸要素への忠誠というようなものではなく、むしろ一つの態度の絶えざる再活性化なのだ、ということもまた強調しておきたかった。
このような<啓蒙>はいわゆる、<人間主義(ヒューマニズム)>とは、しばしば安易に混同されるけれども、それは全く別のものだ、と、フーコーは人間主義の否定へと話を進めています。
啓蒙は「一個の出来事」であり、或いは「諸々の出来事と複雑な歴史的プロセスの総体」であって、「ヨーロッパ諸社会の展開の或る時期に位置するもの」であり、それを形作る総体は「社会的変化の諸要素、政治的制度の諸タイプ、諸々の知の形式、認識と実践の合理化の諸計画、テクノロジーの諸変動を含むもの」で、今もその現象の多くが重要なものでありつづけているけれども、一言でそれを要約することが困難なものだ、と。要はいまも社会の中で生きていて複雑で未解明なものだけれど、歴史的事象として輪郭のはっきりした、ある時代に根づいたものだということでしょう。
これに対してフーコーは、人間主義というのは全く別のものであり、それは「一つのテーマ」、いや「むしろ諸々のテーマの総体」であり、「ヨーロッパ諸社会において、時代を貫通して何度も繰り返し登場してきたもの」だと言います。時代を貫通して登場したというのは、超歴史的なその都度の説明のための原理だということではないでしょうか。それは常に価値判断に結びつき、常に変化しながら、「差異化の原理として働いてきた」と彼は言います。宗教批判として登場した人間主義もあれば、キリスト教的人間主義もあり、科学に敵対する人間主義もあればマルクス主義や実存主義の顔をした人間主義もあった、というわけです。
こういった人間主義というのは「反省のための軸として役立つためには、あまりに順応的で、あまりにも多様であり、あまりにも内容の堅固さを欠く」と批判されているのです。
これに対してフーコーは「批判及び、私たちの自律における私たち自身の絶えざる創出という原理を対置」できるのではないか、と言います。そして、「それこそ、啓蒙が自分自身について持ってきた歴史的意識の中心にある原理なのだ」というのが、カントのこの小論に示唆された彼の啓蒙観であり、それを<現在>へのアプローチの戦略として採用しようというのでしょう。
ここから、では具体的にそれはどのような哲学的な理念として組み立てていくべきか、というところに最後に踏み込んでいきます。
フーコーによれば、それは一つの「限界的態度」として性格づけることができるものだそうです。
ひとは、外と内との二者択一を脱して、境界に立つべきなのだ。批判とは、まさしく限界の分析であり、限界についての反省なのだ。しかし、カントの問題が、認識が超えることを諦めるべき限界とはどのようなものなのかを知るということにあったとすれば、今日における批判の問題は、積極的な問いへと反転されるべきだと、私には思われる。私たちにとって、普遍的、必然的、義務的な所与として与えられているものの間で、単独で、偶然的、そして、ある種の恣意性にゆだねられているものの占める部分とはどのようなものなのか、と問うべきなのだ。要するに、必然的な制限のかたちで行使される批判を、可能的な乗り越えのかたちで行使される実践的批判へと、変えることが問題なのだ。
ここから、カントとフーコーの<批判>の性格の違いでもある次のような結果が導き出されます。
<批判>は、普遍的な価値を持つ形式的構造を求めて実行されるものではもはやなく、私たちが行うこと、考えること、言うことの主体として、私たちを構成し、またそのような主体として認めるように私たちがなった由来である諸々の出来事をめぐって行われる歴史的調査として批判は実行される。
この批判は、超越論的ではなく、形而上学を可能にするという目的を持つことがないのだ。この批判は、その目的性においては、<系譜学的(généalogique)>であり、その方法においては、<考古学的>なものなのだ。
<考古学的(archéologique)>であるー超越論的ではないーというのは、この批判が、あらゆる認識、あらゆる可能な道徳の普遍的な構造を解明することを求めるのではなく、私たちが考え、述べ、行うことを分節化している、それぞれの言説を、それぞれに歴史的な出来事として扱うことをめざすという意味においてである。
<系譜学的>であるというのは、私たちに行いえない、あるいは、認識しえないことを、私たちの存在の形式から出発して演繹するのではなく、私たちが今のように在り、今のように行い、今のように考えるのではもはやないように、在り、行い、考えることが出来る可能性を、私たちが今在るように存在することになった偶然性から出発して、抽出することになるからだ。
長い引用になりましたが、この一節はこの小論文の中でもとびきり重要な箇所だと思って読みました。~ではなくて、と否定的に述べているのはみなカントの<批判>の性格について語っているので、その後に続くのが、彼が考える現在のあるべき<批判>のすがたということになります。これほど明確に両者の<批判>の違いを、本人の口から端的に語った言説もそうないのではないでしょうか。
こういうことがすべて単なる断言や自由の空疎な夢にならないために、この<歴史的―批判的>態度は、同時にまた<実験的>な態度であるべきだ、とフーコーは続けています。そして「私が言いたいのは、私たち自身の限界に立つことで実行されるこの仕事が、一方では、歴史的調査の領域を開くものであるべきだということ、他方では、変化が可能であり、また望ましくもある場所を把握し、また、その変化がどのようなものであるべきかを決定するために、現実と同時代(アクチュアリテ)の試練を自ら進んで受けるべきだということなのだ」と説明しています。
こうした歴史的分析と実践的態度の相互作用による<実験>を、フーコー自身は、それまでの20年ほどのあいだ、「思考様式、権威の関係、性の関係、私たちが狂気や病を知覚するやり方などに関する幾つかの領域で」実践してきたわけです。それは「自由な存在としての私たち自身に対する私たち自身の働きかけの作業」だとフーコーは言います。
しかし、そうした常に部分的で局所的な調査や実験にとどまり続けることによって、「意識もされず統御もできないかもしれないようなより全体的な諸構造に、逆に規定されてしまうという危険はないだろうか」という,在り得る批判に対して、彼はそうした作業のそのつどの歴史的限界については認めながらも、それはこうした作業が無秩序で偶然的なものに過ぎないことを意味するものではなく、「その作業自身は、固有の一般性を持ち、固有の体系性を持ち、固有の均一性、そして固有の賭けられたものを、持つものなのだ」と反論しています。
そして、その一つ一つについて説明していくのですが、まだ一読した限りではよくわからないところがあります。
最初は「<歴史的―実践的批判>に賭けられているもの」です。逆からですね。
最初に「そこに賭けられているのは、『能力と権力との諸関係のパラドクス』と呼ぶことができるような事態によって示される」と書かれています。18世紀には技術力と個人相互間に成立する自由とが同時的、比例的に増大していたけれども、諸能力の増大と自律性の増大とはそう単純な関係では済まないことは歴史の示してきた通りで、規律国家の名において行使される規範化の措置、社会や人口の諸分野による諸々の拘束等々が起きている。だから<歴史的―実践的批判>に賭けられているのは、「そうした技術的諸能力の増大と権力関係の強化とをどのように切り離しうるか」だというのです。
「賭けられているもの」というふうな言い方がかえって分かりにくくしているような気はしますが、ここはフーコーが私たち現代に生きる者がなすべきと考えている歴史的実践的批判が成し遂げるべき目的なり、課題なりのことだとでも考えておけばいいのじゃないか、と思います。
次は「均一性(homogénéité)」です。これはもろもろの「実践的総体(ensembles pratiques)」と呼ぶことができるようなものの研究へと導くことになるのだそうです。
「研究対象を構成する均一な領域として、人間が自分たちに与える表象でも、気づかないうちに人間たちを規定している諸条件でもなく、人間たちが行っていること、人間たちがそれを行うやり方を、扱うことになる」のだといいます。
よくわからないけれど、たぶん<実験>している自らの主体の行動様式をテクノロジーの側面も含めて対象とするのでしょう。従って、これは「テクノロジックな側面と戦略的な側面とを同時にあわせもち、この実践の領域によって保証されるもの」ということになるのでしょう。
「均一性」というからには、ここで問題にしている「<歴史的―実践的>な実験」という作業の何らかの要素がみな均一(均質?)だ、何らかの意味で均しい、というのでしょう。
実験そのものの対象(対象領域)は様々だけれど、ここではその実験をする作業主体が研究の対象になる、ということで、広い意味での作業主体なりその在り方のことを、もろもろの「実践的総体」などと呼んでいるのでしょうから、それなら個々の実験ごとに対象領域は異なるけれども、その実験にあたる作業主体は同じで、誰がやり、どんなグループがやっても、ある時代のそのような主体のありようというのは、その時代のテクノロジーや、その時代が到達した戦略論的なものに制約されるというか、依拠せざるを得ないわけですから、その時代の作業主体のありようとして、「固有の均一性」を持つ、と言えなくはないでしょう。
でも、そんな分かり切ったことに、いちいち「均一性」なんて大仰な表現を与えるんでしょうかね(笑)。まるっきり素人読みの見当違いかもしれません。
三番目が「体系性」(systématicité)です。
さきの「実践的総体(ensembles pratiques)」は、三つの大きな領域に属している、とフーコーは言います。①事物に対する支配の諸関係の領域、②他者たちに対する行動の諸関係の領域、③自己自身に関わる諸関係の領域、の三つだそうです。作業主体が関わりをもつとすれば、なるほど、事物か、他者か、自己しかありませんわね。ただ、この三つは相互に関わり合っている、と彼は言います。事物との関わりは他者との関係を媒介とし、他者との関係は常に自己との関わりを伴う、と。これもよくわかります。
フーコーらしいところは、この三つの領域の絡み合いを言った直後の、次の一節です。
ただ、それらは、それぞれの固有性と絡み合いを分析すべき三つの軸、すなわち、知の軸、権力の軸、倫理の軸、なのである。
もちろん、事物の支配は知の軸に、他者との関係は権力の軸に、自己との関係は倫理の軸を中心にしながら、その固有性と相互の絡み合いを研究していくことになるでしょう。
これで一挙に作業の視野が開かれるような感じがすると同時に、そこに現われる世界を<調査>していくこの<歴史的―実践的>な実験の作業がそれに沿って進められるべき筋目が見えてくるような気がします。
ここから必然的にフーコーは私たちが発するべき問い、なすべき調査が、どのような「体系化」に対応することになるかを導き出しています。
すなわち、如何にして私たちは私たちの知の主体として成立してきたのか、如何にして私たちは、権力関係を行使し、またそれを被るような主体として成立してきたのか、また、如何にして私たちは、私たちの行動の道徳的主体として成立してきたのか、という体系化である。
最後の4番目が「一般性(généralité)」です。
彼は、それまでに述べてきたような歴史的―批判的調査は、「つねに、一つの素材、一つの時代、限定された実践と言説が作り出す一まとまり、について行われるという意味で、非常に個別的なもの」であるけれども、「少なくとも、私たちがそこから派生した西欧社会という尺度においては、それらの調査は一般性をもつもの」だと述べて、この作業の固有の性格づけのひとつとして、「一般性」を挙げているわけです。
なぜなら、と続けて彼は、「理性と狂気との関係の問題」、「病と健康との関係の問題」、「犯罪と法との関係の問題」、「性的な関係に与えられるべき地位の問題」などの調査が、「今日にいたるまで、繰り返し行われてきたからだ」と、それが少なくとも西欧社会では<一般性>を満たしていると言っているようですから、この「一般性」はごくふつうの私たちが日常使う言葉の意味で、西欧ではよく取り上げらる一般的な問題だよね、ということのようです。
フーコーが例示している「問題」は、まさに彼自身がその主著の幾つかで扱ってきた問題で、彼が『言葉と物』のような西洋の知の全体を相手にするような著作から、こうした個別的な領域へ踏み込んだいったことのうちに、ここで述べられてきたような<歴史的―実践的>な実験のありかたについての考え方、<現代性>への<態度>というものがあったのだと理解すべきなのでしょう。
