2020年08月

2020年08月20日

「愛の不時着」を見終わる

 「愛の不時着」全16回もあっという間でした(笑)。

 純愛もので、例によって財閥のご令嬢がヒロイン、事業の後継者をもくろむ骨肉の争いの中で本当の家族愛を求めて孤独なヒロイン、ただハンググライダーの不時着による北の38度線の監視にあたっていた将校ㇼ中隊長との偶然の出会いからその愛が始まるところが、ちょっと珍しいことは珍しく、そのために「北」の権力者内部の権力争いが絡んでアクションシーンもあるけれど、冬のソナタ以来の典型的な韓流ドラマで、純愛ものとしての性格が半分、あとの半分はコメディとしての明るく笑えるシーンの連続なので、楽しく見ることができました。

 その面白さの多くは、「北」と「南」の暮らしぶりや考え方の違いが、ヒロインと「北」で出会うヒーローの部下たち4人、或いは彼女が匿われる村のおかみさんたちとの、ちぐはぐな笑いをさそうやりとりにあります。ヒロインの何でもない振る舞いや言葉を通じて現れる、「南」ではとるに足りない日常的な物事や立ち居振る舞いに触れたときの「北」の兵士やおかみさんたちの反応、あるいはヒロインを殺そうと狙う悪玉を仕留めにヒーローが「南」へ行き、彼の父である「北」の権力者の命で彼を追って4人の部下の兵士たちと心を入れ替えて味方に加わった盗聴者の5人が「南」で触れる人々や事物に対して示すちぐはぐな反応が笑いの中心です。

 泣かせどころも満載で、ヒロインとヒーローの幾度もの別れと再会は、一度別れれば二度とは会えないだろうと覚悟しなければならない南北間の純愛ならではの深い悲しみに彩られるし、いずれかが銃弾や病に倒れて死に瀕する時に発する悲痛な慟哭や、一途に見守る姿に打たれるし、純愛に関してはこの主人公たちの物語と平行して語られる、当初は敵役とも見えた、ㇼ中隊長の婚約者ダンと、彼女に愛を告白して死んでいく詐欺師ク・スンジュンの最後なども、なかなか胸をうつものがありました。

 またㇼ中隊長らがヒロインを匿っていた村のおかみさんたちが素晴らしく、「北」の権力のもので抑圧され、相互監視社会で権力者の妻にはおべっかをつかい、十分な食糧も薪もなく、停電ばかり繰り返しているような村で暮らす、無知無教養で、内心「南」の闇商品である衣類やシャンプーや化粧品のような日用品に興味深々にあこがれるミーハーなおばさんたちだけれど、心はみな温かで、家族を愛し、いざという時には身の危険を冒しても窮地に陥った仲間を助けようとする人間の血が通う人たち。とりわけ後半、それまではお上さんたちの中で一番威張っていた大佐の夫人が、夫が汚職で逮捕されて、食料にも冬の薪にも困窮すると、あの家に近寄ると自分たちまでが罪に問われる恐れがあるから近寄るまいと互いに戒めながら、実は皆夜になるとこっそりと一人で食べ物を運び、みんなに近寄らないようにと説いていた班長までが薪をいっぱい積んだリアカーを引いて夫人の家に運ぶ。

 このドラマの作り手たちが、「北」の人間を何か特殊な、変わった人たちとか、人間味のない冷酷な社会で身も心も凍り付いた人々といった見方をしないで、そこにも「南」の自分たちと同じように温かい血が通い、ひょっとしたら自分たちが見失ってしまったかもしれない深い人情を備えた人たちが暮らしているだろう、という願望にも似た視点を持って描いていることが、こうしたお上さんたちの描き方で実によくわかり、このドラマのもう一つの泣かせ処になっています。

 これと対照的に、幼いときから、ヒロインを絶望的な孤独に追いやって来た、「南」の超現代的ではあるけれども、血も涙もない冷酷な資本をめぐる肉親間の骨肉の争いをマンガ的誇張を持って描いているのは、あきらかに意図的なものでしょう。荒唐無稽なラブコメディーの形をとった純然たるエンターテインメントとはいいながら、韓国内で大ヒットをとばしたのには、それだけの理由があると言わねばならないでしょう。

    あの村の隠れ家にあったような「キムチ倉」、わが家にもほしいです。むしろに大きなハマグリらしき貝を沢山ならべてアルコール度の高い酒か何かをぶっかけて燃え上がる炎でその貝を焼き、貝殻のふちをもってスープを啜って食べていた貝プルコギとか言っていた食べ方、最高にうまそうでした!あんな贅沢な食べ方、してみたい!もう私には、シーグリスヴィル橋まで行く元気はないけれど(笑)

saysei at 17:33|PermalinkComments(0)

2020年08月16日

スナップショット 16  加藤静允さん

加藤静允先生のスケッチ

 加藤先生にお目にかかったのは、長男がまだ幼児のころに熱を出したか何かで先生が開いておられた加藤小児科医院へ連れて行ったときだ。大原通を北へまっすぐ、北山通のすぐ手前の、通りに面した東側にある、住宅の間に小さな商店がはさまったような家並みの中で目立つ看板のようなものもなく、うっかりすると前を通り過ぎてしまうようなたたずまいの医院だった。

 

 おそらく普通の2階建て町家を、通りに面した1階のいわゆる見世の間だけ待合室に改造したようで、その狭い畳敷きの待合室には、いつも坐れないほどの親子が来ていた。待合室の隅に確か飾り棚のようなところが設けてあって、そこに陶磁の花瓶が置いてあって、ありきたりの花瓶にはみえなかったので、何か骨董か陶磁器に興味のあるお医者さんなのかな、と思ったけれど、まさかこの小児科の先生が知る人ぞ知る一級の陶芸家だとは、そんなことに趣味のない私はまるで気づかなかった。先生もまた、病院では陶芸のことなどおくびにも出されなかった。

 

長男が生まれてから、それまでの四条通に面したマンションの4階から、左京区の鐘紡の跡地に公団が作った集合住宅に引っ越してきた私たちには、まだ地域について詳しい知識はなかった。加藤小児科医院に行ったのも,同じ団地に入居したご近所のかたで、もともとこのあたりに生まれ育って地域のことをよくよくご存じの方にうかがって、自分の息子さんも小さいころ診てもらったが、とてもいいお医者さんだよ、というので紹介してもらったのだったと思う。

 

 順番が来て診察室に入ると、先生はカルテをチラッと見て、「〇〇〇君か、なかなか難しい名前をつけてもろたな」と顔は長男の方を向いて直接彼にはなしかけるようにしながら、声にはまだ親になりたての私たちを温かくからかうような調子があった。実は長男の名前は、結婚後5年間でやっとできた最初の子でもあったので、私が少々張り切って、万葉集を繙いて、当用漢字ではあるけれど、現代ではそうは訓まない、古代に特有の訓みを充てていたので、名前を見ただけでは、ほとんどだれも長男の名を正しく読むことができない。いい名をつけたという自負はあったものの、改めてそう言われると、「学のあるとこを見せたかったんやな」と親の自己満足をからかわれたようで、きまりが悪かった。

