2020年07月
2020年07月25日
『言葉と物』 第二部第十章 四 、五、六 ~私的メモ
四 歴史
<歴史>はもちろん「人文諸科学の成立以前から実在していた」(p388)、けれども近代以前のその<歴史>は、「人類の時間を世界の生成にしたがって秩序づけ」、あるいは逆に「キリスト教的<摂理>のやり方で」「人類の目的の原理と運動を自然の最小の部分にまで拡大」することによって、画一的な継起的時間としての「なめらかで大きな一種の歴史を人々が考えていた」。
19世紀の思考はこうした<統一性>を破り、自然に、生産に、言語に、固有の内在的法則、固有の時間継起を見出した。<歴史>に対して19世紀の「人々は、時間の連続する秩序と平面という観念を捨て去」り、各領域それぞれ固有の<歴史>を見出したわけです。
このとき、一般には、人間のうちに発見された歴史性を、人間のつくった品物、言語、さらに生命にまで人々は拡大したのだと考えられているけれども、「実際に起こったことはその逆であった」。つまり、「物はまず固有の歴史性を受けとり、それが人間とおなじ時間継起を物に課していたあの連続的空間から、物を解放したのである。」(p390)
この「実際に起こったことは」というのがちょっとひっかかりました。いずれにせよこれは19世紀的な<歴史>の概念がどのように発生したか、ということを問題にしているのですから、「実際に起こったこと」というのも客観的な自然の変化ではなくて、人々の考え方の変化にほかなりません。
したがって、ここは当時の人々、つまり<歴史>概念の変容を生きる渦中の人々が考えていたこと、或いはこれまでの思想史において考えられていたことは、人々が人間のうちに見出した<歴史>を生産物や、言語や、自然にまで拡張することによって、それぞれの領域に固有の<歴史>が見いだされた、ということであったけれども、実はそうではなくて、物の<歴史>つまり、自然に固有な<歴史>が先に見出され、18世紀以前には人間の<歴史>と一つながりの連続的な<歴史>から物つまり自然を解放したのだ、という意味でなければならないだろうと思います。あくまでも思想史において、<歴史>がどのようにして見いだされたか、という考え方において、従来の考え方が間違っていて、順序が逆なんだよ、ということを言っているのでしょう。
しかし、そういう結論を述べているだけで、フーコーはここではその根拠も証拠もあらためて示してくれてはいません。人々がまず人間の歴史を「発見」し、これを拡張して、生産物や言語や自然にも、それぞれの歴史があるんだ、と気づいたという、いかにもありそうな考え方がなぜ間違っていて、思想史的に(人々の<歴史>観の変化において)「実際に起こったこと」が真逆だった、とどうして断定できるのか、この個所自体では納得できません。
たぶんそれは、これまで彼がたどってきた生物、言語、労働(生産)をめぐる19世紀前後のエピステーメーの転回の具体的な様相の中で十分示してきたじゃないか、ということなのでしょう。つまりそれは、キュヴィエの比較解剖学だとか、リカードの経済学だとか、ボップの比較言語学だとか言ったものが人間の歴史(学)に先立って19世紀的思考を切り拓いてきたこと、むしろそれらの経験諸科学の成立こそが<人間>という近代固有の「知の形象」を生み出してきたことを考えれば納得のいくことです。
こうして自然、生産、言語が自律的、内在的な<歴史>を持つことによって、逆に人間が<非歴史化>されることになります。「人間の歴史とは、人間にとって無縁で、相互に異質の異った時間のもつれあう結び目以外の何ものでありうるだろうか?」ということになります。あたかも、「人間はそれ自身歴史的なものではなくなって」しまい、「時間は人間のもとに彼自身以外からくる」のであって、「人間が<歴史>の主体として成立するのは、諸存在の歴史、物の歴史、語の歴史の重ねあわせによってにすぎない」ことになってしまうでしょう。こうして「人間はそれらの純粋な出来事に従属させられる」に過ぎない受動的な存在になってしまいます。
けれどもすぐにフーコーはそうはならないんだ、と語り始めます。つまりこれはそう考える人がいるかもしれないが、とか、論理的そうなってしまうじゃないか、と思う人があるかもしれないが、という一種の思考実験的な仮定のごときもので、もちろんそうじゃないよね、つまり人々は<歴史>をそんな風には考えなかったし、人間がそういう自律的な<歴史>性を自然や生産や言語に剥奪された受動的な存在に過ぎないとは考えなかったのであって、と次に続く一節なのでしょう。しかし、この部分はどうもフーコーさん、へんにスコラ的な観念的議論に陥っているような気がします。
それはともかく、フーコーさんが続けて言っていることは、「しかしこうしたたんなる受動性の関係は、ただちに逆転させられる」なぜなら、言葉を話すのも、経済において労働し消費するのも、人間生活を生きるのも、みな「人間それ自身であるからだ」と。これは人間が言語や生産や自然に関わる場面での<主体>なんだ、ということにほかならないのではないでしょうか?この辺の議論はどうもトートロジーに過ぎない気がしてなりません。
ともかくフーコーさんは、人間がそういう行為の主体であるがゆえに「こうした資格において、人間はまた、諸存在と物の生成とおなじように実定的で、それに劣らず自律的な─そしておそらくはより基本的ですらある─一個の生成にたいする権利を持つのである」として、「人間に固有でその存在のなかふかく刻みつけられた歴史性」の役割、それが生産に、言語に、自然に対して働きかけ、影響を及ぼし得る所以であることを述べ、「こうして、実定的諸領域の歴史の背後に、より根源的な、人間それ自身の歴史があらわれてくる」と、こうした生産、言語、自然に対する主体的な働きかけの中で、人間固有の<歴史>が成立する、という思考の逆転が語られています。
その結果、さきほどの中身を全部自然と言語と生産の<歴史>にもっていかれて、それらから受動的に与えられる時間性に過ぎなかった、風前の灯みたいな人間固有の歴史性が、今度は大変な存在感を持って立ち現われることになります。
人間が自身のまわりに「ある量の<歴史>を「持つ」ばかりか、人間自身がその固有の歴史性において、それをとおして人間生命の歴史、経済の歴史、言語の歴史が描き出されるところのものでもあるということが証明される以上、歴史はいまや人間そのものの存在にかかわることとなろう。だからひじょうに基底的なレベルに、それ自身で人間固有の歴史であり、しかもまた、他のすべての歴史を基礎づける根源的分散性でもあるような、人間の歴史性というものがあるはずなのだ。(p391)
こうして再び確固たるものとされた<歴史>は次に人文諸科学との関係について語られています。「歴史的人間とは生き労働し話す人間である以上、<歴史>の全ての内容は、それがどのようなものであれ、心理学、社会学、あるいは言語の諸科学に所属する。」のは当然ということになります。
しかし同時に、「人間存在がはしからはしまで歴史的なものとなった以上、人文諸科学により分析された内容のどのようなものも、それ自身において安定したままではありえぬし、<歴史>の運動を逃れることもできない。」これもその通りでしょう。<歴史>の概念は人文諸科学に確固としたそれぞれ固有の時間軸を与えるけれど、同時にその共時的な認識とそれが対象に適用する方法を相対化するでしょうから。
ここまではいいとして、この直後にフーコーが例によって<歴史>という語を抽象的な語彙のレベルのままで展開して述べている次のような一節は私には不可解です。
<歴史>がその起源と選択の歴史的相対性を超えて普遍性の範囲に到達しようと努力すればするほど、<歴史>はよりはっきりとみずからの歴史的誕生の烙印を担い、<歴史>をよこぎってより明確に、<歴史>がその一部をなす歴史がそのすがたをあらわすのだ。逆にいえば、<歴史>がみずからの相対性をよりよく受けいれ、<歴史>の物語るものと<歴史>とに共通する運動のなかにのめりこんでいけばいくほど、<歴史>は物語の厚みのなさに向い、<歴史>が人文諸科学をつうじてみずからにあたえた実定的内容のすべてが一掃されるのである。(p392-393)
またも「実定性」が現れて理解を阻むようです。がここではそれだけではなく、<歴史>という言葉の使い方もそれまでとまたちょっとズレているようで、理解しにくくなっています。「<歴史>をよこぎって現れる<歴史>がその一部であるような歴史」っていったいどんな歴史?(笑)そして最後のところは、いったい何が「一掃され」ちゃうの?(笑)
残念ながらいまの私にはこの一節はさっぱりわかりません。
いや、この一節だけではなくて、それに続く議論は難解でほとんどわかりません。
<歴史>が人文諸科学に対して特権的なものとなり、「人間科学それぞれにたいして、それを確立する根底をあたえ、その地盤、そしていわば祖国のようなものを固定する」というのは分かるし、それを言い換えて「つまり、この知にその有効性を認めることのできるような文化的領界─時間継起の挿話、地理的挿入─を決定する。」というのもいいでしょう。
しかし次の「けれども、それはまた、人文諸科学を制限する境界線によって人文諸科学を縁取り、普遍性の本領内で価値を持とうとする人文諸科学の野望を、そもそもの最初から崩壊させもする。」(p393)という風な言い回しになると分からない。<歴史>が、時間というファクターを入れることで人文諸科学の認識に或る制約を課する、とか「縁取る」というのはなんとなくわかるけれど、「普遍性の本領内で価値を持とうとする人文諸科学の野望を、そもそもの最初から崩壊させ」る?(笑)こうなるとお手上げです。
人文諸科学は、歴史に対するどのような照合をも避けるときでさえ、ひとつの文化的挿話をもうひとつの文化的挿話と関係づけることしかけっしてしない。そして、人文諸科学がみずからの固有の共時性に応用されるとしても、みずからが由来する文化的挿話を人文諸科学が関係づけるのは、この挿話そのものにたいしてである。したがって人間は、その実定性がただちに<歴史>の無制限性によって制限されることなくしては、その実定性のなかにけっして姿をあらわさないのだ。(p393)
ここで「文化的挿話」というのはカッコして、「人文諸科学がみずからの対象に対するようにそこに応用される挿話と、人文諸科学が、みずからの実在、みずからの存在様態、みずからの方法と概念に関して、そこに根づいている挿話」と註されていますが、だからと言って分かり良くなるわけではありません(笑)。この一節も全然わからない。要は人文諸科学は共時的な認識で成り立っているけれども<歴史>の時間的規定を受けることなしには、実証的な認識の地平には現れてこない、ということを言っているんだろうとでも、あてずっぽうに見当をつけておくしか術がありません。
ここからこの節の最後までの2ページ弱は、殆ど私の読解力を超えた部分です。
この僅か2ページの間に「実定的「実定性」というキーワードが14回登場します。また、「有限性」というキーワードも11回登場します。
ついでに言いますと、この「第四節 歴史」と次の「第五節 精神分析、文化人類学」の二つの節、わずか20ぺージの間に、「実定的」または「実定性」という言葉も、「有限性」「有限なもの」という言葉も、それぞれ30回ずつ登場します。
私が大学で女子大生を教えていたころ、ある学年のゼミ生の中に一人だけ、いい子だけれどひどく落ち着きのない学生さんがいて、私がしゃべっているときでも、わずか5分、10分の間も落ち着いて聞くことができず、きょろきょろして何かほかのことに気をとられたり、隣の子にこそこそ喋りかけたりせずにはいられない、という困った性癖を持っていました。
ところがある日ゼミの時間に私が話し始めると、彼女はいつになくじっと私の目をその大きな目で見つめて、私の話に聞き入っている様子なので、内心私は驚くとともに大いに気をよくして、いつもより少し長話をしたのですが、私が話し終えるや否や、彼女は満面の笑みを浮かべて、私にともゼミのみんなにともつかぬ大きな声で「先生いま<要するに>って10回言った!」(笑)
熱心に耳を傾けているようにみえて、どうも私の話の力点と、彼女のわずかな表情の反応のリズムが少し合わないなぁ、とは喋りながら薄々感じてはいたのですが、案の定、彼女は私が口癖で「要するに」を何回口にするかをひたすら勘定していたのでした。
私がフーコーさんの「実定性」あるいは「実定的」を数え、「有限性」を数えるのもまあ同じ類のことですね。肝心の中身は頭を素通りして何も残していかない(笑)。
しかし、いまあのときのゼミの学生の「要するに」の勘定について思い返して、それは何の意味もないお笑い草だったかと言えば、どうもそうじゃないんじゃないか、と思うのです。やっぱりそれは、私の話がいつも冗長で、<要するに>のような無意味な言葉を繰り返すことで彼女を退屈させていたんだろうと思います。つまり私のほうにも問題があったわけです。
女子大生相手にまっとうな講義もできない自分とフーコーさんを一緒にするのは申し訳ないけれど(笑)、やっぱり、<実定性>だの<有限性>だの、それ自体無定義な抽象語をわずか20ページほどの間に30回ずつも使って語らなくてはならないような語り口というのは、いかに難解な哲学、思想の語りであるとしても、やっぱりとても素敵な語り口だとは言えないのではないか(笑)