しかしその中身は必ずしもすんなりと腑に落ちるような、わかりやすいものではないように思います。彼がああいうやり方でもなければ、こういうやり方でもない、と否定する方はよくわかるけれど、じゃお前のはどういうやり方なんだ、と問う時に出てくる彼の答えの方は、決してわかりよいものではありません。そのうちよく理解できるのかどうか、ここではその部分を取りあえず丸写ししておきましょう。
しかし、私がこの一般性を喚起するからといって、それを時間を貫く超歴史的な連続性において跡づけたり、その変遷を辿るべきだなどというのではない。理解すべきなのは、それらの問題について私たちが知っていること、それらの問題において行使される権力の諸形式、それらの問題において私たちが自己自身に関して経験することが、いかなる度合いにおいて、対象、行動の規則、自己への関わりの様式を規定している問題化の一定の形式によって、一定の歴史的なかたちとして構成されるものであるのか、ということなのだ。そのような<問題化>の諸様式の研究(すなわち人間学的恒常項でも、時代的な変動でもないものの研究)は、一般的な射程を持った諸問題を、歴史的に単独な諸形態において、分析するという方法なのである。
ここで「問題化」と言われていることが、具体的にたとえば、どういうことを指しているのかが分かれば容易に理解出来そうな気はしますが、いま一通り読んだとこでは、私にはよくわかりません。
仮にここは、こんな風に読んでやり過ごしておきましょう。
先に彼が挙げていたような研究領域に関して、事物を支配しようとする知の領域、他者との関係における権力関係とそのもとでの行動の規則、自己自身との関わりにおける倫理において、その固有の在り方と相互の絡み方などを規定している、特定の時代と社会における問題としての取り上げ方が、どのように現実の歴史的な出来事の形をとって現れてきているのか、ということを、<人間>という恒常的な虚構の原理に還元するのでも、前―現代から後-現代へ時代的に変動するモードのようなものとしてでもなく、ひとつの時代・社会がどのように問題化してきたか、その諸様式を研究すること、それは少なくとも西欧社会においては一般性をもつものだが、あくまでもそれは超歴史的なものではなく、具体的な特定の時代と社会の出来事の裡に探究され、その固有の在り方を分析する中で見出されるものにほかならない、と。
最後にフーコーはカントに戻り、カントの啓蒙の問いが私たちに次のようなことを示唆している、とまとめています。
私たち自身の批判的存在論、それを、一つの理論、教義、あるいは蓄積される恒常体とさえ見なすのではなく、一つの態度、一つのエートス、私たち自身のあり方の批判が、同時に私たちに課された歴史的限界の分析であり、同時にまた、それらの限界のありうべき乗り越えの分析でもあるような、一つの哲学生活として、それは理解されるべきなのだ。
そして、このような哲学的態度は、様々な調査の作業に翻訳されなければならない、と述べ、それらの調査のありかたについても踏み込んで、次のように述べています。
それらの調査は、技術論的(テクノロジック)なタイプの合理性であると同時に、諸々の自由な戦略ゲームとしてとらえられた諸々の実践の、考古学的であると同時に系譜学的な研究においてこそ、方法論的一貫性を持つことになる。それらの調査は、また、私たちの事物に対する、他者たちに対する、そして私たち自身に対する関係の一般性がそれを通して問題化されてきた歴史的に単独な諸形式の定義のなかにこそ、その理論的な一貫性を持つものなのだ。さらにまた、それらの調査は、歴史的ー批判的反省を具体的な諸実践の試練にかけるべきであるという配慮のなかに、自らの実践的一貫性を持つことになる。
これまで述べてきたことをこのように繰り返して要約し、フーコーはこの小論文をしめくくっています。30ページほどの小論文ですが、フーコーの仕事全体の見取り図というのか戦略というのか、彼がどんな風に考えてああいう仕事に取り組んできたのか、そしてその基本的な姿勢を、どんなふうにカントの<批判>から受け継いできたかを、コンパクトな形で教えてくれるような論文だと思います。
怖いもの知らずで何の準備もなく手ぶらで読んできましたが、彼の医学や監獄や精神病施設等々に関わる著作を単にそれぞれのテーマの歴史的研究と漠然と思って、そこからある時代に共通するものの考え方、「言葉と物」にいうエピテーメーのようなものを抽出しようとしているのかな、と考えてきたのですが、その中身をもう少し具体的に突っ込んで説明してもらったような気がしています。
ここからは、まだ途中までしか読めていないカントの「純粋批判」をしっかり読んでその<批判>の意味をつかんだり、ニーチェに由来するのだろう「系譜学」の意味合いなり、以前に読んだけれどさっぱりわからなかった(笑)「知の考古学」での彼流の「考古学」の意味合いをもう少ししっかりつかんだうえでないと、何度この小論を読み返しても、わからないところは分からないままかもしれません。さぁ、その時間があるかどうか(笑)・・・・
フーコーの「啓蒙とは何か」は、カントの同じタイトルの小論文の重要性を語りながら、それ以上にフーコー自身がカントをどう評価し、とりわけカントの「批判」をどう受け止めてきたかを語る、短いけれどとても重要な小論文のような気がします。
実は先日従弟の子から送ってもらったフーコー論を少しは理解できるように、彼のテクストを読むのとそれを理解するための下準備とを並行させて(笑)まさに泥縄式でこんなものを読んでいます。
従弟の息子の論文は、フーコーを、カントの<批判>をどう受け止めて来たかという観点から読み解いていこうという趣旨のものなので、その主たる材料であるフーコーによる『カントの人間学』を読まないと話にならないのではありますが、まだ読んでいません。そのうち読もうとは思いますが。
しかし、この「啓蒙とは何か」についても彼の論文で触れられていたので、まずはすぐ読めそうな(単に量的に短い、というだけですが・・・笑)カントとフーコーが同じタイトルで書いている、この両者の小論を読んでみたのです。
カントのは昔読んだかすかな記憶があって、そのときと同様にさらっと読めたけれど、次にフーコーのそれを論じた小論を読むと、それ自体が超高密度で手ぶらのこちらには理解困難なところが山ほどあるばかりか、フーコーを読んでしまうと、さらっと読めたはずのカントの小論のほうまで、とたんにいまの自分には理解困難な奥の深いものに見えてきて、フーコーを読みながらまたカントのページをくってみるというようなことをしながらメモしているようなわけです。
さて、フーコーによれば、「カントは人間が彼自身の未成年状態から脱出するための二つの条件を定め」ています。それは両方とも、「精神的であると同時に制度的、倫理的であると同時に政治的なもの」だそうです。
次にフーコーは当然その二つの条件を紹介するはずで、最初に「これらの条件の第一のものは、服従に属することと、理性の使用に属することとを明確に区別しなければならない、というものだ」と述べています。
ところが、この「第一の条件」についてひとしきり述べて、次には当然「第二の条件」というのが来ると思って読んでいくと、そういうのはありません(笑)。これは、昨日書いた、「カントのテクストにおいて、第三の困難があらわれる」と述べられているものの、じゃあ「第一」と「第二」の困難って何なんだ?どこに書いてあるの?と、その言葉自体を探しても見つからないのと同様です。
まあ内容を理解しているなら、読者が自分で探せ、当然わかるでしょ、ということなのでしょうが、これは大変不親切な書き方ですね。
哲学ってのはそれを語る語り口も論理的なはずですが、「第一に」と言いながら、第二、第三がなくて、ずるずるっと語り継がれるような、だらしない非論理的な文章をフーコーさんが書くとも思えないので、自分ではよくよくわかっているから、読者も当然分かるだろうと、ことばとしては省略してしまったのかどうか。
学校の先生が生徒に意地悪するみたいに、さあ生徒諸君、自分で考えてごらん、と省いちゃったのか(笑)、あるいはご本人か訳者が「第一」は書いたけど、「第二」、「第三」を書くのを忘れちゃって、ついほかの話題へ逸れていっちゃったのか(笑)。
まぁ一番ありそうなことは、それらのいずれでもなく、私に読めてないだけで、「第二の条件は」、と書いてなくても、他の読者には明々白々、ということなのでしょうけれど。
そこで、ここでの、カントの「啓蒙」の第二の条件は、多分次の節でフーコーが論じている、カントが持ち込んでいる「もう一つ別の区別」をはっきりつけなければいけない、ということなのだろうと考えて先へいくことにしましょう。
まず「第一の条件」の方ですが、フーコーは次のような引用の仕方をしています。
人間が成人になるのは、もはや服従しなくてもよくなるときだ、というのではなく、「服従せよ、そしてあなたはあなたが望むだけ論議[推論]してよい」と言われるときだというのである。(引用は、昨日と同様、石田英敬訳のフーコー「啓蒙とは何か」、筑摩書房のフーコー・コレクション6 によります。以下すべて同じです。)
フーコーのこういう(カントからの)引用の仕方は、かえってカントの言っていることの理解を難しくするような気がしますが、要は職業人として組織人として理性を行使し、行動する時には、その職業なり組織なりの求めるルールなり倫理なりに従い、他方その場を離れて一地球市民として自分個人の理性を行使し、行動する場合には好きなようにする、という当たり前のことをカントは言っているだけです。
ことばの背景や、命題に付されている条件づけみたいな言葉を省いたり、抽象的な言葉に置き換えて、フーコーがやっているような言葉の取り出し方をすると、それだけ読んでも分かりにくいし、わざと煙に巻くようなやり方で、哲学者の悪い面を見るような気がします。
それはともかく、ここで「論議[推論]」と訳されている言葉について、フーコーは次のようにこだわっています。
ここで使われているドイツ語の単語が "räsonieren” であることに注意すべきだ。この語は、カントの三批判においても使用が見られるが、理性のありふれた使用について言われるのではなく、理性がそれ自身以外の目的を持たないような理性の使用、について言われるものなのだ。"räsonieren”とは、論議[推論]するために論議[推論]することなのだ。
これはちょっと意外な指摘です。私が翻訳ではあるけれど、カントのこの小論を読んだ限りでは、「論議[推論]」と訳されたこの言葉は、ごく普通に議論する、何かを論じる、あるいは自分の意見を語ることだと理解して抵抗なく読んでいけるし、この言葉に特別な意味のさわりのようなものを感じることはなかったからです。
上に引いたフーコーのように「論議[推論]するために論議[推論]すること」だと強調すると、"räsonieren”という言葉が、「議論のための議論」というニュアンスのように解されてしまいそうです。
このドイツ語は、フランス語の raisonner(理性的に考える・語る)から派生した言葉だそうで、シェリングは『近世哲学史』の中で、カント出現以前のドイツ哲学の低調さを、「たんに合理的な(bloß räsonnirende)哲学」が盛行していた時代と表現し、ヘーゲルもまた、räsonieren を、「理屈をこねる」という悪い意味でよく使っていたそうです。(ウェブサイト「哲学用語の解説」http://ntaki.net/di/Te/ra.htm による。)
だから "räsonieren" という言葉が「議論のための議論」という否定的なニュアンスを担うということはあり得るのでしょうけれど、カントのこの小論における使用例にそれを当てはめると、意味をなしません。
カントの原文がウェブサイト上に上がっていたので、ドイツ語の原文を翻訳文と照らし合わせて、この "räsonieren" という言葉の使い方を調べてみましたが(ヒマでしょう?・・笑)、使われているのは8回だけで、いずれも、ふつうの「議論する」であって、とくに「議論のための議論」といった否定的なニュアンスを強調するものではありません。
一番多く(5回 )"räsonieren" が使われたパラグラフは次のとおりです。(下線太字は引用者)
Nun höre ich aber von allen Seiten rufen: räsonniert nicht! Der Offizier
sagt: räsonniert nicht,
sondern exerziert! Der Finanzrat: räsonniert
nicht, sondern bezahlt! Der Geistliche: räsonniert nicht, sondern glaubt! (Nur ein einziger Herr in
der Welt sagt: räsonniert,
soviel ihr wollt und worüber ihr wollt, aber gehorcht!)