 

しかし、後日、この先生の名前を見て、パートナーと私は笑ってしまった。「なんや、自分こそえらい難しい名前をつけてもろてるやないの!」と。実際、加藤先生の「静允」(きよのぶ)という名は私たちには訓めなかった。きっとこういう名をお持ちだから、ひとの名前に敏感なんだろうね、などと話したものだ。

 

「きょうはどうした?」と長男の目をのぞき込むようにして、後はもっぱら長男に話しかけながら手早く診察していく。

 「朝から何か飲ましてもろたか?」

 子供が熱でも出して連れていくと、たいてい最初は子供に向き合って、優しくこう問いかける。子供が正直に「牛乳!」なんて答えたら大変だ。それまで子供に向けられていた先生の笑顔が一転し、鋭い眼光が親に注がれる。

 「子供が熱出してるときに、牛乳みたいな脂肪分の多い消化の悪いもの与えたら、場合によったら吐いてしもて、どんなに子供が苦しむか考えてやらんといかん。まだお茶のほうがましや。最初は水や湯冷ましをちょっとだけ与えて様子をみて、吐いたりせなんだらお茶やポカリみたいなもんなら飲ましてもええけどな。」

 

 待合室にいて、他の親に言われるのも含めると、耳にタコができるほど何度もこの言葉は先生の口から聞かされた。「これは実験で証明されてるんや」と先生はそのたびに親を諭すように言う。アメリカの何とか州の何とかいう街では、子供のいる世帯には全部、ポカリを一本常備させるようにしたのだ、と。そのキャンペーン以前と、それ以降の子供の感冒の発生率を比較したら、明らかに何パーセントも減ったという研究結果が出て、効果のあることが確かめられてるんや。

 

 いまいい加減な記憶で書いているので、それが感冒の発生率だったか、発熱した小児科の患者の重症化率だったかとか、そんな厳密なことは全く定かではないけれども、とにかく加藤先生は、分かりやすくはあるけれど、結構理詰めで親を教育される(笑)ところがあった。しかし親の方もついうっかり、ということが少なくない。長く子供がお世話になっているのに、いまだに理解しないで子供を苦しませる親には結構きびしい口調になる。

 

 うちの長男より後で生まれた子をもつご近所の親御さんが、いい小児科医がいないかというので、パートナーが加藤先生を紹介した。何度か通ったらしいが、後日その若いお母さんが言うには、「ちょっと私はあの先生苦手で・・・なんかこっちが叱られてるみたいでコワイです」(笑)・・・と、もったいないことに、ほかの病院に変えてしまった、というようなこともあった。

 

 子供の状態に鈍感な、うっかりの親には厳しかったけれど、子供には本当にやさしい先生で、いつもこの上ない笑顔で、直接子供に問いかける。

長男は喘息もちだったし、よく風邪をひき、そのたびに発熱したり、頭痛を起こすので、加藤先生には頻繁にお世話になった。

診断は非常に的確で、高熱の時は尿を調べたり、後頭部延髄のあたりを入念に確認して、親にきちんとわかりやすい説明をして、警戒すべき注意点を告げ、この先生が診てくれていれば大丈夫だな、という安心感を親の私たちにも与えてくれた。

 

 次男は長男ほどではなかったけれど、やっぱり加藤先生のお世話になった。ヤンチャな次男の方が、不思議に病気もケガも少なかった。公園で拾ったアイスクリームの残りを舐めたと聞いたときは青くなったが、幸い無事だった。二人とも喘息気味だったが、スイミングスクールに通い始めると、二人とも嘘のように喘息は消えてしまった。

 

 或る時、風邪か何かで珍しく次男が熱を出して加藤医院に連れて行った。めったに注射をしない先生だったが、この時は必要だったようで、注射ということになった*。 [* これは筆者の誤認でした→「追記・訂正」参照]

次男はヤンチャなわりに怖がりのところもあって、なにかあると四方に轟かんばかりの大音響で盛大に泣いたりするので、病院でそれをやられると困るな、と私は心配だった。膝に抱いたまま腕まくりしてやると、何をされるのか、とすでに不安そうな面持ちだ。

加藤先生は次男になにか話かけながら、すばやくアルコール綿で腕を拭き、注射器は薬液を満たしたままちょっと腕を背後に曲げて次男から見えない位置に持ったまま、なにかひとことふたこと次男に話しかけ、次男がふっと先生の話につられて反対側を向いた瞬間、電光石火の早業で次男の二の腕に針を刺し、注射をすませてしまった。

 

次男はその瞬間に振り向いて自分の腕のあたりを見たけれど、そのときにはもう注射器の影も形もなく、次男はきっとチクリと痛みを感じたに違いないのだが、なんとも不思議な表情で針を刺されたあたりを見たが、何が起きたのか理解しかねて、泣く機会を逸してしまったようだった。

 

「もう終わった、全部終わったぞ」と加藤先生は、それでもなんだか顔を少し歪めて泣き出そうかどうしようかと迷っているような表情の次男に声をかけ、気分をそらせると、次男はそのまま泣き出しもせず、何が起きたかわからぬまま不思議そうな表情で抱かれていた。

 何でも兄と同じでないと気が済まない次男は、あるとき先生のところへいく母と兄についてきて、兄が水薬をもらったのを見ると、ぼくも欲しい!と駄々をこねたらしい。「お薬なんだから。あんたはどこも悪くないでしょ」とパートナーがいくら諭しても、まだ幼い次男は頑として聞こうとしない。
 それを見るや加藤先生は、「よしよし、そんなら〇〇〇君にもあげよう!」と離乳食のスープらしいものを薬のようにして次男に渡してくださったらしい。次男はそれで納得して無事帰ることができたということだ。

 長男が少し大きくなって、一人で診察室で診察を受け、わりあい長い時間出てこなかったので、出てきたときに母親が、「えらい長かったね、先生と何をお話ししてたの?」と訊くと、星の話をしていた、と答えたらしい。学校でどんなことをしてるんや、と訊かれて、星や星座のことを勉強してる、と答えたら、いろいろ問いかけたり話してくださったようだ。ほんとうに子供が好きで、親がそばにいない方が、子供が生き生きとお喋りしてくるようだった。

 

 この加藤先生がすぐれた陶芸家だと知ったのは、随分後になって、雑誌「芸術新潮」に載った白洲正子さんの紹介記事を読んだときだった。

そこには先生の陶磁の作品の写真が数多く掲載されていて、それらの陶磁器にはウサギの姿など、ほんとうに先生の性格を髣髴とさせるような温かみのある優しい愛すべき絵柄が描かれていた。

私には陶磁を見る眼などないけれど、それらの作品は写真で見るだけでも、ふだん百貨店の売り場で麗々しく作家の名を掲げて売られている現代陶芸家の作品や、時に工芸展などで見るような陶磁器などとはまるで違った次元にある作品にみえた。素人目にも、そこにはいささかも市場性の汚れがなく、「芸に遊ぶ」という言葉があるけれど、仙人が飄々と描く書画のように、遊び心が感じられる作品のように思えた。

 