自分の「手ブラ読み」を棚に上げて言うのも少しは気が引けるけれど、やっぱりこういうキーワードをこんな風に使いたいのなら、きちんとそれぞれを定義してみせ、分かりやすい具体的な事例を挙げてその言葉でもって自分が描いているイメージを明瞭に読者が共有できる形で示すことが必要ではないでしょうか。
もちろん輸入学問の翻訳と解読を仕事にしている日本の哲学者のような人は、自分の能力を棚に上げたこういう言いがかりを嗤うでしょうが、案外ご本人が生きていて講演にでも来て、そんな指摘を受けたら、頭を掻きながら苦笑まじりに、いやご指摘の通りだね、若気の至りで少々気負ったもんだから、あんな生硬な文体になってしまって、いま読み返すとお恥ずかしい限りだよ、とでも言って率直に認めそうな気がしますね(笑)。
それはともかく、この節の最後の2ぺージは、かつて登場してまたここに再登場している「有限性」と一貫して登場しているけれどうまく定義できない「実定性」という、二つの言葉だけでのべ60回も登場するこのキーワードの理解なしに解読することは不可能に思われます。よって、ここはとばします(笑)。
もちろん「有限性」が人間という存在のあり方が有限だという、ごく普通の意味合いで理解されるのでいいなら、誰にでも分かっていることだけれど、それで読んでいけるほど素朴な言葉としては使われていないので、例えば「無限のない有限性、それはたぶん、けっしておわらなかったし、それ自身よりつねにうしろにある有限性、そこにはそれ自身が思考するまさしくその瞬間に思考すべき何かがなお残されるとともに、それ自身が思考したものをふたたび思考するための時間もつねに残されている、そのような有限性」と言われても、いったいどのような有限性なのか(笑)分からないでしょう。
いずれにせよこの一節は、<歴史>という概念と人文諸科学との関係のありようが、人文諸科学の基盤である「実定的諸領域」を出現させる<有限性>という以前に登場した概念と同様の分析パターンを示す、というようなことが言いたいらしい。ただ今の私にはその内在的な論理はうまくたどれません。それをたどるには、この2ページのうちにある14個の「実定性」(または「実定的)と11個の「有限性」がどんな意味を持っているかよく理解することが必要でしょう。
五 精神分析、文化人類学
第五節では、人文諸科学のうち、精神分析と文化人類学が「特権的位置を占めている」ことを強調して、その理由と特権的であることの内容を述べています。
フロイトの精神分析は、フーコーによれば次のようなものです。
人間の有限性にたいして大きく開かれたままでいる─ことの性質上、人間に関するどのような理論的認識も、意味作用、葛藤、もしくは機能の用語によるどのような連続的把握も近づきえぬ─そのような契機へと赴くのである。つまり、無意識なもののほうへと逆もどりしながら、つねに表象されうるものの空間にとどまっている人文諸科学とは異って、精神分析は前進し、表象を跨ぎこえ、それから有限性の側へとあふれ出て、こうして、諸規範の担い手である諸機能、諸規則を負わされた諸葛藤、体系を形成するおおくの意味が期待されていたところに、体系(したがって意味作用)、規則(したがって対立関係)、規範(したがって機能)がありうるという赤裸々な事実を浮びあがらせるのだ。(p396)
つづめれば、無意識は人間の有限性に連接する場、人間の有限性に対して開かれた場だということで、精神分析による無意識の探究はそういう人間という存在の根源的なありようである有限性の構造に迫ろうとする分析だということになるのでしょう。
そこでは<死>と<欲望>と<法則(言語)>という形象が現れてきます。
<死>はその反復によって「人間の存在様態を有限性の中で特徴づける」経験的=先験的<二重性>の形象として現われ、生命の機能と規範性を明らかにする形象として、
<欲望>は思考の中心でつねに<思考されぬ>まま止まることにおいて、有限な人間が捕われている葛藤と規則を明らかにする形象として、
<法則(=言語)>は、言語の中でそれ自身によって意味と体系を明らかにする形象として、現われてきます。
死、欲望、法則、これらは人間の経験的諸領域の知の内部にあるものではなく、「人間についてのあらゆる知の可能性の諸条件を指示する」ものだとフーコーは述べています。
ここからの論理のつながりが良く見えないのですが、そのあとに精神分析がどういうものであるかが述べられていて、精神分析は「純粋な思弁的認識、もしくは人間に関する一般理論としては展開されえぬ」ものだというのです。精神分析がたどることのできる通路は、上に述べた<死>や<欲望>や<法則>を伴う人間そのものがかかわる実践の内部においてのみ可能なのだ、と。実はなぜそうであると言うのか、その前に書いてはあるのだけれど、私にはうまく呑み込めません。
しかし、この理屈を飲み込んでしまえば、次に書かれている、だから精神分析はこういう方法をとらざるを得ないのだ、という部分はよくわかります。すなわち「精神分析的なすべての知は、実践に、すなわち、一方が他方の言語に耳を傾け、そうすることによって他方の欲望を失われた対象から解放(彼がそれを失っているということを理解させることによって)し、さらにつねに反復される死との隣接から相手を自由にする(他日彼が死ぬことを理解させることによって)、二人の個人のあいだのあの関係の圧縮に、ぬきさしならぬほどつながれているのである。」ということです。
これはまさに吉本さんが「対幻想」の領域、つまり一人の人間が一人の他者に出会う出会い方の問題を扱う領域と呼んだ、広義の「性」の領域です。フロイトが対象とした領域こそがこの対幻想の領域であって、それは三人以上の観念の共同性である「共同幻想」とは位相の異なるものとして区別しなくてはならない位相にある領域として、吉本さんが初めて論理化したものにほかならないでしょう。
次いで文化人類学についてフーコーがまず言っているのは、精神分析学が無意識的なものの次元に置かれているのと同様に、文化人類学は歴世の次元に置かれているということです。
文化人類学は伝統的に、歴史のない諸民族の認識とされているので、歴史性と結びつけるのは不都合に見え、たしかにそれは出来事の継起よりも、むしろ「構造上の不変式を研究するもの」であり、「われわれがわれわれ固有の文化をそれ自身の内部で反省してみようとこころみる際依拠する、ながい「時間継起の」言説を中断し、他の文化的諸形態の中に共時的関係を浮びあがらせる」ものでしょう。
しかし、とフーコーはこれも二つの歴史性の交錯によって成立する観点にほかならないあくまでも<歴史性>の次元にあるものだ、というのですね。
文化人類学そのものは、われわれの歴史性と文化人類学の対象を構成しうるすべての人間の歴史性とが同時にかかわりあう、特定の状況、絶対的に独異な出来事から出発してはじめて可能となるのにほかならない。(p399)
これを難しく言うと次のようになります(笑)。
精神分析が、独異な関係とその関係の招く感情転移との穏やかな暴力のなかでのみ展開されることができるのとおなじように、文化人類学も、ヨーロッパ的思考と、それをそれ自身にたいしてばかりでなく他のすべての文化にたいしても対決させうる関係との─つねに抑制されているがつねに顕在的な─歴史的至上権のなかにおいてのみ、その固有の次元を持つのにほかならない。(同前)
文化人類学のこうした歴史性にもかかわらず、それは文学と神話の分析が見出すような各文化の独特の形態や他の文化との相違等々を、歴史に関係づけるのではなく、フーコーの言う「実定的領域」に属する生命、生産(労働)、言語という経験的諸領域との関係がむすばれる次元の中に置く、としています。
したがって、文化人類学がどういう方向を目指すのかと言えば、生物学、経済学、文献学(言語学)という経験諸科学(専門学)に対して人文諸科学が連接されている領域をめざして進んでいくことになります。
「だからこそ、文化人類学全体の一般的問題は、まさしく自然と文化とのあいだの諸関係となるであろう」と言われれば、なるほど、と納得できますね。この辺は基本的にレヴィ=ストロースの構造人類学を思い浮かべていれば見当を外さないで済むでしょう。彼が「野生の思考」や「構造人類学」で扱っていたのは、まさに「自然と文化とのあいだの諸関係」でありました。
こういう文化人類学のあり方の中では、歴史性はフーコーの言い方では「裏返しになってあらわれる」。つまりそこでは、対象となる文化的事象がかくあるためには、どのような歴史的生成が可能か、という形で歴史性が問われるわけで、それは文化によって異なり、そこでみえてくる歴史性には累積的なものもあれば円環的なものもあり、漸進的なものもあれば規則的振動に従属するタイプのものもあり、自然発生的なものか危機に遭遇した結果かという風に多様でありうる、と。
文化人類学も精神分析学も、人文諸科学のように人間それ自身に問いかけるのではなく、人間についての知一般を可能にする分野に向かって問いかける点で共通している、とフーコーは言います。少しややっこしい言い方だけれど、それぞれをやや詳しく解説しているところを引きます。
精神分析は、精神分析的な言語と実践との極限に有限性の具体的形象を描く、<欲望>、<法則>、<死>を表象の外郭の境に発見するため、感情転移という独異の関係を使用する。
一方文化人類学のほうは、西欧の<ラティオ>が他のすべての文化との間に設定する独異な関係の内部に宿り、そこから出発して、文明のなかで人間が、自分自身について、その生命について、その必要について、その言語のなかに寄託される意味について、みずからにあたえうる表象を回避する。そしてそれらの表象の背後に、そこから出発して人々が生命の諸機能を遂行しつつその直接的圧力を斥ける諸規範、それらをとおして人々がその必要を経験し維持する諸規則、それらを下地としてあらゆる意味が表象にあたえられる諸体系が、浮びあがるのを見るわけだ。(p400)
フロイトとレヴィ―ストロースを思い浮かべながら読めば直観的には納得のできる一節です。同様に次の指摘も重要かつ興味深いものでした。
それら〈精神分析と文化人類学〉が二つとも無意識的なものの科学であるのは当然のことであった。なぜなら、文化人類学と精神分析は、人間のなかにおいて意識のしたにあるものに到達するからではなく、人間のそとにあって、その意識にあたえられるものは何か、その意識を逃れるものは何か、実定的知によって知ることを可能にするものを目指しているからである。(p401)
こうして両者は他のものと同列に置かれる人文科学ではなく、「人文諸科学の全領域を通覧し、その全表層にわたってそれを活気づけ、あらゆるところにみずからの概念を広め、あらゆる場所にみずからの解読の諸方法と諸解釈とを提示することができる」ようなものであることになります。
しかし、これらは「双方とも人間に関する一般概念に近づくことはない」のです。
精神分析と文化人類学は、人間という概念なしですますことができるばかりか、人間を経ていくこともありえない。なぜなら、それらはつねに人間の外部の諸限界を構成するものを対象とするからだ。(p401)
ここでレヴィ=ストロースが、それらは人間を解消するものと語ったという言葉とともに引き合いに出されています。それらは人間を自由な存在として再発見するものではなく、「人間の実定性を醸成するものへと遡っていく」からそういう言い方になるのだ、といいます。ここでも「実定性」の壁(笑)です。フーコーによれば、精神分析が明るみに出す<無意識>の構造や、文化人類学が明るみに出す<構造>は、人間の<実定性>を基礎づけ、醸成するものであり、同時に「人間の外郭の諸限界を構成するもの」であるようです。
精神分析と文化人類学とは、むしろ「反=科学」であるかもしれない。それは、この二つが他のものより「合理的」でも「客観的」でもないということではなく、それらが人文諸科学を逆向きにとらえ、それらをその認識論的台座につれもどすとともに、人文諸科学のなかでその実定性をつくり、さらにつくりなおす、あの人間をたえず「解体する」ことをやめないからだ。(p401)
精神分析学と文化人類学は「基本的相関関係のなかで互いに向き合って確立されている」ものであって、文化人類学は神話の諸言説を意味するものとし、これを支配する法則性を文化にかかわる無意識的なものの体系と規定するだろうし、無意識的なものがそれ自身ある種の形式的な構造だという発見によって精神分析的な世界は文化人類学的な世界とつながっていくでしょう。
ただ、フーコーは両者の関係は重なり合うとかつながるというものではなくて、異なった方向を持つ二本の直線のように交叉しあう関係にある、と言います。精神分析のほうの一本は「能記の体系(=意味する体系)」内への空隙へ赴く直線であり、もう一本は「おびただしい数の所記(たとえば神話における)相互の類比から、その形式的変形がさまざまな物語の多様性を生みだすであろう構造の統一性へと赴く」直線だそうです。