ところでわれわれはあらゆる場所で。議論するなと叫ぶ声を耳にする。将校は「議論するな、訓練をうけよ」と叫ぶ。税務局の役人は「議論するな、納税せよ」と叫ぶ。牧師は「議論するな、信ぜよ」と叫ぶのである。好きなだけ、好きなことについて議論せよ、ただし服従せよと語っているのは、この世でただ一人の君主[フリードリッヒ大王]だけなのだ。(中山元訳。光文社古典新訳文庫。太字下線は引用者)
だから、フーコーはそういうことが言いたいのではなくて、カントが啓蒙ということを理性の使用で定義づけているから、その理性の使用(およびその表現、公表)としての議論、という意味ですよ、と言いたいだけなのでしょう。
次に、私がフーコーの言うカントの挙げた啓蒙が成り立つための「第二の条件」はこれだろう、と考えた後者に話を進めるなら、それは私も最初読んだときに、これは反対じゃないか?と少し混乱した、理性の使用に関する例の「私的」と「公的」の区別についてです。
フーコーもここで驚いたとみえて、カントが「理性はその公的な使用においてこそ自由であるべきであり、その私的な使用において服従させられたものであるべきだ」というのは「通常ひとが良心の自由とよぶものとは正反対」だと述べています。
しかし、彼は冷静にカントの議論を辿って、カントの言う「理性の私的な使用」とは、ひとが「機械の一個の部品」であるときのものだ、という彼独特の言葉に置きなおして説明しています。それは「人間存在を、社会の中の個別的な線分に変えてしまう」ときであり、人はそうしたことによって「自分自身が規則を適用し個別的な目的を追求せねばならないような限定された位置のなかに置かれることになる」のだ、と。そして、カントはなにも盲目的に服従せよと言っているのではなく、「そのような限定された状況にふさわしい理性の使用を行うべきだと述べているのだ」と。
この辺の議論はカントの小論そのままの紹介で、とてもよくわかります。「理性の公的な使用」についても同様に、「自分の理性を使用するためにのみ、ひとが議論[推論]するとき、理性ある人類の構成員として、ひとが論議[推論]するとき、その時こそ、理性の使用は自由で公的なものとなる」と、これもそのとおりですね。「自分の理性を使用するためにのみ」というふうな言い方だけが、先に述べておいた"räsonieren”へのフーコー独自のこだわりであるとしても。
フーコーはカントのこの「理性の公的使用」の観点から見られた、啓蒙の成立条件を次のようにまとめています。
理性の普遍的な使用と、自由な使用、そして公的な使用が重なりあったときに、啓蒙が存在するのだ。
「しかし、このことは、私たちを、カントのテクストに愛する第四の問いへと導く」とフーコーは続けています。ここでも例によって、「第一の問い」から「第三の問い」までがなくて、いきなり「第四の問い」が登場します(笑)。さっきの「第三の困難」が「第三の問い」にあたるのでしょうか。
とにかくその「問い」とは、カントのいうような「理性の公的な使用は、いかなる方法で確保されるのだろうか」ということです。フーコーによれば、啓蒙は「たんに人類全体に関わる一般的なプロセスと考えるわけにはいかない」し、同時にまた「たんに諸個人に対して課されるべき義務とも考えられてはならない」のです。
これは少し前の部分では、カントの言葉はこの両方のどちらにもとれる、或いはどちらをも意味する「両義性をもつ」という言い方でした。そこが疑問なようでもあり、カントの議論の「困難なところ」だというニュアンスではありましたが、カントの考え方だとそんな風になる、という意味では肯定的な言及がされていたように思います。
しかし、ここでは、そういう解釈は両方ともばっさり切り捨てられています。私たちが人類社会の一員として理性を行使すればおのずから未成人状態から成人状態へと「脱出」していく、という推移をたどるのが人類一般の辿るプロセスだというわけにもいかないし、その「脱出」を個人のなすべき義務のように見なして勇気を持て、と言って済ませる訳にもいかない性質のものだ、と。
じゃどういう性質のものかといえば、フーコーは「それは、今や一つの政治的な問題として現われてくる」というのです。
これはフーコーさん自身がそう考える、というのか、カントのこの小論を読んでいくと、そういう問題として立ち現れてきている、つまりカントがそんな風に考えている、とフーコーさんが言っているのか、ちょっとどっちだろうと思ったりしましたが、私は後者だと思って読みましたが、それをフーコーさんもカント流の答えとして追認し、こんな風にこの「第四の問い」への解答は政治的な問題にならざるを得ないのだ、ということを確認しているニュアンスじゃないか、という感じで読みました。
啓蒙が理性の公的な使用による未成年状態からの脱出だとしても、それは現実に、或いは具体的に、どういう方法で、どういう筋道で実現可能なのか。自分の所属する組織、身分、立場、ルールに服従している現実の人間が、そういう現実の世界で、どうすればそれらの縛り(制約)から自由に、世界市民の一人として堂々と理性にのみ従って考え、判断しその結果を公表する勇気が持てるのか。
この問いに対するカントの解答を象徴するものとして、フーコーが持ち出すのは、彼の言う、カントが結論部で持ち出す、フリードリッヒ二世に対して提案する一種の契約、「理性的な専制と自由な理性との契約」ともいうべきものです。カントの提案をフーコー流に言えば、「自律的な理性の公的で自由な使用は、服従の最良の保証となるであろう、但し服従すべき政治的原理がそれ自身普遍的理性に適合するものであるという条件において」ということになります。
これでテキストの検討をひとまず終えたフーコーは、カントのこの小論の持つ意味を、昨日引用した部分にあるように、三批判との関係を強調することで明らかにし、カントの著作の中での位置づけを試みています。
その際に、ただ「批判」との関係だけでなく、最初に「現代」へのアプローチの独自性に触れていたように、他の著作にみられる歴史についての考察との関係にも触れて、その両方から、このカントの小論文の位置を定めようとしています。
私はまた、カントのこのテクストと歴史について書かれた一連の他のテクストとの関連も強調しておかねばならないと思う。他のテクストの大部分は、時間の内在的な目的性、及び人類の歴史が向かう点を決定することをめざしている。ところが啓蒙の分析は、啓蒙を人類の成人状態への意向と定義することによって、全体の運動及びその基本的な方向との関わりで、現在性を位置づけている。だが同時に、その分析は、いかに、この<現在>のこの時において、各人が全体のプロセスについて、一定の仕方で責任があるものなのかを示してもいる。
こうして、「批判的省察」と「歴史についての考察」のいずれもと、このカントの小論分との関わりに触れたうえで、それを統合する形でフーコーのカント論文への最終的な評価のイメージが登場します。
私が提案したい仮説は、この小さな論文が、批判的省察と歴史についての考察との、言わば、連結部(ターニングポイント)に位置する、というものだ。それは、カントによる自分自身の企ての現在性についての反省なのだ。
この評価から、フーコーは、ここに「一つの出発点」を見出すことができるのではないか、と言います。そこには「<現代性(モデルニテ)>の態度、と呼んでもよいかもしれないようなものの素描が見て取れる」のだと。
<現代性>については、しばしばこれを一つの時代のことであるかのように、或いは一つの時代の特徴的性格の総体であるかのように語られてきた。素朴で古風な<前ー現代性>に先立たれ、謎に満ち不安な<後-現代性>がそのあとに続くような時間軸の上に位置付けて。そして、その<現代性>が啓蒙の継続、発展をなすものであるのか、あるいは18世紀的な原理との断絶や逸脱を見るべきなのか、と自問するのが常だった、と。
しかし、カントは全く別の観点を示唆してくれる、とフーコーは言うわけです。
カントのテクストを参照することによって、私は、現代性を、歴史の一時期というよりは、むしろ一つの<態度>として考えることができないだろうかと考えるのだ。態度という語によって、私が意味するのは、現在的現実(アクチュアリテ)に対する関わり方の様式のことなのだ。
ここまできて、やっとこの小論の冒頭でフーコーがなぜ、<現在>へのアプローチに従来これこれの三つの類型があった、カントはそのいずれでもない、とその独自性を指摘した理由がはじめてよくわかるようになります。そして、そのときにも用いられた<アクチュアリテ>という言葉で意味しようとしていることも、直観的によく理解できるように思いました。
現代性を現在的現実に関わる態度だと考えるなら、現代を前―現代や後―現代から区別するよりも、むしろ「現代性の態度が、その形式以来、『反―現代性』の諸々の態度と、どのように闘争してきたかを考えるほうがよいのではないか」というのも理解できそうです。
しかし、これに続いてフーコーが「この<現代性>の態度を手短に特徴づけるために」ボードレールを例に挙げ、人がボードレールを、「伝統の断絶、新しさの感情、過ぎ去ったものの眩暈」など、時間の非連続性の意識によって特徴づけようとするのは間違いで、ボードレールにとって<現代的>であるということは、「この絶えざる運動を認め受け入れることではな」く、反対に「この運動に対して一定の態度をとる」こと、つまり「永遠的な何かを、<現在>の瞬間の彼方にではなく、またその背後にでもなく、その瞬間自身の裡に、捕まえること」にあり、現代性は現在の瞬間の裡に「英雄的な」ものを摑むことをゆるす態度のことだ、と語るとき、それはひとつボードレール論でもちゃんとやってくれないと、そういう抽象的な言いかたで自分流の独りよがりな結論だけを、かいつまんで言われても、よほど君の言説をありがたがって妄信する読者以外には理解不能だぜ、とでも言いたくなります。
もちろん、彼の言いたい<現代性>、従って、カントがこの小論でそういう<態度>で示しているとフーコーが考えている<現代性>というのが、感受性にひっかかってくる、諸々の事象が流行し、うつろっていくその変化の彼方やら背後やらに潜んでいるでもなければ、プレモダンやポストモダンから区別されることで画定されるものでもなく、現在の瞬間の裡に捕らえるほかはない<英雄的な>ものを摑み取る態度のことだ、と言いたいのはわかるけれど、それは文字を追っかけただけで(笑)、腑に落ちましたというわけにはいきませんが、まぁ読み飛ばしても差し支えないでしょう。
ここまで<現代性>にこだわり、そこにアプローチする<態度>に、似て非なるものとの決定的な違いあると彼が考えるのは、そのあとにこういう<批判的―実践的>な考え方が控えているからでしょう。
現代性の態度にとっては、<現在>のもつ高い価値は、その<現在>を、そうであるのとは違うように想像する熱情、<現在>を破壊するのではなく、<現在>がそうある在り方の裡に、<現在>を捕捉することによって、<現在>を変形しようとする熱情と切り離し得ないのだ。
彼は引き続きボードレールについて語っていて、ボードレールにとっての<現代性>が、「単に<現在>に対する関わり方」ではなく、「自分自身に対して打ち立てるべき関係の在り方」でもあって、この意志的な態度は禁欲主義と結びついており、ボードレールにとって<現代的>であるとは、単に過ぎ去る個々の瞬間に、あるがままの自分を受け入れることではなく、「自分自身を複雑で困難な練り上げの対象とみなすこと」であり、そういう態度を彼は「ダンディズム」と呼んだのだ、というなかなか面白い話まで広げているのですが、「ボードレールにとって」という言葉を付された次の言葉は、フーコー自身がカントに示唆されて読み取った<現代的>な態度にほかならないと考えてもいいものではないでしょうか。
現代的な人間とは、自己自身の発見、自らの秘密および自らの隠された真理の発見へと向かう人間ではない。現代的な人間とは、自分自身を自ら創出する人間のことなのだ。現代性は、「人間をその固有の存在へと解き放つことではない」。現代性は、人間を、自分自身を作り上げるという使命に縛り付けるのである。