 しばらく後に、大阪の出版社から先生の陶磁作品の画集のようなものが出版されていることを知って、仕事で大阪へ行った折に、その出版社の所在を訪ねてみたが、どうしても見つけることができなかった。或いはもう廃業しているのかもしれない、と思い、諦めてしまった。さらにずっと後になってネットオークションなどで時折先生の作品や出版物が出ていることに気づいたけれど、とても私などが手を出せるような価格ではなかった。

 

 おそらく加藤先生にはご自身の作品や書物を広く販売するような意志がなく、陶磁器の類は惜しげもなく親しい方などに贈ったりされてきたようだし、書物はごく少数部の限定出版のようだから、古書市場等でもほとんど入手困難になって高い古書価がついているようだ。それは先生の意図されたこととは異なる不本意な状況だろうなとは思うけれど、結果的に市場原理が貫かれてこういう状況になるのも致し方のないことだろう。

 

 先生の陶磁作品も書物も、こうして早くからその価値を認めて注目していたごく一部の人たちや好事家の手に渡って、その価値が分かる人に愛されたり、或いは多くの場合は死蔵されて、世に出てはこないのかもしれない。それは少し残念な気はするけれど、もともと陶芸家としての加藤先生は、私たち夫婦や子供たちには遠い雲の上の世界の方であって、私たちがお世話になってきたのはあくまでもかかりつけの小児科医としての加藤先生だけだ。

 

 子供たちはいつしか加藤先生のことを、「鳩ぽっぽ」との語呂合わせで、「カトポッポ先生」と呼ぶようになっていた。

 

 やがて子供たちが成人し、次男が先に結婚して私にとっての初孫が生まれた。女の子で、元気な子だったので、殆ど病気もしなかったけれど、それでも子供のことで、何度かは熱を出したりして「カトポッポ先生」にお世話になった。

 

 初めて孫がママに連れられて診てもらいに行ったとき、長男や次男が通っていたころからずっと受付をしてくださっていたかた(申し訳ないけれど、それが奥様だったのかそうでない方だったのか、いまだに私たちは知らないのだけれど)が、「まぁ、あの〇〇〇ちゃんの子供さん?!」と次男のこともよく覚えていてくださって、懐かしがってくださった、と次男のパートナーがとても喜んで報告してくれたそうだ。

 

 長男は始終お世話になっていたし、比較的お世話にならずにすんだ次男も、子供らしい活発でやんちゃな子だったから、先生もよく覚えていてくださったのだろう。孫がたまたまオタフク風邪にかかって熱を出し、大々的に腫れあがった頬っぺたで「カトポッポ先生」のところへ行ったとき、その腫れた顔が可愛いと思われたのか、見ている前でさらさらと孫の顔をスケッチして「〇〇ちゃん5さい おたふくさん」と書いて日付とサインを入れてくださった。

 

 このスケッチは今でも次男の家の唯一の「家宝」で、私もそのコピーを仕事場の目の前の壁に貼って毎日ながめている。即席で描かれたスケッチだけれど、みごとに孫の表情の特徴がとらえられている。おたふくで膨れた左頬も面白く、唇と頬に淡い紅が添えられていて、素晴らしい作品になっている。

 

 これを母親どうしの雑談の中で聞いた孫の友達のお母さんが色をなして(笑)、うちの子も描いてやって、と先生に迫って描いていただいたようで、それを聴いたときは、自然な気持ちでふと思い立って孫を描いてくださっただろう先生に、二度目はいわば強いられて描く羽目になって申し訳ないことをしたなぁと思わずにいられなかったけれど、そんなことが噂で拡がれば、それこそ際限なく私も描いて、うちも、とお母さんたちの行列ができたことだろう。

 

 いま二人の息子たちや孫が元気に成長しているのは、幼少期の病気の克服に関しては間違いなく「カトポッポ先生」のおかげである。

 

 その後も人から、どこか信頼のおける小児科の先生いないかしら、と訊かれるたびに、わたしもパートナーも、そして子供たちも、みな間違いなく「カトポッポ先生」を紹介してきたと思う。

 

 自分がかかるお医者さんにはそれほど神経質にならないけれど、子供や孫のこととなると、信頼のおける医師でないと困る、と心から思うのが、どこの親にも共通する親心、ジジババ心というものだろう。

 

 私にとっての「信頼のおける」小児科医というのは、次のような条件を備えた医師だったのではないかと思う。

 

1.     よく流行っている。

腕はよいかもしれないけれど、いつも閑散として患者が寄りつかない病院というのはちょっと怖い。病気は多様だし、その時々で変化もする。流行っている病院では、いまどんなタイプの病気が流行っているか、その症状を数多く経験しており、その処方箋も、いつ治るかも熟知しているだろう、と素人なりに見当をつけるわけだ。

2.     子供は優しく、親には厳しい。

   子供の扱いがうまく、子供に好かれている医師であることは小児科医として必要な資質だろう。子供を対等に扱い、目線を子供の目の高さにもってきて直接子供に語り掛けるような医師はたいてい大丈夫だ。普段子供と接している親は素人だから間違いもしばしば冒す。それをきちんと注意し、子供の命と健康を守るために親を時に叱りつけてでも教育してくれるような医師は、子供にとっても親にとってもかけがえのない名医だ。

3.     検査、注射、薬は本当に必要なだけしか使わない。

   近年は注射や薬剤の過剰投与が問題になって、小児科医であまりひどいことをする医師は少ないかもしれないが、それでも油断はできない。まともに患者を見ずに、検査データやコンピュータの画面ばかり見て、患者を薬漬け、検査漬けにするような医師がいないとは言えそうもない。必要な検査はしなければならないが、やたら検査し、注射をしたがり、薬剤を出したがる医者ほど何だか知らないけれど一杯点数かせいで、診察料も高いような気がするのは素人の僻目だろうか。

4.     判断が早く、的確で、説明に曖昧なところがない。

もちろん医者は万能ではないから、分からないことは分からない、とはっきり言ってくれることが「説明に曖昧なところがない」のうちに含まれる。その代わり、こういうケースもあるから気を付けて、と警戒すべき注意点を明確に説明してくれる、というようなことだ。

5.     最近の小児科の臨床的な動向について目配りができていて、勉強をつづけている。

 どんなプロフェッショナルの世界でも当然のことではあるけれど、開業医の中には残念ながら、最新の医療動向についてもはや目配りしようという気をなくしてしまっているんじゃないか、と思えるような医師もあるようだ。医療も日進月歩で、たまには考え方や対応がひっくりかえってしまうようなこともあるようだから、専門家として最小限の努力は続けてほしいと思う。

 

 一般的に言って、素人の目でこんな項目を自然に頭の中において、はじめて訪れる病院の医師を見ているような気がする。人に勧めたりするときも、おのずとこういう規準で判断した医師を推薦している。もちろん素人の判断基準だから、プロの医師から見ればもっと大事なことがあるよ、とか、そんなことは大した問題じゃないんだ、というようなところがあるだろうと思うけれど、医学についてなんの知識も持たない素人なりに、患者或いは患者の家族としての経験から自然に導き出された判定基準のようなものだ。

 