そしてこの2本の直線はその交点でのみ共通点をもつもので、「それによって個人の唯一無二の経験が成立する能記の鎖は、そこから出発して文化におけるおおくの意味が成立させられる形式的体系にたいして垂直だから」だそうです。
難しい言い回しをしているけれど、ここは言語におけるパロール(そのつど話される言葉、発語) とラング(規範としての言語)をモデルに考えればいいんじゃないかと思います。精神分析がとらえようとする無意識を能記、「個人の唯一無二の経験が成立する」云々と言っているのは、個々の発語の世界、パロールの世界、それと垂直に交わり、「一定数のありうべき選択」を可能にする場としての「社会の諸体系」をラング、規範としての言語をモデルに考えればよく理解できるように思います。
実際、フーコーはこのすぐあとのところで「このようにして構想された文化人類学と精神分析に形式的モデルをあたえる、言語の純粋理論というテーマが形成されるわけだ」(p403)と述べています。いや、単に両者の関係を理解するためのモデルというより、そこにもうひとつの「反科学」として、この二つに並ぶ認識の領野が見いだせる、という言い方をしているようです。
言語学によって、人間の外部にある実定的諸領域において完全に基礎づけられ(純粋言語が問題だからである)、人文諸科学の全空間をつらぬいて有限性の問題にふたたびつながるであろう(思考に思考することが可能となるのは、言語をつらぬき、言語のなかにおいてだからである。それゆえに、言語はそれ自身のなかで基本的なものとしての価値をもつ実定的領域となる)、ひとつの科学が得られるわけだ。
文化人類学と精神分析のうえに、より正確に言えば、それらと交錯しながら、第三の「反科学」が、人文諸科学という出来あがっている場全体を通覧し、活気づけ、不安にする最も一般的な異議申し立てを形成することになるだろう。(p403)
こうして成立するだろう言語学は単に生物学や経済学から借用した概念のもとに人文諸科学を統一しようとした十九世紀あるいは二十世紀初頭の試みとはるかに超えた役割を果たすことになるだろう、とフーコーは言います。
その理由は3つあって、まず第一に言語学は「諸内容そのものの構造化を許し─ともかくも可能にするように努力していること」。第二に、「いまや構造のこうした出現によって、人文諸科学の数学との関係は、あらたにまったく新しい次元にしたがって開かれることになること」、第三に、「言語学とその人間認識への応用の重要性が、謎めいた執拗さをもって、すでにそれがどれほどわれわれの文化の基本的諸問題につながっているか見たところの、言語の存在の問題をふたたび出現させること」です。
…と写経的に写しても、この理由を述べた部分の論理はよくわからないですね、最初のは分かりやすいけれど、二番目は例えば次のように説明されています。
「言語学は諸内容そのものの構造化を許す(あるいは可能にするよう努力している)」→したがってそれは他で得られた解釈原理ではなくて「一次的解読の原理」にほかならない。このつながり自体も分からないけれど、次に置かれている、「言語学によって武装された視線のもとで、物が実在に接近するのは、物が能記の体系の諸要素を形成することができるかぎりにおいてなのだ。」という一文がなぜここに置かれているのか、どういうつながりなのか、いまのところチンプンカンプンです。「物が実在に接近する」?なんのこっちゃ(笑)。
とにかくそれに続けて「言語学的分析は、説明である以上に知覚である。すなわち、それはその対象そのものの基本的構成要素をなすわけである。」で説明は終わっています。これもずいぶん独断的な言い方で、なぜ「言語学的分析は知覚である」ということになるのか、何の論理的説明もありません。
しかしまあ大雑把にこの第二の理由を見ると、要は言語学を武器に対象を捉えれば、対象を分節し、再構築して構造化してとらえることができ、それはほかの方法の出来合いの原理の借り物ではなくて、直接対象に向き合った上での第一次的な解読作業の結果であるし、その言語学的分析(対象把握)自体が、対象の構造を言語のうちにとらえるのだから、それ自体一種の対象知覚にほかならない。…というような意味なんでしょうかね。ヤレヤレ・・・
こうしてとにかく言語が認識という人間の営みにおいて基本的な役割を担うことになり、「認識の純粋な諸形態に連接され」るためには、あらためて言語の存在とは何か、が問われなくてはならなくなる、というのがフーコーさんの言いたいことのようで、この問い掛けの端緒を創ったと彼が考えるニーチェとマラルメの場所にわれわれは連れ戻されることになる、というのですね。
こうして「言語の問題がこのように強力な重層的決定とともにふたたび浮びあがり、それがあらゆるところから人間という形象を攻囲するように見えるその点において、現代文化は、その現在とおそらくはその将来のかなり大きな部分のために働いている」ことになるのだそうです。
そして、そこに経験的領域に間近く、しかもそこからすっかり遠ざかっていた諸問題が立ち現われるのであって、その諸問題というのは「思考と認識との一般的形式化」の問題なんだそうです。
それは「数学的ア・プリオリの新しい諸形態から出発して第二の純粋理性批判を行おうとする、可能性とまた任務にむかっている」というから穏やかではありません。
この後フーコーさん好みの作家らしいアルトーやルーセルの評価につながるような、文学の現代的な意味に触れる箇所が続きますが、ここは<実定的>と<有限性>という暗号的キーワード(笑)が肝心かなめの場所に埋め込まれているので、解読不能です。
いずれにせよ、「リカード、キュヴィエ、ポッブの時代に起こったこと、経済学、生物学、文献学とともに創始された知のあの形態、カントの批判が哲学にたいする任務として指定した有限性の思考、こうしたすべてのものは、なおわれわれの反省の直接的空間を形成している。われわれが思考するのはこの場所なのだ」そうですから、難しいことはともかく、その辺まで戻って考えないと、どうやらこのあたりで結論めいたところへもっていくフーコーさんを理解することも難しそうです。
フーコーさんが結論めかして述べているのは、「今日われわれがその約束を怖れ、その危険を受け入れる、こうした近く危ない切迫」は、「この場合もまたニーチェが、遠くから屈折点を指示しているのであるが、確認された神の不在ないし死ではない。人間の終焉(人間の有限性が人間の終焉となるようにするあの厚みのない、あの知覚しえぬずれ、同一性の形態のなかでのあの後退)なのである。」ということです。
これを言語と人間の関係の角度から再度彼は語っています。
人間は、表象の内部に宿り表象のなかに解消させられたかに見えた言語が、細分化されたかたちにおいてのみ表象から解放されたとき、はじめて成立したものにすぎなかった。人間はその固有の形象を断片化された言語の隙間につくりあげたのである。(p409)
言語が分散を余儀なくされたとき人間が成立したとすれば、言語が集合しつつあるいま、人間は分散させられるのではなかろうか?(p408)
六
最後に見出しのない第六節でもう一度フーコーは<人間>という概念がごく最近の1世紀半ばかり前に見出された挿話に過ぎず、その終焉は間近いのだ、と繰り返しています。有名な最後の一節:
もしもこうした配置が(知の基本的諸配置)が、あらわれた以上消えつつあるものだとすれば、われわれがせめてその可能性くらいは予感できるにしても、さしあたってなおその形態も約束も認識していない何らかの出来事によって、それが十八世紀の曲り角で古典主義的思考の地盤がそうなったようにくつがえされるとすれば─そのときこそ賭けてもいい、人間は波打ちぎわの砂のように消滅するであろうと。(p409)
以上、引用はこの連載の最初に書いたとおり、すべてミシェル・フーコー著『言葉と物~人文科学の考古学』渡辺一民・佐々木明訳、新潮社 1974年6月5日発行 によります。
これでようやく『言葉と物』を一応読み終えた、というか、とても「読んだ」とは言えないので(笑)「とにもかくにも一行一行目で印刷された文字を最初から最後までたどりました」ということになります。
自分で後でメモだけ読んだら、大体どんなことが書いてあったか、記憶力の悪い私にもわかるだろう、というので始めたことですが、分からない部分が多すぎてうまくつながっていないから、メモを通読したとて自分でもやっぱり何が書いてあったか分からないかもしれません(笑)。
全体として思想史を自分流に解体して、エピステーメーをキーワードに、目立つ断層を目印に幾つかの地層に腑分けして、それぞれの知の世界を形作った思考そのものを構成する思考を掴みだしてみせた大変な書物で、思想史を一通りやっていれば、もう少しは読めたのでしょうが、フーコーさんの切り分け方に従ってその切り分けたササミだかスジだかを評価し、位置付けていくのをあれよあれよと眺めるばかり、まあその力技には感心しましたが、ここから何が立ち上がってくるのかはもちろんまだ全然見当もつきません。
ただ、この書物一冊でふっとばされたり、ていよく小さな小箱に収納されて整理されてしまったり、解体されてしまった思想というのが山ほどあるだろうな、というのは何となく実感できたような気がします。ヘーゲルやマルクスの扱いにはちょっと驚きましたが、まあフーコーさん流の解体術からすれば、こんなふうに片づけられてしまうのが必然だったのでしょうね。
他方で、カントやニーチェに対する評価は非常に肯定的で、随分高いんだなぁと思い、前者は若いときにチャレンジして挫折した口、後者は拾い読みしながら、肌合いが合わなくて敬遠してきた口なので、これはまずかったな、時間がゆるせば、あらためて読んでみたいな、と思わされました。
フーコーさんの危機意識がラストの人間の終焉という言葉に集約されているのは分かるけれど、その本当の意味合いはまだ私にはわかりません。他方で現実の身の回りの世界を見ていれば、いくら呑気でもかつての素朴なヒューマニズムがもうまったく色あせてボロボロになってしまっていることは実感できるし、人間中心主義的な言説がみななにか胡散臭く、いかがわしいものに思えることも事実なので、では私たちの思考から一切、人間を消去してしまったときに、いったい私たちの思考を支えてくれるのは何なのだろう?ということを改めて身近なところから、できれば自分が馴染んだものの考え方を棄ててしまったり、カッコに入れたりして棚上げしてではなく、もう一度そこにかえって、そこから考え直して見たいものだな、と思いました。
もともと言語にとって美とはなにか、みたいな吉本さん流の考え方に惹かれて、著名な思想家が言語をどんなふうにとらえていたのか、あらためて覗いてみたいという程度の関心で、とりあえずソシュールの『一般言語学講義』から初めて、フッサール『純粋現象学及現象学的哲学考案』、メルロ=ポンティ『知覚の現象学』、ハイデガー『存在と時間』とソシュール以外は正面から言語について論じた部分だけを拾い読みして、フーコーにかかったら、実は一番面白かったこともあって(難しかったせいももちろんあるけれど)あとに行くにしたがって読む速度が滅茶苦茶遅くなって、それまでは数日でやっつけていたのが、たぶんここ1,2カ月かかっていたんじゃないでしょうか。哲学的素養もなければ何の準備もしていない素人の自称「手ぶら読み」で何とか文字面だけでも追っかけてこれたので、今後も懲りずにこの安直な方式で(笑)読んでいこうと思います。
私の特殊事情でもうそんな時間は残されていないとは思いますが、それはそれ、もう自分がどうじたばたした何とかなる問題でもないし、淡々とやりたいことができるところまでやっていくだけのこっちゃ、と思っています。
2020年07月24日
スナップショットショット(13) 新谷尚紀さん
それで、そういう人を良く知った人はほかにいくらでもあるだろうし、中にはその業績を詳しく研究して論じるような人もいくらもあるだろうけれど、私のように本来その人とは縁もゆかりもなく、何の思い入れもない通りすがりの人間が、たまたまそういうどこか特別なものを持った人に、或る時或る場所で偶然すれ違ったとき、その横顔なり後ろ姿なりがどう見え、ただの通りすがりの人間にどんな印象を残した、ということを書いてみるのも面白いかもしれない、そこに羽織はかまで正座した姿とはまた違った表情が垣間見えることもあるかもしれない、とふと思って、この「スナップショット」シリーズをはじめたのでした。
しかし例によってやたらと気が多くて持続力ゼロに近い私のこと、長い期間にようやく12人ほど書いてそれきり実質的に「休筆」していたような次第でした。それが今度ふたたび書いてみようと思ったのは、いま朝日新聞の朝刊に連載されている一人の文化人が生涯を語るのを聞き書きした記事を見て、たまたまいままさに連載中なのがこのかた、新谷尚紀さんで、彼にただ一度会ったときのことを思い出すとともに、まさにこの方のような人こそ、当初のわたしのこのシリーズを書き始めた意図にふさわしいと思ったからです。