どうやらこういう使命に向かわせる<態度>のうちに、フーコーは現在を英雄化する、という「アイロニカルな英雄化」を見ているようです。
こうして色々<現代性の態度>がどういうものかについて語りながら、これで<現代性の態度>を全て要約したつもりはないとことわり、<啓蒙>とは何か、に戻って、この問いから、現在的な視点も、歴史的な視点も、自己の主体形成の問題も同時に派生してくるのだ、と次のように述べています。
一方において、私は、現在に対する関わり方、歴史的存在の仕方、自己自身の自律的な主体としての構成という、三つのことがらを同時に問題化するようなタイプの<哲学的な問い>が、<啓蒙>に根ざすものであることを強調しておきたかった。他方において、私は、私たちを啓蒙へ結びつけている絆が、教養の諸要素への忠誠というようなものではなく、むしろ一つの態度の絶えざる再活性化なのだ、ということもまた強調しておきたかった。
このような<啓蒙>はいわゆる、<人間主義(ヒューマニズム)>とは、しばしば安易に混同されるけれども、それは全く別のものだ、と、フーコーは人間主義の否定へと話を進めています。
啓蒙は「一個の出来事」であり、或いは「諸々の出来事と複雑な歴史的プロセスの総体」であって、「ヨーロッパ諸社会の展開の或る時期に位置するもの」であり、それを形作る総体は「社会的変化の諸要素、政治的制度の諸タイプ、諸々の知の形式、認識と実践の合理化の諸計画、テクノロジーの諸変動を含むもの」で、今もその現象の多くが重要なものでありつづけているけれども、一言でそれを要約することが困難なものだ、と。要はいまも社会の中で生きていて複雑で未解明なものだけれど、歴史的事象として輪郭のはっきりした、ある時代に根づいたものだということでしょう。
これに対してフーコーは、人間主義というのは全く別のものであり、それは「一つのテーマ」、いや「むしろ諸々のテーマの総体」であり、「ヨーロッパ諸社会において、時代を貫通して何度も繰り返し登場してきたもの」だと言います。時代を貫通して登場したというのは、超歴史的なその都度の説明のための原理だということではないでしょうか。それは常に価値判断に結びつき、常に変化しながら、「差異化の原理として働いてきた」と彼は言います。宗教批判として登場した人間主義もあれば、キリスト教的人間主義もあり、科学に敵対する人間主義もあればマルクス主義や実存主義の顔をした人間主義もあった、というわけです。
こういった人間主義というのは「反省のための軸として役立つためには、あまりに順応的で、あまりにも多様であり、あまりにも内容の堅固さを欠く」と批判されているのです。
これに対してフーコーは「批判及び、私たちの自律における私たち自身の絶えざる創出という原理を対置」できるのではないか、と言います。そして、「それこそ、啓蒙が自分自身について持ってきた歴史的意識の中心にある原理なのだ」というのが、カントのこの小論に示唆された彼の啓蒙観であり、それを<現在>へのアプローチの戦略として採用しようというのでしょう。
ここから、では具体的にそれはどのような哲学的な理念として組み立てていくべきか、というところに最後に踏み込んでいきます。
フーコーによれば、それは一つの「限界的態度」として性格づけることができるものだそうです。
ひとは、外と内との二者択一を脱して、境界に立つべきなのだ。批判とは、まさしく限界の分析であり、限界についての反省なのだ。しかし、カントの問題が、認識が超えることを諦めるべき限界とはどのようなものなのかを知るということにあったとすれば、今日における批判の問題は、積極的な問いへと反転されるべきだと、私には思われる。私たちにとって、普遍的、必然的、義務的な所与として与えられているものの間で、単独で、偶然的、そして、ある種の恣意性にゆだねられているものの占める部分とはどのようなものなのか、と問うべきなのだ。要するに、必然的な制限のかたちで行使される批判を、可能的な乗り越えのかたちで行使される実践的批判へと、変えることが問題なのだ。
ここから、カントとフーコーの<批判>の性格の違いでもある次のような結果が導き出されます。
<批判>は、普遍的な価値を持つ形式的構造を求めて実行されるものではもはやなく、私たちが行うこと、考えること、言うことの主体として、私たちを構成し、またそのような主体として認めるように私たちがなった由来である諸々の出来事をめぐって行われる歴史的調査として批判は実行される。
この批判は、超越論的ではなく、形而上学を可能にするという目的を持つことがないのだ。この批判は、その目的性においては、<系譜学的(généalogique)>であり、その方法においては、<考古学的>なものなのだ。
<考古学的(archéologique)>であるー超越論的ではないーというのは、この批判が、あらゆる認識、あらゆる可能な道徳の普遍的な構造を解明することを求めるのではなく、私たちが考え、述べ、行うことを分節化している、それぞれの言説を、それぞれに歴史的な出来事として扱うことをめざすという意味においてである。
<系譜学的>であるというのは、私たちに行いえない、あるいは、認識しえないことを、私たちの存在の形式から出発して演繹するのではなく、私たちが今のように在り、今のように行い、今のように考えるのではもはやないように、在り、行い、考えることが出来る可能性を、私たちが今在るように存在することになった偶然性から出発して、抽出することになるからだ。
長い引用になりましたが、この一節はこの小論文の中でもとびきり重要な箇所だと思って読みました。~ではなくて、と否定的に述べているのはみなカントの<批判>の性格について語っているので、その後に続くのが、彼が考える現在のあるべき<批判>のすがたということになります。これほど明確に両者の<批判>の違いを、本人の口から端的に語った言説もそうないのではないでしょうか。
こういうことがすべて単なる断言や自由の空疎な夢にならないために、この<歴史的―批判的>態度は、同時にまた<実験的>な態度であるべきだ、とフーコーは続けています。そして「私が言いたいのは、私たち自身の限界に立つことで実行されるこの仕事が、一方では、歴史的調査の領域を開くものであるべきだということ、他方では、変化が可能であり、また望ましくもある場所を把握し、また、その変化がどのようなものであるべきかを決定するために、現実と同時代(アクチュアリテ)の試練を自ら進んで受けるべきだということなのだ」と説明しています。
こうした歴史的分析と実践的態度の相互作用による<実験>を、フーコー自身は、それまでの20年ほどのあいだ、「思考様式、権威の関係、性の関係、私たちが狂気や病を知覚するやり方などに関する幾つかの領域で」実践してきたわけです。それは「自由な存在としての私たち自身に対する私たち自身の働きかけの作業」だとフーコーは言います。
しかし、そうした常に部分的で局所的な調査や実験にとどまり続けることによって、「意識もされず統御もできないかもしれないようなより全体的な諸構造に、逆に規定されてしまうという危険はないだろうか」という,在り得る批判に対して、彼はそうした作業のそのつどの歴史的限界については認めながらも、それはこうした作業が無秩序で偶然的なものに過ぎないことを意味するものではなく、「その作業自身は、固有の一般性を持ち、固有の体系性を持ち、固有の均一性、そして固有の賭けられたものを、持つものなのだ」と反論しています。
そして、その一つ一つについて説明していくのですが、まだ一読した限りではよくわからないところがあります。
最初は「<歴史的―実践的批判>に賭けられているもの」です。逆からですね。
最初に「そこに賭けられているのは、『能力と権力との諸関係のパラドクス』と呼ぶことができるような事態によって示される」と書かれています。18世紀には技術力と個人相互間に成立する自由とが同時的、比例的に増大していたけれども、諸能力の増大と自律性の増大とはそう単純な関係では済まないことは歴史の示してきた通りで、規律国家の名において行使される規範化の措置、社会や人口の諸分野による諸々の拘束等々が起きている。だから<歴史的―実践的批判>に賭けられているのは、「そうした技術的諸能力の増大と権力関係の強化とをどのように切り離しうるか」だというのです。
「賭けられているもの」というふうな言い方がかえって分かりにくくしているような気はしますが、ここはフーコーが私たち現代に生きる者がなすべきと考えている歴史的実践的批判が成し遂げるべき目的なり、課題なりのことだとでも考えておけばいいのじゃないか、と思います。
次は「均一性(homogénéité)」です。これはもろもろの「実践的総体(ensembles pratiques)」と呼ぶことができるようなものの研究へと導くことになるのだそうです。
「研究対象を構成する均一な領域として、人間が自分たちに与える表象でも、気づかないうちに人間たちを規定している諸条件でもなく、人間たちが行っていること、人間たちがそれを行うやり方を、扱うことになる」のだといいます。
よくわからないけれど、たぶん<実験>している自らの主体の行動様式をテクノロジーの側面も含めて対象とするのでしょう。従って、これは「テクノロジックな側面と戦略的な側面とを同時にあわせもち、この実践の領域によって保証されるもの」ということになるのでしょう。
「均一性」というからには、ここで問題にしている「<歴史的―実践的>な実験」という作業の何らかの要素がみな均一(均質?)だ、何らかの意味で均しい、というのでしょう。
実験そのものの対象(対象領域)は様々だけれど、ここではその実験をする作業主体が研究の対象になる、ということで、広い意味での作業主体なりその在り方のことを、もろもろの「実践的総体」などと呼んでいるのでしょうから、それなら個々の実験ごとに対象領域は異なるけれども、その実験にあたる作業主体は同じで、誰がやり、どんなグループがやっても、ある時代のそのような主体のありようというのは、その時代のテクノロジーや、その時代が到達した戦略論的なものに制約されるというか、依拠せざるを得ないわけですから、その時代の作業主体のありようとして、「固有の均一性」を持つ、と言えなくはないでしょう。
でも、そんな分かり切ったことに、いちいち「均一性」なんて大仰な表現を与えるんでしょうかね(笑)。まるっきり素人読みの見当違いかもしれません。
三番目が「体系性」(systématicité)です。
さきの「実践的総体(ensembles pratiques)」は、三つの大きな領域に属している、とフーコーは言います。①事物に対する支配の諸関係の領域、②他者たちに対する行動の諸関係の領域、③自己自身に関わる諸関係の領域、の三つだそうです。作業主体が関わりをもつとすれば、なるほど、事物か、他者か、自己しかありませんわね。ただ、この三つは相互に関わり合っている、と彼は言います。事物との関わりは他者との関係を媒介とし、他者との関係は常に自己との関わりを伴う、と。これもよくわかります。
フーコーらしいところは、この三つの領域の絡み合いを言った直後の、次の一節です。
ただ、それらは、それぞれの固有性と絡み合いを分析すべき三つの軸、すなわち、知の軸、権力の軸、倫理の軸、なのである。
もちろん、事物の支配は知の軸に、他者との関係は権力の軸に、自己との関係は倫理の軸を中心にしながら、その固有性と相互の絡み合いを研究していくことになるでしょう。
これで一挙に作業の視野が開かれるような感じがすると同時に、そこに現われる世界を<調査>していくこの<歴史的―実践的>な実験の作業がそれに沿って進められるべき筋目が見えてくるような気がします。
ここから必然的にフーコーは私たちが発するべき問い、なすべき調査が、どのような「体系化」に対応することになるかを導き出しています。