 もちろん「カトポッポ先生」は全部合格(笑)。いや、こうした基準自体が、「カトポッポ先生」の姿を見ていて導かれたものだと言ってもいい。

 

 いまも散歩のとき、たまに修学院駅や松ヶ崎橋まで行って、帰りに大原通を選び、加藤医院の前を通ることがある。でも、もう医院自体は何年か前に閉院されて、医院の表示もないので、新しい世代にはここに加藤小児科医院という名医の小児科医院があったことも気づかれないだろう。

 

 その前を通るときは、いつもこの右側の戸を開けて一段高い左手の畳の部屋に入り、右手の受付の窓口に声をかけ、たいていはお母さんたちと子供たちばかりの中に、一人男親として少し気恥ずかしい思いをしながら、混じって待っていた時のことを思い出す。私は比較的出勤時間に融通がきいたので、子供が熱を出したりすると朝いちばんに連れていくのは私の役割であることが多かったのだ。待合室には絵本があり、ぬいぐるみがいくつか置いてあった。子供の体調が悪いと、ひどくなるんじゃないか、と心配だったが、「カトポッポ」先生に診てもらった後は、いつも安心して帰途につくことができた。

 

 知る人ぞ知る陶芸家だった「加藤静允」の名は白洲正子さんの紹介以来、一般にも広く知られるようになり、美術館で細川護熙元首相との合同陶芸展なども催されたことがあるようで、ますますその評価は高まる一方のようだが、地域の小児科医「カトポッポ先生」の名は閉院から時を経るほど地域でも忘れられていくようにみえるかもしれない。

 

 しかし、地域に生きる家族にとって、かけがえのない子供の命と健康を守り、従ってまた家族全員の安心を、平穏無事を影ながら支えていてくれたのは、「カトポッポ先生」のような存在であり、すくなくとも私の一家にとっては、子が生まれ、成長し、成長した子がまた子を産み、孫にあたるその子が無事に成長して今日にいたるまで、まるまる二代にわたる長い年月、見守り、いざというとき支えてくれたのは、この「カトポッポ先生」その人にほかならない。

それはわたしたち家族にとって、そしておそらくはこの地域に暮らして子育てをしてきた多くの家族にとって、忘れることのできない存在であって、これからもきっとそれぞれの家族の中で語り継がれていくに違いないと思う。



[追記・訂正]

 このブログ記事を書いたのは昨年の8月ですが、その時点ですでに加藤先生にお世話になった孫も、とうに小児科の先生のお世話になる年齢を過ぎ、先生にお目にかかることがないだけでなく、久しくお噂を聞くことがなくなっていて、ごくたまに家のうちで老夫婦で昔がたりをする中で、加藤先生はどうしておられるかなぁ、と息子たちや孫の幼かったころの表情と共に思い出すばかりでした。

 ところが数日前に、私のこの記事を読んで下さっていたという、私にとっては未知の方から、ブログへのコメントを通してご連絡いただき、加藤先生の御消息を知ることができました。
 お知らせくださったかたは加藤先生とお親しい方のようで、加藤先生が拙文を読まれて喜んでくださって、親書をしたためられた、とのことでした。私は匿名のブログ記事のことでもあり、まさか先生が直接私宛てのお手紙を書いて下さったとは思いも寄らず、おそらくご連絡くださった方と私信を交わされる中で、こんなブログ記事がありましたよ、とその方に知らされて先生が拙文をお読みくださり、ご感想をその方への私信の中で書かれた、ということだろうと、早とちりして、では先生のそのご感想の部分だけでも転送して頂ければ、とお返事したのです。

 そうして添付メールで送っていただいた先生のお手紙は、私の思い込みとは違って、まさに直接わたし(”saysei"の匿名での私)に宛てて書かれた、かつてそれほど長文の私信を受け取ったことがないほどの長いお手紙で、先生ご自身のことから、拙文へのご感想、そして拙文の記述の不備、誤解についてのご指摘など、事細かに、丁寧にしたためられものでした。

 このお便りによれば、先生は今年85歳を迎えられるそうで、お元気でお過ごしの御様子で、御消息を存じあげなかった私たちお世話になった家族にとっても本当に嬉しいニュースでした。
 私信でもありますので、ここでいちいちご紹介させていただくことはさしひかえますが、ただ後半で、ブログの拙文の中で2点、私の誤解をご指摘いただいたところがありますので、その点についてだけ追記し、訂正させていただきたいと思います。

 第一点は、私が次男を連れて先生に診て頂いたとき、先生がいかに子供をこわがらせず、名人芸といっていい手際よさで処理されたかという一例として、幾分怖がりで、せいっぱい我慢したあげく、限界がくると、あたりかまわず盛大に泣く当時の幼い次男に「注射」をしてもらったときのことを書いているのですが、その記述について、先生のご指摘は以下の通りです。

 次男さんに注射をした時のこと、これは発熱時ではなく 99%予防注射の時のことと思えるのですが、如何でしょうか。発熱時に腕に注射をすることは阿爺(オヤジ)の時代にはあったでしょうが、私の時代では皆無と言ってよいと思います。熱や痛みには座薬を使用するようになっていました。昭和50年代ならば、まだ麻疹などの感染症も多く、y-gl(ガンマグロブリン)の筋注などをすることはありましたが、これは臀部です。発熱、嘔吐、脱水の時は点滴静注が適応になりましたが。 

  
 ブログを書いたとき、私はそれが発熱等への治療であったか、ワクチンであったか、といった区別については念頭になく、まったくの医療素人として、次男が注射器でチクリと腕を刺されたその瞬間にきっと大泣きするだろうな、と恐れていたので、そのことの記憶だけで、その場の情景を思い出して書いていたと思います。

 念の為パートナーに確かめてみたら、彼女はただちに「加藤先生のところで熱を出したからって注射されたことは一度もない」と断言しました。回数から言えば圧倒的に彼女の方がよく連れて行っていますし、この記憶は確かでしょう。
 もちろん、私自身も、あの時に次男を連れて行ったのが、発熱とかの症状が出たからだというふうな記憶があったわけではなく、ただワクチンだった、という明確な記憶もなく、ワクチンではないかと意識することもなかった、というだけです。

 そもそも次男は(よく頭痛や発熱を起こした長男と違って)ほとんど発熱したという記憶自体がないので、改めて考えてみても、先生のご指摘どおり、間違いなく何かのワクチン接種をお願いしたのだったと思ます。

 もう一つは、「初期看護の水分、養分の与え方の簡易順序についての具体的知識・方法について」で、先生のご指摘は以下のとおりです。

  2つ目、発熱時に朝から医者に来るまでに与える経口飲料·食物についてのことです。この初期看護が小児にとって第一に大切なことなのです。これだけの文章を書いていただける Sayseiさんが、もう一昔前のことだとしても、記憶に残っていないと言うことは私の説明が簡にして要を得て無かったんやなぁと反省することしきりです。多くのお母さん達が、なかなかに出来ないことだったのだなぁと今更ながら指導のむつかしさを思い知りました。