というのは、私は友人の紹介で彼に出会うまではまったく彼のことは知らず、その名を聴いたことさえなかったこと、さらにお目にかかったのはまさにそのときただ一度限りでその後まったくお目にかかったことがないこと、にもかかわらず彼は私の中に強烈な印象を残していて、いまでも話の中身はすっかり忘れていても、その時の光景は鮮やかに甦ってくるほどであること、そんなことがこのシリーズの意図に「ふさわしい」人だという意味合いです。
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新谷さんにお目にかかったのは、彼がおそらく国立歴史民俗学博物館の助教授として勤務するようになって間もない頃だっただろうと思います。私はそれまで彼に会ったこともなければ、その名を聴いたこともなく、単にそこで教授をしていた私の学生時代の友人に会いに千葉県の佐倉にあるこの博物館を訪ねた折り、夕食に出るのに、友人がほかに2人同じ研究室のやつを連れていくから、と言って鍋か何か一緒につつくことになったのが、そのときたしか助教授だった新谷さんともう一人、たしか講師だった若い研究者だったのです。
私はもともと非社交的な人間で、特に初対面の人は苦手なので、親しい友人が同席しても、なんとなくぎこちない雰囲気を作ってしまうことが多いのですが、このときはまったくそんな心配は無用でした。
いまとなっては、具体的に何を話したのか、記憶力の抜群に乏しい(笑)私はほとんど何もおぼえてはいないのですが、唯一確かなことは、その食事の場にいた1時間か2時間の間、私も含めて4人はずっと声を挙げて笑いっぱなしだった、という印象です。私などは初対面の人の前で、終始文字通り腹を抱えて笑い転げていました。
その原因はひとえに新谷さんの話の面白さにあったのです。私の友人は、私が結婚して京都に落ち着いてからは、ときどき京都のわが家へひとりでやってきて、一晩泊まって夜更けまでお喋りしていくことがあったので、私のパートナーもよく雑談に加わっていましたが、あなたのお友達の中では彼がダントツに話が面白いわ、といつも言っていたような男で、彼自身、人を飽きさせない会話の名手なのです。
ところが新谷さんはそのまた数倍巧みな話術の持ち主で、二人が掛け合いを始めると、食べ物を口へ入れる間もないくらい、笑いつづけなくてはならないほど、次から次へと笑いの種が食卓に放出されて、こちらはテーブルを離れて笑い転げなくてはならない、といったありさまでした。
しかしさすがの友人も新谷さんにはかなわず、たいていは新谷さんの独壇場で、友人がちょっと突っ込みを入れると新谷さんが倍返し、4倍返しで友人を笑いの種にして笑い返す、ということの連続でした。
いま連載中の朝日新聞の聞き書きを読んでも、多分読者にはそういう新谷さんの像は伝わらないのではないかと思います。そこに現われる新谷さんは、たしかに若いときから研究者としては異色の、波乱万丈というか紆余曲折というか、いろいろ苦労された前半生を過ごされ、功成り名遂げた民俗学研究者のように見え、いや、それはそれでまったく実像にほかならないのですが、私が一瞬垣間見たあの新谷さんはほとんどその片鱗も見せていない、それがすごく残念でならないのです。
あの時の会話内容で私が唯一覚えているのは、新谷さんが、私の友人の名刺を笑いの種にしたことです。
私の友人も民俗学者としては異色で、学生時代は植物学を専攻し、のちに考古学を学び、地方の大学に奉職してからは土地の山野の植物を生活用具として暮らす人々の生活と自然との関係に着目して現場の人々の暮らしの中に自ら入っていく実践的な民俗学をやってきて、たまたま酒場で意気投合した歴博の民俗学の先達に拾われて、関西出身者として初めて歴博に乗り込んだ人物です。
そこでも従来の民俗学のありように鋭い疑問を呈したり、博物館に付属・伴走する振興会のあり方にも一石を投じるなど、学会ではけっこうヤンチャなほうだったはずです。
私の学生時代の友人たちがみなそうだったように、彼も、おとなしく既成の学問の内部、学会の内部でオーソドックスな研究テーマに取り組んで出世していくタイプでもなければ、そういう世俗的な職位だの身分だのというのにはほとんど無関心でした。
教授だの助教授だのといった肩書など歯牙にもかけないというより、自分のことでそういう肩書を口にすること自体が恥ずかしいという感覚を共有しているような人間でしたから、助教授から教授に昇進しても、おそらく給料や予算が増えたことは喜んだかもしれないけれど、別段それが晴れがましいことだとも、名誉なことだともちっとも思っていなかったでしょう。
そういう友人の資質や考え方を、おそらく短期間つきあうだけで見抜いていた新谷さんは、私の友人が教授に昇進したとき、彼がパーティーで初対面の人に配っていた名刺のことを話題にしたのです。
そして、友人が名刺を改めて印刷に出さずに、それまで使っていた「助教授」の名刺の「助」の一字だけをホワイトで消してみんなに配っていたことを、そのホワイトで消すしぐさを真似てみせたりしながら、面白おかしく語って聞かせ、とどめに「その消したホワイトが剥げて<助>の字が半分覗いてるやつをですよ!」というので、これも笑いがとまりませんでした。
私が書いたって面白くも何ともないでしょうが、これを新谷さんのああいうのを語るときの表情と仕草をもってすれば、誰もが噴出さずにはおれないのです。
私が一番近いものを連想するとすれば、大阪市の舞台芸術総合センター計画のプロジェクトをやっていたときに、プレ事業の一環として実施したワークショップの1つを主宰した井上ひでのり氏が、太宰治の『御伽草子』から「カチカチ山」を研修生たちに指導するのに、自分が処女ウサギのたくらみにも気づかずにのぼせあがる中年男に擬せられたタヌキの役をやってみせた、あのシーンでの卓抜な喜劇役者ぶりでしょうか。
背中に処女ウサギの甘い言葉を受けた中年タヌキは、よだれを垂らさんばかりの満面の笑みを浮かべて、ええっ?ほんとうにいいの?みたいなことを言いながら、くるりと振り向く。その表情はまさに処女ウサギの言葉を自分の欲望へのOKと誤解してのぼせあがった中年男の下心を丸出しにした厭らしさ、ずうずうしさ、それでいてとことん単細胞的なタヌキの本性を全部表現しきった卓抜な演技でした。新谷さんにあれを連想するのは失礼な気もするけれど(笑)、あのときの井上タヌキと同じくらい面白かった。
あの一瞬の出会いのあと、友人と二人になった時、新谷さんがこの博物館へ来たいきさつについても友人から聴いたのです。新谷さんはそれまで予備校の講師として、週刊誌にも載るほどの超人気講師で、複数の予備校を掛け持ちして、今日は北海道、明日は九州、と飛行機で予備校通いをして勤務するような日々で、その年収は私などのような平凡な平サラリーマンの想像を絶する金額だったようです。しかし、もともと学問研究に対する強い志を持っていた方だったようで、休日は全部、墓地めぐりにあてて、墓制の研究という地道な研究をつづけていたのだ、と。こいつは偉いな、そして面白いな、と友人は高く彼を評価して、歴博へ来てもらったんだ、というような話でした。
専門の話は一切会食では出なかったし、私もそういう学問に全く関心が無かったのですが、のちに歴博の売店の私の友人が歴史書では日本一の売り場にしてしまった附属書店で、新谷さんの著書や一般向けの小冊子になった著書を拝見して、なるほど本当に地道な研究を続けてこられた学者さんなんだな、というのを知りました。おそらく、ああいうくだけた席でお目にかからなければ、たとえ紹介してもらっても、私とは縁のない地味な学問分野の偉い学者さんなんだな、と一瞬ご尊顔を拝してその名も失念してしまったことでしょう。
新谷さんが歴博へ来ることが決まったとき、私の友人をはじめ歴博の仲間は、予備校で歴史を教えて全国一の超人気講師だといっても、まあ高校生相手だからそこそこのものだろう、などと、専門の民俗学ではない歴史の知識に関しては見くびって、試してやろうじゃないか、といういたずら心を出したようです。
それで、飲んだときに、次から次へと自分たちの知る歴史の蘊蓄から、これは知らんだろう、答えられんだろう、と思うような難問、奇問を繰り出して、新谷さんを降参させようとしたらしいのです。ところが、新谷さんはどの難問、奇問にもたちどころに答えてみせ、およそ友人など素人が覚えているような歴史上の人物や事項や年代などは、一つ残らず即答したそうです。いや、これには参ったよ、と友人。さすがは桁違いの稼ぎの超売れっ子講師だけのことはある、と心底まいりましたね、と。
友人が話したエピソードでもうひとつ面白かったのは、新谷さんは複数の予備校で、ピーク時は全国の予備校講師の中でもおそらくトップクラスの年収を得ていたのに、歴博に来たとたんに普通のサラリーマンより低い、それまでの収入と比べれば天地の開きがある一桁少ない年収になったんだそうです。そりゃ国立の博物館だからどんなに有望な人でも助教授は助教授でしかも勤めはじめたばかりともなれば、どれくらい低給であるかは想像できますね。
だからきっと奥さんは転職にものすごく反対されたと思いますが(笑)、新谷さん自身は学問への志高く、その意志を貫いて歴博へ来られたようです。そして、酒飲みのわが友人がときに彼を誘って都内の酒場へ飲みにいって深夜まではしごをしてさあ帰ろう、というときになると、新谷さんは本能的にさっと手を挙げてタクシーをとめてしまい、博物館のある千葉の佐倉まで、超遠距離を走らせることになるのだそうです。
給料が十分の一になっても、高かったときのことが体にしみついていて、どこにいても「ヘイ、タクシー!」ととめちゃうんだそうです(笑)
この話は、私が大学で経済学を女子学生に講じるとき、いつもネタに使わせてもらいました。例の「ラチェット(歯止め)効果」というやつで、家計の消費水準は、過去の最高の所得水準に依存する、というモディリアニらの説の説明のときです。新谷さんのように面白く話してやることはできなかったけれど、それでもわかりやすい事例として学生さんたちの印象には残ったようで、テストであれを出すと大抵は正解でした(笑)。
朝日の連載はまだ続いているので、これから面白い話になるかもしれませんが、私がとらえた新谷さんのずっと昔の或る一瞬のスナップショットは以上に尽きています。
2020年07月23日
『言葉と物』第二部第十章 三 三つのモデル ~私的メモ
冒頭で言われていることは、人文科学の領域が、生物学、経済学、言語学(文献学)という「三つの『科学』によっておおわれている」ということですが、これをより正確に言えば、という感じで言い換えて、この三つの「科学」というよりは「それ自身の内部でさらに分けられ、たがいに交錯しあう、三つの認識論的領域によって」おおわれている、と述べています。
そして、「この三つの領域は、人文科学一般の、生物学、経済学、文献学に対する三重の関係によって規定される」として、人文科学と呼ばれる具体的な学問の領域が、どんな風にこれら三つの領域のいずれかと関わって拓かれたかを順に述べています。
例えば「心理学的領域」がその場所をみいだしたのは、「生物の機能、生物の運動神経の図式、生物の生理的調節の延長のうちで、しかもまた、そうしたものを遮り制限する中断のうちで、生物が表象の可能性にたいして開かれるところ」でした。
また、「社会学的領域」が拓かれたのは、「労働し生産し消費する個人が、そのような活動のおこなわれる社会について、社会を分けるグループや個人について、それによって社会が維持され、あるいは区切られる、命令、制裁、儀式、祭り、信仰について、みずからにたいして表象をあたえるところ」でした。
さらに、「文学と神話についての研究、口頭のあらゆる顕示と書かれたあらゆる資料との分析、つまり、文化あるいは個人がみずからについて残すことのできる言葉の痕跡の分析」が生まれてくるのは、「言語の諸法則と諸形態が君臨し、しかも、人間の諸表象のたわむれをそこに移行させることを人間に可能としながら、諸法則や諸形態がそれら自身の縁にとどまっている、あの領域」においてでした。
しかし、知の布置におけるこうした人文科学の由来をのべても、なお「二つの基本的問題を手つかずのまま残す」ことになる、とフーコーさんは言います。
その二つのこととは、「人文諸科学に固有なものである実定性の形態にかかわる」問題と、「人文諸科学の表象に対する関係」です。前者は、これまで繰り返し登場した<実定性>という言葉がとても曖昧で多義的で理解しにくい言葉なので、これだけ読んでも何のことかわかりませんが、そのあと具体的に語られていることを読めば、要は人文諸科学に固有のあり方を解明する鍵が、三つのモデルにある、ということだということが分かります。
後者つまり表象との関係ということでは、近代の思考は古典主義時代の表象の思考を脱して経験的諸領域がそれぞれ固有の組織や法則で自立した存在を主張するような世界に変わったはずですが、人文科学に関してはむしろ表象こそがその土台をなすほどに再びその存在感をひろげているということが、後の記述で見えてきます。
まずは人文科学の「実定性の形態」に関わる三つのモデルとは何か、です。それは「人文諸科学にとって基本的構成要素を成すモデル」であって、「人文諸科学の独異な知のなかで、『範疇』の役割を演ずるもの」だといいます。こういう抽象的な言葉を先に連ねて、さんざん煙に巻いてから、それは具体的にはこうだ、というのがフーコーの進め方なので、そこを先に読んだ方が、なぁんだ、そんなことか、早く言えよ!と思わずに済みます。