すなわち、如何にして私たちは私たちの知の主体として成立してきたのか、如何にして私たちは、権力関係を行使し、またそれを被るような主体として成立してきたのか、また、如何にして私たちは、私たちの行動の道徳的主体として成立してきたのか、という体系化である。
最後の4番目が「一般性(généralité)」です。
彼は、それまでに述べてきたような歴史的―批判的調査は、「つねに、一つの素材、一つの時代、限定された実践と言説が作り出す一まとまり、について行われるという意味で、非常に個別的なもの」であるけれども、「少なくとも、私たちがそこから派生した西欧社会という尺度においては、それらの調査は一般性をもつもの」だと述べて、この作業の固有の性格づけのひとつとして、「一般性」を挙げているわけです。
なぜなら、と続けて彼は、「理性と狂気との関係の問題」、「病と健康との関係の問題」、「犯罪と法との関係の問題」、「性的な関係に与えられるべき地位の問題」などの調査が、「今日にいたるまで、繰り返し行われてきたからだ」と、それが少なくとも西欧社会では<一般性>を満たしていると言っているようですから、この「一般性」はごくふつうの私たちが日常使う言葉の意味で、西欧ではよく取り上げらる一般的な問題だよね、ということのようです。
フーコーが例示している「問題」は、まさに彼自身がその主著の幾つかで扱ってきた問題で、彼が『言葉と物』のような西洋の知の全体を相手にするような著作から、こうした個別的な領域へ踏み込んだいったことのうちに、ここで述べられてきたような<歴史的―実践的>な実験のありかたについての考え方、<現代性>への<態度>というものがあったのだと理解すべきなのでしょう。
しかしその中身は必ずしもすんなりと腑に落ちるような、わかりやすいものではないように思います。彼がああいうやり方でもなければ、こういうやり方でもない、と否定する方はよくわかるけれど、じゃお前のはどういうやり方なんだ、と問う時に出てくる彼の答えの方は、決してわかりよいものではありません。そのうちよく理解できるのかどうか、ここではその部分を取りあえず丸写ししておきましょう。
しかし、私がこの一般性を喚起するからといって、それを時間を貫く超歴史的な連続性において跡づけたり、その変遷を辿るべきだなどというのではない。理解すべきなのは、それらの問題について私たちが知っていること、それらの問題において行使される権力の諸形式、それらの問題において私たちが自己自身に関して経験することが、いかなる度合いにおいて、対象、行動の規則、自己への関わりの様式を規定している問題化の一定の形式によって、一定の歴史的なかたちとして構成されるものであるのか、ということなのだ。そのような<問題化>の諸様式の研究(すなわち人間学的恒常項でも、時代的な変動でもないものの研究)は、一般的な射程を持った諸問題を、歴史的に単独な諸形態において、分析するという方法なのである。
ここで「問題化」と言われていることが、具体的にたとえば、どういうことを指しているのかが分かれば容易に理解出来そうな気はしますが、いま一通り読んだとこでは、私にはよくわかりません。
仮にここは、こんな風に読んでやり過ごしておきましょう。
先に彼が挙げていたような研究領域に関して、事物を支配しようとする知の領域、他者との関係における権力関係とそのもとでの行動の規則、自己自身との関わりにおける倫理において、その固有の在り方と相互の絡み方などを規定している、特定の時代と社会における問題としての取り上げ方が、どのように現実の歴史的な出来事の形をとって現れてきているのか、ということを、<人間>という恒常的な虚構の原理に還元するのでも、前―現代から後-現代へ時代的に変動するモードのようなものとしてでもなく、ひとつの時代・社会がどのように問題化してきたか、その諸様式を研究すること、それは少なくとも西欧社会においては一般性をもつものだが、あくまでもそれは超歴史的なものではなく、具体的な特定の時代と社会の出来事の裡に探究され、その固有の在り方を分析する中で見出されるものにほかならない、と。
最後にフーコーはカントに戻り、カントの啓蒙の問いが私たちに次のようなことを示唆している、とまとめています。
私たち自身の批判的存在論、それを、一つの理論、教義、あるいは蓄積される恒常体とさえ見なすのではなく、一つの態度、一つのエートス、私たち自身のあり方の批判が、同時に私たちに課された歴史的限界の分析であり、同時にまた、それらの限界のありうべき乗り越えの分析でもあるような、一つの哲学生活として、それは理解されるべきなのだ。
そして、このような哲学的態度は、様々な調査の作業に翻訳されなければならない、と述べ、それらの調査のありかたについても踏み込んで、次のように述べています。
それらの調査は、技術論的(テクノロジック)なタイプの合理性であると同時に、諸々の自由な戦略ゲームとしてとらえられた諸々の実践の、考古学的であると同時に系譜学的な研究においてこそ、方法論的一貫性を持つことになる。それらの調査は、また、私たちの事物に対する、他者たちに対する、そして私たち自身に対する関係の一般性がそれを通して問題化されてきた歴史的に単独な諸形式の定義のなかにこそ、その理論的な一貫性を持つものなのだ。さらにまた、それらの調査は、歴史的ー批判的反省を具体的な諸実践の試練にかけるべきであるという配慮のなかに、自らの実践的一貫性を持つことになる。
これまで述べてきたことをこのように繰り返して要約し、フーコーはこの小論文をしめくくっています。30ページほどの小論文ですが、フーコーの仕事全体の見取り図というのか戦略というのか、彼がどんな風に考えてああいう仕事に取り組んできたのか、そしてその基本的な姿勢を、どんなふうにカントの<批判>から受け継いできたかを、コンパクトな形で教えてくれるような論文だと思います。
怖いもの知らずで何の準備もなく手ぶらで読んできましたが、彼の医学や監獄や精神病施設等々に関わる著作を単にそれぞれのテーマの歴史的研究と漠然と思って、そこからある時代に共通するものの考え方、「言葉と物」にいうエピテーメーのようなものを抽出しようとしているのかな、と考えてきたのですが、その中身をもう少し具体的に突っ込んで説明してもらったような気がしています。
ここからは、まだ途中までしか読めていないカントの「純粋批判」をしっかり読んでその<批判>の意味をつかんだり、ニーチェに由来するのだろう「系譜学」の意味合いなり、以前に読んだけれどさっぱりわからなかった(笑)「知の考古学」での彼流の「考古学」の意味合いをもう少ししっかりつかんだうえでないと、何度この小論を読み返しても、わからないところは分からないままかもしれません。さぁ、その時間があるかどうか(笑)・・・・
saysei at 13:22|Permalink│Comments(0)│
2021年03月30日
満開の桜、散り始めた桜
昨日の下鴨疎水の桜です。満開ですね。松ヶ崎の浄水場の裏(北)、高野川の西の端っこから、ずっと疎水に沿って北大路の府立大学前へ出て更に南へ流れに沿って自転車を走らせてみましたが、どこも桜の花が満開で綺麗でした。
烏丸通を下って相国寺を東門から抜けて、先日枝垂れ桜を見に行った本満寺を訪ねると、枝垂れはもう終わっていて、境内のもう一本の桜(普通のソメイヨシノだと思いますが、年月を経た太い幹とすばらしい枝ぶりの樹です)が満開でした。
出町柳から高野川沿いの遊歩道に降りて自転車を走らせると、もう散り始めた桜が川面を流れていて、それはそれで風情がありました。
川端の桜と比叡山の眺め。桜は満開で、風でちらほら散り始めていました。
川端通りは南行きの車がびっしり渋滞。松ヶ崎のほうまで満開の桜並木がつづいていました。反対に南を向いても、出町柳まで桜並木は続き、その先にもあるので、その間にあるどこの橋の上からでも、川と桜と遠く比叡や北山の美しい光景を楽しむことができます。こういうときは、ほんとに京都に住んで良かったなぁ、と思います。
昨日(29日)の夕餉
カツオのたたき。
肉じゃが。
ワカタケ煮。
小松菜の辛し和え。
レンコンの挟み焼き。
サラダ。
菜の花漬け。
タケノコごはん。以上でした。
saysei at 11:51|Permalink│Comments(0)│
2021年03月29日
「啓蒙とは何か」 ~カントとフーコー
「啓蒙」という言葉は、日常語としては近年あまり使われなくなっているのではないでしょうか。何となく知識を蓄えた連中、知識人たちが、無知な民衆の「蒙を啓く」という、上から目線みたいな語感があって、「自己啓発」のような言葉に置き換えられてきたように思います。
それでも新聞記事で見かける、会社員の「自己啓発」の事例というのは、どこか外部でやっているビジネスマン向けの経営講座にかようとか、語学教室に通うとか、プログラミング講座にかようなどして、仕事に関係があってもなくても、仕事で義務付けられてはいない、知識やスキルの獲得、向上を目的に、社会人になっても学習活動をやっています、というふうなものが多いようです。学ぼうという意志は自発的なものですが、その中身は自分が持っていない知識やスキルを外部から与えてもらおう、という学校時代の学習と本質的に変わりないもののようにみえます。そこに「啓蒙」という言葉のニュアンスがまだ影を落としているのではないかと思います。
私自身も、「啓蒙」という言葉を聴くと、そんなふうに外部から何か新しい知識を注入され、刺激されてこちらの「蒙が啓かれる」という、漠然とした受動的な印象をもっていたような気がします。
哲学者のカントは、『啓蒙とは何か』という、邦訳の文庫本で17ページほどの短い文章でこのテーマを論じて、そんな受動的な意味とは正反対の定義を「啓蒙」(Aufklärung)という言葉に与えています。
啓蒙とは何か。それは人間が、みずから招いた未成年の状態から抜けでることだ。未成年の状態とは、他人の指示を仰がなければ自分の理性を使うことができないということである。人間が未成年の状態にあるのは、理性がないからではなく、他人の指示を仰がないと、自分の理性を使う決意も勇気ももてないからなのだ。だから人間はみずからの責任において、未成年の状態にとどまっていることになる。こうして啓蒙の標語とでもいうものがあるとすれば、それは「知る勇気をもて」だ。すなわち「自分の理性を使う勇気をもて」ということだ。(中山元訳。下線部は邦訳で傍点の付された箇所。光文社古典新訳文庫より。以下カントについては同じ)
カントにとって啓蒙とは、理性の行使だということのようです。ここで「理性」と訳されているのは、従来の邦訳では「悟性」(Verstand)と訳されてきたものですが、少し広い意味だというのでここでの訳者は「理性」と訳しています。
「啓蒙」は、ドイツ語のAufklärungのauf=on、klärung=clarification(明確化)、ラテン語だとillustratioで、これは光で明るく照らす、というような意味合いでしょうし、英語のEnlightenmentやフランス語のLumièresには光(lumen)というラテン語が埋め込まれているのがわかります。それを思えばカントが理性を行使して、その理性の光で物事を自分で判断できるようになることが「啓蒙」なんだ、と言うのはごく自然な感じがします。
そこでは外部の知識の受け渡しなどは問題外で、むしろそんな外部のなにか(「他人の指示」と言われていますが)を持ち込むことで、はじめて理性を使う、というようなのは「啓蒙」の反対物でしかなくなってしまいます。自分自身の理性の光によってものごとを明るみに出し、判断できるかどうか、他人によっかかっててしか判断できないか、その一点に、成年か未成年かの区画線があり、啓蒙とは他人に寄っかかってしか理性を行使できない未成年状態から、自ら理性を行使する成年に転じることを言うのだ、と言っていることになります。