 発熱時、早朝から経口的に与えるものの順番

糖分と塩分の適度に入った冷水、ぬるま湯(与えたあと、上半身を高い目、右側を下にしてねかすか、だっこする。)

くず、かたくり、うすいお粥、おじや。

嘔吐なく、①②が治まればミルク牛乳可

このの糖分と塩分の入った飲料と言うとポカリスエットが一般の人の頭の中にあるようにした大塚製薬はたいしたものです。しかし、発熱時(小児は病初よく嘔吐します)第一番目に与える飲料としてはポカリスエットは塩分·糖分が少し薄いのです。開業当初、小児の発熱時に最初に与えるのに最も望ましい飲物を作ることを大塚製薬に提案しました。同社も賛同、興味を示し、熱心な若い研究員が幾度か私の医院へ足を運んでくれたのです。

 こちらの希望する塩分·糖分濃度にすると、味がよくありません。熱のある子が好んでおいしいと飲んでくれる味のものが簡単には出来ません。

 このあとに、種々試行錯誤、試作していたものの、製薬会社の上層部の意向で試作は中止されてしまった、という記述が続き、もし持続して開発できたら、『熱が出たとき、ポカリ2(ツー)』というコマーシャルが普及したかも知れないのに、と残念がっておられます。

 まことに残念でしたが、こどもが発熱したとき先ずこれを、つめたく冷やして、少しづつ、喜んで飲んでくれるというものは出来ませんでした。たしかに上手に使用すれば早期に点滴注射をするのと同様の効果があるのです。学術的によく調合されたヒートシール入りで、保存のきくものはいくつかあるのです。しかし、味がよくありませんし、現代のお母さんにこれを何 cc に溶かしてとしてもらうのもやっかいです。

 この経口補液という初期看護をうまくやれば、多くの疾患を早期に好転させられるでしょうし、脱水症に至り、点滴補液しなければならない症例がウンと少なくなることはまちがいないのです。 

 
企業の利益優先の経営判断で多くの子供たちの苦しみを解消、緩和する可能性を拓く道を閉ざしてしまったことへの無念さが伝わる記述でした。

 私自身は、この件について当時の記憶をたどってみると、子供が発熱して病院へ連れて行く前に、牛乳のような脂肪分の多い飲料や、固形物のような食べ物を食べさせることはよくないので、水、ぬるま湯、あるいはポカリスエットのような、あまり実質的要素(果物とか炭酸とか)が入っていない、単なる水分に近いものをまず与え、それで様子を見て嘔吐したりしなければ、おもゆ、粥のような流動食的なもの、やわらかいもの、或いはリンゴジュースみたいなものを与えて行けばいい、といったふうに理解し、子供が味のない水やぬるま湯を飲むのは飲みにくいだろうと思って、まずはポカリスエットを飲ませればいいのだろう、と考えていたと思います。

 しかし加藤先生のお便りを拝読すると、ポカリスエットは、必ずしもそうした最初の措置に最適な水分補給とはいえないようで、上記のような手順をお示しいただいています。
 たぶん私の頭には、先生がアメリカでポカリスエットだったかそれに類した飲料を各家庭に常備させることで何%子供たちの発病だったか発熱だったか受診率だったか、重症化率だったか、何かは忘れましたが、とにかく子供らが苦しむ割合が減ったんだ、という先生のエビデンスを挙げてのご説明が強く印象付けられて、とにかく子供の発熱時にはまずポカリ(笑)というスローガンが勝手に頭の中にできあがっていたのでしょう。
 いくら名医に適切なアドバイスを受けても、素人の理解というのは、それほどいいかげんなものだという例かもしれませんね。自分個人の理解の悪さを棚に上げて言えば(笑)。

 私が勤めていた女子大で担当したゼミや担任クラスの学生さんで、卒業後も親しくつきあってきてくれた卒業生たちが、ちょうど私が加藤先生に診てもらいに連れて行った頃の長男、次男の年頃の子供を育てている最中で、ときどき私のブログを読んでくれる人もあるようですから、もし私の記事を見て発熱したお子さんに誤った処置をしてはまずいので、少し詳しく先生のご指摘を紹介させていただきました。
 
 加藤先生に直接お便りをいただいて、早速にもお礼を申し上げ、お返事差し上げたいと思って、いま先生のお便りを転送してくださった方に、もし差し支えなければ、そして加藤先生とご連絡を交わされる機会があれば、その時にでも先生の御了承が得られるなら、先生のご連絡先をお知らせいただけないかとお願いしているところなので、まだ先生のご連絡先は存じあげず、上記のおたよりも先生の御了解を得ずに引用しました。不適切な引用があれば、またご指摘を戴いて訂正させていただくことがあるかもしれません。

(2021年4月15日記)



[ 追記 : 「スナップショット」として書いた記事は、このタイトルで別途まとめました。加藤先生についてのこの記事もそこに再掲しています ➡(スナップショット16「加藤静允さん」]
 この日記ブログのほうで読んでくださる方もいらっしゃるようなので、上記スナップショットにまとめたほうの記事で追加した「注」をここにも付け加えておきます。

*注

  このときの「注射」は風邪などの治療用ではなく、間違いなくワクチンだったであろうことを後日加藤先生ご本人からご教示いただきました。家内も子供たちを加藤先生に診てもらって風邪その他の治療で注射を受けたことは一度もない、と言っています。また、発熱時の子供に応急処置的に与える飲料についても加藤先生から改めて次のようにご教示いただいています。

 発熱時、早朝から経口的に与えるものの順番

① 糖分と塩分の適度に入った冷水、ぬるま湯(与えたあと、上半身を高い目、右側を下にしてねかすか、だっこする。)
②くず、かたくり、うすいお粥、おじや。
③ 嘔吐なく、①②が治まればミルク牛乳可

 私が金科玉条のごとく記憶していたポカリスエットについては、「発熱時(小児は病初よく嘔吐します)第一番目に与える飲料としてはポカリスエットは塩分·糖分が少し薄いのです。」とのことでした。

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saysei at 16:12|PermalinkComments(3)

2020年08月15日

「愛の不時着」を見る

 ネットフリックスでしかやっていないが、爆発的な人気を博して、ふだん辛口の映画評やTVドラマ評を書いている評論家までが、はまったようなことを書いているので、やっぱり一度は見ておかないと、根がミーハーなので、とうとう800円(月額)払って登録、早速「愛の不時着」を見始めました。

 初回は、なんじゃ、これ!財閥の後継者に指名された、はみごのお嬢さんが、ハンググライダーで非武装地帯に不時着してしまって、北朝鮮の政治部のエライサンの息子(とあとでわかる)でとびっきりイケメンの将校さんに出会い、ありえない展開の末ラブラブになってしまって・・・と、まあとんでもないズッコケファンタジーじゃん、と思ってバカにしつつ、まあせっかく800円払ったんだし、と第2回、第3回とみるうち、たちまち次が見たくなり、そのまた次がみたくなって、まだ2日目なのにもう第5回目まで見てしまった(笑)。