とても重要なところなので、三つともそのまま写してみましょう。
これら基本的構成要素をなすモデルは、生物学、経済学、言語の研究という三つの次元から借用されている。人間がさまざまな<機能>をもつ存在として姿をあらわすのは、生物学の投影面においてである─つまり、そこで人間は刺激(生理的な、しかしまた社会的で、人間間の、文化的な)を受け、それに反応し、順応し、進化し、環境の要請にしたがい、その課する諸変容と妥協し、不均衡を消去しようとつとめ、規則性にしたがって動き、要するに、生存諸条件と、彼にその機能の行使を許す、調整の平均的諸<規範>を見いだす可能性とを持つわけだ。
経済学の投影面に、人間は、必要と欲望をもつものとして、必要と欲望をみたそうとして関心をいだき利潤を狙い他の人々と対立関係にはいるものとして、姿をあらわす。要するに、人間があらわれるのは、<葛藤>のぬきさしならぬ状況においてである。こうした葛藤を、人間はかわすか、逃れるか、支配し、すくなくともあるレベルにおいてしばしその矛盾を鎮静する解決を見いだすのに成功するか、いずれかであろう。彼は<規則>の集合体を創りあげるが、それは葛藤の制限であると同時に新展開となるのにほかならない。
最後に、言語の投影面に、人間の諸行為は、何かを語ろうと望むものとして、姿をあらわす。人間の最小の身ぶりも、その無意志的メカニズムや失敗にいたるまで、ひとつの<意味>を持つ。そして彼が品物や儀式や習慣や言説に関してみずからのまわりに配置するすべてのもの、彼がみずからのあとに残す痕跡の澪は、ひとつの整合的集合体と記号の一<体系>とを構成する。
このようにして、<機能>と<規範>、<葛藤>と<規則>、<意味作用>と<体系>というこれら三対のものは、人間についての認識領域全体をあますところなくおおうわけだ。(p378)
このあとのところでフーコーは註を入れるような言い方で、これら對を成す概念が、それが現れた投影面に局限されたままであると考えてはならない、と言い、例えば機能と規範は心理学的でしかないわけではないし、葛藤と規則は社会学的領域に制限されるわけではない、これらすべては、人文科学の共通な立体的空間(あの三面角の内部)のなかへとりこまれて、その空間内部の各領域それぞれの中で価値をもつようになるのだと述べています。
しかし、概ね前述のような領域と機能の結びつきを頭においておけば理解しやすいことは確かです。
すなわち、心理学は、基本的に機能と規範の用語による人間の研究であり、社会学は、基本的には規則と葛藤の用語による人間の研究であり、文学と神話の研究は、本質的に意味と意味する体系との分析に属する、と。
そして、19世紀以来の人文科学の歴史を振り返ると、この三つのモデルが人文科学の生成すべてを覆っていて、これらのモデルの系譜をたどることができ、まず最初が生物学的モデルによる<機能>の用語による分析、次いで経済学的モデルによる<葛藤>のキーワードによる人間とその活動の分析、最後に文献学的、言語学的なモデルが支配して、隠された意味を解釈し、発見し、あるいは意味する体系を構造化しあきらかにしようと企てられたのだ、と。
この<葛藤>の用語による分析から<意味作用>の用語による分析への移行について、フーコーは「フロイトがコントとマルクスのあとにきたように」と例示的にその名を挙げていて分かり良くなっています。
しかも「この変位は、もうひとつべつの変位によって倍加された。すなわち、それが、対をなす構成要素それぞれの最初のもの(機能、葛藤、意味作用)を後退させ、さらに一層の強度をもって、第二のもの(規範、規則、体系)の重要性を浮きだたせた」(p381)というのです。
ここも何となくわかるような気はしたけれど、フロイトをその代表例として挙げたところで腑に落ちたといったところでしょうか。
他のだれよりもフロイトが、人間についての認識をその文献学的で言語学的なモデルに近づけ、しかも、肯定的なものと否定的なもの(正常なものと病理的なもの、理解しうるものと伝達しえぬもの、意味をもつものと無意味なもの)との分割を根源的に消去しようと企てた最初の人であったことを思いおこすとき、いかに彼が、機能、葛藤、意味の用語による分析から、規範、規則、体系の用語による分析へという移行を予告しているか、納得できるであろう。(p382)
なるほどフロイトの精神分析は、葛藤や意味の背後に隠された規範、規則、体系を見出す仕事だったでしょう。
こうして「規範と規則と体系の観点」に移行するにつれて、ペンディングになっていた2番目の問題、つまり人文科学における表象の役割という問題にわれわれは近づいていくことになる、とフーコーさんは言います。どういうことか。
少し乱暴に要約的に言うと、たとえば「ある意味作用についての意識との関係においては、体系は既にその意識以前に存在し、意識が宿るのがそこであり、そこから出発して意識が実現されるのであるから、つねに無意識的なもの」(p383)ということになるでしょう。
規範、規則、体系といったものは、三つのモデル、経験的諸領域のいずれにおいても、そういう「意識されないけれども表象される」ものを意味しているでしょう。
「これらの範疇は、人間に関する現代の知全体にとって特徴的な、意識と表象とのあいだの分裂を可能にするもの」(p384)なのです。
「範疇」というのはこの節のはじめのほうで、三つのモデルについて紹介されたときに「こうしたモデルこそ、人文諸科学の独異な知のなかで、『範疇』の役割を演ずるものにほかならない。」という個所で初めて登場した用語で、ここでは単に三つのモデルを指すと考えて読める言葉です。
「意識と表象とのあいだの分裂」、とはどういうことでしょうか。ふつうはこの本の事項索引で言うように、「表象」は代名動詞に対応する「思い描く行為」あるいはその結果としての意識内容を指す言葉で、観念、心像などが「表象」と呼ばれる、その意味でしょう。
もうひとつ他動詞に対応する、他の物の「かわりになる」「代替する」「代表する」といった代替の観念を含む言葉として、「かわりになるもの」「かわりになること」を表わすと言った具合に二系統の異なる意味をもっているけれども、フーコーはあくまで一語としての統一性のもとに用いているそうです。
これまではこの言葉を「思い描くこと」から「観念」「心像」と置き換えて読んできたように思いますが、ここでは無意識について語られ、「表象は意識ではない」(p383)と明言されているのですから、そのまま「表象≒観念、心像」、と考えたのでは、右辺は「意識」そのものでしょうから、おかしなことになります。「表象」は「意識にのぼらないもの」つまり無意識の世界に属するものも含めた意味合いだと考えないとつじつまが合いません。
表象は意識ではないし、意識にそうしたものとしてけっしてあたえられぬ、諸要素や諸組織体をこうしてあきらかにするのが、人文諸科学を表象の法則から免れさせることだとは何ものも証明しはしまい。(p383)
屈折した言い方ですが、要は無意識の世界の構造を明らかにすることは、人文科学が表象の世界の法則の外部にあることを示すわけではなく、むしろ表象は依然として人文科学の世界を覆い、その土台をなすものだよ、ってことだと思います。
たとえば「その言説が誰かの意識のために展開されていないとしても、言語のような何かがいかにして一般に表象にあたえられるか」、あるいは「意味作用と体系という対をなす概念は、言語の表象可能性と、近いが後退した起源の現前とを同時に保証するものである」、さらに「葛藤の概念は、必要、欲望もしくは関心そのものが、たとえそれらを感じる意識にあたえられぬとしても、いかにして表象のなかでかたちをとりうるか、示すものであろう」、また「葛藤と規則という対をなす概念は、必要の表象可能性と、有限性の分析論が解明する、あの思考されぬものの表象可能性とを保証する」、最後に「機能の概念は、生命の諸構造がたとえそれらが意識的でないとしても)いかにして表象を生みだすか示すことを役割とし」・・・と具体例を列挙して示されたように、ここで語られているのは、「意識と表象とのあいだの分裂」であり、意識にのぼることがなくても、言語として表象され、労働者の必要や欲望が社会意識のような形で意識されなくても、その客観的な社会関係(生産関係)の見えざる構造は葛藤の概念のもとで分析されれば「表象のなかでかたちをとりうる」だろうし、というふうに、「十九世紀以来、人文諸科学は、表象の懇請が中断されたままになっている無意識のあの領域に接近する」(p383)のです。
かくして近代の知においても、表象はずいぶん大きな役割を果たすわけです。
表象は、人文諸科学にとってたんなる一対象ではない。それは、既に見たように、人文諸科学の、そのあらゆる拡がりにおける場そのものなのである。それは、知の人文諸科学という形態の一般的台座、そこから出発してその知が可能となるものにほかならない。(p385)
いやはやえらいことになってきました。<表象>という概念は、19世紀初めに始まる近代的思考が古典主義的思考を脱するときに、そこにまだあることはあるけれども、もはや世界≒意識のすべてを覆い、また生み出していく力を失い、生物や労働や言語は表象の世界を脱して、それぞれ固有の組織と法則を持った自律的な領域として拓かれたのだったはずなので、近代的な知の配置の中で表象というのはただ世界の表層として形骸的に残っているだけだと、例えば労働の所産は商品として表象され、市場で交換される、確かに依然として表象であることには変わりないけれど、そうした表象の等価交換の体系が労働の価値を基礎づけるわけではなく、逆に労働こそがあらゆる価値の源であり、その表象としての商品はそうした生産と生産関係(流通)の形作る固有の組織、法則、自律的な運動の表層に現われるものに過ぎない、といったことだったはずです。
ところがどっこい、人文諸科学に関しては、依然として<表象>は、むしろその知の成立を可能とする土台なんだ、というのです。
どこやらの大学にたしか表象文化論なんていう学科だか専攻だかがあるようですが、フーコーさん流に言えば人文諸科学の対象領域すべてがその表象文化ってやつにあたるでしょう。乱暴に言えば表象の介在する領域を扱うのが人文科学で、そんなものを扱わないのが科学だ、ということになるでしょう。
表象が知の人文書科学の一般的台座だということから、フーコーさんは二つの帰結が生じると言います。
一つは、歴史的な帰結であって、「人文諸科学は、十九世紀以来の経験的諸科学とは異り、また近代の思考とも異り、表象の優位を回避することができなかったという事実」だそうです。
またもう一つの帰結は、「人文諸科学が、表象であるところのものを扱いながら、その対象として、はからずもみずからの可能性の条件であるものをとりあげているということ」だそうです。この後者の言い回しはとても分かりにくいですね。
前者は表象が人文科学成立の土台だとまで言うのだから、それを認めるのなら当然だとも言えますが、フーコーさんは古典主義時代の知が表象のうちに宿っていたのと、近代のそれとは全然違うんだ、と言います。なぜなら、「知の布置全体が、変様してしまっているから」だと。
人文諸科学が誕生したのは、人間とともに、それ以前には<エピステーメー>の場に実在しなかった存在が出現したからにほかならない。(p385)
その限界をこえて人間についての知の分野を拡大しながら、人々は、人間をこえて表象の支配権をも拡大しているのであり、こうしてふたたび古典主義的タイプの哲学のなかに身を落ち着けるのである。(同前)
例によって「人間とともに、それ以前には<エピステーメー>の場に実在しなかった存在が出現した」などと、もったいぶった言い方をしていますが、要はフロイトが見出した無意識の世界のようなものを指しているのでしょう。
もちろん無意識だけでなく、<人間>の外部にあって(内部にあって、と言っても同じこどだけれど)<人間>をかくあらしめている「意識にのぼらない構造」はみんなその類でしょう。フロイトの無意識でも、レヴィ=ストロースの構造でも、ソシュールのラングでもなんでもいいわけです。そんなものは確かに古典主義時代の<エピステーメー>の場には実在しなかった。
そんな見えない構造みたいなものもまあ、「意識的形態のもとでにせよ、無意識的形態のもとでにせよ」表象される世界として対象とされていくわけで、そういう世界にまで「人間をこえて表象の支配権を拡大している」ということになるでしょう。
フーコーさんのいう「帰結」の二つ目は私にはちょっとわかりにくいです。「人文諸科学が、表象であるところのものを扱いながら、その対象として、はからずもみずからの可能性の条件であるものをとりあげている」?・・・みずからの、とは人文諸科学自身の、という意味でしょうから、素直に読めば、「表象であるところのものを扱いながら、その対象として」というのは、たとえば心理学なら人間の心理あるいは無意識(「意識的形態のもとでにせよ、無意識的形態のもとでにせよ」)の世界における表象を対象として扱う場合に、そこで対象としている表象自体が、「人文諸科学の可能性の条件」、そもそもの成立条件なんだ、ということでしょうか。これだと単に表象というものが人文諸科学を成り立たせる基盤なんだ、と言っていることに戻ってしまうから、「帰結」でもなんでもない、単なるトートロジーだと思えます。要は人文諸科学というのは、経験的諸科学とは違って、<表象>を扱うものだ、と言ってしまえば済むのではないでしょうか。だったら、それが「人文諸科学の可能性の条件」をなすのは当たり前だし、「人文諸科学の成立の基盤」であるのも自明です。だって表象を対象とする、というのが人文諸科学の定義になってしまっているんだから。