じゃどうして多くの人間たちは、みずから未成年状態にとどまってそこから抜け出せないのか。それは基本的には他人によっかかっていれば樂だから、という経済合理性があるわけだけれど、理性を使う訓練を受けていないからでもある。さらに、人々が理性を行使するのを邪魔したり誤用させたりするような社会的な仕掛けがある。法律だとか、さまざまな決まりがそれで、人間が自分の脚で歩くのを妨げる足枷になっているのだ、とカントは論じています。
このへんまでは、啓蒙ということを知識の授受みたいなイメージから転換して、カントのいうように他人に指示されてではなく、自ら理性を行使して判断し、行動できるようになることだという考えを前提に置けば、よくわかる議論で、「公衆を啓蒙するには、自由がありさえすればよい」のだが、実際の社会では色々な場面で自由が制約されている、と語り、では「啓蒙を妨げているのはどのような制約だろうか」と問うあたりまでは、なんだか当たり前のことを言っているようにも思えてきます。
ところが次に、カントが、その「理性の使用」に関して、「公的な利用」と「私的な利用」という区別を持ち出すあたりから、素直に常識的な「公的」と「私的」の語感で読んでいると多少混乱させられます。
「公衆を啓蒙するには、自由がありさえすればよい」というときの「自由」とは、「自分の理性をあらゆるところで公的に使用する自由」であり、その自由さえあればよい、と言います。では、その「公的に使用する」とか「私的に使用する」とはどういうことでしょうか。
さて理性の公的な利用とはどのようなものだろうか。それはある人が学者として、読者であるすべての公衆の前で、みずからの理性を行使することである。そして理性の私的な利用とは、ある人が市民としての地位または官職についている者として、理性を行使することである。
「学者」が何でこんなところに出てくるんだ?とか、「市民としての地位または官職についている者として」というのは「私的」な場面じゃなくて「公的」な場面じゃないのか?とか、この文章に出くわしたときは思いました。
しかしここで「市民としての地位または官職についている者として」と言われている例として、公的な利害にかかわる業務にたずさわる場合の公務員を挙げているのをみると、これは「公的な」立場であり、「公的な」言動そのものではないか、と言いたくなります。でも、それはカントの言い方では「私的な」場面であり、「私的な」立場であり、「私的な」理性の使用なのです。
ほかにカントが挙げている「理性の私的な利用」の例、「理性の私的な利用」に制約が課されても仕方がないとするシチュエーションは、例えば上官から命令されて任務に携わる将校は、その命令が目的に適ったものではないなどとあからさまに議論することはできない、とか、市民は課せられた税金の支払いを拒むことはできない、とか、教会の牧師が教区の信徒に語るときには、所属する教会の定めた信条に従って講話を行う責務がある、といったことです。
こういう時に語る言葉やとる行動は、カントにとっては「理性の私的な使用」によるものです。それは彼によればしばしば制約があるものだし、いつも自由というわけではない。
他方、「理性の公的な使用」と彼が言うのは、役所であれ軍隊であれ教会であれ、上の例と同様の組織に所属していたとしても、「みずからを全公共体の一員とみなす場合、あるいはむしろ世界の市民社会の一人の市民とみなす場合」における「理性の使用」であって、それはつねに自由であるべきだ、というのですね。
上の例で言えば、上官の命令で任務に就く立場の将校であっても、「学者として、戦時の軍務における失策を指摘し、これを公衆に発表してその判断を仰ぐことが妨げられてはならない」し、また市民には納税の義務があってこれを拒否することはできず、納税の時期に課税を非難したりすべきではないけれども、他方で「こうした課税が適切でないか公正でないと判断して、学者としてその考えを公表すること」は市民としての義務に反するものではない。また、教会の牧師は所属教会の定めた信条に従って講話する義務があるが、「学者として、教会の信条に含まれる問題点について慎重に検討したすべての考えを善意のもとで公衆に発表し、キリスト教の組織と教会を改善する提案を示すこと」は全く自由だ、と。
ここで「学者として」というのは、上に述べた「みずからを全公共体の一員とみなす場合、あるいはむしろ世界の市民社会の一人の市民とみなす場合」と読み換えれば理解できます。
ふつう私たちの日常的な言葉の感覚では、こういうのこそ「私的な場面」であって、役人がお役所では「公的な」言動に終始すべきであり、役所を出て一人の私人に戻れば「私的な」立場で何を言おうがかまわない、と思ってきたのですが、カントの言葉づかいではその逆で、私たちが職業や身分・立場、組織等々の縛りから自由に、誰にも指示されずに理性を行使すべき、一人の個人、閉じた部分社会の一員ではなく、「全公共体の一員」あるはむしろ「世界野市民社会の一人」としての市民にたちもどるときこそが「公的」な場面なのであり、そこでの理性の行使が「理性の公的な行使」と呼ばれるものなのです。
そして、カントはその「理性の公的な行使』は自由でなければならない、それが私たちが「未成年状態」から「成年状態」へ脱皮すること、つまり「啓蒙」の条件なんだ、と主張しているようです。
カントの「私的」「公的」の区別は、具体的なイメージとしては、そこに聴衆として参加したり、関わり合いをもつ人々の拡がり、あるいはその人々のつながり、またはそういった人々が関わり合う場といったものが、閉じた集団や組織、閉じた場、閉じた系であるか、或いは反対に、極端にいえば「世界」にまで広がる市民社会という開かれた場、開放系、無限定な多数者であるか、という差異にあるようです。前者が「私的」な場であり、後者が「公的」な場と考えられています。
カントが人間のあるべき姿と考えていたのは、一方では私たちの日常そのものである、職業人として様々な職業に就き、そのそれぞれがもつルールに従い、その制約のもとで考え、行動し(理性の私的使用)ながら、同時に世界市民の一人である個人として、なにものにも縛られずに、あらゆることを、まったく自由に考え(理性の公的使用)、それを公衆に対して発表する、そんな姿だったんだな、とここまできて、いささか感動させられます。
でも、私はずっと以前にほかの人の訳でさっと目を通したこの短いカントの文章を、なにかちょっともやっとわからないところがあるけれど(たぶん、私的と公的の使い方をしっかり読み込んでなかったせいでしょうが)、別になにか新しいことが書いてあるようなものじゃないな、という感じで通り過ぎていたと思います。
しかし、今回改めて新訳でこれを読んだあとに、フーコーの同じタイトルの一文を読んで、このカントの短い文章が孕んでいる問題というのが私などの思いも寄らない重い、大きなものであることが分かりました。フーコーの文章も邦訳の文庫本でわずか30ページほどの短いものですが、私には手に負えないほど濃密な中身だから読んだと言えるかどうかわからないけれど、まあ自分へのメモのつもりで書いて(邦訳を勝手に加工し切り貼りして)みます。フーコーについては以下すべて「啓蒙とは何か」(石田英敬訳。筑摩学芸文庫フーコー・コレクション6 生政治・統治 p362-395)によります。
フーコーによれば、哲学的思考が自分自身の<現在>について反省しようとしてとってきた方法は次の三つです。
①<現在>を、世界のある一つの時代に属するもの、なんらかの固有な特徴によって他の時代とは区別され、あるいは、ある劇的な出来事によって他の時代から隔てられているもの、、として表象するやりかた。
②<現在>のうちに、次に起こる出来事を予告する徴(しるし)を読み取ろうとして<現在>を問うやりかた。
③<現在>を、新しい世界の夜明けへと向かう推移点として分析するやりかた。
ところが、カントによる<啓蒙>の問題提起の仕方はこれらとは全く違う、というのがフーコーの考えです。別にカントは「現在と何か」について書いたわけじゃないと思うけど(笑)、カントの「啓蒙」へのアプローチはおのずから<現在>への独特の直截なアプローチになっている、ということをフーコーさんは自分の哲学史的な蘊蓄から、どのパターンでもないぞ、と位置づけてみせたということなんでしょうね。
カントは、啓蒙をほとんど徹底的にネガティブな仕方で、一つの<Ausgang>、「脱出」、「出口」として定義する
カントは他のテキストでは、起源を問うたり、歴史的発展の内実を問うたりしているけれども、この啓蒙論に関する限り、一つの全体や、将来の成就から出発して<現在>を理解しようとはしていない。
啓蒙についてのこのテクストでは、問題は純粋な現在性(アクチュアリテ)に関したものなのだ
彼は、<今日>は、<昨日>にたいして、いかなる差異を導入するものなのか、一つの差異を求めるのである
こういうフーコーの評価は、抽象的な言い回しなので、私には読めていないかもしれませんが、カントが「啓蒙」を未成年状態から成年状態へと脱皮することだと考えていることを指して、歴史的なアプローチや訪れるだろう未来の予兆だとか変化していくものの推移点として<現在>をとらえようというのではなく、純粋に今ここで起きる現実として<脱出>、未成年状態でなくなる、という否定性において<現在>を語ろうとしていることを言っているんだろう、と思います。
次にフーコーはカントが彼のいう「未成年状態」の実例を挙げている所に触れています。カントはこんな風に書いていました。
わたしは、自分の理性を働かせる代わりに書物に頼り、良心を働かせる代わりに牧師に頼り、自分で食事を節制する代わりに医者に食餌療法を処方してもらう。(中山元訳。前掲書)
このカントの言葉を引いた後に、フーコーは「ついでに言えば」として次のように述べています。
テクストは明示的にはそう言っていないにせよ、三大批判の領域をこの三例に容易に見て取ることができる(石田英敬訳。前掲書)
こういう指摘にはハッとさせられます。カントが事例を挙げていても、ただ事例の並列としてさらっと読み過ごしていますから、ハハァと感心してしまう。でもほんまにカントさんはそこまで考えてこの三つを例に挙げたんかいな、と思わないでもないけど(笑)。哲学者というのはこういう人なんでしょうね。何気なく具体例をあげているようにみえても、それぞれちゃんと自分の体系の中で区分されるカテゴリーを意識して、それぞれに対応する事例を挙げているというわけです。その体系についてここでは全然ご本人は触れていないけれど、そういう構造を背後に背負った書き方をしている、と。それをちゃんと読み取るほうもすごいけど(笑)。
この括弧書きは、ちょっと言っておくと、くらいで書かれてこれ以上ここでは詳しく触れられていませんが、後の方で、この論文と三批判の関係にきちんと触れ、その関係を強調すべきだと考えている、と述べたところがあります。カントのこの小論文の重要性を知る上で、さらにカントの「批判」の位置づけについてのフーコーの考えをうかがう上で、とても大事な指摘だから引用しておきましょう。
この論文は、啓蒙を、人類が、いかなる権威にも服従することなく、自分自身の理性を使用しようとする時(モーメント)であると描いている。ところが、まさしくこの時こそ、<批判>が必要な時なのである。なぜなら、<批判>とは、ひとが認識しうるもの、なすべきこと、希望しうることを決定するために、理性の使用が正当でありうる諸条件を定義することを役割とするものだからだ。錯覚とともに、教条主義と他律性とを生み出すのは理性の非正当的な使用なのだ。それに対し、理性の正当的な使用がその原理において明確に定義されたとき、理性の自律性は確保される。<批判>とは、言うならば、啓蒙において成人となった<理性>の航海日誌のようなものだ。
フーコーはカントからこのような意味での<批判>を継承していったのでしょう。
いずれにせよ、啓蒙は、<意志>、<権威>及び<理性の使用>の間にそれまでに存在していた関係の変化だと、定義されるのである。
カントの定義は先に引いた通りで、このフーコーのような言葉で「定義」してはいなかったと思うけど、カントのいう、書物や牧師や医者に判断を委ねてしまうのではなくて、自分で理性を働かせる、ということは、結局、意志、権威、理性の使用という3項のあいだにあった従来の関係を変えてしまうことになるんだ、ということでしょうね。