 こんな窮屈な世界に閉じ込められて、ドラマとしていったいどうやって展開できるってんだ?と思っていたけれど、それがちゃんと展開しちゃうのですから(笑)まか不思議なドラマ術。やっぱり一番面白いのは製作者たちが脱北者から丹念に聞き出し、調べた上でドラマをつくったという、北朝鮮の庶民の生活がドラマの中にちりばめられていることでしょう。それが韓国のお嬢さんとの間で引き起こすちぐはぐさに面白さの核があります。まあまだ序の口なのでしょうから、午前中はカントの「純粋理性批判」を読み、37℃の耐え難い猛暑を何もせずに過ごす午後はもっぱら「愛の不時着」に不時着して過ごすことにしましょう。

saysei at 19:49|PermalinkComments(0)

2020年08月11日

ソクーロフ監督の「ファウスト」

 ソクーロフ監督に「ファウスト」があって、しかもアマゾンのプライムビデオで無料で見られるのを知ったのは最近のこと。学生時代以来敬遠してきたゲーテの原作のほうを読んでからにしよう、と我慢していたのですが、ようやく昨日無事原作は再読して細部まで思い出せたところで、早速映画の方を見ました。

 結論的に言うとソクーロフ監督の今まで見た、ストーリーらしきものもない、わかりにくい作品たちの中では非常に分かりやすい、楽しめる作品でした。原作というより、その書物にインスパイアされて独自の世界を創るのが彼のやり方でしょうけれど、「罪と罰」などにインスパイアされたという「静かなる一頁」など、ちょっと「罪と罰」を下敷きにしたと言われても、その独自の世界の作り方があまりに独自的過ぎて(笑)困惑させられるところがありました。でもこの「ファウスト」は確かに彼流にデフォルメされてはいても、まぎれもなくあの「ファウスト」の物語で、そういう意味ではとても分かりやすい。

 言語はドイツ語で、多分出演者もドイツ人なのでしょうね。19世紀のドイツの街というのはああいうものだったのかもしれませんが、なんだか暗い穴倉みたいな狭い巣の中に他の個体とねっとり肌がくっつきそうなくらい密接して獣のようりうずくまり、うごめき、叫び、呻いている、汚辱と喧噪に満ちた濃厚な世界といった雰囲気の下町の光景は、なんだか極貧や病気に満ちた貧民街とか阿片窟だとかゲットーみたいなおぞましい場所に足を踏み入れるような気味悪さがあります。

 大体最初に出て來る場面というのが、ファウストが死体を解剖して「魂のありかを探す」おどろおどろしいシーンで、死体の青年?の胸から腹が割かれ、内臓がどろりとあふれ出て床に垂れるような光景ですからね(笑)。その死体を切り刻むファウスト博士なる悪党面の逞し気な中年男は、死体にくっつかんばかりに顔を近づけ、がつがつと死体の内臓を刻んで、人間の魂はどこにあるのだ、と。いくら何でも「学位も持っている」(笑)と自慢してる男が、そこまで愚かじゃないでしょう、と思うけれども、まあ彼は神様なんて「誰もそんなもの信じていないだろう」とテンから信じていないゴリゴリの唯物論者のようだから、魂も身体のどこかに宿っているに違いない、と考えたのでしょう。

 なんだか死臭が鼻につき、汚れた血のりがこっちもべったりつきそうな世界で、登場人物たちはほとんど不自然なほど体を寄せあい、顔をくっつけるような、ちょっと歌舞伎の表情や仕草のような大仰な表情と仕草で、ねっとりと相手の耳にくちびるを寄せて語り掛けるような濃密さを感じさせ、冒頭から一種異様な世界に引き込んでいきます。

 ただ、その中で、マルガレーテが登場する場面だけが、ずぬけて明るく爽やかで、この少女の無垢純卜なありようを象徴しているかのようでした。

 ファウストは貧しくて、父親のところへ金の無心にいくのですが、その父親というのは今でいえば整体師かな(笑)。何か拷問具みたいな台に患者を縛り付けて、身体をひっぱって腰だかどこだかの痛みをとろうとしていたようで、患者が拷問される犯人みたいに大声でうめいていたり・・・。この父親が女の患者を診るときはスカートの幾重もの襞をめくりあげて、膣に入っていた卵を取り出すという(笑)何とも奇妙な、いかがわしい、そして猥褻なる「治療」をほどこします。でもファウストに対してはひどく現実的で、冷淡に借金を断ります。

 この作品では、メフィストテレス役は高利貸しのマウリツィウスという奇怪な体つきの初老の男です。ただ、彼はゲーテの「ファウスト」におけるメフィストテレスほどの力を持たず、悪魔としての能力を使って超自然的なことをやってのける見せ場もほとんどありません。ただ、普通の人間というわけでもなくて、女達ばかりの共同洗濯場兼浴場みたいなところに行って裸身をさらすと、「前に(あるべきところに)何もないわ」と女たちに笑われる奇怪な体つきをしており、尻に小さな尻尾がついています。女たちにも嘲笑されるその尻尾が唯一の悪魔の徴のようです。

 しかしあと二度ほど彼が魔力をふるう場面があります。一度は些細なことですが、短い三俣槍みたいな先のとんがった道具でちょっと壁をひっかいて、ワインを噴き出させる魔術を酒場で使って、人びとがわっと集まって大変な騒ぎの最中、その道具を手にしていたファウストが謝って一人の元兵士である若者を刺し殺してしまうきっかけになります。

 その若者が実はファウストが思いを寄せるマルガレーテ(ゲーテの原作のグレートヒェン)の兄だったという形でつながっていくので、悪魔の魅せる魔術自体はつまらないことだけれど、劇の進行上は重要な契機になるわけです。

 もう一つは、最後にファウストを冥界に導くのはやはりこのマウリツィウスです。そこでファウストは自分が殺した、マルガレーテの兄に再会し、彼が意外にも殺してくれてありがとうと感謝していることを知ります。彼は兵士としてのそれまでの生活にうんざりして厭世的になっていたようなのです。

 もちろんファウストが美しいマルガレーテを見染め、彼女に近づき、どうしても彼女と一夜を共にしてものにしたいという欲情を遂げるためにマウリツィウスの力を借りることも原作どおりですが、考えてみればそこに魔法があったかどうかなんて誰にも本当はわからないわけで、ゲーテの原作でも、メフィストフェレスの助けによってかなえられると同時に、それはまた、貧しいグレートヒェン母子に鷹揚に金銭的な支援をするファウストの偽善的なパトロネージが効を奏したように描かれています。

 そもそもソクーロフの作品では、この悪魔は高利貸しで、まさに貨幣の化身みたいなやつですから、金の力でマルガレーテを抱き込んだと考えるのが一番合理的です。その金の力で、ファウストは「50コ違い」くらいの少女をものにする(笑)。マルガレーテを演じたのは、イゾルデ・ディシャウクという女優さんだそうですが、美人でもなく美少女というのでもない、一風変わった顔つきの女優さんです。若くて初々しい少女であることは確かですが、ちょっとドイツの田舎の娘さんという印象もあるコッペパンみたいな丸顔の、唇の小さな、もともとは素朴な感じの少女です。でも、最初に兄の野外での葬儀に、ずうずうしくもファウストが参列して、彼女の隣に来て、そっと彼女の手を握ろうとすると、それを拒まず、むしろ意味ありげに微笑んで応じるわけです。その微笑みは、ちょっと純朴な少女のそれではなくて、少々淫らでしたたかなところを感じさせるものがあります。