それに続く部分で、こんな一節があります。
非意識的なものの解明というかたちに逆転させられた先験的なものへの上昇志向は、すべての人間科学の基本的構成要素をなすものなのだ。(p386)
「非意識的なものの解明というかたちに逆転させられた先験的なものへの上昇志向」などという言い回しは<プレシオジテ>の典型のように思えますが、言い得て妙というのか、無意識等々の世界、私たちが「意識しない」けれども<人間>の外部性として確かに存在して私たちを支配している表象の世界を解明することは、経験的諸科学がそれ自身の自律的な組織や法則の探究に向かうのと違って、思考する私の先験的な領域を志向する、というのは直観的に腑に落ちる言い方だと思えます。
だからこれに続く「人文諸科学固有のものを顕示するのが、人間という、特権的で奇妙にもつれあった、あの対象でないことは見てとれるにちがいない。人文諸科学を構成し、それに特異な領域を提供するのが人間ではないという、もっともな理由からである。」という一節も、えぇ~っ?と驚かずに(笑)、納得して読めます。
人文諸科学にこうして人間をその対象とすることを許しながら─人文諸科学のために場所をつくり、それらを呼びよせ、創始するのは、<エピステーメー>の一般的配置にほかならない。したがって、人間が問題とされるどこにでもというのではなく、無意識的なものに固有な次元で、意識にたいしてその形式と内容の諸条件を解明する諸規範、諸規則、意味する集合体が分析されるどこにでも、「人文科学」はあると言えるであろう。(p386)
フーコーさんの、人文諸科学のイメージ、知の空間における布置というのは、こういう表現に落ち着くことになるのでしょう。かくして「人間諸科学」は、このようなものとして、近代の<エピステーメー>の一部をなす、つまり、認識論的な場の一部をなす、とされています。
さらにありうる誤解を避けるために、フーコーさんは、人文諸科学がそんなふうに認識論的な場の一部に位置づけられるということは、人文科学が、所説、関心、信仰のレベルで動機付けられたイデオロギーのごときものではない、ということを示しているだけであって、それが「科学」だというのではない、と述べています。
人文科学が科学じゃないとしたら、何なのか、それは科学とどんな関係にあるのか。フーコーさんは「その構図、その位置、その働きが考古学的タイプの分析によって、それらの実定性において復元されうるような認識論的諸現象がある」(p387)と言います。またもや「実定性」です!(笑)こういうことを言うのなら、まず君の言う<実定性>とは何だね?と訊いてみたいところですが、この本を最初から最後まで読んでも、俺の言う<実定性>ってのはさ、とフーコーさんが説明しているところは一か所もありません。いきなり使いはじめてそれきり、何十回も登場する結構キーワード的な重要な言葉ですが、定義されません。かといって、英語のpositive だとかpositiveness にあたるフランス語の日常的な意味や、コント的な実証的なとか、実証主義のといった意味合いにとろうとしても、うまくいきません。
何か実体的に定まるというか、明瞭に実在するものというか、積極的にその存在を主張しうるものというのか、そんな風な意味合いでパスして読んで読めなくはなかったのですが、やっぱりしっくりきません。
ここでいう「実定性において復元されるような認識論的諸検証」は、「種類の異なった組織体に従属することができる」のだそうで、「その一方は、それらを科学として規定することを可能にする、客観性と体系性の特徴を示し、他方は、これらの規準にはしたがわず、整合性の形態と対象との関係はその実定性のみによって決定される。」(同前)
科学が客観性と体系性の特徴を示すというのは誰だってわかります。もう一方の「整合性の形態と対象との関係はその実定性によってのみ決定される」っていったい何でしょう?
やっぱりここでも<実定性>に躓いて、ぴたっとはまるような理解、納得がいきません。
ともかくそうした領域における諸形象を「それらを可能にし、それらの形態を必然的に決定する、実定性のレベルに置きなおさなければならない」(またもや<実性>!)というのですから、ますます<実定性>が分からないと理解できないことになります。
しかし、フーコーさんは知の考古学がそれらの形象に対して二つの任務をもっていると言い、ひとつは、「それらの根づいている<エピステーメー>のなかで、それらが配置されているやり方を決定すること」もうひとつは「それらの布置が、厳密な意味における諸科学の布置といかなる点で根源的に異っているかを示すこと」だそうです。
それが分かれば、おのずと科学との違いにおいて、人文科学がどういう位置づけのどういうものだと考えられているかが明らかになるでしょう。
最初のいかなる布置において位置づけられるているか、という点に関しては、ます「それらはその固有の形象において、諸科学のかたわらに、同一の考古学的地盤のうえに、知の<他の>布置をなしている」のだと述べられています。これだけだとよく分からないけれど、次の個所を読めばよくわかるような気がします。
人文諸科学が「古学的分析を行えば、全に実定的布置を描きはするが、それらの布置とそれらが近代の<エピステーメー>のなかで配置されているやり方とを決定するやいなや、なぜそれらが科学ではありえぬか理解されてくるであろう」と言い、次のように述べています。
すなわち、それらを事実上可能にしているのは、生物学、経済学、文献学(あるいは言語学)にたいする特定の「隣接関係」の状況であり、人文諸科学は、これら三つの科学のかたわらに─というよりはむしろ、それらの射影の空間にこっそりと─宿っているかぎりにおいてのみ、実在しているのにほかならぬ。(p387-388)
そして、この人文諸科学は、みずからがモデルとして導入した三つの科学と、連結したり類縁関係をもったりというような関係にあるものとは全く異なった関係にあるのであって、「無意識的なものと意識との次元への外部のモデルの移入と、それらのモデルが出てきた場所そのものへの批判的反省の逆流とを前提とする」ような関係にあると言います。
つまり、無意識を含む自分が対象とする領域に、その解明のために三つの科学からモデルを借りるけれども、他方で、それら三つの科学に対して固有の哲学的反省(有限性の反省)を差し向けるような独特の関係にあるわけです。
じゃなぜ人文科学は「科学」という名称を帯びているのか。それは「人文諸科学が諸科学から借用したモデルの移入を求め、受け入れること自体、それらの根づきの考古学的規定の一部をなしていることを想起すればこと足りよう」と述べています。つまり、人文科学が科学からモデルを借りていること自体が、それがこの時代の知の<エピステーメー>の布置のありかたをなしているからなのだ、ということでしょう。
したがって、人間が科学の対象と為れないのは、人間の非還元性に寄るのでもなければ、その超越性によるのでもなく、人間があまりに大きい複雑なものだからでもなく、単位西欧文化が「人間という名のもとに、諸理由の唯一で同一のたわむれによって、<知>の実定的分野でなければならないが、<科学>の対象とはなりえない、ひとつの存在を成立せしめたのにほかならない」(p388)からだ、というのです。これがこの第三節のラストの言葉です。「人間という名のもとに、・・・一つの存在を成立せしめた」というのですから、もちろんその「一つの存在」というのが<人間>であって、西欧文化は、知の「実定的分野」でなくてはならないけれど、「科学」の対象とはなりえない<人間>という存在(概念)を作り出したのだ、ということですね。またも<実定的>に躓いて、本当のところよくわからないけれども、人文科学が表象に覆われた世界を扱い、三つの経験的科学をモデルにして無意識的な諸形象を対象とするような認識論的領域として、またみずからがモデルとする三つの科学に対する哲学的反省において先験的領域を志向するような領域として、知のエピスt-めーのうちで、科学ではない独異性を持つ領域として配置されている、という程度のことなら理解出来そうな気はします。
[追記]
「実定性」「実定的」というキーワードが分からない、と繰り返しメモってきたのですが、どうもそれは巻末の事項索引の解説にとらわれ過ぎていたんじゃないか、という気がしています。それによれば、フーコーは『言説の秩序』(邦訳名『言語表現の秩序』)のなかで、言説(ディスクール)の「断言する力」を説明して、「それらに関して真または偽の諸命題を肯定もしくは否定しうるような、客体の諸領域を成立せしめる力」と述べ、その「客体の諸領域をpositivitesと呼ぼう」と記している、と言い、これを参照することによって、フーコーのpositivetesは、「言説の成立を可能にする場およびその場のもつ性質」とみることができるだろうと推測しています。そして、この語はコント的意味をもちえないゆえに「実証性」という訳語は用いられない、として、その訳語を充てず、「実証性」の意味で用いられているときだけその訳語を充てたとしています。
ただし、「実定的」positifの項では、上記の説明を参照せよ、という一方で、positifという語は、コント的意味での「実証的」、あるいはnegatif(否定的な、消極的な)に対立する意味での「肯定的」「積極的」、数学用語で「マイナス」にたいする「プラスの」、具体的、効果的という意味での「明確な」などの意味を賦与されて使用されることもある、として、その場合はその時々に応じて訳語を使い分けたとしています。
しかし私には訳者が引く『言説の秩序』における「それらに関して真または偽の諸命題を肯定もしくは否定しうるような、客体の諸領域を成立せしめる力」が「断言する力」を説明する言葉なのはわかるけれど、そうして成立せしめらる客体の諸領域をpositivitesと呼ぼうというのは、客体の諸領域において「AはBである」と断言する言説の力というのが何かと言えば、それは客体的要素の間の関係性としてAがBであることを実証できる、という能力にほかならないからこそ、そういう断言の成立するような客体の諸領域をpositivitesと呼ぼうと言ったのであって、単に一般的に普通名詞としての「客体の諸領域」をそう言い換えようということではなかったと思うのです。あくまでもこのpositivitesという言葉が持っている思想史的な含みとしての、コント的な「実証性」「実証的であること」が生かされていて、実証性が成り立つことによって客体的世界において「AはBである」という断言が成立するような、そういう客体的領域、実証性で成り立つ客体的認識の領野を指す、と考えるのが妥当ではないか。
そういうことを考えると、これまで「実定性」とか「実定的」という言葉に出くわすたびに、この巻末事項索引の解説にひきずられて、すくなくともコント流の「実証性」だの「実証的」だのと言った意味だけは全く含んでいないのだな、という前提で読んできて、さっぱり分からなかったはずだ、という気が改めてした次第です。
たとえば、今日書いたメモの中で引用した、経験諸科学と人文諸科学との違いを述べた一節、「その一方は、それらを科学として規定することを可能にする、客観性と体系性の特徴を示し、他方は、これらの規準にはしたがわず、整合性の形態と対象との関係はその実定性のみによって決定される。」という部分など、「実定性」は素直に「実証性」と読めばいいのではないか。科学も実証的ではあるけれども、同時に「客観性と体系性の特徴」を持っており、他方、人文科学は「整合性の形態と対象とのかんけいはその実証性のみによって決定される」と。あとのところも、「実定性」をすべて「実証性」、「実定的」をすべて「実証的」と読んで全く不都合はないように思います。
コント的実証主義の実証性や実証的と同じだか異なるのかはどうでもいいので、ここで用いられている言葉に、経験的事実に根拠づけられた、というごく日常的に私たちが使う意味での「実証的」の意味がある、と考えれば素直に読めるし理解できるように思います。
実際、そういう言葉の詮索を離れて、常識的にフーコーの言うような生物学、経済学、言語学のような経験諸科学と、心理学、社会学、文化史、思想史、科学史のような人文諸科学との間に境界線を引くとしたらどんな基準で引ける?と考えれば、フーコーの言うように前者は実証性に裏打ちされると同時にそれぞれの領域に固有の組織、法則等を対象とする認識の「客観性、体系性の特徴」を持っており、後者の対象となる諸形態は表象を介し、解釈によってとらえられるものですから、前者のようないみでの「客観性」や対象それ自体の自律的な体系に由来する「体系性」を持たない、「整合性の形態と実証性つまり経験的事実のみ」に根拠づけられた領域だという違いになるでしょう。