次にフーコーが指摘しているのは、カントがいう(未成年状態からの)「脱出」は、両義的な意味合いで提示されている、というようなことです。
カントはそれを、一つの事実として、起こりつつあるプロセスとして性格づけている。だが同時に、彼はそれを一つの使命、義務として提示してもいるのである。
あとのほうの意味合いで考えれば、人間自身が自分の未成年状態に責任がある、ということになりますから、カントはその点に注意を促している、と。だからこの「啓蒙」が「知る勇気を持て、知る大胆さを持て」という、他者に対すると同時に人々が自身に課す標語を持っていると言っているのだ、とフーコーは述べています。
ここからフーコーは「啓蒙は、したがって、ひとびとが集団的に構成するプロセスであると同時に、また個人的に実行すべき勇気の行為でもあることになる」と言い、従ってまた、人々はそうした同一のプロセスの要素でもあると同時に行為主でもあり、プロセスの当事者として、そのプロセスを意志的に担おうとする限りにおいて、そのプロセスが起こる、ということになる、という意味のことを、カントの啓蒙についての考え方の論理的帰結として語っています。
それに続いて彼は次のように書いています。
カントのテクストにおいて、第三の困難があらわれるのは、まさにそこである。その困難は "Menschheit" (人類、人間性)という言葉の使い方にある。・・・啓蒙のプロセスのなかにとらえられているのは、人類の総体であると理解すべきなのか。そうだとすれば、啓蒙は、地球上の全ての人間の政治的社会的存在に関わる歴史的な変化である、と想像せねばならない。あるいはまた、啓蒙は、人間存在の人間性を構成しているものに影響を及ぼす変化のことだ、と理解すべきなのか。そうだとすれば、その変化とは何なのか、という問いが立つことになる。
ここでもカントの答えは両義性を孕んでいて、単純そうに見えてかなり複雑なのだ、とフーコーは言うのです。この冒頭の、カントのテクストにおける「第三の困難」という言葉が私にはひっかかりました。じゃ、「第一の困難」、「第二の困難」はどこにある?フーコーは、どこにもそんな風に明示的に書いてくれてはいないのですね。(笑)
「第三の困難」は人々が啓蒙という集団的に構成するプロセスの一要素でもあると同時に個人として実行すべき行為の行為主でもあるという当事者であって、その当事者が意志的にそう使用する限りでそのプロセスが起こる、という、論理的にみれば循環論法的な矛盾があって、原因はカントのこの啓蒙論における"Menschheit"(人類、人間性)という言葉の使い方がはらむ両義性にある、とフーコーは言っているようですから、それなら、少なくとも「第一の困難」、「第二の困難」の一方は、その前に指摘されていたもうひとつのカントの両義性、つまり、未成年状態からの「脱出」が、「一つの事実として、起こりつつあるプロセスとして性格づけ」ると同時に「それを一つの使命、義務として提示してもいる」という両義性を孕んでいることにある、というところに当たるのかな、と考えたりもしてみたのですが、気にはなるけれど、いま通り一遍の読み方をしただけでは、私にはわかりません。
Menschheitという言葉がカントの論文で出てくるのは、教会会議みたいなところが、不朽の教義なるものを採用し、それを宣誓によって定め、すべての信者を絶えず監視し、信者を介して国民にも監視を広げて、そんな教義に基づく制度を永続的なものにしようとすることがあるが、人間が啓蒙されることを永久に妨げることを目的とする、そんな契約が締結されてもまったく無効であり、たとえば次の世代の人々が認識を拡張してその教義や契約の誤謬を取り除いたり、啓蒙を推進することを禁じるなどということは「人間性に対する犯罪」というべきだ、と述べているようなところで登場する「人間性」という言葉です。
カントは「人間性の根本的な規定は、啓蒙を進めることにある」のだから、次の世代の人々はこんな(啓蒙を阻害しようとする)決議を廃止することができる、と述べています。
to be continued ・・・
それでも新聞記事で見かける、会社員の「自己啓発」の事例というのは、どこか外部でやっているビジネスマン向けの経営講座にかようとか、語学教室に通うとか、プログラミング講座にかようなどして、仕事に関係があってもなくても、仕事で義務付けられてはいない、知識やスキルの獲得、向上を目的に、社会人になっても学習活動をやっています、というふうなものが多いようです。学ぼうという意志は自発的なものですが、その中身は自分が持っていない知識やスキルを外部から与えてもらおう、という学校時代の学習と本質的に変わりないもののようにみえます。そこに「啓蒙」という言葉のニュアンスがまだ影を落としているのではないかと思います。
私自身も、「啓蒙」という言葉を聴くと、そんなふうに外部から何か新しい知識を注入され、刺激されてこちらの「蒙が啓かれる」という、漠然とした受動的な印象をもっていたような気がします。
哲学者のカントは、『啓蒙とは何か』という、邦訳の文庫本で17ページほどの短い文章でこのテーマを論じて、そんな受動的な意味とは正反対の定義を「啓蒙」(Aufklärung)という言葉に与えています。
啓蒙とは何か。それは人間が、みずから招いた未成年の状態から抜けでることだ。未成年の状態とは、他人の指示を仰がなければ自分の理性を使うことができないということである。人間が未成年の状態にあるのは、理性がないからではなく、他人の指示を仰がないと、自分の理性を使う決意も勇気ももてないからなのだ。だから人間はみずからの責任において、未成年の状態にとどまっていることになる。こうして啓蒙の標語とでもいうものがあるとすれば、それは「知る勇気をもて」だ。すなわち「自分の理性を使う勇気をもて」ということだ。(中山元訳。下線部は邦訳で傍点の付された箇所。光文社古典新訳文庫より。以下カントについては同じ)
カントにとって啓蒙とは、理性の行使だということのようです。ここで「理性」と訳されているのは、従来の邦訳では「悟性」(Verstand)と訳されてきたものですが、少し広い意味だというのでここでの訳者は「理性」と訳しています。
「啓蒙」は、ドイツ語のAufklärungのauf=on、klärung=clarification(明確化)、ラテン語だとillustratioで、これは光で明るく照らす、というような意味合いでしょうし、英語のEnlightenmentやフランス語のLumièresには光(lumen)というラテン語が埋め込まれているのがわかります。それを思えばカントが理性を行使して、その理性の光で物事を自分で判断できるようになることが「啓蒙」なんだ、と言うのはごく自然な感じがします。
そこでは外部の知識の受け渡しなどは問題外で、むしろそんな外部のなにか(「他人の指示」と言われていますが)を持ち込むことで、はじめて理性を使う、というようなのは「啓蒙」の反対物でしかなくなってしまいます。自分自身の理性の光によってものごとを明るみに出し、判断できるかどうか、他人によっかかっててしか判断できないか、その一点に、成年か未成年かの区画線があり、啓蒙とは他人に寄っかかってしか理性を行使できない未成年状態から、自ら理性を行使する成年に転じることを言うのだ、と言っていることになります。
じゃどうして多くの人間たちは、みずから未成年状態にとどまってそこから抜け出せないのか。それは基本的には他人によっかかっていれば樂だから、という経済合理性があるわけだけれど、理性を使う訓練を受けていないからでもある。さらに、人々が理性を行使するのを邪魔したり誤用させたりするような社会的な仕掛けがある。法律だとか、さまざまな決まりがそれで、人間が自分の脚で歩くのを妨げる足枷になっているのだ、とカントは論じています。
このへんまでは、啓蒙ということを知識の授受みたいなイメージから転換して、カントのいうように他人に指示されてではなく、自ら理性を行使して判断し、行動できるようになることだという考えを前提に置けば、よくわかる議論で、「公衆を啓蒙するには、自由がありさえすればよい」のだが、実際の社会では色々な場面で自由が制約されている、と語り、では「啓蒙を妨げているのはどのような制約だろうか」と問うあたりまでは、なんだか当たり前のことを言っているようにも思えてきます。
ところが次に、カントが、その「理性の使用」に関して、「公的な利用」と「私的な利用」という区別を持ち出すあたりから、素直に常識的な「公的」と「私的」の語感で読んでいると多少混乱させられます。
「公衆を啓蒙するには、自由がありさえすればよい」というときの「自由」とは、「自分の理性をあらゆるところで公的に使用する自由」であり、その自由さえあればよい、と言います。では、その「公的に使用する」とか「私的に使用する」とはどういうことでしょうか。
さて理性の公的な利用とはどのようなものだろうか。それはある人が学者として、読者であるすべての公衆の前で、みずからの理性を行使することである。そして理性の私的な利用とは、ある人が市民としての地位または官職についている者として、理性を行使することである。
「学者」が何でこんなところに出てくるんだ?とか、「市民としての地位または官職についている者として」というのは「私的」な場面じゃなくて「公的」な場面じゃないのか?とか、この文章に出くわしたときは思いました。
しかしここで「市民としての地位または官職についている者として」と言われている例として、公的な利害にかかわる業務にたずさわる場合の公務員を挙げているのをみると、これは「公的な」立場であり、「公的な」言動そのものではないか、と言いたくなります。でも、それはカントの言い方では「私的な」場面であり、「私的な」立場であり、「私的な」理性の使用なのです。
ほかにカントが挙げている「理性の私的な利用」の例、「理性の私的な利用」に制約が課されても仕方がないとするシチュエーションは、例えば上官から命令されて任務に携わる将校は、その命令が目的に適ったものではないなどとあからさまに議論することはできない、とか、市民は課せられた税金の支払いを拒むことはできない、とか、教会の牧師が教区の信徒に語るときには、所属する教会の定めた信条に従って講話を行う責務がある、といったことです。
こういう時に語る言葉やとる行動は、カントにとっては「理性の私的な使用」によるものです。それは彼によればしばしば制約があるものだし、いつも自由というわけではない。
他方、「理性の公的な使用」と彼が言うのは、役所であれ軍隊であれ教会であれ、上の例と同様の組織に所属していたとしても、「みずからを全公共体の一員とみなす場合、あるいはむしろ世界の市民社会の一人の市民とみなす場合」における「理性の使用」であって、それはつねに自由であるべきだ、というのですね。
上の例で言えば、上官の命令で任務に就く立場の将校であっても、「学者として、戦時の軍務における失策を指摘し、これを公衆に発表してその判断を仰ぐことが妨げられてはならない」し、また市民には納税の義務があってこれを拒否することはできず、納税の時期に課税を非難したりすべきではないけれども、他方で「こうした課税が適切でないか公正でないと判断して、学者としてその考えを公表すること」は市民としての義務に反するものではない。また、教会の牧師は所属教会の定めた信条に従って講話する義務があるが、「学者として、教会の信条に含まれる問題点について慎重に検討したすべての考えを善意のもとで公衆に発表し、キリスト教の組織と教会を改善する提案を示すこと」は全く自由だ、と。
ここで「学者として」というのは、上に述べた「みずからを全公共体の一員とみなす場合、あるいはむしろ世界の市民社会の一人の市民とみなす場合」と読み換えれば理解できます。