 母親は原作と違ってファウストに対して拒絶的で、娘が彼に近づいたと言うので娘を激しく叱責し、男は一度一人に許せば、後は限りなく、次から次へとお前を求めてくるぞ、というふうなことを言うのです。まあその母親の危惧ももっともだ、というような、ちょっと無防備で意外なマルガレーテのうけいれかたがあって、処女に潜む本能的な淫らさ、したたかさを垣間見せるような微妙な微笑でした。

 つまりファウストの一方的な欲情の犠牲、というわけでもなく、彼女のほうにもそれなりの原因がある(笑)。だってほとんど40年か50年近くも歳の差がある、汚らしいひげ面、悪党面のおっさんですよ!そんなのに惚れますかね、まだ15-6か、17-8かというおぼこ娘が、です。そこは悪魔の仕業による、としなきゃ辻褄が合わない(笑)。

 この作品で一番素敵な、美しい場面は、ファウストとマルガレーテが緑の森の中を散歩するシーンです。その緑が現実的な、生々しい陽光溢れる明るい濃い緑ではなく、古い色あせたフィルムのような、白っぽいモスグリーンというのか、白い苔のような色合いで、ちょうど色あせた古いセピア色の写真の茶色の代わりに緑色になったのを思い浮かべれば近いでしょうが、そういう何とも言えない抑えた色合いで、素晴らしい色調を出しています。これはそんなに古い映画じゃないから、ほんとにフィルムが色あせたわけじゃなくて、ソクーロフが明らかにこの色にせよ、と指示して作った色合いでしょう。みごとに幻想的な色合いを作り出しています。ここは本当にメルヒェンの世界の森のようで、その中でさすがに欲情男のファウストも純情な恋する少年のように、汚れない少女マルガレーテと初々しい会話に心弾ませる貴重な時間をすごします。

 でも、結局のところマルガレーテは、悪魔との血の契約書にサインしたファウストの部屋に連れ込まれ、この欲情男の毒牙にかかります。マルガレーテの真っ白な裸体がベッドに横たえらえ、伸びた両脚の間の、暈しのはいった中心へファウストの醜い顔がうずめられていく・・・画面は暈されているけれども、相当にどぎついリアルで婀艶な描写といったところです。

 あと印象に強く残る場面と言えば、ファウストの助手ワーグナーがホムンルクスを創ることに成功した、とフラスコに入ったその人造人間を持ってくるのですが、そのフラスコが割れて、生まれたばかりの赤ん坊のようなホムンルクスが石の床にたたきつけられ、まだびしょびしょに濡れた、ぬめぬめしたぶよぶよの身体をうごめかせて何か言いたげな表情を見せて死んでいくシーン。原作のように積極的にな役割は果たしませんが、映像ならではのその視覚的効果は衝撃なところがあって、気色悪さと共に印象づけられます。

 ファウストは最後に悪魔の案内で冥界らしきところに赴きますが、そこには原作のような華やかなワルプルギスの魔女たちの饗宴もなければ絶世の美女ヘレネも待ってはいません。ファウストが悪魔の助けを借りて加担する皇帝の軍勢もなく、従ってその功績の褒賞に貰った海を埋め立てて人々の楽園を創るというような現実的な計画を描くこともありません。

 ファウストは依然として自分に寄り添っていた悪魔を岩で打ち砕いて穴ぼこに埋め、悪魔との契約書を破り捨てて自由な人になると、遠く氷山のそびえる一面の雪原というのか氷原というのか、人っ子一人いない荒野を前にして、遠くまでいくんだ!(笑)みたいなことを叫んでどこまでも前進していく、そこで終わっています。

 最初から神様などてんで信じる気配などなく、自分が欲情の生贄にした少女への贖罪もどこへやら、悪魔も殺してしまえばもはや彼の行く手を阻む者はなく、自由であるほかにいたしかたがないのでしょう。彼の空元気のような雄たけびは、その運命を引き受けるぞ、という決意表明ということなのかもしれません。

 このラストは、ゲーテの原作のあまりにも豊かな古代幻想の世界や神話的な饗宴の世界に比べて、貧しく、そこまでに彼が抱え込んできたものとも釣り合いの取れない空虚な雄たけびであり、何も見えない未来ではありますが、現代のわれわれとしては自分たちがこのような世界に歩みいるほかはないのだという思いで引き受けざるを得ない世界なのだ、という意味では、不服ながら、このまま受け入れるよりほか仕方のないものなのかもしれません。
 

saysei at 15:07|PermalinkComments(0)

2020年08月09日

「ファウスト」再読

 昔読んで、それほど面白いとも思わず、ずっと敬遠してきたゲーテの「ファウスト」を、第一部を読んでしばらく間があいていたのですが、今度第二部を一気に読んで、やっぱりとても面白かったので、逆に昔読んでなぜ面白いと思わなかっただろう?と不思議に思ったりしました。

 でも、ある程度その疑問の答えに見当はつきます。「ファウスト」の世界は広大過ぎて、私がなじんできた一人の主人公の行状を追っかけて行けばストーリ―がつかめるような小説とはまるで異なるし、ましてや日本の私小説のように作者≒主人公「私」≒読者の私、みたいに自分を投影して、わがことのように入れ込んで読んでいく、という感じの読み方が通用しない。もちろん主人公はファウストであり、いわば副主人公はメフィストフェレスですが、彼らの内面をくぐってわがことのように読む、というのはちょっと難しい(笑)。おまけにこの世ならぬ異次元の世界へ出かけて、そこではわが主人公はトロイア戦争のきっかけとなった絶世の美女ヘレナを結ばれてイカロスのように日輪に近づきすぎて墜落死する息子までもうけたり、およそ時間も空間も超越して軽々とそうした異次元的世界を横断し、ワルプルギスの夜には魔女たちと言葉をかわし、かと思えばどこやらの皇帝に援軍してメフィストフェレスの魔法の助けも借りて勝利に貢献し、褒美にまだ海に過ぎない領地をもらってそこを埋め立てる大々的な工事を成功させる、というふうなワイマール公国で公務に就いた作者を髣髴とさせるようなエピソードも入っています。