まあひとり合点である可能性は濃厚ですが(笑)、すくなくとももう一度読む際には<実定性>とか<実定的>という言葉を巻末事項索引の解説にとらわれず、<実証性><実証的>と自由に読むこともあり、という立場で再読してみたいと思います。ずいぶん視界が開けてくるような気がします。
[追記]2
きょうのところで、メモし忘れたかと思いますが、次のような一節がありました。
生命と労働と言語の経験的実定的な諸領域(そこから人間がありうべき知の形象として歴史的に分離された)を・・・(p384)
つまり、<人間>という<知の形象>、歴史的概念が生まれてくるのは、やっぱり「生命と労働と言語緒経験的実定的な諸領域」なのですね。前回、前々回、一転二転するようにして、<人間>という概念は一体どこから生まれてきたのか、経験的諸領域からなのか、それともカントの開いた先験的領域からア・プリオリに与えられるのか、と疑問を呈してきたことの、ひとつの答えがここにあるようです。
しかし、これらの領域から、<人間>という知的形象が、分離された、という言い方は微妙です。
つまり、たとえば生命の探究、そこから生まれてくる生物学的な認識や、労働の研究、つまり経済活動の認識、あるいは言語の文法形態、音韻法則のようなものの研究の延長上に<人間>という知的形象が生まれてくるというのではないでしょう。
むしろ、生命の営みをするものとして、労働するものとして、言葉を語るものとして、つまりそれらの主体、主人公として<人間>という知的形象がおのずから「歴史的に分離された」わけです。
そうすると、確かに「経験的諸領域から<人間>という知的形象が歴史的に分離された」のではあるけれど、それは例えば生物学において他の動植物が対象的に把握される、ということとは異なるわけで、それぞれの領域における対象的に見られた存在というのではなくて、むしろそれらの領域を拓き、支える存在(主体)として<人間>が要請され、分離されてくる、というほうが正確でしょう。そうすると、それは主観の領域の先験的領域として<わたし>に重なる、というか、そのものではないのか、と思うのですがどうでしょう。
なぜこれにこだわっているかといえば、フーコーはこの本の中で、上のように、<人間>が経験的諸領域から生みだされた、という風な言い方をするかと思えば、まったくその逆であるかのように、<人間>がそれら経験的諸領域を基礎づけ、生成したかのような表現をしたり、<人間>という概念に先験的領域を重ねるような口ぶりだったり、いまどこと思い出せないけれど、そういう個所がいくつかあったので、それらを矛盾なく理解するためには、経験的諸領域との関係、先験的領域との関係をどうつないで理解すればいいのか、というのが、読んでいてずっと気になっていたからです。いまのところ上のような理解をしてみたわけですが、まだしっくりしないところを見ると、きっと間違っているでしょう。
たぶんフーコーが近代への突破口を開いたカントの評価において、先験的領域と経験的諸領域を拓いた、という意味を、もっと具体的に、それが意味するところをつぶさに点検して、後の展開にどうそれがつながるかを確かめてみないと、うまく理解できない気がします。カントは学生時代に『純粋理性批判』(「世界の大思想」というので出たばかりだった)にチャレンジしてすぐに討ち死にした(笑)記憶があるので、もう一度時間が許せば人生の終わりに繙いてみるのもいいかな、と思っていますが、この超スローペースではとても間に合いそうにない(苦笑)。フーコーさんはあと2-3節だけだから、次はカントさんに行きましょうか・・・少し寄り道してから。
2020年07月21日
『言葉と物』第二部第十章 二 人文諸科学の形態 ~私的メモ
フーコーはキーワード的な言葉を定義せず、その言葉が呼び起こし、彼自身書きながら頭に浮かべているはずのイメージや、具体的な例を明示しないまま、抽象的な独自の用語を使ってどんどん強引に論理を引っ張っていく癖があるようなので、たとえばここでいう「人文諸科学」と言って私たちが普段、人文科学、社会科学、自然科学などと言っている中の1つである「人文科学」であるはずのものの中に、彼が絶対に「人文諸科学」と認めない領域のものが含まれていたりするわけで、読んでいくと、「俺のいう人文諸科学ってのはな」と長ったらしい抽象的な論理で、排除すべきものを説いた記述があることはあるのですが、それならそうと早く言えよ、みたいなところがあります。
それで、先に忘れないうちに書いておくことにしますが、彼が「人文諸科学」の例として具体的に思い浮かべているのは、心理学、社会学、文化史、思想史、科学史のような領域です。(p375の「人文諸科学」に付された括弧書きによれば。)
そして、彼がこれまでカントの開いた先験的領域と対で、対立的に扱ってきた「経験的諸領域」、別のところでは「専門学」(p370)と呼んでいる、生物学、経済学、言語学は彼の言う「人文諸科学」には入りません。
この第十章第二節は、殆どこの経験的諸領域がなぜ彼のいう人文諸科学に含まれないのか、まるで異なる位相に属する概念なんだ、ということを説くことに、その大半の紙数を費やしています。
それはある意味で当然で、ふつう自然科学に入れられる生物学は別としても、経済学は社会科学と言われているけれども、人文科学というのを自然科学に対して学問的認識の領域を二分する概念として人文科学というときにはそこに入れてしまうでしょうし、言語学に至っては、当然人文科学とみなされているでしょうし、生物学は自然科学であっても、人間を構成する心理とか社会行動とか知的活動等々もまた、自然科学の対象としての人間の生物学的な組織や法則の延長上に思い描くのが私たちの一般的な通念だろうからです。
しかしフーコーはそれは全然違うものなんだ、と言うわけです。
この節の冒頭を、彼は「いまやその実定性の形態を素描しなければなるまい。」と始めています。またあの「実定性」です。なぜこういう曖昧で多義的な言葉をわざわざ使うのか私にはよくわかりません。しかもここではあってもなくてもいいような、「例のさ」とかせいぜい、「それ自身の積極的なありようとしての」くらいの軽い形容的な使い方であって、実際節の見出しは単に「人文諸科学の形態」であって、「人文諸科学の実定性の形態」とはなっていません。
「実定性」は「positiveであること」のようですから、多かれ少なかれもとは積極的な、という風なニュアンスを持っている言葉なのでしょう。また、positivismというとコントの実証主義を指すのでしょうから、フーコーはそういう意味で使ってはいないそうですが(巻末の事項索引の「実定性」「実定的領域」の解説によれば)「実証的な」という意味合いも持ちうるのでしょう。
実際この冒頭の部分に続けて、人々はこの人文諸科学の形態を数学との関係で規定したがる、つまり数学化できるすべてのものの目録を作って、「そのような形式化の可能でないすべてのものは科学的実定性をまだ受け入れてはいないと想定」して、実定的領域を数学にもっと引き寄せようとするか、逆に数学化できる領域と数学に還元できない解釈都理解の領域に区分するかだ、と述べているところで使っている「科学的実定性」などは、「科学的実証性」と言ってもほとんどいいような使い方です。
しかし、この場合は、対象的認識を数学化できるか、数式に置換できるか、というほどの意味であって、通常のより包括的な「実証性」の意味合いはないでしょう。
それはともかく、先のように、実定的領域を数学に近づけようとするか、数学化しえない解釈の領域をそれとは別に立てようとするか、ひとびとはそういうことをしたがるけれど、そういう分析は「退屈きわまりない」、それは単に使い古された分析方法であるばかりではなく、「関与性を欠く」ためだ、というのがフーコーの考えです。
またまた「関与性」という無定義の、彼独自の用語法が登場しましたが、これは単にここで述べている「数学との関係」に過ぎないでしょう。それなら単純に分かりやすくそういえばいいのに、なぜわざわざ「関与性を欠くためなのだ」なんていう、もったいぶった言い方をしなくちゃいけないのか、私には哲学者連中のこういう性癖は単になにかするたびに鼻くそをほじくらずにいられない人の癖となんらかわるところはない、と思うのですが、どうでしょうか。
彼は続いて、コンドルセが確率論を政治に応用したとか、フェヒナーが感覚量の増大と刺激のそれとのあいだの対数関係を規定したかとか、現代の心理学者が情報理論を応用して学習の諸現象を理解しようとしているか、といった数学の人文諸科学への応用例を挙げながら、そうした多くの事例ににもかかわらず、「数学との関係が、人文諸科学をみずからの独異の実定性において成立せしめるということは、ほとんどありそうもないこと」(p370)だと述べています。
そう彼が言う理由は二つある、として次の二つを挙げています。ひとつは、数学との関係ってのは人文諸科学と他の多くの専門学とに共通する問題であって、それによって人文諸科学のありようを定義できるようなもんじゃない、ってことです。
もうひとつは、フーコーの言う考古学的分析があきらかにしたところによれば、人間諸科学の領域に数学が突然侵入したから、それとの関係で人文諸科学がそれとの関係で考えられるようになったっていうんじゃなくて、むしろ「<マテシス>が後退」して、生命、言語、労働という経験諸領域が解放され、それぞれの領域が固有の自律性を獲得したのと同様、<マテシス>の後退によって、知の対象としての人間が成立したのだ、決して数学の進出によるのじゃない、ということです。
(生物学は数学を利用したけれども)生物学がその自律性を獲得し、その実定性を規定したのは、数学との関係においてではない。人文諸科学についても同様である。知の対象としての人間の成立を可能にしたのは、<マテシス>の後退であって、数学の進出ではない。この新しい領域の出現を外から規定したのは、それぞれみずからに固く巻きついている労働、生命、言語なのである。そして、あの経験的=先験的存在、その思考が思考されぬものと無際限に織りあわされているあの存在、間もなく回帰する者として約束される起源からつねに引きはなされているあの存在─そうしたものの出現こそ、人文諸科学に独異の姿勢をあたえるものにほかならない。(p371)
「<マテシス>の後退」という言い方は難しいですね。これも何の説明もなく使われています。もっとも、<マテシス>については、前に<タクシノミア>とセットで論じられていましたから、そこを参照すればわかるはずですが、でもたしか<マテシス>は「計算可能な秩序の学」(p98)だったはずで、もちろん<数学化>そのものではないけれども、質的なものをき基本的な物から順次辿って全体の秩序を構成していくタイプの秩序の学<タクシノミア>と対照的に見られた場合は、ほとんど<数学化>をイメージして読んでいって支障ない概念だったように記憶しています。
しかし、ここでは<マテシス>が<数学化>と対立する概念のように対照的に扱われて、<数学化>は進出する一方だったけれど、<マテシス>のほうは「後退」したんだ、と。そして生物学、経済学、言語学が自律的な諸領域として成立したのは<数学化>の進展によってではなく<マテウス>が後退すなわち「その統一的な場の分裂、そして、ありうべき最小の相違からなる線状の秩序からの、生命、言語、労働といった経験的諸組織体の解放」(p370)によってなのであり、同時にそれによって知の対象としての<人間>が成立することによって人文諸科学が生まれてきたのだ、というふうに語られています。
したがって、ここでの<マテウス>という言葉で安易に<数学化>のイメージを思い浮かべてはいけないのであって、生命、言語、労働の認識においても貫かれていた表象的な世界における知の形式化(同一性と相違性の原理による分節と秩序化)という本来の包括的な知の様態を指すものと考えなくてはならないでしょう。そのような分析の視点が「後退」して、もはや生命、言語、労働はそのような秩序に属さない、それぞれ自律的な組織と法則を備え、<歴史>を持った要素、領域として<マテウス>的統一秩序から解き放たれた、と。そのことがこれらの経験的諸領域(専門学)を成立させたのだし、またそれらが「知の対象としての人間の成立を可能にした」(p371)ということになります。
ここは前回、前々回の疑問の蒸し返しになりますが、<人間>を成立させたのは、これら経験的諸領域なのか、それともカントがそれらと同時に拓いた先験的領域によってア・プリオリに与えられたのか、ということについての疑問が、またここで後者を採った前回の納得から逆転するように、「知の対象としての人間の成立を可能にしたのは、<マテシス>の後退であって、数学の進出ではない」と明記されています。つまり<マテシス>の後退によって<人間>という概念が成立した、と。ということは<マテシス>の後退によって、生物学、経済学、言語学の経験的諸領域が成立したからこそ、<人間>という概念が生まれて来たんだ、ということになりませんか?