ふつう私たちの日常的な言葉の感覚では、こういうのこそ「私的な場面」であって、役人がお役所では「公的な」言動に終始すべきであり、役所を出て一人の私人に戻れば「私的な」立場で何を言おうがかまわない、と思ってきたのですが、カントの言葉づかいではその逆で、私たちが職業や身分・立場、組織等々の縛りから自由に、誰にも指示されずに理性を行使すべき、一人の個人、閉じた部分社会の一員ではなく、「全公共体の一員」あるはむしろ「世界野市民社会の一人」としての市民にたちもどるときこそが「公的」な場面なのであり、そこでの理性の行使が「理性の公的な行使」と呼ばれるものなのです。
そして、カントはその「理性の公的な行使』は自由でなければならない、それが私たちが「未成年状態」から「成年状態」へ脱皮すること、つまり「啓蒙」の条件なんだ、と主張しているようです。
カントの「私的」「公的」の区別は、具体的なイメージとしては、そこに聴衆として参加したり、関わり合いをもつ人々の拡がり、あるいはその人々のつながり、またはそういった人々が関わり合う場といったものが、閉じた集団や組織、閉じた場、閉じた系であるか、或いは反対に、極端にいえば「世界」にまで広がる市民社会という開かれた場、開放系、無限定な多数者であるか、という差異にあるようです。前者が「私的」な場であり、後者が「公的」な場と考えられています。
カントが人間のあるべき姿と考えていたのは、一方では私たちの日常そのものである、職業人として様々な職業に就き、そのそれぞれがもつルールに従い、その制約のもとで考え、行動し(理性の私的使用)ながら、同時に世界市民の一人である個人として、なにものにも縛られずに、あらゆることを、まったく自由に考え(理性の公的使用)、それを公衆に対して発表する、そんな姿だったんだな、とここまできて、いささか感動させられます。
でも、私はずっと以前にほかの人の訳でさっと目を通したこの短いカントの文章を、なにかちょっともやっとわからないところがあるけれど(たぶん、私的と公的の使い方をしっかり読み込んでなかったせいでしょうが)、別になにか新しいことが書いてあるようなものじゃないな、という感じで通り過ぎていたと思います。
しかし、今回改めて新訳でこれを読んだあとに、フーコーの同じタイトルの一文を読んで、このカントの短い文章が孕んでいる問題というのが私などの思いも寄らない重い、大きなものであることが分かりました。フーコーの文章も邦訳の文庫本でわずか30ページほどの短いものですが、私には手に負えないほど濃密な中身だから読んだと言えるかどうかわからないけれど、まあ自分へのメモのつもりで書いて(邦訳を勝手に加工し切り貼りして)みます。フーコーについては以下すべて「啓蒙とは何か」(石田英敬訳。筑摩学芸文庫フーコー・コレクション6 生政治・統治 p362-395)によります。
フーコーによれば、哲学的思考が自分自身の<現在>について反省しようとしてとってきた方法は次の三つです。
①<現在>を、世界のある一つの時代に属するもの、なんらかの固有な特徴によって他の時代とは区別され、あるいは、ある劇的な出来事によって他の時代から隔てられているもの、、として表象するやりかた。
②<現在>のうちに、次に起こる出来事を予告する徴(しるし)を読み取ろうとして<現在>を問うやりかた。
③<現在>を、新しい世界の夜明けへと向かう推移点として分析するやりかた。
ところが、カントによる<啓蒙>の問題提起の仕方はこれらとは全く違う、というのがフーコーの考えです。別にカントは「現在と何か」について書いたわけじゃないと思うけど(笑)、カントの「啓蒙」へのアプローチはおのずから<現在>への独特の直截なアプローチになっている、ということをフーコーさんは自分の哲学史的な蘊蓄から、どのパターンでもないぞ、と位置づけてみせたということなんでしょうね。
カントは、啓蒙をほとんど徹底的にネガティブな仕方で、一つの<Ausgang>、「脱出」、「出口」として定義する
カントは他のテキストでは、起源を問うたり、歴史的発展の内実を問うたりしているけれども、この啓蒙論に関する限り、一つの全体や、将来の成就から出発して<現在>を理解しようとはしていない。
啓蒙についてのこのテクストでは、問題は純粋な現在性(アクチュアリテ)に関したものなのだ
彼は、<今日>は、<昨日>にたいして、いかなる差異を導入するものなのか、一つの差異を求めるのである
こういうフーコーの評価は、抽象的な言い回しなので、私には読めていないかもしれませんが、カントが「啓蒙」を未成年状態から成年状態へと脱皮することだと考えていることを指して、歴史的なアプローチや訪れるだろう未来の予兆だとか変化していくものの推移点として<現在>をとらえようというのではなく、純粋に今ここで起きる現実として<脱出>、未成年状態でなくなる、という否定性において<現在>を語ろうとしていることを言っているんだろう、と思います。
次にフーコーはカントが彼のいう「未成年状態」の実例を挙げている所に触れています。カントはこんな風に書いていました。
わたしは、自分の理性を働かせる代わりに書物に頼り、良心を働かせる代わりに牧師に頼り、自分で食事を節制する代わりに医者に食餌療法を処方してもらう。(中山元訳。前掲書)
このカントの言葉を引いた後に、フーコーは「ついでに言えば」として次のように述べています。
テクストは明示的にはそう言っていないにせよ、三大批判の領域をこの三例に容易に見て取ることができる(石田英敬訳。前掲書)
こういう指摘にはハッとさせられます。カントが事例を挙げていても、ただ事例の並列としてさらっと読み過ごしていますから、ハハァと感心してしまう。でもほんまにカントさんはそこまで考えてこの三つを例に挙げたんかいな、と思わないでもないけど(笑)。哲学者というのはこういう人なんでしょうね。何気なく具体例をあげているようにみえても、それぞれちゃんと自分の体系の中で区分されるカテゴリーを意識して、それぞれに対応する事例を挙げているというわけです。その体系についてここでは全然ご本人は触れていないけれど、そういう構造を背後に背負った書き方をしている、と。それをちゃんと読み取るほうもすごいけど(笑)。
この括弧書きは、ちょっと言っておくと、くらいで書かれてこれ以上ここでは詳しく触れられていませんが、後の方で、この論文と三批判の関係にきちんと触れ、その関係を強調すべきだと考えている、と述べたところがあります。カントのこの小論文の重要性を知る上で、さらにカントの「批判」の位置づけについてのフーコーの考えをうかがう上で、とても大事な指摘だから引用しておきましょう。
この論文は、啓蒙を、人類が、いかなる権威にも服従することなく、自分自身の理性を使用しようとする時(モーメント)であると描いている。ところが、まさしくこの時こそ、<批判>が必要な時なのである。なぜなら、<批判>とは、ひとが認識しうるもの、なすべきこと、希望しうることを決定するために、理性の使用が正当でありうる諸条件を定義することを役割とするものだからだ。錯覚とともに、教条主義と他律性とを生み出すのは理性の非正当的な使用なのだ。それに対し、理性の正当的な使用がその原理において明確に定義されたとき、理性の自律性は確保される。<批判>とは、言うならば、啓蒙において成人となった<理性>の航海日誌のようなものだ。
フーコーはカントからこのような意味での<批判>を継承していったのでしょう。
いずれにせよ、啓蒙は、<意志>、<権威>及び<理性の使用>の間にそれまでに存在していた関係の変化だと、定義されるのである。
カントの定義は先に引いた通りで、このフーコーのような言葉で「定義」してはいなかったと思うけど、カントのいう、書物や牧師や医者に判断を委ねてしまうのではなくて、自分で理性を働かせる、ということは、結局、意志、権威、理性の使用という3項のあいだにあった従来の関係を変えてしまうことになるんだ、ということでしょうね。
次にフーコーが指摘しているのは、カントがいう(未成年状態からの)「脱出」は、両義的な意味合いで提示されている、というようなことです。
カントはそれを、一つの事実として、起こりつつあるプロセスとして性格づけている。だが同時に、彼はそれを一つの使命、義務として提示してもいるのである。
あとのほうの意味合いで考えれば、人間自身が自分の未成年状態に責任がある、ということになりますから、カントはその点に注意を促している、と。だからこの「啓蒙」が「知る勇気を持て、知る大胆さを持て」という、他者に対すると同時に人々が自身に課す標語を持っていると言っているのだ、とフーコーは述べています。
ここからフーコーは「啓蒙は、したがって、ひとびとが集団的に構成するプロセスであると同時に、また個人的に実行すべき勇気の行為でもあることになる」と言い、従ってまた、人々はそうした同一のプロセスの要素でもあると同時に行為主でもあり、プロセスの当事者として、そのプロセスを意志的に担おうとする限りにおいて、そのプロセスが起こる、ということになる、という意味のことを、カントの啓蒙についての考え方の論理的帰結として語っています。
それに続いて彼は次のように書いています。
カントのテクストにおいて、第三の困難があらわれるのは、まさにそこである。その困難は "Menschheit" (人類、人間性)という言葉の使い方にある。・・・啓蒙のプロセスのなかにとらえられているのは、人類の総体であると理解すべきなのか。そうだとすれば、啓蒙は、地球上の全ての人間の政治的社会的存在に関わる歴史的な変化である、と想像せねばならない。あるいはまた、啓蒙は、人間存在の人間性を構成しているものに影響を及ぼす変化のことだ、と理解すべきなのか。そうだとすれば、その変化とは何なのか、という問いが立つことになる。
ここでもカントの答えは両義性を孕んでいて、単純そうに見えてかなり複雑なのだ、とフーコーは言うのです。この冒頭の、カントのテクストにおける「第三の困難」という言葉が私にはひっかかりました。じゃ、「第一の困難」、「第二の困難」はどこにある?フーコーは、どこにもそんな風に明示的に書いてくれてはいないのですね。(笑)
「第三の困難」は人々が啓蒙という集団的に構成するプロセスの一要素でもあると同時に個人として実行すべき行為の行為主でもあるという当事者であって、その当事者が意志的にそう使用する限りでそのプロセスが起こる、という、論理的にみれば循環論法的な矛盾があって、原因はカントのこの啓蒙論における"Menschheit"(人類、人間性)という言葉の使い方がはらむ両義性にある、とフーコーは言っているようですから、それなら、少なくとも「第一の困難」、「第二の困難」の一方は、その前に指摘されていたもうひとつのカントの両義性、つまり、未成年状態からの「脱出」が、「一つの事実として、起こりつつあるプロセスとして性格づけ」ると同時に「それを一つの使命、義務として提示してもいる」という両義性を孕んでいることにある、というところに当たるのかな、と考えたりもしてみたのですが、気にはなるけれど、いま通り一遍の読み方をしただけでは、私にはわかりません。
Menschheitという言葉がカントの論文で出てくるのは、教会会議みたいなところが、不朽の教義なるものを採用し、それを宣誓によって定め、すべての信者を絶えず監視し、信者を介して国民にも監視を広げて、そんな教義に基づく制度を永続的なものにしようとすることがあるが、人間が啓蒙されることを永久に妨げることを目的とする、そんな契約が締結されてもまったく無効であり、たとえば次の世代の人々が認識を拡張してその教義や契約の誤謬を取り除いたり、啓蒙を推進することを禁じるなどということは「人間性に対する犯罪」というべきだ、と述べているようなところで登場する「人間性」という言葉です。
カントは「人間性の根本的な規定は、啓蒙を進めることにある」のだから、次の世代の人々はこんな(啓蒙を阻害しようとする)決議を廃止することができる、と述べています。
to be continued ・・・
saysei at 21:48|Permalink│Comments(0)│