 若いとき読めば、いったいこれはなんじゃ?と途方にくれるようなところがあるのではないか。いまは珍しくないけれど、これはぶっ飛んだSF小説として読めるようなところのあるアンチロマン、ヌーヴォーロマンと言ってもいいような作品ではないでしょうか。第一部は概ねごく普通の小説として読めて、そりゃこの世の万般の知識を極めた一級のインテリであったかもしれないけれど、所詮はそんなのは個人幻想の世界で、ただの男としてみれば、ファウストってのは自分の甘言にコロッと騙されて甘い夢を見る無防備な娘をものにして、子供まで産ませながら見捨てるひどい男で、だけどそれは彼を誘惑する悪魔の仕業でした、というところだけが中世風SFなわけですが、これが第二部となるとその中世風SFの世界が全面展開されて、主人公は自分の犠牲となった娘を訪ねて冥界に下り、魔女たちの饗宴にも加わり、水浴びするディアナを夢に見たり、メフィストフェレスの計らいでヘレナを連れ出して結ばれ、子供までもうけたり、この劇中劇みたいな世界がまたえんえんと展開されます。ガラス容器に包まれた人造人間ホムンルクスなんていう、まさに中世SF的な奇怪なものまで登場します。
 それは全体の流れを見失ってしまうほどぶっ飛んだ多彩で豊かな異次元世界のオンパレードです。わりとせっかちにストーリーを追っかけるような小説の読み方をしていた若い頃の私には、これを楽しむ余裕はなかったかもしれないな、と思わずにはいられません。

 それに、今回は訳者手塚富雄の註も時々参照しながらゆっくり読めたので、登場人物たちのセリフが当時流行しただれそれの思想の戯画だ、というようなことも分かって、なるほどな、と合点するところもあり、書かれた当時の知識人読者なら皆知っていて笑いながら読んだ、あるいはゲーテは時々サロンや書斎で自作を読んで聞かせたというから、、互いに親しい友人知人たちが笑いながら聴いて楽しんだというふうな光景が目に浮かぶような雰囲気があります。それは私たち現代の日本人読者には註釈などで想像してみるほかに術がありません。いま日本で書かれる小説をサロンで読んでもらっても、ちっとも面白くもおかしくもないと思いますが(笑)、源氏物語音読論ではないけれど、ゲーテにせよカフカにせよ、少数の親しい友人、知人に読んで聞かせて、みんなそれを聞いて声を挙げて笑って楽しんだと言われているようです。羨ましいですね。

 何しろファウストはゲーテが20歳のころから着想を温め、書きついできた作品ですから、少し書いてはそうやって友人、知人たちの反応をじかに確かめながら書いていったのでしょう。

 小説みたいな言い方をしてきたけれど、もちろん「ファウスト」はドラマ、詩劇なので、舞台で演じられるのが本当の姿なのでしょう。だいたいドラマを文字で読むのは難しいところがあります。舞台空間に目いっぱい想像力を働かせて読まないとその価値は分からないでしょうから、けっこう疲れるのかもしれません。ましてゲーテの描く中世SF的世界の舞台の豊かな衣装や小道具、大道具の類は私にはとてもリアルに思い浮かべられるものではありませんから。

 自然私などはファウストとヘレナの交感の場面なんかが好き、ということになります。歴史的に色々とトラブルの種になったヘレナのことを「合唱」がこんな風に弁護して歌います。

 ・・・・・・・
 男の愛に慣れた女というものは、
 好き嫌いは申しません、
 それぞれの男の味を知っていますから。
 だから、金髪の羊飼いにも、
 黒い剛毛のファウヌス(森の神)にも、
 風向きしだいで、
 ふっくらした手足を
 惜しまずまかせてしまうのですわ。
 ・・・・・・・

 そしてそのヘレナとファウストが愛を交わす場面、

 ヘレナ 自分というものが遠くに遠くにいるようで、またこんなに近くにいるのかという気がします。
 ただもうしたいのは「わたしはここにいる、ここにいる」ということだけ。
 ファウスト わたしは息もできません。からだがふるえ、ことばがことばになりません。これは夢でしょうか。時も所も消えてしまいました。 
 ヘレナ わたしというものが過ぎ去った昔の思い出のようにも思われ、またいま生まれたばかりのようにも思われます。
 知らないあなたに融け入って、心をさしあげているのですもの。
 ・・・・・・・・・・・・・・

 こんなことを絶世の美女に言われて陥落しない男はいないでしょう(笑)。

 しかし、この作品の面白さは、やはりファウストの好ましからざる相棒メフィストフェレスの突っ込みにあるでしょう。それもゲーテの時代の相当なインテリでないと分からないような言葉もあると思いますが(笑)、すごくわさびがきいているというか、この世について、人生について、またファウストの生真面目さや向上心に対して、冷や水を浴びせるような冷徹でシャープな見解を、魔法を使う力はあってもどうやらちっとも万能ではないらしい悪魔のボヤキとして、捨て台詞として、ポロリポロリと漏らす所に、たまらない面白さがあります。そしてファウストやほかの登場人物よりもずっと彼のそうした斜に構えたというか、すねたというか、擦れたというか、そういう癖のある「ものの見方、考え方」のほうにリアリティがあるような気がします。

 経済学者の岩井克人がメフィストフェレスは重商主義者で貨幣を象徴するような存在だ、とどこかで言っていましたが、とても面白い読み方だと思います。ファウストの中で、膨大な借金を抱えて高利貸しに悩まされていた皇帝の為にファウスト―メフィストフェレスが「帝国内に埋蔵せられたる無量の財宝をもってその担保となす」貨幣、つまりは兌換性の貨幣をジャンジャン発行して窮地を救う場面があったり、メフィストフェレスが「たった二艘で船出したが、二十艘にしてもどってきた」というシーンがあります。まさに「ヴェニスの商人」ですね。そして「戦争、貿易、海賊業、これは神聖な三位一体で、切って離せるものじゃないんだ。」と嘯くのです。

 海を埋め立てる事業をやってのけるファウストーメフィストフェレスも一面凄い残酷なところをみせます。海岸に立って事業の妨げになっている老夫婦の家を結局焼き払って追い出してしまうのですね。まさに半分暴力団みたいな地上げをする不動産業者で、それでもって海を埋め立てて広大な土地を開発して大儲けするわけです。いや、それはファウスト自身の考えでは、何百万人のために開いた土地であり、人びとがそこで働いて自由に暮らせる土地だと夢見てやったことではあるのですが・・・

 ファウストにはほんとに悪夢のように極彩色の、併し一瞬で幻として消えてしまうような世界と同時に、こういう妙に生々しい現実の貨幣だの埋め立て工事だのといったシーンが描かれています。それはもう時間も空間を超えて横断できる主人公たちでなければ近づけない多次元的な世界でしょう。

 その中ではむしろ主人公であるファウストが、第一部であれほど卑劣な罪を犯し、また悪魔に魂を売る契約書にサインして冥界を彷徨い歩き、なお幻の美女を追っかけて手に入れたり、この世の富と権勢を悪魔の力を借りて手に入れようとしたりしているにも関わらず、なぜ最後の最後に神様に救われて天井へ上がって行けるのか、不思議ではないでしょうか。

 あれで彼がやったことの贖罪をはたしたことになるのでしょうか。人間は向上心さえ失わずに努力すれば救われるんだとか、あれはファウストが捨てたグレートヒェンのそれにもかかわらず変わらぬファウストへの無垢の愛によってファウストが浄化されたのだ(手塚富雄の最後の註)という風に言われているけれど、どうも納得できない(笑)。

 そうなると、なんだか「善人なおもて往生す。いわんや悪人をや」というギリギリの逆転というのか、宗教的な飛躍があって、読者のほうも一緒に跳ばないと納得できそうにもないように思います。

saysei at 17:49|PermalinkComments(0)
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