或るところでは、こういう言い方ではなくて、<人間>という概念のほうが、むしろこれら経験的諸領域を基礎づけるものだというふうな言い方がされていて、じゃその<人間>はどこからやってきたんだ?というと、経験的諸領域からでないとすれば、ほかにないから先験的領域からきたんだ、つまりア・プリオリに与えられたものだ、ということになるのではないでしょうか。そう思っていたら、ここでの言い方だと、<人間>の外部にあり、<人間>に先立って存在する経験的諸領域が<人間>を生み出したのであって、それがさらに<人文諸科学>を生み出す、ということになりませんかね。
少し頭がこんがらがってきましたが、ほんとはすごく大事なところで、この<人間>という概念の成立が、一体どこに由来するのか、それによってフーコーさんの考える知の世界がガラッと違ってみえてしまいますね。何もわかってなかったね、ということになりそうです(笑)。
とりあえずそこは仕方ないのでカッコに入れておいて、いちおうは、<マテシス>の統一的な場が分裂することによって、経験的諸領域がそれぞれ固有の自律的根拠をもって成立するに至ったが、これらを基礎づけるもの(そうした組織や法則を認識するのは主観としての人間以外にないわけだからね)として<人間>という概念が要請されて生まれてきた、と。これはしかし経験的諸領域の内部〈の組織や法則〉に属することはできないから、ア・プリオリに与えられた先験的なものと考えるほかはないわな。・・・と、まあそんなふうに考えてやりすごしておきましょう。またいずれあの世で、もう一回この本を再読する日があれば、その時はもう少しはマシな理解ができるかもしれません(笑)。
ところで先ほどのp371からの引用の後半にあった「あの経験的=先験的存在、その思考が思考されぬものと無際限に織りあわされているあの存在」ってのは、もちろん<人間>以外のなにものでもないでしょう。どうしてこういうもったいぶった言い方をするんでしょうね(笑)。
つぎの「間もなく回帰するものとして約束される起源からつねに引きはなされているあの存在」なんて、もっとわかりにくい、まわりくどくて、もったいぶった言い回しですね。回帰なんて言葉をちらつかせて、ね、ニーチェの愛読者である君にはわかるでしょ、と目くばせするような厭らしい文章(笑)。
本を書くならその記述だけで自立した文章を書くべきだと思うけれど、哲学者だの評論家だのというのは、こういうわざとらしい隠蔽と共犯者的目くばせが大好きですね。彼らの基本的な精神の姿勢が、私のような何でもない一庶民に向き合って語り掛けようという、ソクラテスのような姿勢ではなく、この種の本に入り浸りになった同業者たちに向けて喋るような姿勢にあるからで、当然私のような「手ブラ読み」を想定していないからでしょう。
さてフーコーさんが次に強調するのは、生物学や経済学、言語学などが人文諸科学じゃないんだ、ということです。
生物学も、経済学も、文献学も、人文諸科学の最初のものとも、もっとも基本的なものとも、見なされてはならない。(p372)
人間についての生物学、生理学、言語中枢の解剖、みな人間諸科学とはみなし得ないのだ、と彼は言います。
なぜなら例えば生物学をとってみると、「これら人間諸科学の対象が,決して生物学的働きの存在様態にもとづいてあたえられることはないから」、というよりむしろ「人間諸科学の対象は、この生物学的働きの裏面であって、その窪みによって示されるもの」にほかならず、「人間科学の対象は、この生物学的働きの作用もしくは結果ではなく、生物学的働き固有の存在そのものおわるところ─(中略)ともかくも諸表象が解放されるところ─に、はじまる」からです。
同様に、「言語中枢に結合される諸中枢(聴覚中枢、視覚中枢、運動中枢)のあいだに見られる大脳皮質内部の関係の探究は、人文諸科学には即さない」のです。
人文諸科学がみずからの作用空間を見いだすのは、主体がおそらくは意識しないにもかかわらず、そのおなじ主体が表象を所有しなければ指示されるべきいかなる様態をも持たぬにちがいない、語のあの空間、語の意味のあの現前もしくは忘却、人が語ろうと望むものと、語るべく目指したものがそこに投下される分節化とのあいだの偏差、そうしたものについて人が問いかける直後のことだ。(p373)
わざわざややこしい言い方をしているけれど、要は表象化の働きによって成立する世界が人文諸科学の世界なのでしょう。まずは生物学について:
人文諸科学にとっての人間は、独異な形態(かなり特別な生理とほとんど他に例を見ぬ自律性)をもつあの生物ではない。それは、みずからがことごとくそれに属し、それによってみずからの全存在がつらぬかれている生命の内部から、諸表象を成立させる生物であって、その表象のおかげで人間は生き、そこから出発して、まさしく生命をみずからにたいして表象することのできる、あの奇妙な能力を保持しているものである。(p373)
同様に経済学について:
経済学が人文科学であるわけではない。おそらく、経済学は、ともかくも生産のメカニズムの内部にある諸法則(資本の蓄積や賃金レートと原価との間の諸関係のような)を規定するため、人間の諸行動、およびそれらを基礎づけるひとつの表象(利益、最大利潤の追求、節約の傾向)に依拠すると人は言うだろう。しかしそうはいっても、経済学は、諸表象をある働きの必要条件として利用しているにすぎない。これに反して、人間科学があるとすれば、それは、生産や交換において個人やグループがその相手をみずからにたいして表象するやり方、彼らがそれにもとづいてこの働きおよびそこで自分の占める位置を明確化し、或いは無視し、もしくは隠蔽する様態、この働きのおこなわれる社会をみずからに対して表象する仕方、自分自身が社会にくわわっている、あるいは社会から孤立している、もしくはそれに依存するか、従属するか、それから自由である、と感じるやり方、そういったものを対象とするときだけにちがいない。(p374-375)
まったく同様に言語学について:
人間は世界において話す唯一の存在だとはいえ、音声学的転化、諸言語の近縁関係、意味の変位の法則を認識することは、まったく人文科学ではない。そのかわり、個人やグループが語をみずからにたいして表象し、語の形態と意味を利用し、実際の言説を合成し、そのなかに自身の思考するところを示し、かつ隠し、おそらくはみずから知らぬうちに望むこと以上か以下かを語り、それらの思考について、判読してその表象としての活発さを可能な限り復元しなければならぬ言葉の痕跡の全体をともかくも残していく、そのやり方を規定しようとこころみてはじめて、人々は人文科学について語ることがきるようになるのだ。(p374)
人文諸科学の対象は、したがって言語ではない(それが人間だけによって話されるにせよ)。人文科学の対象は、それによって彼が取りかこまれている言語の内部から、話しつつ、みずからの言表する語、もしくは命題の意味をみずからにたいして表象し、最終的には、言語それ自体の表象をみずからにあたえる、あの人間という存在にほかならない。(p374)
したがって、「人間諸科学を、人間という種のなかに、その複雑な有機体のなかに、その行為と意識のなかに内在化された、生物学的メカニズムの延長とすることは誤り」であり、同様に「人文諸科学の内部に、経済と言語の科学をおくことも誤り」ということになります。
2020年07月20日
「パラサイト」見たけれど・・
新聞等々の映画評であんまりよい評判を見過ぎたせいか、実際に見ると、なぜこれがそんなにいいんだろう?とかなり自分の気分との落差が大きいことに驚いてしまいました。あまりできのよくないドタバタ喜劇(悲喜劇?)としか思えなかったのです。
韓国流の格差社会への批判がないとか、そんな話ではなくて、映画作品それ自体として何も新鮮な驚きも感心するところもなかった。他人の家に入り込み、そこに居ついてしまって、もとの家族の日常を攪乱したり、奪ってしまったり、それまで見えていなかったおどろおどろしいものが見えてきたり、もとの家族がすっかり変容してしまったり、というふうな不意の闖入者あるいはパラサイト的な設定というのは、過去にもいろんなドラマや映画にありましたが、今回もその闖入の手口にしても何も新味が無かったように思います。
ただ、闖入した家族のもう一段下層ともいえる世界に、もう一組の夫婦の世界があった、というところが新味といえば新味で、そこを生かしてもう一皮めくった話で痛烈な社会批判にもなりえた素材だと思うけれど、つまらない話に落としてしまった感があります。
「タクシー運転手」も実際に起きた光州事件の軍による市民虐殺のシーンや私服が主人公らを追いつ詰めるシーンには迫力があったけれど、あえてそこへ混ぜていった喜劇風の味みたいなのは、かえって作品の質を落とすような描き方になっていたと私には思えました。韓国は長期に渡って放映されるテレビドラマのほうがよほどいいように思います。どうも短く映画にまとめようとすると無理をしちゃうみたいで・・・。

今日の夕餉。コーンスープ。生のコーンからすりつぶしてつくってくれたそうで、とてもおいしかった。

煮込みハンバーグ。

ポテトサラダ。

グリーンサラダ。